2007年 05月 04日
大学院博士課程は何のためにあるのか
毎日のように、教育再生会議の思いつきとも思える提言が出てきたり、博士を取得した方々の就職活動の話などが出てきて、その度ごとに具体的事例に反応しているのですが、私が完璧な構想を持っているわけではないこともありますし、揺れ動く部分もありますので、必ずしも一刀両断に切り分けができているわけではないことは自覚しております。そういうこともあって、私が大学院教育や博士というものにどういう基本的考え方を持っているのかということを、たまにはまとめておくのが良いと思い、今日はそれを書いてみたいと思います。
少子化ということもあり、今の大学はちょっと前の高校と同じように、学校を選びさえしなければ全員がどこかの大学に入ることのできる時代になりました。そうなると、今の大学教育を考えるということは、一昔前の高校教育を考えるということと同じになっているのだと思います。また、理系の大学ではかなりの数の学生が大学院の修士課程へ進学する時代になってきました。そうなると、今の理系大学院の修士課程は、一昔前の大学学部と同じように考えなければならないと思います。つまり、大学院の修士課程まで進学したからといって、特に研究者になるというようなことは想定されておらず、ほとんど何も考えずに進学してきた大多数の学生がそこで進路を考えるということになっているのだと思います。ということは、たとえ大学院博士前期課程と呼ばれていたとしても、修士課程までは小中高大学と続いている「普通教育」と考えて良く、そこまで進学してきたからといって、特別な対応を考えなくても良いのではないというのが、私の姿勢です。
しかし、大学院博士課程(大学院博士後期課程)に対しては、少なくとも現状ではそういう対応はできないと思っています。
まず、大学院博士後期課程を終了するとどんなに若くても、飛び級があったとしても27歳くらいになっているということが挙げられます。また、博士後期課程にまで進学する学生の大多数は、できるならば研究職に就きたいと希望しているという現実があります。順調に進んだとしても、大学院に進学しなかった大学同級生の多くが、すでに実社会で5年ものキャリアを積んでいる時にようやく博士号を取得するのが大学院教育です。しかも、大多数の学生は博士号を取得しても研究職に就くことはできないという現実があります。
ポスドクが膨大に増えている今、博士号を取得してすぐに研究職に就けないとしてもポスドクになることは、それほど難しくないという事情はありますが、時限つき採用のポスドクは「研究職に就いた」というには、あまりにも不安定な身分です。ポスドクを2~3回渡り歩くと30代半ばになってしまいますので、そこで安定した職を得られないと、その先の人生設計を描くことも難しくなります。
というわけで、私の主張としては大学院博士(後期)課程を終了し、博士号を取得した学生は基本的には全員が研究職になれるようなシステムが必要だと考えます。もちろん、研究職は大学や国立の研究所だけではなく、民間企業の研究所も含まれますし、学生側の選択としてそれを拒否する道もありますし、残念ながら博士課程に進学した後に研究に不向きであることが発覚することもありますので、とりあえず博士号を取得した人の半数あるいは1/3くらいを確実に吸収する研究職の数があれば良いと思っています。
ということで話が簡単なのですが、大学・研究機関・民間の研究所で採用できる数の2倍(あるいは3倍くらいまで)の数以上の博士は作るべきではないと思っています。つまり、修士課程はさておき、博士課程の定員を激減させることが必要だと考えています。
逆に、博士課程にまで進学してくれる未来の研究者には独立して生活できるような給与を支給して、親や本人に経済的負担をかけることなく学問・研究に専念してもらえる環境を整えるべきだと思います。
次の問題は、その博士課程の大学院生をどこで育てるかという問題があります。国としては、大学院を整理して数少ない研究大学だけでそれを育てれば良いと思っているのかも知れません。私はそれもあり得る選択のひとつだと思いますが、今ある全国のそれぞれの大学で少数ずつの博士を育てるシステムの方が予想もつかないような優秀な研究者が出てくる可能性があるような気がするので、推奨したいと思います。
いずれにしても、現状のように全国の大学で大量の博士を作り出すというシステムは考え直さなくてはならないと思います。ただ、そうなった場合に競争的資金から奨学金というエントリーでadhocさんがおっしゃられているように、今のようにどこの大学も研究で競争するということではなく、博士を育てる研究大学と博士を育てない教育大学という役割分担を認めていく方向はとても重要な方向性だと感じます。
この国では「平等」ということを錦の御旗にして、明らかに性格の違うものも同じ土俵で競争させて、勝った負けたという評価をするという怪しげな競争がはやっていますけれども、それって結局弱いものを合法的に殺すための儀式に過ぎないような気がします。
この国の教育・研究システムを、きちんとリードできる人材の出現を願望する今日この頃です。
少子化ということもあり、今の大学はちょっと前の高校と同じように、学校を選びさえしなければ全員がどこかの大学に入ることのできる時代になりました。そうなると、今の大学教育を考えるということは、一昔前の高校教育を考えるということと同じになっているのだと思います。また、理系の大学ではかなりの数の学生が大学院の修士課程へ進学する時代になってきました。そうなると、今の理系大学院の修士課程は、一昔前の大学学部と同じように考えなければならないと思います。つまり、大学院の修士課程まで進学したからといって、特に研究者になるというようなことは想定されておらず、ほとんど何も考えずに進学してきた大多数の学生がそこで進路を考えるということになっているのだと思います。ということは、たとえ大学院博士前期課程と呼ばれていたとしても、修士課程までは小中高大学と続いている「普通教育」と考えて良く、そこまで進学してきたからといって、特別な対応を考えなくても良いのではないというのが、私の姿勢です。
しかし、大学院博士課程(大学院博士後期課程)に対しては、少なくとも現状ではそういう対応はできないと思っています。
まず、大学院博士後期課程を終了するとどんなに若くても、飛び級があったとしても27歳くらいになっているということが挙げられます。また、博士後期課程にまで進学する学生の大多数は、できるならば研究職に就きたいと希望しているという現実があります。順調に進んだとしても、大学院に進学しなかった大学同級生の多くが、すでに実社会で5年ものキャリアを積んでいる時にようやく博士号を取得するのが大学院教育です。しかも、大多数の学生は博士号を取得しても研究職に就くことはできないという現実があります。
ポスドクが膨大に増えている今、博士号を取得してすぐに研究職に就けないとしてもポスドクになることは、それほど難しくないという事情はありますが、時限つき採用のポスドクは「研究職に就いた」というには、あまりにも不安定な身分です。ポスドクを2~3回渡り歩くと30代半ばになってしまいますので、そこで安定した職を得られないと、その先の人生設計を描くことも難しくなります。
というわけで、私の主張としては大学院博士(後期)課程を終了し、博士号を取得した学生は基本的には全員が研究職になれるようなシステムが必要だと考えます。もちろん、研究職は大学や国立の研究所だけではなく、民間企業の研究所も含まれますし、学生側の選択としてそれを拒否する道もありますし、残念ながら博士課程に進学した後に研究に不向きであることが発覚することもありますので、とりあえず博士号を取得した人の半数あるいは1/3くらいを確実に吸収する研究職の数があれば良いと思っています。
ということで話が簡単なのですが、大学・研究機関・民間の研究所で採用できる数の2倍(あるいは3倍くらいまで)の数以上の博士は作るべきではないと思っています。つまり、修士課程はさておき、博士課程の定員を激減させることが必要だと考えています。
逆に、博士課程にまで進学してくれる未来の研究者には独立して生活できるような給与を支給して、親や本人に経済的負担をかけることなく学問・研究に専念してもらえる環境を整えるべきだと思います。
次の問題は、その博士課程の大学院生をどこで育てるかという問題があります。国としては、大学院を整理して数少ない研究大学だけでそれを育てれば良いと思っているのかも知れません。私はそれもあり得る選択のひとつだと思いますが、今ある全国のそれぞれの大学で少数ずつの博士を育てるシステムの方が予想もつかないような優秀な研究者が出てくる可能性があるような気がするので、推奨したいと思います。
いずれにしても、現状のように全国の大学で大量の博士を作り出すというシステムは考え直さなくてはならないと思います。ただ、そうなった場合に競争的資金から奨学金というエントリーでadhocさんがおっしゃられているように、今のようにどこの大学も研究で競争するということではなく、博士を育てる研究大学と博士を育てない教育大学という役割分担を認めていく方向はとても重要な方向性だと感じます。
この国では「平等」ということを錦の御旗にして、明らかに性格の違うものも同じ土俵で競争させて、勝った負けたという評価をするという怪しげな競争がはやっていますけれども、それって結局弱いものを合法的に殺すための儀式に過ぎないような気がします。
この国の教育・研究システムを、きちんとリードできる人材の出現を願望する今日この頃です。
社会に一旦出た人を受け入れる欧米のMBAのように、一旦企業の研究所で2~3年働いて、それから大学院に入るというのも手かもしれません。大学に8年もいてしまったら、研究者になれなければ、高校の教員以外に進路はないと思います。
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inoue0 at 2007-05-06 03:05
繰り返しになりますが、年限問題については、どうお考えでしょうか?USAやEUがどうなっているのかは私は知りませんが、日本のように固定的に学4院5ではないと思います。繰上げ卒業、飛び級が日常的にあっていい。
大学入学資格の緩和すら考えるべきでしょう。高校卒業資格認定試験(以前の大検)合格者なら16歳で学部入学可能ということにすれば、学2院3程度で、21歳でPh.Dが可能になります。
早期にPh.Dが取れるなら、どんなに博士が多くても、進路問題は解消されます。
大学入学資格の緩和すら考えるべきでしょう。高校卒業資格認定試験(以前の大検)合格者なら16歳で学部入学可能ということにすれば、学2院3程度で、21歳でPh.Dが可能になります。
早期にPh.Dが取れるなら、どんなに博士が多くても、進路問題は解消されます。
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pippu
at 2007-05-06 08:42
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相変わらずの「供給者側の論理」ですね。「研究者になりたい」学生がいるから、しかるべき職を作ってあげよ、って、それで問題解決するなら、とうの昔にしていると思いますが。作ってあげるって、だれがどのような職をどこにつくるんでしょうか?これは実質なにもいってないこととおなじじゃありません?
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stochinai at 2007-05-06 08:52
社会人入学も早期入学も早期卒業も、不完全ながらも制度としては一部導入されていますが、なかなかそれが全体に影響を及ぼすような効果が上がっていないと思います。その原因として考えられる大きな理由は、やはり大学や大学院に対する社会の側の意識がまったく変化していないことではないかと思います。では、どうしたらそれが変わるかというと、それこそが最大の問題で、そこが変われば制度をいじらなくても状況は変わるのではないかと思います。
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stochinai at 2007-05-06 08:56
pippuさん、ご批判ありがとうございます。大学にいるので、どうしても供給者側の論理になってしまいます。しかし、私の考えはむしろ逆で「職を作れ」というよりは、職が少ないのだから「博士を減らせ」と考えています。供給過剰と品質低下を憂慮しています。
pippuさんの解決案も、是非お聞かせください。
pippuさんの解決案も、是非お聞かせください。
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alchemist
at 2007-05-06 14:26
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職を作るではなく、解放する・・・ではないでしょうか?
米国でPhDがそれなりに就職できるのはPhDを持っている会社経営者が多くてPhDに提供できる職種が判っているし、官僚にもPhD取得者が進出しています。日本で公務員にPhDが進出し難い理由の一つは受験資格の年令制限ですが、あの辺を撤廃することで隗より始めて欲しいものです。
米国でPhDがそれなりに就職できるのはPhDを持っている会社経営者が多くてPhDに提供できる職種が判っているし、官僚にもPhD取得者が進出しています。日本で公務員にPhDが進出し難い理由の一つは受験資格の年令制限ですが、あの辺を撤廃することで隗より始めて欲しいものです。
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adhoc
at 2007-05-06 21:36
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大学だって、好きで大学院を拡張してきたわけではなく、国策としてそれ以外の選択肢を許されてこなかったんですよ。「ゆとり教育」と同じ背景です。元々、政府が、需要状態を調べないで、供給すれば需要してくれるという見込みで大学院を拡張させてきたことがが問題です。民間なら、何を供給するにも、まず需要を調べるでしょう。何事もアメリカと比較して、あちらに比べて大学院生が少ないから増やせ、などと言う前に、国情の違いを考えて欲しいものです。
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valis
at 2007-05-06 23:21
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要するに大学が政治的に無力だってことだわな。
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stochinai at 2007-05-06 23:57
それは、おっしゃる通りだと思います。無責任と叱られるかも知れませんが、今の大学は政治的には幼児のように無力だと感じられます。
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valis
at 2007-05-07 20:25
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じゃあどうすれば政治力を持てるか考えるのが筋だわね。
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stochinai at 2007-05-07 20:28
実はそうでもなくて、大多数の大学人は政治力ではなく経済的メリットを追い求めているので、政治力がないという事情があるのです。つまり大学では、自立するために政治力が欲しいと思っている人がマイナーな存在なので、政治力がないという面もあるのです。
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trickstar
at 2007-05-07 21:13
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sivadさんのblogで日本の理系に政治力が無い理由とそれに付随した議論がされています。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070129
それとは別に、大多数の大学人が求める経済的メリットとは何でしょうか?さらに政治力との関係もわかりませんでした。
ご教示頂ければ幸いです。
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070129
それとは別に、大多数の大学人が求める経済的メリットとは何でしょうか?さらに政治力との関係もわかりませんでした。
ご教示頂ければ幸いです。
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stochinai at 2007-05-07 21:47
trickstarさん、情報をありがとうございました。議論をしておられる方たちの中でも、自ら政治勢力になろうとしない大学人の様子はうかがえますね。
大学人の求める経済的メリットとは、ズバリお金です。大学へ配分されるお金(設備および人件費、そして消耗品)が少しでも多くなることが、メジャーな大学人の行動原理だと確信できる理由がたくさんあります。政治力でお金を獲得するよりは、文科省に可愛がられてお金を取る方がずっと楽だということではないでしょうか。
自分の経験だけを見ても、大学設置基準の大綱化の時も、大学院の重点化の時も、法人化の時も、言われていたことはただひとつ、「今までよりも研究費が増えますよ」ということだった記憶があります。(結果的には、あまり正確な情報ではなかったようですが、、、。)
大学人の求める経済的メリットとは、ズバリお金です。大学へ配分されるお金(設備および人件費、そして消耗品)が少しでも多くなることが、メジャーな大学人の行動原理だと確信できる理由がたくさんあります。政治力でお金を獲得するよりは、文科省に可愛がられてお金を取る方がずっと楽だということではないでしょうか。
自分の経験だけを見ても、大学設置基準の大綱化の時も、大学院の重点化の時も、法人化の時も、言われていたことはただひとつ、「今までよりも研究費が増えますよ」ということだった記憶があります。(結果的には、あまり正確な情報ではなかったようですが、、、。)
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stochinai at 2007-05-07 21:54
政治力ということでは、政府を怖がらせるくらいの強大な政治力を持つのでなければ、政府に逆らう政治力は(上に書いたような)大学に配分される予算が削減される方向にしか働かないという「憶測」から、忌避される傾向が強いです。あえて自虐的・刺激的に言うと、「長いものには巻かれろ、札束には媚びろ」が支配原理と言えばわかりやすいでしょうか。大学も、政治による分配金・補助金に頼っているということでは、基本的には公共工事と変わるところはないとも言えるのではないでしょうか。
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AKI
at 2007-05-07 22:45
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初めまして、博士課程2年の学生です。
博士の問題に対して、会社、国、社会全体の問題点も当然大きいと思うのですが、自分は大学が根本的に質の高い博士、修士を世に送り出しているかいわれれば大いに疑問を持ちます。
自分はこれまで分け合って3つの大学を経験し、思ったことは
先生方のプロ意識があまりに希薄ではないかと思います。
学位取得条件の厳格さ、これは特別な予算など難しいことはなく、
大学のみで行えるので大至急、行うべきだと思うます。
商品の中に一つでも腐っている物があれば、その会社はつぶれます。
逆に物が良くなれば、会社は繁盛しますよ。
博士の問題に対して、会社、国、社会全体の問題点も当然大きいと思うのですが、自分は大学が根本的に質の高い博士、修士を世に送り出しているかいわれれば大いに疑問を持ちます。
自分はこれまで分け合って3つの大学を経験し、思ったことは
先生方のプロ意識があまりに希薄ではないかと思います。
学位取得条件の厳格さ、これは特別な予算など難しいことはなく、
大学のみで行えるので大至急、行うべきだと思うます。
商品の中に一つでも腐っている物があれば、その会社はつぶれます。
逆に物が良くなれば、会社は繁盛しますよ。
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trickstar
at 2007-05-07 22:46
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お返事ありがとうございました。
経済的メリットというのはこのようなお金のことだったのですね。でもこれは普通の会社でも、自分の部署がより活発に活動するためにお金を要求することと同じなので、大学に限った話ではないと思います。さらに配分されるお金を増やすためには、やはり政治力が必要なのではないでしょうか?何も政府を怖がらせる程ではなく、何人か議員を送れる(ための票が集められると思わせる)程度で構わないと思いますが。政治力とはこうしたい、こういう方向で動きたいという意志から生まれると思うのですが、お話しを伺っているとどうも大学全体に方向性のある意志が感じられず、文科省とコミュニケーションも出来ていないように思えるのは考えすぎでしょうか。
経済的メリットというのはこのようなお金のことだったのですね。でもこれは普通の会社でも、自分の部署がより活発に活動するためにお金を要求することと同じなので、大学に限った話ではないと思います。さらに配分されるお金を増やすためには、やはり政治力が必要なのではないでしょうか?何も政府を怖がらせる程ではなく、何人か議員を送れる(ための票が集められると思わせる)程度で構わないと思いますが。政治力とはこうしたい、こういう方向で動きたいという意志から生まれると思うのですが、お話しを伺っているとどうも大学全体に方向性のある意志が感じられず、文科省とコミュニケーションも出来ていないように思えるのは考えすぎでしょうか。
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KK
at 2007-05-07 23:50
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AKIさま、学位取得の条件についてですが、博士課程では研究室単位で厳しくしているところも結構ありますよ。そういう研究室の学位取得者の(研究能力の)レベルは確かに高いです。ただし、そういうラボではD4, D5, D6、あるいはそれ以上が当たり前で、博士課程に進学する学生は少なかったりします。
博士課程の出口(学位取得条件)を厳しくするのには賛成ですが、入り口(博士課程への進学)での審査ももっときちんと行う必要性を感じます。
博士課程の出口(学位取得条件)を厳しくするのには賛成ですが、入り口(博士課程への進学)での審査ももっときちんと行う必要性を感じます。
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AKI
at 2007-05-08 12:50
x
コメントありがとうございます。
自分もラボによっては厳しい所はあると思うのですが、
問題は簡単なところ。
最終的には学校単位で審査を行っているのだから
学校単位でって思うのが本音です。
厳しいところも厳しいところで
D4,5になればなるほど一般就職は難しいです。
個人的には入り口を狭くと言う意見に賛成で
卒業は厳しいところの基準でD3で
入学はこの基準が卒業できるポテンシャルを持った学生のみ
なんでしょうけど、博士入学時の試験が難しいですね。
少なくとも修士から見ている学生なら、
先生はわかっているはずなんで、はっきりいえばいいんでしょうけど
来てくれると自分の利益になるから呼んでしまう。
ここが大問題なんですね。
自分もラボによっては厳しい所はあると思うのですが、
問題は簡単なところ。
最終的には学校単位で審査を行っているのだから
学校単位でって思うのが本音です。
厳しいところも厳しいところで
D4,5になればなるほど一般就職は難しいです。
個人的には入り口を狭くと言う意見に賛成で
卒業は厳しいところの基準でD3で
入学はこの基準が卒業できるポテンシャルを持った学生のみ
なんでしょうけど、博士入学時の試験が難しいですね。
少なくとも修士から見ている学生なら、
先生はわかっているはずなんで、はっきりいえばいいんでしょうけど
来てくれると自分の利益になるから呼んでしまう。
ここが大問題なんですね。
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alchemist
at 2007-05-08 17:01
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>大学院の重点化の時も、法人化の時も、言われていたことはただひとつ、「今までよりも研究費が増えますよ」
前任校でも現任校でもそのような説明を受けました。でも、先日、本省サイドのヒトに聞いたところでは、『博士課程まで持っている学部は重点化しようと重点化しまいと運営交付金の額が変わるはずがない。何故ならば、既に出せる限界まで交付金が出ているから』という話でした。一種の都市伝説だったようです。
前任校でも現任校でもそのような説明を受けました。でも、先日、本省サイドのヒトに聞いたところでは、『博士課程まで持っている学部は重点化しようと重点化しまいと運営交付金の額が変わるはずがない。何故ならば、既に出せる限界まで交付金が出ているから』という話でした。一種の都市伝説だったようです。
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adhoc
at 2007-05-08 17:28
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>先生はわかっているはずなんで、はっきりいえばいいんでしょうけど
来てくれると自分の利益になるから呼んでしまう。
要は、博士院生を取れない教員は無能、そういう研究室は無用、とされてしまいますからね。そういう事情の方が、学生の将来を考えた上の判断よりも優先なんだから、困ったものです。
来てくれると自分の利益になるから呼んでしまう。
要は、博士院生を取れない教員は無能、そういう研究室は無用、とされてしまいますからね。そういう事情の方が、学生の将来を考えた上の判断よりも優先なんだから、困ったものです。
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stochinai at 2007-05-08 20:51
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by
stochinai at 2007-05-08 20:54
結局、大学の先生が追いつめられていて、学生がそのとばっちりを受けているというケースはかなり多いと思います。
でも、それは初等・中等教育でも同じではないのでしょうか。
私には、追い込んでいる急先鋒(使いっ走りの鉄砲玉)が「教育再生会議」というふうに見えます。
でも、それは初等・中等教育でも同じではないのでしょうか。
私には、追い込んでいる急先鋒(使いっ走りの鉄砲玉)が「教育再生会議」というふうに見えます。
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??
at 2007-05-08 23:34
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大学の先生といっても教授は首にならないんだから追いつめられようがないんでは?
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stochinai at 2007-05-09 00:46
??さん、働いてみればわかりますが、首にさえならなければ追いつめられないというものではありません。今、データを調べる余裕はありませんが、心を病んでいる先生は小中高大を問わずたくさんおられるはずです。(うちの大学でも今月、教職員対象のメンタルヘルス関係の講演会が予定されています。)でもまあ、大学の先生がその中では一番能天気かもしれないとは、私も思いますが。
驚きました。日本の大学院ってそんなに大変なんですか。
読んでいると、胃が痛くなる気持ちです。
わたしは、日本で社会人として博士号までとりましたが、昔からアメリカで働きたいと思っていたので、アメリカで完全通信制の大学院を創設しました(日本語で講座は行われますが)。
日本での就職も考えないわけではなかったですが、いろいろ犠牲にしなければ就職が難しいだろうと思いましたし(たとえば、勤務地とか)、また40才という人生の折り返し地点に来ていたので、少しでも心残りがある選択をしたくなかったとの思いから、住みたかったアメリカで創業する決心をしました。
こちらで感じることは、5月6日のalchemistさんのコメントにもありますように、博士号は営業的にメリットがあると思います。特に、専門的な職業についている場合は、個人の資格として思いっきりアピールできますし、なければ競争力になりません。博士号をとったからといって、研究”職”にこだわる必要はなく、研究活動ができればいいんだと思います。それで生活ができれば・・・
読んでいると、胃が痛くなる気持ちです。
わたしは、日本で社会人として博士号までとりましたが、昔からアメリカで働きたいと思っていたので、アメリカで完全通信制の大学院を創設しました(日本語で講座は行われますが)。
日本での就職も考えないわけではなかったですが、いろいろ犠牲にしなければ就職が難しいだろうと思いましたし(たとえば、勤務地とか)、また40才という人生の折り返し地点に来ていたので、少しでも心残りがある選択をしたくなかったとの思いから、住みたかったアメリカで創業する決心をしました。
こちらで感じることは、5月6日のalchemistさんのコメントにもありますように、博士号は営業的にメリットがあると思います。特に、専門的な職業についている場合は、個人の資格として思いっきりアピールできますし、なければ競争力になりません。博士号をとったからといって、研究”職”にこだわる必要はなく、研究活動ができればいいんだと思います。それで生活ができれば・・・
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stochinai at 2007-06-11 01:32
日本は今、大学院だけではなく、大学も、高校も、中学校も、小学校も大変なことになっています。
日本ではアメリカやイギリスなどの教育・研究・競争システムを、その社会的背景を深く考慮することなく、「直輸入」することを「改革」だと思っている人が権力を持っている側にたくさんいるように思われます。さらに、そのシステムを運用する主体の中に、古くからある談合・汚職・親方日の丸体質が温存されているので、あちこちで次から次へと矛盾が噴出しているのではないでしょうか。
毎日のニュースのうち政治関連のもののほとんどが、そうしたことで説明可能な国って、とても近代国家とは言えないですよね。そちらから見ると、経済的規模が大きいとしても、日本という国はフィリピンやインドネシアやスリランカやバングラデシュと同じ発展途上国に見えませんか?
日本ではアメリカやイギリスなどの教育・研究・競争システムを、その社会的背景を深く考慮することなく、「直輸入」することを「改革」だと思っている人が権力を持っている側にたくさんいるように思われます。さらに、そのシステムを運用する主体の中に、古くからある談合・汚職・親方日の丸体質が温存されているので、あちこちで次から次へと矛盾が噴出しているのではないでしょうか。
毎日のニュースのうち政治関連のもののほとんどが、そうしたことで説明可能な国って、とても近代国家とは言えないですよね。そちらから見ると、経済的規模が大きいとしても、日本という国はフィリピンやインドネシアやスリランカやバングラデシュと同じ発展途上国に見えませんか?
確かに日本の行政は対応が遅いし、待ってたら、こちらがなにもできないうちに年取ってしまうと思います。だからこそ、心残りのない選択をして、アメリカに来たわけです。
どんなに不平不満を言っても、結局とばっちりは自分に来ますから、自分から環境を変えるしかないと思いました。自分を受け入れてくれる場所、自分をもっとも高く評価してくれる場所を探して、そこに行くしかない、そうでなければ、せっかく苦労して博士号までとったのに、つまらない人生になってしまうと思いました。これって、日本にはチャンスが少ないってことになるんでしょうね。
無駄な活動かもしれませんが、アメリカで大学院設立というチャンスをもらったので、日本での「新しいリーダーシップ」についてのコミュニティを立ち上げました。(http://space.business.nifty.com/sns/index.php?command=topas&asid=4002000)
わたしたちは、もっと自分たちが幸せになるように働きかけていかなくちゃいけないと思っています。そうでないと、胃が痛くなりそうなことばかりで・・・
どんなに不平不満を言っても、結局とばっちりは自分に来ますから、自分から環境を変えるしかないと思いました。自分を受け入れてくれる場所、自分をもっとも高く評価してくれる場所を探して、そこに行くしかない、そうでなければ、せっかく苦労して博士号までとったのに、つまらない人生になってしまうと思いました。これって、日本にはチャンスが少ないってことになるんでしょうね。
無駄な活動かもしれませんが、アメリカで大学院設立というチャンスをもらったので、日本での「新しいリーダーシップ」についてのコミュニティを立ち上げました。(http://space.business.nifty.com/sns/index.php?command=topas&asid=4002000)
わたしたちは、もっと自分たちが幸せになるように働きかけていかなくちゃいけないと思っています。そうでないと、胃が痛くなりそうなことばかりで・・・
by stochinai
| 2007-05-04 23:56
| 大学・高等教育
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