5号館を出て

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ブログでバイオ 第29回 「博士と自己責任論」

 リレーエッセイというものの「作法」がわからず、ここにおけるポスドク問題の盛り上がり(?)もあり、またポスドク博士問題は決してバイオに限らないという気持ちもあって、なんとなく放置しておりましたが、せっかくブウさんが再開してくださいましたので、私がパスを受け取らせていただきます。(今日は札幌も33℃を越えているらしく、エアコンのない我が家では、ネコが一番の被害者で、保冷バッグを抱いて寝てばかりいます。)

 ブウさんが、ブログでバイオ 第28回「学位の価値を過大評価してないか?」の最後で「まぁ、このあたりはリレーエッセイの第一回で取り上げたことなので、半分以上が繰り返しなのですが(^^;」と書かれているように、私の書くこともブログ上で議論されていることも、その多くが繰り返されていることなのかもしれませんが、日々新しい博士、ポスドクが生み出され、新しい大学院生も続々と入学してきている以上、議論は繰り返され続けるべきであり、さらに繰り返されているように見えている議論がらせん状に上昇していることもまた事実だと思います。というわけで、今後もあえて繰り返しを気にすることなく議論を続けていくことにします。

 ブウさんがおっしゃるように、社会全体が「博士の学位」というものに過剰な期待をしているために、企業から見ると「博士なのに使えない」という声が出てくるし、大学を卒業してから5年以上かけて博士になった側から見ると「博士になったのになんのメリットも与えられない」という、実はすれ違っているにもかかわらず相反する意見がたくさん出てくるのだと思います。

 企業の「博士なのに使えない」という声に、自信のある博士からは「博士には、こういうふうな能力やスキルがあるのです」という反論がありますし、「博士になったのになんのメリットも与えられない」という博士の声には、「使える博士には、十分高額な給与が用意されている」という反論もあるでしょう。つまり、ここでうまくマッチングが起これば、双方が満足する結果を期待することはできるのです。

 ところが今、もはや社会問題として認識されるような「博士あまり」現象が起こっています。博士が余っているのは、必要以上に博士を作ったからです。博士の学位を授与しているのは大学院ですが、大学院は社会全体の博士の数を調整するような社会政策的機能を持っていませんので、博士の数が多すぎた場合、その失敗は政策を担当している政府の責任であることは自明だと思います。

 こういう議論をすると必ず、博士を取得するのは本人の自由意志であり、大学院にはいるもの、博士課程に進学するのも、博士の学位を取得するのも、すべては個人の自由に帰せられるものだから文句をいうなという「自己責任論」が出てきます。

 もちろん、大学院に進学する前から、日本や世界の将来を見越して、大学院に進学することや博士を取ることが、この先10年20年後の自分の人生にとって得策なのかどうか、ポスドクをすることは得か損か、などいうことを正しく判断できるような「スゴイ人」ならば、その後失敗したり不幸になったりして、不平・不満を言う必要などないのかもしれませんが、そんなスゴイ人って大学生の何%いるのでしょうか。私は、100人に1人もいるかどうかあやしいと思っています。

 そんな「将来を展望していない」大学生に、研究の面白さを、そのおもしろい研究を職業にしている研究者である教員が説くのですから、多くの大学生が「研究で飯を食ってみたい」と思うのは当然だという気がします。そして、その教員は、年齢が上の人ならば、博士を取った人のほとんど(50%以上)が大学や国立研究所に就職することのできた能天気な時代の人ですし、若い人ならば順調に勝ち抜いてきた人ですので、「悲惨な博士の将来」について語る人はごくごく稀ということになるでしょう。

 「脇目もふらずに研究にがんばっていたら、絶対に夢はかなう」というのは、彼らの実体験による確信なのかもしれませんが、それが今の時代の学生にも適用されるというふうに思っているとしたら、現在の研究環境について無知すぎますし、知っていてそう言っているのなら詐欺的行為と言わざるを得ません。

 それまでは国立大学で博士の学位を取得した多くの人がなんとかなっていたという状況から、まわりの環境を大きく変えることなく博士を増やしたのですから、その時点で大学院博士課程の変質のアナウンスと、学生のキャリアパス教育を並行して行わなければならなかったのですが、なぜかどちらもポスドク問題が明瞭化してくる最近になるまで放置されてきました。というか、そのことの必要性に気が付いていた人がほとんどいなかったというべきかもしれません。

 というわけで、これから博士課程に進学する人に対して「自己責任なのだから注意しなさいね」と言うのは正しいことかもしれないと思いますが、すでに博士をとってしまった人やポスドクの人に向かって「好きで進学したのだろうから、文句をいうな」という議論は必ずしも適切ではないことも多いことがわかると思います。

 蛇足ながら、もうひとつ付け加えるとこの「自己責任論」の裏側に「The winner takes all」を肯定する意識もあると思われるのですが、たとえWinnerになったとしても自分を支えてくれるたくさんの人がいたということを考えるとWinnerこそが社会のセーフティネットを作る義務を持ったエリートになってもらいたいと思います。

 自己責任論 も Winner takes all 論も、片手落ちな議論に思えます。
Commented by ポスドク問題? at 2007-08-12 16:21 x
ご趣旨ごもっともですが、いくつか修正点を提案いたします。

1 夢だけで知らないで入ってきた、というのは、さすがに今日では、事実とすこし異なると思います。「伯楽ロックヴィル」氏の著書はバイオ系学部生にもよく知られていますし。
2 ネット等を満たす雑駁な自己責任論によるポスドクたたき、院生たたきですが、これはいうまでもなく、「責任者の自己弁護」でも「勝ち組の傲慢」でもなく、苦しみに喘ぐ中での安易な解放、単なるフラストレーションの表現です。
3 「政府の責任」と繰り返し表現されてますが、我々と別などこか場所に、「御上」がいて、それは無限のリソースをもっているが無知ないし邪悪である。、それに対して十分圧力かけるなり、説得するなりして、ポスドクのジョブを作らせれてしまえばいい。と、こういう立場では無い、ということを明確にしないと、実現性もゼロですし、道徳的にも疑わしいですよね。
Commented by ポスドク問題? at 2007-08-12 16:27 x
ポスドク問題自体は、時間とともにバランスして、落ち着くとこに落ち着くはずですが、今後10年20年にわたって問題になるのは、研究諸分野のバイタリティと、研究者のジョブセキュリティのバランスをどう取るか、という日本の研究界のミクロ制度設計そのものでしょう。私個人的には、
4 若い人は更新可能な任期制、中堅以降はテニュア制度(再任可能任期制含む)、人件費と研究費のかなり非一様な配分、国家的な研究評価機構の大拡充ーー要するに米国のようなシステムへいくのかな、という予想です。
6 また教授職が各大学のローカルな認定にまかされ、ポスドクが学審のように中央で選抜、というのは、科学研究に合目的的でしょうか。クオリティコントロールからいっても、効率からいっても、逆の気がします。大陸欧州のように「教授資格」は中央で審査する国家資格に。(一色になるのを防ぐため、審査委員を分野ごと3−4セット用意する!)学振ポスドクは廃止、競争資金はあまり大きなもの、小さなものは排して、雇用費を含む規模、年限にそろえる。この点は錬金術師先生が繰り返し強調されてましたよね。
Commented by A at 2007-08-12 21:06 x
博士号は誰に取って価値があるか? ポスドクや大学院生に取ってはないでしょう。あるならポストポスドク問題はないはずです。企業から見てもないですね。優先して修士か学士を採用しています。政府はどうでしょう。基礎研究のただ乗りとアメリカに叩かれ、研究費、補助金などを増やし基礎科学の裾野を広げました。大学院はどうでしょう。学生数が増え、研究業績が上がりました。同時に授業料収入も増えました。
 つまり、一番得したのは紙切れ(修了証書)を高値で売った大学院です。これがポストポスドク問題から浮き彫りになったというのが現状でしょう。これに対する答えが「博士に価値がないのは昔から」。これはひどい詐欺でしょう。政策主導だったから悪いのは政府だという意見も、公務員気質が抜けてないんじゃないですか? 博士号は大学院の唯一の売り物です。いま、ビジネスモデルが崩壊しているのは他でもない大学院です。真摯に向き合わなければならないでしょう。
 むろん、紙切れを掴まされたポスドク達は、自らの手でこの事後処理に向き合う必要があります。
Commented by またこの人ですか at 2007-08-12 22:06 x
博士はしかるべき企業のしかるべき部局では現に活躍してるし、その需要は現在も増えてるよ。問題は単に、現在調整期で、需要を遥かに超えた供給がある、というだけ。経済学の初歩を勉強してから、出直して。
Commented by A at 2007-08-13 05:03 x
需要と供給はバランスするのが経済学の初歩と言う解釈でよろしいでしょうか? 良い方に考えると、次第に世の中の認識が変わり、博士を雇用する企業も増えるので、いつか職を得ることができると。本当ならポスドクたちには朗報でしょう。「いつか」が来るまで彼らを支援してあげてください。逆の場合は恐ろしいですね。需要を増やさなくても、供給が減ってもバランスするわけで、ポスドクたちを就職氷河期の無職、フリーターと同様、無かったことにしても均衡に至るわけです。
 私が言いたいのは、大学院の拡充自体は危機ではなく、研究業界が変わるチャンスであるということです。かつてここまで多くの投資がなされた(なされている)時代はないはずです。ここで科学研究の裾野を大学の外にも広げるか、それともこれ以上はキャパシティがないので勘弁してくださいと縮小に向かうのか、分岐点だと思います。
 博士号に社会的価値を付加できるかは、この行く末を変えるポイントだと思います。私は博士号には価値が足りないと思うので、価値を高める教育や活動をするのが大学院の取る道と思います。相当額の税金の支援を受けて「次は社会が変われ」と言うのは傲慢が過ぎませんか。
Commented by 橋本昌隆 at 2007-08-13 08:56 x
いつも楽しく読ませていただいております。
今までたくさんのポスドク、研究者、政策担当者、企業の役員、研究開発者にお会いしてきての私の見方ですがちょいとまとめてみました。
 現在の日本社会は、指導者層、団塊の世代が自分たちの利益を守るために、ポスドク、派遣社員などの非正規雇用を増やした事による「ゆがみ」があちこちで顕在化している。若い世代を搾取し、借金を背負わせ、年金を負担させ、膨大な利益を獲得し、逃げ切ろうとしている。
 彼らは昭和一桁世代が成し遂げた戦後復興、高度経済成長の上に、年功序列というエスカレーターに、自動的に乗ることが出来た幸運な世代である。(他の世代に比較してという意味合いである。)学生運動であたかも自分たちの意思で闘ったような振りをしながら、「髪を切って」体制側に転向した一貫性のなさ、しかもバブルの絶頂期に、最もこの世の春を謳歌した世代でもあり、その後の失われた15年で国債を大量発行し、日本の財政を破綻させ、若者に負債を背負わせ、退職金までも借金で若者に払わせようとしている事を忘れてはいけない。
またいつか、お会いして議論させていただきたいです。BLOGの議論は苦手なもんで(笑)
Commented by 海外PD at 2007-08-15 01:12 x
いつも拝見しております。

いくつかの掲示板等で、いわゆる「自己責任論者」と喧嘩直前の議論を
しましたが、stochinaiさんの認識とは多少違うところがあるように感じました。論者の中には自称ではありますがパーマネントアカポスという人もいましたが…

>私は、100人に1人もいるかどうかあやしいと思っています。

彼らによると、それこそが甘えであり、
まともな社会人は学部の頃から考えているとのことです。
私の実体験(一応助手としての指導経験があります)学部もしくは修士で就職した学生がそうとはとても見えませんでしたが、
企業ではキャリア形成を企業が考えてくれるが、博士に進めば
自分でやらなければならない、構造不況業種に分かってて進んだのなら
それくらいは当たり前、とのことでした。

>多くの大学生が「研究で飯を食ってみたい」と思うのは当然だという気がします

未成年ではなく、立派な大人なのだから、そのような指導者の甘言を見破れない方が悪いとのことのようです。
>「脇目もふらずに研究にがんばっていたら、絶対に夢はかなう」
残念ながら偉い方々には少なからずこういう方がいらっしゃる印象を持っています。
Commented by alchemist at 2007-08-16 16:50 x
>博士を取った人のほとんど(50%以上)が大学や国立研究所に就職することのできた能天気な時代
オ−バ−ドクタ−時代にオーバードクターを無制限に垂れ流していた大学で大学院にいた人間としては、そんな脳天気な時代だったという実感は全くありません。
1970年代後半、大学に『所属』しているオーバードクターが1000人を越えた時、700人が理学博士、そのうち500人程度が物理専攻、そのうち300人余りが理論だったと記憶しています。300人の理論物理屋さんが大学や研究所に売れたとは想像することもできません。
問題は、そういう大学にとっての苦い経験が全く生かされてずに、大学院重点化で大学院生の定員が増え、しかも定員管理が厳しくされたことにあります。オーバードクターが何人も居るのが当たり前みたいな異常な大学は私の居た所だけで、普通の大学は牧歌的だったのかも知れませんが。
Commented by stochinai at 2007-08-16 17:06
 そうでした。訂正しなければなりません。我々の大学の動物系という、極めて限られたところで見聞きしたことです。オーバードクターと呼ばれる方もいらっしゃいましたが、動物全体で1人か2人という感じではなかったかと記憶しています。いずれにしても、牧歌的なところではありました。そして今博物館で紹介されている、日本のファーブルの1人である坂上昭一先生もそこにいらっしゃいましたので、牧歌的といいながらも同じ場所で世界一流の研究も進行していたのです。
 理学部の動物系は、医学部の解剖学教室の助手という「奥の手」があり、かなりの数が全国の医学部解剖へ就職していました。
by stochinai | 2007-08-12 15:12 | 科学一般 | Comments(9)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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