5号館を出て

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2チャンネル化する教室

 一太郎で有名なジャストシステムが始めた複数ブロガーによる「大学塾!!Blog」にちょっと気になるインタビュー記事が載っていました。
授業中、携帯電話を使って質問や意見を書き込ませ、それをリアルタイムで相互に参照することによって、学生の参加意識、積極性を引き出し、学びの質を高める。
 要約によると、このようになっているのですが、狭い教室の中で携帯電話で質問や意見を集めるという意味が良くわからないので、本文へと進むとこんなことが書いてあります。
以前から私は、1コマ講義が終わるごとに学生に小さなコメントカードを配り、質問、感想、意見等を書き込ませて回収して、翌週の講義冒頭でフィードバックを行っていました。
 これは私も全学教育などでは良くやることなのですが、一人でも多くに答えようとすると、ついつい時間を取りすぎてしまるという欠点もあります。

 インタビューを受けた先生はこの方法だと「1週間の時間があくことでどうしても学生の記憶が薄れ、継続的効果的な思考に結びつきにくいという難点」があるということで、新しい手法を始めたのだそうです。それは学生に議論をさせることなのですが、どうもうまくいかない。それは、私もわかります。
以前、豪州の大学で集中講義を行う機会がありました。向こうの大学では、私が話をはじめて5分もすると、学生がどんどん議論に加わってきます。大人数対象の講義であっても、まるで少人数のゼミのように侃々諤々と意見を戦わせる状況になるんです。

ところが日本の大学では、手を挙げて発言するどころか、私が指名してももじもじして答えない、なるべく指されないように陰に隠れているような学生ばかりなんですよね。
 しかし、今の学生といえども「きっかけさえつくれば、意見を言ったり議論をしたりするポテンシャルは十分にある」との確信から携帯電話を活用した意見表明システムを作ったのだそうです。
私がつくった「携帯電話対応コメントカード・データベース・システム」は、学生が授業中にその場で携帯電話からケータイサイトにアクセスし、質問、意見、感想などを書き込めるしくみになっています。その内容は学内のサーバー上のデータベースに蓄積され、加工されて瞬時に講義中の教員のPCに送られます。教員は簡単な操作でそのデータを教室の液晶プロジェクタに映し出すことができます。
 なかなか大げさなシステムだと思いましたが、これがきっかけとなって教室内で議論が巻き起こるのならばまあ悪くないのかもしれません。しかし、いったんそういう雰囲気ができたら、もうこのシステムはいらないのではないかという気もしました。逆に、その雰囲気がどうしても必要ということならば、何も携帯電話を使わなくてもできそうに思えます。使わない方がうまくいくのではないかとも思えます。

 ところが次の一文を見て、考え込んでしまいました。
このシステムを使うことで、たとえば受講者が100名を越えるような多人数講義であっても、教室内のほぼすべての学生が匿名で自分の意見を板書したような環境を作り出すことができるわけです。(下線stochinai)
 ネット上でやるのならば、匿名もわからないではないですが、同じ教室の中にいて顔も見える同士が意見を出し合う時にも、「匿名」にする必要があるのでしょうか。昔、携帯電話がはやり始めた時に、母親が2階にいる子供を食事に呼ぶ時に携帯を使うという笑い話を聞いたことがありますが、この教室内匿名携帯電話という話には、それを聞いた時以上に何か根本的に間違っていることがありそうに思えてなりませんでした。

 昨日、私は神戸と東京の小学生の理科教室「キッズラボ」の子供たちに授業をしたのですが、そこでは小学生たちはこちらからの質問にも積極的にどんどん手を挙げるし、子供たちからもたくさんの質問が飛び出ししてきました。決してまわりの目を意識して、言いたいことも言わず、訊きたいことも訊かないなどということはありません。

 確かに、多くの大学生がこの先生のおっしゃるとおり、質問もしないしこちらからの指名も避ける傾向にあることは私も経験していることなので、日本中の大学生が同じようなものだと思うのですが、それを直すのであれば携帯で匿名の意見を言わせるのではなく、中学・高校での教育を改善してもらうように働きかけることや、大学生に意見をた戦わせたいというのならば、彼らに面と向かって「話を強要する」ように立ち向かうのが良いのではないでしょうか。

 教室内匿名は、やっぱりなんか不気味です。
Commented by とまと at 2007-08-03 05:43 x
ちょっとショックです........ 言いたいことが特にないから言わないのではなく、あっても匿名でないと言えないということなのでしょうか。

個人情報を丸出しにするわけにいかないネットと違い、知っているもの同士の狭い教室内でも匿名でなくてはいけない理由がいまひとつピンと来ません。授業に関する質問に個人的な利害が絡むとも考えにくいですし.........
Commented by vsba251 at 2007-08-03 10:01 x
教師に逆らうと内申が悪くなる、なるべく目立たないように頭を下げてろ、という思想・言論管理をされてきたんだから、当然でしょう。
思わずたじろがされるような「質問」を自分への攻撃と見なす教師は少なくないですからね。
前に、数学の先生から自分の学生の話として聞いたのですが、「講義中の間違いを指摘すると、数学の先生は面白がって何故間違ったか調べ始める、物理の先生は怒る」というのがあります。私の中学までの教師は、みんな後者のタイプでした。
Commented by query at 2007-08-03 11:04 x
教師に対してだけでなく、仲間内でも空気読まない奴は嫌われますからね。質問と攻撃を混ぜるディベート技術も広まってるし。
Commented by melek at 2007-08-03 11:13 x
いつも楽しく読ませていただきます.今回初めてコメント書かせてもらいます.私は今年初めて大学で講義を担当したものです.
教室での匿名性についてですが,「同じ教室の中にいて顔も見える同士が意見を出し合う」という場合でもこれまでの状況は匿名にちかいものなのではないでしょうか.高校までと違い大学の授業では同じ教室にいるからといって必ずしも名前を知った仲である訳ではありません.ですから,このシステムで匿名であることが特別だとは私は思いません.今までの状況からスムーズに移行するにはむしろ最初は匿名の方が妥当なのではないかと思います.もちろん議論が度重なってくれば匿名でなくすような工夫はある方がよいとは思います.
それから今年初めて担当した大学院の授業では学生同士で何度かグループでディベートをしてみました.みんなとてもよくしゃべりましたよ.相手の意見に反論して議論が展開するというような場面はあまりありませんでしたが,学生も結構楽しかったようで,ディベートをすると予告した日は出席者が多かったです.大学院になれば捨てたものではないな,というのが私の感想です.
Commented by 駆け出し(1) at 2007-08-03 11:50 x
初めまして。国立大学で教員をしている者です(駆け出しです)。私は文系の人間ですが,いつも興味深いテーマや論を提示していただき,色々考えさせてもらっています。

携帯匿名の件は確かに私もおかしいと思います。学生は匿名で意見を言うというのは,教員と学生の間の権力関係が,妙に捩れている結果なのだと思います。

例えば今多くの大学で行われている授業アンケートは,大体匿名ですよね。その前提には,「学生は匿名でないと,自分の成績に響くことを恐れて真意を書かない」という認識があります。そしてその「真意」とは,授業に対する「批判的」な意見だということになります。まず,「真意」とは「批判的」なものに違いないという発想に対して,疑問を感じます。(続く)
Commented by 駆け出し(2) at 2007-08-03 11:51 x
さてここで前提されている構図は,こういうものです。「授業には必ず欠陥があり,学生はそれを認識している。しかし教員にそれを実名で伝えると,教員が逆恨みして学生の評価を下げる可能性がある。だから学生は匿名で意見を言うべきである」。

ここで浮かび上がる教員像とは,何とも暴力的で厭らしいものであって,こういう教員像を前提にして制度を組み立てているということに,第二の疑問を感じます(まあvsba251さんの言われるような実態もあるのでしょうが)。

しかし問題はここで終わりません。教員側は,こういう教員像に抵抗するのでなく,虚心坦懐に受け容れるのです。確かに自分は成績認定を行う権力者であり,学生が恐れを抱くのももっともである,だから君たちに匿名で意見を言う権利を認めよう,ということです。実際には経営陣や事務方から,匿名でのアンケートを強制されることもあるでしょうが,私の知る限り,自ら進んで匿名を選択している教員も少なくないようです。この携帯電話の人は正にそうですね。(続く)
Commented by 駆け出し(3) at 2007-08-03 11:51 x
ここで,教員は学生に「配慮」しながら権力を行使する存在ということになりますが,一体こういう教員-学生の関係から何が生まれるでしょうか。教員の側は,自らが権力者であることを自覚する故に,学生に対して良くも悪くも「直接的な」接し方をしなくなる。ハラスメントの問題がここまで突出してくると,なおさらです。学生もまた,教員を権力者と考えて,根本的には「避ける」ようになる。非常によそよそしい関係です。対面した時にはお互いに牽制しあい,学生は授業評価で,教員は成績評価で,水面下で「真意」=「敵意」を露骨に表すようになる。本来肯定的な感情と否定的な感情とが,対面する状況の中で調停され,そこで教員と学生の共通認識としての「真意」が醸成されていくというのが理想的な在り方だと思うのですが,上述したような構図からは,調停の場が存在せず,対面しない場面で否定的な感情が暴力的に露出するよう仕向けられることになります。これが第三の,最も大きな疑問であり懸念です。(続く)
Commented by 駆け出し(4終) at 2007-08-03 11:52 x
問題はさらにあります。教員が学生に「配慮」するというのは,一方では学生に媚びる方向にもつながりますが,他方では学生に対して無責任となる方向にもつながります。勿論卒論指導など,特定の学生を深く指導する場面もありますが,教員の側が匿名を志向するのは,学生をあくまで「名無し」として,個人性を除去して接しておきたいという願望の現れではないでしょうか。匿名の記述からは,その質問を発した個人は消去され,純粋な「問題」のみが提示されます。教員と経営陣とが,そうした「問題」を前にして「評価」と「改善」を行い,いつの間にか個々の学生が視界から消えているという事態になるでしょう。これが第四の疑問です。

或いは,このような手法を広げることで教員と学生が対面する「教室」を有名無実化し,インターネットや衛星放送による授業を増やして,人減らしを行おうという狙いがあるのかも知れませんね。まあそれは考えすぎでしょうか。長々とすみませんでした。
Commented by 少し前まで学生、いまは教える側 at 2007-08-03 14:16 x
人を評価する際の基本が引き算であるのが原因ではないでしょうか。大学、大学院レベルになると必ずしもそうではないと思うのですが、学生がそう信じている、あるいはそのような教育を受けてきている(上の方に「内申」についてコメントされていますが、鋭いご意見だと思います)のが現実だと思われます。

例えばですが、「私の講義は、出席者全員に良をつける。名前を名乗った上で、議論を活発にする効果のあるコメントをした者だけ、優とする可能性がある。それ以外の評価はプラスもマイナスもしない」とはじめの講義で明言するなどすれば、学生側の意識も変わるかもしれないと思います。
学生側から見れば、やはり教壇に立っている一人の人間が大きな権力を握っているのは間違いありません。大学の先生にはおかしな人が多少居るのも事実ですし。評価の基準を示され、意見を述べることがマイナスにならないと分かっていれば、活気のある若者は多いと信じています。
Commented by ライター松田 at 2007-08-03 16:55 x
はじめまして。
引用いただいた「大学塾Blog」の記事を担当しました、ライターの松田と申します。
ていねいに読み込んでいただき、本当にありがとうございます。
また本エントリー、皆様のコメントも含め大変興味深く拝読しました。
大変重要な論点かと思います。
もったいぶるわけではないのですが、件の記事は全4回連載の第1回でして、第2回以降をお読みいただくと、皆様の疑問にお答えするような部分が出てまいります。
ちょっとだけ予告(?)をいたしますと、ご登場いただいた滋賀大学の宮田先生も、「直接、教師と学生たちが顔と名前がお互いにわかる関係の中で、信頼関係を築いてコミュニケーションを取れる授業」を目指しておられます。
その思い、考えとこの第1回記事の内容がどうつながって来るかは、第2回目以降のお楽しみとさせてください。
今後とも「大学塾blog」をよろしくお願いいたします。
Commented by stochinai at 2007-08-03 17:22
 ライター松田さん、丁寧なコメントをありがとうございました。もともと私は早とちりなところがありますので、連載を読み終わらないうちから短絡的な反応をしてしまったところはあるのだと思います。それでもなおかつ、ここのコメント欄に見られるような有益な議論ができたことは有益だったとも思っております。松田さんの今後の記事を楽しみにするとともに、これからもいろいろな議論ができていけることを期待しています。
 どうぞよろしくお願いいたします。
by stochinai | 2007-08-02 21:19 | 教育 | Comments(11)

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