5号館を出て

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「増え続ける学位取得者」へのコメント

 5月7日のエントリ-「日々増え続けている学位取得者はどうしていけばいいのだろう?」は、とても刺激的だったようで、今日に至るもまだコメントが増え続けています。

 せっかく、貴重なコメントが集積されておりますので、クリップしておきたいと思います。

>私にはアカデミックに進む、あるいは進んだ友人が数多くいます。彼らの未来が絶望的だ、とは私は思いませんし、彼らも含めて、これからの日本の科学界を背負う若い人材は沢山いると思っています。

>「博士新卒ならなんとか就職口もさがしてきてあげるが、ポスドクはなー結果が出てないと負のスパイラルに入るから」

>多くの先生が余り院生の行く先に関心と責任感をお持ちでないので、ウチのような場末の研究室の出身者でも就職ができる

>研究者として優秀かどうかは論文等で広告しやすいけど、教育者の場合は広告が難しいですね。(「、」を挿入)

>現状、論文書ければ、実績があれば、博士号と運があれば大学のポストは得る事ができます。

>研究できなくて論文書けない大学人は、しばしば非常に歪んだ性格に仕上がってるような印象があります。

>研究できる、論文書けるのは「必要最低限の能力」であって。それ以外に、当たり前に社会人として、人を率いて働く事ができる、若手に尊敬される、そういう人に「大学人」として教官として存在して欲しい、と願う次第です。

>”大学でしか生きていけない人”が集まるべくして大学に集まっている。それが現状。

>院生の多くは未だにできたら大学に残りたがります。企業つとめの人で、折あらば大学に移動したい人は無数にいても、大学教員で現状の企業に行きたい人は、殆どいません。

>日本では未だ大学の学生の最優等のもの行き先が、中央官界と研究大学なのはまぎれもない事実です。

>大学院生の数的大拡張とポスドク1万人計画の目的は、大学の拡大再生産ではなく、産業界への有為の高学歴人材の供給にあった訳です。

>税金を投入しての「ポスト・ポストドクトラル研究員」みたいなものと、企業の博士試験採用を後押しする公的施策に落ち着くと思います。

>文科省が打ち出した対策も30歳前後のまだ選択肢がある人に対するもので、救える人だけを救おうというものです。

>人間的にトラブルを起こしすぎる先生は、先生候補者(ポスドク)がいっぱい余っているので、どうかした方がいいんじゃないかと思うます。(「、」を2カ所に挿入)

>大学院生、ポスドクを急速に増やした時期は、確か就職氷河期と重なっていましたよね。

>在学中の院生に関しては、全国の大学全部あわせれば、数から行っても中身から行っても、一昔前の学部卒が大学院卒と名前を変えただけですから、まあそういうものと認識しさえすれば問題は生じないでしょう。

>大学スタッフには別に聖人君子であることも特殊能力を身につける事も要求しませんが、一般社会で当然必要とされる生活様式、常識を身につけた人に教員になって欲しい

>数少ないポストをめぐっていす取りゲームを続け、勝者は常勤職を得て、敗者はPD→派遣→(最悪)無職とどんどん追い込まれていくのでしょう。

>多くのPh.Dが目指す大学教員のポストは「教育者」である事が求められる

>力量が足りない人間をアメですかして招き込んでおいて、任期付、業績主義とかで叩き出すというやり方は、最終的に取り返しのつかない破局に向かうでしょう。

>「科学は競争ですから、なるべく有利な条件で闘うヤツが勝つ確率が高いのは、ある意味当たり前」と

>教員が個人的にいくらがんばっても、ポスドク問題が全体として解決するわけではない。

>研究大学の使命の第一は、いうまでもなく国の将来を支えるような科学技術の新境地を拓くことです。

>良い教育というのは、一杯いっぱいで教育をやっている人々からは決して出てこないものなのは、誰でも知っている事です。

>金が稼げない研究者なんか置いとく価値はないですよ。・・・・・つまり、教育ではなく、目的に対する結果を出してなんぼの研究です。

 大学は何をするところか、というところから出発して議論を整理しないと、収束できなくなりますね。

 議論のためのしくみとしては、このコメント欄というのはちょっと使いにくいと思っています。

 何か良いアイディア、ないですか。
Commented by enoki at 2007-05-11 21:50
SNSの活用はどうでしょう?

mixiとかgreeじゃなくて、大学院のことを議論するためのクローズドなSNSを立ち上げて、ある程度のテーマ別に、徹底的に議論して、それを政策提言のような形に作り上げ、発表し、しかるべきところに持っていく、というのは。

つぶやきさんのところでも、柳田先生のところでも、あるいは2ちゃんねるのような掲示板でも、こういった議論は繰り返され、一時的に盛り上がり、そして消えていくわけです。それは勿体ないとかねてから思っていました。

なんなら裏方の運営などやりますし。
Commented by enoki at 2007-05-11 21:53
伝え聞くところによると、少し前に脳科学のSNSがあって、いろいろ議論していたようですが、何かの理由でなくなってしまったみたいです。

いろいろ難しい面もありますが、ブログで定期的に議論の中間報告しながらやるとか。
Commented by stochinai at 2007-05-11 23:10
 enoki さん、アドバイスありがとうございます。でも申し訳ないのですが、SNSというのは私にとっては最後の選択肢です。クローズドな議論の場というのがそもそも肌に合わないのです。

 裏方と言わずに、SNSはenokiさん達が立ち上げてみてはいかがですか。

 私は、もう少し考えてみます。
Commented by enoki at 2007-05-11 23:43
おっしゃること分かります。
ブログでのオープンな議論、2チャンネルの議論、メーリングリスト、生化学若い研究者の会などの50年間の活動、すべてがあまり実りをもたらしたように思えないのはなぜか、ということになりますよね。もちろんSNSをやったからと言って、劇的に改善するとは思えませんし。

議論を何かに結びつけるシステムがないと、議論だけではだめなのかなと思ったりもします。

日本の理系が敗北するたった一つのシンプルな理由
http://d.hatena.ne.jp/sivad/20070129#p1

で既に述べられていますが、これしかないのかなと思ったりします。
Commented by え? at 2007-05-12 00:59
議論を何かに結びつけるシステムがないと、議論だけではだめ、というのは全くの正論ですが、それ以前に、論議をしようと思えば、論議である事を保証するシステムが必要です。

メーリングリスト、匿名掲示板、その他どれも大抵は、論議として始まったものが、肥大したエゴの張り合いを経て、罵声の個人攻撃の交換で終わります。

このようにどれも腐敗して使い物にならなくなったのは、結局は熱意を持った「専業のモデレーター」の欠如のためでしょう。実際、うまく運営された論議の掲示板の数少ない例、たとえば「黒木の掲示板」をみると、当の黒木氏が自らのキャリアをなげうって、いわば専業のホストとなって支えられたものです。

きょう日大学とかマスコミの一部に、「インタネット掲示板のモデレーター」専門のポストがあっても、良いような気がしますね。
Commented by enoki at 2007-05-12 01:07
黒木の掲示板、懐かしいですね。黒木さんに何度かお会いしたこともあります。

モデレーターがいる掲示板的なものというのはいいアイディアですね。膨大な労力が必要ですが…そこをなんとかすれば…
Commented by え? at 2007-05-12 01:38
だから、それだけで授業も無く教授会もでなくていいポストを創る、と。実際、そういうのがきちんと運用できれば、コミュニティーへの貢献から言って、凡庸な研究者10人分くらいの価値はあるのではないかと。
by stochinai | 2007-05-11 12:55 | 教育 | Comments(7)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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