5号館を出て

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先生が競争に負けたら学生が飢え死に

 今朝の朝日新聞の社説「国立大の研究費―競争ばかりじゃダメだ」が、ウェブでも読めるようになっています。比喩としては、ちょっとダサイ感じがするのですが、わかりやすいと思いました。 
 国立大学の研究費は、「おかず」だけでなく「ごはん」も競争原理で配る。

 たとえて言えば、そんな内容の提言が経済財政諮問会議(議長・安倍首相)の民間議員から出された。

 おかずは、研究者が「われこそは」と申請して勝ち取る競争的な資金だ。ごはんは、日常の研究費である。

 日常研究費は、大学がやりくりする。国立大の収入は平均すると、約半分が国の運営費交付金だ。その大部分は法人化前の教職員数や学生数などをもとに算定されている。研究を保障する「ごはん」の性格は、ここに由来する。

 交付金も大学の努力と成果に応じたルールで配分せよ、というのが提言だ。
 ここには日常研究費と書いてありますが、大学院の教育は「研究」をすることによって行われていますので、研究費といっても事実上は大学院生の教育に使われるものです。
 国立大の支出から人件費などを除くと研究に回るのは、そう多くない。文部科学省の抽出調査では、一つの研究室が自由に使えるのは、在籍する大学院生ら1人当たりで計算して月1万~2万円程度が多かった。
 たとえば、大学院生が10人いる研究室だと年間120万円から240万円というこの数値は、私が感じている値と近いものです。私の所属する研究科では、かつて博士課程の大学院生1人に対して年間30万円ほどの「教育予算」がついていたものですが、なぜか大学院重点化と並行して今やそれが10万円台の前半にまで下がっています。同じように、修士課程の予算も15万円くらいだったものが7-8万円にまで下がっているように記憶しています。つまり、大学院の重点化とともに、大学院生の教育費が半減しました。

 もちろん、この金額で大学院生が成長するために自由な研究が保障されるわけはありませんので、各種の「競争的資金」が必要になるのですが、良く考えてみると同じ授業料を払っている大学院生の「教育環境」が競争的資金で差がつくというのはおかしな話です。
 それなのに政府は交付金を抑えつつある。今年度は1兆2044億円で、3年前より約3%減った。

 一方で、01~05年度の第2期科学技術基本計画は競争的な資金の倍増をうたった。00年度の約3000億円が05、06年度は4700億円前後の水準になった。

 交付金が競争的になると、日常研究費がふえるところもあるだろうが、減るところも出てくる。減るところでは、最低限の研究すら難しくなる。
 すべての資金配分を競争的にすることによって研究室・大学の淘汰を狙っているのだと思いますが、その際にもっとも大きな被害者になるのは、淘汰される研究室にいる大学院生です。

 ポスドク問題にしても、同じように研究と研究者の差別化・淘汰を狙うという側面があったのだと思いますが、結局たくさんのポスドク・博士が被害者になっています。

 これは、やはり政策としては間違っていると言わざるを得ません。既得権益者を選別淘汰するために、その「下」で教育を受けたり研究をしている未だ権益を得ていない若者を押しつぶしてしまっているようでは、この国の高等教育と科学に未来は見えません。

 淘汰する必要があるのなら、直接に既得権益者と対決するべきです。もちろん、既得権益者ですからたくさんの法律や権利で守られていて大変だとは思いますが、そこに手をつけずに若者をいじめていると、国全体がとんでもないしっぺ返しをくらうことになるでしょう。

 もう、すでにその傾向は見えてきていると思いますが、、、、。
Commented by black at 2007-05-14 07:10 x
ご飯という言い方は問題ですが、常時使う研究費に+アルファならわかりますが、今は研究者に普遍的に配分すべき研究費を原資に特定の研究者に配るに等しく、日本の研究は死んでしまいます。
Commented by Makkurikuri at 2007-05-14 13:04
交付金の配分がどうなるか、文科省は競争的資金の取得状況を基準に算定したのですが、かなりの大学で経営がたち行かなくなる・・・という結果が出たそうです。文科省の評価基準もおかしなものですが、いずれにせよキチンとした評価法が無い段階で、こんな議論をしてもらっては困りますね。
Commented by trickstar at 2007-05-14 14:00 x
大学の運営について、示唆に富むレポートを見つけましたのでご紹介します。
http://www.he.u-tokyo.ac.jp/pdf/StudentSupport.pdf
これは学生援助制度の日米比較に関する報告ですが、1980年代にアメリカ経済状況の悪化により大学に対する公的補助が大幅減少し、大学の財政支出が増大したという日本と同様の状況からアメリカの大学がどのように変化したかが触れられています。
レポートは奨学金制度の分析なので本論とは離れますが、気になった記述をいくつか挙げると、
「教育はそれを受ける個人だけが利益を受けるのではなく,社会全体が利益を享受しているという点に求められる。大学は個人や企業のためだけにではなく,社会全体のために学術・科学・文化の創造と伝達を行う中心的な機関であるということに正面から反対する者はあるまい。」(p.2)
Commented by trickstar at 2007-05-14 14:01 x
(つづき)
「しかし,大学に企業の理論をそのまま当てはめるのは難しい。(中略)。そもそも大学の使命や目的は抽象的で曖昧である上に,大学は多目的な組織であり,具体的な目的を明確に定式化することは困難になる。このため大学の目標を数値化して設定し,効率を測定することは至難とも言える作業である。ちなみに,大学評価の場合にも全く同様のことが言える。」(p.19)
「現在のアメリカの大学は,ディスカウント戦略による学生獲得競争を激しく展開している。この結果として,富裕な大学と富裕でない大学の相違がますます明確になり,アメリカ高等教育システムは,垂直的に分化した階層構造が強化される循環過程が生じている。」(p.28)
一読の価値があると思います。

さらに言うなら、文科省はこれぐらいの内容を既に把握しているということですね。個々の分野、個々の大学はいざ知らず、「日本の大学のあり方」について大学からの共通の声はほとんど聞こえてきません。今、文科省が一番欲しいのは、実は大学側からの提案ではありませんか?
Commented by adhoc at 2007-05-14 17:16 x
>> 大学院の重点化とともに、大学院生の教育費が半減しました。

その通りなんですよね。大学院重点化とともに、大学院生一人当たりの教育費は削減されたんですよね。何の意味の重点化だったんでしょう。

大学側からの提案なんですけれど、「学力低下問題」の時は、最初に問題提起したのは、経済学者と数学者が書いた『分数ができない大学生』だったと思います。結果的にあれは大いに世論を喚起して、政府も方向転換を余儀なくされました。大学院についても、世論の支持を得る形で、誰かが問題提起する必要があるでしょう。大学教員が愚痴を言っている、という印象を与えずに訴えるのはなかなか難しいですが。
Commented by stochinai at 2007-05-14 19:58
 Makkurikuriさんのおっしゃる競争的資金の取得状況を基準に算定した運営交付金の配分シミュレーションに従うと、うちの大学などは50%近く削減されてしまうことになっています。増加する16法人を除くと生き残れる国立大学は20校くらいになりますね。本当にやったら、全国の国立大学は墓場になります。文科省は、どうしてこんなシミュレーションをしてみせたのか理解に苦しみます。
Commented by stochinai at 2007-05-14 20:04
 trickstarさん、文献の紹介ありがとうございました。ざっと目を通してみました。文科省に提出された書類のようですから、文科省にもこのレポートの内容を理解している人は間違いなくいるとは思いますが、その方向の政策が提案が出てこないところを見ると、そのように主張できる状況にはないということだと思います。今に限らず、昔から文科省が「欲しいのは、実は大学側からの提案」それも、総務省や財務省、政府を説得できるような素晴らしい提案であることに、間違いないと思います。
Commented by adhoc at 2007-05-14 20:09 x
文科省は敵ではなく味方とみなすべきでしょう。経済財政諮問会議の方針を、科研費の配分比率にしたがって機械的にあてはめると、地方国立大学の大半が死滅するぐらいのことを示さないと、危機感が出ませんから。

国立大学は別に大学教員の既得権益でなく、それぞれの地域住民の財産であるという認識を、広く国民に共有してもらうことが肝心だと思います。
Commented by stochinai at 2007-05-14 20:10
 しかし、大学からの提案でそのような流れを生み出すようなものは、なかなか出てこないようです。私などがほざいていると、まさに「大学教員が愚痴を言っている、という印象を与え」ているだろうなあと、自分で笑ってしまいました。

 冗談はさておき、大学には本気で考えるといくらでもすごいアイディアを出せる「頭脳」がまだまだたくさん残っています。そういう人は、尻を叩いて研究だけやらせておくには惜しい人材です。要は、そうした人材を大学当局や文科省がうまく使いこなすことではないかと思います。

 文科省と大学が協力して、政府・経済界と対峙するという図式が正解だと思います。
Commented by stochinai at 2007-05-15 08:16
 今、気が付きましたが、上のadhocさんと下の私のコメントはほぼ同時に投稿されたものです。その中で、大学と文科省が共闘すべき存在であるという同じ意見を述べているのがともて興味深いですね。

 おそらく、これからの日本の教育を考えると、その方向は間違いなく「吉」だと思います。

(実は、このサイトは文科省からもアクセスがきていますので、ここでの発言は文科省に伝わる可能性があると考えています。建設的な提案だったら、採用される可能性もゼロではないでしょう。)
Commented by odaka at 2007-05-15 09:41 x
Y教授も文科省で講演などして悦に入っていたようだが、何か勘違いしていないだろうか。いかに一官僚が画策したとて、世論や政党にかなうはずもなし。それが民主主義の原則である。これを理解しない限り、日本に真の民主主義は訪れないであろう。本来議員を通して国会に上るべき事案をまず官僚に通そうとすることが日本の民主主義の未熟を明確に物語っている。
Commented by stochinai at 2007-05-15 18:28
 はははは、何もそんな大げさなことを考えているわけではありません。たとえ、こういう場末でだとしても、それなりに良い議論になっていれば、それは公開されているわけですから、読みたい人は誰でも読めるし、時には議論にも参加できるということになっています。たまたま、その中に文科省の人とかマスコミの人とか、場合によっては政治家やその秘書の方がおられて、その意見を拾っていってもらえばいいのではないかという程度のことを、(とりあえず今は)考えています。

 民主主義ということをいうならば、このような市民の小さな議論があちこちで行われ、それがたくさん集まって世論が形成されるわけで、まだまだといいながらもこういう開かれた場で議論ができるようになったこと自体は歓迎すべきことだと思っています。okadaさんも一所懸命ネットで活動しておられるようですが、それもそういうことではないのでしょうか。
Commented by Trans at 2007-05-17 18:11 x
文科省のシミュレーション...すべては中国シフトじゃないですかね。日本の社会が中国経済圏に飲み込まれる前の悲鳴というのがいいすぎでしたら、ブラックホールに物質が飲み込まれるときに発せられるガンマ線とか、一種のサインのようなもの。

そのために、留学生10万人、100万人政策が補填救済策としてあって、表向きは、トップ30でサバイバルを掲げる...日本社会(国)の意思が反映されるCOEと、それ以外の地域産業・地方自治に活路を見出す大学・研究機関ということでしょうか。

後者は、アジア圏との交流が増加することにより、地方の研究自治を再発見することもありうるのでは?
Commented by Trans at 2007-05-17 18:19 x
ちなみに、はじめてのコメントですが、宜しくお願いします。
Commented by stochinai at 2007-05-17 19:30
 Transさん、コメントありがとうございました。アジアにまで視野を広げて考えるというのは、大切なポイントかもしれませんね。しかし、「新保守主義」の安倍内閣が日本が中国に飲み込まれることを覚悟しているようには思えないのですが、、、。
Commented by gaburin at 2007-05-17 23:05 x
良いポイントですね。政治的に右であれ左であれ、中期的に見た日本の課題は勃興する中国の影響にどう対応して行くかですから。

最近流行の「格差社会」にしても、中国製品の世界的浸透抜きには考えられません。中国が当面追いつかないような「ハイマージン」な部分に特化した少数の部分が高収益をあげ、それ以外の産業は立ち行かないので、低賃金のサービス業に従事してワーキングプアになる。簡単に言えばこんな構図でしょうか?

大学や大学院も同じで、図抜けたクオリティの少数以外、地をはうようにしてなんとか生存するだけ。こんな風に中央の役人が考えてるのでしょうか?
Commented by stochinai at 2007-05-18 17:54
 なるほど、なんとなく見えてくるような気もします。ほんとうに中央にいる方のご意見も聞いてみたくなりますが、どなたか匿名で本音を聞かせていただけないものでしょうか。
Commented by Trans at 2007-05-20 11:20 x
おっしゃるように、「格差社会」と中国・アジア圏の拡大はシンクロしていて、そうなるつもりで小泉自民党は格差の上のほうを優遇し、下のほう、低賃金労働は流入労働者や中国アジア製品でおきかえようとしたのでしょう。

新興国の出現によって、わが国のような産業経済が高付加価値製品・サービスに移行せざるをえないというのは経済学のセオリーどおりではあるのですが、その高付加価値すら本当にできるのか、というのが経産などのアナリストにある意見のようです。近年、MBAとかMOTを輸入し始めた知識産業・科学型産業・サービスサイエンスなどといっている人たちですね。

世界の工場(中国)でもなく、イノベーション産業(米国)でもない、試験製品をつくるところ(日本)だ、という表現のようです。

ところで、こういうの(↓)が悲鳴とかサインの典型的なものでしょうか。
*石原都知事:NYで「核保有」言及 持論展開
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070518k0000e010057000c.html
Commented by stochinai at 2007-05-21 00:53
 残念ながら、引用のニュースは有料データベースへと移行しているらしく読めませんでした。

 政府の考え方はおっしゃるとおりだろうというところはわかるのですが、意図と実現可能性との乖離があって、日本が「その高付加価値すら本当にできるのか」というところについては、同じ不安を感じています。あまりにも近視眼的に目の前の効率化と整理だけをやって、未来への投資(たとえば教育や基礎研究に対する)を怠っていると、後には焼け野原しか残らず、30年後には下だけではなく上の方も外国に置き換えられてしまうのではないかと思います。
by stochinai | 2007-05-13 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(19)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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