5号館を出て

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大学院生の就職活動

 早いところではもう大学院修士課程の学生の就職活動(就活)が始まっているそうです。最も早い製薬系では9月から採用活動が始まるとのことですが、もちろんこれは来年の春に卒業する人に対するものではなく、再来年春に卒業予定の大学院生の話です。首都圏から遠く、比較的スタートが遅いと言われている我が大学でも、ほとんどの学生が年内には就活を開始します。

 ちょっと前までは、年明けに活動を開始する学生も珍しくなかったのですが、年々早まってきており、12月11月と手前に繰り上がってきて、最近は10月に動き始める学生も珍しくありません。もちろん採用側が9月に開始すれば、学生も9月に動き出すのは当然と言えましょう。

 修士の1年生が入学したのは、この春です。日本の大学では、4年生の卒業研究を行った研究室でそのまま大学院に進学して研究テーマも継続するというケースが多いので、その場合ならば、研究を始めてから1年半くらいで就職活動をすることになるのですが、大学院にはいって研究テーマを変える場合や、さらには教育再生会議が推奨するように他大学の大学院へ進学した場合には、研究を開始してからわずか半年で就職活動をすることになります。東京工業大の三木千寿副学長がおっしゃるように「半年で何を身につけたと判断するのか」という批判も当たっていると思います。

 学生の一生にかかわることですから、就職活動は学生の自由意志に任せるケースが多く、その間講義の欠席や研究の停止は許される、あるいは暗黙裏に見逃され、就活が原因で単位不足や修士論文研究の内容不足で卒業不許可になるということは、あまり聞きません。修士2年間のうち、半年から1年間休んでも卒業させざるを得ないというのが今の大学院修士課程の現実ということになります。学卒ではなく、修士卒を採る企業側としては、自ら採用者の能力アップを阻害してしまっていることは明らかに損失になることだと思うのですが、より優秀な大学院生を採りたいと競争する企業としては、たとえその点がわかっていたとしても、採用競争を加熱させざるを得ないという現実があるのだと思います。

 そこで、このままでは自分で自分の首を絞めることになると気が付いた「日本経団連が27日、会員企業に対し、修士1年時に広がる大学院生の採用活動の自粛を呼びかける方針を決めた」というニュースが流れました。

 読売オンライン:大学院修士1年の採用活動、経団連が自粛呼びかけへ

 選考のルールがあいまいなため、採用活動が1年時の秋から、半年近く続くこともあり、「浮足立って研究に集中できない」などと大学から批判が出ていた。経団連は、倫理憲章に大学院生の新卒採用についても、「学事日程の尊重」を明記して、各企業に適正化を求める。

 経団連の今春の調査によると、技術系新卒採用の7割以上が修士。かつては修士2年時に、学校推薦など就職先が決まるケースが多かったが、最近は、学生自らが企業のホームページに登録して選考を受けるのが主流。製薬系の9月を先頭に、各企業も優秀な学生を確保しようと、採用活動が早期化、長期化していた。
 この「長期化」というのが問題なのだと思います。例えば、修士1年生の10月頃に卒業後の就職が決まってしまっていれば、その後1年半ゆっくりと修士論文研究に打ち込めますので、それならば学生にとっても企業にとってもメリットがあるように思えます。

 ところが、ほんの一握りの「売れっ子」学生を除く普通の学生にとっては、たとえ11月から活動を始めても早くて翌春、悪くすると翌秋まで就職活動が続くことになります。また、たとえ「売れっ子」だとしても1社が決まった時点で就活を終える学生はほとんどおらず、より希望ランクの高い会社の内定をいくつか取るまで、なかなか活動を終わりにできない心理もわかります。さらには、就活そのものが楽しくなって、研究室に戻ってこない学生もいると聞きます。

 このような状況の中で、企業に紳士協定にすぎない自粛を呼びかけてもほとんど効果はないでしょう。では、どうすれば良いのでしょう。

 一つの解決策としては、修士で卒業する学生は就職活動も含めて3年のコースを作ったら良いのかもしれません。博士課程に進学する場合には、修士は2年でも3年でも変わりはないと思いますが、就職活動で半年から1年間のブランクがあったとしても、3年という時間があれば最低限でも2年間研究に打ち込めると思いますので、これは企業にとっても学生にとってもメリットになるのではないでしょうか。

 文科省では「大学院の博士課程の年限を弾力化できるよう、年内にも大学院設置基準を改正することを決めた」そうですので、私としては珍しくこれは充分に考慮に値する現実的な提案になったと思います。
 今回の改正ではこの年限を各大学院の判断で変更、延長できることを明確化。例えば、「前期2年、後期3年」を「前期3年、後期3年」といった前期を重視したコースに組み替えることが容易になる。
 これを、博士後期課程に進学しない学生にも適用するだけですから、あまり問題はないと思いますがどうでしょうか。>文科省の方々
Commented by 中山 at 2007-09-29 03:10
増加分の一年は学費がかかるのでしょうか?それによってご意見の趣旨はかなり変わると思います。

個人的には企業が通年採用にしろよと思うわけですが、これはこれで企業側にコスト負担を強いるのかも知れず、アカデミアの人間としてはよく分からない所です。
Commented by stochinai at 2007-09-29 08:20
 そこは、考えていなかったのですが、標準修業年限2年の大学院に3年在籍しても2年分の学費で抑えることができる長期履修制度というものがすでにありますので、それが利用可能なのではないかという気もします。実際3年いても1年間くらい就職活動で大学に来ないのだとしたら、(教員の負担はさておき)大学としても、それほど矛盾は生じないような気もします。
Commented by ゑぶ at 2007-09-29 15:05
それだと、今までの制度の修士の人は、就職活動で1年間しか大学にいけなくても、2年分の授業料を払わされるので、不公平ではないですかね。

あと、2年間いて取った修士号と、3年間かけてとった修士号の価値はおなじでいいのでしょうか。

3年制での修士号なら、その分2年制の修士号より高い価値をもっていたり、より高い能力証明をするようなものでないと、学生側にとってみたら、わざわざ時間やお金を余計はらって、取得しようとは思わないと思います。

また、そうでなかったら、今までの修士2年間でやるべきことを、3年かけてやるだけなので、在籍可能年限を緩める、ということでいいと思います。
Commented by stochinai at 2007-09-29 15:52
 現行の長期履修制度の趣旨は、まさに最後の意味なのだと思います。留年という不名誉を受けずに3年かけて取れ、しかも授業料は2年と同じということです。特に制度を利用しなくても修士は4年かけてとることが可能ですが、それだと留年ということになって(おそらく)就職には不利に働くだろうと思われます。
 蛇足ですが、最初の段落で「1年間しか大学にいけなくても、2年分の授業料を払わされる」不公平と書かれていますが、見方によっては「1年しか出てこないのに2年かかる修士がとれてしまう」という超優遇になります。
Commented by ゑぶ at 2007-09-30 12:34
1年で修士号をとらせてあげているのだから、お金を多く払うのは当たり前だ、ということが言いたいですか?

あと、他人事のようにかかれていますが、その超優遇を許してしまっているのは、大学教員側の責任では?

結局のところ、就職問題は、企業側が、学生が大学で学んできたことに期待をしていないから起こる問題だと思います。大学側が、企業でも役に立つようなしっかりとした大学院教育を施していたら、企業がそれを軽んずるようなことはしないはずですから。
Commented by stochinai at 2007-09-30 13:55
 もちろん適当なところで妥協して、卒業させたり学位を与えたりしていることに対する大学の責任は非常に大きいと思います。(個々の教員の責任がないとはいいませんが、最終的には大学・文科省が責任当局として対処すべき構造的な問題だとも思います。)

 大学がきちんと教育しないから学生がダメになっているだとおっしゃることも良くわかりますが、大学さらに大学院になっても受け身で学ぶ(教えてもらう)ことを期待している学生側の問題についてはどのようにお考えになりますか?

 この問題では、最後に被害を被るのが学生側であるということを考えると、大学を非難するだけでは事態を打開できないと思います。もし、大学に期待できないと考えるのならば、一方では自分で自分を磨くことも必要なのだと思います。
Commented by だから at 2007-10-01 00:15
>大学さらに大学院になっても受け身で学ぶ(教えてもらう)ことを期待している学生側

そんな学生を取るほうが悪いと。ふりだしに戻る。
Commented by ゑぶ at 2007-10-01 00:28
先生には、顔も身元もわからない私に対して真摯にお答えいただき感謝しています。

(堂々巡りになりそうですが…)

学生が、最後に本人が被害をうけるということで責任を取るのであるなら、これ以上彼らを非難する必要ないと思います。むしろ最終的に何の被害をうけない教員の無責任さに、道義的な疑問を持ちます。
学生は未熟者だから指導してあげるのは当然と思われます。教員の中には、教育に熱心な人もいますが、大学院に進学すれば将来は明るいといわんばかりに甘い言葉で学生をとって、いざ入学させるとアカデミアにしか役に立たない教育だけ施して(或いはそういうことさえもせずに)社会に放り出す、そんな人も少なからずいるのではないでしょうか。教員には学生を正しい道に導く責任があると思います。それが企業における上司と違う点だと思います。
大学や文科省がなんと言おうが、結局教育をするのは教員ですよね。ですので、教員にはもっと学生の将来に対して責任を感じてほしいと思っています。

あと、私は学生がダメになったとは言ってません。むしろ何かと英会話やったり自助努力しているのではないでしょうか。証拠を持ってないのでなんともいえないのですが。
Commented by Enceladus at 2007-10-01 01:07
 まあ、メンヘラになって院を中退する人間には実感のあるようなないような話しなんですが。
 もっとも単純な解決策は企業の募集要項に「見込み」と書くのを禁止させれば良いじゃないですか。学士は学士で、修士は修士で、既に卒業した経歴だけで判断させれば。それなら内定取り消されることも無いでしょう。
 そうすれば、「卒業させざるを得ない」なんて言わなくてもいい。「うちは入学者の半分しか修士が取れません」でも、人さえ集まれば関係ない。修士に行く目的は色々でしょうが、より良い職を得たいだけの人間はそのまま就職すれば良いだけだし、じっくりやりたければ修了してから職を探してどうしても修士を取りたい会社に行けばいい。
 修士に行きたがる人間は減るかもしれませんが、理系院卒でも技術系に行かない人間がかなりなのですから、その後の人生に対しておおむね影響は無いのでは。
Commented by 通りすがり at 2007-10-01 07:11
>>ゑぶ さんへ

何を根拠に、何を指して、教員批判の、書き込みをされているのですか?具体的に、お教え頂けませんか?
もし、具体的な事がイメージ出来ず、ネット上での風評を元に、印象を書き込んでいるなら、相当失礼だと思うのですが。
一般論ですが、大学院は専門家の養成で、カルチャースクールのような知識だけを伝える場ではありません。小中高大の教育と、大学院教育は随分違うと思います。あなたの指す大学院教育のイメージはどんなですか?

私は研究所勤務で、教員ではありませんが、大学院生は本当に駄目な人が増えました。正確に言うと、大学院の定員が増え受験科目が減り、以前なら入学できるはずがない人が、入学し卒業しています。先日、私の元に就職面接にきた東大の修士卒(学部は地方大)の方は、修士なのに、学会発表の経験が一度もありませんでした。以前なら、ありえない程度の低い人でした。卒業させないと、自分の無能を棚に上げ、ハラスメントと騒ぐので、仕方なく卒業させているようです。
Commented by stochinai at 2007-10-01 08:51
ゑぶ さん

> 大学院に進学すれば将来は明るいといわんばかりに甘い言葉で学生をとって、いざ入学させるとアカデミアにしか役に立たない教育だけ施して(或いはそういうことさえもせずに)社会に放り出す、そんな人も少なからずいるのではないでしょうか。

 おっしゃるとおりそういう輩は間違いなくいるのですが、学生はそんな教員の存在を認識した上で自己防衛する必要があるにだと思います。それと、そういう教員の存在は学生から見た時に、よりはっきりする(大学側は認識していないことがあります)のですから、なんらかの手段で告発しくことも状況改善のためには必要だと思います。
Commented by ゑぶさんではありませんが at 2007-10-01 09:00
通りすがりさん
>一般論ですが、大学院は専門家の養成で、カルチャースクールのような知識だけを伝える場ではありません
 そう。そしてその専門家という言葉は専門オタクと同義ではないはずです。大学院での教育は知識や論文の書き方の伝授ではないし、大学院は業績稼ぎの場ではないはず。でも現実はそうですよね。大学院がそういう場になっている現実に気付かず(気付く事ができず)、研究世界全体での椅子取りゲームの勝者が自分たち以外をこき下ろしている現状は情けないと思う次第です。

>正確に言うと、大学院の定員が増え受験科目が減り、以前なら入学できるはずがない人が、入学し卒業しています
 受験科目の多い少ないが学生の質に影響するのでしょうか?具体的に
受験科目数の減少と学生の質の低下を示すデータをお持ちなのでしょうね。是非、ご教示願いたいものです。
Commented by ゑぶさんではありませんが at 2007-10-01 09:01

>先日、私の元に就職面接にきた東大の修士卒(学部は地方大)の方は、修士なのに、学会発表の経験が一度もありませんでした。
 そんな学生はごろごろいます。いちいち取りざたすまでもないんじゃないですか?
 学会発表、論文1stもちの修士学生もたくさんいますから。あら、彼らはみんな優秀なんですか?

>卒業させないと、自分の無能を棚に上げ、ハラスメントと騒ぐので、仕方なく卒業させているようです。
 それは学生の側の問題ではなくて教員の側の問題でしょう。


 現に大学、教員研究所の研究員である方々がどこまで優秀なのかは存じませんが、今の学生の質が落ちている事がそんなに問題でしょうか?
 今の学生は駄目だ
 (自分を含めて)昔の学生は優秀だった

 という話でなにか解決しますか?

 そもそも、優秀、そうでないの基準はなんですか?とんでもない劣等性の不勉強からこそくる一言が、研究全体の問題解決に役立った経験はお持ちではないですか?

Commented by ゑぶさんではありませんが at 2007-10-01 09:01
 いいですね~。優秀な方々に囲まれて仕事している優秀な人は。後進の指導はしなくても、勝手に育った優秀な人がどんどん職場に入ってくるんでしょうから。あなたがたのような人ばかりなら大学、大学院は世の中からなくなるでしょうね。
Commented by kk at 2007-10-01 09:18
 研究室が核家族化しているのが問題なのではないだろうか? うまく機能しているときは、身軽で手軽でいいのだろうけど、人間関係等で対立があると、教員も学生も逃げ場がなさそうだ。ゑぶさんみたいなことを考えるのは何も最近の学生に限ったことじゃあないのだろうけど、追いつめられたときに、研究室以外に逃げ場がないから、こういう場所でああいうコメントが出てくるんだろうなあ。ほかにすることがあって忙しかったら、そんなこと忘れてしまうよ。異分野の研究者とか、よその世界の人たちと接する機会があれば、もう少し気分的に楽になるような気がする。
Commented by kk at 2007-10-01 09:19
 大学院生は立場的にはしんどいと思う。学部学生じゃないわけだしといわれる一方で、がんばっても、学費と奨学金の借金で生活が不安定、卒業が遅れれば、経済的不安はさらに増す。将来成功する保証など何もない。せめて毎日の生活そのものがおくることができるだけの最低限の給与がどっかから出れば、あるいは、ヨーロッパのどっかの国みたいに、学費そのものの負担がすくなければいいのに。 贅沢な生活してないのに、学位取得時に700万円とか奨学金の借金背負うのは、心理的につらい。研究を続けるにしてもやめるにしても。学費が安ければ、途中で休んでも負担は少ない。研究活動そのものに最低限の給与が出るならば、しっかり研究してから職をさがせる。
Commented by 賢明な読者は気づいているが at 2007-10-01 09:25
賢明な学生は大学院に来ないから、大学院に来る学生の質が落ちるのである。何故来ないかは、各自考えること。
Commented by 通りすがり at 2007-10-01 20:53
>>ゑぶさんではありませんが さんへ
>>先日、私の元に就職面接にきた東大の修士卒(学部は地方大)の方
>>は、修士なのに、学会発表の経験が一度もありませんでした。
>そんな学生はごろごろいます。いちいち取りざたすまでもないんじゃ
>ないですか?

以前は、修士取得には学会発表が必須でした。学会発表の経験のない修士はいませんでした。「そんな学生はごろごろいます。」というのが本当なら、以前なら、修士すら貰えない院生がゴロゴロいるという事です。明らかにレベル低下です。

就職では、働く人をお金を払い雇います。有能な人を捜すのは、当然です。教育はしますが、その期間は仕事にならず、給料は払い損。教育期間が短そうな人を探すのは当然です。

>大学院での教育は知識や論文の書き方の伝授ではないし、大学院は>業績稼ぎの場ではないはず。

認識が違います。
海外の大学院だと、博士課程は論文を書く研究者育成を重視し、大学院は業績稼ぎの場でした。結果が出せない学生は、退学させられていました。
なお、私は大学教員ではありません。
Commented by 通りすがり at 2007-10-01 21:08
補足、
自分の見た,海外の大学院は、研究者育成重視でしたが、院生の嗜好は、企業数職でした。
Commented by 通りすがり at 2007-10-01 22:21
> とんでもない劣等性の不勉強からこそくる一言が、研究全体の問題
> 解決に役立った経験はお持ちではないですか?

残念ですが、全くありません。新しい研究は、過去の研究の土台の上に築かれるものです。過去の研究の一端さえも知らなければ、自分が見ているものが、新発見か、過去に報告のあるものか、判別すら出来ません。
同様の記述は、Nature誌の編集部が出しているガイドブックにもあります。わりと一般的な意見です。
Commented by ゑぶ at 2007-10-02 01:26
私は具体的な大学院教育のイメージを持って議論してないですよ。
個々人が自分にあった大学院教育を選べばいいと思います。

でも大学院教育にも、消費者主権が浸透すればいいと思います。
今、学生と教員の立場を思うと、学生が圧倒的に弱い立場に
たたされているなと思います。せめて、研究室選びや受験時だけは、
学生と教員が対等な立場で、「取引」がなされるべきだと思います。

教員は大学院教育の内容や効用を知っているけれど、学生は
知らない。よって学生は教員にとって都合のいいように誘導されて
しまう恐れがあります。それを抑止するために、教員に学生の
将来に対して責任感をもつよう働きかける必要があると思うのです。
これが、これまでの書き込みで、私がいいたかったことなのです。

同じ理由で、公平性の確保されていない取引の結果、損害をうけた
人(学生のこと)に、自己責任だというのはおかしいでしょう。

でもそういう不公平な取引に巻き込まれないように、あるいは、
自分にとって本当に役立つ大学院教育を選び取るよう促すために、
学生に当事者意識を喚起する、という点ではstochinai先生と
一致していると、自分では思っています。
Commented by NN at 2007-10-02 08:51
>教員は大学院教育の内容や効用を知っているけれど、学生は
>知らない。よって学生は教員にとって都合のいいように誘導されて
>しまう恐れがあります。
これについてはその通りだと思いますが

>それを抑止するために、教員に学生の
>将来に対して責任感をもつよう働きかける必要があると思うのです。
そこからこうした話が出てくるのはイマイチ理解できません。
それなら、大学院修了後の進路状況をweb上なりで公開すれば
充分じゃないですか?情報をきっちりオープンにすれば、後は自分で
考えられる(考えないといけない)年頃でしょうし。

「個々人が自分に合った大学院教育を選べばよい」と仰るのなら
判断基準となりうるだけの情報をオープンにすればそれで充分では?
Commented by 通りすがり at 2007-10-02 18:17
>>ゑぶさん
> 大学院教育にも、消費者主権が浸透すればいい...
なにか勘違いをしていませんか?大学院は重点化を境に定員が大幅に増え、何処でも倍率は1倍程度です。学生は何処でも選ぶ事が出来ます。予備校や塾と勘違いしているのでしょうか。

> 学生と教員の立場を思うと、学生が圧倒的に弱い立場に
> たたされているなと思います。
自分はそう思いません。人に教えを請うて、物事を習うのならば、洋の東西を問わず、対等ではあり得ません。

> 教員は大学院教育の内容や効用を知っているけれど、学生は
> 知らない。よって学生は教員にとって都合のいいように誘導されて
> しまう恐れがあります。
就職活動で、人が欲しい企業から、甘言で勧誘され、実際に働くと、話が違うことなんて、普通にあることです。例えば、知り合いの院生は、ベンチャー経営者の「自由に研究が出来る」という言葉に騙され、ベンチャーに就職しました。しかし、実際は全くの嘘でした。すぐに、転職を試みましたが、新卒と違い、相当苦労して、職探しをしてました。これは自己責任ですよね。大学院の研究室選びも同様で、自己責任です。もういい歳をした大人なのですから。。
Commented by NN at 2007-10-03 00:07
>>通りすがりさん
自己責任を問うのなら、判断基準となるだけの情報を求めるのは当然ではないのですか?少なくとも上記の事例で自己責任を持ち出される事には全く納得できません。
そういう情報が無い事イコール「危ないところ」と判断する事も「自己責任」の範疇に含むのなら、それは何らかの啓発活動が必要な気がします。
Commented by 通りすがり at 2007-10-03 00:32
>>NNさん
> 判断基準となるだけの情報を求めるのは当然ではないのですか

私も当然だと思います。情報を求めるのは当然です。
そして自分の将来なのだから、自分の力を駆使して情報を集めるべきと思うのです。大学院の研究室が研究上でキチンとしているか、年間の論文数や関連学会での発表内容、OBの就職状況も分かります。自分は学部3年末までに、この程度は調べました。さらに、教授の人物評も、様々な手段で調べました。例えば、学部1-2年の頃から、興味のある研究室に自主的に出入りし、雑用を手伝いながら、1年以上掛けて選びました。

私も教授の甘言はどうかと思います。しかし、騙されたという人は、情報を得る努力を本気でしたのでしょうか?例えば、大学院生の数と、研究職の求人数を単純比較するだけでも、研究系はイバラの道だと分かります。

世の中には多くの道があります。その中から、どれを選ぶかは本人の自由ですから、成功しても失敗しても、それを選んだ自分の責任です。
Commented by ゑぶ at 2007-10-07 01:14
>>NNさん
遅いレスで申し訳ないのですが、たしかに論理的な飛躍があったかもしれません。「プロなら、仕事の結果に責任をもつべき」といいますが、教員が教育を仕事にしているのであれば、その教育の結果である「学生の将来」に責任を持つべきだと思ったから、こう書いたのです。無論、完全に学生の将来に責任をもつなんて不可能な話ですが、いまのようにまったく無責任でも教員には痛くも痒くもない状態では学生が使い潰されるだけです。それに歯止めをかけるには、教員にはモラルを持ってもらうだけでなく、なんらか形で制度化して、多少は責任を担ってもらうべきだと思います。
by stochinai | 2007-09-28 22:33 | 教育 | Comments(26)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai