2007年 06月 04日
過去から見たタンパク3000、横から見たタンパク3000
中村桂子さんは、ちょっと前のことになりますが、自分も大型プロジェクトを推進する側の研究者だった方です。中村さんが朝日新聞に投稿した「私の視点」におけるタンパク3000への批判は、当然のことながら中村さんの経歴および今の立場に拘束された意見になっていたと思われますし、またそれで良いのだと思います。
それを受けて、魔人ブウ*さんが一般の人がそれを読んでもピンとこない部分があるに違いないということで解説記事を書いておられます。それを読んだ私がびっくりして「バイオ系の大型予算の決まり方」というエントリーを書きましたが、もちろんバイオ系の大型予算がすべてタンパク3000と同じように決まっているわけでないでしょう。それは、さておき魔人ブウ*さんこと元木さんは、もとバイオ研究者であり、その後は経産省バイオ課というバイオ系の大型予算を決める役所で働いていた方だそうです。ということで、元木さんの書かれたものは、普段我々には見えてこないところから見たバイオ予算の決まり方がストレートに書かれたものとして、私には衝撃的なものでした。
そんな中で、タンパク3000にはかかわらなかったようなのですが、研究分野としてはかなり近いところにおられる方が、「インサイダーではないが、周辺人として全くの部外者でもない」立場から、タンパク3000プロジェクトの陰でひっそりと閉鎖された「蛋白質工学研究所」(PERI; 後に、「生物分子工学研究所」(略称BERI))の無念さについて書かれており、これは研究者としての立場から書かれたもので、研究者の端くれである私としては、個人的にとても共感を覚えるものでした。
タンパク3000の徒花の陰に隠れて
同じブログで、コメントに書かれたブウ*さんのところから飛んできたとおっしゃるnqさんのリクエストに応えるかたちで、タンパク3000についての評価も書かれております。こちらも、私にはすんなりと読める冷静なものだと感じられました。
#最初は、私の早とちりで、コメント欄に「Web2.0IT社長のblogから来ました。」と書かれていたものですから、ブウさんがコメントを書いたと思いこんでいたのですが、正しくはnqさんだったとkatsuyaさんに指摘されました。青文字で書かれた部分は、それを直すために挿入した部分です。関係者に、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
タンパク3000について
こうして、タンパク3000は「たかが」ブログの世界だけかもしれませんが、しっかりとして多方面からの批評を受けているという、ある意味で幸せな経過をたどっておりますので、資金を出した側やプロジェクトを運営した側は、そうした批評もしっかりと受け止めた上で、次へのステップへとつなげていただきたいものです。
そんな中、さらにだめ押しのように素晴らしい評論が立て続けに書かれています。私は生物学業界に身を置いておりますが、学生の頃からタンパク質化学や生化学を苦手としてきたという(暗い?)歴史を背負っておりますので、残念ながら著者の方を特定することができず、その一事だけでも偉そうなことを言えないのは重々承知の上ですが、タンパク3000へと至る日本のタンパク質化学(あるいは科学)を築き、今は引退しておられるこの方の二つのブログ・エントリーには、背筋が伸びるような気持ちになったものです。
タンパク3000とPerutz博士
タンパク質の立体構造を決める研究の黎明期の話なのですが、バイオ研究に大型予算が付けられるようになった「始まりのお話し」にもなっており、非常にエキサイティングな歴史絵巻を感じさせられrます。そのエントリーの最後に、「身近な阪大蛋白質研究所で、日本におけるタンパク分子の立体構造研究が開始されたときから注目をしてきた私に、中村桂子氏とはまた違った視点があったとしても不思議ではあるまい。折を見てタンパク3000への感想を述べようと思う」と予告されていた、エントリーがついに書かれました。
タンパク3000プロジェクトとB29の絨毯爆撃
紋切り型の、無駄使い論になっていないところに、なんというか「横綱相撲」のような風格を感じてしまいました。過去において、タンパクは地味で研究費もとりにくかったようで、次の感想はその頃に現役だった方の感想としては「そうですよね」と頷いてしまいます。
こんなに素晴らしい批評家がたくさんいる、ブロゴスフェアをもっともっと積極的に意見収集の場として利用していただけると、日本の科学政策も変わるような気がする、素晴らしい論争が展開されている気がします。
楽天的すぎますか?
それを受けて、魔人ブウ*さんが一般の人がそれを読んでもピンとこない部分があるに違いないということで解説記事を書いておられます。それを読んだ私がびっくりして「バイオ系の大型予算の決まり方」というエントリーを書きましたが、もちろんバイオ系の大型予算がすべてタンパク3000と同じように決まっているわけでないでしょう。それは、さておき魔人ブウ*さんこと元木さんは、もとバイオ研究者であり、その後は経産省バイオ課というバイオ系の大型予算を決める役所で働いていた方だそうです。ということで、元木さんの書かれたものは、普段我々には見えてこないところから見たバイオ予算の決まり方がストレートに書かれたものとして、私には衝撃的なものでした。
そんな中で、タンパク3000にはかかわらなかったようなのですが、研究分野としてはかなり近いところにおられる方が、「インサイダーではないが、周辺人として全くの部外者でもない」立場から、タンパク3000プロジェクトの陰でひっそりと閉鎖された「蛋白質工学研究所」(PERI; 後に、「生物分子工学研究所」(略称BERI))の無念さについて書かれており、これは研究者としての立場から書かれたもので、研究者の端くれである私としては、個人的にとても共感を覚えるものでした。
タンパク3000の徒花の陰に隠れて
同じブログで、コメントに書かれたブウ*さんのところから飛んできたとおっしゃるnqさんのリクエストに応えるかたちで、タンパク3000についての評価も書かれております。こちらも、私にはすんなりと読める冷静なものだと感じられました。
#最初は、私の早とちりで、コメント欄に「Web2.0IT社長のblogから来ました。」と書かれていたものですから、ブウさんがコメントを書いたと思いこんでいたのですが、正しくはnqさんだったとkatsuyaさんに指摘されました。青文字で書かれた部分は、それを直すために挿入した部分です。関係者に、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
タンパク3000について
こうして、タンパク3000は「たかが」ブログの世界だけかもしれませんが、しっかりとして多方面からの批評を受けているという、ある意味で幸せな経過をたどっておりますので、資金を出した側やプロジェクトを運営した側は、そうした批評もしっかりと受け止めた上で、次へのステップへとつなげていただきたいものです。
そんな中、さらにだめ押しのように素晴らしい評論が立て続けに書かれています。私は生物学業界に身を置いておりますが、学生の頃からタンパク質化学や生化学を苦手としてきたという(暗い?)歴史を背負っておりますので、残念ながら著者の方を特定することができず、その一事だけでも偉そうなことを言えないのは重々承知の上ですが、タンパク3000へと至る日本のタンパク質化学(あるいは科学)を築き、今は引退しておられるこの方の二つのブログ・エントリーには、背筋が伸びるような気持ちになったものです。
タンパク3000とPerutz博士
タンパク質の立体構造を決める研究の黎明期の話なのですが、バイオ研究に大型予算が付けられるようになった「始まりのお話し」にもなっており、非常にエキサイティングな歴史絵巻を感じさせられrます。そのエントリーの最後に、「身近な阪大蛋白質研究所で、日本におけるタンパク分子の立体構造研究が開始されたときから注目をしてきた私に、中村桂子氏とはまた違った視点があったとしても不思議ではあるまい。折を見てタンパク3000への感想を述べようと思う」と予告されていた、エントリーがついに書かれました。
タンパク3000プロジェクトとB29の絨毯爆撃
今回の「タンパク3000」はどういう政治力学が働いたにせよ、財務省をウンと云わせたから実現したのであろうと思う。どちらかと言えば世間知に乏しい学者集団が、そこまでやってのけたことに、私は個人的な思い入れもあって、「凄いな」と反応してしまったのである。
紋切り型の、無駄使い論になっていないところに、なんというか「横綱相撲」のような風格を感じてしまいました。過去において、タンパクは地味で研究費もとりにくかったようで、次の感想はその頃に現役だった方の感想としては「そうですよね」と頷いてしまいます。
現実はタンパクではインパクトが弱くて、研究費の廻りはどちらかと言えばよくなかった。そのタンパクを主題に大きなプロジェクトが出来上がったのであるから、なにはともあれCongratulations!なのである。というイントロに続き、この後に続くパートでは、一転して科学者としての経歴・立場から、強い説得力をもつ冷静で客観的な批評・批判が続きます。
構造決定された3000種のタンパクてどのようなものだろう。いずれ総括的な報告で明らかにされるのであろうが、この中にこれまで難攻不落であった挑戦的なタンパクが、一つでも含まれていたのだろうか。私の直感では、意地悪い云い方で恐縮ではあるが、数を稼ぐために決めやすいタンパクだけを決めたような気がする。絨毯爆撃でも破壊されたのは地表に出ているものだけ、堅牢な地下壕のなかのものは無傷で残るようなものである。
私は国家プロジェクトとでも云える大型プロジェクト自体は、科学研究そのものではあり得ないと思う。そもそも国家総動員のような科学者の集中化は、それこそレーダーの完成とか原爆をつくりあげるような明確な目標達成には有効であっても、そもそもが個人の営みである研究の促進とはまったく相容れないものである。国家プロジェクトそのものではなくて、そのおこぼれにこそ、研究を飛躍させる駆動力があるのだ。直接に書いておられるわけではないのですが、この「おこぼれ」で科学者が育ったかどうかが、このプロジェクトの意味を決めるものだということではないでしょうか。順序は前後しますが、この文章こそがその「おこぼれ」を示しています。
578億円の出費の中には、今の今、その効果を期待できないものの、5年後10年後の大木を育てるようなものがあるのかも知れない。昔は良い意味で『ボス』がいたものである。自分の裁量で研究費をさらに将来有望なる若手研究者に投入する。支出名目はどうでもよい(なんて云うと、今どきの国会では大変なことになりそうであるが)、たとえ年間200万でも300万でも何年か投入し続ける、その様な使われ方が隠されていたりするとそれは面白い。もしも、何年経ってもこのプロジェクトの周辺から人が育ってこないことが明らかになったとしたら、この著者の方はタンパク3000プロジェクトを全面否定することになるような気がします。人を育てるということを評価項目にした場合、そうそう短時間で判断できるものではないことは、誰が考えてもあきらかですから、最終評価を下すまでに、こうした数年の猶予を与えるという姿勢にもとても好感が持てます。
こんなに素晴らしい批評家がたくさんいる、ブロゴスフェアをもっともっと積極的に意見収集の場として利用していただけると、日本の科学政策も変わるような気がする、素晴らしい論争が展開されている気がします。
楽天的すぎますか?
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あるまかん
at 2007-06-05 20:41
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そのブログの方は見識のある一流の研究者ですね。
そして私も今回は留保なくstochinai さんの意見に同意します。
蛇足を書きますと、若手向きの少額の研究費の審査は、計画の独創性や練られ具合で、中堅以上の比較的大掛かりなのは、基本的には申請者のこれまでの達成に応じて(内容に関しては一任して)配分すべきと、文科省の勉強会あたりで言われてるようなのがいいんじゃないかと思います。またこれもそこで言われてた事ですが、研究費は大口のも含めて個人(もしくは個人の主催する一つの研究グループ)に配分すべきもので、「COE」のような集団指向のファンディングはうまくいったためしがないという事でしょう。
そして私も今回は留保なくstochinai さんの意見に同意します。
蛇足を書きますと、若手向きの少額の研究費の審査は、計画の独創性や練られ具合で、中堅以上の比較的大掛かりなのは、基本的には申請者のこれまでの達成に応じて(内容に関しては一任して)配分すべきと、文科省の勉強会あたりで言われてるようなのがいいんじゃないかと思います。またこれもそこで言われてた事ですが、研究費は大口のも含めて個人(もしくは個人の主催する一つの研究グループ)に配分すべきもので、「COE」のような集団指向のファンディングはうまくいったためしがないという事でしょう。
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トラックバックどうもありがとうございます。ところで私のところでコメントされていたのは魔人ブウ*さんではなくて、こちらでもコメントされていたnqさんという方です。恐縮ですが訂正していただけますと幸いです。
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stochinai at 2007-06-05 21:48
それは大変失礼いたしました。早速訂正させて頂きます。
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stochinai at 2007-06-05 21:57
あるまかんさん。コメントありがとうございます。おそらく名前をうかがえば私でも知っている大御所だと確信しているのですが、そのような見識を持たれた方が、つれづれにブログをなされているということにも感動しております。偉い人ほど、そうそうに現世と距離をおかれるようですね。
文科省や他の研究費を配分している省庁にも、正論を持った方がたくさんおられるようなので、そういう方々が活躍できるようになるまで辛抱強く援護射撃を続けていきたいと思います。
文科省や他の研究費を配分している省庁にも、正論を持った方がたくさんおられるようなので、そういう方々が活躍できるようになるまで辛抱強く援護射撃を続けていきたいと思います。
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stochinai at 2007-06-05 22:03
集団指向ということに関して、私も蛇足を付け加えさせていただけば、500億の金を使っても400億の金を使っても、出てくる成果はそんなに違わないのだとしたら(タンパク3000がタンパク2400になってももいいじゃないですか)、400億のプロジェクトと並行して100億の金を1万人の小規模研究者に100万円ずつ配分することにしてはどうでしょう。これは、明らかに大きな効果を生むと確信します。
「地獄のハイウェイ」と「日々是好日」の「絨毯爆撃」を読んでいろいろ腑におちました。素人の私にはいろいろな勉強になることが多く、興味深かったです。今回のブロゴスフェアの広がりをリードされたstochinaiさんの功績を改めて称え、感謝いたします。
さて、「人を育てる」という点で評価を待つべき、という点には2%だけ(つまり予算のうち10億円分ぐらい)同意いたします。
詳しくは日記に書きますが、端的にいえば、まだ成果の見えない人材育成では500億円の支出は正当化できないということです。
こうなると、次に心配なのは、施設と人員雇用が「公共事業」化することです。http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/blxm/blosxom.cgi/060124.htm
にナカムラさんが意義深い文をお書きになっています。buu*さんもプロジェクトの人員の処遇は大変だろう、とお書きになっていました。
さて、「人を育てる」という点で評価を待つべき、という点には2%だけ(つまり予算のうち10億円分ぐらい)同意いたします。
詳しくは日記に書きますが、端的にいえば、まだ成果の見えない人材育成では500億円の支出は正当化できないということです。
こうなると、次に心配なのは、施設と人員雇用が「公共事業」化することです。http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/blxm/blosxom.cgi/060124.htm
にナカムラさんが意義深い文をお書きになっています。buu*さんもプロジェクトの人員の処遇は大変だろう、とお書きになっていました。
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あるまかん
at 2007-06-06 01:09
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そうですね、現場からの本音いうと研究費は400億のと、40億のと、4000万のと、って三種類くらいに統合してほしいですね。それぞれ10年、7年、3年とかいう期限で。100万というのは、院生やポスドクにつける「試験研究費」、もしくは事務に渡す間接費です。きっと人文系とか哲学とかの例外を除けば、研究は即戦力のポスドクや優秀な院生複数のグループを抱えなくてはできないのが現実です。研究を進めさせたいなら、それだけのものを出さないとできません。正直思うのですが、100万を30件という今の日本の大学内の「研究費」は研究費ではなく学部学生ゼミ運営費です。
お金の絶対額ですが、有名な実名ブロガーの先生も書いておられるように、500億というのは製薬会社の中堅クラス一社の研究開発費です。競争的資金の代表格の科研費全体で年間1200億というのは、正直桁が1つ少ない気がします。日本の産業の今後を考えただけでも、これは増えざるを得ないでしょう。現場のものの値段のスケールをまず押さえていただきたく思います。
まあ、これは現場の我々が決める事ではなく、国民とその意見を集約した選良たちの決める事ですが。
お金の絶対額ですが、有名な実名ブロガーの先生も書いておられるように、500億というのは製薬会社の中堅クラス一社の研究開発費です。競争的資金の代表格の科研費全体で年間1200億というのは、正直桁が1つ少ない気がします。日本の産業の今後を考えただけでも、これは増えざるを得ないでしょう。現場のものの値段のスケールをまず押さえていただきたく思います。
まあ、これは現場の我々が決める事ではなく、国民とその意見を集約した選良たちの決める事ですが。
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あるまかん
at 2007-06-06 01:20
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公共事業化について言えば、もちろん研究を進めるためのお金は、その研究だけに使われるのが本筋で、時限もそのためにあるので厳格に運用する規則と不断の努力が必要でしょう。ただし、今の世の中に公共事業が必要なのも事実です。これまで農業や土建の周辺に公共事業を作って、国民生活の一部を支えてきたのですが、最近はITやバイオ、ナノテクの研究の周辺に公共事業を作るようになってきました。経済学の友人によると、やはりこれは進歩と言うべきものと(苦笑しながら)請け合ってくれます:)
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500億あるなら
at 2007-06-06 10:49
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若い研究者2〜4人のグループを、大学人事とは別の枠組みで新規に作って、そこに給料込みで年5000万円づつ10年間、100の研究グループを作っていたら、今頃日本の生命研究はとても活気のある状態になっていたでしょう。
研究人生の中で、一番将来性とエネルギーに満ちあふれた存在であるはずの若手が、小さくまとまって目先の業績をセコセコ計算したり、学生が先行きを憂いて大学院に行きたくないと思うような国では、10年後は真っ暗闇です。最後は年寄りと、ビジネスマンみたいな少数の若手しか残らないんじゃないですか?この業界は。
研究人生の中で、一番将来性とエネルギーに満ちあふれた存在であるはずの若手が、小さくまとまって目先の業績をセコセコ計算したり、学生が先行きを憂いて大学院に行きたくないと思うような国では、10年後は真っ暗闇です。最後は年寄りと、ビジネスマンみたいな少数の若手しか残らないんじゃないですか?この業界は。
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stochinai at 2007-06-06 20:01
ビッグプロジェクトの公共事業化はすでに起こっていると見るべきで、その実態を国民に公開して、是非を問うべきは他の公共事業と同じだと思います。
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stochinai at 2007-06-06 20:04
話はグルグル戻ってきますが、若手の非常勤研究員の将来がもっとも大変なところだと思います。COEであれ、プロジェクトであれ、終わった時に職を失う大量の若手研究員の受け皿として、グローバルCOEだとか次のビッグプロジェクトを立ち上げているという「説」も聞こえることがありますが、それでは解決になりません。ここはやはり政府に、しっかりとした「研究者の雇用対策」をお願いしたいところです。
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stochinai at 2007-06-06 20:07
私のところのような「学生ゼミ運営費」程度の研究費で、動いているところも全国を見渡せばたくさんあるのではないでしょうか。特に、研究者としての訓練を受けている大学院生を教育するための研究費としては充分に機能すると考えますので、是非とも消さないでいただきたいところです。
ひとつだけ強調しておきたいことは、教育にはあってもいいですが、基本的にそれほどのビッグマネーは必要ないということです。
ひとつだけ強調しておきたいことは、教育にはあってもいいですが、基本的にそれほどのビッグマネーは必要ないということです。
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stochinai at 2007-06-06 20:08
ビッグプロジェクトはポスドクを教育・訓練するというところに特化させるべきかもしれません。大学生・大学院生はちょっと隔離しておいたほうが良いのでは(?)というのが私の「意見」です。
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stochinai at 2007-06-06 20:11
そういう意味で、「500億あるなら」さんの意見も私には新鮮でした。大学の先端レンタル研究室を国が借り上げて、「500億あるなら」さんがおっしゃるような研究グループに好きなことをやらせてみれば、そこから10に1つくらいおもしろい研究が出てくる可能性はあると思います。
文科省さん、真剣に検討してみてはどうでしょう。遅すぎるということはないと思いますよ。
文科省さん、真剣に検討してみてはどうでしょう。遅すぎるということはないと思いますよ。
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大熊猫
at 2007-06-06 21:19
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プロジェクトの最後に「xxの研究」とあるのと「yy事業」とあるのは文科省管轄の予算でも予算に対する考え方、使い方に差があります。科研費のほとんどの題目は「xxの研究」で、成果がでなくても仕方がない(研究なのだから)、予期せぬ成果がでれば皆happyです。これに対して、研究に関しての「yy事業」は最初の計画通りに予算が消化されることが期待されていて、それ以下は当然問題はあるとしても、それ以上でも駄目といわれたりします。事業(研究)計画にそのようなことが書かれていないので、新しい展開があっても認められない(お役人の発想)に近いことを言われると研究者としては仰天します。まあ、大抵は大風呂敷を広げて予算を獲得して、研究計画通りにならないところを誤魔化すのに長けた研究者が次の予算も獲得していくのが一般的です。予算とその成果のコストパーフォーマンスの悪さに良心を痛める研究者は予算に最終的責任を持つ研究リーダには向いてはいません。もう、現役を退いた者の感想です。
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500億あるなら
at 2007-06-06 22:37
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国家レベルの若手支援なら、研究施設は一つにまとめた方が良いと思います。本当に新しいものを生み出すために人を集めるのであれば、100グループ全てを入れられるくらいの研究所は建てても良いのではないでしょうか。これには大型の実験機器も共同購入できるなどのメリットもあります。ここで、独自の発想を持つ若手たちが意見や研究結果を交換し合い、研究の質を高めると共に、分野間の共同研究や人材の移動を盛んにすべきだと思います。このような若い時代の交流は、彼らが中堅の研究者として各地で独立したときにも、大きな財産となるでしょう。実のところ、このような機関が日本に無いかと言うと、理研が存在するわけですが、横のつながりに関しては疑問です。現実に、林崎や横山研と言う1派閥だけに500億とか言う「縦割り」の資金投入が行われ、タンパク、DNA、RNAという分野がわけられています。最近よく競争的研究資金とか言いますが、日本という枠の中で論文数を競い合ったりするよりも、横のつながりを重視して全体の質を高めて行くというのが国策ではないでしょうか。
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あるまかん
at 2007-06-06 22:59
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立場や出発点は違ってますが、言われていることのベクトルは同じような方向を指している気がします。つまり若手研究者(って30台中盤から40台中盤を中心とする研究の現場に居る人々)に必要十分なリソースを、ポス独から補助人員までの人件費やら施設費まで含めて、直接渡すのが結局効率的、ということです。500万円の場合もあれば500万円の場合もあるでしょう。分野の性質に応じて3-10年とかのサイクルで研究を一任する。そして結果の厳しいピアレヴューで、次の配分を決める、と。
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あるまかん
at 2007-06-06 23:00
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公共事業というのは、皆さん指摘されている通りで、別にPIが研究費ライブドア株に投資して収益でハワイに別荘を建てるという話ではなく、任期制の若手の次の職を確保する話なのですから、本来のケインズが想定したポジティブな意味の公共工事なわけです。
これも皆さんが示唆されている通り、公共事業としての研究費は、慣性、有力となった人々の既得権といったものに転化しやすく、研究の内発的な方向をゆがめ、分野からダイナミズムを削いでしまう危険が非常にあります。これこそは研究分野全体を腐らす最大の危険なので、これを防ぐ制度的な設計をきちんとやって、研究者のコミュニティで常に注意を怠らない必要がありますね。
実際私の周りにも、大金が入ったせいでちょっと腐敗してダイナミズムが失われた研究分野がちらほらある気もします。
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あるまかん
at 2007-06-06 23:05
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ちょうど上の方とかぶってしまいました。研究所や研究室の実名まで出てびっくりしますが、使えないほどの大金が恣意的に、実績にももとづかないで入ってしまう例は各分野ちらほらあって、これは実際まったくの悪いジョークです。「アカウンタビリティ」の早急な確立が欠かせないですね。
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北国の春
at 2012-02-19 18:18
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たんぱく3000の評価はほぼ確定しつつありますが、「立体構造と論文は出たが、科学的な成果はなかった。」に尽きます。放っておいてもいずれか誰かが構造を決めるようなあまり重要でない仕事、地方大学の修士の学生のテーマにしても良いような仕事、そういう雑用的な仕事をかき集めて大人数で組織的に大量に立体構造を解く、いわゆるゴミ掃除的な仕事が多かった。数百億の予算を投入したのに、それに見合うだけの真に創造的な成果はなかった。モグロビン1個でノーベル賞ですが、それは世界で最初に立体構造を決めたからであって、3000個のゴミ構造を決めたと胸を張られてもこまります。それどころか、予算が一箇所に集中しすぎて、地方大学に予算が回らなくなった。日本の構造生物学の裾野を狭めた弊害が大きい。
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stochinai at 2012-02-19 21:11
「やはり」というふうに思いましたが、これは「科学」の問題というよりは、「政治」あるいは「政策」の問題ですね。日本の高等教育・研究政策の歪みが典型的に出ているものと言って良いのかもしれません。
問題は、その歪んだ高等教育・研究政策が現在は正されているのかというところですが、残念ながら良くなっているという気がしないのですが・・・。
どうでしょうか。
問題は、その歪んだ高等教育・研究政策が現在は正されているのかというところですが、残念ながら良くなっているという気がしないのですが・・・。
どうでしょうか。
by stochinai
| 2007-06-04 22:39
| 生物学
|
Comments(21)