2007年 08月 31日
のんきな大学人
さなえさんに、また(^^;)大学が的確なお叱りをいただきました。
まずポスドク問題の議論の中で、お金に関して「予算が増えれば解決する問題が多いのだから、金の議論も燃えさかるべきなのに、なんとなく迂回している」とおっしゃられていますが、このことの理由は二つあると思っています。
一つはおっしゃるとおり、大学人が「億がつくような研究費が手にはいるというのに、どぶに捨てても良い、武士は食わねど高楊枝だ風によそ事のように放置するのは、金銭教育が出来ていないからだろう」ということがあります。そもそも、国立大学ではお金は「定期的にいただく基盤運営費」か「申請して交付していただく競争的研究費」しか手に入らない構造になっておりまして、自ら稼いだり巨額の寄付を集めたりすると基盤運営費が削減されたりするという極めて理不尽な運用体制がとられてきたこともあり、「自分でお金を稼ぐことなどは考えないように」というのが「お上」の意図であるという現実があります。
そういう体制が戦前・戦後と100年以上も続いてきたので、大学の人がお金に対してのんきに見えてしまう風潮ができあがってしまって、今日に至っているのだと思います。
そんな中で、ポスドク問題も実はお金の問題であるにもかかわらず、お金の話が前面に出ることなく政治や自己責任の話ばかりが議論されているので、さなえさんとしては何とも歯がゆいということなのだと思います。
理由の二つ目は、大学や研究をめぐる場にいる人の多く、特に研究者と言われる人の多くは、おっしゃるとおりまったく「金銭教育が出来ていない」ということあります。ですから、そういう人がいきなりベンチャーとかやっても成功しないのが当然、と私には思われます。
そういう現実があるにもかかわらず、大学では基本的に定常的事務作業以外のほとんどすべての運営をそういう金銭感覚の欠如した我々研究者にさせているのです。これでは、どう考えても的確な法人運営ができるはずがないと思いませんか。
卑近な例で言えば、つい先日も大学においてどのような行政文書を誰がどのように保存すべきかということを決めることを、私が求められました。そもそも行政官という認識すらない私たちが、法律に基づいて大学の中にあるどれが行政文書に当たるのかを見分けて、どのようなな文書をどのように保存すべきかなどということの判断など、到底できるはずがないと思われるのに、そういうことを要求するのが大学というところです。仕方がないので、私は過去の記録を参照しながらそれを踏襲するようなものを作り上げましたが、それが法的に適切なものであるかどうかという点に関して、もちろん自信はありません。
これは、最近身近に起こったほんの一例にすぎません。同じように人事から予算・決算まで、すべての運用の責任が研究者に任されているのが今の大学なのです。もちろん、法人化されてから、運営主体として理事からなる役員会や運営協議会などもできましたが、もっとも末端における実務は今までどおりすべて研究者によって運用されていることは変わりがありません。
そこで、本当に大学を変えようとするならば、大学の運営を実際に担う実行部隊を作らなければならないと思います。それによって、研究者(教育者)を不得手で不毛な大学運営から解放して、研究・教育に専念させることができるようになることと、金銭感覚を持った法人運営を行えるようになると思います。
そのための前提となる、二つの大きな条件があります。まず政府・文科省が個々の大学が自ら稼いだり巨額の寄付を受け入れたとしても運営交付金を削減したりという、懲罰的な資金管理をやめることと、大学の教員の1割くらいを削減して運営のプロを雇い入れるということです。
前者に対しては文科省が抵抗しそうですし、後者に対しては大学側から猛烈な抵抗が予想されます。
しかし、ここを乗り越えずに大学が独り立ちすることは決してできないと感じています。大学も親(文科省)離れ、文科省も子(大学)離れしなければならないところにきているというのが私の判断なのですが、さてどのくらいの方に共感していただけるものでしょうか。
まずポスドク問題の議論の中で、お金に関して「予算が増えれば解決する問題が多いのだから、金の議論も燃えさかるべきなのに、なんとなく迂回している」とおっしゃられていますが、このことの理由は二つあると思っています。
一つはおっしゃるとおり、大学人が「億がつくような研究費が手にはいるというのに、どぶに捨てても良い、武士は食わねど高楊枝だ風によそ事のように放置するのは、金銭教育が出来ていないからだろう」ということがあります。そもそも、国立大学ではお金は「定期的にいただく基盤運営費」か「申請して交付していただく競争的研究費」しか手に入らない構造になっておりまして、自ら稼いだり巨額の寄付を集めたりすると基盤運営費が削減されたりするという極めて理不尽な運用体制がとられてきたこともあり、「自分でお金を稼ぐことなどは考えないように」というのが「お上」の意図であるという現実があります。
そういう体制が戦前・戦後と100年以上も続いてきたので、大学の人がお金に対してのんきに見えてしまう風潮ができあがってしまって、今日に至っているのだと思います。
そんな中で、ポスドク問題も実はお金の問題であるにもかかわらず、お金の話が前面に出ることなく政治や自己責任の話ばかりが議論されているので、さなえさんとしては何とも歯がゆいということなのだと思います。
理由の二つ目は、大学や研究をめぐる場にいる人の多く、特に研究者と言われる人の多くは、おっしゃるとおりまったく「金銭教育が出来ていない」ということあります。ですから、そういう人がいきなりベンチャーとかやっても成功しないのが当然、と私には思われます。
そういう現実があるにもかかわらず、大学では基本的に定常的事務作業以外のほとんどすべての運営をそういう金銭感覚の欠如した我々研究者にさせているのです。これでは、どう考えても的確な法人運営ができるはずがないと思いませんか。
卑近な例で言えば、つい先日も大学においてどのような行政文書を誰がどのように保存すべきかということを決めることを、私が求められました。そもそも行政官という認識すらない私たちが、法律に基づいて大学の中にあるどれが行政文書に当たるのかを見分けて、どのようなな文書をどのように保存すべきかなどということの判断など、到底できるはずがないと思われるのに、そういうことを要求するのが大学というところです。仕方がないので、私は過去の記録を参照しながらそれを踏襲するようなものを作り上げましたが、それが法的に適切なものであるかどうかという点に関して、もちろん自信はありません。
これは、最近身近に起こったほんの一例にすぎません。同じように人事から予算・決算まで、すべての運用の責任が研究者に任されているのが今の大学なのです。もちろん、法人化されてから、運営主体として理事からなる役員会や運営協議会などもできましたが、もっとも末端における実務は今までどおりすべて研究者によって運用されていることは変わりがありません。
そこで、本当に大学を変えようとするならば、大学の運営を実際に担う実行部隊を作らなければならないと思います。それによって、研究者(教育者)を不得手で不毛な大学運営から解放して、研究・教育に専念させることができるようになることと、金銭感覚を持った法人運営を行えるようになると思います。
そのための前提となる、二つの大きな条件があります。まず政府・文科省が個々の大学が自ら稼いだり巨額の寄付を受け入れたとしても運営交付金を削減したりという、懲罰的な資金管理をやめることと、大学の教員の1割くらいを削減して運営のプロを雇い入れるということです。
前者に対しては文科省が抵抗しそうですし、後者に対しては大学側から猛烈な抵抗が予想されます。
しかし、ここを乗り越えずに大学が独り立ちすることは決してできないと感じています。大学も親(文科省)離れ、文科省も子(大学)離れしなければならないところにきているというのが私の判断なのですが、さてどのくらいの方に共感していただけるものでしょうか。
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FewMoreMonths at 2007-09-01 17:36
先生の文章の一部「政府・文科省が個々の大学が自ら稼いだり巨額の寄付を受け入れたとしても運営交付金を削減したりという、懲罰的な資金管理をやめることと」を引用させて頂きました。
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stochinai at 2007-09-01 18:10
批判的に引用していただき、ありがとうございました。
私の頭にあったのは、何年か前に京都大学に何億円かの寄付があって図書館を建てるという話が、寄付を受け入れた場合にはそれに相当する文科省から配当される交付金(図書館建設費?)を削減するということから流産したことです。
お金を稼いだために運営交付金が減らされたという事実は、確かに私も聞いたことがありませんので不正確な表現になってしまいました。その点は反省しておりますが、もしも本当にいくらかせいでもそれがすべて大学の収入になるのだとしたら、稼ぎに走らない現在の大学当局の姿勢が不可思議に思えてなりません。
私の頭にあったのは、何年か前に京都大学に何億円かの寄付があって図書館を建てるという話が、寄付を受け入れた場合にはそれに相当する文科省から配当される交付金(図書館建設費?)を削減するということから流産したことです。
お金を稼いだために運営交付金が減らされたという事実は、確かに私も聞いたことがありませんので不正確な表現になってしまいました。その点は反省しておりますが、もしも本当にいくらかせいでもそれがすべて大学の収入になるのだとしたら、稼ぎに走らない現在の大学当局の姿勢が不可思議に思えてなりません。
どうも、お叱りだ等と、そんな恐ろしい(^^;) といいつつ、「稼ぎに走らない現在の大学当局の姿勢が不可思議に思えてなりません。」 でしょ?不思議ですよね。ですから、お金を大事にすることは恥ずべきことではなく、基本なのに、なんとなく迂回して正当に評価しないところが問題かなと。ブログで書いたように特許が大学の大きな戦略であることは間違いないと思えるのに、しかも大学がライセンサーであるにも拘わらず、自分に不利なものを自分から作ってだすということがどうにも理解できません。それも何校も。こういう不思議なことが山ほどあるはずですから、慣習だからと流さないで、目配りして、おかしな所を一つ一つつぶしていけば大分状況が変わっていくのではないかという気がします。何せ、金は力であり、圧力ですし、金がなければ、余計な干渉から知の独立を守ることもできないのでは?
「運営を実際に担う実行部隊」がいないのですか?それも驚きです。世界戦略を考えに入れるべきですし、事務局の拡充が急務かも知れませんね。
「運営を実際に担う実行部隊」がいないのですか?それも驚きです。世界戦略を考えに入れるべきですし、事務局の拡充が急務かも知れませんね。
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先立つものがない
at 2007-09-02 15:15
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お金を稼ぐにはお金が必要です。資本主義の基本ですよね。特許を維持するにもお金がいるし、それをお金に換えるにもお金がいる。そういうことをやる人を雇うにもお金がいる。億もの研究費も、使い方には厳密な決まりがあって、下手を打つと犯罪。つまり今の大学の財政では金儲けにすら走れないということです。うさんくさい脳グッズとか還元水みたいに元手のかからない商売ならできますけどそれでいいですか?
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apj
at 2007-09-03 14:40
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事務局というか……地方大学でも「数百人規模の事業所」のはずが、まともな法務部が無いんで、その方面でも立ちゆかなさそうな。
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alchemist
at 2007-09-03 17:43
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>特許が大学の大きな戦略
大学の必要経費のどのくらいが特許収入で得られるのでしょう?というか、特許収入が運営費の1/5を越える大学が世界にどのくらい存在するのでしょう?
特許あるいは発見で儲けることを目的にしている日本の企業の研究所全体で年度別に収支を見れば発明は儲からないということになってませんか?
十数年前、日本のR&Dの金額が米国の半分だか1/4だかになった頃、日本のR&Dは3/4以上が企業で使われる研究費なのに米国は1/2だか3/4だかが大学の研究費だったのではなかったでしょうか?つまり、十何年間日本の企業の研究所は米国並みの予算を使って儲けを目指して来たということになります。儲ける研究のプロが専業でしかも『使える』人間ばかり集めて潤沢な予算で日夜頑張って特許や発明で儲けたお金で、どのくらいの規模の大学の運営が賄えるのでしょう?そのあたり、判ればお教え下さい。
大学の必要経費のどのくらいが特許収入で得られるのでしょう?というか、特許収入が運営費の1/5を越える大学が世界にどのくらい存在するのでしょう?
特許あるいは発見で儲けることを目的にしている日本の企業の研究所全体で年度別に収支を見れば発明は儲からないということになってませんか?
十数年前、日本のR&Dの金額が米国の半分だか1/4だかになった頃、日本のR&Dは3/4以上が企業で使われる研究費なのに米国は1/2だか3/4だかが大学の研究費だったのではなかったでしょうか?つまり、十何年間日本の企業の研究所は米国並みの予算を使って儲けを目指して来たということになります。儲ける研究のプロが専業でしかも『使える』人間ばかり集めて潤沢な予算で日夜頑張って特許や発明で儲けたお金で、どのくらいの規模の大学の運営が賄えるのでしょう?そのあたり、判ればお教え下さい。
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白紙
at 2007-09-03 22:54
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言うまでもなく、大学は基本的に、社会がお金を投入して、人材と研究成果を社会に還元する機関です。一括して税金を投入して、中身は一任というのが大陸欧州型というか従来型のモデルでしたが、ここ20年くらいで英米型というか、公金投入を「市場原理」を利用して効率化する方向へ動いてきました。競争資金というのもその一環ですし、特許収入の強調もその一環です。特許収入で大学の経営を支えようとか言う話ではもちろんなく、特許をとれるような発明を推奨して、たとえば給料に反映されるとかいう「インセンティブ」です。
大学の事を知っている人には分かりきった話ですが、どうも根本的な理解の齟齬があるような気もしたので、Alchemist先生の発言の明示的でぶしつけな解説として。。。
大学の事を知っている人には分かりきった話ですが、どうも根本的な理解の齟齬があるような気もしたので、Alchemist先生の発言の明示的でぶしつけな解説として。。。
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白紙
at 2007-09-03 23:00
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大学にいて何か発明して、巨大利益の上がる特許が出そうなら、その時点でその人は、「ベンチャー起業」をおこなって大学の外で独り立ちすべきでしょう。そしてその巨大利益が実現した暁には、その極小部を大学に還元し「寄付講座」をつくるとか。大学はお金を生み出すような起業家のインキュベーター孵化器である、というのが、英米流の大学観の一面だと思います。
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totoro
at 2007-09-03 23:35
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> 大学はお金を生み出すような起業家のインキュベーター孵化器であ
> る、というのが、英米流の大学観の一面だと思います。
これは少し違うと思いますよ。アメリカでさえ、特許収入で、潤っている大学の方が少なく、大部分が赤字です。上手く行っているのはスタンフォードなど少数です。特許で儲けるよりも、何か発明が出たときに、形にする道筋を持つことを重視している様です。
また、アメリカは学歴重視の社会で、大学で学んだことを原点と見なす人も多いのです。授業内容は、学部は、日本の旧帝大と似たり寄ったりです(大学院は随分違います)。大学の勉強は役に立たないという、バカな論法が罷り通っている日本とは大違いです。実際には、日本の専門職の人は大学での知識を基礎にしているのに、変な話です.
民間資金の導入も、寄付の文化がない日本では難しい気がします。例えば、インドネシアの大津波のとき、米国では国家予算からの援助金と,ほぼ同額の寄付金が集まりました。日本では国の援助金の1/10ぐらいしか寄付は集まりませんでした。
日本は、米国よりヨーロッパをモデルにした方が、国情にあっている気がします。
> る、というのが、英米流の大学観の一面だと思います。
これは少し違うと思いますよ。アメリカでさえ、特許収入で、潤っている大学の方が少なく、大部分が赤字です。上手く行っているのはスタンフォードなど少数です。特許で儲けるよりも、何か発明が出たときに、形にする道筋を持つことを重視している様です。
また、アメリカは学歴重視の社会で、大学で学んだことを原点と見なす人も多いのです。授業内容は、学部は、日本の旧帝大と似たり寄ったりです(大学院は随分違います)。大学の勉強は役に立たないという、バカな論法が罷り通っている日本とは大違いです。実際には、日本の専門職の人は大学での知識を基礎にしているのに、変な話です.
民間資金の導入も、寄付の文化がない日本では難しい気がします。例えば、インドネシアの大津波のとき、米国では国家予算からの援助金と,ほぼ同額の寄付金が集まりました。日本では国の援助金の1/10ぐらいしか寄付は集まりませんでした。
日本は、米国よりヨーロッパをモデルにした方が、国情にあっている気がします。
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白紙
at 2007-09-04 01:39
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いえいえ、将におっしゃるような意味で書きました。
「大学は、それ自体お金を生み出す機関ではなく、お金を生み出すような起業家のインキュベーターである」
ご指摘の通り、米国の大学も、直接の税金ではないですが、「その分免税になる寄付」という公的資金で成り立っています。大学の授業自体も工学部やビジネス学部でさえ、ご指摘のように、非常にアカデミックですよね。ただ大学院の学生が実利的というかプラグマティックで、日本のように現実を無視して、異常にアカデミア指向ということはないです。私見では、これは単に、日本の大学院の大拡張がまだ最近の事で、教員も学生も、思考の転換が出来てないだけでしょう。
国情から言って日本では、英米流「市場メカニズム指向」の適用に限界があり、大陸欧州モデルも残した独特ににならざるを得ない、というのもおっしゃる通りで、これも大学に限らず、産業界の構造や、「民主主義と官僚制」の独特の配置まで含めて、「日本型」のものにならざるを得ないでしょう。
「大学は、それ自体お金を生み出す機関ではなく、お金を生み出すような起業家のインキュベーターである」
ご指摘の通り、米国の大学も、直接の税金ではないですが、「その分免税になる寄付」という公的資金で成り立っています。大学の授業自体も工学部やビジネス学部でさえ、ご指摘のように、非常にアカデミックですよね。ただ大学院の学生が実利的というかプラグマティックで、日本のように現実を無視して、異常にアカデミア指向ということはないです。私見では、これは単に、日本の大学院の大拡張がまだ最近の事で、教員も学生も、思考の転換が出来てないだけでしょう。
国情から言って日本では、英米流「市場メカニズム指向」の適用に限界があり、大陸欧州モデルも残した独特ににならざるを得ない、というのもおっしゃる通りで、これも大学に限らず、産業界の構造や、「民主主義と官僚制」の独特の配置まで含めて、「日本型」のものにならざるを得ないでしょう。
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白紙
at 2007-09-04 01:46
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翻って、そもそも日本の大学、特に大学院は、数字を見る限り、未曾有の繁栄期を迎えている訳で、この点は見落としては行けない事です。
そしていくつかの恵まれた機関では、実際十分なお金と、有り余る才能が惜しげも無く集中(これは昔からですが)されて、科学技術の各分野で、さらに伸張著しいのだと思います。
「院生ポスドクを犠牲にした上の繁栄」といわれれば、そうかも知れませんが、突き放して言えば、繁栄なんて大抵そんなものです。
そしていくつかの恵まれた機関では、実際十分なお金と、有り余る才能が惜しげも無く集中(これは昔からですが)されて、科学技術の各分野で、さらに伸張著しいのだと思います。
「院生ポスドクを犠牲にした上の繁栄」といわれれば、そうかも知れませんが、突き放して言えば、繁栄なんて大抵そんなものです。
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赤紙
at 2007-09-04 09:23
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結局数字をどう見るかですが、大学院が論文生産工場であるならともかく、教育機関としては繁栄どころではないから問題になっているんですね。工員である院生ポスドクもここが工場であることに気づいてしまいましたから。
要するに論文生産工場のままなら金も才能も先細りという訳です。
要するに論文生産工場のままなら金も才能も先細りという訳です。
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alchemist
at 2007-09-04 12:42
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白紙様、totoro様
フォロー有り難うございます。
特許を取ることも、病院の経営を改善することも大学にとって大事なことではありますが、それらの収入によって大学が運営可能になるような幻想はカナワンなあ・・・と。
私が米国で勤めていた私学も、運営費の1/3が財産の運用益、1/3が寄付、1/3が国からの予算。特許は随分持っているハズですが、運営財源として当てにできるほどの収益はなかったかと。病院が運営できていたのも国から拠点病院としての大型グラントが来ていたためで、単体としては存続不可能でしょう。
フォロー有り難うございます。
特許を取ることも、病院の経営を改善することも大学にとって大事なことではありますが、それらの収入によって大学が運営可能になるような幻想はカナワンなあ・・・と。
私が米国で勤めていた私学も、運営費の1/3が財産の運用益、1/3が寄付、1/3が国からの予算。特許は随分持っているハズですが、運営財源として当てにできるほどの収益はなかったかと。病院が運営できていたのも国から拠点病院としての大型グラントが来ていたためで、単体としては存続不可能でしょう。
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1通行人
at 2007-09-04 17:04
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上のかたの話にかぶりますが、ハーバード大学で研究員をやっていた時、特許の責任者が言っていましたが、研究成果の市場調査などの費用がかさむため、ハーバード大学ですら全体としては全然もうかっていないとのことでした。彼らのポリシーは利益をあげることではなく、砂漠の中にダイヤを絶対取りこぼさないことだと言っていました。つまり、山のように生み出される研究成果がどこでどのように役に立つかはよく調査してみないとわからず、そのためには相当費用がかかる、しかし時として(本当にまれに)大ヒットがある、彼らの仕事はプライドにかけて絶対取りこぼしをしないことであるということのようでした。ちなみに過去のメガヒットとして挙げていたのは、マイアミ大学のゲータレードでした(自分もあんな案件を是非見つけ出したいと言っていました)。
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1通行人
at 2007-09-04 18:34
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先の投稿への補足ですが、利益があがらないから特許支援なんてむだというつもりではなくて、それこそ大学ができる1つの社会貢献(研究成果の還元)であり、ある種の雇用対策であり(専門知識をもった人と事務支援の人が必要)、研究活動を促進する1つのモーチベーションになるのではと思います。
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白紙
at 2007-09-04 20:27
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そうそう、マイアミ大のゲイタレイドなんて好い例ですね。サイエンス/エンジニアリングとしてみればトリビアルですが、それでも大学から出ていて、ビジネスとしては大成功、と。
マイアミ大と言えばパーティ大学のイメージでしたが、それも含めて、したたかに商売やってましたね。あと(アメリカン)フットボールとか。。そういえば、あのころの花形だったヴィニー・テスタヴァーディとか、今はどうしてるんでしょうか。(年がわかる。。)
マイアミ大と言えばパーティ大学のイメージでしたが、それも含めて、したたかに商売やってましたね。あと(アメリカン)フットボールとか。。そういえば、あのころの花形だったヴィニー・テスタヴァーディとか、今はどうしてるんでしょうか。(年がわかる。。)
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totoro
at 2007-09-06 10:36
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> マイアミ大と言えばパーティ大学のイメージでしたが、それも含めて、> したたかに商売やってましたね。
これは、違うと思いますよ。大学の姿勢としては、研究の成果も含めて、社会に還元できるものは、出していくという姿勢の一貫かと思います。例えば、ハーバードに行くと、大学の宣伝も兼ねて、ハーバードグッズを売る店があったり、大学の教育用の標本を博物館として展示してあったりしますが、これで大学が商売をしている訳ではないです。
米国の大学の発明も同様で、発明を社会に出す道筋を持つことが目的で、企業のように収益を目的にしている訳ではありません。かつて、米国の補助金で運営される基礎研究の民間研究所にいましたが、日本の国立大学や独法の研究機関以上に、アカデミックな研究のみでした。商品化や特許の利用は、それを専門とする人が細々と行っていました。
これは、違うと思いますよ。大学の姿勢としては、研究の成果も含めて、社会に還元できるものは、出していくという姿勢の一貫かと思います。例えば、ハーバードに行くと、大学の宣伝も兼ねて、ハーバードグッズを売る店があったり、大学の教育用の標本を博物館として展示してあったりしますが、これで大学が商売をしている訳ではないです。
米国の大学の発明も同様で、発明を社会に出す道筋を持つことが目的で、企業のように収益を目的にしている訳ではありません。かつて、米国の補助金で運営される基礎研究の民間研究所にいましたが、日本の国立大学や独法の研究機関以上に、アカデミックな研究のみでした。商品化や特許の利用は、それを専門とする人が細々と行っていました。
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totoro
at 2007-09-06 10:36
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(続き)
> 「大学は、それ自体お金を生み出す機関ではなく、お金を生み出すよう> な起業家のインキュベーターである」
これは、会社員の誤解だと思います。「大学は知の孵卵器」で、その一部が、ビジネスのシーズとなっているのだと思います。大学で、起業家育成や商売を目指すのは、無理があります。
何かを話題にするとき、日本人は現実を語り、アメリカ人は夢を語ります。夢は、現実よりもよく見える訳です。この種の話も同様のことと思います。アメリカの現実は、それほど良いものではありません。ただ、それはアメリカ人と同じ立場で働かないと分からないことですが...
> 「大学は、それ自体お金を生み出す機関ではなく、お金を生み出すよう> な起業家のインキュベーターである」
これは、会社員の誤解だと思います。「大学は知の孵卵器」で、その一部が、ビジネスのシーズとなっているのだと思います。大学で、起業家育成や商売を目指すのは、無理があります。
何かを話題にするとき、日本人は現実を語り、アメリカ人は夢を語ります。夢は、現実よりもよく見える訳です。この種の話も同様のことと思います。アメリカの現実は、それほど良いものではありません。ただ、それはアメリカ人と同じ立場で働かないと分からないことですが...
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白紙
at 2007-09-06 11:25
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どうでしょうか。大学と言ってもサイエンススクールの素粒子物理から、エンジニアリングスクールの貨幣認証の研究まで、いろいろありますし、そんなにスペクトルを狭くとらえる事も無いと思いますが。MBAを出す学科なんてのもありますし。
私の3年間居たのは、アカデミックなハーバードとパーティースクールのマイアミの中間くらいの(地理的にも、アカデミックプレステージからいっても)巨大州立大でしたが、とても自由な、セコセコしたとこの無い、研究に専念できる雰囲気でした。でも競争はきつく、一方で教授達それぞれの考え方の違い、スペクトルの広さが印象に残りました。そもそも教授陣のバックグラウンドの多彩さが、日本にはないものでした。
私の3年間居たのは、アカデミックなハーバードとパーティースクールのマイアミの中間くらいの(地理的にも、アカデミックプレステージからいっても)巨大州立大でしたが、とても自由な、セコセコしたとこの無い、研究に専念できる雰囲気でした。でも競争はきつく、一方で教授達それぞれの考え方の違い、スペクトルの広さが印象に残りました。そもそも教授陣のバックグラウンドの多彩さが、日本にはないものでした。
白紙さんがおっしゃっている「教授陣のバックグラウンドの多彩さが、日本にはない」は私も感じます。教授とは限らず、弁護士でも、専門が哲学や数学、工学、仏教という人までいました。弁護士は向いていないからと、医者になった知人もいましたし。
大学の運営費すべてを大学自身が特許等では稼ぎだせないのは分かっていますが、競争が導入され、今後、ますます大学運営が厳しくなるのは、私のような何も知らない外部者の目から見ても、はっきり目に見えています。つぶされる大学もでてくるでしょう。政府や寄付に頼るだけではなく収入の道を多様化する工夫が早急に必要なのは言うまでもないでしょう。私がブログで書いたのは一例ですが、特許にせよ、委託研究にせよ、問題意識を持って、きちんと交渉し、権利があるものは主張すべきという当たり前のことです。それ出来ないのはバックグラウンドが単色で思いつかないからではないですか?権利は与えられるものではなくこちらから取りに行くものです。「権利の上に眠る者」、又は眠らされていた者は目を覚まさなくてはいけない。それが第一歩ではないかと思うのです。大きな変化は小さな心構えの変化から、違います?
大学の運営費すべてを大学自身が特許等では稼ぎだせないのは分かっていますが、競争が導入され、今後、ますます大学運営が厳しくなるのは、私のような何も知らない外部者の目から見ても、はっきり目に見えています。つぶされる大学もでてくるでしょう。政府や寄付に頼るだけではなく収入の道を多様化する工夫が早急に必要なのは言うまでもないでしょう。私がブログで書いたのは一例ですが、特許にせよ、委託研究にせよ、問題意識を持って、きちんと交渉し、権利があるものは主張すべきという当たり前のことです。それ出来ないのはバックグラウンドが単色で思いつかないからではないですか?権利は与えられるものではなくこちらから取りに行くものです。「権利の上に眠る者」、又は眠らされていた者は目を覚まさなくてはいけない。それが第一歩ではないかと思うのです。大きな変化は小さな心構えの変化から、違います?
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totoro
at 2007-09-06 23:45
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大学に企業論理を入れろという意見を聞くたびに、悪いジョークの気がします。
私がいた米国の研究所は、何名かのノーベル賞の受賞者が研究した民間研究所でした。予算の大部分は政府資金で、日本の公益法人に近い形です。企業も多く出入りし、日本からも上場企業が来てました。所属するだけで米国内でステイタスがありました。競争は米国でも最も厳しい部類でした。自由な雰囲気は確かにありましたね。白紙さんの書かれている、教授は多彩さは確かに感じたし、院生の企業志向も強かったですね。自分も日本の大学もそうなって欲しいと思います。
特許化などは細々でしたが、それでも、日本の大学よりマシでした。所属研究室のボスも、技師も、自分の会社をつくっていました。どちらも商売が目的でなく、自分の技術を社会に出すことが目的でした。ボスの会社は、既に相当の規模で、全米に展開し、従業員が400名ぐらいでした。その後、数十億円で大手企業が買い取りました。製品は日本の研究室でも、時々見かけます。
私がいた米国の研究所は、何名かのノーベル賞の受賞者が研究した民間研究所でした。予算の大部分は政府資金で、日本の公益法人に近い形です。企業も多く出入りし、日本からも上場企業が来てました。所属するだけで米国内でステイタスがありました。競争は米国でも最も厳しい部類でした。自由な雰囲気は確かにありましたね。白紙さんの書かれている、教授は多彩さは確かに感じたし、院生の企業志向も強かったですね。自分も日本の大学もそうなって欲しいと思います。
特許化などは細々でしたが、それでも、日本の大学よりマシでした。所属研究室のボスも、技師も、自分の会社をつくっていました。どちらも商売が目的でなく、自分の技術を社会に出すことが目的でした。ボスの会社は、既に相当の規模で、全米に展開し、従業員が400名ぐらいでした。その後、数十億円で大手企業が買い取りました。製品は日本の研究室でも、時々見かけます。
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totoro
at 2007-09-06 23:46
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ボスのベンチャーはアメリカでも大成功の部類ですが、ボスはあくまでも、アカデミック志向で、金銭目的で経営に携わることは無かったです。アメリカの大学や研究所はアカデミックな場でした。
日本で、アメリカの大学の表面だけを真似たのでは上手く行きません。例えば、私は日本の上場企業と共同研究をし、主力製品に採用されましたが、アメリカ流のやり方では駄目でした。日本にあったやり方(場合に依っては、権利関係を曖昧にする)を模索しました。権利を主張したら、特許関係が複雑になり、企業は手を引く様な場合もありました。日本のベンチャーの殆ど全てが補助金に頼みで、ロクな成果が上がっていないのを見れば明らかです。(企業との共願特許(国際特許を含む)は最近数年間で10件以上とりましたが...)
日本の大学や研究所は、小泉内閣の独法化で、急速に疲弊しています。正味の研究予算が減っているのです。影響は理化学機器の業者にも及び、売上げが減り、悲鳴を上げている会社も多いです。業者に依れば、機器購入が増えた研究機関が日本の何処にも無いそうです。
日本で、アメリカの大学の表面だけを真似たのでは上手く行きません。例えば、私は日本の上場企業と共同研究をし、主力製品に採用されましたが、アメリカ流のやり方では駄目でした。日本にあったやり方(場合に依っては、権利関係を曖昧にする)を模索しました。権利を主張したら、特許関係が複雑になり、企業は手を引く様な場合もありました。日本のベンチャーの殆ど全てが補助金に頼みで、ロクな成果が上がっていないのを見れば明らかです。(企業との共願特許(国際特許を含む)は最近数年間で10件以上とりましたが...)
日本の大学や研究所は、小泉内閣の独法化で、急速に疲弊しています。正味の研究予算が減っているのです。影響は理化学機器の業者にも及び、売上げが減り、悲鳴を上げている会社も多いです。業者に依れば、機器購入が増えた研究機関が日本の何処にも無いそうです。
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by
totoro
at 2007-09-06 23:54
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日本の大学や研究所は、日本の科学技術の礎となり、技術を持つ人材を供給し、現在の科学技術の繁栄の基礎を築きました。予算を減らし、科学振興ができるか疑問です。地方の国立だと、理系なのに、研究費が年間20万円程度で数名の学生を指導する教授もいるようです。消耗品すら購入できません。研究教育レベルは相当下がり,今後、急速に理系の大卒,院卒者のレベル低下が進むと思います。
また、研究予算減額で研究環境が悪化し、技術の低下を感じます。予算事情は、大学に出入りする理化学機器業者に聞けば教えて貰えます。日本の大学や研究機関は、あと10年で相当疲弊するはずです。
大学や院生の志向が変わることには賛成ですが、門外漢の意見を安易に入れて、聞こえの良い政策にすると、ツケがあとで回ってくると思います。
しかし、大学が独法化し、新しい枠組みで進み始めた以上、今後何十年も掛けて、よりよいシステムを模索することになる気がします。その時まで日本が科学の先進国で居られる保証はありませんが...
また、研究予算減額で研究環境が悪化し、技術の低下を感じます。予算事情は、大学に出入りする理化学機器業者に聞けば教えて貰えます。日本の大学や研究機関は、あと10年で相当疲弊するはずです。
大学や院生の志向が変わることには賛成ですが、門外漢の意見を安易に入れて、聞こえの良い政策にすると、ツケがあとで回ってくると思います。
しかし、大学が独法化し、新しい枠組みで進み始めた以上、今後何十年も掛けて、よりよいシステムを模索することになる気がします。その時まで日本が科学の先進国で居られる保証はありませんが...
by stochinai
| 2007-08-31 21:49
| 大学・高等教育
|
Comments(23)