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アメリカでの動き: 研究費にはポスドクのキャリア教育を含めること

 本日付けのScience、News of the Weekに、アメリカのNSF,NIHという2大研究費配分機関が配分する研究費の中で行われる活動に、研究だけではなくポスドクや大学院生の教育を入れるように指導しているという記事があります。
Science 24 August 2007:
Vol. 317. no. 5841, p. 1016
DOI: 10.1126/science.317.5841.1016b

POSTDOCTORAL TRAINING:
NSF, NIH Emphasize the Importance of Mentoring
Yudhijit Bhattacharjee
 アメリカでもポスドクは自分の研究アイディアを犠牲にして安い給料のために見習い修行を続けている存在であるとみなされている背景があるようです。

 しかし、この度成立したCOMPETES法(Congress Passes Massive Measure to Support Research, Education)というものによって、NSF(National Science Foundation)に申請する研究費には、ポスドクや院生の教育プランを盛り込むことが義務づけられました。またNIH(National Institutes of Health)でも同様のルールが発表されました。これについて全国的なポスドク組織であるNPA(National Postdoctoral Association)の代表であるAlyson Reedが、要するに「大学はポスドクを労働者のように扱ってはいけないということだ」と言っています。

 NSFに研究費を申請する書類には、次の教育をどのように行うのかということが提案されていなければならないとされています。"career counseling, training in preparing grant applications, guidance on ways to improve teaching skills, and training in research ethics." つまり、キャリアに関するカウンセリング、研究費申請書の書き方、教育スキルの指導法、研究者倫理のトレーニングなどをNSFの研究費を使っておこなう研究活動の一部とせよ、ということです。今までも、このようなことをやっていた研究者はいたのでしょうが、これからはそれがPIのシリアスな義務になるということだとNSFオフィスのアドバイザーは語っています。

 一方、NIHでは、こうした教育をグラント関連の活動として研究時間算出に含めて良いといっており、それによりポスドクが研究費を使って(キャリア関連の?)ワークショップやセミナーに出ることも可能になるとのことです。

 しかし、NPAはこれに満足しているというわけではなく、あるメンバーは「もしポスドクが自分で新しい研究費を申請しようとしても、その研究の予備実験をするための研究費はここから出すことはできないという不備がある」と指摘しているとのこと。

 アメリカでもポスドク問題はいろいろあるのでしょうが、あくまでもポスドクは将来、独立した研究者になる過程にある存在として扱われているところが、日本のポスドク問題との大きな違いだと感じさせられます。

 私のつたない翻訳的紹介ではなく、是非原文をお読み下さい。
Commented at 2007-08-25 01:24
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2007-08-25 01:32
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by A at 2007-08-25 11:13 x
人(科学者)を育てることは研究業績を上げることと同じかそれ以上の価値があり、評価の対象になる。この考え方は遠回りのようでいて、一番その国や研究所の科学力を底上げすることに直結すると思います。これは日本とアメリカの大きな違いであり、優れている点だと思います。どこの馬の骨とも分からないポスドクが、突然すばらしい発見をして瞬く間に教授になり、ノーベル賞まで受賞してしまう、これがアメリカの強さでしょう。
 日本では一番独創的な研究が生み出される可能性が高い30代(ポスドク時代)を著名な研究リーダーの元でのお手伝い(リーダーの業績の水増し)に費やしているというのが実状でしょうか。こう言った、リーダーを手伝って原著論文の筆頭著者にしてもらい、その「業績」を評価するという日本のシステムは病んでいます。まずどれだけの人物を育てたのかを中堅以上のリーダーの業績とし、若手はいかに新しいものにチャレンジし、それを生み出したかを評価するべきでしょう。
Commented by でも at 2007-08-25 11:50 x
そういう仕組みを決めるのはおエライ先生がたなので、日本は変わりようがないのです。
Commented by A at 2007-08-25 12:51 x
既に管理職となり、もう自分では研究をしなくなった人間にとっては、若手が新しいものを生み出して躍進し、自分を超えていってしまうのは面白くないし、下手に自分の地位が脅かされるような可能性は摘み取っておくのが保身術なのでしょう。
 しかし、科学を押し進める原動力であるはずの若手を囲い込んで、自分の手先として使い潰してしまうのは、日本の将来的には全く望みがない先細りですね。
 せっかく博士になった人間に、就職口がなかったり、社会的価値が全く見いだせないというのも、人を育てるという価値観がないところが少なからず反映されていると思います。むろん逆境でも成長してやるという本人の積極性も重要ですが。
Commented by nq at 2007-08-25 15:05 x
日本の大学院は、ドイツを手本として研究を行ないながら人を育てていく一種の徒弟制度として作られてきました。数値的な業績を重視する「成果主義」は、むしろ米国を模倣して近年に導入されたものです。これは大学のエライ先生方多数の方針ではなく、通産省、財界などが進めてきた「改革」の一環して実施されているものです。カネや人がほしい研究者や大学がそれに踊らされているというのが実態でしょう。
 人を育てる、という概念も、すぐにカネを稼げる人材を求める産業界と、長期的に学術文化文明に寄与する人材の育成をめざすべき大学とで異なるのも、また当然です。
 米国では成果主義の弊害を知り尽くして次の段階に進もうとしていると見るべきと思います。短絡的な「日本はダメ、米国エライ」という反応は、皮肉にも20年前に成果主義を導入したときの態度と酷似しているように感じられます。
Commented by A at 2007-08-26 02:19 x
一言で「業績主義」と言ってしまうと本質が見えにくくなってしまいます。この「業績」が、ポスドクが新しいものを生み出した業績なのか、それとも、リーダーの研究に乗っかって量産されたものなのかには天と地の開きがあると言うことです。別にアメリカを礼賛するつもりはありませんが、新しい「知」を生み出すという点においては、アメリカ1流、日本2流というのは反論できないところでしょう。今の日本の業績主義で台頭しているのは、新発見に追従する2番煎じタイプの人です。日本は、枠組みの整った中での議論は強いかも知れませんが、その枠を作り出す研究や議論が弱いと思います。そして、これこそが社会で求められている博士の素質だと思います。
  徒弟制度についてはなんとも言えません。ただ、教授の跡を継いで同じ延長上の研究をすることに大きな意味はないと感じます。若い人は自分のオリジナルの基盤を作ることが大事だと思いますし、それを育てるのがテニュアの職である教授の義務であると思います。
Commented by nq (1/3) at 2007-08-26 11:24 x
『新しい「知」を生み出すという点においては、アメリカ一流、日本二流』という主張は粗すぎて論評しにくいですが、ノーベル賞受賞者、論文あるいは特許の数を指標とするのでしたら、基盤となる研究資金や研究者の数が大きな要素を占めており、大学院の教育体制の影響がどれだけのものかそこから判断するのは無理と思います。私はバイオ方面はまったく無知なので、分野によっては明白なのかも知れませんが。
Commented by nq (2/3) at 2007-08-26 11:25 x
 「枠」を作り出す人材の育成が求められているという点には全面的に賛成ですが、残念ながら今の日本の産業界が多くの場合に求めている人材は、現状に設定されている枠に直ちに順応して高い生産性を示す人です。問題の根源は既存の枠を超える創造性ある人物を生かして、その創造性に見合う報酬を与えることのない日本の社会にあるのではないかと思います。(その結果、本当に大学院に行くべき洞察力のある人材は大学院に進まず、むしろ見極めのできない人の方が大学院に進学し、...悪循環の結果現状に至っているという可能性もあります)
Commented by nq (3/3) at 2007-08-26 11:33 x
 順応型人間だけを採用する会社が国際経済の中で淘汰されていけば、20年ぐらいで日本の社会のあり方も変わるかも知れません。社会が変わるのを待てないけれど自分に自信がある現在のポスドクや博士課程院生は、積極的に国外に職を求めるべきでしょう。自信がない人は今の社会にあわせるしかありません。これが日本の国益になるかという点で、国策レベルの政策判断はあるかも知れませんが、大学院拡充以来の上からの大学制度改革の結果を見ると期待は禁物でしょう。
また、徒弟制度とは師匠のコピーをつくることではありません。大学院に進む人はよく教員の方針を見極めて研究室を選ぶべきでしょう。
Commented by A at 2007-08-26 13:36 x
>nqさん1

少なくとも生物の業界では、ノーベル賞クラスの研究が産まれる可能性はアメリカに比べたらかなり低いと思います。それはこれまでの履歴が如実にそれを示しています。これと大学院の教育(ポスドクの育成も含む)の関連については前に述べた通り、リーダーの仕事を手伝うのが出世の早道となってしまっているというのが現状です。仮に新しい概念が産まれても、その成果はリーダーのものになるというのが慣例なので、学生やポスドクが新しいことにチャレンジするメリットはほとんどありません。
Commented by A at 2007-08-26 13:38 x
>nqさん2

それから、会社が順応型人間を欲しがるのはある意味当然かとも思います。なぜなら会社というのは物事を処理することで利益を得るためのシステムであるとも言えるからです。思うに、リーダーの仕事を上手に手伝える人間は、そういった能力を欲しがる企業にこそ売り込めば良いと思います。

一方で、会社が拡大していくときなどには、新たな知や枠組みを作れる人間が必要になると思います。どちらかというとそういう余裕のある大企業の方に活躍の場があると思います。自信がある博士の方は、どんどん自分を売り込んでいけば良いと思います。

また、この「枠組み」を作って価値を生み出せる能力を、既存の企業に使ってもらうと言うのが社会的に難しいのであれば、やはりアメリカのように院生やポスドクが起業するというのが、その能力の使いどころなのだと思います。実際アメリカの大企業は実は学生が起業したものだったというのはままあることです。
Commented by A at 2007-08-26 13:39 x
>nqさん3

徒弟制度で思ったのは、旧態の助手のようなものを各教官に1人くらいはつけても良いのではないかと言うことです。業績稼ぎとは離れたところで、きっちりと時間をかけて研究のやり方を叩き込むというのは良い方法かも知れません。そもそも、大学などの研究機関でリーダー(教員)になるべき人間と言うのは、論文を量産するよりも、新しい知を生み出す方法を次の世代に伝え、育むことのできる人材だと思います。またアメリカ礼賛と言われそうですが、ノーベル賞学者の弟子がまたノーベル賞を獲るというのはアメリカでは珍しいことではありません。
 ともあれ、本当に教育機関に取って重要なのは、nqさんも言う通り、新しく概念を生み出し、社会を変えていけるだけの(研究)能力を身につけさせることだと思います。これこそが博士の価値でしょう。単純に知識があると言う程度の人間は、今の情報が簡単に手に入る時代ではほとんど無価値に近いです。
by stochinai | 2007-08-24 15:19 | 科学一般 | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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