2007年 08月 06日
実験動物慰霊祭
今日は第62回の広島原爆記念日でした。日頃動物を殺して実験をしている我々も年に一度日頃の殺生を反省するとともに、彼らの慰霊のために行う慰霊祭がたまたま今年は同じ日に行われることになりました。
冷静に考えてみると、広島や長崎に落とされた原爆で信じられないくらいたくさんの人命が失われてしまいましたが、おそらく動物や植物の命の数を考えるとその時に殺された人の命よりもたくさんの生命が失われたことは間違いないはずです。
人の命と動物や植物の命を単純に数で比較することはもちろんできないことですが、動物や植物を殺すことと、人を殺すことが生命の連鎖を断つという生物学的にはまったく同じことだということは、生物学者として人々に伝えたいことのひとつです。
地球上に生命が誕生して35億年とか38億年とか言われています。それから、現在生きている生物のすべてに命が伝えられていることを、ことあるたびに再確認したいと思っています。
地球上で最初の生命が生まれたのは、無生物から生物が生じた(おそらく)唯一の例外だと考えられています。それから後は、今日に至るまであらゆる生命はその前に存在した生命からのみ生まれています。最初の一度を除き、一度とだえた生命は二度と復活することはなかったのです。
つまり、今生きている我々を含む生物は38億年の生命の連鎖において、一度も途絶えることなく受け継がれた生命の子孫なのです。
そういう意味においては、現在地球上にいるすべての生命は奇跡的に生き延びてきた生命の連鎖の最後端に位置しているとともに、その生き残りが次世代へと生命を引き継げるかどうかを左右する重要な意味を持っていることになります
つまり、今死に絶える生命は38億年の生命の歴史の終焉を意味し、幸運にも生き延びる生命は今後の何億年かの生命の連鎖をつなぐ可能性をもった希望の存在なのです。
そう考えると、今地球上に生きているすべての生命は38億年の生命の歴史を共有する兄弟であり、できるならばこの先も一緒に生きていきたい愛おしい存在に思えてこないでしょうか。
地球生命38億年の歴史のある日に、こんなことを考えています。
冷静に考えてみると、広島や長崎に落とされた原爆で信じられないくらいたくさんの人命が失われてしまいましたが、おそらく動物や植物の命の数を考えるとその時に殺された人の命よりもたくさんの生命が失われたことは間違いないはずです。
人の命と動物や植物の命を単純に数で比較することはもちろんできないことですが、動物や植物を殺すことと、人を殺すことが生命の連鎖を断つという生物学的にはまったく同じことだということは、生物学者として人々に伝えたいことのひとつです。
地球上に生命が誕生して35億年とか38億年とか言われています。それから、現在生きている生物のすべてに命が伝えられていることを、ことあるたびに再確認したいと思っています。
地球上で最初の生命が生まれたのは、無生物から生物が生じた(おそらく)唯一の例外だと考えられています。それから後は、今日に至るまであらゆる生命はその前に存在した生命からのみ生まれています。最初の一度を除き、一度とだえた生命は二度と復活することはなかったのです。
つまり、今生きている我々を含む生物は38億年の生命の連鎖において、一度も途絶えることなく受け継がれた生命の子孫なのです。
そういう意味においては、現在地球上にいるすべての生命は奇跡的に生き延びてきた生命の連鎖の最後端に位置しているとともに、その生き残りが次世代へと生命を引き継げるかどうかを左右する重要な意味を持っていることになります
つまり、今死に絶える生命は38億年の生命の歴史の終焉を意味し、幸運にも生き延びる生命は今後の何億年かの生命の連鎖をつなぐ可能性をもった希望の存在なのです。
そう考えると、今地球上に生きているすべての生命は38億年の生命の歴史を共有する兄弟であり、できるならばこの先も一緒に生きていきたい愛おしい存在に思えてこないでしょうか。
地球生命38億年の歴史のある日に、こんなことを考えています。
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inoue0 at 2007-08-07 03:58
動物実験したことがないので、慰霊祭には出たことがないのですが、原理的な疑問をヒトツ。
・なぜ実験「動物」だけを慰霊するのか?
生物は皆平等と考えるなら、細菌も原虫も植物も皆平等のはずである。しかも、動物の中でも、マンマリアンだけを慰霊している。昆虫やカエルは慰霊するに値しないのか?
屠畜場が行っている獣魂祭の方が納得がいく。
・なぜ実験「動物」だけを慰霊するのか?
生物は皆平等と考えるなら、細菌も原虫も植物も皆平等のはずである。しかも、動物の中でも、マンマリアンだけを慰霊している。昆虫やカエルは慰霊するに値しないのか?
屠畜場が行っている獣魂祭の方が納得がいく。
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stochinai at 2007-08-07 08:23
そうですね。動物実験に対する「倫理規定」は、最近は哺乳類だけではなく、脊椎動物にまで拡張されて委員会が管理するようになりましたが、それと同じように苦痛を感じると考えられる動物の命だけが伝統的には慰霊されることが多いように思います。
しかし、我々の研究室では、過去1年間は脊椎動物としてはカエルしか使っておりませんし、他にはミミズ、ミジンコ、クラゲというところが主な実験動物ですから、我々の慰霊祭ではそれらの動物の慰霊を行います。他に、まだ実験には使っていないものの、飼育しているとどうしても死んでしまう動物がおり、ザリガニやエビ、プラナリアも慰霊の対象に加えられています。さすがに、植物や細菌は慰霊の対象にはしませんが、研究室によっては「バクテリアの慰霊祭」をやっているところもあると聞きます。要は人間側の心の問題ということだと思います。
しかし、我々の研究室では、過去1年間は脊椎動物としてはカエルしか使っておりませんし、他にはミミズ、ミジンコ、クラゲというところが主な実験動物ですから、我々の慰霊祭ではそれらの動物の慰霊を行います。他に、まだ実験には使っていないものの、飼育しているとどうしても死んでしまう動物がおり、ザリガニやエビ、プラナリアも慰霊の対象に加えられています。さすがに、植物や細菌は慰霊の対象にはしませんが、研究室によっては「バクテリアの慰霊祭」をやっているところもあると聞きます。要は人間側の心の問題ということだと思います。
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1hoshi
at 2007-08-07 12:53
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私が所属していたW大学の慰霊祭では、研究していたショウジョウバエも、もちろん慰霊の対象でした。ショウジョウバエの大好きな「お酒」をお供えしていました。研究のためとはいえ、自分で飼育していると、昆虫であっても、大腸菌であっても、情がわいてきますし、「慰霊したい」という気持ちになります。
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piyo
at 2007-08-07 15:04
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stochinai at 2007-08-07 17:11
ショウジョウバエ慰霊祭や菌塚、気持ちが素敵ですね。
by stochinai
| 2007-08-06 23:59
| 大学・高等教育
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Comments(5)