5号館を出て

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闘いすんで日が暮れて

 自民党の歴史的大敗を受けても、安倍総理大臣は「辞めない」とおっしゃっているようです。選挙前から、当選者が目標に届かなくても退陣に至る総理の責任問題に発展することはない、と言っていましたから、ある意味で予定通りの発言とは言えますが、目標に届かなかったというレベルのものではないので、それでも予定通りの発言を繰り返すというのは、聞いていても情けない気持ちになります。ここであっさりと辞めますと言ったらちょっとは見直されたと思うのですが、まあここで辞めたらもう先がないと思っているのかもしれず、同情できなくもありません。しかし、総理大臣がカッコ悪いと、国民としてもちょっと恥ずかしいと思ってしまいます。

 これで、明日からは今までのような自民・公明による独裁的国会運営が簡単にはできなくなったことは、とりあえず喜んでおきたいと思いますが、これで今の日本に山積するたくさんの問題が解決するのかどうかを考えた時、この選挙の結果だけでは何も動き出さないだろうこともまた感じられ、そういう意味では喜んでもいられないという気になります。

 選挙の前までは、大学問題そして博士・ポスドク問題を考えてくれる国会議員を1人くらい担ぎ出すのも悪くないかもしれないと思ったこともあるのですが、いざ選挙が終わってみるとこんな激しい選挙戦を闘ってようやく議員になれるという現実を目にすると、たとえ教育問題全般にテーマを広げたところでそれをメインに国会議員になることなどはとてもとても不可能だと思えました。ということは、せいぜいできることはパートタイマーで大学問題を考えてくれる国会議員を支持することくらいかな、と現実的な気分になっています。

 そんな中でCOEやグローバルCOEプログラムの「高度な政治性」に警鐘を鳴らすエントリー(COEプログラム 世界水準の研究教育拠点作りの真の狙いは?)が書かれ、私の頭の中はそちらのことでいっぱいになっています。個々の大学や、個々人の研究者の事情はいろいろなことがあり、ほとんどすべての人は自分たちの大学や研究を守るために一所懸命COEやグローバルCOEに応募して、採択された場合にはこれまた一所懸命頑張っていることも事実で、そのおかげで発展した研究・教育は間違いなくあり、助けられたポスドク・大学院生・研究・研究室があることも事実です。

 しかし、その反面いろいろ危惧すべき側面があることも事実なのだと思います。あえて、コメントをせずに、引用します。
COEに予算の編成・執行権があり、RA、ポスドク、その他の研究員の採用等の人事権を握るなど、極めて高い自立性を備えている。いわば国から大幅な権限委譲を受けた地方公共団体のようなものである。この慣れないことに拠点リーダーを巻き込むとに懸念がある。お金の使い方が放漫にならないだろうか。清貧に甘んじていた学者とその卵が、使い切らなければならない大金を与えられ時に陥る落とし穴である。私の杞憂であって欲しいが、それを検証するためにも経費の使途は公開が必須である。

何故このような『権限委譲』により学者に余計な仕事を増やすのだろう。例えばRAとかポスドクなど、現在もある日本学術振興会特別研究員のシステムをそのまま活用して採用人数を増やせばそれで済むことである。科学研究費補助金を弾力的に使えば研究補助者の雇用も可能であるし、大学院生の出張旅費なども捻出できる。国際会議の開催も同じようなもの、今あるシステムを内容を拡充させながらそのまま使えばよいではないか。
 そして、最後にフィクションと断りながら、かなり「真実」に近いのではないかと思われるシナリオが示されています。
世界水準の研究教育拠点作りという一見壮大なプロジェクトも、一皮剥けば既存の研究室の寄り合い所帯で、『研究教育拠点』も作文の上でのみの存在である。しかしCOEに採択されれば潤沢な活動資金が与えられるし、また所属する大学のステータス向上に役立つなどのメリットがある。しかしCOEは継続性が保証されてはいるものではない。「金の切れ目が縁の切れ目」になりかねない惰弱性がある。だからこそこのような『競争的資金』獲得を向けての競争が熾烈になる。いわば企業が『公共事業』の受注に熱中するようなものであろう。その裏には『天下り』もあれば『談合』もある。そういえばCOEプランはかっての『列島改造論』の文部科学省版、その産物だとすると、見えてくるものもある。文部科学省の高級官僚が利権を持って天下りする、また利権を餌に天下りする。そのためのプラン作りだったのである。占めるポストは大学学長であったり理事であったりする。もうすでにその動きが顕在化しているようである。
 言うまでもなく、山形大学の一件が思い出されるわけです。
Commented by 元ポスドクB at 2007-07-30 02:56 x
うーん、大筋から言って、「競争的資金」を設計したときに予想された政治的プロセスが始まった訳ですよね。きちんと評価する機構が数年して整備されてくるまで、いまのいい加減な決め方でいい加減に配分されて、そこに「人事の交流」も絡むでしょう。

問題はこの未整備な状態が、研究投資の本来の目的を歪めてしまうほど腐敗したものに転落するかどうかですが、プロセスが公開であるので、その恐れはあまりないでしょう。

土建関係の公共工事、最近は評判悪いですが、一番根本のところ、日本全国にまあ我慢ができる高速道路、低速道路を張り巡らすことに成功し、離島を多くの橋でつなぎました。ついでに全国の海岸のいろんな部分テトラポットで埋め尽くしました。その過程で東京に集めた富を全国に再配分しました。基本的には所期の目的を達して大成功だったと思います。

研究投資「公共工事」が出尽くした10年20年後の日本の高等教育機関、研究機関の姿を想像して、それに見合う「本当の世界最先端な」中身を、各分野で作っていくときですよね。

Commented by 元ポスドクB at 2007-07-30 03:09 x
「天下り」についてですが、これは明治以来の日本の国家運営の根幹に関わる官僚システムの制度の一部です。詳細は制度研究の専門書に譲るとしても、これは戦前も前後も基本的には「天下り」はポジティブに作用してきたと思います。たとえば北大の先生も一昔前までは退官された後、「望まれ乞われて」近隣の私大に再就職され、辺境の教育水準文化水準の向上に寄与されてきた事と思います。

今後もこのシステムの継続が望ましいか、それとも官僚の定年をのばす/現役時の報酬を格段に増やす等の、(米国に似た)他のシステムに置き換えるべきか、それはそれで国家的に論議すべき大問題でしょう。
Commented by 花見月 at 2007-07-30 06:38 x
文科省の役人が(遊びに)来ると、赤じゅうたん敷いて待っとけぐらいの勢いで、文科省から出向してきている大学職員が連絡してきます。彼らは、名目上、視察に来ているわけですが、最後はいつも、「せっかく僕が来たのだから、話をしてあげましょう」と、なんか偉そうにしゃべって帰っていきます。そんなに役人が偉いって、大学に来るまで、ぜんぜん、知りませんでした。そんなにつけあがらせていいのでしょうか。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 20:56 x
>花見月さん
法人化の前も後もわかる研究者ですので、まずはここを参照してください。 http://shinka3.exblog.jp/6572300
つまり、事務長→理事(学部長以上の役員)→副学長(ナンバー2) ついに学長と平成16年の法人化のたった3年で大胆にやってきたということでしょう。法人化の前までは、事務局長を中心として事務組織が独立してあったわけです。本来、研究者は役職に対する執着心はあまりない人が多いのですが、いつの間にか、法人内の学部規則に記載されている教務や厚生関係の実務の権限も削除されるようになったのです。つまり、教育研究協議会に機能が集中され、学部の機能はほとんどなくなっている状態なのです。しかし形骸化した学部内の委員会は存在して教員は事務職員の削減のあおりを受けて、事務の内容の一部さえも担うようになってきたのです。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 21:28 x
(つづく)
一方ではノンキャリア(県庁職員の方や学校教員が受かればやめる第二志望であった。もちろん内部試験で国家Ⅰ種相当の内部昇格制度あり。国家Ⅰ種合格者の多い国立大学では誰も受けなかった。受けた学生がいると、先輩は大学に受けると困りますという電話があったらしい。)官僚が、同期10前後合格のの文部高級官僚の一部とともに、法人化後、理事を兼務し、大部分の教員(学部長以下)よりも上司になりました。ノンキャリア官僚については大出世です。ついに文部高級官僚は高級官僚を中心としてノンキャリ官僚までも、副学長まで昇りついたのです。そこで、副学長の高級官僚(山形大も含む)にとっては、事務次官を上司(学長)にと考えたのでしょう。(山形大学の騒動は、学長と思惑が一致したのでしょう。文部科学省まで学長と医学部長(学長選考会議投票者)に同行したと山形大学関係者から聞いていますから)だから、山形大学のケースは象徴的なものであり、地方では目立たないだろうと思い、頂点を極めようとしたわけです。当然彼らは、国立大学の副学長は普通になったのだから、殿をお呼びしたと考えればよいでしょう。
 
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 21:30 x
(つづき)
学長です。つまり、これまでも述べているように、目立たない形でしたが、今回の山形大学の問題は、すべての国立大学法人の問題であるといいきることができます。そうでなければ、私にとって関心事ではありません。取り返しのつかないことになると思ったからです。幸い、このサイトの参加者は、ポスドクや大学院生、若手研究者(法人後)のような気がします。ですので、このおかしい状態をスタンダードとして考えてもらいたくないのです。したがって、指導教員にも呼びかけていただいてほしいのです。このように、鈍感な我々大学研究者は完全に利用されているような気がしてならないのです。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 21:45 x
また文部科学省の経歴についても、初等教育から高等教育、スポーツ・文化など様々です。スポーツや文化関係から大胆にも大学の理事(役員)になるのは当たり前です。ですので、いろんな分野を経験しているだけにすぎないでしょう。生え抜きの大学関係ばかりの官僚だけでないということです。これでは、「花見月さん」のいように仲間同士連絡を取り合うのを正当化することになります。これは本来は、違反行為です。したがって、大学法人化は自由な裁量を与えたと同時に、適材適所とは言い難い大出世の文部官僚も含めて、財務担当(国も強いでしょ)理事・副学長で占めたということです。そこで、これをやめさせることを考えなければいけない。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 22:09 x
どうですか、本来見過ごしがちな山形大学のことが実は身近なすべてのことを説明できるのです。だから、問題視しているのです。

財務を超えて、評価などの分野にも進出し、スポーツ新聞の打撃成績や投手成績を見て、小笠原はいい。田中はいいなどと数字のにらめっこをするようなことになると思います。理事クラス(高級・ノンキャリア文部官僚と学部長経験者)にとって、学部長は部下になっていることも理解してほしいのです。
by stochinai | 2007-07-29 23:42 | つぶやき | Comments(8)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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