2007年 05月 20日
セーフティネットとしての基礎能力 (アスリートと研究者)
昨日の朝日新聞の朝刊の声・主張のページにある「私の視点」に、愛知医大の馬場礼三さんとおっしゃる方が「スポーツ推薦制 中学生には弊害大きい」という意見を書いていらっしゃいます。
今、問題になっている高校野球部員の特定制度の問題について、反対という立場で書いておられ、「特待生制度を含む高校入試でのスポーツ推薦制度は弊害が大きく、すべてのスポーツについて廃止すべき」というのが結論なのですが、読んでみると確かに一理あると思いました。
要点を書き抜いてみます。
私は個人的にはスポーツ推薦制には反対ではありませんが、特待生で受け入れようという学校には、個々人が落ちこぼれた場合のケアとしての教養や基礎能力の教育をすることを、義務づける必要はあると思いました。
大学生、大学院生は子どもじゃないんだから「自己責任」という声も聞こえてきそうですが、すくなくとも学生(大学院生の一部も?)の多くは、自分の将来を考えるというメンタリティに関しては中学生とあまり変わらないというのが、現場にいるものの実感です。
今、問題になっている高校野球部員の特定制度の問題について、反対という立場で書いておられ、「特待生制度を含む高校入試でのスポーツ推薦制度は弊害が大きく、すべてのスポーツについて廃止すべき」というのが結論なのですが、読んでみると確かに一理あると思いました。
要点を書き抜いてみます。
最大の理由は、中学生にスポーツ推薦入学の可能性をちらつかせることは学業への意欲を失わせ、義務教育の放棄につながる恐れがあるからだ。これを読んでいて、研究者になることを目指して学生が大学院に進学していく状況と極めて似ていると思いました。ふざけているわけではないのですが、上の文のあちこちを入れ替えて大学院・研究者バージョンにしてみました。ご覧下さい。
(まわりから君はスポーツだけをやっていればいいからと言われて)それでも学業の必要性を自ら理解してこれを真剣に続けるものがどれだけいるだろうか。
学業から遠ざけられてきた彼らの多くは現役を引退した後にはじめて、社会人として要求される基礎学力が自分に欠如していることを痛感する。そして、そのようなものを雇えるほどの余裕は今日の日本企業にはないし、業績が悪化した際に真っ先に切られるのは彼らなのである。
スポーツ推薦で進学させるとスポーツ指導者の業績となるし、親の欲目がこれに拍車をかける。しかし、高校総体の優勝者でさえ成人してからも一流の選手であり続けることはまれであり、(中略)。そして残念ながら、日本の社会はスポーツでやすやすと飯が食えるほどには成熟していないのである。
したがって、親、教師、コーチらは、子どもが社会に出るまでに人生を切り開いていくための手だてをスポーツ以外にも持てるよう教育する義務がある。
最大の理由は、大学生に飛び大学院入学の可能性をちらつかせることは学業への意欲を失わせ、基礎教育の放棄につながる恐れがあるからだ。どうでしょうか。構造的にはそっくりだと思いませんか。逆に、プロスポーツ選手やプロ研究者を目指す場合、もしもその道が閉ざされた時のセーフティネットとして、他の道でも生きていけるための「技術」を身に付けておくことが大事だというふうにも読めます。
(まわりから君は研究だけをやっていればいいからと言われて)それでも学業の必要性を自ら理解してこれを真剣に続けるものがどれだけいるだろうか。
学業から遠ざけられてきた彼らの多くは現役を引退した後にはじめて、社会人として要求される基礎学力が自分に欠如していることを痛感する。そして、そのようなものを雇えるほどの余裕は今日の日本企業にはないし、業績が悪化した際に真っ先に切られるのは彼らなのである。
飛び入学で進学させると指導教員の業績となるし、親の欲目がこれに拍車をかける。しかし、 Nature や Science に論文が掲載された者でさえポスドクが終わってからも一流の研究者であり続けることはまれであり、(中略)。そして残念ながら、日本の社会は研究でやすやすと飯が食えるほどには成熟していないのである。
したがって、親、先輩、指導教員らは、大学院生・ポスドクが社会に出るまでに人生を切り開いていくための手だてを研究以外にも持てるよう教育する義務がある。
私は個人的にはスポーツ推薦制には反対ではありませんが、特待生で受け入れようという学校には、個々人が落ちこぼれた場合のケアとしての教養や基礎能力の教育をすることを、義務づける必要はあると思いました。
大学生、大学院生は子どもじゃないんだから「自己責任」という声も聞こえてきそうですが、すくなくとも学生(大学院生の一部も?)の多くは、自分の将来を考えるというメンタリティに関しては中学生とあまり変わらないというのが、現場にいるものの実感です。
ココでも、やはり、やり直しの難しい日本の社会構造が垣間見えている気がします。
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興味深いですね.昔から、アスリートと研究やってる自分らは、意識のホモロジーが高いと思ってました.きっと、ステロイド疑惑のバリーなんて、ねつ造疑惑の一流研究者ってところでしょうか?でもなー、どちらも人間なんで、衰えちゃうんで、引退してセカンドライフをはじめることもできるわけですよね.研究者の場合は、何も世間的に一流であり続けなくても、研究はできますよね.もちろん、パトロン次第でしょうけど. 研究者って、自分の研究が世の中で一番面白いと考えてるから、その人の中では、死ぬまで一流なのかも.
全くトンチンカンだと思います。
アマチュアリズムでは通用しない世の中。それだと松井も松坂も生まれないし、朝永博士も野依博士もうまれません。毒にも薬にもならない野球選手や、物まねしかできないPhDばっかりのつまらない世の中でしょう。Dr.井口のブログの意見が正論なのでは?
アマチュアリズムでは通用しない世の中。それだと松井も松坂も生まれないし、朝永博士も野依博士もうまれません。毒にも薬にもならない野球選手や、物まねしかできないPhDばっかりのつまらない世の中でしょう。Dr.井口のブログの意見が正論なのでは?
日本のプロ野球を支えているのは、プロになりたいと思って頑張る少年達だと思います。そのほとんどが、プロにならずに別の道を歩みます。最近、たくさんの国際的女子フィギュア選手が出現していますが、彼女たちと一緒にがんばったたくさんの仲間の中から頭角を現してきたのだと思います。もしも、プロになれなければフリーターにしかなれないというような危険な道だとしたら、そこを選ぼうとする人は確実に減るでしょう。つまり、優秀な選手が出現する確率は間違いなく下がります。スポーツならば「それくらいの根性がない奴は来るな」と言えるのでしょうが、研究の世界では、入り口でそのような激しいセレクションがされているのでしょうか。
ぴちぴちさんは、現実問題として博士後期課程へ進学する学生が減り始めている現状をどのようにお考えですか。
ぴちぴちさんは、現実問題として博士後期課程へ進学する学生が減り始めている現状をどのようにお考えですか。
たとえば野球で、底辺を少々くらい広げても狭めても、頂点の質は正直あまり変わらないと思います。頂点の質を決めるのは、早期から準備された良い環境、よいコーチなことは議論の余地がないと思います。それをドラマティックに証明するのが、近年の日本の女子フィギアスケートです。
我々が博士もちに要求しているのは、別に特に「産業界用に」教育された人材ではなく、「頭が良くつぶしがきく」人材です。つまりはっきり言って、よいタマの選別です。大学の先生方は院生やポスドクを使われる場合、研究の厳しい現場では、建前はともかく本音では評価選別されて望まれている筈です。そこで選び抜かれた人材が欲しいのです。
全ての人材にそれなりの適材適所があるのはもちろんです。しかし幹部候補生として、比較的短期間で即戦力になってくれるような、選ばれたタマでないと、高い給料と特別待遇で迎えるのですから、割に合いません。ビジネスマインドだとか、一般常識のたぐいは会社に来た段階でいくらでも教えられます。
我々が博士もちに要求しているのは、別に特に「産業界用に」教育された人材ではなく、「頭が良くつぶしがきく」人材です。つまりはっきり言って、よいタマの選別です。大学の先生方は院生やポスドクを使われる場合、研究の厳しい現場では、建前はともかく本音では評価選別されて望まれている筈です。そこで選び抜かれた人材が欲しいのです。
全ての人材にそれなりの適材適所があるのはもちろんです。しかし幹部候補生として、比較的短期間で即戦力になってくれるような、選ばれたタマでないと、高い給料と特別待遇で迎えるのですから、割に合いません。ビジネスマインドだとか、一般常識のたぐいは会社に来た段階でいくらでも教えられます。
大学の先生方は、当然ながら「一級品のタマ」は早々と囲い込んで、外にまわさないんだろうと思います。これは会社の方でも好条件を用意するしか無いのですが、それにしても、厄介払いよろしく「はずれのタマ」を繰り返しまわされると、やはり会社としても、その研究室の評価というのが出来てしまいます。
ぴちぴちさん、おっしゃることが良く理解できました。ありがとうございます。
大学では、研究室を経営する能力というような意味での即戦力を持った人材はかなり育っているとは思いますが、そうした能力を持った博士をお望みでしょうか。それでも、よろしいというのであれば、後はそちらが彼らをどのくらい惹き付けられるかということと、彼らをどのように使うかという問題ではないかと思います。意外と、話が合いそうな気がしてきました。
>厄介払いよろしく「はずれのタマ」
というのは、昔某国立大学が地方大学に大量に教員を送り込んだ時に受け入れ側でささやかれていた言葉とまったく同じでびっくりしてしまいました。その状況を打破するために、地方大学では自前で教員を育てるようになったのですが、それはそれでまた問題を生んでしまったという経緯があります。
いずれにしても、大学でも企業でも、人材を「正しく」評価するシステムが鍵であるという意味では違いはないような気がします。
大学では、研究室を経営する能力というような意味での即戦力を持った人材はかなり育っているとは思いますが、そうした能力を持った博士をお望みでしょうか。それでも、よろしいというのであれば、後はそちらが彼らをどのくらい惹き付けられるかということと、彼らをどのように使うかという問題ではないかと思います。意外と、話が合いそうな気がしてきました。
>厄介払いよろしく「はずれのタマ」
というのは、昔某国立大学が地方大学に大量に教員を送り込んだ時に受け入れ側でささやかれていた言葉とまったく同じでびっくりしてしまいました。その状況を打破するために、地方大学では自前で教員を育てるようになったのですが、それはそれでまた問題を生んでしまったという経緯があります。
いずれにしても、大学でも企業でも、人材を「正しく」評価するシステムが鍵であるという意味では違いはないような気がします。
セーフティネットとしての基礎能力 (アスリートと研究者)を読んで
そのとおりだなって思いました。
アカデミックにいる人全員ではないですが、
「研究さえできれていればいい。」
って考えている教員および学生って多くないですか?
現に博士余剰、ポスドク問題考えたら厳しいです。
教授が学生に研究だけに集中しろと話す、もしくはそのように仕向ける。
学生は価値観が狭くなり、研究しかないと考えがちになる。
学生はこの考え方から研究以外の職に就けなくなる(就きたくない)。
この流れにはまっている学生多い気がします。
先生も大多数そうじゃないでしょうか?
まあ、研究のみで生活ができた勝ち組の先生しか大学に残ってないんで
当たり前な気もしますが。
「研究するよりも将来のこと、就職のこと考えろ」
学生にこういってくれる先生こそ、
ひょっとしたら本当の教育者なのかもしれません。
まあ、そんなことすれば研究室での研究が進みませんが。
そのとおりだなって思いました。
アカデミックにいる人全員ではないですが、
「研究さえできれていればいい。」
って考えている教員および学生って多くないですか?
現に博士余剰、ポスドク問題考えたら厳しいです。
教授が学生に研究だけに集中しろと話す、もしくはそのように仕向ける。
学生は価値観が狭くなり、研究しかないと考えがちになる。
学生はこの考え方から研究以外の職に就けなくなる(就きたくない)。
この流れにはまっている学生多い気がします。
先生も大多数そうじゃないでしょうか?
まあ、研究のみで生活ができた勝ち組の先生しか大学に残ってないんで
当たり前な気もしますが。
「研究するよりも将来のこと、就職のこと考えろ」
学生にこういってくれる先生こそ、
ひょっとしたら本当の教育者なのかもしれません。
まあ、そんなことすれば研究室での研究が進みませんが。
>>厄介払いよろしく「はずれのタマ」
> というのは、昔某国立大学が地方大学に大量に教員を送り込んだ時に受け入れ側でささやかれていた言葉とまったく同じ
両者とも自分で判断していないということですよね。
大学に就職して驚いたのは、「○○教授が言うから賛成」、「××教授が言うから反対」という思考回路の(思考じゃないか)多さでした。いまも変わらず生きている行動パターンのようです。ビジネスの現場もそうなのですかね?だったら我が国の産業界が沈滞しているのもわかる気がしますが、これが一般的かどうかを産業界を知らない身には判断ができません。就職活動で面接を受けた学生や院生の話を聞きますと、面接する企業人の「人としての未完成さ」を強く感じることがあります。受験生心理を割り引いて考えてもです。知力の衰退は国全体で意外と深刻なのかも。
> というのは、昔某国立大学が地方大学に大量に教員を送り込んだ時に受け入れ側でささやかれていた言葉とまったく同じ
両者とも自分で判断していないということですよね。
大学に就職して驚いたのは、「○○教授が言うから賛成」、「××教授が言うから反対」という思考回路の(思考じゃないか)多さでした。いまも変わらず生きている行動パターンのようです。ビジネスの現場もそうなのですかね?だったら我が国の産業界が沈滞しているのもわかる気がしますが、これが一般的かどうかを産業界を知らない身には判断ができません。就職活動で面接を受けた学生や院生の話を聞きますと、面接する企業人の「人としての未完成さ」を強く感じることがあります。受験生心理を割り引いて考えてもです。知力の衰退は国全体で意外と深刻なのかも。
劣品館のためいきさん、コメントありがとうございます。おそらく、大学だけとか政府だけとかではなく、日本中あるいは世界中あるいは人類全体つまり文明全体が劣化してきているのかもしれません。そうだとすると、種としての人類滅亡のカウントダウンが始まったということなのかもしれません。人間には「知恵」があるから滅亡を送らせることができるという考えもあるかもしれませんが、なまじ知恵があるだけに滅亡しつつある自分たちを(止めることはできなくても)客観的に観察できてしまうという笑えない悲劇の目撃をすることになるのかもしれないと、思い始めています。
どうしましょう。
どうしましょう。
コメントを書いた後に北の5号館なのかと気付きました(鈍いですね)。あーあのかたかとも(お若い頃のお仕事も存じております)。実は劣化は地方大学だけかと思っていたのですが、「そうでもないのかも」とも最近になって少し感じています。人類の生物学的滅亡は遠いにしても、先進国は「死なばもろとも」的に周囲を巻き込むでしょうから滅亡までの時間を短縮させてしまうかも知れませんね。元国立大学群に話題を移しますと、仰せのように、国大協が中心になって、再生案を考えないことには滅亡が目の前ですね。学問分野の一つや二つがなくなっても、外国に行けば教育は受けられると高をくくっていたのですが、最近の動きは予想を超えています。アカデミアが共に生き延びて、成長していける土壌を作る作業を始めて欲しいと、それができるのは大学人だけではないかと、決して自分の職を守るなどという狭い了見からではなく思います。いまのままでは、研究者、教育者を目指す若者が消えていくばかりです。そうなってはいけないのですがね。
いつの時代も、後からきたものは先にきたものの残した負の遺産をも背負う。人類の劣化ですか。
何をもってして劣化とするのかわからないけど、
物質的に豊かになったこと、寿命がのびたこととによって、人の精神的な成熟にかかるための時間が長くなったと考えることはできませんか?人が精神的に成熟して責任ある行動をもってして生きていくのはそれなりに疲れることだし、寿命がのびてしまった現代社会において、ずっと緊張し続けること自体に無理があるのかも知れません。ゆっくり大人になって、長生きし過ぎても寿命が来なかったらぼけてしまう。極端ですかね?いずれにしろ、今は過渡期なのだと思います。
何をもってして劣化とするのかわからないけど、
物質的に豊かになったこと、寿命がのびたこととによって、人の精神的な成熟にかかるための時間が長くなったと考えることはできませんか?人が精神的に成熟して責任ある行動をもってして生きていくのはそれなりに疲れることだし、寿命がのびてしまった現代社会において、ずっと緊張し続けること自体に無理があるのかも知れません。ゆっくり大人になって、長生きし過ぎても寿命が来なかったらぼけてしまう。極端ですかね?いずれにしろ、今は過渡期なのだと思います。
劣品館のためいきさん。私をご存じでしたか、偉そうなことばかり書いて、お恥ずかしい限りですが、私にはそういう一面もあるということでご了解願えると幸いです。昔の国大協は政府と緊張感を持って対峙することもあったように記憶していますが、今は団結することすらままらなず、お互いに牽制し合って自分の転落をどのように防ぐかという情報収集の場になっているような気もします。「生き残る」と言われている大学が動かないのであれば、国大協の存在意義はなくなっていると思います。
kkさん。私が大学に入った時「今は過渡期なのだ」と、しきりに言われたことを思い出しました。おそらく、いつでもが過渡期なのだと思います。そうだとすると、待っていても安定した時代は来るはずもないのですから、いかに過渡期を生き抜くかということを考えることが大切なのかもしれません。
kkさん。私が大学に入った時「今は過渡期なのだ」と、しきりに言われたことを思い出しました。おそらく、いつでもが過渡期なのだと思います。そうだとすると、待っていても安定した時代は来るはずもないのですから、いかに過渡期を生き抜くかということを考えることが大切なのかもしれません。
なるほど、いつでも過渡期ですか。
あまり多くを望まないで、自分にとって本当に大事なものだけを求めて、あとは誰が何といおうと、あきらめる、そんな潔い生き方ができないと、つらいですね。
あまり多くを望まないで、自分にとって本当に大事なものだけを求めて、あとは誰が何といおうと、あきらめる、そんな潔い生き方ができないと、つらいですね。
by stochinai
| 2007-05-20 00:30
| 教育
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