5号館を出て

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大学教育学会 

 国分寺にいます。証拠はこれです(笑)。駅前のホテルの窓から見えるサインです。
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 今回は日本教育学会のシンポジウムのシンポジストとして招かれて来ていますが、学会でもなければ国分寺に宿泊するなどということは一生なかったかもしれません。学会は、JR中央線で国分寺の二つ手前の駅の町、東小金井にある東京農工大で開かれています。

  「持続可能な社会と教養教育」というシンポジウムをやるので来るようにと声をかけてくださったのは、一昨年まで北海道大学にいらしたOG原先生です。私のような教育学の研究をしたこともない人間の出る幕ではないと思うのですが、私は昨年北大で行われた特色GPフォーラムにおける高校生対象の模擬授業でやった20分間で「ゼロからわかる生物学」を再現してくれるだけでいいから、という「甘い言葉」に乗せられてはるばるやってきました。もちろん予想通り、私以外のシンポジストの方は崩壊状態にある大学の教養養育(一般教育)をどうやって復権させるかと真剣に活動されておられる方です。

 先日行われたサミットで、地球温暖化対策が最重要課題に取り上げられたほど、持続可能社会というキーワードは今や喫緊の人類共通の課題になっているのですが、これが過去に人類が遭遇してきた数々の課題ともっとも異なるのは、この件に関して科学や技術の発展だけでは解決できそうもないという見通しがあるというところです。

 地球上のすべての人が、自分たちの生き方を考え直すことなしにはこの問題を解決することはできないという、ある意味で科学・技術の側から「敗北宣言」が出されているという現状を、人々はどのくらい真剣に把握しているでしょうか。つまり、そうしたことををしっかりと受け止めて生産的な議論することができる「教養」を持った人間が世界中にたくさんいない限り、この問題は解決しないということなのです。

 このまま手をこまねいて人類の滅亡を受け入れるのか、それともなんらかの手が打てるのかを左右するのが、そうした問題を議論できるだけのリテラシーを持った「地球市民」の存在で、それを育てるのが今回の学会のテーマになっている 「持続可能な社会と教養教育」ということなのかもしれません。

 例によって、たくさんの問題と、楽観視できなさそうな展望も出てきたのですが、こんな時代になったということが、逆に大学において「教養教育」が復権し、文理や世代などを越えて行う議論に参加できる「地球市民」を育てる機が熟してきたということなのかもしれないとも思いました。先が見えない時には、とりあえずたくさんのオールラウンド・プレイヤーを育てておくという作戦はこの件に関しても正しいのではないでしょうか。
Commented by Takao NAMIKI at 2007-06-14 17:30 x
写真に載っているNAMIKIビルとは無関係です。たぶん。:-)

教養教育と一般教育とは本来違うものだと思うのです。大学の初級年度の教育課程を教養とか一般という愛昧な言葉で表現してしまったことが躓きの遠因ではないでしょうか。

一般教育といった場合には専門課程への基礎教育というイメージが強く、教養教育といった場合には広汎な語学や論理的思考、人文社会自然科学全般にわたる教育というイメージが強くあります。同じ語学でも両者の意味合いは違うはずです。

私は教養学部出身なので、その辺りは結構意識してきました。ジェネラリストの育成といっても前途は多難ですよね。
Commented by stochinai at 2007-06-14 19:58
 コメントありがとうございました。私も教養部にいましたので、一般教育というものがいかに学生に人気がなくないがしろにされてきたかということを知っているつもりでした。そして、一般教育ではなく教養教育こそが全学教育として必要だという結論に達し、初年度教育では専門の基礎教育ではなく、まさに教養としての生物学を教えるようにしてきたつもりです。前途が多難なのは同感ですが、大学初年度生だけではなく、学部生・大学院生・社会人を巻き込んだ「教養教育」をたくらんでいる今日この頃です。
by stochinai | 2007-06-09 23:59 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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