2007年 10月 14日
大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか
10月6日の「ポスドク問題の国家的損害」というエントリーに、たくさんのコメントがついて議論になっています。その中で、Aさんという方のコメントが大学院問題の核心をついた重要な点を指摘していると思われますので、こちらに再掲させていただいて問題を整理したいと思います。
10月13日のAさんのコメントから抜粋します。
今から考えると不思議な気もするのですが、30年くらい前の国立大学は文科省が何を言ってもコントロールできないくらいの「強さ」を持っていたような気がします。同時に、その頃は文科省も大学が言うことを聞かなかったからといって、懲罰的な予算削減などということはおそらくあまりやっていなかったのように思います。文科省も大学も貧乏だったから、お金で支配できるというような関係にはなれなかっただけなのかもしれません。それが、国の科学技術振興政策で文科省が大きなお金を大学などに対して配布できるようになったことで、文科省はその配分決定を通じて大学を支配下におこうとし、逆に大学側ではいかに文科省に気に入られることでその配分を多く受けるかという、経済的支配原則が回り始めたような気がします。
教育のことを考えると、実は大学院が重点化される前には、大学院には事実上「教育」などというものはなかったと言ってよいほどの(考えようによってはひどい)状態でした。大学院では「学生は先生の背中を見て自分で育っていくものだ」などという、何の根拠もない通説がまかり通っていましたから、大学院生を受け入れる研究者の側では大学院生が何人になろうとも、背中さえ見せていればいいのだからと何も心配していなかった能天気な先生が多かったように思います。しかも、それまでは大学院の博士課程を出ればその半分近くが大学の教員になれるくらいしか大学院生はいませんでしたから、就職が大変になるなどという想像力を働かせることもできなかったのかもしれません。また、大学院生の数が研究室から上がる研究業績に比例し、ひいては獲得できる研究費に反映するということになってきましたので、大学院生の獲得にはますます拍車がかかったというのが実態で、そのことは非難されて当然のことです。これに関しては、大学(私を含めて)は責任を逃れることはできません。
また、文科省の方でも何を根拠にしてか、大学院生を増やして修士や博士が増えたら、企業がそういう人材を積極的に採用するはずだと「信じて」いたのだと思いますが、卒業生が出るころは就職難時代になってしまっていたので、超高等教育を受けた人材が失業者になることを防ぐためにも例の「ポスドク1万人計画」が予定を上回る速度で達成されたという声もあります。文科省の予想通りならば就職氷河期が過ぎた今、企業がポスドクをどんどんと吸収してくれるはずだったのでしょうが、増やしすぎた博士の中に質が低くて使い物にならない人がいることを「口実」に企業は博士を採用することに消極的です。
ここまで来てしまった以上、博士・ポスドク問題はかなりの痛みをともなわずには解決することは不可能なことは認めざるを得ないと思います。そのためには、何度も書いていますけれども、大学院を少数精鋭に戻し、大学院教育を充実し「こと授業料に関しては、きちんとした教育が行われ、若い人材が世に出て活躍できるのであれば、今の3倍4倍の授業料でも決して高い対価ではない」と思わせるくらいの質を持った博士を世の中に送り出せる体制を作り、博士になった全員(少なくとも半分か3分の1は)が大学教員や研究者(大学・企業を問わず)あるいは、社会のリーダーになれるという状況をつくるべきでしょう。
また、もはや大学や大学院の統廃合も避けられないことだと思いますが、ジリ貧になって文科省主導でツブされるのでなく、大学側が積極的に動いて変わっていくことが必要なのだろうと思います。そのためには、Aさんのおっしゃるように「大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げる」ことや、「経営体制を見直すリストラ」さらには、大学・大学院の教育体制を抜本的に改革するためのリストラも必要になると思います。
大学にそれをやらせるのは、納税者であり受益者である国民の声と力だと思うのですが、そうなると最大の問題は、国民の大多数が大学のことなど気にしてはいないことだという気もしてきます。
出口は簡単には見つかりそうもありません。
10月13日のAさんのコメントから抜粋します。
これを読んでいる中に大学教育の関係者の方が多いのであれば、せっかく匿名なのですから「なぜ大学は今、大学院生が欲しいのか」について本音で話してもらえませんか? これまでの説明ではほとんど理解できません。また、これまでに企業や社会からほとんど必要とされることのない博士を大量生産してきたわけですが、「大学の考える大学院教育は、国民の税金でまかなわれる教育として妥当だったのか」についても意見をうかがいたいと思います。これに対して私が書いたコメントです。
Aさん。他人事にように言うと叱られるかもしれませんが、私は大学院生の定員を減らすべきだと思っています。これに対して、Aさんが長いコメントをくださいました。3つに分かれているものをまとめて再掲します。
今は、学生定員より少ない状態にしておくと文科省から叱られて、予算が減らされるらしく(確認していません)、ひいては教員を減らさざるを得なくなるようなので、ほとんどの先生は学生を減らすという提案には賛成してくれません。
確かに、大学院生を増やすことで、大学の予算が増えたり、団塊ジュニアの時代に一時的に殖えた教員定員を減らさなくても済んだという「取り引き」はあったようですが、現実には予算はほとんど増えなかったですし、その後どんどん減っているのが実態です(教員も減っています)。ですから、ここで学生を減らすともっと予算が削減されることを恐れているというのが大学側の本音のような気がします。
そういう意味では、Aさんがおっしゃるように、学生をたくさん取ることにメリットがあるとも言えますが、タコが自分の足を食べながら生き延びているという程度だと思います。
なるほど。詳しい内訳は分かりませんが、大学のサイフは文科省が握っているので、文科省の設定した定員数に満たなければ大学の資金が削られ、結果として職員をリストラしなくてはならなくなる。そこで大学院生の獲得を選んだというのが実際でしょうか。つまり、大学院生・博士増産に対する見返りは「既存の職員のクビをつなげる」ことだったということになりますか。これは組織を守るために仕方のない緊急避難だったとも言えなくはないでしょう。大学関係者ではないAさんに、大学側の事情を理解していただけたことはとてもありがたいと思いますが、同時にAさんがおっしゃられているように、「文科省の(無理な)要求に対してそれをはねのけるくらいの経済的、体制的な強さが大学には必要」だということを重く受け止め、大学は自己決定力を獲得していく必要があると思います。
ひとつ疑問に思うのは、本当に大学には文科省の言いなりになるしか選択肢が無いくらい、経済的に逼迫しているのかということと、大学院生を増やせば当然出口問題も予想されることなのに、なぜ看過してここまで来たのか、と言うことです。文科省の(無理な)要求に対してそれをはねのけるくらいの経済的、体制的な強さが大学には必要だと思いますが、理想論でしょうか。ともあれ、切り詰められるところは全て切り詰めてもまだ困窮しているというのであれば、大学院生を増やし、自分たちのクビをつなげたとしても、そのこと自体は非難されることではないと思います。
問題となるのは、見返りに増やした博士が社会的にどこにも行き場がないことですね。今の職員数で精一杯の大学なのですから、博士が何人産まれようと吸収する容量がなかったのは始めからわかっていたことでしょう。にもかかわらず、大学以外の方向性を模索するような方向に大学院生を教育していかなかったのは欺瞞だったと思います。もし、増やした大学院生がきちんと社会に出て活躍していたのであれば、大学院教育の評価は大きく上がっていたと思います。おそらく、文科省も一部の上位大学はちゃんと博士を社会に送り出して来るものと期待していたのではないでしょうか。
彼らが社会に出て、向こう40年近く国に税金を納め、消費にも参加するならば、社会的にも大きな貢献でしょう。しかし、このままいくと今の博士は納税や消費という意味では氷河期世代と同様、今後3、40年間、マイナスの効果を産み続けることになります。確かにこれは国家的損失で、こちらの解決もかなり重要だと思います(最終的にはこう言う社会に受け入れられない人たちの生活保障は、他の納税者が負担するということになると思います)。
この大学院生の教育問題、結果として大学院の存在理由をも揺るがすレベルまでのダメージとなったわけですが、これに解決はないのでしょうか。今後として、大学院の学生を減らすというのは私も賛成です。東大が定員を増やしたところで、博士の社会進出を促すよっぽどの秘策がない限り、ここ何年かの惨状を再現するだけの話で、さらに無職者が出て社会負担が増えるでしょう。そうなると次は大学院の取りつぶし(統廃合)になると思います(そもそもこれが文科省の狙いではなかったのですか)。
この統廃合を避けるための対策として、大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げることが重要になると思います。こと授業料に関しては、きちんとした教育が行われ、若い人材が世に出て活躍できるのであれば、今の3倍4倍の授業料でも決して高い対価ではないと思います。また、財源を有効に生かすという意味で、経営体制を見直すリストラも必要だと思います。それから、やはり大学院の唯一の売り物である学位に付加価値をつけるためにも、今いる博士たちの社会進出はサポートした方が良いと思います(現状では途方もないマイナスの宣伝効果を生み出しています)。
今から考えると不思議な気もするのですが、30年くらい前の国立大学は文科省が何を言ってもコントロールできないくらいの「強さ」を持っていたような気がします。同時に、その頃は文科省も大学が言うことを聞かなかったからといって、懲罰的な予算削減などということはおそらくあまりやっていなかったのように思います。文科省も大学も貧乏だったから、お金で支配できるというような関係にはなれなかっただけなのかもしれません。それが、国の科学技術振興政策で文科省が大きなお金を大学などに対して配布できるようになったことで、文科省はその配分決定を通じて大学を支配下におこうとし、逆に大学側ではいかに文科省に気に入られることでその配分を多く受けるかという、経済的支配原則が回り始めたような気がします。
教育のことを考えると、実は大学院が重点化される前には、大学院には事実上「教育」などというものはなかったと言ってよいほどの(考えようによってはひどい)状態でした。大学院では「学生は先生の背中を見て自分で育っていくものだ」などという、何の根拠もない通説がまかり通っていましたから、大学院生を受け入れる研究者の側では大学院生が何人になろうとも、背中さえ見せていればいいのだからと何も心配していなかった能天気な先生が多かったように思います。しかも、それまでは大学院の博士課程を出ればその半分近くが大学の教員になれるくらいしか大学院生はいませんでしたから、就職が大変になるなどという想像力を働かせることもできなかったのかもしれません。また、大学院生の数が研究室から上がる研究業績に比例し、ひいては獲得できる研究費に反映するということになってきましたので、大学院生の獲得にはますます拍車がかかったというのが実態で、そのことは非難されて当然のことです。これに関しては、大学(私を含めて)は責任を逃れることはできません。
また、文科省の方でも何を根拠にしてか、大学院生を増やして修士や博士が増えたら、企業がそういう人材を積極的に採用するはずだと「信じて」いたのだと思いますが、卒業生が出るころは就職難時代になってしまっていたので、超高等教育を受けた人材が失業者になることを防ぐためにも例の「ポスドク1万人計画」が予定を上回る速度で達成されたという声もあります。文科省の予想通りならば就職氷河期が過ぎた今、企業がポスドクをどんどんと吸収してくれるはずだったのでしょうが、増やしすぎた博士の中に質が低くて使い物にならない人がいることを「口実」に企業は博士を採用することに消極的です。
ここまで来てしまった以上、博士・ポスドク問題はかなりの痛みをともなわずには解決することは不可能なことは認めざるを得ないと思います。そのためには、何度も書いていますけれども、大学院を少数精鋭に戻し、大学院教育を充実し「こと授業料に関しては、きちんとした教育が行われ、若い人材が世に出て活躍できるのであれば、今の3倍4倍の授業料でも決して高い対価ではない」と思わせるくらいの質を持った博士を世の中に送り出せる体制を作り、博士になった全員(少なくとも半分か3分の1は)が大学教員や研究者(大学・企業を問わず)あるいは、社会のリーダーになれるという状況をつくるべきでしょう。
また、もはや大学や大学院の統廃合も避けられないことだと思いますが、ジリ貧になって文科省主導でツブされるのでなく、大学側が積極的に動いて変わっていくことが必要なのだろうと思います。そのためには、Aさんのおっしゃるように「大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げる」ことや、「経営体制を見直すリストラ」さらには、大学・大学院の教育体制を抜本的に改革するためのリストラも必要になると思います。
大学にそれをやらせるのは、納税者であり受益者である国民の声と力だと思うのですが、そうなると最大の問題は、国民の大多数が大学のことなど気にしてはいないことだという気もしてきます。
出口は簡単には見つかりそうもありません。

>ここまで来てしまった以上、博士・ポスドク問題はかなりの痛みをともなわずには解決することは不可能なことは認めざるを得ないと思います。そのためには、(以下略)
もう何度目の堂々巡りかわかりませんが・・
ここに書いておられることは「予防」であって、すでに学位をとっている現在のポスドク問題の解決ではありませんよね。
正直、世情に疎いアカデミックの人は、この問題には関わらないでくれとすら最近思うようになっています。「痛み」とは、具体的に何なのでしょうか?
もう何度目の堂々巡りかわかりませんが・・
ここに書いておられることは「予防」であって、すでに学位をとっている現在のポスドク問題の解決ではありませんよね。
正直、世情に疎いアカデミックの人は、この問題には関わらないでくれとすら最近思うようになっています。「痛み」とは、具体的に何なのでしょうか?
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この問題に関しては、あえて意識的に堂々巡りも必要だと思っています。
私も「痛み」の内容を具体的にイメージできているわけではありません。とりあえず、現在すでにポスドクになっている方にとって、これまでのキャリアが意味のないものになってしまうということが最大の「痛み」だと思っていますが、その方々はすでに十分に「痛み」を受けているグループです。また今後、大学の体制を変えるためには、そこに関係している教員・職員・学生さらには日本の社会そのものにも当然なんらかの「被害(不満)」が発生し、それを受け入れなければ変わることができないということを、今あまり「痛み」を感じていないグループに対する覚悟を呼びかけたつもりです。
私も「痛み」の内容を具体的にイメージできているわけではありません。とりあえず、現在すでにポスドクになっている方にとって、これまでのキャリアが意味のないものになってしまうということが最大の「痛み」だと思っていますが、その方々はすでに十分に「痛み」を受けているグループです。また今後、大学の体制を変えるためには、そこに関係している教員・職員・学生さらには日本の社会そのものにも当然なんらかの「被害(不満)」が発生し、それを受け入れなければ変わることができないということを、今あまり「痛み」を感じていないグループに対する覚悟を呼びかけたつもりです。

「痛み」は、ポスドクの痛みが、現在大学で教官職についている人にもやってくるということではないでしょうか。大学院統廃合や大学院定員の減少の結果、教官のリストラなどが起こってくる可能性がありますね。
現在あるポスドク問題の即効性のある「解決法はない」というのが、皆のコンセンサスだと思います。自分で選んだ道とあきらめて自分で苦境を乗り越えるよう最善をつくすというのが、ポスドクの人の立場からの唯一の解決法でしょう。政策側からの解決法は大学院での博士課程定員数とその後のポジションのバランスが取れるように長期的視点で改善するということで、その間、一旦ひずんだバランスが元に戻るまで、ポスドクのみならず大学関係者も、痛みを感じることになるということだと思います。
現在あるポスドク問題の即効性のある「解決法はない」というのが、皆のコンセンサスだと思います。自分で選んだ道とあきらめて自分で苦境を乗り越えるよう最善をつくすというのが、ポスドクの人の立場からの唯一の解決法でしょう。政策側からの解決法は大学院での博士課程定員数とその後のポジションのバランスが取れるように長期的視点で改善するということで、その間、一旦ひずんだバランスが元に戻るまで、ポスドクのみならず大学関係者も、痛みを感じることになるということだと思います。

35歳PDさんの言うとおり、もう放っておいてくれという気分です。我々は勝手にドロップアウトするなりなんなりします。そんなことはとっくに分かっています。堂々巡りは必要ありません。
今後、こういう不幸な博士が少なくなるように、いくつかできる策を着実に打ってください。
今後、こういう不幸な博士が少なくなるように、いくつかできる策を着実に打ってください。

いつも興味深く拝見させて頂いております。匿名で失礼いたします。
ひとつ教えて頂きたいのですが、大学運営の舵取りというのは、どのようなシステムで決定されるのでしょうか。教官、学長、事務方、文科省がそれぞれどのように関わっていて、どのような力関係になっているのでしょうか。
というのも、stochinai先生(だけでなく、ほとんどの教官がそうなのでしょうが)が「大学にそれをやらせるのは、納税者であり受益者である国民の声と力だと思う」と、教官として大学の意志決定へ関与することを諦めて、外部へ丸投げしている状況が何故なのか不思議で、理解できないのです。
ひとつ教えて頂きたいのですが、大学運営の舵取りというのは、どのようなシステムで決定されるのでしょうか。教官、学長、事務方、文科省がそれぞれどのように関わっていて、どのような力関係になっているのでしょうか。
というのも、stochinai先生(だけでなく、ほとんどの教官がそうなのでしょうが)が「大学にそれをやらせるのは、納税者であり受益者である国民の声と力だと思う」と、教官として大学の意志決定へ関与することを諦めて、外部へ丸投げしている状況が何故なのか不思議で、理解できないのです。

こうやって大学教員が諦めているうちは、あるいは諦めざるを得ないシステムになっているうちは状況はどんどん悪くなる一方でしょうし、大学院教育自体が日本で完全に廃れる未来も、現実味を帯びて見えてきます。そして大学は研究機関としての性格を失い、職業訓練校としてのみ機能する機関になっていくのでしょう。
国民が大学院教育に対して一片たりとも興味がないのなんて、分かり切ったことではありませんか。世間はそもそも、大学には大卒という「ブランディング」以上の機能は期待していないのではないでしょうか。
国民が大学院教育に対して一片たりとも興味がないのなんて、分かり切ったことではありませんか。世間はそもそも、大学には大卒という「ブランディング」以上の機能は期待していないのではないでしょうか。

プロフェッショナルな学究の徒として、もしまだプライドと誇りを持っているなら、日本の研究の場の未来をどのように描いていくのか、大学の教官達が声を上げ、動き、自らを改革していかない限りは難しいと思います。そしてそういう動きが一切見えてこない現状は、極めて絶望的だと思います。

現在ポスドクの人の救済は予算等の問題もあり難しいかもしれない、
でもこれから大学院の組織をどうするかは教官の意識しだいで
改善されるのでは?
根本をいえば問題点は教育機関として機能していないことだと思う。
そのためには修士、博士号の際にしっかりとした能力を
審査するべきだと思う。
実際、これすら行われていないのが問題だと思う。
人が余っているというのなら、
博士に入学する際の条件を現在の博士卒業条件にすればいい、
これだけでかなり選別されるはず。
そのためには留年も覚悟する、これぐらい覚悟を持った学生なら
モラトリアム気分で入学してこないはず。
博士課程においては、学生に自由度を持たし自身の力だけで
その条件を満たせるようにすればいい。
など、簡単なアイデアが教官のもとから出ないのが悲しい。
打つべき手はいっぱいあるはずなのに手を打てないなら、
就職できないところから、もしくは金銭での補助が出ないところから
淘汰されてしかるべきでは?
でもこれから大学院の組織をどうするかは教官の意識しだいで
改善されるのでは?
根本をいえば問題点は教育機関として機能していないことだと思う。
そのためには修士、博士号の際にしっかりとした能力を
審査するべきだと思う。
実際、これすら行われていないのが問題だと思う。
人が余っているというのなら、
博士に入学する際の条件を現在の博士卒業条件にすればいい、
これだけでかなり選別されるはず。
そのためには留年も覚悟する、これぐらい覚悟を持った学生なら
モラトリアム気分で入学してこないはず。
博士課程においては、学生に自由度を持たし自身の力だけで
その条件を満たせるようにすればいい。
など、簡単なアイデアが教官のもとから出ないのが悲しい。
打つべき手はいっぱいあるはずなのに手を打てないなら、
就職できないところから、もしくは金銭での補助が出ないところから
淘汰されてしかるべきでは?

ネットに書いているような教官はすでに権力の主流から外れてるので、ネットで騒ぐのがせきの山ということでしょう。東大の有名教授クラスが動かないと日本の大学は微動だにしないと思います。

ななしです。しばらくコメントできずにいました。
悪意を持って文科省の行為を見れば、大不況の人余りでリストラ断行の時期に一時的に人を吸収するように大学院に指示した。日本の富裕層から間接的に富を提供させていたとも考えられます(大学は保身のためにこの指示に従っただけかもしれません)。
これが真実だとすれば、大量の博士は問題の先送りにより生まれたものですから、長期的な好況と言われる今、企業が未来への先行投資として受け入れることを期待したいところです。企業志向の博士にとっては、企業に役に立つ能力を開発してきたかが問われるのだと思います。
既に同じ意見が出ていたかもしれません。繰り返しですみません。
悪意を持って文科省の行為を見れば、大不況の人余りでリストラ断行の時期に一時的に人を吸収するように大学院に指示した。日本の富裕層から間接的に富を提供させていたとも考えられます(大学は保身のためにこの指示に従っただけかもしれません)。
これが真実だとすれば、大量の博士は問題の先送りにより生まれたものですから、長期的な好況と言われる今、企業が未来への先行投資として受け入れることを期待したいところです。企業志向の博士にとっては、企業に役に立つ能力を開発してきたかが問われるのだと思います。
既に同じ意見が出ていたかもしれません。繰り返しですみません。

先日文科省は、複数の大学で学部を共同設置することを認める、と発表しました。教養部での語学講師を外部臨時教員に置き換えて来た流れを、専門教育に持ち込むものです。これで更にアカデミックポストは減少します。極端に言えば、多くの講義は放送大学でまかなう事も考えられます。さあ皆さん、なにか別の職を探しましょう。

>「大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げる」
これをさせないのが文科省では。
東大が都内の立地条件のいいところでホテルを経営しようとしたらストップをかけられたという話をききました。独自財源など持たれては困るというのが文科省の本音ではないでしょうか。
Game Overさん、
これから団塊の世代が大量に辞めるので、その分を補充しなければ、結構な人員削減ができそうですし、それに合わせて学部併設でもって「学部定員を減らす」のは、その気になれば達成可能かと。 受験人口が減り続けているのだから、大学学部教育のレベルを維持するためには、学部定員が減るのは良いことかもしれません。大学の大衆化とは逆方向に舵を切ることになりますし、せめて大学は出て欲しいなどという親御さんの希望を砕くことにはなりますけれど。
これをさせないのが文科省では。
東大が都内の立地条件のいいところでホテルを経営しようとしたらストップをかけられたという話をききました。独自財源など持たれては困るというのが文科省の本音ではないでしょうか。
Game Overさん、
これから団塊の世代が大量に辞めるので、その分を補充しなければ、結構な人員削減ができそうですし、それに合わせて学部併設でもって「学部定員を減らす」のは、その気になれば達成可能かと。 受験人口が減り続けているのだから、大学学部教育のレベルを維持するためには、学部定員が減るのは良いことかもしれません。大学の大衆化とは逆方向に舵を切ることになりますし、せめて大学は出て欲しいなどという親御さんの希望を砕くことにはなりますけれど。

匿名ポスドクさん、
>教官、学長、事務方、文科省がそれぞれどのように関わっていて、どのような力関係になっているのでしょうか。
事務方は制度や規則についてサポートしてくれるという感じです。
教員が力を発揮できるのは、定員削減をどの学科に押しつけるかといった、つまりはコップの中の争いだけです。法人化で教授会の権限がほとんど無くなったので、事実上力など何も持っていません。
学長も勝手ができるわけではないです。ついている裁量経費の範囲内でやれる範囲のことしか多分できない(直接文部科学省と交渉して成功すれば別ですが)。下っ端なのでまだ上の方が見えているわけではありませんが。
じゃあ、何がコントロールしているのかというと、文部科学省とその周辺の審議会、というのが、答えになります。これも多分ですが。
中教審あたりが答申を出したり、文科省あたりが省令を出したりすると、ネットでも公表され、事務経由で教員にも配布されます。それに沿う形で運営するように、現場を仕切るいろんな委員会が招集されて、具体的に学内をどうするかを協議して動きます。このとき、答申やら省令を無視するという解は最初からありません。
>教官、学長、事務方、文科省がそれぞれどのように関わっていて、どのような力関係になっているのでしょうか。
事務方は制度や規則についてサポートしてくれるという感じです。
教員が力を発揮できるのは、定員削減をどの学科に押しつけるかといった、つまりはコップの中の争いだけです。法人化で教授会の権限がほとんど無くなったので、事実上力など何も持っていません。
学長も勝手ができるわけではないです。ついている裁量経費の範囲内でやれる範囲のことしか多分できない(直接文部科学省と交渉して成功すれば別ですが)。下っ端なのでまだ上の方が見えているわけではありませんが。
じゃあ、何がコントロールしているのかというと、文部科学省とその周辺の審議会、というのが、答えになります。これも多分ですが。
中教審あたりが答申を出したり、文科省あたりが省令を出したりすると、ネットでも公表され、事務経由で教員にも配布されます。それに沿う形で運営するように、現場を仕切るいろんな委員会が招集されて、具体的に学内をどうするかを協議して動きます。このとき、答申やら省令を無視するという解は最初からありません。

(続きです)
法人化後は、中期目標を提出させられてその達成状況を評価されますが、中期目標についても、文科省は各大学にまかすと言いつつ、完全に自由にはさせてくれていないようです。
競争的資金配分のためのプロジェクトの募集もあります。最近では、安倍元総理の肝いりの再チャレンジプロジェクトがありました。こういうのも、予算がつくので、その予算を大学に引っ張るべく、申請書を書いて提出します。例えば、ウチの場合は、博士前期に、正規のコースでは対応できないような専門性を持った社会人を入れるといったことをするようです。
こういうことをすると、委員会の時間が延び、書類を書く実働の人間は拘束され、本来指導すべき正規の博士前期の院生の指導に投入すべきリソースが他に回されるということになったりします。ただ、外部資金獲得状況でも競争させられているため、ちょっとでも出せそうなものには応募するしかないのです。結局、本来の教育研究に回すリソースが減り、現場は疲弊する一方となっています。
法人化後は、中期目標を提出させられてその達成状況を評価されますが、中期目標についても、文科省は各大学にまかすと言いつつ、完全に自由にはさせてくれていないようです。
競争的資金配分のためのプロジェクトの募集もあります。最近では、安倍元総理の肝いりの再チャレンジプロジェクトがありました。こういうのも、予算がつくので、その予算を大学に引っ張るべく、申請書を書いて提出します。例えば、ウチの場合は、博士前期に、正規のコースでは対応できないような専門性を持った社会人を入れるといったことをするようです。
こういうことをすると、委員会の時間が延び、書類を書く実働の人間は拘束され、本来指導すべき正規の博士前期の院生の指導に投入すべきリソースが他に回されるということになったりします。ただ、外部資金獲得状況でも競争させられているため、ちょっとでも出せそうなものには応募するしかないのです。結局、本来の教育研究に回すリソースが減り、現場は疲弊する一方となっています。

補足です。現在、大学が強いられている「競争」は、収益に結びつかないということに注意してください。
民間企業の競争なら、がんばって工夫したり残業したりして成果が上がれば、収益が増えて、従業員のボーナスが増えたり、生産設備を増やしたり支社を増やしたりして新たな雇用も生み出せます。ところが、大学が今やっている競争は収益にはほとんどつながりません。
学生数は勝手に増減できないので、学生の教育サービスを良くしても収入が増えるわけではない。競争的研究資金は予算を消化して成果を出せという方針です。つまり、今強いられている「競争」で大学の事業そのものが拡大できるわけでもないし、教員の賃金にも反映しない。
こんな「競争」を強いれば、競争のためにリソースを持って行かれて、全体に疲弊するのは当たり前です。
民間企業の競争なら、がんばって工夫したり残業したりして成果が上がれば、収益が増えて、従業員のボーナスが増えたり、生産設備を増やしたり支社を増やしたりして新たな雇用も生み出せます。ところが、大学が今やっている競争は収益にはほとんどつながりません。
学生数は勝手に増減できないので、学生の教育サービスを良くしても収入が増えるわけではない。競争的研究資金は予算を消化して成果を出せという方針です。つまり、今強いられている「競争」で大学の事業そのものが拡大できるわけでもないし、教員の賃金にも反映しない。
こんな「競争」を強いれば、競争のためにリソースを持って行かれて、全体に疲弊するのは当たり前です。

過去のエントリーを見ると、役人も見ているようなので、それなりに政策提言力はもってらっしゃると思いますよ。
文科省も大学に対してはきつくあたりますが、財務省を相手にしたときには、大学側に立って予算をとってくるわけで、その財務省の文科担当主計官も、主計局長、次長に対しては、文科省や大学の味方になり、主計局長も財務省の中では、歳出一般の拡大という意味で、文科省の味方なわけで、攻守いれかわりながら、最終的には、研究者は世論を納得させるような説明をしないといけないと思いますね。そういう意味で先生のブログは大変有意義と思いますが、読者の皆様が時折科学者らしくない理屈で、誹謗中傷合戦になさっているのが玉にキズ…。
文科省も大学に対してはきつくあたりますが、財務省を相手にしたときには、大学側に立って予算をとってくるわけで、その財務省の文科担当主計官も、主計局長、次長に対しては、文科省や大学の味方になり、主計局長も財務省の中では、歳出一般の拡大という意味で、文科省の味方なわけで、攻守いれかわりながら、最終的には、研究者は世論を納得させるような説明をしないといけないと思いますね。そういう意味で先生のブログは大変有意義と思いますが、読者の皆様が時折科学者らしくない理屈で、誹謗中傷合戦になさっているのが玉にキズ…。

>>Aさんへ
大学院生の数を増やす提言がでたのは、恐らくはバブルの頃です.私も含め、今の現役研究者世代が、学生の頃ではないでしょうか?
現在の大学教員に、大学院生を何故増やしたのかと詰め寄っても、現役の大学教員は、重点化の経緯は知らないと思います。
現在の40代の人達が大学院生~ポスドクだった頃に、日本のポスドク制度が立ち上がり、大学院の重点化が行われて行きました。50代の教授世代も、そのころは30代の助手だったはずで、政策立案の経緯など知らないはずです。
現役の大学教員に、博士院生の数を増やしたメリットがあるだろうと、問いつめても、正確に答えられる人はいないのです。このHPでも、多くの教員の書き込みが類推を交えた形なのは、この様な事情もあると思います。
大学院生の数を増やす提言がでたのは、恐らくはバブルの頃です.私も含め、今の現役研究者世代が、学生の頃ではないでしょうか?
現在の大学教員に、大学院生を何故増やしたのかと詰め寄っても、現役の大学教員は、重点化の経緯は知らないと思います。
現在の40代の人達が大学院生~ポスドクだった頃に、日本のポスドク制度が立ち上がり、大学院の重点化が行われて行きました。50代の教授世代も、そのころは30代の助手だったはずで、政策立案の経緯など知らないはずです。
現役の大学教員に、博士院生の数を増やしたメリットがあるだろうと、問いつめても、正確に答えられる人はいないのです。このHPでも、多くの教員の書き込みが類推を交えた形なのは、この様な事情もあると思います。

>>通りすがりさんへ
>現役の大学教員に、博士院生の数を増やしたメリットがあるだろうと、>問いつめても、正確に答えられる人はいないのです。
自分の研究室の学生が増えると労働力が増えるので
研究者、PIとしたらそれが最大のメリットでは?
さらに大学からの予算も増えるのでは?
ある大学では給料も増えるとかも聞いたのですが?
自分も現在の先生の立場なら学生を喜んで受け入れます。
受け入れることはいいんですがなら卒業時の責務も負えと、
実際しっかりしている先生は研究も進路も面倒見が良いです。
>現役の大学教員に、博士院生の数を増やしたメリットがあるだろうと、>問いつめても、正確に答えられる人はいないのです。
自分の研究室の学生が増えると労働力が増えるので
研究者、PIとしたらそれが最大のメリットでは?
さらに大学からの予算も増えるのでは?
ある大学では給料も増えるとかも聞いたのですが?
自分も現在の先生の立場なら学生を喜んで受け入れます。
受け入れることはいいんですがなら卒業時の責務も負えと、
実際しっかりしている先生は研究も進路も面倒見が良いです。

新制大学への転換に際して旧7大学が大学院大学として他と差別化しようと試みたのが最初でしょう。その後、1980年代に日本が国際的な経済摩擦をひき起こしていた時に(同時に中曽根内閣に始まる日本の大学予算が毎年マイナスシーリングだった時期に)、国外から「日本は外国の基礎研究にただ乗りして、利益に繋がる応用技術開発だけしかやっていない」と国際的に強い批判が起き、その証拠の一つとして日本における科学者の養成が少ないということが上げられたように記憶しています。(国外でいたので、国内でどのように伝わっていたのかは良く判りません)。その後、90年代に入って大学院重点化という動きが起きた伏線は以上のようなものではなかったでしょうか。
90年代、最初に重点化したのは東大理学部と京大医学部、それに旧7大学が横並び的に追随しましたが、その理由として「重点化すると予算配分が増える」というウワサが上げられます。
90年代、最初に重点化したのは東大理学部と京大医学部、それに旧7大学が横並び的に追随しましたが、その理由として「重点化すると予算配分が増える」というウワサが上げられます。

実際には博士課程まで持っている大学には目一杯予算が出ているので、重点化したところで予算が増えるワケは元々なかったというのが正解ですが、多くの大学、学部で予算が増えると信じられていたようで、あちこちの大学の友だちからもそんな話は聞きましたし、2000年頃になっても、教授会でそんな話が出ていました。根拠なく、出所不明の都市伝説的なウワサで各大学が軽挙妄動して重点化したということのようです。
重点化は各教員、特に教授にとってはマイナスであることは最初から判っていました。というのが、重点化に伴って助手のポジションを教授に転換して新設研究室を大量に作ることが判っていたからです。重点化前の標準的な研究室は教授1-助教授1-助手2〜3の4〜5人で構成されていましたが、重点化後は1-1-1の3人が基準になり、新設研究室では教授1-助教授1、極端な場合には教授1(だけ)という場合も出現しました。結果的に零細な研究室が乱立することになり、各教員への日常業務の負担が増えてしまいました。
重点化は各教員、特に教授にとってはマイナスであることは最初から判っていました。というのが、重点化に伴って助手のポジションを教授に転換して新設研究室を大量に作ることが判っていたからです。重点化前の標準的な研究室は教授1-助教授1-助手2〜3の4〜5人で構成されていましたが、重点化後は1-1-1の3人が基準になり、新設研究室では教授1-助教授1、極端な場合には教授1(だけ)という場合も出現しました。結果的に零細な研究室が乱立することになり、各教員への日常業務の負担が増えてしまいました。

で、重点化に伴って増加した院生が第一線の研究力としてこれまで以上に当てにされるようになったというわけです。
重点化に際して、いろんな事務作業が教員にも降ってきましたが学部長から聞かされたのは「重点化すれば予算が増えるから、今は我慢して欲しい」という話だけです。重点化でどのような研究室を新設するかについては、その当時の学部長や学部執行部が決めたのではないでしょうか。学部の運営にタッチしたことがない教員に判るのはこの程度です。
なお、ウチは重点化して院生が集まるような性格の研究室ではないので、殆ど何の影響も受けていませんが。
重点化に際して、いろんな事務作業が教員にも降ってきましたが学部長から聞かされたのは「重点化すれば予算が増えるから、今は我慢して欲しい」という話だけです。重点化でどのような研究室を新設するかについては、その当時の学部長や学部執行部が決めたのではないでしょうか。学部の運営にタッチしたことがない教員に判るのはこの程度です。
なお、ウチは重点化して院生が集まるような性格の研究室ではないので、殆ど何の影響も受けていませんが。

>>院生Zさんへ
> 自分も現在の先生の立場なら学生を喜んで受け入れます。
教員と学生の適正比率があります。米国のある大物教授は、教員1人に対して、毎年院生が1-2名が適正で、それ以上は、指導しきれないといいました。自分もそう思います。
学生も玉石混淆。受験科目にない高校レベルの理科が未習(物化生地の1科目のみ履修)で、知識がない学生もかなり居ます。高校レベルが未習だと、大学院レベルまで引き上げるのは不可能です。(定員を絞り、入試で落とすべきです。)
院生としてドンドン来てくれとは言えません。
---
私は大学教員ではないので、院生の受入はボランティアですが。。。。
> 自分も現在の先生の立場なら学生を喜んで受け入れます。
教員と学生の適正比率があります。米国のある大物教授は、教員1人に対して、毎年院生が1-2名が適正で、それ以上は、指導しきれないといいました。自分もそう思います。
学生も玉石混淆。受験科目にない高校レベルの理科が未習(物化生地の1科目のみ履修)で、知識がない学生もかなり居ます。高校レベルが未習だと、大学院レベルまで引き上げるのは不可能です。(定員を絞り、入試で落とすべきです。)
院生としてドンドン来てくれとは言えません。
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私は大学教員ではないので、院生の受入はボランティアですが。。。。

エントリーに取り上げていただいて恐縮です。エントリーを読んで、かつての国立大の持つ強さは、ほとんどの博士を次世代の教員として消化するという、教育と就職の自給自足が行われていたところにあるのではないかと思いました。今の問題は、授業料、若い労働力、国からの税金などをつぎ込んだあげく、20〜30代の就業できない人材を大量に排出していることで、大学院不要論につながりました。しかし、教育レベルが今も昔も(これからも)変わらなかったとしても、生み出した博士は大学内で全て内包するというなら話は変わってきます。これは私が考えていた社会でも通用する人材育成という方向とは全然違いますが、それもひとつの方向性だと思います。
その場合、これからの大学院の定員=受け入れ可能な教員(もしくは研究員)の上限でなくてはつじつまが合わないですね。今後も大学がこのスタンスを続けるのであれば、これからは学部全体で年に数人程度の博士課程の学生を、手間ひまかけて育て上げるのが良いでしょう。恐らくこれは生え抜き採用を促進すると思いますが、それはそれで良いと思います。教育と流動性は基本的に相容れないし、必要なら大学間でトレードすれば良いでしょう。
その場合、これからの大学院の定員=受け入れ可能な教員(もしくは研究員)の上限でなくてはつじつまが合わないですね。今後も大学がこのスタンスを続けるのであれば、これからは学部全体で年に数人程度の博士課程の学生を、手間ひまかけて育て上げるのが良いでしょう。恐らくこれは生え抜き採用を促進すると思いますが、それはそれで良いと思います。教育と流動性は基本的に相容れないし、必要なら大学間でトレードすれば良いでしょう。

ただし、大学内の人材育成を税金でまかなう価値があるのかについては疑問が残ります。もっと言うと、博士課程の学生がお金を払ってやるべきことなのかも疑問です。これは大学が自分でお金を出してやるべきことだと思います。そうなると、そのためのお金はどこから稼ぐのか、そして大学院の社会的意義は何なのか、と言うことが問題になってきます。
まずお金の出所についてですが、健全なのはやはり学部生の授業料収入を大学院での教員教育に充てるというところでしょうか。これはお金と人材の循環が出来るので、効率化、縮小化を図れば永続的に続ける事が出来るでしょう。この再構築をうまくやれば、税金の流入を減らし、かつての大学の強みを取り戻せるのではないでしょうか。
また、大学院の存在意義という面でも、教員養成による学部教員の確保は立派な大義名分だと思います。しかし、現時点では莫大な研究費が税金から投入されていること、ポストポスドクの問題が残っていることにも答えなくてはなりません。この対応としては、実際の研究活動と大学院の研究者教育を切り離し、税金の流入を減らすことが早道になると思います。これらに関しては、またいつかコメントしようかと思います。
まずお金の出所についてですが、健全なのはやはり学部生の授業料収入を大学院での教員教育に充てるというところでしょうか。これはお金と人材の循環が出来るので、効率化、縮小化を図れば永続的に続ける事が出来るでしょう。この再構築をうまくやれば、税金の流入を減らし、かつての大学の強みを取り戻せるのではないでしょうか。
また、大学院の存在意義という面でも、教員養成による学部教員の確保は立派な大義名分だと思います。しかし、現時点では莫大な研究費が税金から投入されていること、ポストポスドクの問題が残っていることにも答えなくてはなりません。この対応としては、実際の研究活動と大学院の研究者教育を切り離し、税金の流入を減らすことが早道になると思います。これらに関しては、またいつかコメントしようかと思います。

>>Aさん
マスコミ関係の方かと思って読みました。
> 健全なのはやはり学部生の授業料収入を大学院での教員教育に
> 充てるというところでしょうか。
現時点での、大学の運営経費をご存じですか?
現在の定員のまま、学部の運営経費で、大学運営を全てまかなうなら、学費は4-600万円/年になります。人作りは、国の基本であり、それを税金から払うのは当然だと思います。
国立大学の経費を削減するよりも、むしろ、ベンチャーの起業支援の予算を削るべきです。そんなことに国費を投入している国は無いです。
仮に、独立行政法人のコスト削減を題目に、バカな2世議員の大臣が、国立大学は寄付で賄えと言っているそうですが、文科系の学科ならともかく、大型の研究機器が必要な理科系の学科は不可能です。
マスコミ関係の方かと思って読みました。
> 健全なのはやはり学部生の授業料収入を大学院での教員教育に
> 充てるというところでしょうか。
現時点での、大学の運営経費をご存じですか?
現在の定員のまま、学部の運営経費で、大学運営を全てまかなうなら、学費は4-600万円/年になります。人作りは、国の基本であり、それを税金から払うのは当然だと思います。
国立大学の経費を削減するよりも、むしろ、ベンチャーの起業支援の予算を削るべきです。そんなことに国費を投入している国は無いです。
仮に、独立行政法人のコスト削減を題目に、バカな2世議員の大臣が、国立大学は寄付で賄えと言っているそうですが、文科系の学科ならともかく、大型の研究機器が必要な理科系の学科は不可能です。

全くの素人を有識者と称し、審議会のメンバーにいれ、政策立案が続いています。経済的価値を生まないと称して学問を排斥する様は、まるで、文革時代の中国の様です。中国は人材が枯渇し、外国に大量に留学生を送り、呼び戻すことで、再起をはかりましたが、文革のリカバリーに30年を要しました。
日本でも同様のことが起こると思います。これから,ゆとり世代が大学院に入学し、さらに、人材の枯渇が進むと思います。人の一生は短いので,10年も学問を迫害すれば、人材の枯渇は相当なレベルになると思います。
日本でも同様のことが起こると思います。これから,ゆとり世代が大学院に入学し、さらに、人材の枯渇が進むと思います。人の一生は短いので,10年も学問を迫害すれば、人材の枯渇は相当なレベルになると思います。

前のエントリーでは思いがけず激論をしてしまい、
管理人様にはご迷惑をかけしました。すいませんでした。
> 現在の定員のまま、学部の運営経費で、大学運営を全てまかなうなら、学費は4-600万円/年になります。
大学院の授業料を学部生でまかなうというのは、
大学の規模によっては全く不可能ではありません。
要するに、学部生が院生に対して多くて、
授業料が多少高くても学部生が集まる大学なら可能です。
例えば、簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
また、日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
院生の比率が低い、私立大ならではの話ですが。
管理人様にはご迷惑をかけしました。すいませんでした。
> 現在の定員のまま、学部の運営経費で、大学運営を全てまかなうなら、学費は4-600万円/年になります。
大学院の授業料を学部生でまかなうというのは、
大学の規模によっては全く不可能ではありません。
要するに、学部生が院生に対して多くて、
授業料が多少高くても学部生が集まる大学なら可能です。
例えば、簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
また、日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
院生の比率が低い、私立大ならではの話ですが。

これまでの激論、当事者(「痛みを感じている側」です)の一人として興味深く読ませていただきました。まだ議論の流れの全てを把握しきっているわけではなく、また建設的な議論につながる発言ではないかもしれませんが、一言言わせてください。
私はいわゆる「就職氷河期」初期世代の人間です。我々が学部(理系であれば修士課程)を卒業しようとしていた90年代半ばの当時は、ご存知のように、バブル経済崩壊後、社会のあちこちで制度改革が叫ばれていました。リストラ然り、年功序列の見直し然り、大学院重点化然り。その変革の気運の中で、志有る若者の少なからずが「今後は日本も欧米のように専門家重視の社会になる」という大学院や文部省(当時)の青写真の実現を信じて、大学院(または博士課程)に進みました。しかし、その後、大学院を出てみると、専門知識や技能よりも若さを重視する日本社会の体質は全く変っていなかったのです。そこで、受け皿の無いまま、日本の博士号取得者たちは、PD・ODとして世の中を漂い続けています。
私はいわゆる「就職氷河期」初期世代の人間です。我々が学部(理系であれば修士課程)を卒業しようとしていた90年代半ばの当時は、ご存知のように、バブル経済崩壊後、社会のあちこちで制度改革が叫ばれていました。リストラ然り、年功序列の見直し然り、大学院重点化然り。その変革の気運の中で、志有る若者の少なからずが「今後は日本も欧米のように専門家重視の社会になる」という大学院や文部省(当時)の青写真の実現を信じて、大学院(または博士課程)に進みました。しかし、その後、大学院を出てみると、専門知識や技能よりも若さを重視する日本社会の体質は全く変っていなかったのです。そこで、受け皿の無いまま、日本の博士号取得者たちは、PD・ODとして世の中を漂い続けています。

何が言いたいかというと、昨今、就職氷河期時代に大学院に進んだポスドク(オーバードクター)たちに対して「問題意識も無く安易に院に進んだ」または「就職できなかったので安易に院に進んだ」とされる風潮に疑問を感じるのです。同様に、高齢のフリーターを「就職できなかった人」「無能な人」「怠惰な人」としてのみ問題化する風潮にも違和感を感じます。

社会の激変が感じられたあの時期、就職する道を選んだ者も、フリーターになった者も、院に進んだ者も、それぞれに将来をそれなりに考えてそれぞれの選択をしました。就職した者だけが将来を真面目に考えていたわけでもなく、その他の者が安易に考えていたり能力が無かったりしたわけではないのです。みんな似たりよったりだったと思います。たまたま当時「就職する」選択した人々が後に「勝ち組」と称されるようになったにすぎません。当時、従来的な意味での定職への就職をしなかった者だけが今になって「落伍者」「社会のお荷物」「無能者」として問題視されている現状に憤りを感じます。
年功序列、新卒重視の社会体制(企業が主ですが、年齢制限や学閥のまかり通っている大学や役所もそれほど違いはありません)が現在もなお強固に存在していることこそ、問題なのではないでしょうか。
年功序列、新卒重視の社会体制(企業が主ですが、年齢制限や学閥のまかり通っている大学や役所もそれほど違いはありません)が現在もなお強固に存在していることこそ、問題なのではないでしょうか。

大学院生やポスドクを含め、将来の目標に向かってそれなりに努力している人々が哀れまれる日本社会が、とても異様に感じられます。(「日本では博士課程に進んでいるというと、哀れまれる」と日本人以外の人々に話すと、往々にして驚かれます)
「再チャレンジ」にしても、「失敗した人(PD、フリーター、ニートなど)にチャンスを与えてやろう」が主眼であって、「どんな人でも、年齢・性別・既婚/未婚の別などに関係無く、キャリアチェンジの機会が得られる柔軟性に富んだ社会にしていこう」という方向性で議論されているわけではないですよね。
こんなことは、これまでも散々指摘されてきたことで、今さら私がここに割り込んで書き込むまでもないことですが。 大学院(教育)と文科省の方針以外にも、日本社会の柔軟性の無さ、旧態依然とした状況をも問題化すべきではないかと考え、つい長々と書き込んでしまいました。感情的で支離滅裂な部分はご容赦を。
「再チャレンジ」にしても、「失敗した人(PD、フリーター、ニートなど)にチャンスを与えてやろう」が主眼であって、「どんな人でも、年齢・性別・既婚/未婚の別などに関係無く、キャリアチェンジの機会が得られる柔軟性に富んだ社会にしていこう」という方向性で議論されているわけではないですよね。
こんなことは、これまでも散々指摘されてきたことで、今さら私がここに割り込んで書き込むまでもないことですが。 大学院(教育)と文科省の方針以外にも、日本社会の柔軟性の無さ、旧態依然とした状況をも問題化すべきではないかと考え、つい長々と書き込んでしまいました。感情的で支離滅裂な部分はご容赦を。

こんにちは。
>apjさま、いろいろご丁寧にご教示頂き、ありがとうございました。
新たに疑問に思うのですが、文科省が大学を支配したがるのは、そもそもどうしてなんでしょうか?もしどなたかお付き合い頂けるなら、ご教示頂けたらと思います。
>apjさま、いろいろご丁寧にご教示頂き、ありがとうございました。
新たに疑問に思うのですが、文科省が大学を支配したがるのは、そもそもどうしてなんでしょうか?もしどなたかお付き合い頂けるなら、ご教示頂けたらと思います。

>文科省が大学を支配したがるのは、そもそもどうしてなんでしょうか?
天下り先確保の為です
天下り先確保の為です

世の中には、上から下へ決める場合と、下からの意見を上に吸い上げて物事を決める両方があると思います。文科省もその時代の要求に応えるべく一応、大学の活力を上げるんだと思って改革案を出すのだと思います。実際、大学も昔は自由はあっても活力は少なかった訳ですし。でも、やってみたら色々うまく行かないことがどんどん出て来てしまう (想像が及ばなかった)。あるいは、文科省の中での手柄争いもたまにはあるかも知れないと想像します。

以前にstochinai先生が書いてたように、大学が文科省官僚の天下り先になるってのが理由の一つじゃないかと邪推してます。
まぁ国の補助金におんぶだっこしてきた大学にも責任の一旦はあるのではないでしょうか。
まぁ国の補助金におんぶだっこしてきた大学にも責任の一旦はあるのではないでしょうか。

>hyoryusha 様
「欧米のような専門家重視の社会」に舵を切ろうとしたはず、、、の部分、僕もそう思っていました。今だって高い調査能力、分析力、報告書作成能力をもつ人は社会の様々なところで全然足りてないと思います。大学内だって広報、事務、人事、特許など、欧米なら研究を経験した人も活躍してそうなところで Ph.D. が活躍している例など日本では聞いたことがありません。
ただ、そういう方向ではじまったはずの大学院重点化への思惑が人によって違っていたのは明らかで、当時の大学教官は増えた大学院生を単に研究の労働力として使ってしまったのではないかという思いが消えません。他にも応用可能な調査能力、分析力、文章作成能力などをきちんと指導する機会を設けたのか? 教官側にもいろいろ言い訳はあるでしょうが、高等・専門教育とは何なのかについて大学側が反省すべきところも多いように思います。
「欧米のような専門家重視の社会」に舵を切ろうとしたはず、、、の部分、僕もそう思っていました。今だって高い調査能力、分析力、報告書作成能力をもつ人は社会の様々なところで全然足りてないと思います。大学内だって広報、事務、人事、特許など、欧米なら研究を経験した人も活躍してそうなところで Ph.D. が活躍している例など日本では聞いたことがありません。
ただ、そういう方向ではじまったはずの大学院重点化への思惑が人によって違っていたのは明らかで、当時の大学教官は増えた大学院生を単に研究の労働力として使ってしまったのではないかという思いが消えません。他にも応用可能な調査能力、分析力、文章作成能力などをきちんと指導する機会を設けたのか? 教官側にもいろいろ言い訳はあるでしょうが、高等・専門教育とは何なのかについて大学側が反省すべきところも多いように思います。

X様
普通、大学院重点化と聞けば、みっちり大学院生を指導できるような制度になると考えませんか?私も最初は院生を絞ってもっとびっちり指導できるようになると誤解しました。
この国の重点化は研究室あたりの教員を減らして院生を充填しただけですから、以前より手薄になるのが普通ではないでしょうか?
普通、大学院重点化と聞けば、みっちり大学院生を指導できるような制度になると考えませんか?私も最初は院生を絞ってもっとびっちり指導できるようになると誤解しました。
この国の重点化は研究室あたりの教員を減らして院生を充填しただけですから、以前より手薄になるのが普通ではないでしょうか?

>教員x様
おっしゃる通りだと私も思います。すみません、「言い訳」という書き方は的確でなかったと思います。こういう議論をしているとつくづく「硫黄島」とか「本土決戦」とか「竹槍」の話と一緒に思えて仕方ないのですが、、、でも、大学側として「結果として」おざなりになった部分があったとしたら、今後修正する必要があると思っています。
おっしゃる通りだと私も思います。すみません、「言い訳」という書き方は的確でなかったと思います。こういう議論をしているとつくづく「硫黄島」とか「本土決戦」とか「竹槍」の話と一緒に思えて仕方ないのですが、、、でも、大学側として「結果として」おざなりになった部分があったとしたら、今後修正する必要があると思っています。

日本は昔から形式主義です。研究室の数と院生が増えたら「研究体制の強化」に見えますからねえ。旧日本軍も「何月何日までに某陣地に大砲X門装備」という命令が来ると、とりあえず大砲だけ運んで砲弾は用意しなくても怒られなかったそうです。

>>katagiさんへ
> 簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
> 1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
> 日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
どういう試算をされたのか、学生数、学費、大学の経費を明示願えませんか?
この種の数字は、一人歩きしがちです。実情を反映しているかを知りたいのでお願い致します。
> 簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
> 1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
> 日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
どういう試算をされたのか、学生数、学費、大学の経費を明示願えませんか?
この種の数字は、一人歩きしがちです。実情を反映しているかを知りたいのでお願い致します。

通りすがり様
ご指摘ありがとうございます。確かに数字だけ一人歩きされては困りますね。
計算は正確なものではなく、「1~2割」と書いた部分が実は2割5分だった、なんてこともあるかもしれません。totoroさんの「4-600万」という指摘がありましたが、大学の規模と学生構成によってはもっと安くなる可能性がある、ということをコメントしたかったので、厳密に1割だ、とか5%だ、ということを申しあげたいわけではありません。
早稲田大学については、以下の統計データを利用しました。
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/databook/2007/number01.html
私の試算は文型も理系も法化大学院も授業料が一律という前提で計算していますが、実際には学科ごとに違うし、大学院も学年ごとに授業料が異なるようです。また、特待生など大学独自の奨学金もあるでしょうし、正確に計算するにはかなり時間がかかります。なので、あくまで概算値(とはいえそれほど外れてもいないと思いますが)としてご理解頂ければ幸いです。
ご指摘ありがとうございます。確かに数字だけ一人歩きされては困りますね。
計算は正確なものではなく、「1~2割」と書いた部分が実は2割5分だった、なんてこともあるかもしれません。totoroさんの「4-600万」という指摘がありましたが、大学の規模と学生構成によってはもっと安くなる可能性がある、ということをコメントしたかったので、厳密に1割だ、とか5%だ、ということを申しあげたいわけではありません。
早稲田大学については、以下の統計データを利用しました。
http://www.waseda.jp/jp/global/guide/databook/2007/number01.html
私の試算は文型も理系も法化大学院も授業料が一律という前提で計算していますが、実際には学科ごとに違うし、大学院も学年ごとに授業料が異なるようです。また、特待生など大学独自の奨学金もあるでしょうし、正確に計算するにはかなり時間がかかります。なので、あくまで概算値(とはいえそれほど外れてもいないと思いますが)としてご理解頂ければ幸いです。

ついでですが、早稲田の学部志願者は126000人だそうです。
http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/data/07/nyushikekka_s/index.html
受験生から1万円多くぼったくれば、10億円は軽く稼げます。早稲田は高校生に人気高いので、多少は受験料高くても大丈夫でしょう。
早稲田の博士は2000人しかいないので、本気で奨学金を出そうとしたら、東大とも競り合えそうです。
といってもこの大学、バブル時の負債がまだ残ってるそうですが・・・
http://www.yozemi.ac.jp/nyushi/data/07/nyushikekka_s/index.html
受験生から1万円多くぼったくれば、10億円は軽く稼げます。早稲田は高校生に人気高いので、多少は受験料高くても大丈夫でしょう。
早稲田の博士は2000人しかいないので、本気で奨学金を出そうとしたら、東大とも競り合えそうです。
といってもこの大学、バブル時の負債がまだ残ってるそうですが・・・

X様
大学全体の方針に関しては良く存じませんが、21世紀COEとかその後継のCOEに大学を上げて狂奔しているのも、大学院生やポストドックの待遇を何とかしようという大学の動きの一つと理解しています。企業との共同研究を推進しろと急かされているのもその一環でしょう。
本来であれば、重点化とかポストドックとかの制度整備を相互関連させるべきであったのでしょうけど、関連なくバラバラに行われてました。バラバラに施行された制度の中で選択の知恵を働かせるゆとりもなく、片っ端から飛びついているのが今の大学の状態でしょう。ポストドック制度を導入するのならするで、それに適合した米国型のgrantにすべきなのですが、大型研究費を各省庁が握りづめにしたままで、しかも一年の金額だけは大きくても3年で打ち切りで整合性がとれるようになっていないというのが現状です。
それは様
そういえば、日米開戦の前に軍事力増強を狙った日本陸軍が4個連隊で1師団だったのを3個連体で1師団にして、師団数を増やして軍事力増強に成功(!?)していたという歴史を思い出しました。
4人編制の研究室を3人編制にしてきっと科学研究能力も大幅に増強されたのでしょう、日本的には。
大学全体の方針に関しては良く存じませんが、21世紀COEとかその後継のCOEに大学を上げて狂奔しているのも、大学院生やポストドックの待遇を何とかしようという大学の動きの一つと理解しています。企業との共同研究を推進しろと急かされているのもその一環でしょう。
本来であれば、重点化とかポストドックとかの制度整備を相互関連させるべきであったのでしょうけど、関連なくバラバラに行われてました。バラバラに施行された制度の中で選択の知恵を働かせるゆとりもなく、片っ端から飛びついているのが今の大学の状態でしょう。ポストドック制度を導入するのならするで、それに適合した米国型のgrantにすべきなのですが、大型研究費を各省庁が握りづめにしたままで、しかも一年の金額だけは大きくても3年で打ち切りで整合性がとれるようになっていないというのが現状です。
それは様
そういえば、日米開戦の前に軍事力増強を狙った日本陸軍が4個連隊で1師団だったのを3個連体で1師団にして、師団数を増やして軍事力増強に成功(!?)していたという歴史を思い出しました。
4人編制の研究室を3人編制にしてきっと科学研究能力も大幅に増強されたのでしょう、日本的には。

>hyoryusha 様
欧米において社会で活躍する専門家(ここでは Ph.D. とほぼ同義の意味で使用しています)とはどんな人達でしょうか。おそらく研究・実験を経験し、それをもとに別の分野でそれを生かしながら専門性を発揮している人が多いのではないかと思います。そう考えると、日本の PD、OD 問題は少しいびつなのかもしれません。日本の PD、OD のかなりの人があくまでも研究・実験の現場から離れず、研究・実験を行えるポジションを探しているような気がしますが、どうでしょうか(間違っていたらすみません)。
そもそも研究者に向くか否かは実際にやってみなければわからず、多様な才能の可能性を試すためにもある程度多めの人に大学院に入ってもらって、従って学問の世界が修士課程、博士課程、ポスドク、若手 PI とだんだん人数が絞られるピラミッド型になるのは避けられないと思います。PD、OD が大学院重点化で労働力を提供したまま置き去りにされるのは大問題です。かといって、すべての人が研究の現場にいられるよう求めるのは社会的に受け入れられるとは思えません。
欧米において社会で活躍する専門家(ここでは Ph.D. とほぼ同義の意味で使用しています)とはどんな人達でしょうか。おそらく研究・実験を経験し、それをもとに別の分野でそれを生かしながら専門性を発揮している人が多いのではないかと思います。そう考えると、日本の PD、OD 問題は少しいびつなのかもしれません。日本の PD、OD のかなりの人があくまでも研究・実験の現場から離れず、研究・実験を行えるポジションを探しているような気がしますが、どうでしょうか(間違っていたらすみません)。
そもそも研究者に向くか否かは実際にやってみなければわからず、多様な才能の可能性を試すためにもある程度多めの人に大学院に入ってもらって、従って学問の世界が修士課程、博士課程、ポスドク、若手 PI とだんだん人数が絞られるピラミッド型になるのは避けられないと思います。PD、OD が大学院重点化で労働力を提供したまま置き去りにされるのは大問題です。かといって、すべての人が研究の現場にいられるよう求めるのは社会的に受け入れられるとは思えません。

>教員x 様
待遇もとても大事な問題ですが,大学院として行う高等教育とはそもそも何なのだろうと思います。1つの柱はそれぞれの分野の学問の継承,発展ですが,もう1つの柱は社会を含む他分野にいっても通用する問題解決能力,思考法をみがくことではないかと思います。ところが,うちは一般にレベルが高いと思われているところですが,それでもちょっと違う分野のことを調べて書くようにいうと,とても大学院生のものとは思えない報告書がでてきます。この手の力は能力というより訓練の問題が大きい,つまり,大学院で,様々な課題について調べ,発表させ,書かせる訓練があまりに足りないのではないかと感じています。
専門分野で1つの課題を深く研究,追求していく能力と経験は専門教育の大きな柱ですが,専門外の分野でもきちんと課題を見つけて,期限内に調べて一定の答えを出すような問題解決能力が訓練されているだろうかと思います。
待遇もとても大事な問題ですが,大学院として行う高等教育とはそもそも何なのだろうと思います。1つの柱はそれぞれの分野の学問の継承,発展ですが,もう1つの柱は社会を含む他分野にいっても通用する問題解決能力,思考法をみがくことではないかと思います。ところが,うちは一般にレベルが高いと思われているところですが,それでもちょっと違う分野のことを調べて書くようにいうと,とても大学院生のものとは思えない報告書がでてきます。この手の力は能力というより訓練の問題が大きい,つまり,大学院で,様々な課題について調べ,発表させ,書かせる訓練があまりに足りないのではないかと感じています。
専門分野で1つの課題を深く研究,追求していく能力と経験は専門教育の大きな柱ですが,専門外の分野でもきちんと課題を見つけて,期限内に調べて一定の答えを出すような問題解決能力が訓練されているだろうかと思います。

X様、私の支離滅裂な怒りのコメント(今読み返すとお恥ずかしい限り)にご丁寧にレスくださいまして、どうもありがとうございます。
>欧米において社会で活躍する専門家
とは、Ph.D. holderで社会の各方面で活躍している人々という意味です。もちろん、広義には大学・シンクタンクなどの研究者も入りますが、私が「社会で活躍する専門家」と聞いて想像される人々は、企業・役所(地方自治体含む)・教育機関・その他の公的サービス機関などでそれぞれの専門知識・技術や論理的思考力をそれなりに活かした立場で仕事をしている人々です。
確かに、日本の従来の大学院教育は、学界で評価される研究者の育成に傾きすぎ、学術世界以外の社会とは隔たりがありました。その点で、「博士号保持者は年ばかり食っていて使い物にならない」「日本の大学院教育はなっていない」という批判は、もっともだと思います。また、企業への就職を見下す傾向にある(特に理系の)日本の大学院関係者(PD自身を含む)の意識改革が必要という意見には、私も大賛成です。
しかしながら、本当に博士号保持者は使い物にならないのか?という疑問が私にはあります。
>欧米において社会で活躍する専門家
とは、Ph.D. holderで社会の各方面で活躍している人々という意味です。もちろん、広義には大学・シンクタンクなどの研究者も入りますが、私が「社会で活躍する専門家」と聞いて想像される人々は、企業・役所(地方自治体含む)・教育機関・その他の公的サービス機関などでそれぞれの専門知識・技術や論理的思考力をそれなりに活かした立場で仕事をしている人々です。
確かに、日本の従来の大学院教育は、学界で評価される研究者の育成に傾きすぎ、学術世界以外の社会とは隔たりがありました。その点で、「博士号保持者は年ばかり食っていて使い物にならない」「日本の大学院教育はなっていない」という批判は、もっともだと思います。また、企業への就職を見下す傾向にある(特に理系の)日本の大学院関係者(PD自身を含む)の意識改革が必要という意見には、私も大賛成です。
しかしながら、本当に博士号保持者は使い物にならないのか?という疑問が私にはあります。

(以下は、「従来的な制度のもとでまともな大学院教育を受けてきた人間」について書いています。「教授の言いなりで論文を書いて博士になった人間」については、また別に考える必要があります。) たとえ特殊な分野のエキスパートになるような教育を受けてきたにせよ、その分野でエキスパートになるには、本来、幅広い知識・知見と論理的思考力および発想力を必要とします。そういった能力が、日本社会では正当に評価されていないように思われます。
「博士号取得者は年ばかりくっていて使い物にならない」というのには、多分にして、「彼らには年相応の社会人としての常識が無い」という意味合いが込められているように思います。しかし、その程度の常識は、マナー講座を一回でも開けば(あるいは研修DVDでも与えれば)、まともな博士号所持者ならば簡単に習得可能だと思うのです。よく取り上げられる「社交性」も、単なる慣れの問題ではないでしょうか。(私が海外で出会った日本人PDの方々はそれほど極端に非社交的というわけではありませんでした)

博士論文研究をしている間に培われた論理的思考力・分析力・(実験や調査などの)技術・発想力・(人によっては専門的な文献を読み書き出来る語学力や文章力)は、学術世界以外にも応用可能だと思います。最近、知ったのですが、欧米や日本の外資系企業では、大学院教育を受けた人間のそうした能力は他分野・企業の活動へも応用可能であると見做すために、高い評価をするそうです。つまり、潜在力を買っているのです。単に彼らの現在の専門知識・技術だけを評価しているのではないのです。この話を実際に就職活動している友人に聞いたとき、博士号取得者の潜在力に対する認識が日本の多くの企業や公的サービス機関には欠けていると感じました。それは、日本の社会にとって大きな損失ではないでしょうか。

実際、文系・理系に限らず、大学院で専門教育を受けた30代の日本人を海外で多く見かけました(私自身のことは棚にあげておきます)。彼らの能力・知力はすばらしく、柔軟性にも富んでいました(何と言っても外国で仕事をしているのですからね)。日本への帰国を望む人も少なくありませんでしたが、適当な仕事が無い、年齢制限がある、ということで海外で働いています。日本の社会にとっては、本当にもったいない話です。
期限以内に一定の問題解決をする能力も、一般常識同様、訓練次第でいかようにも向上可能でしょう。企業が利益追求のために特定の方向性の研究を望むということも説明次第でPDも納得できるはずです。「利益が見込めない画期的な研究はできない」というのではなく、「利益が見込めるという条件付で画期的な研究を企業も求めている」「企業を通して専門家の画期的な研究・見解を世に広めることができる」とポジティブに解釈しなおしてPDに解説すれば、論理的な説得に弱いPDの企業に対する不安感を取り除くことができ、かつ、モチベーションを高めることができるでしょう。
期限以内に一定の問題解決をする能力も、一般常識同様、訓練次第でいかようにも向上可能でしょう。企業が利益追求のために特定の方向性の研究を望むということも説明次第でPDも納得できるはずです。「利益が見込めない画期的な研究はできない」というのではなく、「利益が見込めるという条件付で画期的な研究を企業も求めている」「企業を通して専門家の画期的な研究・見解を世に広めることができる」とポジティブに解釈しなおしてPDに解説すれば、論理的な説得に弱いPDの企業に対する不安感を取り除くことができ、かつ、モチベーションを高めることができるでしょう。

正直、現状では、日本の企業や公的サービス機関がPDの潜在力を活用できるのかどうか疑問です。というのも、面接で意見を求められ、正直にその企業の研究の欠点を指摘し、より良いと思われる代案を提案したら不興を買って落とされた、などという例を幾つも聞いているからです。もしかしたら、彼らの意見は企業側の諸事情により実現不可能に見えたのかもしれません。であるならば、そこでお互いにもっと議論すべきだと思うのです。しかし、上司の言いなりになりやすく企業の色に染めやすい(と彼らが考えている)若い新卒者を求めているような日本の企業・公的サービス機関は、そこまでの努力をして博士の潜在力を活かそうとはしていないように思われます。
以上、「まともに」大学院で研鑽を積んできた博士の社会的活用について述べてきました。
以上、「まともに」大学院で研鑽を積んできた博士の社会的活用について述べてきました。

totoroさん
>経済的価値を生まないと称して学問を排斥する様は、まるで、文革時代の中国の様です。中国は人材が枯渇し、外国に大量に留学生を送り、呼び戻すことで、再起をはかりましたが、文革のリカバリーに30年を要しました。
上記、全く同感です。中国の留学生帰国政策はすさまじいものがあります。中国人の友人に「いっそのこと上海か北京か香港で就職すれば?」と私や日本人の友人達は言われましたよ。
日本社会は、とりあえず組織が生き延びるためという短期的な考えで様々な取り組みを行い、結果、20代後半から30代のPDとそれ以外の非正規雇用者を大量に生み出し、景気が上向いてくると彼らを切り捨ててきました。しかし、文革の失敗を経た中国や、IMFショックを乗り越えた韓国の、研究を含めた様々な分野で世界の大国と伍していこうとする必死さを見ていると、日本はこのままでは世界で取り残されるなという感を強くします。もちろん、中国や韓国には日本にはない問題点も山積みですが。
>経済的価値を生まないと称して学問を排斥する様は、まるで、文革時代の中国の様です。中国は人材が枯渇し、外国に大量に留学生を送り、呼び戻すことで、再起をはかりましたが、文革のリカバリーに30年を要しました。
上記、全く同感です。中国の留学生帰国政策はすさまじいものがあります。中国人の友人に「いっそのこと上海か北京か香港で就職すれば?」と私や日本人の友人達は言われましたよ。
日本社会は、とりあえず組織が生き延びるためという短期的な考えで様々な取り組みを行い、結果、20代後半から30代のPDとそれ以外の非正規雇用者を大量に生み出し、景気が上向いてくると彼らを切り捨ててきました。しかし、文革の失敗を経た中国や、IMFショックを乗り越えた韓国の、研究を含めた様々な分野で世界の大国と伍していこうとする必死さを見ていると、日本はこのままでは世界で取り残されるなという感を強くします。もちろん、中国や韓国には日本にはない問題点も山積みですが。

hyoryushaさんの、意見にほとんど同感です。
私は少し違いますが、今40前の私がポスドク第一世代と呼んでいる人たちは、優秀な人も多いし、本人の認識が甘いからこうなることがわからなかったわけでもなければ、頭が固いから企業等他の分野にいけないのでもありません。あの時期に今が予想できた人は誰もいないはずです。いたら教えてください。逆にその後にポスドクになった人には私は冷たいです。第一世代がどうなったかもう結論は出ているはずなのに彼らはなぜポスドクになったのでしょうか?
35過ぎてポスドクが転職活動をするということがどれだけ大変なことかがわかっておられない方が多すぎると思います。特に学生さん。能力など関係なく、年齢で切られるのでどうしようもありません。これは日本の企業内のキャリア形成のあり方と密接に関係しているので優秀だから採用とはならないわけです。誤解を恐れずに言えば、良く言われる、「博士持ちが使えない」から採用しないのではなく、仕事ができてもその結果今までの会社内の秩序が壊れることがまずいわけです。
私は少し違いますが、今40前の私がポスドク第一世代と呼んでいる人たちは、優秀な人も多いし、本人の認識が甘いからこうなることがわからなかったわけでもなければ、頭が固いから企業等他の分野にいけないのでもありません。あの時期に今が予想できた人は誰もいないはずです。いたら教えてください。逆にその後にポスドクになった人には私は冷たいです。第一世代がどうなったかもう結論は出ているはずなのに彼らはなぜポスドクになったのでしょうか?
35過ぎてポスドクが転職活動をするということがどれだけ大変なことかがわかっておられない方が多すぎると思います。特に学生さん。能力など関係なく、年齢で切られるのでどうしようもありません。これは日本の企業内のキャリア形成のあり方と密接に関係しているので優秀だから採用とはならないわけです。誤解を恐れずに言えば、良く言われる、「博士持ちが使えない」から採用しないのではなく、仕事ができてもその結果今までの会社内の秩序が壊れることがまずいわけです。

どなたが言われていたように、もう今いるポスドクは自助努力で何とかしていくしかないのですが、どなたが言われていた「ベンチャーに金を出すな」というのは意見としては一理あるのですが、ポスドクの吸収先の一番手がベンチャーで、多くのベンチャーが政府の金でやっていることを考えるとつらい話です。

「(日本以外に)ベンチャーに対して国が金を出している国はない」と書いている方がいらっしゃいましたが、是非根拠をお示しいただけませんか。
私のドイツ人の同僚の話では、ドイツでもベンチャーにはかなりカネをつっこんでいるそうです。私の話も人に聞いた話なので根拠が薄いのは承知しておりますが、本当に日本だけでしょうか?
私もhyoryushaさんと同感の部分が多いですし、同じ憂いを感じずにはいられません。私はヨーロッパと北米でポスドクをやりましたが、家電店にどれだけLGとかSAMSUNGのテレビや冷蔵庫が売られているか、どれだけの若者がLGやSAMSUNGの携帯を使っているか、街ではどれだけの数のHYUNDAIの車が走っているか、日本に住んでる日本人の皆さんは、知っておられるでしょうか。
大企業、ひいてはその仲良しさんの政府は、法人税と人件費(社会保障費含め)を抑制することが国際競争力だと思っているようですが、本当にそうなのか、よく考えて頂きたいところです。
私のドイツ人の同僚の話では、ドイツでもベンチャーにはかなりカネをつっこんでいるそうです。私の話も人に聞いた話なので根拠が薄いのは承知しておりますが、本当に日本だけでしょうか?
私もhyoryushaさんと同感の部分が多いですし、同じ憂いを感じずにはいられません。私はヨーロッパと北米でポスドクをやりましたが、家電店にどれだけLGとかSAMSUNGのテレビや冷蔵庫が売られているか、どれだけの若者がLGやSAMSUNGの携帯を使っているか、街ではどれだけの数のHYUNDAIの車が走っているか、日本に住んでる日本人の皆さんは、知っておられるでしょうか。
大企業、ひいてはその仲良しさんの政府は、法人税と人件費(社会保障費含め)を抑制することが国際競争力だと思っているようですが、本当にそうなのか、よく考えて頂きたいところです。

これだけの批判があっても社会運動にならないのが日本の特殊性なんである。

>hyoryosha 様
丁寧な議論をありがとうございます。私が高等教育について書いた部分は、専門分野については訓練もあって高い能力を見せるものの、専門外の課題になるととたんに問題解決能力が低下するまわりの「今の博士課程大学院生」を何人か見ていて感じていることであり、つまりこれは今後の大学院教育について思っていることで、今の PD 問題とは別の問題です(少しごっちゃにしてしまった部分があったかもしれません、すみません)。
丁寧な議論をありがとうございます。私が高等教育について書いた部分は、専門分野については訓練もあって高い能力を見せるものの、専門外の課題になるととたんに問題解決能力が低下するまわりの「今の博士課程大学院生」を何人か見ていて感じていることであり、つまりこれは今後の大学院教育について思っていることで、今の PD 問題とは別の問題です(少しごっちゃにしてしまった部分があったかもしれません、すみません)。

(続き1)
今の PD 問題については、私も海外 PD の時期があり、専門分野での研究能力、専門外の問題解決能力、人柄、すべてしっかりした多くの友人がいます(多くは今も海外で PD をされています)。多くは違った道に進んでいればそこで活躍していたと思われ、当時の政策誘導(?)によって様々な潜在能力を持った人がこの道に進んだこと、一方で現状は社会の様々なところで明らかに人(専門職)が足りていないのを見れば、何とももったいない話だと思います。私も運良く日本で職を得て、自分ではちゃんとやっているつもりですが次への一歩には多いに苦悩していて、閉塞感を募らせています。hyoryusha さんのおっしゃるように、専門性を身につけた人を使い捨てにし、さらに若い人をつぎつぎ消費するだけのモデルで日本は本当にいいのか、という点に強く同意します。
今の PD 問題については、私も海外 PD の時期があり、専門分野での研究能力、専門外の問題解決能力、人柄、すべてしっかりした多くの友人がいます(多くは今も海外で PD をされています)。多くは違った道に進んでいればそこで活躍していたと思われ、当時の政策誘導(?)によって様々な潜在能力を持った人がこの道に進んだこと、一方で現状は社会の様々なところで明らかに人(専門職)が足りていないのを見れば、何とももったいない話だと思います。私も運良く日本で職を得て、自分ではちゃんとやっているつもりですが次への一歩には多いに苦悩していて、閉塞感を募らせています。hyoryusha さんのおっしゃるように、専門性を身につけた人を使い捨てにし、さらに若い人をつぎつぎ消費するだけのモデルで日本は本当にいいのか、という点に強く同意します。

アメリカでもPIになるのは大変なので(大分昔で150倍くらいと聞きました)、同僚もPD からコンサルタント会社に行ったり、弁護士になったりしてました。万年PDも多かったです。日本も同様になったということでしょうね。

(さっきの続き2:追加)
現実問題として、研究遂行能力もあり、専門外の課題にもちゃんと対処できる人が多く含まれているのが PD問題の現状だと思います(当然人はみな完璧ではないので、欠点だって探せばあるでしょうが、そんなネガティブな人選をしていて大丈夫でしょうか?)。日本の閉塞的な状況を見れば、そういう方たちに研究能力を発揮する場(アカデミックポジション)を十分な量用意するのはかなり無理がありそうで、しかも今日本で職を持っている人(ふさわしくない人を含む)はこの状況を見れば当然今の職を死守する(少なくともできるだけ保守的に行動する)のは明らかで、じゃあ誰が他の分野へいくべきなのでしょうか、、、結局どうどうめぐりになってしまってすみません。
現実問題として、研究遂行能力もあり、専門外の課題にもちゃんと対処できる人が多く含まれているのが PD問題の現状だと思います(当然人はみな完璧ではないので、欠点だって探せばあるでしょうが、そんなネガティブな人選をしていて大丈夫でしょうか?)。日本の閉塞的な状況を見れば、そういう方たちに研究能力を発揮する場(アカデミックポジション)を十分な量用意するのはかなり無理がありそうで、しかも今日本で職を持っている人(ふさわしくない人を含む)はこの状況を見れば当然今の職を死守する(少なくともできるだけ保守的に行動する)のは明らかで、じゃあ誰が他の分野へいくべきなのでしょうか、、、結局どうどうめぐりになってしまってすみません。

40台海外ポスドク様
>今40前の私がポスドク第一世代と呼んでいる人たちは、優秀な人も多いし、本人の認識が甘いからこうなることがわからなかったわけでもなければ、頭が固いから企業等他の分野にいけないのでもありません。あの時期に今が予想できた人は誰もいないはずです。いたら教えてください。逆にその後にポスドクになった人には私は冷たいです。
嗚呼。この言葉を朝日・毎日の記者をはじめとするマスコミ各人に届けたいです。彼らのこれまでの「ポスドク問題」の取り上げ方は、「博士号保有者=社会的不適合者」という偏見を助長する傾向にあったと思いますので。
匿名ポスドクさま。海外経験豊富なPDはおそらく日本社会の長所も短所もそこらの役人・政治家・シンクタンクよりもよほど知り尽くしているでしょう。彼らのそうした知見を日本の社会に活かすことはできないのでしょうか。
どんだけ様、PDの一万人やそこらでは社会運動にはならないかもしれません。しかも彼らは世界中に散らばっていますし。でも、「世界のPDよ、団結せよ」というのも悪くないですね。
>今40前の私がポスドク第一世代と呼んでいる人たちは、優秀な人も多いし、本人の認識が甘いからこうなることがわからなかったわけでもなければ、頭が固いから企業等他の分野にいけないのでもありません。あの時期に今が予想できた人は誰もいないはずです。いたら教えてください。逆にその後にポスドクになった人には私は冷たいです。
嗚呼。この言葉を朝日・毎日の記者をはじめとするマスコミ各人に届けたいです。彼らのこれまでの「ポスドク問題」の取り上げ方は、「博士号保有者=社会的不適合者」という偏見を助長する傾向にあったと思いますので。
匿名ポスドクさま。海外経験豊富なPDはおそらく日本社会の長所も短所もそこらの役人・政治家・シンクタンクよりもよほど知り尽くしているでしょう。彼らのそうした知見を日本の社会に活かすことはできないのでしょうか。
どんだけ様、PDの一万人やそこらでは社会運動にはならないかもしれません。しかも彼らは世界中に散らばっていますし。でも、「世界のPDよ、団結せよ」というのも悪くないですね。

PD問題・非正規雇用者問題・少子化問題・年金問題(将来きちんと払われるのか)・・・は、全て密接に絡んでいると思います。初期世代PDだけに限って言えば、能力・人格ともに特に問題の無い彼らが不安定な雇用状況にある(しかも多くは様々な国を転々とせざるを得ない)中で、結婚・出産を先延ばしにしています。
男性PDおよびパートナーの方々も大変ですが、女性PDはそれに輪をかけて大変です。PDの中には元来家庭的なタイプも少なくなく(男女とも)、生活が安定しさえすれば、素晴らしい親としても社会に貢献できるのにと残念でなりません。
文系PDはさらに悲惨です。生活が不安定どころか、理系と違って任期付き給料制の職も限られているので、多くは非常勤講師やアルバイト生活です。年金・保険料の支払いも満足にできない状況にある方々も少なくありません。
男性PDおよびパートナーの方々も大変ですが、女性PDはそれに輪をかけて大変です。PDの中には元来家庭的なタイプも少なくなく(男女とも)、生活が安定しさえすれば、素晴らしい親としても社会に貢献できるのにと残念でなりません。
文系PDはさらに悲惨です。生活が不安定どころか、理系と違って任期付き給料制の職も限られているので、多くは非常勤講師やアルバイト生活です。年金・保険料の支払いも満足にできない状況にある方々も少なくありません。

X様
>今日本で職を持っている人はこの状況を見れば当然今の職を死守する
やはり、そうなんですか・・・。でも、どなたかが既に書いておられるように、今の状況を根本的に改善しなければ、現在「勝ち組」の人々も高齢PDをあざ笑う若者たちも、結局は自分たちの首を絞めることになり、損をすると思うのですが。
不思議なのは、なぜ日本はアメリカ型社会を目ざしているのかということです。PD増産計画も競争型社会への変更もおそらくはアメリカをモデルにしています。しかし、国土・資源・社会の成り立ち(当然ながらアメリカは移民を受け入れる国で人材は外からも確保でき、さらにキャリアパスも多様です)全てにおいて日本と全く異なるアメリカを参考にすることに、そもそも無理があります。
個人的には、北欧型のワーク・シェアリングを積極的に活用した社会組織を目ざすほうが、既得権保有者・非保有者ともに、痛みが最も少なく持続可能な改革だと思います。しかも、人間的生活が保障されます。
ただし、ワークシェアに対する私の印象は、北欧の一般企業や役所の例に関するメディアの報道に依拠しています。北欧の研究者雇用事情はどうなっているのでしょうか?
>今日本で職を持っている人はこの状況を見れば当然今の職を死守する
やはり、そうなんですか・・・。でも、どなたかが既に書いておられるように、今の状況を根本的に改善しなければ、現在「勝ち組」の人々も高齢PDをあざ笑う若者たちも、結局は自分たちの首を絞めることになり、損をすると思うのですが。
不思議なのは、なぜ日本はアメリカ型社会を目ざしているのかということです。PD増産計画も競争型社会への変更もおそらくはアメリカをモデルにしています。しかし、国土・資源・社会の成り立ち(当然ながらアメリカは移民を受け入れる国で人材は外からも確保でき、さらにキャリアパスも多様です)全てにおいて日本と全く異なるアメリカを参考にすることに、そもそも無理があります。
個人的には、北欧型のワーク・シェアリングを積極的に活用した社会組織を目ざすほうが、既得権保有者・非保有者ともに、痛みが最も少なく持続可能な改革だと思います。しかも、人間的生活が保障されます。
ただし、ワークシェアに対する私の印象は、北欧の一般企業や役所の例に関するメディアの報道に依拠しています。北欧の研究者雇用事情はどうなっているのでしょうか?

>> katagiさんへ
> 簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
> 1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
> また、日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
これの根拠を読ませて頂きました。
> 私の試算は文型も理系も法化大学院も授業料が一律という前提で
> 計算していますが、実際には学科ごとに違うし、大学院も学年ごとに
> 授業料が異なるようです。
試算の資料は分かりましたが、具体的にどんな計算をし、どんな数字を出したのか教えて頂けませんか?具体的な試算を書かなければ,
如何様にも都合の良い解釈がなりたちます.
学部学生数xxxx人で, 学部生の学費はxxxx円
院生の学生数xxxx人で、院生の学費はxxxx円だから、
学部生1人当たり、xxxx円のアップで賄える。
上記のxxxxの部分を埋めて頂けませんか?
> 簡単な試算ですが、早稲田大学なら学部の授業料を
> 1割~2割アップするだけで大学院の授業料をまかなえます。
> また、日本大学なら5%程度アップするだけで大丈夫です。
これの根拠を読ませて頂きました。
> 私の試算は文型も理系も法化大学院も授業料が一律という前提で
> 計算していますが、実際には学科ごとに違うし、大学院も学年ごとに
> 授業料が異なるようです。
試算の資料は分かりましたが、具体的にどんな計算をし、どんな数字を出したのか教えて頂けませんか?具体的な試算を書かなければ,
如何様にも都合の良い解釈がなりたちます.
学部学生数xxxx人で, 学部生の学費はxxxx円
院生の学生数xxxx人で、院生の学費はxxxx円だから、
学部生1人当たり、xxxx円のアップで賄える。
上記のxxxxの部分を埋めて頂けませんか?

あなたも試算してみたら?

私は、Katagiさんの授業料の書込みの信憑性に疑問を持っており、
どう計算したか知りたいのです。
公開されている学費も、学部や専攻で様々で、どの数字を使うかで、
計算結果が随分違います.この種の数字は、一人歩きし、影響が
大きいので、どう計算したかを知りたいのです。。。
私の試算は、また別の問題です。
どう計算したか知りたいのです。
公開されている学費も、学部や専攻で様々で、どの数字を使うかで、
計算結果が随分違います.この種の数字は、一人歩きし、影響が
大きいので、どう計算したかを知りたいのです。。。
私の試算は、また別の問題です。



私もポスドク2年目で、今後の行く先については常に不安を感じており、stochiani 先生の blog は大変参考になります。
今の研究社会は、たまたま早く生まれたために permanent の職にありつけた人たちが、若い博士達を都合のいい労働力として使い捨てにしている状況だと思っています。
暴論ではありますが、この状況を打破するためには、今の大学教官を全ていったん解雇して、全員を任期付で再雇用するべきです。
教授を含めたスタッフ達も業績をあげられなければ任期打ち切りとすることで若い人たちにポストを用意するのです。
当然、業績評価の基準は厳密で客観的でないといけません。
今の研究社会は、たまたま早く生まれたために permanent の職にありつけた人たちが、若い博士達を都合のいい労働力として使い捨てにしている状況だと思っています。
暴論ではありますが、この状況を打破するためには、今の大学教官を全ていったん解雇して、全員を任期付で再雇用するべきです。
教授を含めたスタッフ達も業績をあげられなければ任期打ち切りとすることで若い人たちにポストを用意するのです。
当然、業績評価の基準は厳密で客観的でないといけません。

さらに暴論を付け加えると、スタッフの給料は大学から払うのではなく全て獲得した研究費から捻出するようにしてもいいでしょう。
そうすれば、研究費を獲得できない者は退職せざるを得なくなり、有望な若い博士達にチャンスを与えることができます。
もちろん、そのためには科研費の充足率を7〜8割程度まで上げる、小口の研究費の数を大幅に増やす等、審査や配分の仕方を大きく変えないと大変なことになりますが。
stochiani 先生は「痛み」とおっしゃられていますが、先生も含めて今の大学教官達にそのような「痛み」を受け入れる覚悟がありますでしょうか?
そうすれば、研究費を獲得できない者は退職せざるを得なくなり、有望な若い博士達にチャンスを与えることができます。
もちろん、そのためには科研費の充足率を7〜8割程度まで上げる、小口の研究費の数を大幅に増やす等、審査や配分の仕方を大きく変えないと大変なことになりますが。
stochiani 先生は「痛み」とおっしゃられていますが、先生も含めて今の大学教官達にそのような「痛み」を受け入れる覚悟がありますでしょうか?

また、日本社会が実際に必要としている基礎研究科学者の数に比べて明らかに博士の供給過多である以上、stochiani 先生の「大学院入学者を減らすべき」という案には概ね賛成ですが、筆記試験でいい成績を取ることと、研究者としての能力は必ずしも一致しないので、間口を狭めすぎるのも問題かもしれません。
そこで、博士課程に進学する者には必ず資格を取らせる、または資格を持った人しか入学を認めない、としてはどうでしょうか?
医師免許や薬剤師免許などがあれば30歳過ぎで研究職を失っても生活費を稼ぐことはできますし、博士としての知識や経験も多少は役立てられると思います(少なくともコンビニバイトなどよりは)。
そこで、博士課程に進学する者には必ず資格を取らせる、または資格を持った人しか入学を認めない、としてはどうでしょうか?
医師免許や薬剤師免許などがあれば30歳過ぎで研究職を失っても生活費を稼ぐことはできますし、博士としての知識や経験も多少は役立てられると思います(少なくともコンビニバイトなどよりは)。

芸能界では失職したときのために調理師免許等を取っている人が多いみたいですが、今の研究社会は芸能界と同様、一部の運と才能に恵まれた人だけが生き残って行ける状態になってしまったので、あらかじめ資格を取っておくべきだと思います。
私の周りのポスドクたちも、何かちゃんとした資格を取っておくべきだった、と後悔している人がたくさんいます。
少なくともこれから博士になろうとしている人たちにはそのような後悔をさせないように、大学側が学生に周知徹底するべきです。
(一昔前までは「博士号」もちゃんとした資格だったはずですが)
私の周りのポスドクたちも、何かちゃんとした資格を取っておくべきだった、と後悔している人がたくさんいます。
少なくともこれから博士になろうとしている人たちにはそのような後悔をさせないように、大学側が学生に周知徹底するべきです。
(一昔前までは「博士号」もちゃんとした資格だったはずですが)

すいません、stochinai 先生の名前を stochiani と間違ってしまいました。

>>だから さんへ
私も試算したが、自分の計算はkatagiさんとは合いません。どんな
試算か聞いてみたかったのです。
>>Katagiさんへ
裏付けとなる具体的数値を示せない試算なら、経費を切り詰めて教育に
携わる教員対し失礼ですよ。
出せないものを、問いつめても仕方ないので、質問は打ち切りますが、
その程度だったのですね。
私も試算したが、自分の計算はkatagiさんとは合いません。どんな
試算か聞いてみたかったのです。
>>Katagiさんへ
裏付けとなる具体的数値を示せない試算なら、経費を切り詰めて教育に
携わる教員対し失礼ですよ。
出せないものを、問いつめても仕方ないので、質問は打ち切りますが、
その程度だったのですね。

>私も試算したが
その試算を書いてごらんよ。はっきりするでしょ。具体的数値は示せないの?
その試算を書いてごらんよ。はっきりするでしょ。具体的数値は示せないの?

>>だから さんへ
katagiさんの根拠が出たら、私もだして議論致します。
いい加減な試算に思える数値を出したので、根拠を示せといっていう、
質問に対し、
「お前も試算結果を出せ。」
では、返答になっていません。私の質問に答えて頂ければ、私も
お答え致しましょう。
katagiさんの根拠が出たら、私もだして議論致します。
いい加減な試算に思える数値を出したので、根拠を示せといっていう、
質問に対し、
「お前も試算結果を出せ。」
では、返答になっていません。私の質問に答えて頂ければ、私も
お答え致しましょう。

なにいってるの?その計算はおかしい、というならどこがおかしいのか自分の計算を出すのが常識でしょう。

>>だからさんへ
> その計算はおかしい、というならどこがおかしいのか自分の計算を
> 出すのが常識でしょう。
私は、「信憑性に疑問がある」「いい加減な試算に思える」と
書きましたが、
「おかしい」
と断定していません。文章は正確にお読み下さい。
疑問に思ったので、お答え頂きたかったのです。
「答えられない」
というので、その程度の試算かと書きました。
疑問の根拠は、これらの早稲田、日大、共に友人が教員をしており、
内輪の話に聞いたものと、合わない気がしたからです。最初に
疑問を出したとき、その内容も書きかけましたが、内輪話なので
その部分を削除しましたが。。。
> その計算はおかしい、というならどこがおかしいのか自分の計算を
> 出すのが常識でしょう。
私は、「信憑性に疑問がある」「いい加減な試算に思える」と
書きましたが、
「おかしい」
と断定していません。文章は正確にお読み下さい。
疑問に思ったので、お答え頂きたかったのです。
「答えられない」
というので、その程度の試算かと書きました。
疑問の根拠は、これらの早稲田、日大、共に友人が教員をしており、
内輪の話に聞いたものと、合わない気がしたからです。最初に
疑問を出したとき、その内容も書きかけましたが、内輪話なので
その部分を削除しましたが。。。

> いい加減な試算に思える数値を出したので
いい加減ですよ。厳密じゃないって断ってますし。
・・・それが何か?
> 経費を切り詰めて教育に携わる教員対し失礼ですよ。
え?何の話してるんですか?
いい加減ですよ。厳密じゃないって断ってますし。
・・・それが何か?
> 経費を切り詰めて教育に携わる教員対し失礼ですよ。
え?何の話してるんですか?

katagiさんの数字は出てるじゃないの。そのどこが疑問なの?
小学生みたいなこと言ってないで早くあなたの試算出したらどうですか。それですっきりするでしょ。
小学生みたいなこと言ってないで早くあなたの試算出したらどうですか。それですっきりするでしょ。

もしかして、すごく難易度高かったのでしょうか?この計算。
授業料を一律だと仮定(例えば100万円)して、
11人の授業料を10人で負担したら、さていくらでしょう?
ってだけの話なんですけどね。根拠を示せとは・・・。とほほ
授業料を一律だと仮定(例えば100万円)して、
11人の授業料を10人で負担したら、さていくらでしょう?
ってだけの話なんですけどね。根拠を示せとは・・・。とほほ

通りすがりの32歳PD さん
> そこで、博士課程に進学する者には必ず資格を取らせる、または資格を持った人しか入学を認めない、としてはどうでしょうか?
良いアイデアだと思います。ただ、その為には新しい資格を創出する必要があるでしょう。医師や薬剤師は特定学部じゃないと取れないですし、理学系は基本的に資格には無縁です。あるのは教員免許くらいでしょうか。
その中でも、技術士が博士にフィットする資格なんじゃないかと思います。技術士は今のところ大したメリットの無い資格ですが、法改正をして、例えば事業所(工場や研究所、大学など)や部署ごとに必ず専任の技術士を配置しなければならない、とかしたら技術士の価値は上がると思います。最近では設計の偽造や論文の捏造など理工系の倫理問題が注目されていますが、技術士は倫理規定を法律で定められているので、そういう問題を取り仕切る存在としても価値があると思います。
技術士の二次試験では実務経験が求められるので、大学院生が簡単に取得できるものではありませんが、政府関係者には一考してもらいたいです。
> そこで、博士課程に進学する者には必ず資格を取らせる、または資格を持った人しか入学を認めない、としてはどうでしょうか?
良いアイデアだと思います。ただ、その為には新しい資格を創出する必要があるでしょう。医師や薬剤師は特定学部じゃないと取れないですし、理学系は基本的に資格には無縁です。あるのは教員免許くらいでしょうか。
その中でも、技術士が博士にフィットする資格なんじゃないかと思います。技術士は今のところ大したメリットの無い資格ですが、法改正をして、例えば事業所(工場や研究所、大学など)や部署ごとに必ず専任の技術士を配置しなければならない、とかしたら技術士の価値は上がると思います。最近では設計の偽造や論文の捏造など理工系の倫理問題が注目されていますが、技術士は倫理規定を法律で定められているので、そういう問題を取り仕切る存在としても価値があると思います。
技術士の二次試験では実務経験が求められるので、大学院生が簡単に取得できるものではありませんが、政府関係者には一考してもらいたいです。

マトモに返答させて頂きます
>>katagiさんへ
> 授業料を一律だと仮定(例えば100万円)して、
> 11人の授業料を10人で負担したら、さていくらでしょう?
やはり、そうですか。もっと別な、方法かと思いました。
学費の件は東大の例でした。例えば、東大では
学部学生: 14000人
院生(修士): 6400人
院生(博士): 6000人
です。学部学生の学費アップで、院生の学費を負担すると、2.3人で
1人の院生博士院生の学費を負担することになり、無理があります。
また、私大という条件でしたが、私大は少子化で経営にかなり敏感です。
私大の学費は元々高いので、1割以下の学費アップですら、学生の反対運動が起きることが有ります。まして、文系も含めた学部学生の学費アップと、院生の授業料免除が相殺では,学生の同意は得られません。また理系学部に限ると、国立大学と同様の問題がでてきます。
>>katagiさんへ
> 授業料を一律だと仮定(例えば100万円)して、
> 11人の授業料を10人で負担したら、さていくらでしょう?
やはり、そうですか。もっと別な、方法かと思いました。
学費の件は東大の例でした。例えば、東大では
学部学生: 14000人
院生(修士): 6400人
院生(博士): 6000人
です。学部学生の学費アップで、院生の学費を負担すると、2.3人で
1人の院生博士院生の学費を負担することになり、無理があります。
また、私大という条件でしたが、私大は少子化で経営にかなり敏感です。
私大の学費は元々高いので、1割以下の学費アップですら、学生の反対運動が起きることが有ります。まして、文系も含めた学部学生の学費アップと、院生の授業料免除が相殺では,学生の同意は得られません。また理系学部に限ると、国立大学と同様の問題がでてきます。

(続き)
katagiさんが例としてあげた私大に赴任した友人がいます。ラボの
立ち上げ費用が出ず、自分の貯金から400万円弱を払い私費でビーカーや
フラスコを買い実験室を立ち上げました。つまり、大学の財政事情は
かなり厳しいようです。マスプロの私大でも、学費アップし、院生の
補助というのは、現実的ではない気がします。
簡単な試算と、笑い飛ばしますが、数値が新聞などで報道されたら、
それが事実と見なされます。大学の収支はバランスシートの上で議論
されるので,学費だけが特別扱いではありません。学費上げとセットで、
予算関連の様々なことが語られます。現実には難しくても、机上の空論
なので、何でもアリのように見えかねません.
国立大学は、緊縮財政で、削減圧力が掛かっています。地方では、
まともな教育が成り立たない大学も出ています。授業料や付属病院の収入や予算の獲得の収入と、使い道である支出のバランスに相当神経質になっています。
丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だと思います。
katagiさんが例としてあげた私大に赴任した友人がいます。ラボの
立ち上げ費用が出ず、自分の貯金から400万円弱を払い私費でビーカーや
フラスコを買い実験室を立ち上げました。つまり、大学の財政事情は
かなり厳しいようです。マスプロの私大でも、学費アップし、院生の
補助というのは、現実的ではない気がします。
簡単な試算と、笑い飛ばしますが、数値が新聞などで報道されたら、
それが事実と見なされます。大学の収支はバランスシートの上で議論
されるので,学費だけが特別扱いではありません。学費上げとセットで、
予算関連の様々なことが語られます。現実には難しくても、机上の空論
なので、何でもアリのように見えかねません.
国立大学は、緊縮財政で、削減圧力が掛かっています。地方では、
まともな教育が成り立たない大学も出ています。授業料や付属病院の収入や予算の獲得の収入と、使い道である支出のバランスに相当神経質になっています。
丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だと思います。

で、いったい何を批判されてるのでしょうか?

> 学部学生: 14000人
院生(修士): 6400人
院生(博士): 6000人
です。学部学生の学費アップで、院生の学費を負担すると、2.3人で
1人の院生博士院生の学費を負担することになり、無理があります。
無理があるって、何が?
2.3倍ってことは、学費50万として115万?
400万より、安いじゃない。
院生(修士): 6400人
院生(博士): 6000人
です。学部学生の学費アップで、院生の学費を負担すると、2.3人で
1人の院生博士院生の学費を負担することになり、無理があります。
無理があるって、何が?
2.3倍ってことは、学費50万として115万?
400万より、安いじゃない。


>>katagiさんへ
私が言いたいのは、
「丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だ」
ということ。。(私は教員ではありませんが。。)
400万は、友人(教授)が自腹でだしたラボの立ち上げ費です。
400万を新任教授に出せない大学が、院生の学費を自前で支払うのか。
よく考えてみてください。
私もこれで終わりにします。
私が言いたいのは、
「丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だ」
ということ。。(私は教員ではありませんが。。)
400万は、友人(教授)が自腹でだしたラボの立ち上げ費です。
400万を新任教授に出せない大学が、院生の学費を自前で支払うのか。
よく考えてみてください。
私もこれで終わりにします。

通りすがりの32歳PD さん
>>暴論ではありますが、この状況を打破するためには、今の大学教官を全ていったん解雇して、全員を任期付で再雇用するべきです。
お気持ちは良くわかります。しかし、具体的かつ実効性のある方法がありますか?マスメディアでポスドク問題が取り上げられるようになったのはよいことだと思いますが、気に入らないのは、数の問題としてのみ扱われることで、企業や大学の構造問題に言及されていないことです。特に地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。今の立場ではできませんが企業に就職した後、周囲の協力がとりつけられれば、裁判を起こすのもいいかと思っています。目的はコネ公募が不正なものであるという認識を植えつけるためです。
また資格に関してはあまり賛成できません。「実」の無い資格を作っても同じことです。日本では博士の価値が低すぎることが問題のひとつなので、博士の価値を上げることが大切だと思っています。
>>暴論ではありますが、この状況を打破するためには、今の大学教官を全ていったん解雇して、全員を任期付で再雇用するべきです。
お気持ちは良くわかります。しかし、具体的かつ実効性のある方法がありますか?マスメディアでポスドク問題が取り上げられるようになったのはよいことだと思いますが、気に入らないのは、数の問題としてのみ扱われることで、企業や大学の構造問題に言及されていないことです。特に地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。今の立場ではできませんが企業に就職した後、周囲の協力がとりつけられれば、裁判を起こすのもいいかと思っています。目的はコネ公募が不正なものであるという認識を植えつけるためです。
また資格に関してはあまり賛成できません。「実」の無い資格を作っても同じことです。日本では博士の価値が低すぎることが問題のひとつなので、博士の価値を上げることが大切だと思っています。

> 私が言いたいのは、
「丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だ」
ということ。。(私は教員ではありませんが。。)
だから何の話ですか?現実的って何?
> 400万は、友人(教授)が自腹でだしたラボの立ち上げ費です。
400万を新任教授に出せない大学が、院生の学費を自前で支払うのか。
よく考えてみてください。
何をよく考えれば良いのか・・・?
400万って、totoroさんの出した額についてですが。
はじめからそのことしか私はコメントしてません。
あなたのお友達の境遇については何も申しあげてません。
というわけで終わりにして下さい。
「丼勘定の見積もりでも、それが現実的でないなら、現場の教員にとっては迷惑だ」
ということ。。(私は教員ではありませんが。。)
だから何の話ですか?現実的って何?
> 400万は、友人(教授)が自腹でだしたラボの立ち上げ費です。
400万を新任教授に出せない大学が、院生の学費を自前で支払うのか。
よく考えてみてください。
何をよく考えれば良いのか・・・?
400万って、totoroさんの出した額についてですが。
はじめからそのことしか私はコメントしてません。
あなたのお友達の境遇については何も申しあげてません。
というわけで終わりにして下さい。

> 博士の価値を上げることが大切だと思っています。
調理には調理師の、栄養指導には栄養士の資格が要求されるように、博士が要求されるのは研究(と大学教育)なのですが。博士の価値が低いというより、問題はそれにみあった需要が無いわけで。企業など、むしろ資格を持っている者はイリマセン、と。
資格の価値を高めることも必要かもしれませんが、需要を増やさなければ解決しないのでは無いでしょうか。社会人入学も奨励して、研究を指導する立場の者は博士号を必須にする、とか。現在博士号が必須なのはアカデミックばかりで、これもアカデミック志向の一因ではないでしょうかね。
調理には調理師の、栄養指導には栄養士の資格が要求されるように、博士が要求されるのは研究(と大学教育)なのですが。博士の価値が低いというより、問題はそれにみあった需要が無いわけで。企業など、むしろ資格を持っている者はイリマセン、と。
資格の価値を高めることも必要かもしれませんが、需要を増やさなければ解決しないのでは無いでしょうか。社会人入学も奨励して、研究を指導する立場の者は博士号を必須にする、とか。現在博士号が必須なのはアカデミックばかりで、これもアカデミック志向の一因ではないでしょうかね。

少子化の時代に、学費を値上げすることで大学が生き残れるかということが問題で、概算はどうでもいいんじゃないでしょうか。確かに有名私大なら授業料を上げても学生は集まるだろうし、それで大学の価値が上がるのなら、元をとることも可能かもしれませんが。問題は、そうまでして充実した大学院で何ができるかと、その先に何があるかですね。

需要を増やすのも価値を上げるひとつの方法でしょう。でもどうやって?
私が言いたいのは制度をいじるだけでどうなるものではなく、もう少し地道な努力をしないと人々の認識は変わっていかないということです。こうれをすれば解決というような方法はないという厳しい現実を認識するべきです。具体的には企業での認識を変える為には博士を持っている「あなた」が企業に入って活躍するしかありません。何をやっても、ポスドク第一世代は先達なので厳しいことには変わりありません。
私が言いたいのは制度をいじるだけでどうなるものではなく、もう少し地道な努力をしないと人々の認識は変わっていかないということです。こうれをすれば解決というような方法はないという厳しい現実を認識するべきです。具体的には企業での認識を変える為には博士を持っている「あなた」が企業に入って活躍するしかありません。何をやっても、ポスドク第一世代は先達なので厳しいことには変わりありません。

> 私も試算したが、自分の計算はkatagiさんとは合いません。どんな
試算か聞いてみたかったのです。
そういえば、計算結果が違うと言ってましたね。
中傷めいた議論は終わりにして、単純に通りすがりさんの
計算結果が知りたいですね。
私の計算では、
学部生=45757人
専門職大学院生=1845人
修士=4620人
博士=2006人
学生総数=54228人
修士+博士人数=6626人
学生総数-修士-博士=47602人
54228/47602=1.14
という感じで、コメント通り「1~2割増」に収まります。
これと違う結果が出たというのなら、興味ありますので教えて下さい。
試算か聞いてみたかったのです。
そういえば、計算結果が違うと言ってましたね。
中傷めいた議論は終わりにして、単純に通りすがりさんの
計算結果が知りたいですね。
私の計算では、
学部生=45757人
専門職大学院生=1845人
修士=4620人
博士=2006人
学生総数=54228人
修士+博士人数=6626人
学生総数-修士-博士=47602人
54228/47602=1.14
という感じで、コメント通り「1~2割増」に収まります。
これと違う結果が出たというのなら、興味ありますので教えて下さい。

>40台海外ポスドク様
>地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。
地方大学の教員です。仰ることはよく分かるし、その通りなのですが、ちょっとだけ現状の説明をさせてください。
確かに古くからいる教員にはハナから業績のないひともいます。採用されたときの時代や情勢がそうだったのでしょう。しかし、多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。特に最近は。なぜか?まず週に講義を5-6コマ担当し、入試・教務・学生委員会など委員に選ばれれば必ず出る必要のあるさぼれない委員会や会議が週平均1.5回くらいあります。校費は昔は100万以上あったのが今は10-40万です。大手の大学と違って、卒業研究の指導も教授自ら真剣に手取り足取りやる必要があります。そのうちちょっとデキの良い学生は大手の大学の大学院に行ってしまい、自分のところには誰も来ないか、来ても2年間バイトにあけくれるモラトリアム組です。
>地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。
地方大学の教員です。仰ることはよく分かるし、その通りなのですが、ちょっとだけ現状の説明をさせてください。
確かに古くからいる教員にはハナから業績のないひともいます。採用されたときの時代や情勢がそうだったのでしょう。しかし、多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。特に最近は。なぜか?まず週に講義を5-6コマ担当し、入試・教務・学生委員会など委員に選ばれれば必ず出る必要のあるさぼれない委員会や会議が週平均1.5回くらいあります。校費は昔は100万以上あったのが今は10-40万です。大手の大学と違って、卒業研究の指導も教授自ら真剣に手取り足取りやる必要があります。そのうちちょっとデキの良い学生は大手の大学の大学院に行ってしまい、自分のところには誰も来ないか、来ても2年間バイトにあけくれるモラトリアム組です。

そして、論文も急速に出なくなり、着任当時は当たっていた科研費も次第に当たらなくなります。
ここで公募で(場合によっては所属ラボのお陰もあって)すばらしい業績をもつポスドクと競っても、地方で苦労して教育と運営をしている教員は負けるでしょう。しかし、そのポスドクも慣れない教育と運営に四苦八苦しているうちに結局は前任者と同じ運命をたどるでしょう。
そこで現場で行われているのは、公募条件を厳しくして当該内部候補しか当てはまらないような募集をするのです。これは良くないことですが、教育の質や運営の継続性を保つためにはある程度仕方ないことのようにも思われます。また、最近この状況がさらにひどくなってきたのは、定削に伴う定年後のポスト消失やメンヘル学生の指導の増加や講義実習の評価導入による負担増加など地方大学の教員をめぐる状況がさらにひどくなってきていることと関係があります。
ここで公募で(場合によっては所属ラボのお陰もあって)すばらしい業績をもつポスドクと競っても、地方で苦労して教育と運営をしている教員は負けるでしょう。しかし、そのポスドクも慣れない教育と運営に四苦八苦しているうちに結局は前任者と同じ運命をたどるでしょう。
そこで現場で行われているのは、公募条件を厳しくして当該内部候補しか当てはまらないような募集をするのです。これは良くないことですが、教育の質や運営の継続性を保つためにはある程度仕方ないことのようにも思われます。また、最近この状況がさらにひどくなってきたのは、定削に伴う定年後のポスト消失やメンヘル学生の指導の増加や講義実習の評価導入による負担増加など地方大学の教員をめぐる状況がさらにひどくなってきていることと関係があります。

海外でポスドクをやって業績をあげて、今後は常勤職を得てさらに研究を推進させたいと思っている方々は、そもそも特に教育に対する覚悟が足りないケースが多いように思います。さらに、そんな劣悪な研究環境で、実際には教育(しかも相手の多くは勉強する気のほとんどない学生です)のデューティと運営のための会議に翻弄されるポジションに、それでも就きたいですか?就いた後はそうした仕事をしっかりやり続けることができますか?

> 40台海外ポスドク様
別に他力本願ということでもないのですが、活躍する以前にその場に就くために四苦八苦している状況です。活躍する場をくれ、というのは多くの博士持ちの心からの叫びではないでしょうかね。上のコメントで他のポスドクの皆様がおっしゃっていますように、私も現実は十分認識しております。
もしできましたら、どのように博士の価値を上げるのか、お聞かせいただければ幸いです。
別に他力本願ということでもないのですが、活躍する以前にその場に就くために四苦八苦している状況です。活躍する場をくれ、というのは多くの博士持ちの心からの叫びではないでしょうかね。上のコメントで他のポスドクの皆様がおっしゃっていますように、私も現実は十分認識しております。
もしできましたら、どのように博士の価値を上げるのか、お聞かせいただければ幸いです。

>>katagi
>by katagi at 2007-10-19 22:38
>あのぉ~、本題じゃないと思うので、もうやめませんか。この辺で。
>by 通りすがり at 2007-10-19 23:40
>私もこれで終わりにします。
>by katagi at 2007-10-20 00:23
>というわけで終わりにして下さい。
>by katagi at 2007-10-20 00:56
>単純に通りすがりさんの計算結果が知りたいですね。....
>これと違う結果が出たというのなら、興味ありますので教えて下さい。
あんた「終わり」って、日本語の意味分かる?
>by katagi at 2007-10-19 22:38
>あのぉ~、本題じゃないと思うので、もうやめませんか。この辺で。
>by 通りすがり at 2007-10-19 23:40
>私もこれで終わりにします。
>by katagi at 2007-10-20 00:23
>というわけで終わりにして下さい。
>by katagi at 2007-10-20 00:56
>単純に通りすがりさんの計算結果が知りたいですね。....
>これと違う結果が出たというのなら、興味ありますので教えて下さい。
あんた「終わり」って、日本語の意味分かる?

>>田舎教師 さま
地方大学の教員の大変さと、そのような状況で研究で業績を上げるのはものすごく困難なことである、ということはよくわかります。しかしそれとヤラセ公募とは全く関係の無い話ではないでしょうか?研究よりも教育や大学運営に長けた人材を望むのであれば、そういう人をちゃんとした公募で探すのが、その学科、大学の利益に適うのではないでしょうか?内輪人事で貴重なポストを埋めていくことで、おっしゃられるような状況を自ら悪化しているということは自覚されないのでしょうか?大学に関わらず組織は人事が硬直化すると良いことはありません。厳しい地方大学の環境でもその気になれば意欲ある人材を外から呼び寄せることは可能です。むしろ現在のような圧倒的な就職難の時代こそ有能な人材を発掘する絶好の機会ではないでしょうか?
地方大学の教員の大変さと、そのような状況で研究で業績を上げるのはものすごく困難なことである、ということはよくわかります。しかしそれとヤラセ公募とは全く関係の無い話ではないでしょうか?研究よりも教育や大学運営に長けた人材を望むのであれば、そういう人をちゃんとした公募で探すのが、その学科、大学の利益に適うのではないでしょうか?内輪人事で貴重なポストを埋めていくことで、おっしゃられるような状況を自ら悪化しているということは自覚されないのでしょうか?大学に関わらず組織は人事が硬直化すると良いことはありません。厳しい地方大学の環境でもその気になれば意欲ある人材を外から呼び寄せることは可能です。むしろ現在のような圧倒的な就職難の時代こそ有能な人材を発掘する絶好の機会ではないでしょうか?

教授が研究以外の仕事で忙しいのは良く知っています。また、帝大と比べて地方大で研究が厳しいのもある程度は理解できます。しかし、地方大でもできる人は業績をあげているし、ものすごくできる人が全然できなくなったという事例をみたことはありません。じゃあガチで勝負させてよと思ってしまいます。ちゃんと公募をせずにこんなこと言っていても、言い訳にしか聞こえません。
。
。

>確かに古くからいる教員にはハナから業績のないひともいます。採用されたときの時代や情勢がそうだったのでしょう。しかし、多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。
これは私の見聞きしたのとは少し違うのではと感じています。見ている分野や大学の違いもあるかもしれませんが、昔の「業績がある」レベルと今の「業績がある」と評価されるレベルがかなり違っているにもかかわらず、そのことがあまり認識されていない印象を感じます。いろんな話をしてみるとその人のやる気、研究に対する認識、どんなアイデアを持っているかなどから能力もかなりわかるのですが、何にもできなくなるというのは言い訳にしか聞こえません。実は私自身も地方大で期限付き助手をしていたこともありましたが、いくら雑用が多く、時間が取られても自分の研究ができることに変えられるものはありません。ポスドクは研究ができていいなあ、と非常に無神経なことを言う人がたまにいるのですが、それならポスドクになればいいのにと思います。実際そういうことをする人はいませんね
これは私の見聞きしたのとは少し違うのではと感じています。見ている分野や大学の違いもあるかもしれませんが、昔の「業績がある」レベルと今の「業績がある」と評価されるレベルがかなり違っているにもかかわらず、そのことがあまり認識されていない印象を感じます。いろんな話をしてみるとその人のやる気、研究に対する認識、どんなアイデアを持っているかなどから能力もかなりわかるのですが、何にもできなくなるというのは言い訳にしか聞こえません。実は私自身も地方大で期限付き助手をしていたこともありましたが、いくら雑用が多く、時間が取られても自分の研究ができることに変えられるものはありません。ポスドクは研究ができていいなあ、と非常に無神経なことを言う人がたまにいるのですが、それならポスドクになればいいのにと思います。実際そういうことをする人はいませんね


>地方で苦労して教育と運営をしている教員
>どのように博士の価値を上げるのか
博士課程の院生に修士課程・学部生の指導・教育を多少分担させ、そのかわり、院生には現在の申し訳程度のTA/RA費などではなく、最低限の生活ができるだけの給料をきぎんと支払うようにしてはどうでしょうか。
博士課程の院生に基礎的な実験関係の指導だけではなく入門的な授業も担当してもらえば、常勤者の負担は軽減され、その分、研究に打ち込めるのではないでしょうか。しかも、博士課程の学生は給料を得ながら「教歴」をつけることができます。
>どのように博士の価値を上げるのか
博士課程の院生に修士課程・学部生の指導・教育を多少分担させ、そのかわり、院生には現在の申し訳程度のTA/RA費などではなく、最低限の生活ができるだけの給料をきぎんと支払うようにしてはどうでしょうか。
博士課程の院生に基礎的な実験関係の指導だけではなく入門的な授業も担当してもらえば、常勤者の負担は軽減され、その分、研究に打ち込めるのではないでしょうか。しかも、博士課程の学生は給料を得ながら「教歴」をつけることができます。

その後、研究業績をあげて自分の適性を見極める期間がポスドクで、この間に
(1)独立した研究者としてやっていくために大学・研究所に行く(発想力・技術・知識ともに卓越している者・基礎系)
(2)組織のために研究技術・知識を提供する研究者として企業に行く(技術・知識ともに卓越しているが、一定の方向性が定められているほうが発想力が発揮される者)
(3)教育者として大学・高校などに行く(技術・知識ともに優れ、しかも平易な言葉で研究上必要な知識を説明することや研究の楽しさを伝えることに長けている者)
(4)常勤技術者として大学・研究所に行く (知識・技術が特に優れているが、発想力や教育力はやや劣る者)
というように、それぞれの適性に応じて進路を決めていくのです。(基本的には文系のキャリアパスも上記と同じようなものにして、不安定で薄給な非常勤講師かけもちを減らします)
(1)独立した研究者としてやっていくために大学・研究所に行く(発想力・技術・知識ともに卓越している者・基礎系)
(2)組織のために研究技術・知識を提供する研究者として企業に行く(技術・知識ともに卓越しているが、一定の方向性が定められているほうが発想力が発揮される者)
(3)教育者として大学・高校などに行く(技術・知識ともに優れ、しかも平易な言葉で研究上必要な知識を説明することや研究の楽しさを伝えることに長けている者)
(4)常勤技術者として大学・研究所に行く (知識・技術が特に優れているが、発想力や教育力はやや劣る者)
というように、それぞれの適性に応じて進路を決めていくのです。(基本的には文系のキャリアパスも上記と同じようなものにして、不安定で薄給な非常勤講師かけもちを減らします)

ここで大切なのは、博士課程からポスドクの期間は「研究者に適しているかどうかを見極める」のではなく、「自分の得意・不得意を見極める」ためにあるという認識です。
どうも、研究者(特に理系)は、大学の研究者>企業の研究者>技術者・教育者と考えているふしがあるように思われます。そうではなくて、それぞれが各々の適性を十分に活かして働いているその道のプロであると認識しなおす必要があります。この認識の変換を促進するために、(1)~(4)の選択のいずれを選んだ場合にも、研究・役職に絡んだ費用を除く基本の給料はほぼ同じということにするのです。
こうした幅広い意味での専門職として上記の職種がそれぞれに世の中に認められるようになれば、博士の価値も上がるのではないでしょうか。
どうも、研究者(特に理系)は、大学の研究者>企業の研究者>技術者・教育者と考えているふしがあるように思われます。そうではなくて、それぞれが各々の適性を十分に活かして働いているその道のプロであると認識しなおす必要があります。この認識の変換を促進するために、(1)~(4)の選択のいずれを選んだ場合にも、研究・役職に絡んだ費用を除く基本の給料はほぼ同じということにするのです。
こうした幅広い意味での専門職として上記の職種がそれぞれに世の中に認められるようになれば、博士の価値も上がるのではないでしょうか。

> ポスドクは研究ができていいなあ、と非常に無神経なことを言う人がたまにいるのですが、それならポスドクになればいいのにと思います。実際そういうことをする人はいませんね
別にどちらを援護するってわけじゃないのですが、国立大助手(旧帝大を含む)を辞めてポスドクになった人を何人か知っています。地方大のパーマネント助手を辞めてしまった人も知り合いにいます。恐らく、大学によって結構カラーが違うんじゃないでしょうか。
別にどちらを援護するってわけじゃないのですが、国立大助手(旧帝大を含む)を辞めてポスドクになった人を何人か知っています。地方大のパーマネント助手を辞めてしまった人も知り合いにいます。恐らく、大学によって結構カラーが違うんじゃないでしょうか。

36歳PD 様
>活躍する場をくれ、というのは多くの博士持ちの心からの叫びではないでしょうかね。
痛いほどよくわかります。悪いけど、でもまだ何か甘さを感じてしまうんです。なぜ地方大でちゃんと公募をしないか、考えてみてください。教員Aさんがおっしゃる正論がなぜ通じないのか。就職活動をしたことがありますか?企業は博士を採りたくないというより、年取った人を採りたくないのですよ。社会の仕組みやその下にある彼らの心理を理解すればするほど自分が前思ってよりも厳しい状況にいることがわかります。博士の価値を上げるのは結局は博士を持っている人がいろんな分野で活躍することだと思います。
>活躍する場をくれ、というのは多くの博士持ちの心からの叫びではないでしょうかね。
痛いほどよくわかります。悪いけど、でもまだ何か甘さを感じてしまうんです。なぜ地方大でちゃんと公募をしないか、考えてみてください。教員Aさんがおっしゃる正論がなぜ通じないのか。就職活動をしたことがありますか?企業は博士を採りたくないというより、年取った人を採りたくないのですよ。社会の仕組みやその下にある彼らの心理を理解すればするほど自分が前思ってよりも厳しい状況にいることがわかります。博士の価値を上げるのは結局は博士を持っている人がいろんな分野で活躍することだと思います。

教員A様
研究組織ですから、教員の公募は研究分野と専門性が第一にならざるを得ません。しかし、最近の公募はみなそうですが、教育歴を以前に比べて非常に重視します。運営能力をみることはしませんが。私個人は今のやり方に全面的に賛成しているわけではなく、優秀なポスドクを教員として採用すべきだと思っていますが、残念ながら学部内では少数派であるのが現実なのです。彼らのよく言うセリフは、「研究ばかりして、教育がおろそかになってはいけない。大学は教育機関なのだから」です。実際、大学上層部の予算配分や評価は教育に対してであって、研究は手の空いた時間に個人的に獲得した外部資金でやってくれというのが本音のようです。
研究組織ですから、教員の公募は研究分野と専門性が第一にならざるを得ません。しかし、最近の公募はみなそうですが、教育歴を以前に比べて非常に重視します。運営能力をみることはしませんが。私個人は今のやり方に全面的に賛成しているわけではなく、優秀なポスドクを教員として採用すべきだと思っていますが、残念ながら学部内では少数派であるのが現実なのです。彼らのよく言うセリフは、「研究ばかりして、教育がおろそかになってはいけない。大学は教育機関なのだから」です。実際、大学上層部の予算配分や評価は教育に対してであって、研究は手の空いた時間に個人的に獲得した外部資金でやってくれというのが本音のようです。

40台海外ポスドク様
「ガチで勝負」というのは、何の勝負でなのか考える必要があります。研究そのものですか?大学教員の仕事全般ですか?月に数回も高校回りをしたり、場合によっては頭を下げて推薦入試にデキの良い生徒を回してくれるよう頼むことや、受験説明会で高校生に受験勉強のアドバイスをしたり、地元商店街などの親父さんたちとの地域連携も含めていますか?地元企業も県庁も受験生とその親も入学した学生も卒業生が就職する企業も、大学に求めるのは教育であって、研究ではないことも知っておく必要があります。私も着任してずいぶん長く納得できないことではありましたが。
「ガチで勝負」というのは、何の勝負でなのか考える必要があります。研究そのものですか?大学教員の仕事全般ですか?月に数回も高校回りをしたり、場合によっては頭を下げて推薦入試にデキの良い生徒を回してくれるよう頼むことや、受験説明会で高校生に受験勉強のアドバイスをしたり、地元商店街などの親父さんたちとの地域連携も含めていますか?地元企業も県庁も受験生とその親も入学した学生も卒業生が就職する企業も、大学に求めるのは教育であって、研究ではないことも知っておく必要があります。私も着任してずいぶん長く納得できないことではありましたが。

もうひとつだけ。
地方で優秀な若手を助教や講師で採用したとき、その人が「雑用」のために研究が進まず業績があがらなくなってしまうことが懸念されます。公募なしの昇進という制度も運用が厳しくなってきています。そこで、別の大学の助教授などの公募の受からなくなることを心配して、若手の授業負担を教授を中心に傾斜配分して、若手の研究時間を増やしたり、校費の配分も若手に優先させることも行われることさえあります(教授たちの考え方によります)。教授は自分はもう研究はいいから、というわけです。これはこれでマズイことだと感じていますが、実際にはこうでもしないと若手は完全に雑用に忙殺されてしまうのです。こんな状況で、「業績のない教授がのさばっている」という指摘は、何となく物事の一面しか見ていないような気がしたので、延々と書かせていただきました。
地方で優秀な若手を助教や講師で採用したとき、その人が「雑用」のために研究が進まず業績があがらなくなってしまうことが懸念されます。公募なしの昇進という制度も運用が厳しくなってきています。そこで、別の大学の助教授などの公募の受からなくなることを心配して、若手の授業負担を教授を中心に傾斜配分して、若手の研究時間を増やしたり、校費の配分も若手に優先させることも行われることさえあります(教授たちの考え方によります)。教授は自分はもう研究はいいから、というわけです。これはこれでマズイことだと感じていますが、実際にはこうでもしないと若手は完全に雑用に忙殺されてしまうのです。こんな状況で、「業績のない教授がのさばっている」という指摘は、何となく物事の一面しか見ていないような気がしたので、延々と書かせていただきました。

>>田舎教師さま
>彼らのよく言うセリフは、「研究ばかりして、教育がおろそかになって
>はいけない。大学は教育機関なのだから」です。実際、大学上層部
>の予算配分や評価は教育に対してであって、研究は手の空いた時
>間に個人的に獲得した外部資金でやってくれというのが本音のよう
>です。
それはそれで結構だと思います。なにもすべての大学が研究第一で
ある必要はないし、教育第一で、研究はあくまで教育の一環という
スタンスで学内の教員評価をするなら何も問題ないではありませんか。
にもかかわらず、
>研究組織ですから、教員の公募は研究分野と専門性が第一になら
>ざるを得ません。
外部的にはこういう建前で通そうとするのがなぜなのかわかりません。
別に田舎教師さんの同僚達の本音で人材募集しても良いのではない
でしょうか。本気でそういう人材を探してなお内部の応募者が一番優秀
であったというのならしょうがありませんが、外部から優秀な人を探す
努力をせずに(しかもほぼヤラセというかたちで何百人もの応募者の
時間を無駄にさせ)公募の果てに内輪人事を行うようでは同情の余地
はありません。
>彼らのよく言うセリフは、「研究ばかりして、教育がおろそかになって
>はいけない。大学は教育機関なのだから」です。実際、大学上層部
>の予算配分や評価は教育に対してであって、研究は手の空いた時
>間に個人的に獲得した外部資金でやってくれというのが本音のよう
>です。
それはそれで結構だと思います。なにもすべての大学が研究第一で
ある必要はないし、教育第一で、研究はあくまで教育の一環という
スタンスで学内の教員評価をするなら何も問題ないではありませんか。
にもかかわらず、
>研究組織ですから、教員の公募は研究分野と専門性が第一になら
>ざるを得ません。
外部的にはこういう建前で通そうとするのがなぜなのかわかりません。
別に田舎教師さんの同僚達の本音で人材募集しても良いのではない
でしょうか。本気でそういう人材を探してなお内部の応募者が一番優秀
であったというのならしょうがありませんが、外部から優秀な人を探す
努力をせずに(しかもほぼヤラセというかたちで何百人もの応募者の
時間を無駄にさせ)公募の果てに内輪人事を行うようでは同情の余地
はありません。

私も田舎教師さんのおっしゃるように、地方大学の教授の業績が恵まれた研究室で研究に専念したポスドクより見劣りするという批判は短絡的であると思います。田舎の大学と東大とでは環境はもちろん大学の存在意義が全く違うので、教員の評価基準や採用基準が異なって当然です。
私が強調したいのは、それならそれで地方大学は自分達の評価基準にあった人材を外部から探し出すのに努力を惜しむべきではないし、情や忙しさにかまけて大学のもっとも大切な人事を内輪でなあなあに済ませてしまうことは、自分達の首を絞めているのと同じであるということです。
私が強調したいのは、それならそれで地方大学は自分達の評価基準にあった人材を外部から探し出すのに努力を惜しむべきではないし、情や忙しさにかまけて大学のもっとも大切な人事を内輪でなあなあに済ませてしまうことは、自分達の首を絞めているのと同じであるということです。

PDの皆さんの書き込み,痛いほど気持ちが分かります.自分も同じように思っていました.
私も40代前半でポスドク第一世代です。海外PDや海外の任期付職など、10年以上、任期付職を公募で渡り歩いて、幸運にも職を得ました。独法の研究所に任期の無い職を得たのは、40歳でした。
残念ですが、日本の社会(企業)は、終身雇用の職が基本にあり、一定の年功序列で運営されています。共同研究先の企業では、30代後半になると、出世の速い人だと部長職になります。管理職に就けない人は閑職です。企業では、30代後半の人を、教育が必要な新人として採用するのは難しいと思います。転職する人も出てきます.
その場合、A社での経験を、その分野が手薄なB社でというパターンです。大企業での経験を生かして,もう少し規模の小さな会社へ転職するケースが多いようです。30代後半~40代の転職は企業間でも、即戦力で、管理職的な仕事の経験が求められる様です。
私も40代前半でポスドク第一世代です。海外PDや海外の任期付職など、10年以上、任期付職を公募で渡り歩いて、幸運にも職を得ました。独法の研究所に任期の無い職を得たのは、40歳でした。
残念ですが、日本の社会(企業)は、終身雇用の職が基本にあり、一定の年功序列で運営されています。共同研究先の企業では、30代後半になると、出世の速い人だと部長職になります。管理職に就けない人は閑職です。企業では、30代後半の人を、教育が必要な新人として採用するのは難しいと思います。転職する人も出てきます.
その場合、A社での経験を、その分野が手薄なB社でというパターンです。大企業での経験を生かして,もう少し規模の小さな会社へ転職するケースが多いようです。30代後半~40代の転職は企業間でも、即戦力で、管理職的な仕事の経験が求められる様です。

(つづき)
ポスドク制度が発達している米国では、社員研修の様に、会社がお金を出して、社員を教育する制度がないと思います。働く人自身が、自分の力で学び、転職でスキルアップする社会です。だから、ポスドクにもチャンスがあります。
日本は、社員教育システムがあり、企業や職場内で、継続して働くことでスキルアップします。逆に転職は、スキルダウンや給料のダウンに繋がるケースが多い様です。社会の仕組みが違うので,日本ではポスドク後は厳しいのです.どんな形でも良いので,職を得たら,その場で実績を上げて、役立つことを示さないと,認識は変わらないと思います.
ポスドク制度が発達している米国では、社員研修の様に、会社がお金を出して、社員を教育する制度がないと思います。働く人自身が、自分の力で学び、転職でスキルアップする社会です。だから、ポスドクにもチャンスがあります。
日本は、社員教育システムがあり、企業や職場内で、継続して働くことでスキルアップします。逆に転職は、スキルダウンや給料のダウンに繋がるケースが多い様です。社会の仕組みが違うので,日本ではポスドク後は厳しいのです.どんな形でも良いので,職を得たら,その場で実績を上げて、役立つことを示さないと,認識は変わらないと思います.

(つづき)
公募についてですが,私は,自分に人事権のあるPDやテクを採用するとき公募を通しています.しかし,公募してみると、案外欲しいキャリアのある人は居ないのです.今年は2名公募で採用しましたが,公募を繰り返し,40-50名の履歴書を集めて,漸く欲しい人材を見つけました.しかし,殆どは、分野違いか,何らかの訳ありか,スキルがない人でした。口コミやコネでいい人は決まることが多いという人も居ます.
それでも私は公募に拘り,続けていますが,「公募ばかりするのは問題がある研究室だ」という噂が,若い人達の間で流れています.東大のポスドク(30代半ば)が,ゼミに出てきます.彼は職がないといいます.「公募に出してる?」と聞いたら、一度も出しておらず,教授のコネで決まってきたそうです。
今は研究職の公募倍率も高く,常勤職にいい人が採用できると思いますが,コネも横行しています.先日,ある私大で600倍の公募倍率の教授職があったようですが,この公募とは別枠で,コネで教授に採用された人がいます。何だかなあと思います。
自分は就職も完全公募で通し,競争的研究費も8年連続で取り続けていますが,相当キツイです.
公募についてですが,私は,自分に人事権のあるPDやテクを採用するとき公募を通しています.しかし,公募してみると、案外欲しいキャリアのある人は居ないのです.今年は2名公募で採用しましたが,公募を繰り返し,40-50名の履歴書を集めて,漸く欲しい人材を見つけました.しかし,殆どは、分野違いか,何らかの訳ありか,スキルがない人でした。口コミやコネでいい人は決まることが多いという人も居ます.
それでも私は公募に拘り,続けていますが,「公募ばかりするのは問題がある研究室だ」という噂が,若い人達の間で流れています.東大のポスドク(30代半ば)が,ゼミに出てきます.彼は職がないといいます.「公募に出してる?」と聞いたら、一度も出しておらず,教授のコネで決まってきたそうです。
今は研究職の公募倍率も高く,常勤職にいい人が採用できると思いますが,コネも横行しています.先日,ある私大で600倍の公募倍率の教授職があったようですが,この公募とは別枠で,コネで教授に採用された人がいます。何だかなあと思います。
自分は就職も完全公募で通し,競争的研究費も8年連続で取り続けていますが,相当キツイです.

地方大学にかぎらずヤラセ公募というのは人材の流動性を損ない、日本の学問全体の発展に大きな損害を与えていると思います。半分日本の大学の文化的な悪習だとも言える内輪人事を減らすためには、例えば内部からの教員採用には文科省の交付金削減などのペナルティを科すような大ナタを振るわないとダメかもしれません。

内部昇進と外部公募に差を付けるなら,まだ許す余地があると思います。しかし,公募をしておいて,ヤラセというのは,本当にどうかと思います。
上記の600倍の公募は本当の公募だったようですが、同時に別枠でのコネ採用もあったと知ったら、難関を通って採用された人はどう思うのでしょうね。
日本の科学がすべきことは、大学院生数を増加させたり,徒に任期職を増やすことではなく、公正な公募を徹底し、人事や予算でのコネを排除することだと思います。私がここで吠えでも仕方ないことですが...
上記の600倍の公募は本当の公募だったようですが、同時に別枠でのコネ採用もあったと知ったら、難関を通って採用された人はどう思うのでしょうね。
日本の科学がすべきことは、大学院生数を増加させたり,徒に任期職を増やすことではなく、公正な公募を徹底し、人事や予算でのコネを排除することだと思います。私がここで吠えでも仕方ないことですが...

1.
個人的には、一本釣り(コネとも云う?)で行う人事が有っても良いと思います。様々な事情が有るでしょうから。仮の話をすれば、例えば、時限付きのpositionで、残り2年で教授が余所へ出て行って空いたポジションがあったとして、そこへ公募をしてひとを入れるよりも、たまたまどこかに、業績はあるが、上が詰まっていて昇進出来ない定年迄残り2年の助教授(今は准教授?)が居れば、そのひとを上げる方が理にかなうだろうし。其れは、それで良いのだと思います(昔は、こう云う人事が良く有ったと思います)。
2へつづく
個人的には、一本釣り(コネとも云う?)で行う人事が有っても良いと思います。様々な事情が有るでしょうから。仮の話をすれば、例えば、時限付きのpositionで、残り2年で教授が余所へ出て行って空いたポジションがあったとして、そこへ公募をしてひとを入れるよりも、たまたまどこかに、業績はあるが、上が詰まっていて昇進出来ない定年迄残り2年の助教授(今は准教授?)が居れば、そのひとを上げる方が理にかなうだろうし。其れは、それで良いのだと思います(昔は、こう云う人事が良く有ったと思います)。
2へつづく

2.
問題は、その場合でも、最近では、わざわざ公募にする場合があることです。文科省の指導の所為なのでしょうか?全く意味が分かりません。中には、出来レースだと、暗に仄めかして呉れている親切な(?)公募もありますよね。公募期間がヤケに短かったり、専門分野がやけに細かく設定されていたり、或いは、jrec-inなどで公開せず、ひっそりと目に付かないように応募したり。そう云うのは、未だ、応募する側にも対処のしようが有りますが。
酷いのになると、採りたい候補者が決まっているのに、わざわざ、『本当に』公募をして、なんだかんだと理由をつけて、他の候補者を落とし、予定の候補を採るなどと云う、応募者にも選考側にも、只の時間の無駄としか思えない『儀式』をやっていることもあります(念の為に云っておきますが、空想で物を云っているのではなく、体験からのコメントです)。
3へつづく
問題は、その場合でも、最近では、わざわざ公募にする場合があることです。文科省の指導の所為なのでしょうか?全く意味が分かりません。中には、出来レースだと、暗に仄めかして呉れている親切な(?)公募もありますよね。公募期間がヤケに短かったり、専門分野がやけに細かく設定されていたり、或いは、jrec-inなどで公開せず、ひっそりと目に付かないように応募したり。そう云うのは、未だ、応募する側にも対処のしようが有りますが。
酷いのになると、採りたい候補者が決まっているのに、わざわざ、『本当に』公募をして、なんだかんだと理由をつけて、他の候補者を落とし、予定の候補を採るなどと云う、応募者にも選考側にも、只の時間の無駄としか思えない『儀式』をやっていることもあります(念の為に云っておきますが、空想で物を云っているのではなく、体験からのコメントです)。
3へつづく

3.
以下は、完全な『邪推』ですが、公募を形だけして(文科省に向けての?)アリバイを作り、結局、該当者無しで誰も採用せず、暫くして、ほとぼりが醒めた頃にヒッソリ内部昇進させているんじゃないかと思えるような事例も、たまに見受けられますが(笑)。
で、本当に、云いたかったことは、
公募にする以上、全ての情報を公開すべきだと思います。落選なら、何故、落選なのか(論文を投稿してrejectになったら、何故、rejectなのかreviewersのコメントがありますよね?)。その理由を述べる為には『明確な』選考基準が必要になって来るでしょう。応募者総数が、何人で、誰が選ばれたのか。そのひとは、ちゃんと着任したのか。
以下は、完全な『邪推』ですが、公募を形だけして(文科省に向けての?)アリバイを作り、結局、該当者無しで誰も採用せず、暫くして、ほとぼりが醒めた頃にヒッソリ内部昇進させているんじゃないかと思えるような事例も、たまに見受けられますが(笑)。
で、本当に、云いたかったことは、
公募にする以上、全ての情報を公開すべきだと思います。落選なら、何故、落選なのか(論文を投稿してrejectになったら、何故、rejectなのかreviewersのコメントがありますよね?)。その理由を述べる為には『明確な』選考基準が必要になって来るでしょう。応募者総数が、何人で、誰が選ばれたのか。そのひとは、ちゃんと着任したのか。

すいません、stochinaiさんのエントリーの内容とは関係ないコメントでしたが、たまたまの、議論の流れに乗って、以前から思っていたことをちょっと述べさせて貰いました。只の、一個人の意見です。
重要議論再開: こちらで「田舎教師さん」からのコメントを受けて、とても貴重な議論が展開されています。2007-10-20 02:03 から以降です。

コネ人事について、別に地方大の準教授、助教の問題だけでもないでのでは? この1年ほどの「若手育成テニュアトラック」や様々な競争的研究資金による任期付助教の公募でも、大手をふって世間に公表できる人事がどれくらいあるでしょうか?
古い本ですが、「大学教授になる方法」って本があります。その中に、本物の公募を行った事例が当事者によって記録されています。
教養教育担当者を3名募集とし、応募資格は無資格、年齢、性別、国籍一切制限なしとしました。
応募者は書類不備をのぞくと、応募総数はちょうど1000人!ここから3人を選び出した鷲田教授たちの苦労はたいへんなものでしたが、どこに出してもおかしくない立派な教員を採れたといいます。
それと、出来レースである、かりそめの公募であっても、やった方がいいと鷲田教授は書いてます。どうかんがえてもふさわしくない人を採用してしまう、闇人事を防げるからです。応募して労力を使わされる人はいい迷惑ですけれども。
教養教育担当者を3名募集とし、応募資格は無資格、年齢、性別、国籍一切制限なしとしました。
応募者は書類不備をのぞくと、応募総数はちょうど1000人!ここから3人を選び出した鷲田教授たちの苦労はたいへんなものでしたが、どこに出してもおかしくない立派な教員を採れたといいます。
それと、出来レースである、かりそめの公募であっても、やった方がいいと鷲田教授は書いてます。どうかんがえてもふさわしくない人を採用してしまう、闇人事を防げるからです。応募して労力を使わされる人はいい迷惑ですけれども。

私も公募には良く出しましたが、帯に短し襷に長し、みたいな経験を沢山しました。そもそも、教授選で他所の人を入れちゃうと地方大では授業できる科目が元から居る人とだぶってしまって、無駄なんですよね。その分野が空になるときしか、他所から人を入れにくいですね。

大学院では研究しかしないから、教育やビジネスの能力が育たない。だから企業や地方大とマッチングしないってことでしょ。大学院教育をどう変えるかにかかってるんじゃないですか?

これからは弁も筆も立つような博士を育てる教育を考えていくでしょう。
問題は,実験中心の院生,ポスドク生活を送ってきた PD です。多くはこつこつと実験をやってきて,技術も業績も「そこそこ」あって,以前の日本であればある程度アカデミックポジションをとれたであろう人達です。一度はしごを外された人にもう一度いいかげんな誘導をしたら,えらいことになると思います。
問題は,実験中心の院生,ポスドク生活を送ってきた PD です。多くはこつこつと実験をやってきて,技術も業績も「そこそこ」あって,以前の日本であればある程度アカデミックポジションをとれたであろう人達です。一度はしごを外された人にもう一度いいかげんな誘導をしたら,えらいことになると思います。

えらいこととは?

大学院の研究と教育について
以前に書きましたが、実際の研究活動と大学院の研究者教育を切り離さないことには、大学院教育は大学の外で認められないと思います。大学院生は指導教官の研究プロジェクトを手伝い、論文を出すことで学位を認められると言うことが当たり前のようになっていますが、これは研究者育成の面では問題の方が多く、同じ大学内ですら平等に教育機会が与えられないので、博士が玉石混淆なのは当然です。これでは採用する方も怖くて手が出ないでしょう。
そもそも科研費の採択率は100%ではないわけですから、もらえない所もあります。しかし、もらえなかったらその研究室の院生は学業を諦めるとか、もらえない教授はクビになるということもありません。結局、やることがなくて放置されて、その間バイトだけしていた院生にも、もう何年も大学院にいるんだからと言う理由だけで学位が授与されたりします。逆に、科研費などが潤沢な研究室は、良い大学院教育を受けられるチャンスが広がりますが、必ずしも正しい教育を受けられるとも言いがたい状況です。
以前に書きましたが、実際の研究活動と大学院の研究者教育を切り離さないことには、大学院教育は大学の外で認められないと思います。大学院生は指導教官の研究プロジェクトを手伝い、論文を出すことで学位を認められると言うことが当たり前のようになっていますが、これは研究者育成の面では問題の方が多く、同じ大学内ですら平等に教育機会が与えられないので、博士が玉石混淆なのは当然です。これでは採用する方も怖くて手が出ないでしょう。
そもそも科研費の採択率は100%ではないわけですから、もらえない所もあります。しかし、もらえなかったらその研究室の院生は学業を諦めるとか、もらえない教授はクビになるということもありません。結局、やることがなくて放置されて、その間バイトだけしていた院生にも、もう何年も大学院にいるんだからと言う理由だけで学位が授与されたりします。逆に、科研費などが潤沢な研究室は、良い大学院教育を受けられるチャンスが広がりますが、必ずしも正しい教育を受けられるとも言いがたい状況です。

大学院生が直接研究プロジェクトの担い手になるということ、そしてそれが院生の学位取得と密接に関わって来るという事態の当然の帰結として、研究テーマは指導教員の研究費テーマに強く依存し、求められる結果も決まっていることから、院生の自主性や研究考察能力が育たないこと、時には論文作成も教官が行うので、論文を書かなくても学位が取れることなどの弊害があげられます。また逆に、教員の方もプロジェクト遂行のために、研究者に育て上げるつもりもないのに学生を研究室に入れるという問題も出てきます。
こう言った研究費の取得状況や、与えられた研究テーマの善し悪しで院生の未来が大きく変わってしまうような過程を教育と呼んで良いのでしょうか。実際、そう言う過程から生まれて来た現在の博士たちは、社会に行き場がなく、最終的には院生時代と同様な、科研費プロジェクトをお手伝いするという立場(これをポスドクと呼んでいますが、正しい呼び方とも思えません)で働くか、それすら続けられずに社会から脱落するかのほぼ2択しかないという現状ではないでしょうか。このような未熟な博士を生み出す仕組みに、国から巨額の研究費が使われているというのは絶望的な状況でしょう。
こう言った研究費の取得状況や、与えられた研究テーマの善し悪しで院生の未来が大きく変わってしまうような過程を教育と呼んで良いのでしょうか。実際、そう言う過程から生まれて来た現在の博士たちは、社会に行き場がなく、最終的には院生時代と同様な、科研費プロジェクトをお手伝いするという立場(これをポスドクと呼んでいますが、正しい呼び方とも思えません)で働くか、それすら続けられずに社会から脱落するかのほぼ2択しかないという現状ではないでしょうか。このような未熟な博士を生み出す仕組みに、国から巨額の研究費が使われているというのは絶望的な状況でしょう。

私は、院生はもっと一般性のある研究ステップを、指導教員とのディスカッションや過去の事例などから学ぶことが重要だと思います(むろん最先端の研究についてセミナーなどで学ぶ事なども重要だと思いますが省きます)。このためには、まず教員が基礎を教え、その後院生から研究テーマを立案し、必要であれば院生自身が研究費を申請するべきです。また成果としての論文作成や投稿は、指導教員ではなく院生がやるべきことでしょう。一連の研究遂行の過程を知らない博士に研究者の資格があるとも思えません。
結局、教員の業績の評価とは、院生を使って論文を発表することではなく、いかに多くの優秀な博士を生み出したかについて、教え子の業績や進路で評価されるべきだと思います。(ボスの仕事を手伝って出した)論文の数で教員を選ぶなどと言う採用方法は狂っているとしか思えません。自分で研究がやりたい教員は、辞めて研究員になるべきだと思います。
あと、議論になっているコネ公募については、全ての過程を公開することで解決すると思います。やらないのは怠慢なだけで、こういう機関こそ交付金を減らせば良いと思います。
結局、教員の業績の評価とは、院生を使って論文を発表することではなく、いかに多くの優秀な博士を生み出したかについて、教え子の業績や進路で評価されるべきだと思います。(ボスの仕事を手伝って出した)論文の数で教員を選ぶなどと言う採用方法は狂っているとしか思えません。自分で研究がやりたい教員は、辞めて研究員になるべきだと思います。
あと、議論になっているコネ公募については、全ての過程を公開することで解決すると思います。やらないのは怠慢なだけで、こういう機関こそ交付金を減らせば良いと思います。

Aさんへ
書き込みの根拠は何ですか?随分実情と違います。ドロップアウトした院生が作っている団体の言い分の受け売りに見えます。
もし、マスコミ関係の方でしたら、もう少しきちんと、きめ細かに、自分のお力で海外の事情も調べて見ることをお勧めします。院生が研究費を申請するとか、かなり的外れな書き込みですよ。院生、は海外では、奨学金は申請できますが、研究費(research grant)は申請できません。研究費は、PIだけしか申請できません。たとえば、院生やポスドクが独自で申請できるNSFやNIHグラントなんてアメリカにもないのです。
日本の問題は、科学にかかわるマスコミや行政と言った部署に、大学院の卒業生が居らず、報道や政策でいつも的外れなことを、おこないがちな傾向があることだと思います。マスコミもポスドク問題と報道するなら、科学関連の部署は、博士号保持者だけを雇用したら随分まともな記事が増える気がします。
書き込みの根拠は何ですか?随分実情と違います。ドロップアウトした院生が作っている団体の言い分の受け売りに見えます。
もし、マスコミ関係の方でしたら、もう少しきちんと、きめ細かに、自分のお力で海外の事情も調べて見ることをお勧めします。院生が研究費を申請するとか、かなり的外れな書き込みですよ。院生、は海外では、奨学金は申請できますが、研究費(research grant)は申請できません。研究費は、PIだけしか申請できません。たとえば、院生やポスドクが独自で申請できるNSFやNIHグラントなんてアメリカにもないのです。
日本の問題は、科学にかかわるマスコミや行政と言った部署に、大学院の卒業生が居らず、報道や政策でいつも的外れなことを、おこないがちな傾向があることだと思います。マスコミもポスドク問題と報道するなら、科学関連の部署は、博士号保持者だけを雇用したら随分まともな記事が増える気がします。

私はAさんの書き込みを賛同しながら読んでいました。もちろん分野の違いによって、必要な研究費が違いますから、全ての分野で可能だとは思いませんが。
少額の助成金であれば、院生が主体的に申請できるものがあります。私の分野では、その程度の額で十分に研究できるので、私の研究室の大学院生にも応募している人がいます。
ただ、例えば私の研究室と隣の研究室は、年間のランニングコストだけでも桁違いだということも理解しています(その研究室の分野ならば、たぶん年間100万円程度では、院生が独自のプロジェクトを進めることなんて、できないのでしょうね)。こちらのサイトで繰り返し言われていることですが、一般事象と個別事象を区別して、さらに分野の違いにも考慮することは、難しいものですね。
少額の助成金であれば、院生が主体的に申請できるものがあります。私の分野では、その程度の額で十分に研究できるので、私の研究室の大学院生にも応募している人がいます。
ただ、例えば私の研究室と隣の研究室は、年間のランニングコストだけでも桁違いだということも理解しています(その研究室の分野ならば、たぶん年間100万円程度では、院生が独自のプロジェクトを進めることなんて、できないのでしょうね)。こちらのサイトで繰り返し言われていることですが、一般事象と個別事象を区別して、さらに分野の違いにも考慮することは、難しいものですね。

追伸。例えば「日本科学協会」というところが出している助成金は、過去の獲得状況(生物分野)をみても、大学院生が多いです。

大学院の現実は。。さん
むろん、現存する大学院生への研究費は学振の研究費100万円前後/年など、数えるほどしかないと思いますが、本格的に研究の主導権を院生に持って行くなら、システムから変えれば良いと思います。現行のPI(実際には常勤の研究員も含まれると思いますが)しか研究費を獲得して主体的に研究が行えないというシステムの元では、大学院生はPIにならなければ自分の研究を始められません。しかし、現状では大半はPIにはなれず、何も始められないまま研究の世界からドロップアウトすると言うジレンマがあります。この状態はひどく病んでいると思いますし、もし、科研費を取って院生を使う方がわかって使い捨てをしているのであれば人間性を疑います。
むろんここに上げたようなシステムはアメリカなどにもなく、PIが主体のグラントシステムになっていますが、ひとつ特筆すべきことは、アメリカでは部下が育ったかどうかがグラント審査の上で大きなポイントとなっています。
むろん、現存する大学院生への研究費は学振の研究費100万円前後/年など、数えるほどしかないと思いますが、本格的に研究の主導権を院生に持って行くなら、システムから変えれば良いと思います。現行のPI(実際には常勤の研究員も含まれると思いますが)しか研究費を獲得して主体的に研究が行えないというシステムの元では、大学院生はPIにならなければ自分の研究を始められません。しかし、現状では大半はPIにはなれず、何も始められないまま研究の世界からドロップアウトすると言うジレンマがあります。この状態はひどく病んでいると思いますし、もし、科研費を取って院生を使う方がわかって使い捨てをしているのであれば人間性を疑います。
むろんここに上げたようなシステムはアメリカなどにもなく、PIが主体のグラントシステムになっていますが、ひとつ特筆すべきことは、アメリカでは部下が育ったかどうかがグラント審査の上で大きなポイントとなっています。

> 大学院生はPIにならなければ自分の研究を始められません。
当然です。例えば、100万円の税金を研究に使うとします。
1.論文も学位もなく大学院の入試に通ったにすぎない学生
2.論文実績と学位とがある大学教員
どちらに割り振るのが妥当でしょう?奨学金なら,学生ですが、研究費なら教員です。
> PIにはなれず、何も始められないまま研究の世界からドロップアウト
米国でも同様。ヨーロッパだと更にPIとの身分差は大きいです。日本は、線引きが曖昧で大学院生も主張の余地があります。一教員さんの書込みの助成金などです。
研究の主導権を院生が,,といわれますが、出来の良い学生でもありえません。最初の論文は、指導教員が相当修正を加え、レフェリーとのやり取りも含めて指導します。研究費は、研究し結果(論文)を出すためのお金です.研究費を取るなら、1人で全てのステップが出来る証が必要です。
当然です。例えば、100万円の税金を研究に使うとします。
1.論文も学位もなく大学院の入試に通ったにすぎない学生
2.論文実績と学位とがある大学教員
どちらに割り振るのが妥当でしょう?奨学金なら,学生ですが、研究費なら教員です。
> PIにはなれず、何も始められないまま研究の世界からドロップアウト
米国でも同様。ヨーロッパだと更にPIとの身分差は大きいです。日本は、線引きが曖昧で大学院生も主張の余地があります。一教員さんの書込みの助成金などです。
研究の主導権を院生が,,といわれますが、出来の良い学生でもありえません。最初の論文は、指導教員が相当修正を加え、レフェリーとのやり取りも含めて指導します。研究費は、研究し結果(論文)を出すためのお金です.研究費を取るなら、1人で全てのステップが出来る証が必要です。

> 大学院生はPIにならなければ自分の研究を始められません。
> しかし、現状では大半はPIにはなれず、何も始められないまま
> 研究の世界からドロップアウトする
予算が充分にあるなら、フォローできるでしょうが、現実にはパイは限られている訳です。
博士院生の数を大幅削減し、2人に1人ぐらいの確率で、大学教員や研究者になることが出来る様にするしかない気がします。研究費の支給の基準を緩めることは、問題を複雑にするだけです。
> しかし、現状では大半はPIにはなれず、何も始められないまま
> 研究の世界からドロップアウトする
予算が充分にあるなら、フォローできるでしょうが、現実にはパイは限られている訳です。
博士院生の数を大幅削減し、2人に1人ぐらいの確率で、大学教員や研究者になることが出来る様にするしかない気がします。研究費の支給の基準を緩めることは、問題を複雑にするだけです。

> アメリカでは部下が育ったかどうかがグラント審査の上で大きな
> ポイントとなっています。
本当ですか?7-8年前にボスと一緒にNIHのRO1の申請書類を作成したとき、そんな項目には気づきませんでした(ご存じの方コメントお願いします)。。米国は日本の様な減点法ではないので、部下が育っていれば、それを加味する程度でしょう。グラント選考の主要な基準ではないと思います。最近変わったのでしょうか?
私もポスドク経験が長かったので、ストレートで大学教員になった人よりも、痛みは分かるつもりです。
> ポイントとなっています。
本当ですか?7-8年前にボスと一緒にNIHのRO1の申請書類を作成したとき、そんな項目には気づきませんでした(ご存じの方コメントお願いします)。。米国は日本の様な減点法ではないので、部下が育っていれば、それを加味する程度でしょう。グラント選考の主要な基準ではないと思います。最近変わったのでしょうか?
私もポスドク経験が長かったので、ストレートで大学教員になった人よりも、痛みは分かるつもりです。

米国ではないですが、カナダではグラントの申請書に過去に指導した学生やポスドクが現在どのような職についているか書く欄があります。どのくらい審査のポイントになっているかはわかりませんが。

カナダでは、グラントの他に、ファカルティの昇進審査においても過去に指導した学生・PDの進路が考慮されると聞きました。知人によればアメリカでもそうだということでしたが、一部の大学なのでしょうか?

ファカルティの昇進だと、授業内容とか、学生の進路とかも、考慮されるとと聞きました。
私が、米国大学院のサマーコースを受講したとき、授業がすごく下手な教員がいて、クラスで示し合わせて、駄目だと書きました。しかし翌年以降も、外されることはありませんでした。この人は研究業績はしっかりある人でした。
判断基準も一律ではないのかも知れません。
私が、米国大学院のサマーコースを受講したとき、授業がすごく下手な教員がいて、クラスで示し合わせて、駄目だと書きました。しかし翌年以降も、外されることはありませんでした。この人は研究業績はしっかりある人でした。
判断基準も一律ではないのかも知れません。

大学院の現実は。。さん(1/2)
ともかく言いたいことは、大学院生は指導教官への奉仕者ではなく、未来の研究者であるということで、学位に関する研究は、一貫した研究者の経験を積むためにも院生主導でやる方が好ましくないか、そして教員は研究よりもサポートに徹するのが教育ではないかということです。
また、ここではこれからのモデルを議論するという形で言っているので、多少個々の大学院の現実とは異なる部分もあるかもしれませんが、実現可能な範囲に止めているつもりです。大学院生を適正な数にまで持っていけば、大学や学科などからでも研究費を捻出できるのではないでしょうか。また、高額な実験機器や設備についても、大学内で共有すれば良いと思います。そもそも税金で購入されたものですから、大学、むしろ国民の共有物として利用していくべきものじゃないでしょうか。
現状がどうであれ、これからの大学では、研究よりも教育、未来へのポテンシャルを育てると言うことを重視するべきだと思います。これが出来ないなら教育機関の看板を下ろして研究所に変わるべきです。
ともかく言いたいことは、大学院生は指導教官への奉仕者ではなく、未来の研究者であるということで、学位に関する研究は、一貫した研究者の経験を積むためにも院生主導でやる方が好ましくないか、そして教員は研究よりもサポートに徹するのが教育ではないかということです。
また、ここではこれからのモデルを議論するという形で言っているので、多少個々の大学院の現実とは異なる部分もあるかもしれませんが、実現可能な範囲に止めているつもりです。大学院生を適正な数にまで持っていけば、大学や学科などからでも研究費を捻出できるのではないでしょうか。また、高額な実験機器や設備についても、大学内で共有すれば良いと思います。そもそも税金で購入されたものですから、大学、むしろ国民の共有物として利用していくべきものじゃないでしょうか。
現状がどうであれ、これからの大学では、研究よりも教育、未来へのポテンシャルを育てると言うことを重視するべきだと思います。これが出来ないなら教育機関の看板を下ろして研究所に変わるべきです。

大学院の現実は。。さん(2/2)
それから、「大学院の入試に通ったにすぎない学生」に研究費を配分するのはとんでもないということですが、研究費を取って研究を始められるのはその経験者のみというのでは、どうやったら院生(ポスドク)は研究を始められるのでしょう。ひたすら下働きを続け、ボスに長年の貢献を認められて、ようやく特権を(上のルールとは違う方法で)与えられることになるんじゃないですか? これは既得権益者による搾取構造だと思います。また、30代も後半まで下働きしてもPIになれなかった人は、社会に出るチャンスを失うでしょう。こういうシステムこそ一度崩すべきではないでしょうか。
それと「入試に通ったにすぎない学生」と言う見解ですが、大学院の入試はそんなものなのでしょうか。エントリーにもありますが、仮に院生にほとんど能力がないなら、どうして大学は院生を受け入れたいのでしょう。そしてなぜ、研究費プロジェクトを分担させるのでしょうか。(背任行為では?)現在「排出」されている博士を見ると、やっぱり単純労働力が欲しいだけなんじゃないかと思ってしまいます。
それから、「大学院の入試に通ったにすぎない学生」に研究費を配分するのはとんでもないということですが、研究費を取って研究を始められるのはその経験者のみというのでは、どうやったら院生(ポスドク)は研究を始められるのでしょう。ひたすら下働きを続け、ボスに長年の貢献を認められて、ようやく特権を(上のルールとは違う方法で)与えられることになるんじゃないですか? これは既得権益者による搾取構造だと思います。また、30代も後半まで下働きしてもPIになれなかった人は、社会に出るチャンスを失うでしょう。こういうシステムこそ一度崩すべきではないでしょうか。
それと「入試に通ったにすぎない学生」と言う見解ですが、大学院の入試はそんなものなのでしょうか。エントリーにもありますが、仮に院生にほとんど能力がないなら、どうして大学は院生を受け入れたいのでしょう。そしてなぜ、研究費プロジェクトを分担させるのでしょうか。(背任行為では?)現在「排出」されている博士を見ると、やっぱり単純労働力が欲しいだけなんじゃないかと思ってしまいます。

Aさんへ
なんだかもの凄く誤解があるのですが。。
> 大学院の入試はそんなものなのでしょうか。
大学院の入試倍率は、1倍程度。旧帝大や東工大ですら、定員割れが有ります。東大でも、1倍台でしょう。勉強せずとも、3流大学から入れるのです。定員を満たすのは、文部省の方針で、ほぼ強制です。
ボスの下働きといいますが、それは誤解で、共同作業です。貢献に応じ、論文も書きます。主導した人がfirstで、プロジェクトの責任者がlastです。何処の国でも同じ基準です。
「学問に王道はない」のです.
大学院,ポスドクとボスと共に仕事をこなし,スキルアップする育成システムは先進国では共通です。
博士の学位は、国外でも有効です。もし、日本だけ異質なシステムと信ずるなら、米国に行けば良いのです。日本で受け入れられない奴は、海外でも駄目なことが多いと分かるでしょう。
なんだかもの凄く誤解があるのですが。。
> 大学院の入試はそんなものなのでしょうか。
大学院の入試倍率は、1倍程度。旧帝大や東工大ですら、定員割れが有ります。東大でも、1倍台でしょう。勉強せずとも、3流大学から入れるのです。定員を満たすのは、文部省の方針で、ほぼ強制です。
ボスの下働きといいますが、それは誤解で、共同作業です。貢献に応じ、論文も書きます。主導した人がfirstで、プロジェクトの責任者がlastです。何処の国でも同じ基準です。
「学問に王道はない」のです.
大学院,ポスドクとボスと共に仕事をこなし,スキルアップする育成システムは先進国では共通です。
博士の学位は、国外でも有効です。もし、日本だけ異質なシステムと信ずるなら、米国に行けば良いのです。日本で受け入れられない奴は、海外でも駄目なことが多いと分かるでしょう。

> 30代も後半まで下働きしてもPIになれなかった人
気の毒ですが、PIのポジションの数と、学生ポスドクの数を比較すれば、8割は別の分野に進みます。米国でも、ポスドクは6年程度です。諦めることも大切です。米国はヨーロッパに比べ楽ですが、日本よりも数段厳しいです。
> 院生にほとんど能力がないなら、どうして大学は院生を受け入れたいのでしょう。
私は、院生は必要ないです。だから、私の研究室にいる院生には就職を勧めています。大学は、文科省の強制で、定員を埋めてるだけです。
なお,私は大学教員ではありません。
気の毒ですが、PIのポジションの数と、学生ポスドクの数を比較すれば、8割は別の分野に進みます。米国でも、ポスドクは6年程度です。諦めることも大切です。米国はヨーロッパに比べ楽ですが、日本よりも数段厳しいです。
> 院生にほとんど能力がないなら、どうして大学は院生を受け入れたいのでしょう。
私は、院生は必要ないです。だから、私の研究室にいる院生には就職を勧めています。大学は、文科省の強制で、定員を埋めてるだけです。
なお,私は大学教員ではありません。

私は、現在の大学院生やポスドクを取り巻く環境を肯定はしないし,これらは改善して欲しいと思います。また、自分もポスドクを経ているので、ラボのポスドクの相談には、かなり親身に相談にのっているつもりです。
しかし、Aさんの書き込みは、随分,現状と違うと思います。
> これは既得権益者による搾取構造だと思います。
なんて,ドロップアウトした院生が言いそうなことです。現実は随分違うと思います。
しかし、Aさんの書き込みは、随分,現状と違うと思います。
> これは既得権益者による搾取構造だと思います。
なんて,ドロップアウトした院生が言いそうなことです。現実は随分違うと思います。

Aさんの気持ちはわかるし、かなり納得できるところもあるけど基本的には賛成できません。やはり自分の研究をしたかったらPIになってください。学生にはそれだけの判断能力も、責任能力もないからです。研究費は税金です。それをやたらと試行錯誤に使うのではなく、効果的に使用する義務があります。
もし、教授の判断よりも学生の方が正しかったり、教授の指導が不適切というなら、教授に問題があります。残念なことに、実際問題のある教授はいっぱいいます。
またおっしゃるとおり、現行のPIになるシステムには大いに問題があると思いますが、それが学生に自由に研究をさせろということにはならないでしょう。PIになるシステムを変えることを考えましょう。
もし、教授の判断よりも学生の方が正しかったり、教授の指導が不適切というなら、教授に問題があります。残念なことに、実際問題のある教授はいっぱいいます。
またおっしゃるとおり、現行のPIになるシステムには大いに問題があると思いますが、それが学生に自由に研究をさせろということにはならないでしょう。PIになるシステムを変えることを考えましょう。

1.
Aさんの仰りたいことは、分かるような気もしますが、現実的ではないと思います。
>『学位に関する研究は、一貫した研究者の経験を積むためにも院生主導でやる方が好ましくないか、そして教員は研究よりもサポートに徹するのが教育ではないか』
これは、院生をpostdocに置き換えれば、私も100%賛成です。
> 『どうやったら院生は研究を始められるのでしょう』
現実的に、右も左も分からない『学生』に、いきなり、金をやるから研究をしなさい、と云って、一体どれだけの学生が研究が出来るか疑問です。中には、とてつもない優秀な学生が居るかも知れませんが。
(つづく)
Aさんの仰りたいことは、分かるような気もしますが、現実的ではないと思います。
>『学位に関する研究は、一貫した研究者の経験を積むためにも院生主導でやる方が好ましくないか、そして教員は研究よりもサポートに徹するのが教育ではないか』
これは、院生をpostdocに置き換えれば、私も100%賛成です。
> 『どうやったら院生は研究を始められるのでしょう』
現実的に、右も左も分からない『学生』に、いきなり、金をやるから研究をしなさい、と云って、一体どれだけの学生が研究が出来るか疑問です。中には、とてつもない優秀な学生が居るかも知れませんが。
(つづく)

2.
端的な(私が個人的に思う)答えは、Dr.を取ったら、自力で研究すべきです。それ迄は、研究の『いろは』を身につける修行期間だと思います。その意味で、postdocがもっと自立出来るシステムが有るべきだと云うことには賛成です。
むしろ、問題は、本来、Dr.を取った時点で自立して研究出来る能力を持っているはずのpostdocが、実際にどれだけ居るのか、逆に云えば、そういうDr.を育てられずに、実質の伴わないDr.を排出し続けているシステムに欠陥がある、と云うことがAさんが、本来指摘したいことなのではないですか(と勝手に憶測してます)。それは、学生に自由に使えるお金をバラ播いても、改善されないと思います。
(つづく)
端的な(私が個人的に思う)答えは、Dr.を取ったら、自力で研究すべきです。それ迄は、研究の『いろは』を身につける修行期間だと思います。その意味で、postdocがもっと自立出来るシステムが有るべきだと云うことには賛成です。
むしろ、問題は、本来、Dr.を取った時点で自立して研究出来る能力を持っているはずのpostdocが、実際にどれだけ居るのか、逆に云えば、そういうDr.を育てられずに、実質の伴わないDr.を排出し続けているシステムに欠陥がある、と云うことがAさんが、本来指摘したいことなのではないですか(と勝手に憶測してます)。それは、学生に自由に使えるお金をバラ播いても、改善されないと思います。
(つづく)

3.
本来、大学院での教育(特に博士後期課程の場合)は、プロフェッショナルとしての『自立した』研究者を養成することだと思います。もちろん、教員が全てを取り仕切り、周りからレールを延いてそれに乗せて強制的にデーターを出させ(本人の実力とは別に)学位を取らせることは可能でしょう(と云うか、それが今の現実でしょう)が、そもそも、そのように学生を単なる労働力としての道具にすべきではないのは、Aさんが仰る様に、至極当然だと私も思います。
しかし、実際は、教員が指導可能な数以上の院生が毎年入って来て、自動的に5年で学位を与え、postdocが溢れている訳です。
明らかにシステムがオカシイ。
(おわり)
本来、大学院での教育(特に博士後期課程の場合)は、プロフェッショナルとしての『自立した』研究者を養成することだと思います。もちろん、教員が全てを取り仕切り、周りからレールを延いてそれに乗せて強制的にデーターを出させ(本人の実力とは別に)学位を取らせることは可能でしょう(と云うか、それが今の現実でしょう)が、そもそも、そのように学生を単なる労働力としての道具にすべきではないのは、Aさんが仰る様に、至極当然だと私も思います。
しかし、実際は、教員が指導可能な数以上の院生が毎年入って来て、自動的に5年で学位を与え、postdocが溢れている訳です。
明らかにシステムがオカシイ。
(おわり)

>教員が全てを取り仕切り、周りからレールを延いてそれに乗せて強制的にデーターを出させ(本人の実力とは別に)学位を取らせることは可能でしょう(と云うか、それが今の現実
ぜのぱすさんもアメリカにおられるのでご存知かとは思いますが、アメリカのPIはすごい量の詳細な研究計画をグラント申請時に書かなくてはいけなくて、それが日本とアメリカのPIの質の差だと言われているぐらい大変でしかしPIを育成していることにもなっているわけです。
アメリカのシステムだと学生もポスドクもそのPIの計画に従って研究をするわけで、引用されている「良くない」やり方に極めて近いわけです。一方、私なんかが経験してきた古い日本のやり方だと、教授が漠然としたテーマを出して、学生が試行錯誤して自分の物にしていくというものです。
言いたいことは、システムをあまり大雑把に語っても意味がないということです。上手くやれば旧来の日本のシステムはAさんの理想に近いものにすることが出来ます。上手くやらなければそれこそ搾取こうぞうにもなるわけです。アメリカのシステムでも上手く学生やポスドクと議論してやっていけば、ただやらせているということにはなりません。
ぜのぱすさんもアメリカにおられるのでご存知かとは思いますが、アメリカのPIはすごい量の詳細な研究計画をグラント申請時に書かなくてはいけなくて、それが日本とアメリカのPIの質の差だと言われているぐらい大変でしかしPIを育成していることにもなっているわけです。
アメリカのシステムだと学生もポスドクもそのPIの計画に従って研究をするわけで、引用されている「良くない」やり方に極めて近いわけです。一方、私なんかが経験してきた古い日本のやり方だと、教授が漠然としたテーマを出して、学生が試行錯誤して自分の物にしていくというものです。
言いたいことは、システムをあまり大雑把に語っても意味がないということです。上手くやれば旧来の日本のシステムはAさんの理想に近いものにすることが出来ます。上手くやらなければそれこそ搾取こうぞうにもなるわけです。アメリカのシステムでも上手く学生やポスドクと議論してやっていけば、ただやらせているということにはなりません。

個人的には、従来の日本的なやり方が必ずしも悪いとは思っていません。アメリカの学生は全然実験しませんし、私が見ている大学で博士取得の時点で研究能力は日本の大学で博士を取った学生よりもかなり低いと思います。しかし、時代の変化、学生の気質などいろいろ考えるとアメリカ的なシステムを入れるのは理にかなっているとは思いますが、細かい部分、やり方も考えないといけないと思っています。

親の脛を齧るのは四捨五入で20歳までだと思い、修士を出て就職した私から見ると、PDの方たちの嘆きは理解できません。博士の人はアカポスに固執せず、研究者をやめたって良いのではないかと思います。他の世界では、やりたい仕事についている人の方が少ないと思いますから。
学生の時に学振も貰っていて今までの業績も飛びぬけて良いのに全くテニュアな職に就けない、という方なら諦めも悪くなるかもしれませんが、限られたポストにどんぐりの背比べなら、ちょっとした理由で勝負が変わるのは仕方ないでしょう。ポストの数なんて大学や研究機関の数を数えたら事前にわかることです。日本の大学が750、1つの大学に自分の専門の教官が10人いたとして7500、30年勤務するとして毎年 7500/30=250、うち上位10%の学校の公募は25人。しかもこの仮定はかなり募集が多い場合でしょうし、また専攻の教官のポートフォリオもあるでしょう。替えがいないようなすごい先生なんて、ほとんどいないのではないでしょうか。企業では少なくともそうですし、それが企業では健全なことです。
学生の時に学振も貰っていて今までの業績も飛びぬけて良いのに全くテニュアな職に就けない、という方なら諦めも悪くなるかもしれませんが、限られたポストにどんぐりの背比べなら、ちょっとした理由で勝負が変わるのは仕方ないでしょう。ポストの数なんて大学や研究機関の数を数えたら事前にわかることです。日本の大学が750、1つの大学に自分の専門の教官が10人いたとして7500、30年勤務するとして毎年 7500/30=250、うち上位10%の学校の公募は25人。しかもこの仮定はかなり募集が多い場合でしょうし、また専攻の教官のポートフォリオもあるでしょう。替えがいないようなすごい先生なんて、ほとんどいないのではないでしょうか。企業では少なくともそうですし、それが企業では健全なことです。

教授も助手も学生も雑用に追われて。

>親の脛を齧るのは四捨五入で20歳までだと思い
多くのPDも通りすがり2さんと同じような認識を持っているのではないでしょうか。だからこそ、学振(DC)や(旧)育英会に応募したり、アルバイトしたりしているのです。(なお、stonaichiさんその他がたびたび指摘しているように、育英会の「奨学金」は「借金(ローン)」とはっきり言い換えるべきだと思います。そのうえで、北米のように、優秀な博士学生には給与という形で奨学金を与え、大学以外の企業・研究所にもインターンさせればよいでしょう)
ここで議論している問題は、「PDが親の脛を齧っている」ということではないんです。(むしろ、齧れる脛があるならば、昔のヨーロッパの貴族のように道楽で研究していればよいのですから、問題が少ないわけです)
多くのPDも通りすがり2さんと同じような認識を持っているのではないでしょうか。だからこそ、学振(DC)や(旧)育英会に応募したり、アルバイトしたりしているのです。(なお、stonaichiさんその他がたびたび指摘しているように、育英会の「奨学金」は「借金(ローン)」とはっきり言い換えるべきだと思います。そのうえで、北米のように、優秀な博士学生には給与という形で奨学金を与え、大学以外の企業・研究所にもインターンさせればよいでしょう)
ここで議論している問題は、「PDが親の脛を齧っている」ということではないんです。(むしろ、齧れる脛があるならば、昔のヨーロッパの貴族のように道楽で研究していればよいのですから、問題が少ないわけです)

>学生の時に学振も貰っていて今までの業績も飛びぬけて良いのに全くテニュアな職に就けない
それこそが、まさに今、問題になっているのです。一昔(といっても5-10年くらい前)ならば、余裕で大学の助手(現助教)になっていたような業績をあげている若手研究者の行き場所が無いのです。俗に"Publish, or perish"と言いますが、いくらペーパーが名のあるジャーナルに出ても日本での就職先が一向に見つからないため、精神的に追い詰められていく者も少なくありません。そして、そのような人々は、優秀であるが故に、35歳ごろまで大学や研究所の研究者となる夢を捨てきれません。ようやく企業も視野に入れて活動をはじめた頃には、「年齢制限」のため、こちらでもうまくいきません。(なお、これは、PD第一世代=30代半ば以降の人々の例です。それ以下の人々は、この世代の苦労を見ているので、30代はじめで、さっさと就職活動始めます。ですからPD第一世代には、「早く現実感を持って企業に就職すればよかったのに。しなかったから自業自得だ」という非難は酷だと思います)
それこそが、まさに今、問題になっているのです。一昔(といっても5-10年くらい前)ならば、余裕で大学の助手(現助教)になっていたような業績をあげている若手研究者の行き場所が無いのです。俗に"Publish, or perish"と言いますが、いくらペーパーが名のあるジャーナルに出ても日本での就職先が一向に見つからないため、精神的に追い詰められていく者も少なくありません。そして、そのような人々は、優秀であるが故に、35歳ごろまで大学や研究所の研究者となる夢を捨てきれません。ようやく企業も視野に入れて活動をはじめた頃には、「年齢制限」のため、こちらでもうまくいきません。(なお、これは、PD第一世代=30代半ば以降の人々の例です。それ以下の人々は、この世代の苦労を見ているので、30代はじめで、さっさと就職活動始めます。ですからPD第一世代には、「早く現実感を持って企業に就職すればよかったのに。しなかったから自業自得だ」という非難は酷だと思います)

個人的には、PDの問題は「優秀なのに就職できない30代半ば以上のPD」と「量産されてそれほど優秀ではないため就職できないPD」を区別して議論し、それぞれ別の解決策を考えていく必要があるように思います。

一口に優秀といっても、自分の研究を遂行する優秀さと学生を教育する優秀さは違うし、基礎研究の優秀さと地域社会に貢献する優秀さもまるで違うということですね。そこが分かってないと問題は解決しない。

>一口に優秀といっても、自分の研究を遂行する優秀さと学生を教育する優秀さは違うし、基礎研究の優秀さと地域社会に貢献する優秀さもまるで違うということですね。そこが分かってないと問題は解決しない。
Yさん。そうですね。正確には、上で私が「優秀」と言ったのは、「従来的な意味で大学のテニュア・ポジションに残れたはずの優秀さ=自分の研究を遂行する優秀さ&基礎研究の優秀さ」です。
「学生を教育する優秀さ」は、PDの段階ではなかなか分かりません(学生を指導する機会の無いPDも多い)。また、残念ながら、その種の優秀さは現行の日本の制度では大学で常任のポジションを得る際の評価基準にされません。これまでは、この種の能力は職を得てから徐々に伸ばしていけばよいとされていたように思います。
「地域社会に貢献する優秀さ」も、同様に、現在の日本のPD制度・大学雇用制度では、発展させる機会も評価される機会もありません。
Yさん。そうですね。正確には、上で私が「優秀」と言ったのは、「従来的な意味で大学のテニュア・ポジションに残れたはずの優秀さ=自分の研究を遂行する優秀さ&基礎研究の優秀さ」です。
「学生を教育する優秀さ」は、PDの段階ではなかなか分かりません(学生を指導する機会の無いPDも多い)。また、残念ながら、その種の優秀さは現行の日本の制度では大学で常任のポジションを得る際の評価基準にされません。これまでは、この種の能力は職を得てから徐々に伸ばしていけばよいとされていたように思います。
「地域社会に貢献する優秀さ」も、同様に、現在の日本のPD制度・大学雇用制度では、発展させる機会も評価される機会もありません。

東大京大にいて海外の有名研究室のポスドクをしていると分からないかもしれませんが、地方大はかなりの危機感を持って地域密着型に動いています。うまくいっているかどうかは別ですが。その辺の事情を知らないことが第一に問題だと思います。そういうところで働きたくない、というのなら東大京大の椅子を奪い合うより仕方ないのではないでしょうか。

「そういうところで働きたくない」というよりも、(東大京大かは別にして)海外で(有名ではなくとも)ポスドクしていると、地方大の状況はあまり入ってこないのではないでしょうか。地方でも比較的大都市でしている人も同様だと思います。
地方大学が地域密着型に傾きつつあるというのは大学のHPを見れば或る程度は分かります。しかし、書かれているのは、大抵、「地域の物産を使った実験をする」「地域の企業と協力しつつ応用的な研究をするめる」くらいのことです。地域への貢献と研究をどのようにリンクさせていけるのか、具体的な状況が見えにくいというのはあると思います。
それこそ、地方大の側が地域への貢献と研究が両方ともにwin-winの関係で進んでいるということを積極的かつ具体的に広く知らせる必要があるのではないでしょうか。
地方大学が地域密着型に傾きつつあるというのは大学のHPを見れば或る程度は分かります。しかし、書かれているのは、大抵、「地域の物産を使った実験をする」「地域の企業と協力しつつ応用的な研究をするめる」くらいのことです。地域への貢献と研究をどのようにリンクさせていけるのか、具体的な状況が見えにくいというのはあると思います。
それこそ、地方大の側が地域への貢献と研究が両方ともにwin-winの関係で進んでいるということを積極的かつ具体的に広く知らせる必要があるのではないでしょうか。

>地方大の側が地域への貢献と研究が両方ともにwin-winの関係で進んでいるということを積極的かつ具体的に広く知らせる必要がある
確かに田舎では地域起こしに大学が期待されている面がありますね。過剰という気もしますが・・・。で、そういう成果は地元の新聞では良く見かけますが、全国紙には余り掲載されてないのは確かです。あの、面倒臭い仕事を押し付けてくる割に余り役に立たないReaDあたりが、そういう紙面を集めて公開してくれると、いろんな場所にいる研究者に情報提供ができるようになるかも知れません。まあ、新聞記事は玉石混交でしょうけど、雰囲気を伝えるという意味では。
ただし、大学は無理して地域貢献に狂奔しなくても、本来の機能として地域貢献しているのではないでしょうか?地域で(地域でなくてもいいですが)何か問題が起きると、問い合わせ先は普通大学ですよね。問題が起きた時に誰かが答えることができる(大抵は無料で)組織が存在するというのは、かなり大事な貢献だと私は考えるのですが。
確かに田舎では地域起こしに大学が期待されている面がありますね。過剰という気もしますが・・・。で、そういう成果は地元の新聞では良く見かけますが、全国紙には余り掲載されてないのは確かです。あの、面倒臭い仕事を押し付けてくる割に余り役に立たないReaDあたりが、そういう紙面を集めて公開してくれると、いろんな場所にいる研究者に情報提供ができるようになるかも知れません。まあ、新聞記事は玉石混交でしょうけど、雰囲気を伝えるという意味では。
ただし、大学は無理して地域貢献に狂奔しなくても、本来の機能として地域貢献しているのではないでしょうか?地域で(地域でなくてもいいですが)何か問題が起きると、問い合わせ先は普通大学ですよね。問題が起きた時に誰かが答えることができる(大抵は無料で)組織が存在するというのは、かなり大事な貢献だと私は考えるのですが。

ついでに・・・ですが、概ね大学でいる人間は、何か問い合わせがあった時に、気軽に無料で対応しますよね。私も大したことはやっていませんが何度か経験がありますし、無料ということに違和感はありません。
ただ、現在のポストドックを廻る状況とか博士の将来とかを考えると専門情報が無料というのは非常にまずいのではないでしょうか?この国はモノを伴わない情報はタダという雰囲気が昔からあります。かつては診断だけして注射や投薬が不必要な場合何もしない医者は敬遠された時代もあったようです。個々の研究者にとって日常である情報をタダで提供するのは、研究者にとっては普通のことですが、そのために、かえって大学の意義やポストドック、大学院生の価値を低めているとすれば、考え直す必要があるのかもしれません。
ただ、現在のポストドックを廻る状況とか博士の将来とかを考えると専門情報が無料というのは非常にまずいのではないでしょうか?この国はモノを伴わない情報はタダという雰囲気が昔からあります。かつては診断だけして注射や投薬が不必要な場合何もしない医者は敬遠された時代もあったようです。個々の研究者にとって日常である情報をタダで提供するのは、研究者にとっては普通のことですが、そのために、かえって大学の意義やポストドック、大学院生の価値を低めているとすれば、考え直す必要があるのかもしれません。

地域貢献と言われてアメリカの州立大と比べてしまいました。こちらでは大学内でいろんなイベントがあったり、大学が放送局やら、スタディアムまで持っていて、もちろん産学共同もさかんで、はるかに地元と密着していながら、留学生は世界中から来るし、研究レベルも世界レベルで高いわけです。すぐに日本の大学が真似できるとは思いませんが、本来持っている日本の潜在力からするとあまりにも目先が低くなりすぎているんじゃないかと感じます。いまある、組織、教員の質、予算を前提にするとどんどん目先が低くなってしまうのはわからなくはないですが、本当はもっと力はあるはずですしいまのままでできることもあるはずだと思っています。

州立大はland-grant法による設立経緯もあるのか、地元優先ですね。酪農学の場合、この州ではどのような品種をどのように肥育すれば一番儲かるかまで答えなければ教授失格になるから日本の国立大学とは全く違うと牧畜関係の仕事をやっていた父から聞いた記憶があります。が、私がそちらで勤めていたのは地元のことは全く気にしない大学だったので、詳しいことまでは存じません。
現在、私が所属している地方大学ですが、学部によっては所在地の市から非常に頼りにされていますし、実際に傍から見ていても頑張っています(州立大学ほどのマンパワーも予算もないので限界はありますが)。その成果は地元の新聞には結構載っていますが、全国区の話題にはなりませんね。私は傍観者で、時々そっちの学部に顔を出すだけで正味の所は判りませんが(専門がかなりずれている面もありますので)、研究成果の方も良く出ているようで、目線が低くなっている印象はありません。
人口あたりの研究予算が米国の半分未満ですし、その予算の6割を占める各省庁の大型プロジェクトがNIH grantやNSF grantほどの透明度をもって決まっているわけではないといわれる中で大学は健闘しているといって良いのでは?
現在、私が所属している地方大学ですが、学部によっては所在地の市から非常に頼りにされていますし、実際に傍から見ていても頑張っています(州立大学ほどのマンパワーも予算もないので限界はありますが)。その成果は地元の新聞には結構載っていますが、全国区の話題にはなりませんね。私は傍観者で、時々そっちの学部に顔を出すだけで正味の所は判りませんが(専門がかなりずれている面もありますので)、研究成果の方も良く出ているようで、目線が低くなっている印象はありません。
人口あたりの研究予算が米国の半分未満ですし、その予算の6割を占める各省庁の大型プロジェクトがNIH grantやNSF grantほどの透明度をもって決まっているわけではないといわれる中で大学は健闘しているといって良いのでは?

日本の地方自治と経済の問題も絡みますので、非常に難しいところです。多分日本全体のデザインが関わってくるのでしょう。

昔のエントリを見ていて次のようなstonaichiさんの発言を見つけました。
>昔は外国で数年、修行して帰ってきて日本でアカデミックポストに就くというケースが多かった時代がありました。今は逆に、外国へ出てしまうと、日本に戻る場所がなくなってしまうとさえ言われる時代になっています。
まさに、今、海外にはこのようなPDたちがあちこちに漂っています。
確かに、彼らは高年齢かもしれません。しかし、国際学会での経験、国際的な人脈、専門的な英語力、英語での交渉慣れ(程度の差はありますが)など、彼らの持つ能力は、日本の研究世界にも必要なのではないでしょうか? 企業でも使い道はあるのでは? 国際的なプロジェクトの立ち上げなどには、強みを発揮するはずです。
中国を見習って、留学生帰還大作戦をすることはできないのでしょうか?
>昔は外国で数年、修行して帰ってきて日本でアカデミックポストに就くというケースが多かった時代がありました。今は逆に、外国へ出てしまうと、日本に戻る場所がなくなってしまうとさえ言われる時代になっています。
まさに、今、海外にはこのようなPDたちがあちこちに漂っています。
確かに、彼らは高年齢かもしれません。しかし、国際学会での経験、国際的な人脈、専門的な英語力、英語での交渉慣れ(程度の差はありますが)など、彼らの持つ能力は、日本の研究世界にも必要なのではないでしょうか? 企業でも使い道はあるのでは? 国際的なプロジェクトの立ち上げなどには、強みを発揮するはずです。
中国を見習って、留学生帰還大作戦をすることはできないのでしょうか?

国内での起爆剤がないと厳しいかと思います。米国のようなベンチャーの伸びがあればいくらでも余地はあったのでしょうが・・・。

ぜのぱすさん(1/1)
上で言われていることはほぼ肯定です。院生が平等にしかるべき教育を受けられること(つまり博士の質を高く保つこと)と、ポスドクが独立した研究者として独り立ちできるような扱いを受けられる(既に空きがない教員ポストを奪い合わないとまともな研究ができない現状を回避する)なら、それで成り立つし、学位の意味合いも出てると思います。
私もはじめはポスドクが独立した方が理にかなっていると思ったんのですが、結局、院生は大学(少なくとも学科)が責任を持つのに対して、ポスドクは誰が責任を負うのかが不明確です。また給料をもらう存在なので、その給料を払うのが上司だった場合、その意にそぐわなければすぐにクビになったりする可能性も高く、結局は操り人形のまま制度が形骸化する恐れが大きいこと、雇用が続かなければそこで終わってしまう立場なので、教育を受けるのに向いていないのではないと言うことを考えていました。
上で言われていることはほぼ肯定です。院生が平等にしかるべき教育を受けられること(つまり博士の質を高く保つこと)と、ポスドクが独立した研究者として独り立ちできるような扱いを受けられる(既に空きがない教員ポストを奪い合わないとまともな研究ができない現状を回避する)なら、それで成り立つし、学位の意味合いも出てると思います。
私もはじめはポスドクが独立した方が理にかなっていると思ったんのですが、結局、院生は大学(少なくとも学科)が責任を持つのに対して、ポスドクは誰が責任を負うのかが不明確です。また給料をもらう存在なので、その給料を払うのが上司だった場合、その意にそぐわなければすぐにクビになったりする可能性も高く、結局は操り人形のまま制度が形骸化する恐れが大きいこと、雇用が続かなければそこで終わってしまう立場なので、教育を受けるのに向いていないのではないと言うことを考えていました。

ぜのぱすさん(2/2)
また、今の日本の社会の現状では、一回ポスドクになってしまうと、もう大学にしがみつくしか進路がないのではないでしょうか(たとえ教育を受けても)。そういう意味で、まだ社会に出られるチャンスがある院生のうちに、一通りの経験を積む必要があるのではないかとも思っていました。
それから、ポスドクに出すにしろ、院生に出すにしろ、研究費をばらまきにしないためにはむろん指導者の管理が重要になると思います。研究の指導も含めると、これはかなり大変な負担だと思いますが、それも教育だと思うし、大学院は教育機関であるべきだと思います。そういう意味でも教員の評価は論文ではなかく、教育でして欲しい所です。私はそういう人間こそが大学に必要だと思います。
ちょっと話はずれますが、そういう教育ポストに任期をつけるのは好ましいと思いません(定期的な再任の審査は必要だと思いますが)。そもそも任期をつけるのは研究員の流動性を保つためだったのではないでしょうか。そのいう意味でも教員と研究員(PI)と言う立場は分けた方が良いと思います。
また、今の日本の社会の現状では、一回ポスドクになってしまうと、もう大学にしがみつくしか進路がないのではないでしょうか(たとえ教育を受けても)。そういう意味で、まだ社会に出られるチャンスがある院生のうちに、一通りの経験を積む必要があるのではないかとも思っていました。
それから、ポスドクに出すにしろ、院生に出すにしろ、研究費をばらまきにしないためにはむろん指導者の管理が重要になると思います。研究の指導も含めると、これはかなり大変な負担だと思いますが、それも教育だと思うし、大学院は教育機関であるべきだと思います。そういう意味でも教員の評価は論文ではなかく、教育でして欲しい所です。私はそういう人間こそが大学に必要だと思います。
ちょっと話はずれますが、そういう教育ポストに任期をつけるのは好ましいと思いません(定期的な再任の審査は必要だと思いますが)。そもそも任期をつけるのは研究員の流動性を保つためだったのではないでしょうか。そのいう意味でも教員と研究員(PI)と言う立場は分けた方が良いと思います。

>そのいう意味でも教員と研究員(PI)と言う立場は分けた方が良いと思います。
理想は一流の研究を指揮するPIが丁寧に学生を指導することですが、それはいろいろな状況から非常に難しいということですね。大学院教育の目的が(大学・企業に関わらず)研究者の育成ならば、Aさんのおっしゃる教員が全く研究に携わらないわけにはいきません。現実的には限られた時間と資源の中で教育・大学運営・研究のバランスを取らざるを得ないわけです。このうち何に重点を置くか、何を犠牲にするか、はそれぞれの大学もしくは教員一人一人が選択すべきでしょう。
理想は一流の研究を指揮するPIが丁寧に学生を指導することですが、それはいろいろな状況から非常に難しいということですね。大学院教育の目的が(大学・企業に関わらず)研究者の育成ならば、Aさんのおっしゃる教員が全く研究に携わらないわけにはいきません。現実的には限られた時間と資源の中で教育・大学運営・研究のバランスを取らざるを得ないわけです。このうち何に重点を置くか、何を犠牲にするか、はそれぞれの大学もしくは教員一人一人が選択すべきでしょう。

Aさんの考えるような教育に重きをおいた大学院教育もあるべき姿の一つだと思いますし、研究環境に恵まれない地方大学の差別化のひとつの方向だと思います。上の田舎教師さんの大学のように、現実に目を背けて研究大学の建前を守るためにヤラセ公募をするような大学はまさにこういう考え方をするべきだと思います。
しかしすべての大学院が教育機関である必要もないと思います。一流の研究者を集めて最先端の研究が行われる空気に触れることも一部の学生には十分教育的だし、選択肢として必要だと思います。手取り足取り研究者としての指導を受けるか、最先端の厳しい環境で自らを鍛えるか、選択肢があることは学生にとっても有益でしょう。

私はAさんの考え方に反対です。yotaさんに賛成です。
Aさんの案は,院生の甘やかし過ぎません。また、研究を随分軽くみています。理系の研究を、私大の文系教授の研究と同じように考えてませんか?
研究は、手取り足取り教えて貰うものではありません。努力しても、駄目な奴もいるのです。yotaさんが書かれたように,最先端の厳しい環境の中で鍛えるのが一番良いと思います。もし、博士持ちがPIになれないと嘆くなら、博士の取得基準を厳しくし、院生をドンドン退学させ、博士取得者を減らせば良いと思います。
Aさんの案は,院生の甘やかし過ぎません。また、研究を随分軽くみています。理系の研究を、私大の文系教授の研究と同じように考えてませんか?
研究は、手取り足取り教えて貰うものではありません。努力しても、駄目な奴もいるのです。yotaさんが書かれたように,最先端の厳しい環境の中で鍛えるのが一番良いと思います。もし、博士持ちがPIになれないと嘆くなら、博士の取得基準を厳しくし、院生をドンドン退学させ、博士取得者を減らせば良いと思います。

教員と研究者(PI)を分けろといいますが、、何処の国に、そんな例があるでしょうか?大学院が先端の専門教育を目指すなら、教員は先端分野の研究者でないと勤まりませんよ。
また,殆どの職が任期付きである米国の中でも、大学教授と研究者と裁判官だけは、tenureがある安定した職と言われています。終身雇用の日本で、研究系だけが全部任期付職だけになったら、誰も目指さなくなると思います。
また,殆どの職が任期付きである米国の中でも、大学教授と研究者と裁判官だけは、tenureがある安定した職と言われています。終身雇用の日本で、研究系だけが全部任期付職だけになったら、誰も目指さなくなると思います。
名指しされてしまったので、再登場。
Aさんの『教員』と『PI』の定義が、正直云って、良く分かりません。
勿論、全ての教員がPIではありませんが、私の感覚では、PIは教員と区別出来るものではありませんし、研究と教育は、本来、表裏一体です。 研究をしていない(したことがない)大学教員と云うのは、教科書的なことしか、享受出来ないでしょう。それこそ、教科書を読めば済むことです。
更に云えば、理想的には、labをorganizeする者(=PI)は、生涯、現役のbench workerであるべきです(ココでは、実験系の科学の話に限った議論です)。最低でも、生データを読めない/見れないようなPIは、百害有って一利なし。実験の現場から離れているPIが『下手に』学生やpostdocを『指導する』と、理論上は正しくても、現実的には達成不可能な実験計画を持ち出して来たりします(笑)。理論的に正しいが故に、余計厄介。未だ、理論的に正しい場合は救いがありますが、そのうち、妄想を(苦笑)。
最後は、筆が滑りました(笑)が、本音です。
Aさんの『教員』と『PI』の定義が、正直云って、良く分かりません。
勿論、全ての教員がPIではありませんが、私の感覚では、PIは教員と区別出来るものではありませんし、研究と教育は、本来、表裏一体です。 研究をしていない(したことがない)大学教員と云うのは、教科書的なことしか、享受出来ないでしょう。それこそ、教科書を読めば済むことです。
更に云えば、理想的には、labをorganizeする者(=PI)は、生涯、現役のbench workerであるべきです(ココでは、実験系の科学の話に限った議論です)。最低でも、生データを読めない/見れないようなPIは、百害有って一利なし。実験の現場から離れているPIが『下手に』学生やpostdocを『指導する』と、理論上は正しくても、現実的には達成不可能な実験計画を持ち出して来たりします(笑)。理論的に正しいが故に、余計厄介。未だ、理論的に正しい場合は救いがありますが、そのうち、妄想を(苦笑)。
最後は、筆が滑りました(笑)が、本音です。

なんか、いつものパターンになってきましたね。

学生をPIにするのではなく、博士課程の学生あたり研究費xxx万(テーマによって変動可)、とかでいいんじゃないですかね。その中で、好きに研究させれば。費用に成果が見合わない博士は却下でもいいし。
ポスドクは、給与と研究費をセットにして、ポスドク自身に獲得させる。ポスドクがその予算を持って、好きな教官のもとで研究する。予算獲得暦として、本人による成果報告と事後評価ももちろんありで、その後につなげるようにする。
単純な話、学振の拡張版ですね。そもそも、博士課程(研究者としての訓練)→ポスドク(PIとしての訓練)の筈なんですが、両者ともまともな訓練を受けられない以上、これが理想的な気がします。
ポスドクは、給与と研究費をセットにして、ポスドク自身に獲得させる。ポスドクがその予算を持って、好きな教官のもとで研究する。予算獲得暦として、本人による成果報告と事後評価ももちろんありで、その後につなげるようにする。
単純な話、学振の拡張版ですね。そもそも、博士課程(研究者としての訓練)→ポスドク(PIとしての訓練)の筈なんですが、両者ともまともな訓練を受けられない以上、これが理想的な気がします。

36歳PDさんの意見を読むと、昔に戻れと言っているようです。
重点化以来、博士課程の使命として研究者養成だけではなく多様な職業に就ける「つぶしのきく」人材の養成もあるのです(アカポスが限られている以上、当然です)。そして、課程博士では「修士号を取得しかつ博士課程に入学を許可された学生であれば、平均的な努力で誰でも3年で学位を取れる」ような教育と指導をすることを文科省は教員に求めています。その意味では、36歳PDさんのプランに従うと、そうでなくても教育効果の薄い現状がさらに放任になってしまい、大昔の「教授の背中を見て育つ」状態に戻ってしまいます。
PD問題は今の日本や日本を取り巻く環境が抱えるさまざまな問題と密接に絡んでいます。他の皆さんのコメントを見ると、PD問題を中心軸にして大きく社会を変えようという(もしくは変えざるを得ない)意見が多く、そんな主客逆転したアイデアが実現するわけがありません。今の教育研究制度の枠組みの中で実現可能で有効な小さな策が必要だと思います。
重点化以来、博士課程の使命として研究者養成だけではなく多様な職業に就ける「つぶしのきく」人材の養成もあるのです(アカポスが限られている以上、当然です)。そして、課程博士では「修士号を取得しかつ博士課程に入学を許可された学生であれば、平均的な努力で誰でも3年で学位を取れる」ような教育と指導をすることを文科省は教員に求めています。その意味では、36歳PDさんのプランに従うと、そうでなくても教育効果の薄い現状がさらに放任になってしまい、大昔の「教授の背中を見て育つ」状態に戻ってしまいます。
PD問題は今の日本や日本を取り巻く環境が抱えるさまざまな問題と密接に絡んでいます。他の皆さんのコメントを見ると、PD問題を中心軸にして大きく社会を変えようという(もしくは変えざるを得ない)意見が多く、そんな主客逆転したアイデアが実現するわけがありません。今の教育研究制度の枠組みの中で実現可能で有効な小さな策が必要だと思います。

妄想的方策はいくらでも出てくるが、それをいかにして実現するかという考察が一切出てこないのがまさに彼らの問題点なのである。

>「修士号を取得しかつ博士課程に入学を許可された学生であれば、平均的な努力で誰でも3年で学位を取れる」ような教育と指導をすることを文科省は教員に求めています。
今の実質フリーパス状態、また基礎学力が壊れた院生を受け入れさせておいて、これを求めるのが実質不可能だという話なのですよ。
趣旨はわかりますが、何か具体的な対案はあなたにありますか?
小さな策ではどうにもならない、と皆さん考えているのだと思うのですが。
だからこそ、「もうそっとしておいてくれ」という諦観すら出てくるのです。
今の実質フリーパス状態、また基礎学力が壊れた院生を受け入れさせておいて、これを求めるのが実質不可能だという話なのですよ。
趣旨はわかりますが、何か具体的な対案はあなたにありますか?
小さな策ではどうにもならない、と皆さん考えているのだと思うのですが。
だからこそ、「もうそっとしておいてくれ」という諦観すら出てくるのです。

「研究者養成だけではなく多様な職業に就ける「つぶしのきく」人材の養成もあるのです」
と言われますが,現状は、
企業、国の機関の雇用: 博士卒である必要はない。
博士取得者: 大学教員・研究職志向が8割.生き残るのは1-2割。
研究系以外を志向する博士は少なく、求人も少ない。
大部分が
博士取得→ポスドク(不安定)→大学教員,研究職に就けない(中年失業者)
1-2割の勝ち組も、
博士取得→ポスドク(不安定)→大学教員,研究職に就職(任期付で不安定)
これでは,博士課程は「中年失業者」と「契約職員」の養成機関。
高学歴の中年失業者は、毎年6千人規模で生まれる。「山一証券倒産での失業者数」とほぼ同数だ。博士課程の定員を減らし、求人と釣り合わせるか、別のキャリアパスを想定する仕組みが必要。
潰しが効く人材養成とか、そんな問題ではない。
と言われますが,現状は、
企業、国の機関の雇用: 博士卒である必要はない。
博士取得者: 大学教員・研究職志向が8割.生き残るのは1-2割。
研究系以外を志向する博士は少なく、求人も少ない。
大部分が
博士取得→ポスドク(不安定)→大学教員,研究職に就けない(中年失業者)
1-2割の勝ち組も、
博士取得→ポスドク(不安定)→大学教員,研究職に就職(任期付で不安定)
これでは,博士課程は「中年失業者」と「契約職員」の養成機関。
高学歴の中年失業者は、毎年6千人規模で生まれる。「山一証券倒産での失業者数」とほぼ同数だ。博士課程の定員を減らし、求人と釣り合わせるか、別のキャリアパスを想定する仕組みが必要。
潰しが効く人材養成とか、そんな問題ではない。

実現しないことが分かっているからこそ、こうなればいい、という視点で自由に意見を述べているのですがね。それに対して「そんな甘い考えだから云々」と私自身の問題にもってこられる方が多いのは意外というか、心外ですね。自分で何とかするべく悪戦苦闘中ですし、ここで意見を述べられている方々が何のたしにもならないことも、分かりきってますので。
それはさておき、現行の教官に「つぶしのきく人材」の育成なんて、できるのですかね。自ら問題をみつけ、解決する能力の育成を考えて上記のアイデアを出したのですが。多彩なキャリアパスをもてるようにするには、派遣するなり外部から人を呼ぶなりするしかないのでは。
なお、自分でできる小さな策は、現在の学生に博士課程に行くことを思いとどまらせること。実行していますよ。
それはさておき、現行の教官に「つぶしのきく人材」の育成なんて、できるのですかね。自ら問題をみつけ、解決する能力の育成を考えて上記のアイデアを出したのですが。多彩なキャリアパスをもてるようにするには、派遣するなり外部から人を呼ぶなりするしかないのでは。
なお、自分でできる小さな策は、現在の学生に博士課程に行くことを思いとどまらせること。実行していますよ。

文科省のいう、「平均的な努力で誰でも3年で学位を取れる」と、
「自ら問題をみつけ、解決する能力」の育成も両立し得ないと思いますよ。
後者の育成にはどうしてもある程度自由にやらせる必要がありますし、
そうするなら入り口の質を相当に上げないと、平均的な努力では無理でしょう。私の分野だと、大学院に入るのは決して簡単でなく、また博士に進むのは修士でも上位層が中心ですが、それでも3年で取れない人は珍しくありません。
それでも教員が指導してなんとかしろ、というのであれば、
雑用と研究を一切せずに教育100%にして、教育の専門家にでも
ならないと無理でしょう。
「自ら問題をみつけ、解決する能力」の育成も両立し得ないと思いますよ。
後者の育成にはどうしてもある程度自由にやらせる必要がありますし、
そうするなら入り口の質を相当に上げないと、平均的な努力では無理でしょう。私の分野だと、大学院に入るのは決して簡単でなく、また博士に進むのは修士でも上位層が中心ですが、それでも3年で取れない人は珍しくありません。
それでも教員が指導してなんとかしろ、というのであれば、
雑用と研究を一切せずに教育100%にして、教育の専門家にでも
ならないと無理でしょう。

博士課程は研究者になる仮免です。だからこそPDという路上教習があります。昔と違って3年で学位取得を「普通」にした場合は「自分の(与えられた)研究課題を遂行する能力とその位置づけや客観的な評価ができる」ことが目標で、「自ら問題を見つけ解決する能力」はその後の課題です。重点化以降は研究者になれるのが1-2割なのですから、問題は残りの8-9割のキャリアパスの用意です。しかし、「研究者養成もするが必ずしも特化はしない」という大方針が打ち出されたのに、相変わらず学位取得者の大部分が出口としてアカデミアに拘っていてはどうにもならないわけです。そこが同じような研究オンリーの教育をしても卒業生がどんどん企業に行くアメリカと違うところです。
大きな企業は博士をとらないかもしれませんが、私の言う小さなことの中には、ベンチャーや特許事務所など間産業的な小さな(しかも将来性のある)就職口を作り出す道も含みます。他にも、地方では自治体が少ない予算からお金を割いて新産業創出をする人に出資する事業を真剣にやっているところも多くあります。就職口がないなら就職口を作る側に回るという転換が必要です。雇われるより雇う方が幸せだとは思いませんか。
大きな企業は博士をとらないかもしれませんが、私の言う小さなことの中には、ベンチャーや特許事務所など間産業的な小さな(しかも将来性のある)就職口を作り出す道も含みます。他にも、地方では自治体が少ない予算からお金を割いて新産業創出をする人に出資する事業を真剣にやっているところも多くあります。就職口がないなら就職口を作る側に回るという転換が必要です。雇われるより雇う方が幸せだとは思いませんか。

また、博士課程進学者を必要以上に絞るというのは、昔の「基礎科学ただ乗り」への逆戻りです。受験でも何でもどんな世界であれ、競争率が少なくとも3倍ないと健全な研究成果は上がりません。学位取得者の半数ないしほとんどがアカポスにつける状態ではダメな教員の再生産になります。

ただ乗り結構じゃない?もっとも今は昔と違って特許でガチガチだからただ乗りなんて不可能だけど。競争は数の問題じゃないよね。ちょっと発想が古いな。

つまり、学位は「自ら問題を見つけ解決する能力」を保証はしないということですね。
そういう位置づけにするのはありかもしれません…というか既にそうでしょう。
ベンチャーを初めとする小さなところに行けと言いますが、
そういうところだろうが、博士を取る年齢で、それだけの能力が身についてない人には需要がないのですよ。就職口を作る側、といいますが、
大半の博士は実質的な「借金」を持つことになることを認識していますか?ある程度の給与を出す就職口が欲しい人が大半です。
どちらも、一般的な選択肢にするには社会の側大きな変革が必要で、
決して容易に実現可能な、「小さなこと」なんかではないですよ。
これまでにもここで散々言われてきたことです。
そういう位置づけにするのはありかもしれません…というか既にそうでしょう。
ベンチャーを初めとする小さなところに行けと言いますが、
そういうところだろうが、博士を取る年齢で、それだけの能力が身についてない人には需要がないのですよ。就職口を作る側、といいますが、
大半の博士は実質的な「借金」を持つことになることを認識していますか?ある程度の給与を出す就職口が欲しい人が大半です。
どちらも、一般的な選択肢にするには社会の側大きな変革が必要で、
決して容易に実現可能な、「小さなこと」なんかではないですよ。
これまでにもここで散々言われてきたことです。

小さなことからコツコツと さんへ
> 受験でも何でもどんな世界であれ、競争率が少なくとも3倍ないと
> 健全な研究成果は上がりません。
例えば100人の博士取得者とします,アカポスの求人が30人分あります.倍率の期待値は3.3倍になります.果たしてそうでしょうか?
この制度を始めて1年目は
1年目(求職者)新卒100人 PD0人 →アカポス30人,PD70人
アカポス就職率(30/100): 30%
2年目(求職者)新卒100人 PD70人→アカポス30人,PD140人
アカポス就職率(30/170) 17.6%
3年目(求職者)新卒100人 PD140人→アカポス30人,PD210人
アカポス就職率(30/240) 12.5%
....
6年目(求職者)新卒100人,PD350人→アカポス30人,PD420
アカポス就職率(30/450) 6.6%
....
9年目(求職者)新卒100人,PD560人→アカポス30人,PD630
アカポス就職率(30/660) 4.5%
27歳で学位取得した人が33歳までポスドクを続けるとすると,毎年6.6%,36歳まで続けるとすると,毎年4.5%しか,アカポスに就けない計算です.これが現状なのです.
> 受験でも何でもどんな世界であれ、競争率が少なくとも3倍ないと
> 健全な研究成果は上がりません。
例えば100人の博士取得者とします,アカポスの求人が30人分あります.倍率の期待値は3.3倍になります.果たしてそうでしょうか?
この制度を始めて1年目は
1年目(求職者)新卒100人 PD0人 →アカポス30人,PD70人
アカポス就職率(30/100): 30%
2年目(求職者)新卒100人 PD70人→アカポス30人,PD140人
アカポス就職率(30/170) 17.6%
3年目(求職者)新卒100人 PD140人→アカポス30人,PD210人
アカポス就職率(30/240) 12.5%
....
6年目(求職者)新卒100人,PD350人→アカポス30人,PD420
アカポス就職率(30/450) 6.6%
....
9年目(求職者)新卒100人,PD560人→アカポス30人,PD630
アカポス就職率(30/660) 4.5%
27歳で学位取得した人が33歳までポスドクを続けるとすると,毎年6.6%,36歳まで続けるとすると,毎年4.5%しか,アカポスに就けない計算です.これが現状なのです.

公募(倍率は数十倍,時には100倍を超える)に,1年間,出し続け,漸く15-20人に1人がアカポスに就く計算です.
(ここでのアカポスは,旧帝大とかではなく,地方の小さな私大や短大,国立,全てのポストを含めた確率です.)
それを9年間続けると,期待値として,3人に1人がアカポスに就く状況なのです.9年間,何十回も公募に出し,落とされ,を繰り返し,不安定な身分で仕事を続けます.(精神的におかしくなる人もいます.)
その後は,任期付アカポス(契約職員と同じ)か,ベンチャー系の中小企業か,失業です.誰がこんな道を選ぶのでしょう?世間並みの人生設計がある暮らしが出来ないのです.
新聞社が運営するサイトにも,ポスドクの妻が書いた,生活不安の相談が複数出ています.科学の振興を本気で考えるなら、贅沢でなくとも人並みの生活が出来ることが必須です。
なお,上記の計算は,博士課程定員の3割程度のアカポス求人があると仮定し計算しました。現状は、博士課程の定員の2割以下です。一方、博士取得時に初めから企業を目指す人もおり、若干修正の余地はあります.それでも,かなり実感に近い筈です.
(ここでのアカポスは,旧帝大とかではなく,地方の小さな私大や短大,国立,全てのポストを含めた確率です.)
それを9年間続けると,期待値として,3人に1人がアカポスに就く状況なのです.9年間,何十回も公募に出し,落とされ,を繰り返し,不安定な身分で仕事を続けます.(精神的におかしくなる人もいます.)
その後は,任期付アカポス(契約職員と同じ)か,ベンチャー系の中小企業か,失業です.誰がこんな道を選ぶのでしょう?世間並みの人生設計がある暮らしが出来ないのです.
新聞社が運営するサイトにも,ポスドクの妻が書いた,生活不安の相談が複数出ています.科学の振興を本気で考えるなら、贅沢でなくとも人並みの生活が出来ることが必須です。
なお,上記の計算は,博士課程定員の3割程度のアカポス求人があると仮定し計算しました。現状は、博士課程の定員の2割以下です。一方、博士取得時に初めから企業を目指す人もおり、若干修正の余地はあります.それでも,かなり実感に近い筈です.

「与えられた自分の研究課題を遂行する能力とその位置づけや客観的な評価ができること」ってのは本来修士で要求される能力なんですがね。
「競争率が少なくとも3倍ないと」、云々については、再チャレンジ政策で100人の公務員枠に何万人と募集したことについて、「これで優秀な人材を確保できる」とのたまうた、間抜けな政府のコメントを彷彿とさせます。
「競争率が少なくとも3倍ないと」、云々については、再チャレンジ政策で100人の公務員枠に何万人と募集したことについて、「これで優秀な人材を確保できる」とのたまうた、間抜けな政府のコメントを彷彿とさせます。

私のblogで、今日の通りすがりさんの試算を引用させていただきました。実感にも合っている数字だと思います。

「インサイドアウト、問題は自らの外にあるのだと考えることが問題なのだ。まず自らを変えねばならない。」7つの習慣のスティーブン・R・コブィーはこう言っていたと思います。問題を他の人のせいにしてしまいがちな私ですが、この言葉を思い出すように心がけています。
現在の仕事に最善を尽くすことが大事。
ただ、それだけでは盲目的になってしまうので、情報交換や世界を変える試みを空き時間で行う。そこまで出来れば理想的と思います。それがネット上のこうした交流ででも。
私は博士号を持っていますが、来月ようやく派遣社員から脱皮できることになりました。直接雇用になるのです。それでも待遇は笑われるような金額ですが。しかし、私が活躍することで博士の能力が認められ、後に続く人が増えるようになれば良いなとも思います。
来月25日にはお台場でポスドク問題を考える集会があるそうですが、東京に住んでいることでもありますし、参加できればと考えています。
現在の仕事に最善を尽くすことが大事。
ただ、それだけでは盲目的になってしまうので、情報交換や世界を変える試みを空き時間で行う。そこまで出来れば理想的と思います。それがネット上のこうした交流ででも。
私は博士号を持っていますが、来月ようやく派遣社員から脱皮できることになりました。直接雇用になるのです。それでも待遇は笑われるような金額ですが。しかし、私が活躍することで博士の能力が認められ、後に続く人が増えるようになれば良いなとも思います。
来月25日にはお台場でポスドク問題を考える集会があるそうですが、東京に住んでいることでもありますし、参加できればと考えています。

大学全入の時代となり、学部の前半が昔の高校の3年生、学部の後半で専門初等教育、修士で専門教育というのが、現在ないし今後の高等教育の姿です。そして、今後は少なくとも理系では、企業就職でも修士号取得までがごく普通の学歴として定着するでしょう。必然的に博士では、昔の修士の目標を目指すことになります。それは博士後期が研究者養成に特化しないことにもつながります。以上が文科省が推進する高等教育全体の教育再生プランです。博士にしわ寄せが行くのは、意図的ではなく、博士の問題が高等教育全体の問題と比較して圧倒的に小さな問題だからです。この点を押さえて高等教育全体の中で問題を考えないといけないのです。
したがって、博士後期の定員を若干絞ることもさることながら、アカポス以外の道を志向する(最も効果的かつ発想の転換という自助努力でできることです)、3年程度応募し続けてだめ者は諦める(or採用しない)、一生PDとして年収400万円程度のベンチワーカーになる、高校に学位取得者を置くことを義務化するなどなどの間引き策が出ているのでしょう。不完全でしょうが、これらでさえ世間の常識からすれば極めて大きな改革です。
したがって、博士後期の定員を若干絞ることもさることながら、アカポス以外の道を志向する(最も効果的かつ発想の転換という自助努力でできることです)、3年程度応募し続けてだめ者は諦める(or採用しない)、一生PDとして年収400万円程度のベンチワーカーになる、高校に学位取得者を置くことを義務化するなどなどの間引き策が出ているのでしょう。不完全でしょうが、これらでさえ世間の常識からすれば極めて大きな改革です。

ちいさなことから、さん
普通の学歴が終了する年齢を上げすぎると、教育のコストの無意味な増大と、(広い意味で)生産に従事できる若者を長期間学校に拘束することによる社会全体の生産性の低下を引き起こすことになります。現状の教育課程の学年割り当てがベストかどうかは別途検討するとしても、どこかに折り合いをつけるほどよいところがあって、それは多分現行の博士修了の27歳よりは若いところにありそうに思うのですけど。
普通の学歴が終了する年齢を上げすぎると、教育のコストの無意味な増大と、(広い意味で)生産に従事できる若者を長期間学校に拘束することによる社会全体の生産性の低下を引き起こすことになります。現状の教育課程の学年割り当てがベストかどうかは別途検討するとしても、どこかに折り合いをつけるほどよいところがあって、それは多分現行の博士修了の27歳よりは若いところにありそうに思うのですけど。

小さなことから さんへ
> 大学全入の時代となり、学部の前半が昔の高校の3年生、学部の
> 後半で専門初等教育、修士で専門教育というのが、現在ないし
> 今後の高等教育の姿...
それではタダの無駄です。高校で出来ることは、高校ですべきです。海外では留年させています。その方が効率的です。
> 博士後期が研究者養成に特化しないことにもつながります。
米国の活力は,専門教育を受けた大学院卒が社会で働いていることと関係があります。しかし,日本の様に、院卒の肩書きだけで中身がなければ無意味です。
> 大学全入の時代となり、学部の前半が昔の高校の3年生、学部の
> 後半で専門初等教育、修士で専門教育というのが、現在ないし
> 今後の高等教育の姿...
それではタダの無駄です。高校で出来ることは、高校ですべきです。海外では留年させています。その方が効率的です。
> 博士後期が研究者養成に特化しないことにもつながります。
米国の活力は,専門教育を受けた大学院卒が社会で働いていることと関係があります。しかし,日本の様に、院卒の肩書きだけで中身がなければ無意味です。

> 学位取得者の大部分が出口としてアカデミアに拘っていては
> どうにもならないわけです。そこが同じような研究オンリーの教育を
> しても卒業生がどんどん企業に行くアメリカと違うところです。
なぜ,米国では博士卒が,アカポスに拘らない理由をご存じですか?米国は学歴社会で,博士は社会の中で有利な地位に就け,所得も良いからです.
米国の博士の平均年俸は950万円だそうです(下記HP).アメリカ人の志が高いわけではなく,給料が良いので,博士進学し,社会に出るのです.
http://www.scbri.jp/HTMLcolumnNY/16-14.pdf
> アカポス以外の道を志向する
> 3年程度応募し続けてだめ者は諦める(or採用しない)
> 一生PDとして年収400万円程度のベンチワーカーになる
と笛を吹いても,米国のように高給の保証がなければ,誰も踊りません.むしろ,大学院の惨状が知れると,能力ある学生は博士進学を止めるでしょう。既に東大では現実になり始めています.
> どうにもならないわけです。そこが同じような研究オンリーの教育を
> しても卒業生がどんどん企業に行くアメリカと違うところです。
なぜ,米国では博士卒が,アカポスに拘らない理由をご存じですか?米国は学歴社会で,博士は社会の中で有利な地位に就け,所得も良いからです.
米国の博士の平均年俸は950万円だそうです(下記HP).アメリカ人の志が高いわけではなく,給料が良いので,博士進学し,社会に出るのです.
http://www.scbri.jp/HTMLcolumnNY/16-14.pdf
> アカポス以外の道を志向する
> 3年程度応募し続けてだめ者は諦める(or採用しない)
> 一生PDとして年収400万円程度のベンチワーカーになる
と笛を吹いても,米国のように高給の保証がなければ,誰も踊りません.むしろ,大学院の惨状が知れると,能力ある学生は博士進学を止めるでしょう。既に東大では現実になり始めています.

普通の学歴が高くなっていっているのは、18歳人口の約半数が大学に進学する時代だからです。既にほぼすべての人が高校に行くのですから、高校の教育内容も下がり、さらにその到達度の歩留まりも下がっています。学業試験以外の入試(調査書による推薦入試や小論文入試や面接などによるAO入試など)を増やす改革が現在進行形で進められ、どこの大学でも高大接続科目の充実が緊急課題です。卒業に必要な単位数も減っており(人間力や生きる力ということでボランティアはじめ学業以外の課外活動が重んじられている)、文科系ではともかく、積み重ねが必要な理科系では必然的に修了学年が遅れています。基本的にはこれはどの先進国でも起こっていることです。
日本の社会や企業風土のせいにしても問題は解決しません。目端の利く学生は博士に進学しないかもしれませんが、真に研究が好きな学生はそれでも行くでしょう。そして、そのうち一人がITでもバイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で雇う会社をつくることに成功すれば、それだけの人数が幸福に間引きされます。学卒より修士卒より問題解決能力があるなら、そういう道を探るのもひとつの現実的な道ではありませんか。
日本の社会や企業風土のせいにしても問題は解決しません。目端の利く学生は博士に進学しないかもしれませんが、真に研究が好きな学生はそれでも行くでしょう。そして、そのうち一人がITでもバイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で雇う会社をつくることに成功すれば、それだけの人数が幸福に間引きされます。学卒より修士卒より問題解決能力があるなら、そういう道を探るのもひとつの現実的な道ではありませんか。

>18歳人口の約半数が大学に進学する時代だからです。既にほぼすべての人が高校に行くのですから、高校の教育内容も下がり、さらにその到達度の歩留まりも下がっています。学業試験以外の入試(調査書による推薦入試や小論文入試や面接などによるAO入試など)を増やす改革が現在進行形で進められ、どこの大学でも高大接続科目の充実が緊急課題です。
その結果、高校の内容を、高校教育の素人の大学教員が別料金をとって教える、ということになるわけですね。しかも、プロである高校の先生でさえ到達度に持って行けなかった学生に対して。無理ありすぎですが。
どう考えても、高校の内容なら、プロである高校の先生が教えた方がうまくいきますよ。高校の先生を増やして留年させてもきっちり教えた方が効率がよいのでは。高校の歩留まりは高校で上げろということです。大学を、高校教育の歩留まり上昇のために使うのは、見当外れだし無駄が増える一方ですよ。
その結果、高校の内容を、高校教育の素人の大学教員が別料金をとって教える、ということになるわけですね。しかも、プロである高校の先生でさえ到達度に持って行けなかった学生に対して。無理ありすぎですが。
どう考えても、高校の内容なら、プロである高校の先生が教えた方がうまくいきますよ。高校の先生を増やして留年させてもきっちり教えた方が効率がよいのでは。高校の歩留まりは高校で上げろということです。大学を、高校教育の歩留まり上昇のために使うのは、見当外れだし無駄が増える一方ですよ。

小さなことからさんへ
> 積み重ねが必要な理科系では必然的に修了学年が遅れています。
> 基本的にはこれはどの先進国でも起こっていることです。
違うと思います。私が過ごしたアメリカでは、飛び級制度があり、できる子は早く学ばせていました。逆に、落ちこぼれは落第させ、それでも駄目なら放置でした。ひどい言い方ですが、落ちこぼれが居ても、社会に影響はない。と考えている様に見えました。
> 日本の社会や企業風土のせいにしても問題は解決しません。
そんなつもりはありません。あなたの書き込みが見当違いだといっています。アメリカ人は給料が良いから、博士を目指すのであって、給料や社会的地位が低くても、志だけで目指す奇特な奴はほとんどいません。
> 積み重ねが必要な理科系では必然的に修了学年が遅れています。
> 基本的にはこれはどの先進国でも起こっていることです。
違うと思います。私が過ごしたアメリカでは、飛び級制度があり、できる子は早く学ばせていました。逆に、落ちこぼれは落第させ、それでも駄目なら放置でした。ひどい言い方ですが、落ちこぼれが居ても、社会に影響はない。と考えている様に見えました。
> 日本の社会や企業風土のせいにしても問題は解決しません。
そんなつもりはありません。あなたの書き込みが見当違いだといっています。アメリカ人は給料が良いから、博士を目指すのであって、給料や社会的地位が低くても、志だけで目指す奇特な奴はほとんどいません。

> 真に研究が好きな学生はそれでも行くでしょう。そして、そのうち
> 一人がITでもバイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で
> 雇う会社をつくることに成功すれば...
物好きで、研究が好きで進学する奴には、会社を作る才覚は無いと思いますよ。興味の方向が違いますよ。
大学の研究を趣味のように捉えて居ますが、それは間違いです。理系の学術研究は、仕事です。趣味の域を超えています。社会的波及効果も大きいです。大学で先端技術を学び、企業で活躍する技術者は多いと思います。
こんな書き込みを見ると、企業にタダで教えるのがアホらしくなりますが。。
> 一人がITでもバイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で
> 雇う会社をつくることに成功すれば...
物好きで、研究が好きで進学する奴には、会社を作る才覚は無いと思いますよ。興味の方向が違いますよ。
大学の研究を趣味のように捉えて居ますが、それは間違いです。理系の学術研究は、仕事です。趣味の域を超えています。社会的波及効果も大きいです。大学で先端技術を学び、企業で活躍する技術者は多いと思います。
こんな書き込みを見ると、企業にタダで教えるのがアホらしくなりますが。。

小さなことからさんは、これまでの議論を把握してらっしゃるのでしょうか?
それなりの能力、少なくともこれまでの修士レベルよりは上の能力を持った博士・ポスドクがアカデミック以外を志向してるのに行き場がないというのが問題だと思うのですが。
また、ご自身「先進国共通の問題」とおっしゃてます。
博士側がそうなのであれば、共通でないのは社会・企業側ということになります。
>通りすがりさん
アメリカの博士については、別の場所で同様の趣旨(給料が高いから云々)を述べたところ、
アメリカでテニュアを持っている方から(おそらくバイオ系です)、
そんなことはない、と一蹴されました。分野による差異がかなり大きいと思います。
それなりの能力、少なくともこれまでの修士レベルよりは上の能力を持った博士・ポスドクがアカデミック以外を志向してるのに行き場がないというのが問題だと思うのですが。
また、ご自身「先進国共通の問題」とおっしゃてます。
博士側がそうなのであれば、共通でないのは社会・企業側ということになります。
>通りすがりさん
アメリカの博士については、別の場所で同様の趣旨(給料が高いから云々)を述べたところ、
アメリカでテニュアを持っている方から(おそらくバイオ系です)、
そんなことはない、と一蹴されました。分野による差異がかなり大きいと思います。

海外PDさん
発言のソースですが、東海岸のある大学の医学部の教授(日本人)に言われました。あと、ポスドク時代に参加したサマーコースの学生(院生,ポスドクが混ざっている)の間での話です。ある学生は、Natureにfirstのpaperがあるのに,卒業後は証券に行くと言いました。また、給料が良いからIBMに就職した院生もいました。別のポスドクは、銀行員になりました。もちろん、学会に残って、一流の学者になった人も多くいます。
しかし、大学院に進み,博士取得後,企業就職する学生の動機の多くは、将来の生活であることは間違いないと思いました。
逆に,大学に残った教授には,お金ではなく本当に純粋な興味だという人もいましたね。
発言のソースですが、東海岸のある大学の医学部の教授(日本人)に言われました。あと、ポスドク時代に参加したサマーコースの学生(院生,ポスドクが混ざっている)の間での話です。ある学生は、Natureにfirstのpaperがあるのに,卒業後は証券に行くと言いました。また、給料が良いからIBMに就職した院生もいました。別のポスドクは、銀行員になりました。もちろん、学会に残って、一流の学者になった人も多くいます。
しかし、大学院に進み,博士取得後,企業就職する学生の動機の多くは、将来の生活であることは間違いないと思いました。
逆に,大学に残った教授には,お金ではなく本当に純粋な興味だという人もいましたね。

>なぜ,米国では博士卒が,アカポスに拘らない理由をご存じですか?米国は学歴社会で,博士は社会の中で有利な地位に就け,所得も良いからです.
所得が高いかどうかは分野によるでしょうが、「安定した職業」と見られていることは確かです。少なくとも、某新聞掲示板(○○小町)に出ているポスドクカップルのように悲惨な状況ではないはずです。
> 米国のように高給の保証がなければ,誰も踊りません.むしろ,大学院の惨状が知れると,能力ある学生は博士進学を止めるでしょう。既に東大では現実になり始めています.
全くその通りです。日本の研究者は金に淡白ではありますが(研究が好きな人が多い)、少なくとも「同年齢の大卒・修士出と同等かそれ以上」でなければ、生活の不安でまともな研究ができるわけがありません。
「大学院に行く」と言うと「就職できなかったからだ」という反応が周りから返ってくるのは、日本ぐらいではないですか? 「学歴社会の弊害云々」が日本で話題になると、鼻で笑ってしまいます。 日本の問題は、むしろ、「真の学歴社会ではないこと」では?
所得が高いかどうかは分野によるでしょうが、「安定した職業」と見られていることは確かです。少なくとも、某新聞掲示板(○○小町)に出ているポスドクカップルのように悲惨な状況ではないはずです。
> 米国のように高給の保証がなければ,誰も踊りません.むしろ,大学院の惨状が知れると,能力ある学生は博士進学を止めるでしょう。既に東大では現実になり始めています.
全くその通りです。日本の研究者は金に淡白ではありますが(研究が好きな人が多い)、少なくとも「同年齢の大卒・修士出と同等かそれ以上」でなければ、生活の不安でまともな研究ができるわけがありません。
「大学院に行く」と言うと「就職できなかったからだ」という反応が周りから返ってくるのは、日本ぐらいではないですか? 「学歴社会の弊害云々」が日本で話題になると、鼻で笑ってしまいます。 日本の問題は、むしろ、「真の学歴社会ではないこと」では?

お役人たちは、小さなことからさんのように考えているのかもしれませんね。
「職がなければ、会社を作ればいいじゃない」
ごもっともなご意見です。わざわざ博士課程に行く必要はないと思うのと、せめて起業したベンチャーがもう少し死屍累々でない状況ならいいのですが。
「職がなければ、会社を作ればいいじゃない」
ごもっともなご意見です。わざわざ博士課程に行く必要はないと思うのと、せめて起業したベンチャーがもう少し死屍累々でない状況ならいいのですが。

> お役人たちは、小さなことからさんのように考えているのかも...
キャリア官僚にしては、頭悪すぎ。
ノンキャリアか、馬鹿な議員の秘書か、マスコミ関係者だろう。
ミッチーJr.なんて国立大学に国費は不要。寄付だけで運営すればいい
なんて公の場でほざいている。世界の常識が通じないらしい。
こういう奴の落選運動をネット上で行うのもいいと思う。
キャリア官僚にしては、頭悪すぎ。
ノンキャリアか、馬鹿な議員の秘書か、マスコミ関係者だろう。
ミッチーJr.なんて国立大学に国費は不要。寄付だけで運営すればいい
なんて公の場でほざいている。世界の常識が通じないらしい。
こういう奴の落選運動をネット上で行うのもいいと思う。


>ポストにつけないPDの何割かが海外の企業に就職すればいいのでは?
そんなに簡単に外国に永住することを決められますか? 個人的な好みの問題もありますが、他にも、老いていく親のこと、自分の老後のこと・・・。いろいろ考えるべき事情があります。
いっそのこと、海外の企業が大量に日本に押しかけてきて年齢制限に関係なく優秀なPDを雇ってくれたら、解決したりして。これだと海外を漂っているPDも帰国できます。(こんなことになったら、日本の企業はますます情けないけど)
私も横から見ていて、このように思いました。
そんなに簡単に外国に永住することを決められますか? 個人的な好みの問題もありますが、他にも、老いていく親のこと、自分の老後のこと・・・。いろいろ考えるべき事情があります。
いっそのこと、海外の企業が大量に日本に押しかけてきて年齢制限に関係なく優秀なPDを雇ってくれたら、解決したりして。これだと海外を漂っているPDも帰国できます。(こんなことになったら、日本の企業はますます情けないけど)
私も横から見ていて、このように思いました。


もう少し文系と共闘してPD問題を考えていってはどうかという、ちょっと目線を変えた提案を・・・。
TBSラジオで「文化系トークラジオ」という番組があります。社会学者の鈴木謙介氏とその他の論客が様々なゲストを招いて、リスナーのメールを交えながら、一つの話題について語り合うという番組です。過去の放送内容をネット経由で聞くこともできます。
「文化系」でサブカルチャーに傾いた番組ではあるものの、そこで時折取り上げられる社会状況の分析は、理系PD問題に関心のあるの方々にも興味深いのではないかと思います。2007年1月13日「失われた10年- Lost Generation?」および同1月27日「「働く」ということ」は、理系PDの雇用問題とも直結しています。
TBSラジオで「文化系トークラジオ」という番組があります。社会学者の鈴木謙介氏とその他の論客が様々なゲストを招いて、リスナーのメールを交えながら、一つの話題について語り合うという番組です。過去の放送内容をネット経由で聞くこともできます。
「文化系」でサブカルチャーに傾いた番組ではあるものの、そこで時折取り上げられる社会状況の分析は、理系PD問題に関心のあるの方々にも興味深いのではないかと思います。2007年1月13日「失われた10年- Lost Generation?」および同1月27日「「働く」ということ」は、理系PDの雇用問題とも直結しています。

特に「「働く」ということ」で語られている、不況の間に派遣・フリーターの増加以外には雇用体制をほとんど変えなかった日本社会の問題、様々な経験を経たり専門性を持った人々の能力が企業で十分に活用されていない現状、非論理的に都合のよいときに「コミュニケーション力」「人間力」などを持ち出してくる雇用側の意識、などなど、こちらでさんざん議論されてきたことです。
そこで、提案です。科学者の側からPD問題への注意を社会に喚起していく際に、もう少し、文系との共闘を考えてみてはいかがでしょうか? たとえば、社会学における話題の書物を次々と出されている鈴木謙介氏、本田由紀氏のような社会学者に理系PDの問題に関心を持ってもらい、問題提起・政策提起となる研究や書物を世に出してもらえば、もう少しPDの雇用問題の深刻さとその背景が広い層の人々に伝わると思うのです。(もし、私が知らないだけで、このような試みが既に行なわれていたとしたら、すみません)
そこで、提案です。科学者の側からPD問題への注意を社会に喚起していく際に、もう少し、文系との共闘を考えてみてはいかがでしょうか? たとえば、社会学における話題の書物を次々と出されている鈴木謙介氏、本田由紀氏のような社会学者に理系PDの問題に関心を持ってもらい、問題提起・政策提起となる研究や書物を世に出してもらえば、もう少しPDの雇用問題の深刻さとその背景が広い層の人々に伝わると思うのです。(もし、私が知らないだけで、このような試みが既に行なわれていたとしたら、すみません)

ちなみに、「文化系トークラジオ」のHPは、こちらです:
http://www.tbsradio.jp/life/
右上の「過去に扱ったテーマ」をクリックすれば、アーカイブ(文章・画像・番組の録音)が出てきます。
http://www.tbsradio.jp/life/
右上の「過去に扱ったテーマ」をクリックすれば、アーカイブ(文章・画像・番組の録音)が出てきます。

PDを応援する会団長さま
議論がぐちゃぐちゃになりかけていると思ったら、前向きな提案が出てきましたね。鈴木謙介というと宮台真司のお弟子さんですね。そういう話が議論されているとはしりませんでした。聞いてみます。
しかし「人間力」かぁ(笑)。
議論がぐちゃぐちゃになりかけていると思ったら、前向きな提案が出てきましたね。鈴木謙介というと宮台真司のお弟子さんですね。そういう話が議論されているとはしりませんでした。聞いてみます。
しかし「人間力」かぁ(笑)。

文系の大半の分野は理系のPD問題どころじゃない厳しさだと思います。
理系だと理論系一部にしかいない、専業非常勤の問題もありますし、
企業への転進のしにくさは理系の比ではありません。
ポスドクポストも院生の数に比してそもそも少ないですし。
まだそっちのがマシだ、と言われてしまいそうなのは、
ちょっとネガティブに過ぎますかね。
理系だと理論系一部にしかいない、専業非常勤の問題もありますし、
企業への転進のしにくさは理系の比ではありません。
ポスドクポストも院生の数に比してそもそも少ないですし。
まだそっちのがマシだ、と言われてしまいそうなのは、
ちょっとネガティブに過ぎますかね。

通りすがりさん
詳細なソース有難うございます。
銀行にしても証券にしても、IBM級の大企業にしても、
日本では能力云々より年齢でまず就職は厳しいですよね。
はじめから企業に行くことを意識している博士課程の学生、
の有無と、またそれが不利どころか有利になるところに
大きな違いを感じます。
詳細なソース有難うございます。
銀行にしても証券にしても、IBM級の大企業にしても、
日本では能力云々より年齢でまず就職は厳しいですよね。
はじめから企業に行くことを意識している博士課程の学生、
の有無と、またそれが不利どころか有利になるところに
大きな違いを感じます。

>40台海外ポスドクさん
社会学的に考察すれば「人間力」が都合のいい言い訳に使われているかもしれないけど、事実そういう面があるから言われるんでしょ。
>海外PDさん
だから、それなら海外で現地企業に就職すればいいじゃない。
文系PDは大変だけど、非常勤でも塾講師でも食いつなげさえすれば、調査や研究は自力でできる。短大でも就職して講義さえすれば後は問題なく研究できるという点で、理系とは根本的に違う。
このエントリーに即して言えば、理系は雑用が多い大学ほど院生という労働力がないとやっていけない仕組みになっているところが文系と一番違うところでしょ。
社会学的に考察すれば「人間力」が都合のいい言い訳に使われているかもしれないけど、事実そういう面があるから言われるんでしょ。
>海外PDさん
だから、それなら海外で現地企業に就職すればいいじゃない。
文系PDは大変だけど、非常勤でも塾講師でも食いつなげさえすれば、調査や研究は自力でできる。短大でも就職して講義さえすれば後は問題なく研究できるという点で、理系とは根本的に違う。
このエントリーに即して言えば、理系は雑用が多い大学ほど院生という労働力がないとやっていけない仕組みになっているところが文系と一番違うところでしょ。

>文系の大半の分野は理系のPD問題どころじゃない厳しさだと思います。
>まだそっちのがマシだ、と言われてしまいそうなのは、
ちょっとネガティブに過ぎますかね。
お察しの通り、文系PDの問題は更に深刻です(実は、団長は理系の友人の多い文系人なのです 笑)。さらに、文系PD問題には理系とはまた別のファクターも絡んできているので、別個に考える必要があるでしょう。 (ただし、文系PD・理系PDが、時々、協同で問題提起につながる活動をするのはいいかもしれませんね)
上の私の提案は、「文系で社会問題について提言している学者(要は社会学者)に理系PDの現状を分析してもらい、新書など一般の人々がアクセスしやすい形で世に訴えてもらってみては?」ということでした。
大学・企業・政府など様々な方面に働きかけて現実的施策を推進していくには、少々大袈裟かもしれませんが、世論を味方につける必要があろうかと思います。つまり、理系PDの雇用問題は技術立国としての日本の将来の問題に直結しているのだということを、科学にそれほど興味を持っていない人々にも訴える必要があるのではないでしょうか。
>まだそっちのがマシだ、と言われてしまいそうなのは、
ちょっとネガティブに過ぎますかね。
お察しの通り、文系PDの問題は更に深刻です(実は、団長は理系の友人の多い文系人なのです 笑)。さらに、文系PD問題には理系とはまた別のファクターも絡んできているので、別個に考える必要があるでしょう。 (ただし、文系PD・理系PDが、時々、協同で問題提起につながる活動をするのはいいかもしれませんね)
上の私の提案は、「文系で社会問題について提言している学者(要は社会学者)に理系PDの現状を分析してもらい、新書など一般の人々がアクセスしやすい形で世に訴えてもらってみては?」ということでした。
大学・企業・政府など様々な方面に働きかけて現実的施策を推進していくには、少々大袈裟かもしれませんが、世論を味方につける必要があろうかと思います。つまり、理系PDの雇用問題は技術立国としての日本の将来の問題に直結しているのだということを、科学にそれほど興味を持っていない人々にも訴える必要があるのではないでしょうか。

念のため、誤解の無いよう付け加えておきますが、上に挙げたラジオ番組で議論されているのは、いわゆる「団塊JR」世代のおかれた雇用状況や社会における扱われ方全般に関してです。理系PDについて語っているわけではありません。
ただ、この番組に携わっている人々であれば、理系PDの置かれた状況を様々なファクターを考慮しつつ理路整然と分かりやすく分析・説明できるかもしれないと感じたので、上のような提案をしました。フリーター問題と理系PD問題が同じだと思ったわけではないので、あしからず(年功序列など共通する背景はありますが)。
ただ、この番組に携わっている人々であれば、理系PDの置かれた状況を様々なファクターを考慮しつつ理路整然と分かりやすく分析・説明できるかもしれないと感じたので、上のような提案をしました。フリーター問題と理系PD問題が同じだと思ったわけではないので、あしからず(年功序列など共通する背景はありますが)。

Qさん
私も、ポスドク個人としてできることはなにか、といえば、海外乃至は外資系の企業に就職することだと思います。そうした人々が活躍して、日本企業の利益を脅かすような事態になれば、何か変わるかもしれませんね。
社会学者は、どうでしょう?
養成にかかっているお金の面を強調すればいいのかもしれませんが、
全体の数としては、(本田さんを想定するなら)フリーターやニートに比べて小さな問題と捉えられてしまうかもしれません。
私自身も、違うコミュニティの人と話をすると、そう捉えられている気がしますし、そもそも極端な人だと技術立国すら否定してきます。
しかし、世論を味方につけることはおおいに必要ですし、まずは問題を
普通の人にもわかってもらうことは大事だと思います。
ようやく新聞が取り上げるようになりましたしね。
私も、ポスドク個人としてできることはなにか、といえば、海外乃至は外資系の企業に就職することだと思います。そうした人々が活躍して、日本企業の利益を脅かすような事態になれば、何か変わるかもしれませんね。
社会学者は、どうでしょう?
養成にかかっているお金の面を強調すればいいのかもしれませんが、
全体の数としては、(本田さんを想定するなら)フリーターやニートに比べて小さな問題と捉えられてしまうかもしれません。
私自身も、違うコミュニティの人と話をすると、そう捉えられている気がしますし、そもそも極端な人だと技術立国すら否定してきます。
しかし、世論を味方につけることはおおいに必要ですし、まずは問題を
普通の人にもわかってもらうことは大事だと思います。
ようやく新聞が取り上げるようになりましたしね。

ただ、これも個人的なやりとりからの感想にすぎませんが、世論を動かすのは文科省より実は難しいかもしれません。
大学院に行くことが就職できなかったからと言われること
ここでも書き込まれているように、「現実が見えていない夢追い人」との批判
教育を受ける機会に恵まれた人であること=自分でなんとかしろ、そのくらいの能力はあるだろ
など、PD問題など問題にはならない、と言う人の言うことはいくらでも
想像できます。
実は文科省の関連研究所の方と直接会って話すインタビュー調査を受けたことありますが、彼らは想像したよりも問題を分かっているなと感じました。財務省や厚生労働省はわかりませんが。
大学院に行くことが就職できなかったからと言われること
ここでも書き込まれているように、「現実が見えていない夢追い人」との批判
教育を受ける機会に恵まれた人であること=自分でなんとかしろ、そのくらいの能力はあるだろ
など、PD問題など問題にはならない、と言う人の言うことはいくらでも
想像できます。
実は文科省の関連研究所の方と直接会って話すインタビュー調査を受けたことありますが、彼らは想像したよりも問題を分かっているなと感じました。財務省や厚生労働省はわかりませんが。

理系からは近くて遠い分野が専門の、しかも修士止まりの通りすがり3(若しくは村人C)です。今、すべてのコメントを読みました・・・ポスドク問題・・・こんな事になっていようとは。
学部を卒業後(あるいは修士修了後)就職していれば、おそらくそれぞれの職場で人並み以上の実績を上げられるだけの能力のある人達の集団なのでしょうね。やはり、国(文科省)が打ち立てた施策、あるいは社会のシステムが狂っているとしか思えません・・・個人の努力では、どうにもならないから、皆さん苦しんでいるのですよね。
やはり、社会問題としてマスコミが(正しく)取り上げてくれるところまで、この問題を引き上げていくしかないように思いました。「理系白書」の一部としてではなく、「ポスドク白書」とかあったら良いのに・・・と、思いました。いろいろな調査をしたら、もっといろいろな問題が見えてくる気がします(これ以上、見えたらどうするんだ?とも思いますが)。やはり、問題を形にして著さない限り、「知らない世界」は知らないままだと思いますし、正しい事が伝わらないように感じます(形にしたって、伝わらない場合は多々ありますが)。
学部を卒業後(あるいは修士修了後)就職していれば、おそらくそれぞれの職場で人並み以上の実績を上げられるだけの能力のある人達の集団なのでしょうね。やはり、国(文科省)が打ち立てた施策、あるいは社会のシステムが狂っているとしか思えません・・・個人の努力では、どうにもならないから、皆さん苦しんでいるのですよね。
やはり、社会問題としてマスコミが(正しく)取り上げてくれるところまで、この問題を引き上げていくしかないように思いました。「理系白書」の一部としてではなく、「ポスドク白書」とかあったら良いのに・・・と、思いました。いろいろな調査をしたら、もっといろいろな問題が見えてくる気がします(これ以上、見えたらどうするんだ?とも思いますが)。やはり、問題を形にして著さない限り、「知らない世界」は知らないままだと思いますし、正しい事が伝わらないように感じます(形にしたって、伝わらない場合は多々ありますが)。

張本人達の間で議論することも意味のあることですが、外野に向かってももっと声を上げて知ってもらうことも大切だと思います。かくいう私も、ポスドク問題は同僚から聞いてはいたものの、詳細解らず、このブログで初めて「見えてきた」のですから。ちなみに、職場の語学系のオバサマ教授達(複数)は「何、それ?」と、まったく知りませんでした。大学関係者ですら、理系をかすっていない分野の人にはピンときていない人って、いるのではないでしょうか・・・?少なくとも、ポスドク問題、大学(院)関係者や研究機関関係者には知ってもらいたいと、門外漢の私ですら思いました。
議論のジャマをして済みません。外野から通りすがりの村人が「そんなことが起こっているとは・・・!」と叫んでみました。発展的なことを何も述べずに失礼いたします。
議論のジャマをして済みません。外野から通りすがりの村人が「そんなことが起こっているとは・・・!」と叫んでみました。発展的なことを何も述べずに失礼いたします。

通りすがり3、「外野に向かってももっと声を上げて知ってもらうことも大切」との御意見、まったく同感です。
私自身、文系ですので、「理系はなんだかんだ言っても、社会保障・給料付きのポスドクになれるじゃないか。文系PDは社会保障無し・完全時給の非常勤講師生活だぞ」という気持でいました。しかし、最近になって、そろそろ知人の理系PDたちも次の行き場がなくなってきたということを相次いで聞き(そのうちの何人かは精神的にやや不調をきたしています)、ようやく、「何なのだ?これは?」と理系PD問題を認識するようになったのです。彼らは、皆、そこそこの業績のある人々でしたから。
私自身、文系ですので、「理系はなんだかんだ言っても、社会保障・給料付きのポスドクになれるじゃないか。文系PDは社会保障無し・完全時給の非常勤講師生活だぞ」という気持でいました。しかし、最近になって、そろそろ知人の理系PDたちも次の行き場がなくなってきたということを相次いで聞き(そのうちの何人かは精神的にやや不調をきたしています)、ようやく、「何なのだ?これは?」と理系PD問題を認識するようになったのです。彼らは、皆、そこそこの業績のある人々でしたから。

「世論」は無理でも、せめて、大学・行政・企業界隈にいる文系の隣人達に現状を知ってもらうことは大切だと思います。PD問題関連のブログでしばしば批判されているように、これらの組織の中核は文系人が占めているようですから。「組織のトップが文系人だと駄目だ」などと簡単に結論付けず、彼ら文系人にも分かるように、積極的に説明していくことが必要だと思います。上で私が書いた「社会学者とタッグを組んで問題提起してみては?」というのは、その一案です。

皆さんが訴えられている現状・実情を浮き彫りにしてくれるデータや資料がないことには、お互いに半径○メートル内の出来事(「こちらはこうだ」「いや、こちらの分野はさらにこんな感じ」「そうはいっても、こちらはもっとこうだ」etc.)の報告会あるいはぶつけ合いで終始してしまうような気がしています。その点から、私も「PDを応援する会団長」さんの意見に賛同します。

自分を含め、後進のためにも、ここはクールにムーブメントを起こしていかなければならないと思います。とは言っても、何か組織的にということは現段階では無理なことだと思います。せめて、専門外(ここで理系以外)の研究者との交流を持ち、1人でも多くの同業者にこういった問題の存在を知ってもらうことが必要ではないかと・・・このブログのコメントを呼んだだけでも論文のヒント(問題発見)、たくさんありますよ。社会学はもちろん、教育行政学、教育学、もしかしたら経済学などのある領域の人達にとって。
もし、解決のために何かを・・・と本気で考えているなら、やはり、「PDを応援する会団長」さんのおっしゃる「文系とタグを組む(巻き込む)」との提案は、手始めとして的を得たものではないかと思いました。
もし、解決のために何かを・・・と本気で考えているなら、やはり、「PDを応援する会団長」さんのおっしゃる「文系とタグを組む(巻き込む)」との提案は、手始めとして的を得たものではないかと思いました。
労働政策問題の方の関連コメントを紹介します。
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①大卒ですら原則は自己責任なのですから、大学院に進学するような高学歴者は当然自己責任と見なされるわけですね。労働市場的観点からすれば。まさか、大学院卒業者のそれも含めて、労働市場が需要と供給のバランスで成り立っているということを認識もしないで進学しているはずがないではないか、というある意味で当然の前提で労働政策は成り立っているわけですが、教育行政は必ずしもそれと同じ認識に立って政策を遂行してきたとは限らないようです。このあたり、例えば欧州の教育行政が職業という観点からの訓練政策と自らを位置づけることが多いのに比べ、日本の教育行政が職業的観点を欠落させ、ふわふわしたものであったことの一つのツケかも知れません。この点で日本の教育論の在り方を痛烈に批判している興味深い本に、文部官僚でいま政策研究大学院大学に来ている岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_1f31.html
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①大卒ですら原則は自己責任なのですから、大学院に進学するような高学歴者は当然自己責任と見なされるわけですね。労働市場的観点からすれば。まさか、大学院卒業者のそれも含めて、労働市場が需要と供給のバランスで成り立っているということを認識もしないで進学しているはずがないではないか、というある意味で当然の前提で労働政策は成り立っているわけですが、教育行政は必ずしもそれと同じ認識に立って政策を遂行してきたとは限らないようです。このあたり、例えば欧州の教育行政が職業という観点からの訓練政策と自らを位置づけることが多いのに比べ、日本の教育行政が職業的観点を欠落させ、ふわふわしたものであったことの一つのツケかも知れません。この点で日本の教育論の在り方を痛烈に批判している興味深い本に、文部官僚でいま政策研究大学院大学に来ている岡本薫氏の『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)です。
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_1f31.html
労働政策問題の方の関連コメントを紹介します。
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②年長フリーター問題は意外なところから年齢差別禁止政策へのドライブを持ち込んだ。彼らはそもそも就職氷河期のゆえに正規雇用される機会を奪われた世代なのであるから、雇用維持と年齢差別禁止のトレードオフが存在しない。しかも、ぐずぐずすればするほど彼らは年をとり、技能の乏しいまま中高年化していくことになる。事は緊急を要する。年長若年者の年齢差別問題は、日本の年齢に基づく雇用システムをその出発点から問い直すきっかけになるかも知れない。すなわち、職業教育訓練は就職後に企業が行うので、学校では余計なことをせずまっさらな若者を送り出してくれればよいという教育システムの見直しであり、公教育における職業レリバンスの復活をも含意する。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/nenreisabetu.html
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②年長フリーター問題は意外なところから年齢差別禁止政策へのドライブを持ち込んだ。彼らはそもそも就職氷河期のゆえに正規雇用される機会を奪われた世代なのであるから、雇用維持と年齢差別禁止のトレードオフが存在しない。しかも、ぐずぐずすればするほど彼らは年をとり、技能の乏しいまま中高年化していくことになる。事は緊急を要する。年長若年者の年齢差別問題は、日本の年齢に基づく雇用システムをその出発点から問い直すきっかけになるかも知れない。すなわち、職業教育訓練は就職後に企業が行うので、学校では余計なことをせずまっさらな若者を送り出してくれればよいという教育システムの見直しであり、公教育における職業レリバンスの復活をも含意する。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/nenreisabetu.html
(すいません。続きがありました)
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【承前】また、30代の年長若年者を20代前半の新卒採用者との関係でどのように処遇すればよいのかという観点からすれば、年齢に基づく処遇システムを本格的に見直す必要性も高い。
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【承前】また、30代の年長若年者を20代前半の新卒採用者との関係でどのように処遇すればよいのかという観点からすれば、年齢に基づく処遇システムを本格的に見直す必要性も高い。

大学院教育と院生についてまとめると、日本の大学院はほとんどを国の支援に頼っているわけですから、世界レベルの学問の拠点である前に、日本のための大学院でなくてはならないでしょう。
そういう意味で、最低限果たさなくてはならない役割は、「(未来のの働き手であり納税者である)若者を預かる以上、きちんと社会に送り出す」と言う所に集約されると思います。ここがしっかりしていないと、大学が人生の終着点になってしまい、最後までそこにしがみつく(つかなければ行き場がない)ポスドクや任期付教員で溢れかえることになり、彼らの雇用のためにも更なる税金が必要になるでしょう。
また、年長者が吹きたまれば吹きたまるほど、大学院に行こうと考える学生は減っていくでしょう。むろん、このまま院生をを減らして縮小の方向に向かうという消極的解決も一つの回答ですが、待っているのは統廃合しかないと思います。また、ポストポストポスドク問題も先送り(から自然消滅?)になってしまいます。出来ることなら積極的な解決を期待したいですが、ここを見る限り大学院はあまり変わりたくないように見えます。
そういう意味で、最低限果たさなくてはならない役割は、「(未来のの働き手であり納税者である)若者を預かる以上、きちんと社会に送り出す」と言う所に集約されると思います。ここがしっかりしていないと、大学が人生の終着点になってしまい、最後までそこにしがみつく(つかなければ行き場がない)ポスドクや任期付教員で溢れかえることになり、彼らの雇用のためにも更なる税金が必要になるでしょう。
また、年長者が吹きたまれば吹きたまるほど、大学院に行こうと考える学生は減っていくでしょう。むろん、このまま院生をを減らして縮小の方向に向かうという消極的解決も一つの回答ですが、待っているのは統廃合しかないと思います。また、ポストポストポスドク問題も先送り(から自然消滅?)になってしまいます。出来ることなら積極的な解決を期待したいですが、ここを見る限り大学院はあまり変わりたくないように見えます。

私は工学ですが、社会人博士課程や論文博士は、職業を確保した上で博士号に望めるため、日本の状況に合っている(論博については「あっていた」ですが)と思います。研究がしたい人には、修士の段階で企業の研究開発職を勧めるような指導を大学で行えばよいのではないかと。
>海外PDさん
>ベンチャーを初めとする小さなところに行けと言いますが、
>(中略)それだけの能力が身についてない人には需要がないのですよ。
本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
>通りすがりさん
>研究が好きで進学する奴には、会社を作る才覚は無いと思いますよ。
作れますよ。作った人も興味を持っている人もたくさん居ます。
どの世代・分野の方を想定されています?
ところで、アメリカは留学生が多いですから、職に困れば母国に帰っても良いわけです。先にどなたか書いてらっしゃいましたが、日本人も、テニュアのアカポスに拘るなら、日本より教育が遅れている国などへ出て行けば良いのでは。日本国内ではこれ以上アカポス増えませんから。
>海外PDさん
>ベンチャーを初めとする小さなところに行けと言いますが、
>(中略)それだけの能力が身についてない人には需要がないのですよ。
本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
>通りすがりさん
>研究が好きで進学する奴には、会社を作る才覚は無いと思いますよ。
作れますよ。作った人も興味を持っている人もたくさん居ます。
どの世代・分野の方を想定されています?
ところで、アメリカは留学生が多いですから、職に困れば母国に帰っても良いわけです。先にどなたか書いてらっしゃいましたが、日本人も、テニュアのアカポスに拘るなら、日本より教育が遅れている国などへ出て行けば良いのでは。日本国内ではこれ以上アカポス増えませんから。

>通りすがり2さん
>本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
ということはないと思っています。
もちろん専攻分野にもよりますが、「選ばなければ職はある」と言ってしまえばPD問題なんて問題にするほどではないでしょう。
ただそうやって見つかった会社が、待遇・仕事内容を含めて満足できるものか、能力を発揮できる場であるかと言われるとどうでしょうか。
私は物理理論系ですが、実際一度失敗してますし。
理学と工学では博士の考え方も、企業の捉え方もかなり違う印象があります。
>本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
ということはないと思っています。
もちろん専攻分野にもよりますが、「選ばなければ職はある」と言ってしまえばPD問題なんて問題にするほどではないでしょう。
ただそうやって見つかった会社が、待遇・仕事内容を含めて満足できるものか、能力を発揮できる場であるかと言われるとどうでしょうか。
私は物理理論系ですが、実際一度失敗してますし。
理学と工学では博士の考え方も、企業の捉え方もかなり違う印象があります。

通りすがり2さん
>本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
工学ならともかく、基礎系・理論系はほとんど無いんじゃないですか? それに、海外PD さんもおっしゃっているように、「選ばなければ職はある」では、PD問題の根本的解決には全くならないでしょう。
>ところで、アメリカは留学生が多いですから、職に困れば母国に帰っても良いわけです。先にどなたか書いてらっしゃいましたが、日本人も、テニュアのアカポスに拘るなら、日本より教育が遅れている国などへ出て行けば良いのでは。
新しい形の頭脳流出ですね。ただ、「日本より教育が遅れている国」は、アメリカ帰り(OR他の先進諸国帰り)の自国からの帰還留学生の採用を優先すると思いますよ。
>本当に? 何十社何百社回っても無いですか?
工学ならともかく、基礎系・理論系はほとんど無いんじゃないですか? それに、海外PD さんもおっしゃっているように、「選ばなければ職はある」では、PD問題の根本的解決には全くならないでしょう。
>ところで、アメリカは留学生が多いですから、職に困れば母国に帰っても良いわけです。先にどなたか書いてらっしゃいましたが、日本人も、テニュアのアカポスに拘るなら、日本より教育が遅れている国などへ出て行けば良いのでは。
新しい形の頭脳流出ですね。ただ、「日本より教育が遅れている国」は、アメリカ帰り(OR他の先進諸国帰り)の自国からの帰還留学生の採用を優先すると思いますよ。

>>研究が好きで進学する奴には、会社を作る才覚は無いと思いますよ。
> 作れますよ。作った人も興味を持っている人もたくさん居ます。
> どの世代・分野の方を想定されています?
院卒者が会社を起業できるかといえば、できるでしょう。
私の書き込みは、
> 目端の利く学生は博士に進学しないかもしれませんが、真に研究が好
> きな学生はそれでも行くでしょう。そして、そのうち一人がITでも
> バイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で雇う会社を
> つくることに成功すれば、それだけの人数が幸福に間引きされます。
という書き込みへの返答として書きました。目先の効く学生が進学しない大学院に、興味本位で来る学生に、起業の才覚のある人は少ないと思います。
> 作れますよ。作った人も興味を持っている人もたくさん居ます。
> どの世代・分野の方を想定されています?
院卒者が会社を起業できるかといえば、できるでしょう。
私の書き込みは、
> 目端の利く学生は博士に進学しないかもしれませんが、真に研究が好
> きな学生はそれでも行くでしょう。そして、そのうち一人がITでも
> バイオでも学位取得者を50人でも100人でも高給で雇う会社を
> つくることに成功すれば、それだけの人数が幸福に間引きされます。
という書き込みへの返答として書きました。目先の効く学生が進学しない大学院に、興味本位で来る学生に、起業の才覚のある人は少ないと思います。

通りすがり2 さんへ
> 私は工学ですが、社会人博士課程や論文博士は、職業を確保した
> 上で博士号に望めるため、日本の状況に合っている...
工学部は確かにそういう専攻もあります。しかし、分野によります。電子、電気、機械、材料系で、企業の研究と共通点があり即戦力の研究室だと、その通りでしょう。しかし、工学部でも、少し違う分野だと、厳しく、職がない場合の方が多いでしょう。
私の研究室も企業との行き来は多く、配下の修士学生1名に対し、上場企業4社から求人があり、取り合いになっています。しかし、3年上の博士院生のなると、逆に職がなくなります。そして、ポスドクに至っては、企業就職を希望しても、声がかからない感じです。変ですよね。
私の研究室で、一番、テクニックも、学術的にもしっかりした基礎を持っているのはポスドクですが。。。
> 私は工学ですが、社会人博士課程や論文博士は、職業を確保した
> 上で博士号に望めるため、日本の状況に合っている...
工学部は確かにそういう専攻もあります。しかし、分野によります。電子、電気、機械、材料系で、企業の研究と共通点があり即戦力の研究室だと、その通りでしょう。しかし、工学部でも、少し違う分野だと、厳しく、職がない場合の方が多いでしょう。
私の研究室も企業との行き来は多く、配下の修士学生1名に対し、上場企業4社から求人があり、取り合いになっています。しかし、3年上の博士院生のなると、逆に職がなくなります。そして、ポスドクに至っては、企業就職を希望しても、声がかからない感じです。変ですよね。
私の研究室で、一番、テクニックも、学術的にもしっかりした基礎を持っているのはポスドクですが。。。

このスレの上のほうで、アカポスにつく確率を試算しました。
おおよそ4-6%で、弁理士試験に合格する確率と変わりません。弁理士試験はとおれば弁理士です。アカポスは、任期付だと、3-5年の期限が過ぎたら、また、勝率が4-6%の競争の中に戻されるのです。
運良く、任期のないアカポスに就けても、苦労はつきません。私は競争的研究費をとりつづけています。倍率は10倍です。3回続けてとりました。確率は1000分の1です。次はもう難しいと思います。もし、失敗すると、配下にいるポスドクと、補助員は解雇で、研究室のスタッフは私だけになります。
部下もつらいと思いますが、雇いつづけられず、解雇を告げるボスも相当つらいです。真の競争的研究費を、正攻法で取りつづけるのは、アカポスを得るよりもさらに難しいです。
おおよそ4-6%で、弁理士試験に合格する確率と変わりません。弁理士試験はとおれば弁理士です。アカポスは、任期付だと、3-5年の期限が過ぎたら、また、勝率が4-6%の競争の中に戻されるのです。
運良く、任期のないアカポスに就けても、苦労はつきません。私は競争的研究費をとりつづけています。倍率は10倍です。3回続けてとりました。確率は1000分の1です。次はもう難しいと思います。もし、失敗すると、配下にいるポスドクと、補助員は解雇で、研究室のスタッフは私だけになります。
部下もつらいと思いますが、雇いつづけられず、解雇を告げるボスも相当つらいです。真の競争的研究費を、正攻法で取りつづけるのは、アカポスを得るよりもさらに難しいです。

悪い{男|女}に惚れたと思え、という次の意見はどうですか。
http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/blxm/blosxom.cgi//071022.htm
宇宙とか素粒子とか、社会経済に無用な分野は道楽でやればよいけど、生物学は難病治療とか食糧増産とかで社会にすぐ役立つから別なのでしょうか。実際、タンパク3000のポスドク230人中200人に行き先が見つかったというから、生命分野は基礎物理に比べればよほど恵まれているように見えます。
自分が不安定なポスドクを経験したので、応援の気持ちで読んでいましたが、議論を長く見ているうちに、ここで不満を述べている方々にだんだん共感が薄れてきました。
http://mira.bio.fpu.ac.jp/tadas/cgi-bin/blxm/blosxom.cgi//071022.htm
宇宙とか素粒子とか、社会経済に無用な分野は道楽でやればよいけど、生物学は難病治療とか食糧増産とかで社会にすぐ役立つから別なのでしょうか。実際、タンパク3000のポスドク230人中200人に行き先が見つかったというから、生命分野は基礎物理に比べればよほど恵まれているように見えます。
自分が不安定なポスドクを経験したので、応援の気持ちで読んでいましたが、議論を長く見ているうちに、ここで不満を述べている方々にだんだん共感が薄れてきました。

物理実験系さん
私はその社会経済に無用な分野なのですが(笑)、
基礎物理はOD問題が昔から深刻だったので、博士も教員も
現状認識をして、納得して入ってきていたように思います。
生命や工学畑の人たちには経験のなかったことだったのかもしれません。
それらの分野の実情を私はそれほど知ってるわけではありませんが、
基礎物理は研究内容にもよりますが、比較的つぶしの利く能力が身につきやすいと考えています。(これは企業人からも聞いたことがあります)
生命や工学で、ただボスの言うがままに実験して学位を採る、という話が本当であれば、職に就ける比率はともかく、問題としてはむしろ深刻のような気がしています。(能力が開発されていないと言う点で)
私はその社会経済に無用な分野なのですが(笑)、
基礎物理はOD問題が昔から深刻だったので、博士も教員も
現状認識をして、納得して入ってきていたように思います。
生命や工学畑の人たちには経験のなかったことだったのかもしれません。
それらの分野の実情を私はそれほど知ってるわけではありませんが、
基礎物理は研究内容にもよりますが、比較的つぶしの利く能力が身につきやすいと考えています。(これは企業人からも聞いたことがあります)
生命や工学で、ただボスの言うがままに実験して学位を採る、という話が本当であれば、職に就ける比率はともかく、問題としてはむしろ深刻のような気がしています。(能力が開発されていないと言う点で)

その昔にOD問題が大変だった(PD制度がほとんどなかった)ときは、「せっかく学位を取ったところで経済的なファクターで将来が閉ざされる。せめて数年間、誰が有能か試すチャンスがほしい」と主張して、PD制度を渇望したものでした。実際には制度整備の時間差のために、そう主張していたほとんどの者は塾講師になったり家業を継いだり、専門とは無関係の職についています。かく言う私も今は飲食業です。
それが今では、チャンスが与えられて、その上でポスト数に見合う上位者には入っていないと言われているのにも関わらず、専門知識を活かせる高給職でないと我慢できないと言っているように聞こえます。リストラされた中高年やニートなどの厳しい求職状況や、企業内でも修士卒や大卒の多くが営業など不本意な業務に回っている状況のなかで、「選ばなければ職はある」状況にいるPDが世間の理解が得られると思いますか?
それが今では、チャンスが与えられて、その上でポスト数に見合う上位者には入っていないと言われているのにも関わらず、専門知識を活かせる高給職でないと我慢できないと言っているように聞こえます。リストラされた中高年やニートなどの厳しい求職状況や、企業内でも修士卒や大卒の多くが営業など不本意な業務に回っている状況のなかで、「選ばなければ職はある」状況にいるPDが世間の理解が得られると思いますか?

とおりがかりさん、
問題の発生原因が昔とは違います。今回の博士及びPD増員は国策としてなされたものですから、政策的解決がある程度は必要でしょう。
それから、誰も高給職をことさらに望んでいるようには見えません。せめて最低限世間並みの人生設計ができる程度のものを、といった程度でしょうか。
大学院重点化後は、誰が有能か試す期間としてのPDとは、質が違っています。PD自体を増やすことが科学技術の活性化につながるという政策的意図でもって増やされたものです。
あと、PDを終わった後だと、年齢的に「選ばなければ職はある」ともいえません。
通りがかりさんの発言は、ご自分が違う業種に行くはめになったから、問題解決を考えようとしている人の足をやっかみ半分で引っ張っているように見えますよ。
問題の発生原因が昔とは違います。今回の博士及びPD増員は国策としてなされたものですから、政策的解決がある程度は必要でしょう。
それから、誰も高給職をことさらに望んでいるようには見えません。せめて最低限世間並みの人生設計ができる程度のものを、といった程度でしょうか。
大学院重点化後は、誰が有能か試す期間としてのPDとは、質が違っています。PD自体を増やすことが科学技術の活性化につながるという政策的意図でもって増やされたものです。
あと、PDを終わった後だと、年齢的に「選ばなければ職はある」ともいえません。
通りがかりさんの発言は、ご自分が違う業種に行くはめになったから、問題解決を考えようとしている人の足をやっかみ半分で引っ張っているように見えますよ。

apjさん、
下衆の勘ぐりはやめてください。そんな気持ちではありません。
40歳になっても選ばなければ職はあると思います。私は国立大の助手を数年やって、40を過ぎで転職しました。そのとき年収は700万円強から500万円弱になりました。
さて、サラリーマンの平均年収は450万円程度、大学教員になれた場合の年収は600万円程度だと思いますが、あなたがたの言う最低限世間並みというのはいったい年収いくらぐらいなのですか?
下衆の勘ぐりはやめてください。そんな気持ちではありません。
40歳になっても選ばなければ職はあると思います。私は国立大の助手を数年やって、40を過ぎで転職しました。そのとき年収は700万円強から500万円弱になりました。
さて、サラリーマンの平均年収は450万円程度、大学教員になれた場合の年収は600万円程度だと思いますが、あなたがたの言う最低限世間並みというのはいったい年収いくらぐらいなのですか?

とおりがかりさん、
「選ばなければ職がある」とおっしゃったことが、最近のワーキングプアを正当化する人材派遣業者の理屈にかぶって見えたものですから、敢えて少し失礼な言い方を致しました。お詫びいたします。
身分不安定なポスドクが望む最低ラインとしては、年収についてはサラリーマンの平均年収弱程度だと思います(そりゃ人間誰でもたくさんもらえれば嬉しいでしょうが、そんな贅沢を言える状況でもないでしょう)。いわゆるワーキングプアと呼ばれる程低くなければ良い。贅沢せずに暮らして多少の貯金ができる程度、つまり、切り詰めて生活してもまったく蓄えが不可能で何か病気になったら即借金生活転落では困るということです。あとは、普通のサラリーマンに適用される程度の社会保障があって、任期制ではない(つまり強制的に3年乃至5年でクビにされない)ということでしょうか。今の世の中、サラリーマンが安泰ともいえませんが、最初から3年しか雇いませんというのよりはまだマシではないかと。これは、今の状況が悲惨過ぎることを考慮した上での最低ラインではないでしょうか。
「選ばなければ職がある」とおっしゃったことが、最近のワーキングプアを正当化する人材派遣業者の理屈にかぶって見えたものですから、敢えて少し失礼な言い方を致しました。お詫びいたします。
身分不安定なポスドクが望む最低ラインとしては、年収についてはサラリーマンの平均年収弱程度だと思います(そりゃ人間誰でもたくさんもらえれば嬉しいでしょうが、そんな贅沢を言える状況でもないでしょう)。いわゆるワーキングプアと呼ばれる程低くなければ良い。贅沢せずに暮らして多少の貯金ができる程度、つまり、切り詰めて生活してもまったく蓄えが不可能で何か病気になったら即借金生活転落では困るということです。あとは、普通のサラリーマンに適用される程度の社会保障があって、任期制ではない(つまり強制的に3年乃至5年でクビにされない)ということでしょうか。今の世の中、サラリーマンが安泰ともいえませんが、最初から3年しか雇いませんというのよりはまだマシではないかと。これは、今の状況が悲惨過ぎることを考慮した上での最低ラインではないでしょうか。

(コメントが長すぎて切られたので続けます)
ていたら3年分もらえたはずの給料、が就職して定年退職するまでに取り返せること、といったものになるかと。生涯賃金で比較するということです。これが成り立たなければ博士に行くのは、個人にとって経済合理的な行動ではないということになります。
博士養成にかかる国費は、学部から数えて9年間で一人平均3400万円と見積もられています。(http://inoue0.exblog.jp/6458772/)全消費支出は学生一人あたり4500万円です。それほど現実と乖離した数字でもないかと思います。社会の側からの要請としては、この投資金額をどうやって回収するか、回収不可能なら、既に投入した分をどうやって損切りするか、この先損失が発生しない投資の枠はどれだけかという話になります。
ていたら3年分もらえたはずの給料、が就職して定年退職するまでに取り返せること、といったものになるかと。生涯賃金で比較するということです。これが成り立たなければ博士に行くのは、個人にとって経済合理的な行動ではないということになります。
博士養成にかかる国費は、学部から数えて9年間で一人平均3400万円と見積もられています。(http://inoue0.exblog.jp/6458772/)全消費支出は学生一人あたり4500万円です。それほど現実と乖離した数字でもないかと思います。社会の側からの要請としては、この投資金額をどうやって回収するか、回収不可能なら、既に投入した分をどうやって損切りするか、この先損失が発生しない投資の枠はどれだけかという話になります。

コピペに失敗しました。直上の投稿の最初の部分は「 経済的に妥当な額としては、修士の就職率が良いのでこれを基準として、3年に投じた授業料+就職していたら」になります。
(ここから続きです)
この点からは、通りがかりさんには大学に居つづけて、今よりは高い収入を得た上でより多く納税し、かつ専門を活かしてもらって社会の投資が回収できるようでないとまずかったわけです。職業選択は個人の自由ですが、専門とは違う職でやってますというのは、社会にとって損失を発生させる行為でもあることを忘れないでいただきたいです。もちろん、投資ですから社会の側も100%のリターンを期待していないでしょうけど、「選ばなければ職はある」とやることは、投資の回収にとって本当に最善か?ということを考えてからでないとまずいと思います。
就職状況は、労働派遣法の改正前と後ではまた状況が違っているはずです。選ばなければ職はある、の実体が、派遣で不安定な将来性も見込めないものばかりであったとしたら、それも違う気がします。
(ここから続きです)
この点からは、通りがかりさんには大学に居つづけて、今よりは高い収入を得た上でより多く納税し、かつ専門を活かしてもらって社会の投資が回収できるようでないとまずかったわけです。職業選択は個人の自由ですが、専門とは違う職でやってますというのは、社会にとって損失を発生させる行為でもあることを忘れないでいただきたいです。もちろん、投資ですから社会の側も100%のリターンを期待していないでしょうけど、「選ばなければ職はある」とやることは、投資の回収にとって本当に最善か?ということを考えてからでないとまずいと思います。
就職状況は、労働派遣法の改正前と後ではまた状況が違っているはずです。選ばなければ職はある、の実体が、派遣で不安定な将来性も見込めないものばかりであったとしたら、それも違う気がします。

家族を養えるなら、何に転職してもいいですがね。企業勤めと違って、転職するときにポスドクという職歴は研究以外ではキャリアになりませんので。要は派遣と一緒です。
以前、企業の方に「ポスドクなんて就職の決まっていない奴が一時的にやるもんだ」と言われ、そんなことはないだろう、と思ったのですが、今になって思えばあちらのほうが正しかったのでしょうね。
ところで、誰か「高給職でないと我慢できない」とか言っているのですか?私としては、自分の能力を活かすことができれば、別に年収はどうでもいいんですが。ただ、将来の保証がない生活をこれ以上続けるのは辛いですね。これが国策だったと聞けば、不思議な気がします。これからの博士取得者には、幸せになって欲しいですね。
以前、企業の方に「ポスドクなんて就職の決まっていない奴が一時的にやるもんだ」と言われ、そんなことはないだろう、と思ったのですが、今になって思えばあちらのほうが正しかったのでしょうね。
ところで、誰か「高給職でないと我慢できない」とか言っているのですか?私としては、自分の能力を活かすことができれば、別に年収はどうでもいいんですが。ただ、将来の保証がない生活をこれ以上続けるのは辛いですね。これが国策だったと聞けば、不思議な気がします。これからの博士取得者には、幸せになって欲しいですね。

15年ほど前に理学系修士を出た中年男です。
投資の回収も大事ですが、損切りという言葉もあるわけでして…マクロな観点からは、追加投資をして回収に努めるのか、あるいはさっさと損切りしてしまうかは思案のしどころでしょうね(政策担当者の立場だったら損切りしたくなりそう)。
それから、博士号(相当の能力と実績を)持っている人を欲しい企業は中小ならばけっこうあると思います。ただ、中小なので:-) 一部の優良企業を除くと「日本のサラリーマンの平均年収が450万円」というレベルの待遇になっちゃうわけですし(たとえば私の勤務先なんかですと1000万円の大台越えは厳しい)、自分の研究については基本的に諦めてもらって勤務先の利益に従属する業務(これはこれで面白い部分もあるのですけれども)を担当してもらうことになるわけですから、そのあたりで折り合いつけるの難しいでしょうねえ…自分の研究できないけど高待遇(年収数千万円)、もしくは自分の研究できるけど低待遇(年収500万円くらい)、のどちらかならば折り合いつけてもらえそうな気がするのですが…歴史的に見ると時代の犠牲者でした、という落ちにするしかないのかなあ。
投資の回収も大事ですが、損切りという言葉もあるわけでして…マクロな観点からは、追加投資をして回収に努めるのか、あるいはさっさと損切りしてしまうかは思案のしどころでしょうね(政策担当者の立場だったら損切りしたくなりそう)。
それから、博士号(相当の能力と実績を)持っている人を欲しい企業は中小ならばけっこうあると思います。ただ、中小なので:-) 一部の優良企業を除くと「日本のサラリーマンの平均年収が450万円」というレベルの待遇になっちゃうわけですし(たとえば私の勤務先なんかですと1000万円の大台越えは厳しい)、自分の研究については基本的に諦めてもらって勤務先の利益に従属する業務(これはこれで面白い部分もあるのですけれども)を担当してもらうことになるわけですから、そのあたりで折り合いつけるの難しいでしょうねえ…自分の研究できないけど高待遇(年収数千万円)、もしくは自分の研究できるけど低待遇(年収500万円くらい)、のどちらかならば折り合いつけてもらえそうな気がするのですが…歴史的に見ると時代の犠牲者でした、という落ちにするしかないのかなあ。

apjさん、
修士卒で就職していた場合よりも確実に儲かることを保証せよと仰るんですか?社会の投資といいますが、個人にとっては重点化前も後も博士進学は大学教員になれるか、乗るか反るかのギャンブルです。政治的な解決がある程度必要なのは分かります。しかし、人数が多くなった時点でリスクの高騰は自明ですし、それでなくてもはじめから基本的にハイリスク・ミドルリターンの世界です。好きな道ならキャベツの芯をかじってでも夢を追ってみたいという人が選ぶ世界です。夢のあとで目を覚まさなければならないとき、短い夢さえ見せてもらえず残念だったと嘆いたのが昔のODで、長い夢を見ることができたのに目を覚ます段になっても夢の続きを現実に求めて嘆いているのが今のPDではないでしょうか。今より景気が良くてしかも就活する博士の絶対数が少なかった時代でさえ、能力を活かせる職はせいぜい塾講師でした。それ以外は、大卒の中途採用と同じ土俵で頑張るしかないと誰もが思っていました。「しばらく夢を見られて楽しかったと思えるだけでいくらかは報われている」と思わないと、就活するにしてもいつまでも気持ちの切り替えができないと思います。
修士卒で就職していた場合よりも確実に儲かることを保証せよと仰るんですか?社会の投資といいますが、個人にとっては重点化前も後も博士進学は大学教員になれるか、乗るか反るかのギャンブルです。政治的な解決がある程度必要なのは分かります。しかし、人数が多くなった時点でリスクの高騰は自明ですし、それでなくてもはじめから基本的にハイリスク・ミドルリターンの世界です。好きな道ならキャベツの芯をかじってでも夢を追ってみたいという人が選ぶ世界です。夢のあとで目を覚まさなければならないとき、短い夢さえ見せてもらえず残念だったと嘆いたのが昔のODで、長い夢を見ることができたのに目を覚ます段になっても夢の続きを現実に求めて嘆いているのが今のPDではないでしょうか。今より景気が良くてしかも就活する博士の絶対数が少なかった時代でさえ、能力を活かせる職はせいぜい塾講師でした。それ以外は、大卒の中途採用と同じ土俵で頑張るしかないと誰もが思っていました。「しばらく夢を見られて楽しかったと思えるだけでいくらかは報われている」と思わないと、就活するにしてもいつまでも気持ちの切り替えができないと思います。

通りがかりさんへ
私自身も、数年間、塾講師で食いつなぎつつ、研究生をしながら、研究をし、アメリカ人を対象にした公募に、同じ条件で応募し、アメリカに渡りました。日本に戻るアテもない形でした。そして、10年以上も任期付を続けて、最近の厳しい競争を経て職を得ました。
オーバードクターが多数いた時代も良く分かっています。
その当時と、今の大学で大きく変わった点があります。
1.ポスドク制度が生まれたこと。
(大学院を出てから、ポスドクになり、仕事を続けられるようになり、博士をとって出来る人から職を見つけるというのが実現したかのように見えました。)
2.院生の数が2-3倍の増えた。
(大学のポストの数は同じで、本来なら増員分はオーバードクターですが、ポスドクとして研究を続け、問題は先送りされました。一定の年齢になって、オーバーポスドク問題が出てきました。)
私自身も、数年間、塾講師で食いつなぎつつ、研究生をしながら、研究をし、アメリカ人を対象にした公募に、同じ条件で応募し、アメリカに渡りました。日本に戻るアテもない形でした。そして、10年以上も任期付を続けて、最近の厳しい競争を経て職を得ました。
オーバードクターが多数いた時代も良く分かっています。
その当時と、今の大学で大きく変わった点があります。
1.ポスドク制度が生まれたこと。
(大学院を出てから、ポスドクになり、仕事を続けられるようになり、博士をとって出来る人から職を見つけるというのが実現したかのように見えました。)
2.院生の数が2-3倍の増えた。
(大学のポストの数は同じで、本来なら増員分はオーバードクターですが、ポスドクとして研究を続け、問題は先送りされました。一定の年齢になって、オーバーポスドク問題が出てきました。)

かつてオーバードクターが問題になった当時、日本全国のODは、3000人規模で、年齢も30歳ぐらいでした。大学教授の公募倍率は20-40倍程度で100倍を超えた例は聞いたことがありませんでした。また、大学教員もほとんどが任期なしで、金額の多寡はありましたが、校費として研究費がありました。
「大学院の重点化」と「ポスドク制度」の、相乗効果で、35-40才のオーバーポスドクは毎年数千人規模で生まれます。先日、学習院で教授の公募がありましたが、600倍だそうです。また、大学教員も、助手講師は、ほとんど全て任期付職になりました。この場合に依っては100倍を超える公募に1年間出しつづけて、15-20人に一人が任期付に採用されます。業績が揃っているひとも多く、NatureやScienceに論文があるのに、大学教員になれない人が増えています。
「大学院の重点化」と「ポスドク制度」の、相乗効果で、35-40才のオーバーポスドクは毎年数千人規模で生まれます。先日、学習院で教授の公募がありましたが、600倍だそうです。また、大学教員も、助手講師は、ほとんど全て任期付職になりました。この場合に依っては100倍を超える公募に1年間出しつづけて、15-20人に一人が任期付に採用されます。業績が揃っているひとも多く、NatureやScienceに論文があるのに、大学教員になれない人が増えています。

先日、特定領域の会議で、40代~50代の教授と話をしましたが、
「(OD問題の)私たちのころは、貧しくても頑張って一流の業績をあげれば、職に就ける気がした。最近は業績が有っても職に就けるか分からない気がする。」
とある教授が言いました。この人は、研究がNY timesで報道されたこともある実績ある人です。オーバーポスドク問題は規模でも、困難さでも、かつてのオーバードクター問題の比ではないのです。
さらに、その関門をパスしても、3-5年の任期付職。大学の校費もゼロです。(知人の東大教授は光熱費を払うと、研究費がマイナスになると言っています。)
アメリカよりも、日本の方が雇用はきつく、研究環境は悪いかもしれません。日本に戻ったことを後悔しています。
「(OD問題の)私たちのころは、貧しくても頑張って一流の業績をあげれば、職に就ける気がした。最近は業績が有っても職に就けるか分からない気がする。」
とある教授が言いました。この人は、研究がNY timesで報道されたこともある実績ある人です。オーバーポスドク問題は規模でも、困難さでも、かつてのオーバードクター問題の比ではないのです。
さらに、その関門をパスしても、3-5年の任期付職。大学の校費もゼロです。(知人の東大教授は光熱費を払うと、研究費がマイナスになると言っています。)
アメリカよりも、日本の方が雇用はきつく、研究環境は悪いかもしれません。日本に戻ったことを後悔しています。

日本の大学の環境が悪化している例ですが、
私の知り合いで、定年前に東大教授を辞めて、有力私大に就職した教授が出始めています。東大教授を辞めて、同様に私大に移籍したいと言っている人もいます。
東大でこの状況ですから、他の国立大学の環境がどれくらい悪化しているか、推して知るべしです。
私の知り合いで、定年前に東大教授を辞めて、有力私大に就職した教授が出始めています。東大教授を辞めて、同様に私大に移籍したいと言っている人もいます。
東大でこの状況ですから、他の国立大学の環境がどれくらい悪化しているか、推して知るべしです。

外の世界から見ると、「ポスドクの就職難」と言うのが空々しく見える、確かに納得できるところがあります。実際、職がないと言っているポスドクのうち何人が中小の企業も含めた就職活動をしているか、と言ったらかなり少ない割合だと思います。そして実際には就業しようと思えば出来る所はあるでしょう。
ただ、研究職にしがみつくポスドクの考えも分かるところがあると思います。というのは、今日のポスドクというとのはたいていはボスの手伝いしかしておらず、自分の研究をしたことがないからです(特に生物系)。もうちょっと頑張って、自分がリーダーになって研究を始めたい、と思うから、いつまでもズルズルと続けてしまうのでしょう。
まぁ、これを社長=ボスと平社員=ポスドクにでも置き換えれば簡単にわかるロジックなのかも知れませんが、一昔前の教員レベル(つまり現役教授)と言うのはどう考えても社長レベルではないのに終身雇用が約束されて、ポスドクを使い捨て放題な訳です。そういう大学の封建的仕組みが、良くないと思います。優秀な人ほど早く気づいて逃げていくでしょうし、新しい院生も優秀な人は来ないでしょうね。このままなら大学院は細っていくだけです。
ただ、研究職にしがみつくポスドクの考えも分かるところがあると思います。というのは、今日のポスドクというとのはたいていはボスの手伝いしかしておらず、自分の研究をしたことがないからです(特に生物系)。もうちょっと頑張って、自分がリーダーになって研究を始めたい、と思うから、いつまでもズルズルと続けてしまうのでしょう。
まぁ、これを社長=ボスと平社員=ポスドクにでも置き換えれば簡単にわかるロジックなのかも知れませんが、一昔前の教員レベル(つまり現役教授)と言うのはどう考えても社長レベルではないのに終身雇用が約束されて、ポスドクを使い捨て放題な訳です。そういう大学の封建的仕組みが、良くないと思います。優秀な人ほど早く気づいて逃げていくでしょうし、新しい院生も優秀な人は来ないでしょうね。このままなら大学院は細っていくだけです。

>>Aさん
また妄想の垂れ流しですか?
大学教員の仕事をあなたはどれだけご存知ですか?
社長レベルではないとか、xxxレベルとか、言えるほどご存知なのだろうか?大学教授の仕事ってどんなものだとお考えか、後学のために教えていただきたいです。どんな仕事とお考えか教えてください。
>「ポスドクの就職難」と言うのが空々しく見える、
と言われるが、博士課程の在学中にも、会社員から同様の暴言を随分言われたものだ。
また妄想の垂れ流しですか?
大学教員の仕事をあなたはどれだけご存知ですか?
社長レベルではないとか、xxxレベルとか、言えるほどご存知なのだろうか?大学教授の仕事ってどんなものだとお考えか、後学のために教えていただきたいです。どんな仕事とお考えか教えてください。
>「ポスドクの就職難」と言うのが空々しく見える、
と言われるが、博士課程の在学中にも、会社員から同様の暴言を随分言われたものだ。

> 終身雇用が約束されて、ポスドクを使い捨て放題な訳です。
ポスドクを雇う予算は、会社員のように、会社から研究費が振って来る訳ではない。
通常は、倍率5-10倍以上の、競争を経て外部予算を獲得する。競争率は、ポスドクがさきがけや学振の研究員に応募して採択されるのと、同程度の確率。。
研究費の申請書類の中にxxxを行う人を雇うと書き、5-10倍以上の倍率の公募を経て、採択が認められて初めてポスドクを雇用できる。これは万国共通の仕組みで、封建的だと決めつけるのはどうかと思う。
大学の研究室でも、ポスドクが雇えるのは、旧帝大の一部に限られる。東工大や東北大あたりでも、ポスドクが雇えない教授はいくらもいる。
無条件にポスドクを雇えるような言い回しは、事実に反する。
妄想を元に批判するのは如何かとおもう。教授の仕事はどんなものとお考えかお教え願いたい。
ポスドクを雇う予算は、会社員のように、会社から研究費が振って来る訳ではない。
通常は、倍率5-10倍以上の、競争を経て外部予算を獲得する。競争率は、ポスドクがさきがけや学振の研究員に応募して採択されるのと、同程度の確率。。
研究費の申請書類の中にxxxを行う人を雇うと書き、5-10倍以上の倍率の公募を経て、採択が認められて初めてポスドクを雇用できる。これは万国共通の仕組みで、封建的だと決めつけるのはどうかと思う。
大学の研究室でも、ポスドクが雇えるのは、旧帝大の一部に限られる。東工大や東北大あたりでも、ポスドクが雇えない教授はいくらもいる。
無条件にポスドクを雇えるような言い回しは、事実に反する。
妄想を元に批判するのは如何かとおもう。教授の仕事はどんなものとお考えかお教え願いたい。

もし、政府が科学を振興するつもりがないなら、ポスドクや博士後の職が恵まれなくても自己責任でよかろうと思う。
しかし、もし振興するつもりなら、それなりの処遇をしないと、科学に携わろうと思う人は減り、目指す人もいなくなるだろう。
しかし、もし振興するつもりなら、それなりの処遇をしないと、科学に携わろうと思う人は減り、目指す人もいなくなるだろう。

>Sさん
>新しい形の頭脳流出ですね。ただ、「日本より教育が遅れている国」は、アメリカ帰り(OR他の先進諸国帰り)の自国からの帰還留学生の採用を優先すると思いますよ。
それは、十分な数が帰ってくれば、という話でしょう。それに、日本で余っているなら流出させても構わないでしょう。
会社における研究部門も「弊社はこれだけ技術力がある」というパフォーマンスのためもあって持っているコストセンターなのですから(そうでなければ、アメリカ企業のように要素技術を持つ会社を買収したほうが確実です)、十分な教育を受けたが余っているという人材を、「日本にはこれだけの頭脳がある」と宣伝するために後進国にばら撒いたって良いわけです。
>通りすがりさん
>ポスドクに至っては、企業就職を希望しても、声がかからない感じです。変ですよね。
私の父も教授なのですが、優秀だが家庭の都合で学部卒で働かなければならない、という学生さんがいたのを、一部上場企業の知り合いに根回しして、普通なら院卒でないと入れない研究開発職に就職させていました。
そのポスドクの方が企業就職を望んでいらっしゃるなら、是非先生が積極的にお口添えしてください。
>新しい形の頭脳流出ですね。ただ、「日本より教育が遅れている国」は、アメリカ帰り(OR他の先進諸国帰り)の自国からの帰還留学生の採用を優先すると思いますよ。
それは、十分な数が帰ってくれば、という話でしょう。それに、日本で余っているなら流出させても構わないでしょう。
会社における研究部門も「弊社はこれだけ技術力がある」というパフォーマンスのためもあって持っているコストセンターなのですから(そうでなければ、アメリカ企業のように要素技術を持つ会社を買収したほうが確実です)、十分な教育を受けたが余っているという人材を、「日本にはこれだけの頭脳がある」と宣伝するために後進国にばら撒いたって良いわけです。
>通りすがりさん
>ポスドクに至っては、企業就職を希望しても、声がかからない感じです。変ですよね。
私の父も教授なのですが、優秀だが家庭の都合で学部卒で働かなければならない、という学生さんがいたのを、一部上場企業の知り合いに根回しして、普通なら院卒でないと入れない研究開発職に就職させていました。
そのポスドクの方が企業就職を望んでいらっしゃるなら、是非先生が積極的にお口添えしてください。

PD問題に明確な解決を行うなら、私なら全部リストラしてしまいますけどね。1人育てるための先行投資数千万程度なんて、その後養い続けるための給料・研究費云々と比較すれば大した損害では無いでしょう。
個人に対しては、自分の専門にこだわりたいのか、専門外でも(自分の苦手なことでも)安定した仕事がいいのか、要はバランスだと思いますが、研究畑の人はその手の知識が無い人が多いように感じます。現在PDをされている方から修士1年の学生まで、生活設計(いわゆるワークライフバランス?)についての講義を必修とさせるべきです。
それにしても、私の知っている限り、大学の先生の(研究以外への)忙しさ・締め付けは年々厳しいものになっていると思います。任期つきでもポスドクを雇わなければ、まともに「研究」室を回し続けられない分野はたくさんあるだろうとも思います。私は、先生ではなく、大学の運営体制(管理部門)をもっと問うべきではないかと思うのですが。派遣でも出来そうな仕事をしている年配の事務官が、(年功序列な公務員なので)教授より給料が高いということも多々あるわけです。
個人に対しては、自分の専門にこだわりたいのか、専門外でも(自分の苦手なことでも)安定した仕事がいいのか、要はバランスだと思いますが、研究畑の人はその手の知識が無い人が多いように感じます。現在PDをされている方から修士1年の学生まで、生活設計(いわゆるワークライフバランス?)についての講義を必修とさせるべきです。
それにしても、私の知っている限り、大学の先生の(研究以外への)忙しさ・締め付けは年々厳しいものになっていると思います。任期つきでもポスドクを雇わなければ、まともに「研究」室を回し続けられない分野はたくさんあるだろうとも思います。私は、先生ではなく、大学の運営体制(管理部門)をもっと問うべきではないかと思うのですが。派遣でも出来そうな仕事をしている年配の事務官が、(年功序列な公務員なので)教授より給料が高いということも多々あるわけです。

>『大学教授の仕事ってどんなものだとお考えか、後学のために教えていただきたいです。』
これまで何度かコメントしたかと思いますが、大学教授の第一の仕事は研究のための「教育」であると思います。実際の研究は二の次でしょう。それから、大学教員が教育のための時間を研究以外のどんなことに割いているかは存じませんが、少なくとも大学院生の指導に多くの時間を割いているようには見えません。まぁ、そんことはないと思いますが、もし、この貴重な教育のための時間を大学の運営やら人事に割いているとしたら残念なことです。そういう仕事は経営陣をきちんとたててやるべきことでしょうから。
それから、もし、私の知らない重要な教員の仕事が他にあるのでしたら、ぜひともここで教えていただけないでしょうか。これは教員以外の人間が大学院教育を理解する上で、大きな助けになると思います。それは妄想だ、とか、何も知らないくせに、と言っておいて何も実態を教えてくれないのでは対話が進みません。たとえそれが大学院では当たり前のディスカッション方法なのだとしても。
これまで何度かコメントしたかと思いますが、大学教授の第一の仕事は研究のための「教育」であると思います。実際の研究は二の次でしょう。それから、大学教員が教育のための時間を研究以外のどんなことに割いているかは存じませんが、少なくとも大学院生の指導に多くの時間を割いているようには見えません。まぁ、そんことはないと思いますが、もし、この貴重な教育のための時間を大学の運営やら人事に割いているとしたら残念なことです。そういう仕事は経営陣をきちんとたててやるべきことでしょうから。
それから、もし、私の知らない重要な教員の仕事が他にあるのでしたら、ぜひともここで教えていただけないでしょうか。これは教員以外の人間が大学院教育を理解する上で、大きな助けになると思います。それは妄想だ、とか、何も知らないくせに、と言っておいて何も実態を教えてくれないのでは対話が進みません。たとえそれが大学院では当たり前のディスカッション方法なのだとしても。

>『「ポスドクの就職難」と言うのが空々しく見える、と言われるが、博士課程の在学中にも、会社員から同様の暴言を随分言われたものだ。』
これが暴言と感じられたなら申し訳ありません。もう少し噛み砕いて言えば、大学院に行っていようがいまいが就職できるという職はある、というのも一つの側面であると言うことです。むろん、それでは大学院で教育、訓練を受ける意味はほとんどないどころか、無駄に(授業料まで払って)5年10年を費やしたことになりますし、全くもって非生産的なことで、出来ることならば教育、訓練を生かした職に就いて欲しいもです。
ところで、この少なくとも社会に出て働いている会社員の方からのコメントが、事実ではなく暴言と言えるのはどうしてでしょうか。少なくともそれなりの根拠はあるはずと思います。説明していただけますか?
>『ポスドクを雇う予算は、会社員のように、会社から研究費が振って来る訳ではない。』
会社でも研究費がふってくることはないと思います。察するに、何か他に会社員に意見したいことがあるのではないでしょうか。
これが暴言と感じられたなら申し訳ありません。もう少し噛み砕いて言えば、大学院に行っていようがいまいが就職できるという職はある、というのも一つの側面であると言うことです。むろん、それでは大学院で教育、訓練を受ける意味はほとんどないどころか、無駄に(授業料まで払って)5年10年を費やしたことになりますし、全くもって非生産的なことで、出来ることならば教育、訓練を生かした職に就いて欲しいもです。
ところで、この少なくとも社会に出て働いている会社員の方からのコメントが、事実ではなく暴言と言えるのはどうしてでしょうか。少なくともそれなりの根拠はあるはずと思います。説明していただけますか?
>『ポスドクを雇う予算は、会社員のように、会社から研究費が振って来る訳ではない。』
会社でも研究費がふってくることはないと思います。察するに、何か他に会社員に意見したいことがあるのではないでしょうか。

>『無条件にポスドクを雇えるような言い回しは、事実に反する。』
確かにこれはその通りです。この大学院拡充の間、ポスドクや院生を全く預かっていない教員の人は、今の博士あまりには関わっているとは思えませんね。院生やポスドクを労働力として使い捨てているということとは全く関係ありません。むしろ、このような結末を予期してあえてそれに加担しなかった気概のある方なのやも知れません。失礼いたしました。
一方、研究費の出所が何だろうが、院生やポスドクを預かりながら、一人前の研究者にすることが出来ないなら、それは人材の使い捨てなのではないですか。エントリーにもあるように、博士を増やせというのは国の要求ですが、その見返りとして現職の教員のクビをつないだんですから、政府を批判する前に自分たちの責任(引き受けた院生、ポスドクを研究者に育てる)は最低限果たすべきことでしょう。
それがなぜか、政府がおかしいからこうなった、会社は何もわかっていないのに暴言を吐く、そして外野も妄言を吐いて批判しやがって、と全部他人事のように言われてしまうと、そりゃ大学院と社会は上手く折り合っていけるわけがないな、と思ってしまいます。
確かにこれはその通りです。この大学院拡充の間、ポスドクや院生を全く預かっていない教員の人は、今の博士あまりには関わっているとは思えませんね。院生やポスドクを労働力として使い捨てているということとは全く関係ありません。むしろ、このような結末を予期してあえてそれに加担しなかった気概のある方なのやも知れません。失礼いたしました。
一方、研究費の出所が何だろうが、院生やポスドクを預かりながら、一人前の研究者にすることが出来ないなら、それは人材の使い捨てなのではないですか。エントリーにもあるように、博士を増やせというのは国の要求ですが、その見返りとして現職の教員のクビをつないだんですから、政府を批判する前に自分たちの責任(引き受けた院生、ポスドクを研究者に育てる)は最低限果たすべきことでしょう。
それがなぜか、政府がおかしいからこうなった、会社は何もわかっていないのに暴言を吐く、そして外野も妄言を吐いて批判しやがって、と全部他人事のように言われてしまうと、そりゃ大学院と社会は上手く折り合っていけるわけがないな、と思ってしまいます。

大学教授の仕事か。それは「金策」だよ。もはや運営交付金は光熱費で消える。院生、学生の研究費用を賄う金が要るのさ。金が無くてもできる分野なら「研究」を1番にもできるだろうが。それで最近は捏造論文や再現不能論文が流行るのかもしれない。

>見返りとして現職の教員のクビをつないだ
済みませんが、この点は事実誤認です。当時助教授だったのでどういうつもりで重点化に突き進んだのかは判りませんが、重点化によってポストが増えたわけでもありませんし、学部学生の定員が減ったわけでもありません。従って、重点化せずに学部学生の定員に基礎をおいたままでも、重点化しても教員定員は同じです。
傍から見ていた印象では、当時の学部幹部が重点化に突っ走った理由は、京大医学部が先頭を切って重点化したので、それと横並びになりたかっただけではなかったでしょうか?重点化に伴う様々な雑用が我々に降ってきましたが、その時の説得理由は『重点化すれば文部省からの交付金が増える』というものでした。後で調べたら、全く根拠のないものでした。少なくとも三つくらいの大学で同じ理由付けが教員にむけて使われており、一種の都市伝説です。
済みませんが、この点は事実誤認です。当時助教授だったのでどういうつもりで重点化に突き進んだのかは判りませんが、重点化によってポストが増えたわけでもありませんし、学部学生の定員が減ったわけでもありません。従って、重点化せずに学部学生の定員に基礎をおいたままでも、重点化しても教員定員は同じです。
傍から見ていた印象では、当時の学部幹部が重点化に突っ走った理由は、京大医学部が先頭を切って重点化したので、それと横並びになりたかっただけではなかったでしょうか?重点化に伴う様々な雑用が我々に降ってきましたが、その時の説得理由は『重点化すれば文部省からの交付金が増える』というものでした。後で調べたら、全く根拠のないものでした。少なくとも三つくらいの大学で同じ理由付けが教員にむけて使われており、一種の都市伝説です。

基本的にAさんの意見に同意です。
現在yahooで奨学金の削減が検討されていると書いてありましたが、
この原因を作ったのは修士、博士において就職率もしくは就職先を考慮しなかった大学(教授)に大変落ち度があるのでは?
こういうことが今後ますます起こって
結果として大学教育が先細りになるのでは?
もう、日本国として選考投資にならないことなら
かなりの大学、研究機関は廃止していいんじゃないですか?
現在yahooで奨学金の削減が検討されていると書いてありましたが、
この原因を作ったのは修士、博士において就職率もしくは就職先を考慮しなかった大学(教授)に大変落ち度があるのでは?
こういうことが今後ますます起こって
結果として大学教育が先細りになるのでは?
もう、日本国として選考投資にならないことなら
かなりの大学、研究機関は廃止していいんじゃないですか?

通りがかりさん、
>修士卒で就職していた場合よりも確実に儲かることを保証せよと仰るんですか?
いや、修士と同程度でかまわないでしょう。平均給与ですから、生涯賃金も含めて平均に収まるという意味なので、初任給で平均よこせという意味ではありません。
>好きな道ならキャベツの芯をかじってでも夢を追ってみたいという人が選ぶ世界です。
という、一部の好き者の夢なんかに人材養成を委ねたのではではダメだと思った為政者or文科省の役人が、政策として博士取得者を増やした結果が今の惨状なんですよ。
政策的に増やされた博士取得者に対して「長い夢を見ることができたのに目を覚ます段になっても夢の続きを現実に求めて嘆いているのが今のPD」と言うのは間違っていますよ。今のポスドク問題は元々、個人の夢なんかにまかせておけない、から出発しているわけですから。
>修士卒で就職していた場合よりも確実に儲かることを保証せよと仰るんですか?
いや、修士と同程度でかまわないでしょう。平均給与ですから、生涯賃金も含めて平均に収まるという意味なので、初任給で平均よこせという意味ではありません。
>好きな道ならキャベツの芯をかじってでも夢を追ってみたいという人が選ぶ世界です。
という、一部の好き者の夢なんかに人材養成を委ねたのではではダメだと思った為政者or文科省の役人が、政策として博士取得者を増やした結果が今の惨状なんですよ。
政策的に増やされた博士取得者に対して「長い夢を見ることができたのに目を覚ます段になっても夢の続きを現実に求めて嘆いているのが今のPD」と言うのは間違っていますよ。今のポスドク問題は元々、個人の夢なんかにまかせておけない、から出発しているわけですから。

日本中の大学が都市伝説に振り回されて大失態を犯したということでいいんですね?

都市伝説に振り回されたり、くだらない会議に延々と時間を費やしたり、学内政治で四苦八苦したり・・・。学部生の頃は、大学の教員って、もっと論理的で凛とした人々なんだろうと思っていましたよ。。。

>日本中の大学
かどうかは存じません。旧7大学の3大学で重点化すれば予算が増えるという情報が流されたということです。ほぼ同時期に同じガゼネタが流されたとすれば共通のウワサの出所があるのでしょう。大学をそちらに誘導したいという意図を持った人間が居たのかも知れません。もし、居たとすれば、大学側がコトバの真偽を疑う必要を感じないようなヒトだったのでしょう。
その先のことは判りません。
>くだらない会議
できるだけ止めたいですね、会議。ただ、法人化しなければ必要なかった会議(会社には必須な労働関係の会議などは大学には不要でした)が増えてきています。遺伝子改変動物の取扱い等も手続きが煩雑になってきています。事務方の処理能力を越えると、どんどんこちらに廻ってくるワケでして、誰かがやらなければ大学が廻らないとすれば、准教授や助教の皆さんに押し付けるのは気の毒だからヤムなく担当することになります。学内政治なんざ全く興味ありませんが、組織を運営するためには法律的に決まっていれば非論理的なお仕事でも誰かが担当しなければいけないというだけのお話です。
かどうかは存じません。旧7大学の3大学で重点化すれば予算が増えるという情報が流されたということです。ほぼ同時期に同じガゼネタが流されたとすれば共通のウワサの出所があるのでしょう。大学をそちらに誘導したいという意図を持った人間が居たのかも知れません。もし、居たとすれば、大学側がコトバの真偽を疑う必要を感じないようなヒトだったのでしょう。
その先のことは判りません。
>くだらない会議
できるだけ止めたいですね、会議。ただ、法人化しなければ必要なかった会議(会社には必須な労働関係の会議などは大学には不要でした)が増えてきています。遺伝子改変動物の取扱い等も手続きが煩雑になってきています。事務方の処理能力を越えると、どんどんこちらに廻ってくるワケでして、誰かがやらなければ大学が廻らないとすれば、准教授や助教の皆さんに押し付けるのは気の毒だからヤムなく担当することになります。学内政治なんざ全く興味ありませんが、組織を運営するためには法律的に決まっていれば非論理的なお仕事でも誰かが担当しなければいけないというだけのお話です。

都市伝説やガセネタと言われるような噂がはびこるひとつの理由は、文科省との折衝にもあります。私自身は行ったことはありませんが、研究科長や事務長の話では、文科省のキャリア官僚との話し合いでは「行間を読む」ことが必要だそうです。独特の言い回しや曖昧な言い方から真意を読み取る特殊な会話読解術が必要だとか。東大や京大の時計台には本省の意向を「通訳」できる立場と能力を兼ね備えた経理部長などがいるのかもしれませんが、その他の大学では手探りで本省の意向に沿う努力をしている一面があります。重点化の際の予算の噂は、その極端な例かもしれません。

> そのポスドクの方が企業就職を望んでいらっしゃるなら、
> 是非先生が積極的にお口添えしてください。
推薦書が必要なら書いています。。どんな人でも,共に働く仲間の幸福を願うわけで、推薦書で、職が有利になるなら安いものです。
なお、私は、大学教員ではありません。マル合の審査を受けて、院生を指導していますが、教育では予算も給料も貰っていません。。
> 是非先生が積極的にお口添えしてください。
推薦書が必要なら書いています。。どんな人でも,共に働く仲間の幸福を願うわけで、推薦書で、職が有利になるなら安いものです。
なお、私は、大学教員ではありません。マル合の審査を受けて、院生を指導していますが、教育では予算も給料も貰っていません。。

> この少なくとも社会に出て働いている会社員の方からのコメントが、
> 事実ではなく暴言と言えるのはどうしてでしょうか
この書き込み自体が暴言だと思わないのでしょうか?
会社員はそんなに偉いのですか?
大学院では,奨学金と予備校講師で,親の支援を一切受けずに生活しました。税金も収めていました。
会社員なら一人前で、院生やポスドクは,自立して生活していても、半人前とは,会社員の傲りです。
社会の役に立っているつもりのようですが、あなた個人の生活維持のために働くことが、どれほど世の中に貢献してるのですか?
会社の利益にどれだけ貢献しているのですか?
働いているといいますが,あなたは税金を幾ら納めて、社会貢献しているのでしょう?
逆にこう言われたらどうでしょう?年収は1000万円を超えているのか?なんだ越えてないのか?税金もロクに払ってないのね.社会貢献が足りないな。一人前の口をきくな。
(これは相当な暴言ですが、院生やポスドクを半人前と見なすあなたも,これと同じですよ。)
私は、大学院出の博士ですが、大学関係者ではありません。反発があるならreにどうぞ。。。
> 事実ではなく暴言と言えるのはどうしてでしょうか
この書き込み自体が暴言だと思わないのでしょうか?
会社員はそんなに偉いのですか?
大学院では,奨学金と予備校講師で,親の支援を一切受けずに生活しました。税金も収めていました。
会社員なら一人前で、院生やポスドクは,自立して生活していても、半人前とは,会社員の傲りです。
社会の役に立っているつもりのようですが、あなた個人の生活維持のために働くことが、どれほど世の中に貢献してるのですか?
会社の利益にどれだけ貢献しているのですか?
働いているといいますが,あなたは税金を幾ら納めて、社会貢献しているのでしょう?
逆にこう言われたらどうでしょう?年収は1000万円を超えているのか?なんだ越えてないのか?税金もロクに払ってないのね.社会貢献が足りないな。一人前の口をきくな。
(これは相当な暴言ですが、院生やポスドクを半人前と見なすあなたも,これと同じですよ。)
私は、大学院出の博士ですが、大学関係者ではありません。反発があるならreにどうぞ。。。

>>『無条件にポスドクを雇えるような言い回しは、事実に反する。』
> 確かにこれはその通りです。この大学院拡充の間、ポスドクや
> 院生を全く預かっていない教員の人は、今の博士あまりには
> 関わっているとは思えませんね。
院生は無条件で来るが、ポスドクは予算が取れなければ来ない。大学教員が、ポスドク使い放題とは、事実とは全く異なる。
また、院生の指導は、相当な負担で、院生を使い潰すというのも事実に反する。学位を取れずに大学院を辞めた元院生が言いそうな言い訳だと思う。(Aさんは、大学院をドロップアウトした院生の親だったりしてね。。)
> 一人前の研究者にすることが出来ないなら、それは人材の使い
> 捨てなのではないですか。
道ばたの石を幾ら磨いても宝石にはならない。誰もが、訓練次第で芸術家になれるわけではない。研究者も同じ。教授が悪いわけではない。
> 確かにこれはその通りです。この大学院拡充の間、ポスドクや
> 院生を全く預かっていない教員の人は、今の博士あまりには
> 関わっているとは思えませんね。
院生は無条件で来るが、ポスドクは予算が取れなければ来ない。大学教員が、ポスドク使い放題とは、事実とは全く異なる。
また、院生の指導は、相当な負担で、院生を使い潰すというのも事実に反する。学位を取れずに大学院を辞めた元院生が言いそうな言い訳だと思う。(Aさんは、大学院をドロップアウトした院生の親だったりしてね。。)
> 一人前の研究者にすることが出来ないなら、それは人材の使い
> 捨てなのではないですか。
道ばたの石を幾ら磨いても宝石にはならない。誰もが、訓練次第で芸術家になれるわけではない。研究者も同じ。教授が悪いわけではない。

>> D2さんへ
> 現在yahooで奨学金の削減が検討されていると書いてありましたが、
> この原因を作ったのは修士、博士において就職率もしくは就職先を
> 考慮しなかった大学(教授)に大変落ち度があるのでは?
大学の落ち度ではなく、今の院生は、奨学金を出すに値しないということだろう。責任転嫁をする前に、良く自分のことを見ましょう。
> 現在yahooで奨学金の削減が検討されていると書いてありましたが、
> この原因を作ったのは修士、博士において就職率もしくは就職先を
> 考慮しなかった大学(教授)に大変落ち度があるのでは?
大学の落ち度ではなく、今の院生は、奨学金を出すに値しないということだろう。責任転嫁をする前に、良く自分のことを見ましょう。

残念ながら、日本では一般的に何かの組織に半永久的に属していない(「定職に就いていない」)人間に、非常に冷淡です。その延長で、院生・PD=非社会人と見る風潮が強いように思います。
よく「学生はいいよなあ」と博士課程の学生(時にはPDにまで)に対してぼやく会社員の方がいますが、博士課程の学生やPDには「自分で研究成果を出さなければ次につながらない」というフリーで働く者としての厳しさがあります(中には教授におんぶにだっこで研究する人もいるようですが、それは論外です)。会社員にも会社員としての厳しさがあるでしょう。どちらが「立派な社会人」かどうかなんていうことは、実にくだらない議論です。
大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
よく「学生はいいよなあ」と博士課程の学生(時にはPDにまで)に対してぼやく会社員の方がいますが、博士課程の学生やPDには「自分で研究成果を出さなければ次につながらない」というフリーで働く者としての厳しさがあります(中には教授におんぶにだっこで研究する人もいるようですが、それは論外です)。会社員にも会社員としての厳しさがあるでしょう。どちらが「立派な社会人」かどうかなんていうことは、実にくだらない議論です。
大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。

>大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
PDはともかく博士課程の学生が「社会に出ている」とみなされるた
めには、原則的にすべての学生に授業料免除と生活費支給をする
必要があります。当然それに伴った責任を学生側も自覚する必要
があるし、怠けていたらクビになるという厳しい雰囲気が必要です。
借金したりアルバイトしながら半分お客さん気分で研究しているよ
うでは「学生はいいよなあ」というぼやきも当たらずとも遠からず。
東大が授業料免除したくらいで、生活費は出さないのか?と問
い詰めるどころか、東大がそんなことしたら自分の所の学生が取
られてしまうとかいう寝ぼけた批判が出てくる状況を見てると絶望
的ですが。
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
PDはともかく博士課程の学生が「社会に出ている」とみなされるた
めには、原則的にすべての学生に授業料免除と生活費支給をする
必要があります。当然それに伴った責任を学生側も自覚する必要
があるし、怠けていたらクビになるという厳しい雰囲気が必要です。
借金したりアルバイトしながら半分お客さん気分で研究しているよ
うでは「学生はいいよなあ」というぼやきも当たらずとも遠からず。
東大が授業料免除したくらいで、生活費は出さないのか?と問
い詰めるどころか、東大がそんなことしたら自分の所の学生が取
られてしまうとかいう寝ぼけた批判が出てくる状況を見てると絶望
的ですが。

申し訳ないが、当時の研究室は相当厳しい雰囲気でした。少なくとも、自分自身は、仕事(研究)で結果を出せないことが、一度でもあったら、辞めるつもりで続けていましたよ。
>借金したりアルバイトしながら半分お客さん気分で研究しているよ
>うでは「学生はいいよなあ」というぼやきも当たらずとも遠からず。
あなたの学生時代は,書き込みの通りだったのでしょう。そして多くの学生は書き込みの通りです。
しかし、本気で研究職を目指す、トップクラスの博士の院生は、そんな悠長な感じはありません。逆に、私のところに出入りしている会社員は、給料を貰っているのにプロ意識が足らず、
「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」
といいたくなります。院生からも駄目だと言われ、実害も出たので、会社員の上司に
「クビにするか、部署替えをしてくれ。」
と言いました。学生だから、会社員だから、というのではなく、人によると思いますよ。

プロ意識でも、研究でも、私の元に出入りしている会社員の過半数は、ポスドクや博士院生よりも、出来が悪いです。
「お前はこれで良く給料を貰えているな」
と言いたくなります。
その一方で、上場企業の研究開発の主力の人は、並の大学教授以上に出来る人が多いです。
この人達で企業の開発力が保たれているのだと思います。この1流のレベルをキープし、企業で開発を続けるのは、大学で生き残るのと、負けず劣らず厳しいと思います。
「お前はこれで良く給料を貰えているな」
と言いたくなります。
その一方で、上場企業の研究開発の主力の人は、並の大学教授以上に出来る人が多いです。
この人達で企業の開発力が保たれているのだと思います。この1流のレベルをキープし、企業で開発を続けるのは、大学で生き残るのと、負けず劣らず厳しいと思います。

>>re様
ですから「当たらずとも遠からず」。ですが、一般論として授業料を払って生活費を親から貰ったり借金したりバイトしながら研究する学生は社会からみたら所詮半人前です。経済的に自立した社会人とは周りからも認められません。
いいかげんに見えるサラリーマンもそのいいかげんな労働の対価として受け取る給料で生活しているわけで、会社がその価値が無いと思ったらクビなわけです。REさんが何でクビにしないかと思っても、そんな彼等を自腹を切って雇っている会社はそれなりの価値を見出しているのでしょう。今の日本の大学院にとって基本的に院生は無料の労働力である(自腹を切らない)と同時に、授業料を頂いて教育サービスを提供しているお客様なので、ちょっとダメだからといってクビにするわけにはなかなか行かないでしょう。
ですから「当たらずとも遠からず」。ですが、一般論として授業料を払って生活費を親から貰ったり借金したりバイトしながら研究する学生は社会からみたら所詮半人前です。経済的に自立した社会人とは周りからも認められません。
いいかげんに見えるサラリーマンもそのいいかげんな労働の対価として受け取る給料で生活しているわけで、会社がその価値が無いと思ったらクビなわけです。REさんが何でクビにしないかと思っても、そんな彼等を自腹を切って雇っている会社はそれなりの価値を見出しているのでしょう。今の日本の大学院にとって基本的に院生は無料の労働力である(自腹を切らない)と同時に、授業料を頂いて教育サービスを提供しているお客様なので、ちょっとダメだからといってクビにするわけにはなかなか行かないでしょう。

私の場合、博士をとった後会社に就職したのですが、はっきり言って大学院時代のほうがずっと厳しかったと感じました。職場はアットホームな雰囲気だし、土日休まないといけないし(休めるではなく)、なんせお金をもらえる。
本当に厳しい研究室は少ないかもしれませんがそういう例もあるのですよ。大学院生は遊んでいるというイメージは必ずしも事実に基づいていません。
ご存知のはずですが、日本の会社は社員の能力がないという理由で簡単に首を切ることはありません。会社でもほとんど役に立っていない人もかなり見ました。定年前のひとだけではなく中堅ぐらいの年齢でもいましたよ。価値を見出しているからクビにしないわけではありません。役に立たない人がいてもそれ以上に働く人に安心感を与えるほうが得だと考えるシステムなのです。
本当に厳しい研究室は少ないかもしれませんがそういう例もあるのですよ。大学院生は遊んでいるというイメージは必ずしも事実に基づいていません。
ご存知のはずですが、日本の会社は社員の能力がないという理由で簡単に首を切ることはありません。会社でもほとんど役に立っていない人もかなり見ました。定年前のひとだけではなく中堅ぐらいの年齢でもいましたよ。価値を見出しているからクビにしないわけではありません。役に立たない人がいてもそれ以上に働く人に安心感を与えるほうが得だと考えるシステムなのです。

>reさん
reさんの個人的怨恨はわかりましたが、学振のように「そのポジションにいることで生活してゆくのに十分なお金を給付されている」というのでない限りは、「博士課程の学生」としては一人前の社会人とみなされないと思いますよ。PDは社会人だと思いますけど。
会社員については、どのくらい質が悪かろうとも、会社にとって1人分の人足たるから雇っているわけでしょう。会社はほとんどの社員が平凡な人足たれば業務は足り、それで足りないところがあれば、平凡だと思って採用したのにうっかり出来が良かった社員をたまに見つけて上に引き上げていけばいいわけですから、1人1人がピン芸人たらないとならない研究職とはそもそも役割が違います。企業からすれば、「博士号を取ってきましたから技術力はあります」というのは、「NSC(吉本総合芸能学院)で喋りを鍛えてきましたから敏腕営業になれます」と同じぐらい、分散(リスク)が大きく見えるのではないかと思います。
ところで、一番の問題は質の悪い博士課程の学生?
大量生産される質が悪いOD?
質が良いのにテニュアポジションに就けないPD?
それなりの能力の高齢PD?
reさんの個人的怨恨はわかりましたが、学振のように「そのポジションにいることで生活してゆくのに十分なお金を給付されている」というのでない限りは、「博士課程の学生」としては一人前の社会人とみなされないと思いますよ。PDは社会人だと思いますけど。
会社員については、どのくらい質が悪かろうとも、会社にとって1人分の人足たるから雇っているわけでしょう。会社はほとんどの社員が平凡な人足たれば業務は足り、それで足りないところがあれば、平凡だと思って採用したのにうっかり出来が良かった社員をたまに見つけて上に引き上げていけばいいわけですから、1人1人がピン芸人たらないとならない研究職とはそもそも役割が違います。企業からすれば、「博士号を取ってきましたから技術力はあります」というのは、「NSC(吉本総合芸能学院)で喋りを鍛えてきましたから敏腕営業になれます」と同じぐらい、分散(リスク)が大きく見えるのではないかと思います。
ところで、一番の問題は質の悪い博士課程の学生?
大量生産される質が悪いOD?
質が良いのにテニュアポジションに就けないPD?
それなりの能力の高齢PD?

>大学院生は遊んでいるというイメージは必ずしも事実に基づいていません。
遊んでいるとはいいませんが、甘いと思います。というか本気で研究に100%力を注ぎ貢献しているなら、20台半ばになってタダ働きなんてバカなことをやってられる訳はなく、どこかに自分は修行中の学生なんだという気持ちが残るはずです。そうでなければ余程のお人よしかマゾ的な性格の持ち主だと言わざるを得ません。
会社に関しては「役に立たない人がいてもそれ以上に働く人に安心感を与えるほうが得だと考えるシステム」のために雇われているダメ社員も含めてそういう役割を果たしているわけですから別にいいんじゃないですか?会社がそのコストを納得して負担してるわけですから。私は自分の研究費から給料を支払っている大学院生が指導しても使えなかったら、研究室の雰囲気が一時的に多少悪化するとしても解雇します。クビにするしないは雇用者側の判断の問題ですが、そもそも雇用関係が成り立たないモラトリアム院生には適用できません。
遊んでいるとはいいませんが、甘いと思います。というか本気で研究に100%力を注ぎ貢献しているなら、20台半ばになってタダ働きなんてバカなことをやってられる訳はなく、どこかに自分は修行中の学生なんだという気持ちが残るはずです。そうでなければ余程のお人よしかマゾ的な性格の持ち主だと言わざるを得ません。
会社に関しては「役に立たない人がいてもそれ以上に働く人に安心感を与えるほうが得だと考えるシステム」のために雇われているダメ社員も含めてそういう役割を果たしているわけですから別にいいんじゃないですか?会社がそのコストを納得して負担してるわけですから。私は自分の研究費から給料を支払っている大学院生が指導しても使えなかったら、研究室の雰囲気が一時的に多少悪化するとしても解雇します。クビにするしないは雇用者側の判断の問題ですが、そもそも雇用関係が成り立たないモラトリアム院生には適用できません。

>一般論として授業料を払って生活費を親から貰ったり借金したりバイトしながら研究する学生は社会からみたら所詮半人前です。経済的に自立した社会人とは周りからも認められません。
>遊んでいるとはいいませんが、甘いと思います。というか本気で研究に100%力を注ぎ貢献しているなら、20台半ばになってタダ働きなんてバカなことをやってられる訳はなく、
おっしゃる通り、「授業料払っている・借金(奨学金含め)もっている・バイトしている=半人前」とする見方は日本社会では「一般的」なようです。私は、そこに日本社会における大学院生の地位の低さ、ひいては専門家軽視という病理的現象を見ます。
当り前のことですが、大学院生(特に博士課程の学生)は単にお勉強をしている学生とは違うのです。専門家になるために訓練をうけている者なのです。研究することで社会に参加している「社会人」なのです。企業・官庁における正規職員のみを「社会人」とみなす日本社会の傾向は、まさに病的です。
>遊んでいるとはいいませんが、甘いと思います。というか本気で研究に100%力を注ぎ貢献しているなら、20台半ばになってタダ働きなんてバカなことをやってられる訳はなく、
おっしゃる通り、「授業料払っている・借金(奨学金含め)もっている・バイトしている=半人前」とする見方は日本社会では「一般的」なようです。私は、そこに日本社会における大学院生の地位の低さ、ひいては専門家軽視という病理的現象を見ます。
当り前のことですが、大学院生(特に博士課程の学生)は単にお勉強をしている学生とは違うのです。専門家になるために訓練をうけている者なのです。研究することで社会に参加している「社会人」なのです。企業・官庁における正規職員のみを「社会人」とみなす日本社会の傾向は、まさに病的です。

「バイトしてでもただ働きしてでも訓練を受けたい」と思って頑張っている大学院生が(社会保障費などきちんと払っているにもかかわらず)、「甘い」「半人前」と言われている世の中が健全とは思えません。院生だって「ただ働きしたい」と思ってやっているのではないでしょう。
また、残念ながら、このような世間の大学院生に対する偏見は、学術振興会の研究員にも向けられることが少なくありません。ありがたいことに、私自身、学振研究員となったことがあります。次につながるように成果を挙げなければならなかったので懸命に研究に力を注ぎましたが、それでも、「社会人としては半人前」と侮辱的な扱いを受けました。大学院生や非常勤雇用の研究者をその程度にしか見ることのできない日本社会の世間常識が情けないと思います。
また、残念ながら、このような世間の大学院生に対する偏見は、学術振興会の研究員にも向けられることが少なくありません。ありがたいことに、私自身、学振研究員となったことがあります。次につながるように成果を挙げなければならなかったので懸命に研究に力を注ぎましたが、それでも、「社会人としては半人前」と侮辱的な扱いを受けました。大学院生や非常勤雇用の研究者をその程度にしか見ることのできない日本社会の世間常識が情けないと思います。

社会学・心理学にはラベリング理論というものがあります。ありていに言えば、人は周りから扱われたような人間になる、という説です。私は、個人的には、大学院生の数を現状より減らしたうえで、北米のように奨学金(貸与ではなく給与)・研究助成費を院生に与えて、「社会人」としての待遇をすべきと考えています。いつまでも「モラトリアム院生」などと世間に言われるような待遇で院生を扱っていてはいけません。

私も
>北米のように奨学金(貸与ではなく給与)・研究助成費を院生に与
>えて、「社会人」としての待遇をすべきと考えています」
に同意します。(研究助成費は場合によりけりですが)
北米(とおそらくほとんどの先進国)の院生が原則給与を貰いながら研究しているという現状はまさに、タダ働きどころかご丁寧に授業料まで収めている日本の大学院生のような存在がそもそも認められていない、という事実の裏返しではないでしょうか?
>「バイトしてでもただ働きしてでも訓練を受けたい」と思って頑張って
>いる大学院生が(社会保障費などきちんと払っているにもかかわら
>ず)、「甘い」「半人前」と言われている世の中が健全とは思えませ
>ん。
こういう前近代的な無償労働を評価するような世の中のほうが不健全です。最先端の研究に従事する20台半ばから後半の若者を訓練と称してタダ働きさせたい雇用者側と、そんな年になりながら自らを安売りしながら学生という立場に甘える多数のモラトリアム院生の両方に責任があると思います。
>北米のように奨学金(貸与ではなく給与)・研究助成費を院生に与
>えて、「社会人」としての待遇をすべきと考えています」
に同意します。(研究助成費は場合によりけりですが)
北米(とおそらくほとんどの先進国)の院生が原則給与を貰いながら研究しているという現状はまさに、タダ働きどころかご丁寧に授業料まで収めている日本の大学院生のような存在がそもそも認められていない、という事実の裏返しではないでしょうか?
>「バイトしてでもただ働きしてでも訓練を受けたい」と思って頑張って
>いる大学院生が(社会保障費などきちんと払っているにもかかわら
>ず)、「甘い」「半人前」と言われている世の中が健全とは思えませ
>ん。
こういう前近代的な無償労働を評価するような世の中のほうが不健全です。最先端の研究に従事する20台半ばから後半の若者を訓練と称してタダ働きさせたい雇用者側と、そんな年になりながら自らを安売りしながら学生という立場に甘える多数のモラトリアム院生の両方に責任があると思います。

貸与するお金を奨学金と称するのがグローバルスタンダードに反することは大学にいる人間がほとんど知っていることですし、文部省サイドでも認識しているようですが、給与する当たり前の奨学金制度にしようという提案は政治家に見向きもされないと聞いています。
個人の努力として研究室の大学院生に謝金を支払うことはできますが、個人では限界がありますし、基本的には奨学金制度を変えることが必要でしょう。
個人の努力として研究室の大学院生に謝金を支払うことはできますが、個人では限界がありますし、基本的には奨学金制度を変えることが必要でしょう。

>こういう前近代的な無償労働を評価するような世の中のほうが不健全です。
この点に関しては、私もTaiyoさんと同意見です。しかし、現状のシステムの批判・改革よりも、そのシステムの中で(=悪環境の中で)専門教育を受けんとしている院生個々人の非難をするTaiyoさんの考えには、首をかしげてしまいます。
私が「『バイトしてでもただ働きしてでも訓練を受けたい』と思って頑張っている大学院生が(社会保障費などきちんと払っているにもかかわらず)、「甘い」「半人前」と言われている世の中が健全とは思えません」と書いたのは、現状のシステムを肯定しているのではありません(きちんとレス全体の主旨を読んでいただければわかると思いますが)。
「院生をタダ働きさせる」現状のシステム自体を批判し改革しようとすることなく、あらゆるタイプの院生を十把一からげに「モラトリアム院生」呼ばわりする日本の「世間の常識」とやらを嘆いているのです。
この点に関しては、私もTaiyoさんと同意見です。しかし、現状のシステムの批判・改革よりも、そのシステムの中で(=悪環境の中で)専門教育を受けんとしている院生個々人の非難をするTaiyoさんの考えには、首をかしげてしまいます。
私が「『バイトしてでもただ働きしてでも訓練を受けたい』と思って頑張っている大学院生が(社会保障費などきちんと払っているにもかかわらず)、「甘い」「半人前」と言われている世の中が健全とは思えません」と書いたのは、現状のシステムを肯定しているのではありません(きちんとレス全体の主旨を読んでいただければわかると思いますが)。
「院生をタダ働きさせる」現状のシステム自体を批判し改革しようとすることなく、あらゆるタイプの院生を十把一からげに「モラトリアム院生」呼ばわりする日本の「世間の常識」とやらを嘆いているのです。

>そんな年になりながら自らを安売りしながら学生という立場に甘える多数のモラトリアム院生
とTaiyoさんはおっしゃいますが、では、企業ではなかなか鍛えることのできない研究(たとえば基礎研究)を志している者は、一体、どこに行けばよいのでしょうか? 今のところ、大学院および関連研究所しか無いでしょう。となると、基礎研究を目指す者は、好むと好まざるとにかかわらず「自ら安売り」してでも大学院に行って訓練を受けようと決断することになります。世の中には、経済的条件よりも研究条件を優先する人間もいるのです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘える多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方は、正直、理解できません。
とTaiyoさんはおっしゃいますが、では、企業ではなかなか鍛えることのできない研究(たとえば基礎研究)を志している者は、一体、どこに行けばよいのでしょうか? 今のところ、大学院および関連研究所しか無いでしょう。となると、基礎研究を目指す者は、好むと好まざるとにかかわらず「自ら安売り」してでも大学院に行って訓練を受けようと決断することになります。世の中には、経済的条件よりも研究条件を優先する人間もいるのです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘える多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方は、正直、理解できません。


>とTaiyoさんはおっしゃいますが、では、企業ではなかなか鍛
>えることのできない研究(たとえば基礎研究)を志している者は
>、一体、どこに行けばよいのでしょうか?
Mさんに先を越されましたが、欧米の大学院に行くか学振を取り、経済的に自立して100%研究に打ち込める環境を得ることです。
>今のところ、大学院および関連研究所しか無いでしょう。となる
>と、基礎研究を目指す者は、好むと好まざるとにかかわらず「自
>ら安売り」してでも大学院に行って訓練を受けようと決断するこ
>とになります。
労働力をタダ売りどころか授業料を貢いでくれる売り手がいるから、世界的にみて異常な博士課程学生労働市場が成立するのではないでしょうか?世界最高の研究環境とも言えるアメリカの大学院ですら、授業料と給料無しだったらロクな学生が集まらないのに、なぜ日本の地方大学に無給で博士課程に入学する若者がいるのか不思議です。
>えることのできない研究(たとえば基礎研究)を志している者は
>、一体、どこに行けばよいのでしょうか?
Mさんに先を越されましたが、欧米の大学院に行くか学振を取り、経済的に自立して100%研究に打ち込める環境を得ることです。
>今のところ、大学院および関連研究所しか無いでしょう。となる
>と、基礎研究を目指す者は、好むと好まざるとにかかわらず「自
>ら安売り」してでも大学院に行って訓練を受けようと決断するこ
>とになります。
労働力をタダ売りどころか授業料を貢いでくれる売り手がいるから、世界的にみて異常な博士課程学生労働市場が成立するのではないでしょうか?世界最高の研究環境とも言えるアメリカの大学院ですら、授業料と給料無しだったらロクな学生が集まらないのに、なぜ日本の地方大学に無給で博士課程に入学する若者がいるのか不思議です。

>世の中には、経済的条件よりも研究条件を優先する人間もいる
>のです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘え
>る多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方
>は、正直、理解できません。
研究条件を優先したら、アルバイトしながら学位とろうなんて思いますか?兼業しながら学位とろうなんていう考え自体がそもそも研究を甘く見ていると思います。海外にも行けず、学振も取れず、というのであれば、いったん社会に出て経験を積み数年後に再挑戦するというのが筋だと思います。
>のです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘え
>る多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方
>は、正直、理解できません。
研究条件を優先したら、アルバイトしながら学位とろうなんて思いますか?兼業しながら学位とろうなんていう考え自体がそもそも研究を甘く見ていると思います。海外にも行けず、学振も取れず、というのであれば、いったん社会に出て経験を積み数年後に再挑戦するというのが筋だと思います。
どこかに「大学教員養成費用は大学が出すべきである」という意見があったような気がするんですが、どこでしたっけ?
大学院が大学教員養成のためにあるんなら、そもそも学費を払わせるどころか、院生を大学職員として遇するべきでしょう。
大学院が大学教員養成のためにあるんなら、そもそも学費を払わせるどころか、院生を大学職員として遇するべきでしょう。

>世の中には、経済的条件よりも研究条件を優先する人間もいる
>のです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘え
>る多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方
>は、正直、理解できません。
私は日本は、そういう自称「苦学生」タイプにむしろ非常に甘い社会だと思います。これほど大量の20台半ばから後半の若者が無給で学生をやってる国が他にどこにあるでしょうか?普通の先進国では18過ぎたら親元離れ、学部は借金で卒業して社会に出るわけです。将来の収入が比較的恵まれた医学部やロースクールなどの専門職大学院に進むのでなければ、20台半ばの若者にはさらに借金する余裕も切る腹もありません。それが出来てしまうのが日本の甘いところであり、モラトリアム院生を大量生産した原因のひとつだと思います。
>のです。私はそのような真摯な院生をも「学生という立場に甘え
>る多数のモラトリアム院生」と言ってしまうTaiyoさんの考え方
>は、正直、理解できません。
私は日本は、そういう自称「苦学生」タイプにむしろ非常に甘い社会だと思います。これほど大量の20台半ばから後半の若者が無給で学生をやってる国が他にどこにあるでしょうか?普通の先進国では18過ぎたら親元離れ、学部は借金で卒業して社会に出るわけです。将来の収入が比較的恵まれた医学部やロースクールなどの専門職大学院に進むのでなければ、20台半ばの若者にはさらに借金する余裕も切る腹もありません。それが出来てしまうのが日本の甘いところであり、モラトリアム院生を大量生産した原因のひとつだと思います。

>兼業しながら学位とろうなんていう考え自体がそもそも研究を甘く見ていると思います。海外にも行けず、学振も取れず、というのであれば、いったん社会に出て経験を積み数年後に再挑戦するというのが筋だと思います。
Taiyoさんは学振の制度をあまりよくご存知ではないようですね? 卒業の二年前から就職活動を初めなければならない現行の制度では、学振の採用結果を待ってから就職活動を始めることができない(それでは遅すぎる)のです。北米なみにどのくらいの経済的援助が大学を含めた公的機関から見込めるかを入学・進学時点で示すようにする、もしくは、就職活動の時期をもっと柔軟にし、かつ、中途採用も増やす必要があると思います。また、大学側も、企業と連携をとりつつ、stonaichiさんが最近提案されたように、社会人の大学院入学を積極的に推進する必要があるでしょう。
Taiyoさんは学振の制度をあまりよくご存知ではないようですね? 卒業の二年前から就職活動を初めなければならない現行の制度では、学振の採用結果を待ってから就職活動を始めることができない(それでは遅すぎる)のです。北米なみにどのくらいの経済的援助が大学を含めた公的機関から見込めるかを入学・進学時点で示すようにする、もしくは、就職活動の時期をもっと柔軟にし、かつ、中途採用も増やす必要があると思います。また、大学側も、企業と連携をとりつつ、stonaichiさんが最近提案されたように、社会人の大学院入学を積極的に推進する必要があるでしょう。

>私は日本は、そういう自称「苦学生」タイプにむしろ非常に甘い社会だと思います。普通の先進国では18過ぎたら親元離れ、学部は借金で卒業して社会に出るわけです。
ええ。ですから、普通の先進国並みに院生の待遇を変えるべきだと再三申上げているのです。
私も日本の若者は親元を離れ早くから自立すべきと思います。しかしながら、都市であれば(そして大学院のある大抵の大学はそこそこの都市にあります)家賃が高く、奨学金(貸与・給与とも含め)制度も充実しておらず、生き方の多様性に対し制限的な慣習が多い(たとえば「雇用にあたって新卒を重視する」「経歴の穴にうるさい」など)日本の社会で、学生だけに自立を求めるのは酷というものです。学生個々人が現状をきちんと認識し「モラトリアム院生」にならないように気をつける必要もありますが、それと同時に、制度を少しずつかえていかねばなりません。
ええ。ですから、普通の先進国並みに院生の待遇を変えるべきだと再三申上げているのです。
私も日本の若者は親元を離れ早くから自立すべきと思います。しかしながら、都市であれば(そして大学院のある大抵の大学はそこそこの都市にあります)家賃が高く、奨学金(貸与・給与とも含め)制度も充実しておらず、生き方の多様性に対し制限的な慣習が多い(たとえば「雇用にあたって新卒を重視する」「経歴の穴にうるさい」など)日本の社会で、学生だけに自立を求めるのは酷というものです。学生個々人が現状をきちんと認識し「モラトリアム院生」にならないように気をつける必要もありますが、それと同時に、制度を少しずつかえていかねばなりません。

ところで、「モラトリアム院生」という言葉や類似表現をよく最近目にしますが、一体、どれだけ実情を反映しているのでしょうかね? PDや院生自身が自己反省的に「もっと将来について考えておけばよかった」と自分に厳しいコメントをしているのなら分かりますが、どちらかと言うと、昨今のマスコミでのPD問題の取り上げられ方によってさらに広まった院生に対する先入観のような気がします。なぜなら、私の周囲にはそのような学生はいなかったからです。
海外にも行き、学振も取った私からの意見です。
海外にも行き、学振も取った私からの意見です。

私も、海外PDさんや研究人さんと同様の考えです。
私は、現在、会社員も使っていますが、博士院生よりも、ずっと無能な人が多いです。外資ならクビになる奴が普通に働いています。こんな人に給料を払うなんて無駄と思う人も多いです。
一方で、苦労して、自分で稼ぎながら勉強し、親から一銭の仕送りも貰っていなくても、院生やPDという肩書きで判断し、半人前扱いするのはおかしいです。
私は、日米両方で働きました。また欧州の大学からも講義に呼ばれたこともあります。日本以外の国で、こんな扱いはありませんでした。
頑張っている学生に一番キツイのは日本です。米国でも、欧州でも、努力をしている人、勉強している人を、あざ笑う人は極めて少なかったです。日本は、かなり嫌な国民性だと思います。
私は、現在、会社員も使っていますが、博士院生よりも、ずっと無能な人が多いです。外資ならクビになる奴が普通に働いています。こんな人に給料を払うなんて無駄と思う人も多いです。
一方で、苦労して、自分で稼ぎながら勉強し、親から一銭の仕送りも貰っていなくても、院生やPDという肩書きで判断し、半人前扱いするのはおかしいです。
私は、日米両方で働きました。また欧州の大学からも講義に呼ばれたこともあります。日本以外の国で、こんな扱いはありませんでした。
頑張っている学生に一番キツイのは日本です。米国でも、欧州でも、努力をしている人、勉強している人を、あざ笑う人は極めて少なかったです。日本は、かなり嫌な国民性だと思います。

院生への経済援助ですが、院生が給料を貰えるかは、国により異なります。デンマーク人やチェコ人は、大学の奨学金は日本と同じローンだったといいました。ヨーロッパでも、国によっては日本と同じ制度のようです。
ちなみに、デンマークやチェコでは院生が、半人前扱いされることも、博士やPDが社会の落ちこぼれと見なされることも、無いそうです。
院生が半人前扱いされるのは、日本の特殊事情です。
ちなみに、デンマークやチェコでは院生が、半人前扱いされることも、博士やPDが社会の落ちこぼれと見なされることも、無いそうです。
院生が半人前扱いされるのは、日本の特殊事情です。

>Taiyoさんは学振の制度をあまりよくご存知ではないようですね?
>卒業の二年前から就職活動を初めなければならない現行の制度
>では、学振の採用結果を待ってから就職活動を始めることができ
>ない(それでは遅すぎる)のです。
私は学振DCに応募して落ちた経験もありますし、別のカテゴリで採用された経験もあります。就職活動うんぬんは甘いといわざるを得ません。海外の大学院への応募は平行してできますし、なにもなければそれこそ実験補助やアルバイトで食いつなげば良いわけで、学振に落ちました、だけど行くとこないので勉強させてください、という選択肢があること自体が甘いと思うのです。そういう選択肢がなければ学生も最初から進学するかどうか相当考えるでしょうし、落ちた場合の対策を考えるでしょう。
はっきり言えば、日本の大学院は学振もしくは相当の給付奨学金を受給する学生か、研究費や大学から同額の給与を受給する学生以外受け入れるべきではないと思います。これは雇用側の大学院側が努力すべことで、さらに売り手側も自分の労働力を安売りしないという意識改革が必要です。
>卒業の二年前から就職活動を初めなければならない現行の制度
>では、学振の採用結果を待ってから就職活動を始めることができ
>ない(それでは遅すぎる)のです。
私は学振DCに応募して落ちた経験もありますし、別のカテゴリで採用された経験もあります。就職活動うんぬんは甘いといわざるを得ません。海外の大学院への応募は平行してできますし、なにもなければそれこそ実験補助やアルバイトで食いつなげば良いわけで、学振に落ちました、だけど行くとこないので勉強させてください、という選択肢があること自体が甘いと思うのです。そういう選択肢がなければ学生も最初から進学するかどうか相当考えるでしょうし、落ちた場合の対策を考えるでしょう。
はっきり言えば、日本の大学院は学振もしくは相当の給付奨学金を受給する学生か、研究費や大学から同額の給与を受給する学生以外受け入れるべきではないと思います。これは雇用側の大学院側が努力すべことで、さらに売り手側も自分の労働力を安売りしないという意識改革が必要です。

>私は、現在、会社員も使っていますが、博士院生よりも、ずっと無能な
>人が多いです。外資ならクビになる奴が普通に働いています。こんな
>人に給料を払うなんて無駄と思う人も多いです。
ではREさんの有能な博士院生のみなさんはふさわしい給与を学振もしくは研究費から受けているのでしょうか?もしそうでしたら、私は彼らをモラトリアム院生とは呼びません。日本の博士院生はすべてそうあるべきだと思います。もしそうでないのなら、REさんも彼らを甘やかしているのと同時に無償労働力を享受している、共生関係です。学生を採る側も進学する側も甘えから脱する覚悟が必要です。会社員のお話は何度かすでに触れました。無能な会社員が金を貰ってるから、金を貰っていない院生を半人前扱いするのはおかしい、という論理は意味不明です。その院生が有能ならなぜタダ働きさせるのか、そっちのほうが問題ではないですか?
>人が多いです。外資ならクビになる奴が普通に働いています。こんな
>人に給料を払うなんて無駄と思う人も多いです。
ではREさんの有能な博士院生のみなさんはふさわしい給与を学振もしくは研究費から受けているのでしょうか?もしそうでしたら、私は彼らをモラトリアム院生とは呼びません。日本の博士院生はすべてそうあるべきだと思います。もしそうでないのなら、REさんも彼らを甘やかしているのと同時に無償労働力を享受している、共生関係です。学生を採る側も進学する側も甘えから脱する覚悟が必要です。会社員のお話は何度かすでに触れました。無能な会社員が金を貰ってるから、金を貰っていない院生を半人前扱いするのはおかしい、という論理は意味不明です。その院生が有能ならなぜタダ働きさせるのか、そっちのほうが問題ではないですか?

>はっきり言えば、日本の大学院は学振もしくは相当の給付奨学金を受給する学生か、研究費や大学から同額の給与を受給する学生以外受け入れるべきではないと思います。これは雇用側の大学院側が努力すべことで、さらに売り手側も自分の労働力を安売りしないという意識改革が必要です。
うーん。最終的には、私もTaiyoさんもだいたい同じことを提案しているんですよ。。。ただ、違うのは、Taiyoさんは現状制度の不備を学生側の責任が大きいととらえ、私は学生側の意識改革も必要だが何よりも制度そのものを変更しないわけにはいかないという意見だという点です。と言うのも、いくら学生が「自分の労働力を安売りしない」と思っていたとしても、安売りしないための行動というのは、Taiyoさんも書かれているように「とりあえず企業に就職する」「日本の大学に見切りをつけて海外へ行く」くらいなものになってしまいます。すると、結局は現状維持になってしまい、(厳選された人数の)基礎研究者の育成や多様なキャリア・パスの実現が可能な社会に少しずつ変えていくということができなくなってしまいます。
うーん。最終的には、私もTaiyoさんもだいたい同じことを提案しているんですよ。。。ただ、違うのは、Taiyoさんは現状制度の不備を学生側の責任が大きいととらえ、私は学生側の意識改革も必要だが何よりも制度そのものを変更しないわけにはいかないという意見だという点です。と言うのも、いくら学生が「自分の労働力を安売りしない」と思っていたとしても、安売りしないための行動というのは、Taiyoさんも書かれているように「とりあえず企業に就職する」「日本の大学に見切りをつけて海外へ行く」くらいなものになってしまいます。すると、結局は現状維持になってしまい、(厳選された人数の)基礎研究者の育成や多様なキャリア・パスの実現が可能な社会に少しずつ変えていくということができなくなってしまいます。

>院生が半人前扱いされるのは、日本の特殊事情です。
reさん、私も同様の感想を抱いています。院生の経済事情は各国で事情が異なりますが、これほどまでに院生やPDが侮辱的な扱いを受けているのは日本くらいのものでしょう。他の先進国の多くは、目標を持って
専門知識・技能を学んでいる人間に対しては、それなりの敬意をもって接しています。「もっとお金になる道を選べばよかったのにねえ」などと院生・PD同士が内輪で冗談っぽく言うことはあっても、自分たちのやっていることにそれなりに皆誇りを持っていますし、「半人前」呼ばわりされることもありません。
reさん、私も同様の感想を抱いています。院生の経済事情は各国で事情が異なりますが、これほどまでに院生やPDが侮辱的な扱いを受けているのは日本くらいのものでしょう。他の先進国の多くは、目標を持って
専門知識・技能を学んでいる人間に対しては、それなりの敬意をもって接しています。「もっとお金になる道を選べばよかったのにねえ」などと院生・PD同士が内輪で冗談っぽく言うことはあっても、自分たちのやっていることにそれなりに皆誇りを持っていますし、「半人前」呼ばわりされることもありません。

taiyoさん
> ではREさんの有能な博士院生のみなさんはふさわしい給与を
> 学振もしくは研究費から受けているのでしょうか?
私は出していません。逆に、私はマル合を取っていますが、大学教員ではありません。院生の指導で給料も研究費も得ていません。無償で院生の指導をしています。純粋に労働力としてみるなら、私には院生ではなくPDを雇います。後進を育てたいと思いボランティアで院生の指導をしています。
給料を得ているか、得ていないかで判断するのは、おかしいと申しています。逆に、私の無償の指導はどうなるのでしょうね。無償でも、大学教授以上に綿密に指導していますよ。
院生の生活費も、学振で得るか、予備校のバイトで得るか,奨学金で捻出するかは、本人が納得しているなら、大きなお世話で、親や人の世話にならず、自立していることに変わりないと思います。大切なのは研究で成果を上げることです。
> ではREさんの有能な博士院生のみなさんはふさわしい給与を
> 学振もしくは研究費から受けているのでしょうか?
私は出していません。逆に、私はマル合を取っていますが、大学教員ではありません。院生の指導で給料も研究費も得ていません。無償で院生の指導をしています。純粋に労働力としてみるなら、私には院生ではなくPDを雇います。後進を育てたいと思いボランティアで院生の指導をしています。
給料を得ているか、得ていないかで判断するのは、おかしいと申しています。逆に、私の無償の指導はどうなるのでしょうね。無償でも、大学教授以上に綿密に指導していますよ。
院生の生活費も、学振で得るか、予備校のバイトで得るか,奨学金で捻出するかは、本人が納得しているなら、大きなお世話で、親や人の世話にならず、自立していることに変わりないと思います。大切なのは研究で成果を上げることです。

学振の採否は、本人の能力だけでなく、研究室のボスの力関係も加味されて決まります。無能でも、有力なボスなら貰えたりします。学振を貰っても、充分な成果を出せず、学会に残れず、消える奴はかなり多いです。むしろ,こちらの方が問題だと思います。アカポスに残れない奴は,学振の給料を国に返せと言いたいです。

研究人さん
> これほどまでに院生やPDが侮辱的な扱いを受けているのは
> 日本くらいのものでしょう。
私も同意見です。
> 他の先進国の多くは、目標を持って専門知識・技能を学んでいる
> 人間に対しては、それなりの敬意をもって接しています。
その通りです。米国やドイツで、日本は博士を取ると逆に就職がないと言っても信じては貰えません。それくらい日本の状況は異常です。
> これほどまでに院生やPDが侮辱的な扱いを受けているのは
> 日本くらいのものでしょう。
私も同意見です。
> 他の先進国の多くは、目標を持って専門知識・技能を学んでいる
> 人間に対しては、それなりの敬意をもって接しています。
その通りです。米国やドイツで、日本は博士を取ると逆に就職がないと言っても信じては貰えません。それくらい日本の状況は異常です。

>私は出していません。逆に、私はマル合を取っていますが、大学教
>員ではありません。院生の指導で給料も研究費も得ていません。無
>償で院生の指導をしています。純粋に労働力としてみるなら、私には
>院生ではなくPDを雇います。後進を育てたいと思いボランティアで院
>生の指導をしています。
本業の研究でお給料を貰っているわけですからボランティアとまでは言えないと思います。むしろ無給で有能な学生さんたちを使って成果を出していらっしゃるのですから恩恵を受けているように見受けられます。雇用者としてみた場合、多少指導が必要だが有能な学生をタダで使えるのなら、年間400-500万支払ってポスドク一人雇うよりおいしいでしょう。
>員ではありません。院生の指導で給料も研究費も得ていません。無
>償で院生の指導をしています。純粋に労働力としてみるなら、私には
>院生ではなくPDを雇います。後進を育てたいと思いボランティアで院
>生の指導をしています。
本業の研究でお給料を貰っているわけですからボランティアとまでは言えないと思います。むしろ無給で有能な学生さんたちを使って成果を出していらっしゃるのですから恩恵を受けているように見受けられます。雇用者としてみた場合、多少指導が必要だが有能な学生をタダで使えるのなら、年間400-500万支払ってポスドク一人雇うよりおいしいでしょう。

>給料を得ているか、得ていないかで判断するのは、おかしいと申して
>います。逆に、私の無償の指導はどうなるのでしょうね。無償でも、
>大学教授以上に綿密に指導していますよ。
(給料を貰っている)本務の外で無償で指導しているから、学生も霞を食って付いて来い、とおっしゃりたいのでしょうか?私が問題にしているのはそういうことではありません。
>院生の生活費も、学振で得るか、予備校のバイトで得るか,奨学金で
>捻出するかは、本人が納得しているなら、大きなお世話で、親や人の
>世話にならず、自立していることに変わりないと思います。大切なのは
>研究で成果を上げることです。
そういう甘い考えが成り立っている日本は、タダの労働力を得られる大学院側の人間にとってはやりやすいでしょうね。ですから、学生のほうも自分を安売りするな、と言いたいのです。
>います。逆に、私の無償の指導はどうなるのでしょうね。無償でも、
>大学教授以上に綿密に指導していますよ。
(給料を貰っている)本務の外で無償で指導しているから、学生も霞を食って付いて来い、とおっしゃりたいのでしょうか?私が問題にしているのはそういうことではありません。
>院生の生活費も、学振で得るか、予備校のバイトで得るか,奨学金で
>捻出するかは、本人が納得しているなら、大きなお世話で、親や人の
>世話にならず、自立していることに変わりないと思います。大切なのは
>研究で成果を上げることです。
そういう甘い考えが成り立っている日本は、タダの労働力を得られる大学院側の人間にとってはやりやすいでしょうね。ですから、学生のほうも自分を安売りするな、と言いたいのです。

>米国やドイツで、日本は博士を取ると逆に就職がないと言っても信
>じては貰えません。それくらい日本の状況は異常です。
それらの国で日本の20台後半の博士学生は大半が無給で授業料を払いながら学位を取っていると言っても信じてもらえません。お客様学生とトレーニング中とはいえプロフェッショナルとして扱われる学生の取る学位を、どう社会が見るかという違いであると私は思います。
>じては貰えません。それくらい日本の状況は異常です。
それらの国で日本の20台後半の博士学生は大半が無給で授業料を払いながら学位を取っていると言っても信じてもらえません。お客様学生とトレーニング中とはいえプロフェッショナルとして扱われる学生の取る学位を、どう社会が見るかという違いであると私は思います。

現状は、転換期ということなのだろうと思います。
つまり、以前は(基礎)研究は一部の人間がそれぞれ責任を持って独自の成果を挙げるべきもので、お金のことを云々言うよりも研究のみに専念しておればよいという了解が、社会一般にありました。莫大な研究費を獲得するところまでは行かずとも、そこそこ安定した資金(生活費・研究費)があったので、長期的視野にたって研究・教育にあたることができました。学生は、当時も貧乏だったでしょうが、(少なくとも大手の大学では)教授の手足となるよりも、試行錯誤しながら自分なりの実験をすすめることが推奨されていたように思います。また、多少の失敗や分野変えを許すだけの精神的余裕が世の中にありました。
しかし、研究者が少なく終身雇用ということが災いして、中には一度大学に職を得ると研究をしない、もしくは学生をこき使うという状況が生じました。そのような状況を打開するために、研究者の人数を増やし競争原理を取り入れ、もう少し学外と連携をとった研究を進めていこうというようなこと(他にもいろいろあると思いますが)を北米をモデルに行なおうとしたのが10-15年くらい前だったと記憶しています。
つまり、以前は(基礎)研究は一部の人間がそれぞれ責任を持って独自の成果を挙げるべきもので、お金のことを云々言うよりも研究のみに専念しておればよいという了解が、社会一般にありました。莫大な研究費を獲得するところまでは行かずとも、そこそこ安定した資金(生活費・研究費)があったので、長期的視野にたって研究・教育にあたることができました。学生は、当時も貧乏だったでしょうが、(少なくとも大手の大学では)教授の手足となるよりも、試行錯誤しながら自分なりの実験をすすめることが推奨されていたように思います。また、多少の失敗や分野変えを許すだけの精神的余裕が世の中にありました。
しかし、研究者が少なく終身雇用ということが災いして、中には一度大学に職を得ると研究をしない、もしくは学生をこき使うという状況が生じました。そのような状況を打開するために、研究者の人数を増やし競争原理を取り入れ、もう少し学外と連携をとった研究を進めていこうというようなこと(他にもいろいろあると思いますが)を北米をモデルに行なおうとしたのが10-15年くらい前だったと記憶しています。

しかし、現状は、両者の悪しき混合形になってしまっているのです。雇用体制の流動化が進まず専門職が増えない中で、競争原理だけが導入され、長期的展望にたった研究がやりにくくなってしまいました。短期間で成果を求められるからです。競争に勝抜くために学生をタダ働きさせる教員も以前より増えてきたように思います。学生に給与を与える制度が日本には導入されなかったからです。
しかし、中には、学生に自分の研究を半ば強制的に手伝わせるのではなく、学生自身の研究を傍らで指導するという良心的な教員もいらっしゃいます(reさんはそういう方のお一人のようです)。その場合は、タダ働きさせているという非難は適当ではありません。「大学はタダの労働力を得ようとしている。学生は自衛すべきだ」というTaiyoさんの意見も部分的にはもっともなのですが、それは良心的な教育を行なおうとしている教員には当てはまりません。
しかし、中には、学生に自分の研究を半ば強制的に手伝わせるのではなく、学生自身の研究を傍らで指導するという良心的な教員もいらっしゃいます(reさんはそういう方のお一人のようです)。その場合は、タダ働きさせているという非難は適当ではありません。「大学はタダの労働力を得ようとしている。学生は自衛すべきだ」というTaiyoさんの意見も部分的にはもっともなのですが、それは良心的な教育を行なおうとしている教員には当てはまりません。

では、どうしたらよいか?ということがここで延々と議論されてきているのです。Taiyoさんは、現状を批判しながらも学生の自己責任・自主努力を強調するばかりで、現状をどのように変えていったらよいのかという提案が少ないように思います。なかなか難しい問題ではありますが、もし何か他に案があれば、ぜひお聞かせ下さい。
(なお、「学生の取る学位を、どう社会が見るかという違いである」には、全く同意見です。しかし、やはりここでもTaiyoさんは現状肯定です。つまり、Taiyoさんは「日本の社会では院生、ひいては博士号は評価されていない。だから学生はひどい扱いを受けている。学生は自己防衛しなければならない」との論理です。しかし、「日本社会では院生、ひいては博士号は評価されていない。そこが問題だ。だから、院生や博士号取得者の待遇をよくすることで、彼らが評価されるようなシステムを作るべきだ」という方向に発想を転換することは出来ませんか?
(なお、「学生の取る学位を、どう社会が見るかという違いである」には、全く同意見です。しかし、やはりここでもTaiyoさんは現状肯定です。つまり、Taiyoさんは「日本の社会では院生、ひいては博士号は評価されていない。だから学生はひどい扱いを受けている。学生は自己防衛しなければならない」との論理です。しかし、「日本社会では院生、ひいては博士号は評価されていない。そこが問題だ。だから、院生や博士号取得者の待遇をよくすることで、彼らが評価されるようなシステムを作るべきだ」という方向に発想を転換することは出来ませんか?

面白いですね。何が面白いかというと、ポスドク問題に対する企業側の冷たさの原因の一端を垣間見せてくれているように感じるからです。昔のログも読んで思うことは、この議論に限らず、どうも企業の方の意見は事実というより思い込みに元づいた偏見に満ちたものが多いのですが、どうもそれは「博士」に対する妬み、劣等感などが元になっているとしか思えません。目的が博士を叩くことなので科学界全体を考えた建設的な意見が全然出てこないわけです。またポスドク問題の解決として企業への就職を増やすということの難しさを再認識させられます。

>Taiyoさんは、現状を批判しながらも学生の自己責任・
>自主努力を強調するばかりで、現状をどのように変えていったらよ
>いのかという提案が少ないように思います。なかなか難しい問題
>ではありますが、もし何か他に案があれば、ぜひお聞かせ下さい。
>しかし、「日本社会では院生、ひいては博士号は評価されていな
>い。そこが問題だ。だから、院生や博士号取得者の待遇をよくす
>ることで、彼らが評価されるようなシステムを作るべきだ」という方
>向に発想を転換することは出来ませんか?
言葉が足りなかったかもしれませんが、私は学生の自覚はもちろん、タダ働きさせる大学院側の責任も指摘したつもりです。研究人さんのご指摘どおり、日本はアメリカ式の大学院もしくは教員にとって都合の良いところだけを取り入れてきて、そのシステムを支える大学院生の待遇には見てみぬふりをしてきたわけです。もちろん行政レベルで博士学生の待遇をアメリカ並みに引き上げるのが理想ですが、今現場でできることは学生側が安易にタダ働きをしないこと、指導教官も経済的に自立できない(サポートできない)学生を採らないことだと思います。
>自主努力を強調するばかりで、現状をどのように変えていったらよ
>いのかという提案が少ないように思います。なかなか難しい問題
>ではありますが、もし何か他に案があれば、ぜひお聞かせ下さい。
>しかし、「日本社会では院生、ひいては博士号は評価されていな
>い。そこが問題だ。だから、院生や博士号取得者の待遇をよくす
>ることで、彼らが評価されるようなシステムを作るべきだ」という方
>向に発想を転換することは出来ませんか?
言葉が足りなかったかもしれませんが、私は学生の自覚はもちろん、タダ働きさせる大学院側の責任も指摘したつもりです。研究人さんのご指摘どおり、日本はアメリカ式の大学院もしくは教員にとって都合の良いところだけを取り入れてきて、そのシステムを支える大学院生の待遇には見てみぬふりをしてきたわけです。もちろん行政レベルで博士学生の待遇をアメリカ並みに引き上げるのが理想ですが、今現場でできることは学生側が安易にタダ働きをしないこと、指導教官も経済的に自立できない(サポートできない)学生を採らないことだと思います。
ちょっと、話題を変えてスイマセンが、沖縄科学技術大学院大学(仮称)について、何か情報はないでしょうか?
この大学院が、どう言う風に運営されていくか、或いは、(文科省?が)どう言う風に運営しようとしているのかで、他の大学院の未来像が見えないかなと思いまして。
もし、本当に、外国人が教員も学生も含めて、半数以上を占めるようになるのであれば、今の日本式の運営では、あっと言う間に立ち居かなくなると思います。つまり、文科省は口出しをせず(笑)、学生には給料が出て、教員は全てがPIで、事務はチャンと仕事をして(笑)、研究補助の体制(例えば、教員がRIの施設の管理や化学廃液の処理やネットワークの管理をせずに済むように専門職を置く)をきちんと整える、と云うような形を造るのであれば、自ずと他の大学院もそうならざるを得ないかもしれません(10年、20年単位での変革でしょうが)。逆に、相も変わらず、日本式の運営で行うとすれば、外国人は、一年で皆居なくなってしまうでしょうし、他の大学院も、変わりようがない?
この大学院が、どう言う風に運営されていくか、或いは、(文科省?が)どう言う風に運営しようとしているのかで、他の大学院の未来像が見えないかなと思いまして。
もし、本当に、外国人が教員も学生も含めて、半数以上を占めるようになるのであれば、今の日本式の運営では、あっと言う間に立ち居かなくなると思います。つまり、文科省は口出しをせず(笑)、学生には給料が出て、教員は全てがPIで、事務はチャンと仕事をして(笑)、研究補助の体制(例えば、教員がRIの施設の管理や化学廃液の処理やネットワークの管理をせずに済むように専門職を置く)をきちんと整える、と云うような形を造るのであれば、自ずと他の大学院もそうならざるを得ないかもしれません(10年、20年単位での変革でしょうが)。逆に、相も変わらず、日本式の運営で行うとすれば、外国人は、一年で皆居なくなってしまうでしょうし、他の大学院も、変わりようがない?

大学院生とひと括りにされていますが、修士(博士前期)と博士後期とでは事情がまったく異なります。ここで俎上に上げられているのは博士後期に限ったことですよね?

結局は国力を上げる(外貨を稼ぐ)事でしょうね。金が無いから運営交付金も減ったし、会社にも博士を雇う余裕も無い。その他大勢に埋もれる研究だけでなく、外貨を稼げる研究を少しはアカポスの人も考えた方がいい。身近な事では、研究試薬や機械は同等品なら国産を買いましょう。特に大型研究費を取っている大御所さん、ラボの学生は「俺たちは試薬の値段なんて考える必要は無い」とほざいてますよ。

議論の論点がずれまくっていますね.事実から確認すると,
1.制度上給料はもらえないけれども,キャリア設計において大方の会社員よりよほど自覚のある院生も多くいる.
2.はんたいにキャリア設計に自覚のないモラトリアム院生も多くいる.
ということです.Taiyoさんの主張がおかしいのは,2の院生を批判すべきところを,1の方もいっしょにして,給料をもらっていないというだけでモラトリアムとして批判しているという点です.
日本の会社員というのは,ほんとに気楽なもんなんですね.テニュア職とおなじで.
ちなみに,わたしは,大学院にはいってから親からお金をもらったことはありません.また,学振のDCもPDも不採用でしたが,育英会とバイトで食いつなぎ,単位取得退学後1年でテニュア職に就職しました.人文系です.
1.制度上給料はもらえないけれども,キャリア設計において大方の会社員よりよほど自覚のある院生も多くいる.
2.はんたいにキャリア設計に自覚のないモラトリアム院生も多くいる.
ということです.Taiyoさんの主張がおかしいのは,2の院生を批判すべきところを,1の方もいっしょにして,給料をもらっていないというだけでモラトリアムとして批判しているという点です.
日本の会社員というのは,ほんとに気楽なもんなんですね.テニュア職とおなじで.
ちなみに,わたしは,大学院にはいってから親からお金をもらったことはありません.また,学振のDCもPDも不採用でしたが,育英会とバイトで食いつなぎ,単位取得退学後1年でテニュア職に就職しました.人文系です.

>ぜのぱす様
沖縄の大学院の立ち上げに関与したヒトから聞いた話ではモデルはロックフェラー大学だそうです。先行プロジェクトのポストドックからは自由度は大きいというふうに聞いています。
どこまでロックフェラー大学に倣っているのか詳細は存じませんが、あの大学は米国では珍しく教授の権限が大きいので、研究室のシステムとしては日本の講座制に近いですよ。あちらは米国人が運営しているからうまく行っているけど、同じシステムをこちらで日本人が運営したらモトの木阿弥という可能性も十分あります。
沖縄の大学院の立ち上げに関与したヒトから聞いた話ではモデルはロックフェラー大学だそうです。先行プロジェクトのポストドックからは自由度は大きいというふうに聞いています。
どこまでロックフェラー大学に倣っているのか詳細は存じませんが、あの大学は米国では珍しく教授の権限が大きいので、研究室のシステムとしては日本の講座制に近いですよ。あちらは米国人が運営しているからうまく行っているけど、同じシステムをこちらで日本人が運営したらモトの木阿弥という可能性も十分あります。

>1.制度上給料はもらえないけれども,キャリア設計において大方の会
>社員よりよほど自覚のある院生も多くいる.
>2.はんたいにキャリア設計に自覚のないモラトリアム院生も多くいる.
>ということです.Taiyoさんの主張がおかしいのは,2の院生を批判すべ
>きところを,1の方もいっしょにして,給料をもらっていないというだけで
>モラトリアムとして批判しているという点です.
モラトリアムという言葉は適切な表現ではないかもしれませんが、私は1の
院生も敢えて批判されるべきと思っています。自分の能力を安売りすること
(タダ働き)は結果的に博士院生全体の社会的評価を下げるのに貢献して
いるからです。
>社員よりよほど自覚のある院生も多くいる.
>2.はんたいにキャリア設計に自覚のないモラトリアム院生も多くいる.
>ということです.Taiyoさんの主張がおかしいのは,2の院生を批判すべ
>きところを,1の方もいっしょにして,給料をもらっていないというだけで
>モラトリアムとして批判しているという点です.
モラトリアムという言葉は適切な表現ではないかもしれませんが、私は1の
院生も敢えて批判されるべきと思っています。自分の能力を安売りすること
(タダ働き)は結果的に博士院生全体の社会的評価を下げるのに貢献して
いるからです。

どうも個人的な苦労自慢になっていませんか? 院生への社会的認識が足りないとか、社会人は気楽なもんだとか、企業は博士を妬んでいるとか、そういうことはあまり言っても仕方のないことだと思います。結局、そういうコメントはより社会との溝を深くし、社会に出たい博士たちの首を絞めているだけだと思います。独善的にならずに、もう少し全体的な視点からものを見た方が良いのではないでしょうか。
今の大学院の問題が、業績とか個人レベルの努力などでどうにかなる問題なら、そうすれば良いだけの話です。問題はそれで物事が良くなっていないことです。今後重要なのは、どうやって大学院全体を(院生にとっても社会にとっても)魅力的に変えるかということ、それによって日本の学術レベルを(人材、システム上)底上げできるかということではないかと思います。
大学が社会を切り捨ててもやって行けるなら好きにすれば良いと思いますが、結局国民や政府の支持がないと成り立たないお神輿なのでしょう? 本当に国に必要な研究なら、大学が無くても民間に委託することが出来ますし、別に研究成果だけを追求するなら外国から買えば良いだけの話です。
今の大学院の問題が、業績とか個人レベルの努力などでどうにかなる問題なら、そうすれば良いだけの話です。問題はそれで物事が良くなっていないことです。今後重要なのは、どうやって大学院全体を(院生にとっても社会にとっても)魅力的に変えるかということ、それによって日本の学術レベルを(人材、システム上)底上げできるかということではないかと思います。
大学が社会を切り捨ててもやって行けるなら好きにすれば良いと思いますが、結局国民や政府の支持がないと成り立たないお神輿なのでしょう? 本当に国に必要な研究なら、大学が無くても民間に委託することが出来ますし、別に研究成果だけを追求するなら外国から買えば良いだけの話です。

>ちなみに,わたしは,大学院にはいってから親からお金をもらった
>ことはありません.また,学振のDCもPDも不採用でしたが,育
>英会とバイトで食いつなぎ,単位取得退学後1年でテニュア職に
>就職しました.人文系です.
人文系の状況は知りませんし、理系の博士課程学生の問題とは規模も背景も違います。私の意見はすべて理系博士課程とその院生についてと考えてください。借金は自分で背負うものですから、勝手だろうという意見もあるかもしれません。私は先に述べたように博士院生全体に対する評価を下げるという点で悪だと思います。バイトについては最先端の研究を志す博士院生がやることじゃないという考えです。研究ってそんな甘いものではないし、逆にバイトしながら3年で取れるような学位が評価されなくても仕方がない、と思います。ですから教員もバイトしなければやっていけないような院生は受け入れるべきではないし、学生のほうも経済的な心配をせずに研究に専念できる環境を確保する(たとえそれが海外に行くことであっても)のに全力を注ぐべきです。
>ことはありません.また,学振のDCもPDも不採用でしたが,育
>英会とバイトで食いつなぎ,単位取得退学後1年でテニュア職に
>就職しました.人文系です.
人文系の状況は知りませんし、理系の博士課程学生の問題とは規模も背景も違います。私の意見はすべて理系博士課程とその院生についてと考えてください。借金は自分で背負うものですから、勝手だろうという意見もあるかもしれません。私は先に述べたように博士院生全体に対する評価を下げるという点で悪だと思います。バイトについては最先端の研究を志す博士院生がやることじゃないという考えです。研究ってそんな甘いものではないし、逆にバイトしながら3年で取れるような学位が評価されなくても仕方がない、と思います。ですから教員もバイトしなければやっていけないような院生は受け入れるべきではないし、学生のほうも経済的な心配をせずに研究に専念できる環境を確保する(たとえそれが海外に行くことであっても)のに全力を注ぐべきです。

> 本当に国に必要な研究なら、大学が無くても民間に委託することが
> 出来ます
民間に人材がいなければどうするのですか?
日本の民間企業が得意とするのは、すでにある理論を駆使し、効率的に製品化することです。それ以外の部分は、大学に比べ、相当遅れています。
> 別に研究成果だけを追求するなら外国から買えば良い
日本は資源がない国です。研究成果を買いつづける原資はどうするのですか?
> 教員もバイトしなければやっていけないような院生は受け入れるべき
> ではない
これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。
> 出来ます
民間に人材がいなければどうするのですか?
日本の民間企業が得意とするのは、すでにある理論を駆使し、効率的に製品化することです。それ以外の部分は、大学に比べ、相当遅れています。
> 別に研究成果だけを追求するなら外国から買えば良い
日本は資源がない国です。研究成果を買いつづける原資はどうするのですか?
> 教員もバイトしなければやっていけないような院生は受け入れるべき
> ではない
これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。

>> 教員もバイトしなければやっていけないような院生は受け入れるべき
>> ではない
>これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。
学生を使う側にとっては都合の良い言い訳ですね。言い換えれば学生がバイトをしないでも研究に専念できるよう経済的にサポートできない教員は博士学生を受け入れるべきではない、と思います。学生の金の話になると目を瞑る大学院教員は卑怯です。過去の慣習をずるずると引きずっておきながら、社会の博士院生に対する目が厳しいなんて愚痴をこぼしている資格はあるのでしょうか。
>> ではない
>これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。
学生を使う側にとっては都合の良い言い訳ですね。言い換えれば学生がバイトをしないでも研究に専念できるよう経済的にサポートできない教員は博士学生を受け入れるべきではない、と思います。学生の金の話になると目を瞑る大学院教員は卑怯です。過去の慣習をずるずると引きずっておきながら、社会の博士院生に対する目が厳しいなんて愚痴をこぼしている資格はあるのでしょうか。

> 学生のほうも経済的な心配をせずに研究に専念できる環境を確保
> する(たとえそれが海外に行くことであっても)のに全力を注ぐべきです
本気で海外で働いた経験がない人の意見です。
海外で働く、学ぶといっても、企業から期限付きで、海外支店へ派遣されるのと、海外の大学、研究機関、企業へ単身で行き働くのは随分違います。学生なら、まだ、日本に戻る可能性も有ります。
しかし、海外に片道切符で行き働くとなると、仕事以外の要素、つまり、親の面倒を誰が見るのかとか、今までの友達と会えないとか、妻や子供が海外の生活になじめるのかとか、相当の負担になります。これらを、個人の責任で処理して初めて海外で働けるのです。
日本が気に食わないなら海外に行け、なんて放言です。私は、海外で本気で働き、永住権をとるつもりでした。手続きの一部のプロセスに入りましたが、日本に残した家族の問題、子供を作ったときの国籍の問題を考えました。。
「海外に行け」なんて経験が無いから放言できるのです。
> する(たとえそれが海外に行くことであっても)のに全力を注ぐべきです
本気で海外で働いた経験がない人の意見です。
海外で働く、学ぶといっても、企業から期限付きで、海外支店へ派遣されるのと、海外の大学、研究機関、企業へ単身で行き働くのは随分違います。学生なら、まだ、日本に戻る可能性も有ります。
しかし、海外に片道切符で行き働くとなると、仕事以外の要素、つまり、親の面倒を誰が見るのかとか、今までの友達と会えないとか、妻や子供が海外の生活になじめるのかとか、相当の負担になります。これらを、個人の責任で処理して初めて海外で働けるのです。
日本が気に食わないなら海外に行け、なんて放言です。私は、海外で本気で働き、永住権をとるつもりでした。手続きの一部のプロセスに入りましたが、日本に残した家族の問題、子供を作ったときの国籍の問題を考えました。。
「海外に行け」なんて経験が無いから放言できるのです。

受け入れる側の努力も当然ですが、劣悪な博士課程環境に身を投じる学生が行動を起こさないと、院生の待遇改善は遠のくばかりです。優秀な日本人学生がより多く海外で学位を目指すようになれば、必然的に日本の大学は海外の大学と競争せざるを得なくなります。現に東大が博士課程学生の授業料免除に踏み切ったのも、海外の優秀な大学院生が見向きもしてくれないからです。生活費も出さなければ同じ土俵にも立てないと思いますが、正しい方向だとは思います。無給でもモラトリアム院生が納得して引っかかってくれるから問題ない、なんて考えていると痛い目にあうでしょう。

taiyoさん
>>これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。
>学生を使う側にとっては都合の良い言い訳ですね。
学生の経済状況は私が大学院に入るときは必ず面接で聞かれる項目でした。しかし、学生の側から、クレームが出て、質問すべきではない事柄の代表とされています。
ドロップアウトして、アカポスについた人を恨むのなら、いい加減にしてください。
私の昨日の書き込みは明け方でした。何をしていたと思いますか?
初めて学会発表する院生に付き合って、彼がポスターを書き上げるのを待っていたのです。
今は科研費の締め切り間際です。もし、予算が落ちれば今のスタッフも解雇になります。予算が最優先で、指導に時間を食う学生なんて、お荷物でしか有りません。それでも、後進の指導が大切だと思うから、時間を割いて徹夜にも付き合っているのです。
学生は、自分の発表に精一杯で、こちらの気持ちなんてわからないのかも知れませんが、非難はあたらないと思います。貴方の会社に徹夜で部下の仕事に付き合う人はどれだけいるのでしょうね。
>>これは個人の事情で立ち入るべきことでは有りません。
>学生を使う側にとっては都合の良い言い訳ですね。
学生の経済状況は私が大学院に入るときは必ず面接で聞かれる項目でした。しかし、学生の側から、クレームが出て、質問すべきではない事柄の代表とされています。
ドロップアウトして、アカポスについた人を恨むのなら、いい加減にしてください。
私の昨日の書き込みは明け方でした。何をしていたと思いますか?
初めて学会発表する院生に付き合って、彼がポスターを書き上げるのを待っていたのです。
今は科研費の締め切り間際です。もし、予算が落ちれば今のスタッフも解雇になります。予算が最優先で、指導に時間を食う学生なんて、お荷物でしか有りません。それでも、後進の指導が大切だと思うから、時間を割いて徹夜にも付き合っているのです。
学生は、自分の発表に精一杯で、こちらの気持ちなんてわからないのかも知れませんが、非難はあたらないと思います。貴方の会社に徹夜で部下の仕事に付き合う人はどれだけいるのでしょうね。

REさん
>本気で海外で働いた経験がない人の意見です。
個人的経験談合戦にしたくなかったので、私の立場は申し上げませんでしたが、私は現在海外で永住権を持って働いています。永住権を取ったからといって死ぬまでここに住むとは限りませんが、良い研究環境を求めて今たまたま海外にいるというだけです。
家族などの個人的事情はその人それぞれの価値観の問題ですから、何を大切にするかは個人が決めることです。どうしても海外に出られないというのであれば(若い学生ならそんなにないと思いますが)日本で経済的に自立しながら博士課程に進む道を模索すれば良いだけです。私の主張はタダ働き博士院生は日本の大学院制度の汚点であって、学位を目指すなら日本だろうが海外だろうが、ふさわしい(院生の給料なんてしょせん微々たるものですが)待遇を受けて研究に専念できる環境を探せ、ということです。
>本気で海外で働いた経験がない人の意見です。
個人的経験談合戦にしたくなかったので、私の立場は申し上げませんでしたが、私は現在海外で永住権を持って働いています。永住権を取ったからといって死ぬまでここに住むとは限りませんが、良い研究環境を求めて今たまたま海外にいるというだけです。
家族などの個人的事情はその人それぞれの価値観の問題ですから、何を大切にするかは個人が決めることです。どうしても海外に出られないというのであれば(若い学生ならそんなにないと思いますが)日本で経済的に自立しながら博士課程に進む道を模索すれば良いだけです。私の主張はタダ働き博士院生は日本の大学院制度の汚点であって、学位を目指すなら日本だろうが海外だろうが、ふさわしい(院生の給料なんてしょせん微々たるものですが)待遇を受けて研究に専念できる環境を探せ、ということです。

ちなみに、上記の学生の指導はボランティアで、給料も研究費も、一銭も大学からもらっていません。
大学の先生の大多数は、やり方の違いは有りますが、きちんと指導をしていると思います。
院生を使い潰しているなんて、とんでも無い。的外れです。現状は出来の悪い奴を引っ張りあげている感じですよ。
大学の先生の大多数は、やり方の違いは有りますが、きちんと指導をしていると思います。
院生を使い潰しているなんて、とんでも無い。的外れです。現状は出来の悪い奴を引っ張りあげている感じですよ。

いつの間にかドロップアウトした会社員にされてしまいましたが。
REさんを個人的に批判したつもりはありませんでしたが、もしそう取られたのならお詫びしておきます。一般論として大学院生の待遇には、院生と彼等を使う教員の両方に問題があるという考えから、REさんのような大多数の日本の教員・PIと院生の関係も肯定できないと主張しているだけです。決して個人攻撃をしているつもりではありませんので。
REさんを個人的に批判したつもりはありませんでしたが、もしそう取られたのならお詫びしておきます。一般論として大学院生の待遇には、院生と彼等を使う教員の両方に問題があるという考えから、REさんのような大多数の日本の教員・PIと院生の関係も肯定できないと主張しているだけです。決して個人攻撃をしているつもりではありませんので。

REさんが熱心にボランティア精神で学生を指導されているのには敬服します。ただ、その有能な学生はREさんの研究に貢献して成果をあげることで恩返しをしているように見受けられます。私が問題にしたいのはそのような学生が、平気でタダ働きを強いられる風土、さらにそれに疑問を持たない学生、双方の意識です。その論点がわかっていただけないようであれば、これ以上議論してもかみ合わないような気がします。

>もちろん行政レベルで博士学生の待遇をアメリカ並みに引き上げるのが理想ですが、今現場でできることは学生側が安易にタダ働きをしないこと、指導教官も経済的に自立できない(サポートできない)学生を採らないことだと思います
いろいろ書かれていますが、Taiyoさんのご提案は以上の通りですね? これはこちらでも何度か見かけた案で、それ自体、至極まっとうな御意見だと思います。
ただ、Taiyoさんは、日本人留学生の全般的な実情、日本の雇用制度の現状および日本人が海外永住する際のメリット・デメリットというものをあまり深くお考えでないように思います。
Taiyoさんは修士課程から留学するような若い留学生のことを想定しているかもしれません。そのような人々であれば現地にも慣れて日本に帰国しない選択肢をとる可能性も高いでしょうが、現状では理系の留学はPD以上の場合が最も多い。私が見たところ海外日本人PDは以下の理由からいずれ日本に戻ろうと考えている人間が大半です。
いろいろ書かれていますが、Taiyoさんのご提案は以上の通りですね? これはこちらでも何度か見かけた案で、それ自体、至極まっとうな御意見だと思います。
ただ、Taiyoさんは、日本人留学生の全般的な実情、日本の雇用制度の現状および日本人が海外永住する際のメリット・デメリットというものをあまり深くお考えでないように思います。
Taiyoさんは修士課程から留学するような若い留学生のことを想定しているかもしれません。そのような人々であれば現地にも慣れて日本に帰国しない選択肢をとる可能性も高いでしょうが、現状では理系の留学はPD以上の場合が最も多い。私が見たところ海外日本人PDは以下の理由からいずれ日本に戻ろうと考えている人間が大半です。

第一に、残念ながら現状では、一度日本を長期間はなれるとよほどのことがない限りは日本の企業・大学への就職が難しくなってしまう傾向にあります。そして、いくら海外(たとえば米国)の研究環境が良くとも、社会保障や医療のことなどを考えると、長期定住または永住を躊躇する人は他国(例えば中国)からの留学生よりも多いでしょう(日本の社会保障制度もがたがたとは言え、まだこれらの国々の制度よりはましです)。夫(女性のPDもいますよ、皆さん!)妻子・老親の将来を考えて、日本を離れることをためらう人もいます。
以上の理由から、Taiyoさんのご提案は面白いものですが実現可能性は極めて低いと思われます。
以上の理由から、Taiyoさんのご提案は面白いものですが実現可能性は極めて低いと思われます。

>REさんが熱心にボランティア精神で学生を指導されているのには敬服します。ただ、その有能な学生はREさんの研究に貢献して成果をあげることで恩返しをしているように見受けられます。
Taiyoさんは、「日本では院生の教育・指導=教授(など)の研究へ貢献するというタダ働き」という思い込みがありませんか? Reさんの書き込みを読んだ限りでは、Reさんはご自分の研究に院生を使ってはいないようですよ(手伝わせる時はPDを雇うと明言されています)。まさにReさんのほうが無償で自分の研究とは直接関係の無い院生の研究を指導しているのです。そして、ありがたいことに日本の大学にもそのような研究者・教育者はReさん以外にもいるのです。Taiyoさんは問題教員にばかり焦点をあてすぎているよな気がします。これでは何か個人的恨みがあるのではないかと(実際はそうでなくとも)読者に勘ぐられてしまいますよ。
Taiyoさんは、「日本では院生の教育・指導=教授(など)の研究へ貢献するというタダ働き」という思い込みがありませんか? Reさんの書き込みを読んだ限りでは、Reさんはご自分の研究に院生を使ってはいないようですよ(手伝わせる時はPDを雇うと明言されています)。まさにReさんのほうが無償で自分の研究とは直接関係の無い院生の研究を指導しているのです。そして、ありがたいことに日本の大学にもそのような研究者・教育者はReさん以外にもいるのです。Taiyoさんは問題教員にばかり焦点をあてすぎているよな気がします。これでは何か個人的恨みがあるのではないかと(実際はそうでなくとも)読者に勘ぐられてしまいますよ。

>『民間に人材がいなければどうするのですか?』
人材はいると思います。もっと大きく見て、日本にまるで人材(の卵)がいないわけは無いでしょう。大学院に魅力がなければ、その卵も企業に流れることは予想に難くありません。
>『日本は資源がない国です。研究成果を買いつづける原資はどうするのですか?』
資源がないと経済成長できないという仮定はこれまでの日本の歴史が否定しています。そもそも日本に資源が全くないとは思いませんし。水もきれいだし、周りを海に囲まれているので、海洋の利用を積極的に行っていけば、それだけでもエネルギーや食料問題に対応できる可能性はあると思います。
>『日本の民間企業が得意とするのは、すでにある理論を駆使し、効率的に製品化することです。』
理論も大事ですが、それを製品に持っていき、実際に販売するのにも技術と努力が必要です。そもそも日本の経済成長を支えたのは製品化の上手さだと思います。
人材はいると思います。もっと大きく見て、日本にまるで人材(の卵)がいないわけは無いでしょう。大学院に魅力がなければ、その卵も企業に流れることは予想に難くありません。
>『日本は資源がない国です。研究成果を買いつづける原資はどうするのですか?』
資源がないと経済成長できないという仮定はこれまでの日本の歴史が否定しています。そもそも日本に資源が全くないとは思いませんし。水もきれいだし、周りを海に囲まれているので、海洋の利用を積極的に行っていけば、それだけでもエネルギーや食料問題に対応できる可能性はあると思います。
>『日本の民間企業が得意とするのは、すでにある理論を駆使し、効率的に製品化することです。』
理論も大事ですが、それを製品に持っていき、実際に販売するのにも技術と努力が必要です。そもそも日本の経済成長を支えたのは製品化の上手さだと思います。

Taiyoさんは、青色発光ダイオードの開発者・中村修二さん(>『怒りのブレイクスルー』)みたいな形で日本社会に揺さぶりをかけようっていうことですか?

海外に出るというのは選択肢の一つで、特に博士課程入学段階の24,5歳の若者にとっては十分現実的だと思います。実際に男女問わずそういう日本人の学生(東大、京大を出た人が6,7割という印象ですが)をじかに見てきています。ただ、他の学生のレベルを見ているともっと来てもおかしくないと思います。たまに帰国した際知り合いの研究室を尋ねると、海外でPh.D.を取りたいという学生に何人も会いました。
みなさんが述べられたように長い間日本を離れて海外で学位を取ったら日本に戻れないかもしれない等といった程度の不安で諦めるようだったら、そもそも日本で学位を取ったってこの惨状ですから進学なんてしないほうが良いでしょう。今時外国でPh.D.を取ったからといってそこで骨を埋める覚悟は必要ありません。本来研究はどこでやっても同じです。私が知る限り、こちらで学位を取った日本人で食いっぱぐれている人は一人もいません。日本に帰って有名大学の教職に就いた人や企業に就職した人、海外の大学や企業に就職した人色々います。もしこれを読んでいる若い学生さんがいたら、ぜひ真剣に海外の大学院で学位を取ることを検討されることをおすすめします。
みなさんが述べられたように長い間日本を離れて海外で学位を取ったら日本に戻れないかもしれない等といった程度の不安で諦めるようだったら、そもそも日本で学位を取ったってこの惨状ですから進学なんてしないほうが良いでしょう。今時外国でPh.D.を取ったからといってそこで骨を埋める覚悟は必要ありません。本来研究はどこでやっても同じです。私が知る限り、こちらで学位を取った日本人で食いっぱぐれている人は一人もいません。日本に帰って有名大学の教職に就いた人や企業に就職した人、海外の大学や企業に就職した人色々います。もしこれを読んでいる若い学生さんがいたら、ぜひ真剣に海外の大学院で学位を取ることを検討されることをおすすめします。

なるほど。Taiyoさんのご提案は、確かに若い学生に対しては有効かもいしれませんね。
ただ、ここで大いに議論されてきたのは、「これから入ってくる院生をどうするか」という点よりも、むしろ、「すでに博士課程を出てPDをしている人々の能力を無駄にしないようにするにはどうしたらよいか」ということでした。それも、「モラトリアム院生」ではなくて、きちんと目的意識を持ち高い専門知識と技術があるPDが報われていない現状をどうするかということです。彼らの多くは30代半ばから40代前半です。個人的に背負っているものが20代前半の若者とは違います。彼らには、Taiyoさんの提案は非現実的だと思います。
ただ、ここで大いに議論されてきたのは、「これから入ってくる院生をどうするか」という点よりも、むしろ、「すでに博士課程を出てPDをしている人々の能力を無駄にしないようにするにはどうしたらよいか」ということでした。それも、「モラトリアム院生」ではなくて、きちんと目的意識を持ち高い専門知識と技術があるPDが報われていない現状をどうするかということです。彼らの多くは30代半ばから40代前半です。個人的に背負っているものが20代前半の若者とは違います。彼らには、Taiyoさんの提案は非現実的だと思います。

私も海外に骨を埋めようと思ったことがあり、アメリカ人とハウスシェアをして暮らし、学会では日本人に日本語で話し掛けられても英語でまくし立てるような感じでした。だから、taiyoさんの若い学生は、可能なら海外に出て自分をためしてみろという意見には賛成です。
しかし、日本の教授や日本の仕組みがまったくダメだという論調はどうかと思います。私は米国のダメなところもたくさん見えています。社会の仕組みも随分違います。
アメリカは、歴史が無いので、物の価値をお金に換算して、図ろうとする傾向があります。しかし、社会の仕組みは大変いい加減で、100年前は所得税すらない国だったのです。彼らは理想を語るので、一見、現実よりは良いように見えますが、必ずしも良くは無いと思います。そのままを日本に持込んでもうまくいかないと思います。
しかし、日本の教授や日本の仕組みがまったくダメだという論調はどうかと思います。私は米国のダメなところもたくさん見えています。社会の仕組みも随分違います。
アメリカは、歴史が無いので、物の価値をお金に換算して、図ろうとする傾向があります。しかし、社会の仕組みは大変いい加減で、100年前は所得税すらない国だったのです。彼らは理想を語るので、一見、現実よりは良いように見えますが、必ずしも良くは無いと思います。そのままを日本に持込んでもうまくいかないと思います。

taiyoさんが、いつアメリカに渡ったのか知りませんが、2000年以降、小泉内閣の独立行政法人化で、日本の大学の予算や組織はがたがたになっています。
また、ポスドク制度も、単にアメリカの真似で持込みましたが、社会の仕組みが異なるので、ほころびが出ています。ポスドク制度でポスドクを雇うこと自体は、科学に貢献しましたが、その後のキャリアパスで大きく不利になるのです。また、大学の交付金を削り、競争的予算を導入しましたが、アメリカの研究予算が4兆円に対して、日本は4-5000億円程度で規模が小さく、予算も小口で、同じような仕組みを行ってもうまくいきません。このような予算規模で、院生の学費まで捻出するのは、相当難しいと思います。
また、ポスドク制度も、単にアメリカの真似で持込みましたが、社会の仕組みが異なるので、ほころびが出ています。ポスドク制度でポスドクを雇うこと自体は、科学に貢献しましたが、その後のキャリアパスで大きく不利になるのです。また、大学の交付金を削り、競争的予算を導入しましたが、アメリカの研究予算が4兆円に対して、日本は4-5000億円程度で規模が小さく、予算も小口で、同じような仕組みを行ってもうまくいきません。このような予算規模で、院生の学費まで捻出するのは、相当難しいと思います。

reさん、研究人さんは、
>「博士」に対する妬み、劣等感などが元になっている
だの
>何か個人的恨みがあるのではないか
だの、物言いが下衆で失礼過ぎると思いますが。
日本のアカデミアの方々の人格が疑われます。
>「博士」に対する妬み、劣等感などが元になっている
だの
>何か個人的恨みがあるのではないか
だの、物言いが下衆で失礼過ぎると思いますが。
日本のアカデミアの方々の人格が疑われます。

通りすがり2さん、
ご指摘どうもありがとうございます。私の書き方が曖昧だったのかもしれませんが、私のレスの趣旨とは全く異なる受け取られ方を通りすがり2さんはされたのですね。私は次のように書きました。
>Taiyoさんは問題教員にばかり焦点をあてすぎているよな気がします。これでは何か個人的恨みがあるのではないかと(実際はそうでなくとも)読者に勘ぐられてしまいますよ。
つまり、「Taiyoさんがこれまでのように日本の大学教員の全てに問題があるというような書き方を続けていると、『何か個人的恨みがあるのではないか』と誤解を受けてしまいますよ(気をつけてください)」という意味です。明らかにReさんの文章をTaiyoさんが読み違えておられるようだったので、注意したまでです。「Taiyoさんは個人的恨みが研究者にあるのではないか」と私自身が断定・推定したわけではありません。どうぞ部分ではなくレス全体を読んでください。
ご指摘どうもありがとうございます。私の書き方が曖昧だったのかもしれませんが、私のレスの趣旨とは全く異なる受け取られ方を通りすがり2さんはされたのですね。私は次のように書きました。
>Taiyoさんは問題教員にばかり焦点をあてすぎているよな気がします。これでは何か個人的恨みがあるのではないかと(実際はそうでなくとも)読者に勘ぐられてしまいますよ。
つまり、「Taiyoさんがこれまでのように日本の大学教員の全てに問題があるというような書き方を続けていると、『何か個人的恨みがあるのではないか』と誤解を受けてしまいますよ(気をつけてください)」という意味です。明らかにReさんの文章をTaiyoさんが読み違えておられるようだったので、注意したまでです。「Taiyoさんは個人的恨みが研究者にあるのではないか」と私自身が断定・推定したわけではありません。どうぞ部分ではなくレス全体を読んでください。

ここ何日か、日本のドクターって、研究はできる(かもしれない)けど、教養人ではないんだなと思い、残念です・・・当事者であっても、もう少し冷静に距離をおいて見る力のある人達だと思っていたのですが・・・このような人達が、本当に「人類に貢献する仕事(研究)ができるのだろうか?新しいものや考え方を生み出せるのだろうか?」と疑問に思うようになってきました。
もちろん、すべての人が当てはまるとは思っていませんが、応援の気持ちが失せてしまいます・・・世間が思わず味方したくなるような集合体(集団ではなく)であってほしいです。
失礼しました。
もちろん、すべての人が当てはまるとは思っていませんが、応援の気持ちが失せてしまいます・・・世間が思わず味方したくなるような集合体(集団ではなく)であってほしいです。
失礼しました。
私も、いちおう研究者の一員なのでバイアスがかかっていることは否めませんが、ここ数日の議論はかなり生産的だと感じています。
特に、大学院生(特に博士後期課程)を、経済的にも人格的にも社会人として自立した存在として扱っていこうという提案は、大学ばかりではなく日本の社会全体をも変えていくほどのインパクトを持ったスケールの大きなものだと軽い興奮を覚えたほどです。
このサイトのエントリーは評論としては大したものではないのですが、それに対するコメントは珠玉のものが多く、コメンテーターの質がこのサイトを支えていると感謝しております。時間はかかっても、議論を続けて行くことで「何か」を変えていくことはできると信じています。
これからも、よろしくお願いいたします。
特に、大学院生(特に博士後期課程)を、経済的にも人格的にも社会人として自立した存在として扱っていこうという提案は、大学ばかりではなく日本の社会全体をも変えていくほどのインパクトを持ったスケールの大きなものだと軽い興奮を覚えたほどです。
このサイトのエントリーは評論としては大したものではないのですが、それに対するコメントは珠玉のものが多く、コメンテーターの質がこのサイトを支えていると感謝しております。時間はかかっても、議論を続けて行くことで「何か」を変えていくことはできると信じています。
これからも、よろしくお願いいたします。

研究人さん、
>ただ、ここで大いに議論されてきたのは、「これから入ってくる院生をどう
>するか」という点よりも、むしろ、「すでに博士課程を出てPDをしている人
>々の能力を無駄にしないようにするにはどうしたらよいか」ということでし
>た。
すみません。上のほうで私が
>大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
というコメントに対して私が日本の博士院生は「社会に出ている」とは言え
ない、と書き込んだところから脱線していました。申し訳ありませんが、もう
すこし補足させていただきます。
>ただ、ここで大いに議論されてきたのは、「これから入ってくる院生をどう
>するか」という点よりも、むしろ、「すでに博士課程を出てPDをしている人
>々の能力を無駄にしないようにするにはどうしたらよいか」ということでし
>た。
すみません。上のほうで私が
>大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
というコメントに対して私が日本の博士院生は「社会に出ている」とは言え
ない、と書き込んだところから脱線していました。申し訳ありませんが、もう
すこし補足させていただきます。

繰り返しになりますが、私は個々の日本の教員が無能だと言いたいのではなく、現在の理系大学院のおかれている状況で無給の博士院生を受け入れる事自体が無責任ではないか、ということを行き場の無い学位保持者を生産し続けている教員達に考えて欲しいのです。
当然無給の博士院生を指導している教員は多いでしょうから、自分が批判されていると感じて、自分はこれだけしっかり教育・指導しているのにそんな批判はあたらない、と感情的に反論される方がいました。私の批判は無給の博士院生を受け入れる事自体の社会的、倫理的な責任についてであり、それ以外のものではありません。
それと同時にそのような環境に身を投じる学生のほうも、博士院生に対する不当な待遇を助長しているのだという認識を持ってもらいたいと思っています。その主張もやはり、大多数の学生、さらに過去無給で学位を取った多くの教員の方の感情的反論を招いたのだと思います。
当然無給の博士院生を指導している教員は多いでしょうから、自分が批判されていると感じて、自分はこれだけしっかり教育・指導しているのにそんな批判はあたらない、と感情的に反論される方がいました。私の批判は無給の博士院生を受け入れる事自体の社会的、倫理的な責任についてであり、それ以外のものではありません。
それと同時にそのような環境に身を投じる学生のほうも、博士院生に対する不当な待遇を助長しているのだという認識を持ってもらいたいと思っています。その主張もやはり、大多数の学生、さらに過去無給で学位を取った多くの教員の方の感情的反論を招いたのだと思います。

Taiyoさん,おおくの反論は感情的反論ではない,とおもいます.Taiyoさんの理想は,わたしもふくめ賛同する人はおおいとおもいます.しかし,みながここ考えているのは,いま,博士課程の院生やPDとして生きている人々についてです.この現実と理想とをどうつなぐことができるのだろうか,ということを考えようとしているときに,現実を悪だ,と断じてしまうところに,現実にコミットしようとしない無責任さをかんじてしまいます.
くりかえしますが,理想はわかります.しかし,重要なのは現実とどうつなぐか,ということです.このような現実を放棄して,アメリカへ来い,というのは,いかにも個人主義的,新自由主義的な思考だとおもいます.それはひとつの道ですが,ほかにも道はあります.
くりかえしますが,理想はわかります.しかし,重要なのは現実とどうつなぐか,ということです.このような現実を放棄して,アメリカへ来い,というのは,いかにも個人主義的,新自由主義的な思考だとおもいます.それはひとつの道ですが,ほかにも道はあります.

>「博士」に対する妬み、劣等感などが元になっている
というのは私の発言なのですが、不愉快にさせたのならごめんなさい。しかし、確かにこれは私の友人とかを見てもあります。「大学に閉じこもって遊んでる」というような見方にもつながります。
確かにここ数日の議論は質が高かったと思いますが、Taiyoさんの議論は何か最初の方向から外れていて参加する価値がないと感じていました。いかに博士やポスドクをめぐる状況がまだまだ世間では理解されていないのかということは理解できました。当分おとなしくしています。
というのは私の発言なのですが、不愉快にさせたのならごめんなさい。しかし、確かにこれは私の友人とかを見てもあります。「大学に閉じこもって遊んでる」というような見方にもつながります。
確かにここ数日の議論は質が高かったと思いますが、Taiyoさんの議論は何か最初の方向から外れていて参加する価値がないと感じていました。いかに博士やポスドクをめぐる状況がまだまだ世間では理解されていないのかということは理解できました。当分おとなしくしています。

私もアメリカの方式が日本にそのまま移して成功するとは思いません。しかしポスドク増加や若手教員の独立・任期制の導入など、博士院生の待遇改善以外の大学院側にとって美味しいところだけ導入してしまった今、15年前のシステムに戻すのは非現実的です。みなさん博士院生の待遇を改善すべきだと口では言いつつ、就職難の分かっている博士院生をタダ働きさせて博士を再生産し続けるのはいささか偽善的ではないでしょうか?
行政への働きかけはもちろん大事ですが、今現在学位を取ろうとしている学生に対しては、早いうちから博士課程に進みたいなら学振(もしくは他の給付奨学金)をとるか海外に進学するかの選択を迫るべきでしょう。昔は博士号は取りたくて取れるものではありませんでしたし、多くの国では今もそうです。能力やチャンスをものにする熱意そして運、学士や修士のように授業料を払えば誰でもその機会が与えられるべき類の学位ではないのです。だからこそ社会はその価値を認めるのであって、今のように授業料払って生活費を工面できれば誰でも入学できるような博士院生(たとえ個々の学生が優秀であっても)に世間の目が冷たいのは当たり前だと思います。
行政への働きかけはもちろん大事ですが、今現在学位を取ろうとしている学生に対しては、早いうちから博士課程に進みたいなら学振(もしくは他の給付奨学金)をとるか海外に進学するかの選択を迫るべきでしょう。昔は博士号は取りたくて取れるものではありませんでしたし、多くの国では今もそうです。能力やチャンスをものにする熱意そして運、学士や修士のように授業料を払えば誰でもその機会が与えられるべき類の学位ではないのです。だからこそ社会はその価値を認めるのであって、今のように授業料払って生活費を工面できれば誰でも入学できるような博士院生(たとえ個々の学生が優秀であっても)に世間の目が冷たいのは当たり前だと思います。

またいくら授業料を払って自立して生活しても、現在の大学院教育にはその上に多大な税金が使われています。博士院生一人受け入れるということは何百、何千万という税金をその学生に投資しているわけです。そんな学生が研究すべき時間にバイトしてたら納税者はどう思うでしょうか?

>>大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
というコメントに対して私が日本の博士院生は「社会に出ている」とは言え
ない、と書き込んだところから脱線していました
いえいえ。そういえば、そこから「院生・PDは社会人か否か」論争が始まったのでした。実は、「大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」ことである」と書いたのは、私です。私もTaiyoさんと同じく、日本における現行の院生の扱い(経済的・社会的)に批判的な立場なので、軽い問題提起のつもりで書きました。問題提起にはなったようですが、途中から様々な誤解が重なって個人攻撃的な方向に行ってしまったのが少し残念です。
ただ、教授のためにタダ働きしている学生は、私の見聞きした限りではほとんどいませんでしたよ。教授の研究の手伝いはPDもしくは研究員で、彼らは給料をもらっていました。ですから、日本の学生が無給だからと言って教授のためにタダ働きさせられているわけではないということにはご注意願います(そういうところもあるのかもしれませんが)。
>ことであるということが、早く世間の常識になるといいですね。
というコメントに対して私が日本の博士院生は「社会に出ている」とは言え
ない、と書き込んだところから脱線していました
いえいえ。そういえば、そこから「院生・PDは社会人か否か」論争が始まったのでした。実は、「大学院で研究していることもPDしていることも「社会に出ている」ことである」と書いたのは、私です。私もTaiyoさんと同じく、日本における現行の院生の扱い(経済的・社会的)に批判的な立場なので、軽い問題提起のつもりで書きました。問題提起にはなったようですが、途中から様々な誤解が重なって個人攻撃的な方向に行ってしまったのが少し残念です。
ただ、教授のためにタダ働きしている学生は、私の見聞きした限りではほとんどいませんでしたよ。教授の研究の手伝いはPDもしくは研究員で、彼らは給料をもらっていました。ですから、日本の学生が無給だからと言って教授のためにタダ働きさせられているわけではないということにはご注意願います(そういうところもあるのかもしれませんが)。

アメリカのシステムは良いところも悪いところもあります。どなたかが既に書かれているように、給料が与えられるかわりに、日本でのPD並みに教授の実験を手伝わされる大学もアメリカにはあります。そうなると、給料もらえて教授の下働きをさせられるのと、無給でも自分の研究に専念できるのとどちらが良いかは一概には言えませんね。
一番良いのは、ここでも折衷案でしょう。少なくとも博士課程の院生には給与タイプの奨学金・研究費を与える。ただし、受け入れ学生の数は厳選して今より減らす。また、教授の手伝いはRAという形をとり、一定時間以内に抑える。これで、博士課程の学生はそれなりに日本でも「社会人」として認めてもらえる待遇になるのではないでしょうか。
しかし、これでも浮かばれないのが現在のPD(しかも能力がある人々)です。本当は、雇用の流動化が高まると一番いいのですけれどね。
(これを書いている間に書き込みが増えていました。最新のものは全部読みきれていないので、他の方の議論と重複していたら申し訳ありません)
一番良いのは、ここでも折衷案でしょう。少なくとも博士課程の院生には給与タイプの奨学金・研究費を与える。ただし、受け入れ学生の数は厳選して今より減らす。また、教授の手伝いはRAという形をとり、一定時間以内に抑える。これで、博士課程の学生はそれなりに日本でも「社会人」として認めてもらえる待遇になるのではないでしょうか。
しかし、これでも浮かばれないのが現在のPD(しかも能力がある人々)です。本当は、雇用の流動化が高まると一番いいのですけれどね。
(これを書いている間に書き込みが増えていました。最新のものは全部読みきれていないので、他の方の議論と重複していたら申し訳ありません)

院生はときには(おそらく生物系の場合かなりの率で)、科研費プロジェクトの遂行役を勤めるなど、確かにその役割から言って無給、しかも学費を払う立場であることは不自然です。これは少なからず改善されるべきでしょう。
ただ、自立した社会人として認めろとなると、大学の中だけの話ではなくなります。大学教員自体のキャリアパスが、ほとんど大学の中だけで完結している場合が多く、自立した社会人としての教養を教えられるのかるかとなると疑問が多いです。
ただ、否定しているだけでは変わらないので、民間から講師を招いて社会人のルールや作法を習うというのはひとつでしょう。それから、実際に社会人並みの規範は守るべきだと思います(大学に出る時間、服装など)。また、大きく規範を踏み外した場合は解雇もやむなしですね(飲酒運転など)。まず認めろ、では無くて、認められる人になってくださいということです。
そもそも、院生を自立した社会人と考えるなら、教員、ないしは研究員として雇用して研修を積ませるという形がふさわしい気がします(たぶん今の大学機構だと無理なのでしょうけど)。
ただ、自立した社会人として認めろとなると、大学の中だけの話ではなくなります。大学教員自体のキャリアパスが、ほとんど大学の中だけで完結している場合が多く、自立した社会人としての教養を教えられるのかるかとなると疑問が多いです。
ただ、否定しているだけでは変わらないので、民間から講師を招いて社会人のルールや作法を習うというのはひとつでしょう。それから、実際に社会人並みの規範は守るべきだと思います(大学に出る時間、服装など)。また、大きく規範を踏み外した場合は解雇もやむなしですね(飲酒運転など)。まず認めろ、では無くて、認められる人になってくださいということです。
そもそも、院生を自立した社会人と考えるなら、教員、ないしは研究員として雇用して研修を積ませるという形がふさわしい気がします(たぶん今の大学機構だと無理なのでしょうけど)。

学生時代というのは、しがらみなく好きな研究ができる唯一な時期だと思っていたのですが。
グラントの仕事に学生を従事させるならば、そのグラントから給料を出すべきではないでしょうか。学振のような個人にでる研究費と給与は、本人の好きなように研究をさせればいいんじゃないですかね。無給の学生は、本人がそれでいいと思うのなら、搾取されようが本人の自由だと思いますが。他の人が給与を貰っていて、自分が無給なのだったら、それでもいいと思う学生以外は進学しないと思います。周りがモラトリアムだから、自分もそうなるわけでして。
グラントの仕事に学生を従事させるならば、そのグラントから給料を出すべきではないでしょうか。学振のような個人にでる研究費と給与は、本人の好きなように研究をさせればいいんじゃないですかね。無給の学生は、本人がそれでいいと思うのなら、搾取されようが本人の自由だと思いますが。他の人が給与を貰っていて、自分が無給なのだったら、それでもいいと思う学生以外は進学しないと思います。周りがモラトリアムだから、自分もそうなるわけでして。

>民間から講師を招いて社会人のルールや作法を習うというのはひとつでしょう。
Aさんのご提案には、全く賛同します。私が海外の大学で感心したことの一つは、あらゆる分野の専攻者に対して、社会人としてのふるまいの訓練の機会(ワークショップ)を大学の中で与えていることです。挨拶、自己紹介、プレゼン、カバーレターなどの書き方・・・様々なことを無償または非常に廉価な参加費で教えてもらえます。実習ももちろんあります。
社会人としての嗜みだけではありません。院に入ったら「院生として時間管理をどのように配分して学位号取得までもっていったらよいか」「ストレスをいかに解消するか」「学会発表で効果的にプレゼンするにはどうしたらよいか」から「教授とのトラブルにはどのように対処したらよいか」まで、実に様々なワークショップが開かれています。
院生だけではありません。教員に向けても、「魅力的な授業のすすめ方」「学生とのコミュニケーションのとり方」「グラントの戦略的な応募方法」などなど豊富なプログラムが揃っていました。もちろん、実習もあります。
Aさんのご提案には、全く賛同します。私が海外の大学で感心したことの一つは、あらゆる分野の専攻者に対して、社会人としてのふるまいの訓練の機会(ワークショップ)を大学の中で与えていることです。挨拶、自己紹介、プレゼン、カバーレターなどの書き方・・・様々なことを無償または非常に廉価な参加費で教えてもらえます。実習ももちろんあります。
社会人としての嗜みだけではありません。院に入ったら「院生として時間管理をどのように配分して学位号取得までもっていったらよいか」「ストレスをいかに解消するか」「学会発表で効果的にプレゼンするにはどうしたらよいか」から「教授とのトラブルにはどのように対処したらよいか」まで、実に様々なワークショップが開かれています。
院生だけではありません。教員に向けても、「魅力的な授業のすすめ方」「学生とのコミュニケーションのとり方」「グラントの戦略的な応募方法」などなど豊富なプログラムが揃っていました。もちろん、実習もあります。

教育関係や対人関係のワークショップの場合には、大抵は、学内の教育学やコミュニケーション学の専門家が講師をつとめていました。日本ではまだまだこうした訓練を授けられる専門家は学内には少ないと思うので、やはり、外部から招くことになるでしょう。
ワークショップ文化の日本の大学への積極的な導入は、大学内を活性化するばかりでなく、学外との連携という点でも非常に重要であると考えます。
ワークショップ文化の日本の大学への積極的な導入は、大学内を活性化するばかりでなく、学外との連携という点でも非常に重要であると考えます。

学生に給料を出せというのは私も賛成ですが、私が見たアメリカの研究所では、「学生に給料を出す」ということは、「雇用者である教授の一存で解雇(退学)出来る」といのと、セットで運用されていました。
日本の体質を考えると、やはり、そのまま持込んでも、うまくいかないと思います。米国で認められている理由で解雇(退学)しても、日本では不当だと裁判になります。
ただ、学生にお金だけ給料の名目で渡しても、名前が違う無償の奨学金を増やすだけの気がします。権利と義務の両方を導入すべきですが、難しいと思います。
日本の体質を考えると、やはり、そのまま持込んでも、うまくいかないと思います。米国で認められている理由で解雇(退学)しても、日本では不当だと裁判になります。
ただ、学生にお金だけ給料の名目で渡しても、名前が違う無償の奨学金を増やすだけの気がします。権利と義務の両方を導入すべきですが、難しいと思います。

もう一つの問題は、財源をどうするかです。
日本では「研究は役立たない」=「無駄」という、論調が多いです。基礎研究予算の大幅削減が言われています。例えば、財務省や文部科学省の理化学研究所に対する評価が厳しく、長期的には潰す方向で議論されているのはご存知ですか?
また、さきがけやCRESTOなど、日本から多くの科学的成果を発信した原資となったJSTも潰す方向です。名目上は、学振と合併の形をとるのでしょうが、科技庁系の組織で文部科学省の意向が届きにくいからだろうとある学会では話題になっていました。
評価の根拠は、論文の質とか、インパクトのある科学的成果の問題ではなく、「基礎研究をしても日本の社会の役には立たない」という、決めつけによるものです。基礎研究は予算を削減された大学で細々と行えばいいという位置付けです。
院生に給料を払うどころか、研究の原資すらなく、機器の更新が出来ない国立大学が地方を中心に増えています。また、研究所不要論もまかり通っています。
これらは最近5年程で急速に進みました。今後さらに加速度を増します。院生に給料を払うことは、予算の上でも難しいと思いますよ。
日本では「研究は役立たない」=「無駄」という、論調が多いです。基礎研究予算の大幅削減が言われています。例えば、財務省や文部科学省の理化学研究所に対する評価が厳しく、長期的には潰す方向で議論されているのはご存知ですか?
また、さきがけやCRESTOなど、日本から多くの科学的成果を発信した原資となったJSTも潰す方向です。名目上は、学振と合併の形をとるのでしょうが、科技庁系の組織で文部科学省の意向が届きにくいからだろうとある学会では話題になっていました。
評価の根拠は、論文の質とか、インパクトのある科学的成果の問題ではなく、「基礎研究をしても日本の社会の役には立たない」という、決めつけによるものです。基礎研究は予算を削減された大学で細々と行えばいいという位置付けです。
院生に給料を払うどころか、研究の原資すらなく、機器の更新が出来ない国立大学が地方を中心に増えています。また、研究所不要論もまかり通っています。
これらは最近5年程で急速に進みました。今後さらに加速度を増します。院生に給料を払うことは、予算の上でも難しいと思いますよ。

>これらは最近5年程で急速に進みました。今後さらに加速度を増し
>ます。院生に給料を払うことは、予算の上でも難しいと思いますよ。
払えないのなら博士院生を受け入れるべきでない、給与が払えるだけの博士院生数に落ち着くべきだと思います。無給の博士院生を無節操に受け入れているから日本の研究開発費に見合わない数の学位保持者が生まれているのではないでしょうか。
政府の基礎科学や大学予算の削減は私も残念に思いますが、ではそういった社会の流れを直に感じた上で、先も知れない博士院生を無給で受け入れることに責任はお感じにならないのでしょうか?
>ます。院生に給料を払うことは、予算の上でも難しいと思いますよ。
払えないのなら博士院生を受け入れるべきでない、給与が払えるだけの博士院生数に落ち着くべきだと思います。無給の博士院生を無節操に受け入れているから日本の研究開発費に見合わない数の学位保持者が生まれているのではないでしょうか。
政府の基礎科学や大学予算の削減は私も残念に思いますが、ではそういった社会の流れを直に感じた上で、先も知れない博士院生を無給で受け入れることに責任はお感じにならないのでしょうか?

taiyoさん
同じ主張の繰り返しをオウムの様にするのはどうかと思います。
それから,頭から、大学側=悪と決めつけるのもです。
同じ主張の繰り返しでは議論になりませんが。。。
前にも書きましたが、
1.院生の給与の形で支払われているのは米国や欧州のわずかな国だけです。
2.欧州で院生にお金が支払われるのは奨学金としてです。
3.奨学金が奨学ローンの国もあります。
日本は3に属します。欧州の国と比べ、極端に制度がおかしいとは思いません。逆に、院生に給与が支払われるという米国でも、大学に依っては学生が貰うわけではありません。自分で学費を支払って、通う学生もいます。また,日本でも学振を貰う院生もいます。
院生の受入は、文部科学省の方針で決められ、大学側は口を挟む余地はありません。他の人の書き込みにも何度も出てきていますが...
かつての,重点化前の大学院は、博士学生全員が育英会の奨学金を貰え,それで何とか生活できました.そして,大学教員になれば変換不要でした.
但し,育英会も廃止になるそうで、今は難しいと思います。
同じ主張の繰り返しをオウムの様にするのはどうかと思います。
それから,頭から、大学側=悪と決めつけるのもです。
同じ主張の繰り返しでは議論になりませんが。。。
前にも書きましたが、
1.院生の給与の形で支払われているのは米国や欧州のわずかな国だけです。
2.欧州で院生にお金が支払われるのは奨学金としてです。
3.奨学金が奨学ローンの国もあります。
日本は3に属します。欧州の国と比べ、極端に制度がおかしいとは思いません。逆に、院生に給与が支払われるという米国でも、大学に依っては学生が貰うわけではありません。自分で学費を支払って、通う学生もいます。また,日本でも学振を貰う院生もいます。
院生の受入は、文部科学省の方針で決められ、大学側は口を挟む余地はありません。他の人の書き込みにも何度も出てきていますが...
かつての,重点化前の大学院は、博士学生全員が育英会の奨学金を貰え,それで何とか生活できました.そして,大学教員になれば変換不要でした.
但し,育英会も廃止になるそうで、今は難しいと思います。

> 政府の基礎科学や大学予算の削減は私も残念に思いますが、
> ではそういった社会の流れを直に感じた上で、先も知れない
> 博士院生を無給で受け入れることに責任はお感じにならないの
> でしょうか?
わたしが書き込んだ内容は、今年になって出てきたもので、多くの大学教員は知らないと思います。ある学会の役員会で出た、一定の信憑性がある噂です。
「無給で院生を引き受けるのに責任を感じないか」ですが、私は大学教員では無いので、感じません。文科省の研究所でもないので、院生はいなくても良いのです。
彼らが来たいと言うから無償で受け入れているだけです。頭から責任は..といわれても困ります.実際に、こちらから進学を勧めたことはありません。。
> ではそういった社会の流れを直に感じた上で、先も知れない
> 博士院生を無給で受け入れることに責任はお感じにならないの
> でしょうか?
わたしが書き込んだ内容は、今年になって出てきたもので、多くの大学教員は知らないと思います。ある学会の役員会で出た、一定の信憑性がある噂です。
「無給で院生を引き受けるのに責任を感じないか」ですが、私は大学教員では無いので、感じません。文科省の研究所でもないので、院生はいなくても良いのです。
彼らが来たいと言うから無償で受け入れているだけです。頭から責任は..といわれても困ります.実際に、こちらから進学を勧めたことはありません。。
御存知とは思いますが、ちょっと補足。
アメリカでも、全ての大学院生が、給料を貰っている訳ではありません。理系の院生は、基本的に給料を貰っていますが、全員が、"研究することに依って"、給料を貰っている訳でもありません。現在、私が所属しているところでは、bossがgrantから払える場合は、院生はRAとして給料を貰い(この場合は研究することに依って給料を貰うことになる訳ですが)、bossが貧乏な場合は、大学(=所属の学部)から給料が出ることになります。その場合は、TAとなり、院生は授業の手助けをすることになります。大学に依っては、TAがなく、bossがお金がなければ、そもそも大学院生を採れないところもあります。
文系に至っては、大学院生が、『先生』として学部生に授業をして給料を得ているようです。また、夏休みや冬休みにバイトをするのも例外ではないようです。
アメリカでも、全ての大学院生が、給料を貰っている訳ではありません。理系の院生は、基本的に給料を貰っていますが、全員が、"研究することに依って"、給料を貰っている訳でもありません。現在、私が所属しているところでは、bossがgrantから払える場合は、院生はRAとして給料を貰い(この場合は研究することに依って給料を貰うことになる訳ですが)、bossが貧乏な場合は、大学(=所属の学部)から給料が出ることになります。その場合は、TAとなり、院生は授業の手助けをすることになります。大学に依っては、TAがなく、bossがお金がなければ、そもそも大学院生を採れないところもあります。
文系に至っては、大学院生が、『先生』として学部生に授業をして給料を得ているようです。また、夏休みや冬休みにバイトをするのも例外ではないようです。

>『基礎研究は大学で(個人が)細々と行えばいい』
私はこれは良い方向性だと思います。しかし、研究予算を減らすのは反対です。つまり、基礎研究は多くの人間が小さな予算で工夫しながらやるものだと考えます。一人のPIに1億も2億もの研究費をつぎ込んだところで、成果は比例しません。逆に、PIあたりの研究費を1/10、1/100にしてでも、PIの数を2倍3倍にしていけば、真の意味で革新的な(既存の概念の延長上ではない)研究の「芽」が出る可能性が高まると思います。その「芽」に重点的にお金を注いで、国の財産にしてくというのが正しい科学行政のあり方だと思います。著名な科学雑誌に論文が掲載されても、5年もすれば忘れていくもので、所詮、雑誌の「記事」に過ぎません。
本当に大切なのは、既存の概念に縛られない発想が出来て、それに迷いなく挑戦できる「(若い)人材」でしょう。この期間を(研究費太りの)PIの手伝いに費やさせているようでは日本の科学は先細りです。行政は、ポストポスドク問題なんて言っていないで、全員をPIにするくらいの心意気でやって欲しいものです。結局、国の力となるのは論文でも業績リストでもなく、人材と可能性だと思います。
私はこれは良い方向性だと思います。しかし、研究予算を減らすのは反対です。つまり、基礎研究は多くの人間が小さな予算で工夫しながらやるものだと考えます。一人のPIに1億も2億もの研究費をつぎ込んだところで、成果は比例しません。逆に、PIあたりの研究費を1/10、1/100にしてでも、PIの数を2倍3倍にしていけば、真の意味で革新的な(既存の概念の延長上ではない)研究の「芽」が出る可能性が高まると思います。その「芽」に重点的にお金を注いで、国の財産にしてくというのが正しい科学行政のあり方だと思います。著名な科学雑誌に論文が掲載されても、5年もすれば忘れていくもので、所詮、雑誌の「記事」に過ぎません。
本当に大切なのは、既存の概念に縛られない発想が出来て、それに迷いなく挑戦できる「(若い)人材」でしょう。この期間を(研究費太りの)PIの手伝いに費やさせているようでは日本の科学は先細りです。行政は、ポストポスドク問題なんて言っていないで、全員をPIにするくらいの心意気でやって欲しいものです。結局、国の力となるのは論文でも業績リストでもなく、人材と可能性だと思います。

どなたか、基礎研究の重要性を説いた本・記事・研究などご存知ありませんか? あるいは、基礎研究をおろそかにしたためにその国の様々な側面に悪影響が出た例について書かれたものはないでしょうか?
中・長期的展望に立てば基礎研究は社会の役にたつのだということを分かりやすく外部の者に向かって説明できれば、事態打開への糸口につながるかもしれません。
中・長期的展望に立てば基礎研究は社会の役にたつのだということを分かりやすく外部の者に向かって説明できれば、事態打開への糸口につながるかもしれません。

科学を放棄して滅んだ国の話であれば「魔性の歴史:マクロ経営学からみた太平洋戦争」は如何でしょう?国全体の経営を無視したという意味で基礎研究放棄です。
具体的な話題でしたら、戦争中の日本の核開発と限界についてふれた本があったと記憶しています。石油の方から見た新書(人造石油とか松根油のことまで含めて)も最近出ています。基礎科学どころか技術も怪しいですが。
基礎研究がそのまま社会における論理性に結びついているとすれば、情報を論理的に扱うことに失敗した記録「大本営情報参謀の見た太平洋戦争」(タイトルは正確ではありません)といった本が出ていました。奥宮氏が著者だったような・・・。
具体的な話題でしたら、戦争中の日本の核開発と限界についてふれた本があったと記憶しています。石油の方から見た新書(人造石油とか松根油のことまで含めて)も最近出ています。基礎科学どころか技術も怪しいですが。
基礎研究がそのまま社会における論理性に結びついているとすれば、情報を論理的に扱うことに失敗した記録「大本営情報参謀の見た太平洋戦争」(タイトルは正確ではありません)といった本が出ていました。奥宮氏が著者だったような・・・。

学生の立場および就職活動生として実感を書きます。
現在の就職の感じでは
まじめに研究していれば、よほどマニアックでなければ
大手でも面接までは呼ばれます。その後は本人次第でしょう。
まだ、内定はいただいていませんが。
生活に関しては学術振興会が通っていないので
RAで5万+月平均2-3万程度の非常勤講師に
一種奨学金が月12万ほどです。
甘い推察かもしれませんが博士の半数は半額以上の奨学金免除
になるので半分は収入月6万になると考えています。
支出面では学費が月に5万ほどかかっているので
これがもっとも痛いです。
自分の考えとしては授業料を月1-2万程度に抑え、
学生に月5-15万ほど業績に応じて変動して支給するのがよいと
思います。これなら大学側は数万は支給する立場になるので
ひどい学生を取らないようになるでしょうし。
上に書かれているように無給でなくお金を納めさせて労働させていると
大学にとって都合がよすぎるので絶対に変わらないと思います。
現在の就職の感じでは
まじめに研究していれば、よほどマニアックでなければ
大手でも面接までは呼ばれます。その後は本人次第でしょう。
まだ、内定はいただいていませんが。
生活に関しては学術振興会が通っていないので
RAで5万+月平均2-3万程度の非常勤講師に
一種奨学金が月12万ほどです。
甘い推察かもしれませんが博士の半数は半額以上の奨学金免除
になるので半分は収入月6万になると考えています。
支出面では学費が月に5万ほどかかっているので
これがもっとも痛いです。
自分の考えとしては授業料を月1-2万程度に抑え、
学生に月5-15万ほど業績に応じて変動して支給するのがよいと
思います。これなら大学側は数万は支給する立場になるので
ひどい学生を取らないようになるでしょうし。
上に書かれているように無給でなくお金を納めさせて労働させていると
大学にとって都合がよすぎるので絶対に変わらないと思います。

科学力(技術含む)で繁栄したのは大英帝国(蒸気機関)。その他戦争があると技術は進歩しますね。とりあえずここまで国の財政が悪化してしまったら、基礎研究費が減るのは仕方ないでしょう。もっと税金を上げて国民に負担してもらえれば別ですが。パトロンを見つけるか、外国でも行くか、知り合いにアイデアは投げて自分は違う職に就くか、というところでしょうか。実力主義任期制が行き渡っても、また違う綻びが生じるでしょうし。

Aさん
かなり,官僚や政治家が語っていることを勉強されていると思います.これまでの書き込みを見ていると,それらは,官僚の口をついてでてくるものが多いです.だから,マスコミ関係者かと思っています.
例えば,
> 「芽」に重点的にお金を注いで、国の財産にしてくというのが正しい
> 科学行政のあり方だと思います。
これは、役人がよく言うことですが、必ずしも正しくはありません。「科学の芽」として、役人が想定しているのは応用研究や特許です.しかし現実には,目に見えない技術的ノウハウが数多くあり,特許や製品化など目に見えることだけを、重視するのは非常に危ういです.
さらに、嫌な動きもあります.小泉内閣で、各種の国家プロジェクトが削減されました。大規模なプロジェクトの削減分を、科学技術枠で読み替え続けています。科学技術予算の総枠は増えたと新聞発表していますが、増えたのは公共事業的なプロジェクト予算で、実質の研究費は減っています。科学技術族と呼ばれる族議員が増えていますが,彼らは大学や研究所の研究に興味はなく、企業(献金元)や地域(選挙区)が関係する国家プロジェクトに興味が有る様に見えます.
かなり,官僚や政治家が語っていることを勉強されていると思います.これまでの書き込みを見ていると,それらは,官僚の口をついてでてくるものが多いです.だから,マスコミ関係者かと思っています.
例えば,
> 「芽」に重点的にお金を注いで、国の財産にしてくというのが正しい
> 科学行政のあり方だと思います。
これは、役人がよく言うことですが、必ずしも正しくはありません。「科学の芽」として、役人が想定しているのは応用研究や特許です.しかし現実には,目に見えない技術的ノウハウが数多くあり,特許や製品化など目に見えることだけを、重視するのは非常に危ういです.
さらに、嫌な動きもあります.小泉内閣で、各種の国家プロジェクトが削減されました。大規模なプロジェクトの削減分を、科学技術枠で読み替え続けています。科学技術予算の総枠は増えたと新聞発表していますが、増えたのは公共事業的なプロジェクト予算で、実質の研究費は減っています。科学技術族と呼ばれる族議員が増えていますが,彼らは大学や研究所の研究に興味はなく、企業(献金元)や地域(選挙区)が関係する国家プロジェクトに興味が有る様に見えます.

正味の科学技術予算の削減を最も感じているのは,理化学機器の納入業者です.日本中の何処の会社も売上げ減です。何処の研究所や大学に行っても予算が減り、非常に厳しい状態だと言っています。恐らく、数年以内には潰れる会社も出てきます。
日本の科学者が良い理化学機器を作っても、日本の研究機関では購入できず、大部分が海外で売れ、最先端の論文やその技術的成果は海外に先を越される可能性が高いです。長期的にはジリビンです。
Aさんは、日本に無ければ海外の技術を買えばいいと、以前の書かれましたが,大きな間違いです。外国もバカではありません。本当の重要技術は、外国に売りません。技術を失えば、2番手にずっと甘んじ、回復には相当長い時間とお金を掛ける必要があります。
中国は,文革で学者や科学を10年間排斥し続けました.その後,政策を改めましたが,回復に20-30年掛かりました.今,中国は膨大な研究費を掛け,海外の技術を買い,海外から人材を呼び戻しています.しかし,今のところは日本に負けています.それは,最先端の技術はなかなか供与して貰えないためです.自前の技術ではないと、トップは取れないのです.
日本の科学者が良い理化学機器を作っても、日本の研究機関では購入できず、大部分が海外で売れ、最先端の論文やその技術的成果は海外に先を越される可能性が高いです。長期的にはジリビンです。
Aさんは、日本に無ければ海外の技術を買えばいいと、以前の書かれましたが,大きな間違いです。外国もバカではありません。本当の重要技術は、外国に売りません。技術を失えば、2番手にずっと甘んじ、回復には相当長い時間とお金を掛ける必要があります。
中国は,文革で学者や科学を10年間排斥し続けました.その後,政策を改めましたが,回復に20-30年掛かりました.今,中国は膨大な研究費を掛け,海外の技術を買い,海外から人材を呼び戻しています.しかし,今のところは日本に負けています.それは,最先端の技術はなかなか供与して貰えないためです.自前の技術ではないと、トップは取れないのです.

科学技術でトップになるには常に周囲の動向に気を配り、投資し続けないと維持できません.一度,外れてしまうと、元に戻すのは相当な再投資が必要なのです.

研究は一度縮小すると簡単には戻せないので、企業は不景気でも研究所は切らないと聞いていました。学生の時(不況だった頃)、「企業が研究所を切り詰めはじめている」と聞き、意外に思ったのと、ちょうど大学院重点化もあり、これからは大学の研究が重要になると考えました。豈図らん、大学がこんな有り様になるとは思っていませんでした。
大学は、これまで蓄積した知識を学生に伝えると共に、教科書に載っていないことを研究し明らかにすることが使命なのだと考えていました。だからこそ数多くの研究室があり、学生が自ら研究に従事しているのだと思っていました。これまでの皆さんのコメントをみても、もはや大学の研究機関としての役割は終わったのかもしれませんね。
大学は、これまで蓄積した知識を学生に伝えると共に、教科書に載っていないことを研究し明らかにすることが使命なのだと考えていました。だからこそ数多くの研究室があり、学生が自ら研究に従事しているのだと思っていました。これまでの皆さんのコメントをみても、もはや大学の研究機関としての役割は終わったのかもしれませんね。

皆さんの見識に関しております。
理研をつぶせという話しがあるというのには驚きました。
Aさんの一人のPIに何億も出すより、多くの人に出して芽を育てることに重点を置くべきとのご意見、全くそのとおりだと思います。でも、どうしてこうなったのかといえば、従来薄く広く全然研究しない人までに出していたという反動の部分もあろうかと思います。研究界の自浄作用のなさが極端な振れにつながったのではと思います。
もう一つはポスドク問題にしてももっと大きな問題にしても、一般的な科学技術に対する認識が低いという問題が底辺にあることがはっきりしてきましたね。科学コミニュケーションのNPOを立ち上げた人たちの見識がいかに正しかったか今頃感じています。
理研をつぶせという話しがあるというのには驚きました。
Aさんの一人のPIに何億も出すより、多くの人に出して芽を育てることに重点を置くべきとのご意見、全くそのとおりだと思います。でも、どうしてこうなったのかといえば、従来薄く広く全然研究しない人までに出していたという反動の部分もあろうかと思います。研究界の自浄作用のなさが極端な振れにつながったのではと思います。
もう一つはポスドク問題にしてももっと大きな問題にしても、一般的な科学技術に対する認識が低いという問題が底辺にあることがはっきりしてきましたね。科学コミニュケーションのNPOを立ち上げた人たちの見識がいかに正しかったか今頃感じています。

x関して
○感心して
○感心して

> 基礎研究をおろそかにしたためにその国の様々な側面に
> 悪影響が出た例について書かれたものはないでしょうか?
基礎研究を切り捨てた国として比較的最近の事例は
ニュージーランドではないでしょうか。
もちろん日本とニュージーランドとでは国力が違うので
同日に語るのは少し乱暴かもしれませんが、
例えば下記アドレス:
http://ha5.seikyou.ne.jp/home/touhokudai-syokuso/
docs99/nz_rep.html
のリポートなどを読むと、対岸の火事とは言ってられない
気がしてなりません。
> 悪影響が出た例について書かれたものはないでしょうか?
基礎研究を切り捨てた国として比較的最近の事例は
ニュージーランドではないでしょうか。
もちろん日本とニュージーランドとでは国力が違うので
同日に語るのは少し乱暴かもしれませんが、
例えば下記アドレス:
http://ha5.seikyou.ne.jp/home/touhokudai-syokuso/
docs99/nz_rep.html
のリポートなどを読むと、対岸の火事とは言ってられない
気がしてなりません。

放浪者さんはじめ皆様、基礎研究軽視の悪例に関する情報、どうもありがとうございます。勉強になります。
ニュージーランドについては、こんなレポートも見つけました。
http://ac-net.org/dgh/99b30-newzealand.html
http://ac-net.org/dgh/99b29-newzealand.html
「実用性,実現可能性などが先に来て,内容が科学的に優れているか
どうかや.創造性は,研究費割り当てにとって比較的に重要でなくなったことである.(中略)長期的に見て,これはNZ科学の発展にとって重大
な損害を及ぼすであろう」
最近のJST関連の動きなどを見ていると、上の文章が人ごとではないように感じられてきます。
(ところで、20代海外PDさん。上のリンク先だとどのページにニュージーランドのレポートがあるのでしょうか? 探し方がよくわからないので、教えてください)
ニュージーランドについては、こんなレポートも見つけました。
http://ac-net.org/dgh/99b30-newzealand.html
http://ac-net.org/dgh/99b29-newzealand.html
「実用性,実現可能性などが先に来て,内容が科学的に優れているか
どうかや.創造性は,研究費割り当てにとって比較的に重要でなくなったことである.(中略)長期的に見て,これはNZ科学の発展にとって重大
な損害を及ぼすであろう」
最近のJST関連の動きなどを見ていると、上の文章が人ごとではないように感じられてきます。
(ところで、20代海外PDさん。上のリンク先だとどのページにニュージーランドのレポートがあるのでしょうか? 探し方がよくわからないので、教えてください)

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↑ ありがとうございます。

40台海外ポスドクさんとreさんを混同して申し訳ありませんでした。
日本でも現在、博士課程では、学費免除申請が通る場合も多々ありますし、先生がちゃんとしていらっしゃれば、TAや、COEその他の研究からアシスタントという形で博士課程の学生にお金を出して下さる研究室も多くあります。
ちなみに、アメリカの研究開発費は日本3倍弱もありますが、一方で、EU全体を合わせても日本の2倍弱なのですから、アメリカの環境と比較しても仕方ないのでは?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0117&f=column_0117_003.shtml
日本でも現在、博士課程では、学費免除申請が通る場合も多々ありますし、先生がちゃんとしていらっしゃれば、TAや、COEその他の研究からアシスタントという形で博士課程の学生にお金を出して下さる研究室も多くあります。
ちなみに、アメリカの研究開発費は日本3倍弱もありますが、一方で、EU全体を合わせても日本の2倍弱なのですから、アメリカの環境と比較しても仕方ないのでは?
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0117&f=column_0117_003.shtml

こんにちは。興味深く拝見させて頂いております。
現状対応として今の時点での結論は、我々ポスドクは自助努力で頑張ろう、院生は企業への就職活動頑張ろう、学部生は盲目的にならずよーく考えて、海外大学院や企業のこともよく調べてから決めよう、ということでいいのではないでしょうか。
さて将来どうしていくのかという問題について、誰が動くべきでしょうか。わたしは結局、大学教員が学会なり専攻単位なりで徒党を組んで、文科省へのアピールと、世間への宣伝を上手く煽っていくしかないと思うのですが、いかがでしょうか?他にその役を担うべき存在を思いつきません。
大学教員がもし本当に危機感を持っているなら、動く時ではないでしょうか。声を上がると研究室ごとつぶされる恐怖があると、日系のBTJジャーナルなんかにも書いてありましたが、世間へのアピールを上手くやれば実際そこまであるとは思いませんし、もし本当にそんなことになったらメディアもそれなりの大きさで扱うでしょう。それに、それで本当に潰されたら、すっきりしてあきらめがつくのではないでしょうか。
現状対応として今の時点での結論は、我々ポスドクは自助努力で頑張ろう、院生は企業への就職活動頑張ろう、学部生は盲目的にならずよーく考えて、海外大学院や企業のこともよく調べてから決めよう、ということでいいのではないでしょうか。
さて将来どうしていくのかという問題について、誰が動くべきでしょうか。わたしは結局、大学教員が学会なり専攻単位なりで徒党を組んで、文科省へのアピールと、世間への宣伝を上手く煽っていくしかないと思うのですが、いかがでしょうか?他にその役を担うべき存在を思いつきません。
大学教員がもし本当に危機感を持っているなら、動く時ではないでしょうか。声を上がると研究室ごとつぶされる恐怖があると、日系のBTJジャーナルなんかにも書いてありましたが、世間へのアピールを上手くやれば実際そこまであるとは思いませんし、もし本当にそんなことになったらメディアもそれなりの大きさで扱うでしょう。それに、それで本当に潰されたら、すっきりしてあきらめがつくのではないでしょうか。

皆さんのコメントを拝見していて、米国の制度を導入するのであれば、
やはり「労働対価」の概念を浸透させなければいけないなと思いました。
労働の成果に対する正当な評価ができないから、
コネ公募やタダ働きが横行するのでしょう。
ここで言う正当な評価とは、目に見える目先の成果に対するものではなく、
日本という国の未来を見据えたものでなくてはいけないと思います。
もし大学院が教育機関であるならば、学生が支払ったお金で、もっと教職員が教育に従事しなければいけないし、
もし大学院が研究機関であるならば、研究職員が支払ったお金で、もっと学生が研究に従事しなければいけないのだろうと思います。
やはり「労働対価」の概念を浸透させなければいけないなと思いました。
労働の成果に対する正当な評価ができないから、
コネ公募やタダ働きが横行するのでしょう。
ここで言う正当な評価とは、目に見える目先の成果に対するものではなく、
日本という国の未来を見据えたものでなくてはいけないと思います。
もし大学院が教育機関であるならば、学生が支払ったお金で、もっと教職員が教育に従事しなければいけないし、
もし大学院が研究機関であるならば、研究職員が支払ったお金で、もっと学生が研究に従事しなければいけないのだろうと思います。

自分の出所進退を間違えると悲劇なのが政治家も研究者も同じ。
だめな奴は、やめるしかないだろうに!
わかりきったことさ。
↓これを参照すべし。 もちろん私はこのURLとは関係ない。
http://blog.goo.ne.jp/y-mrkm/e/77c13f26c38ed33b0481a3b32d6eb5f9
だめな奴は、やめるしかないだろうに!
わかりきったことさ。
↓これを参照すべし。 もちろん私はこのURLとは関係ない。
http://blog.goo.ne.jp/y-mrkm/e/77c13f26c38ed33b0481a3b32d6eb5f9

>もちろん私はこのURLとは関係ない。
? URLのご本人さまでは?
それにしても、周りを見ていて、本当に苦しいのは通りすがりNo8640986さんが非難しているような「全く研究者としての見込みが無い人」ではなく、「ほんの少し前だったら研究者としてやっていけたはずの人」や「研究者としての能力はそこそこあるのだが、なぜかPIにまだなれていない人」だと思います。
そして、彼らと大して能力的には変らない「勝ち組」が、「負け組」を「能力無い奴は去れ」と非難する傾向にあるのは、なんだか部外者としては見ていて悲しいです。本当に能力優れている「勝ち組」の人は、あまり「自己責任云々」を振りかざさない気がします。
(文系は、ある意味、皆「負け組」だからか、アカポスでも「能力と就職は比例しない」と分かっているので、このような悲しい議論はあまり聞いたことがありません)
? URLのご本人さまでは?
それにしても、周りを見ていて、本当に苦しいのは通りすがりNo8640986さんが非難しているような「全く研究者としての見込みが無い人」ではなく、「ほんの少し前だったら研究者としてやっていけたはずの人」や「研究者としての能力はそこそこあるのだが、なぜかPIにまだなれていない人」だと思います。
そして、彼らと大して能力的には変らない「勝ち組」が、「負け組」を「能力無い奴は去れ」と非難する傾向にあるのは、なんだか部外者としては見ていて悲しいです。本当に能力優れている「勝ち組」の人は、あまり「自己責任云々」を振りかざさない気がします。
(文系は、ある意味、皆「負け組」だからか、アカポスでも「能力と就職は比例しない」と分かっているので、このような悲しい議論はあまり聞いたことがありません)

>>PDを応援する会団長さん
自分も同様に思います。ごく一部の飛び抜けた人を除けば、紙一重の差(例えば、指導教授に恵まれたとか)が、大きい気がします。
煽りでしょうが、駄目な奴は...と言い切れるのはスゴイと思います。
自分も同様に思います。ごく一部の飛び抜けた人を除けば、紙一重の差(例えば、指導教授に恵まれたとか)が、大きい気がします。
煽りでしょうが、駄目な奴は...と言い切れるのはスゴイと思います。

NK大のyoshiさんですよね。ご本人ではないと思いますよ。
アカデミック志望者は、このような「勝ち組」を目指している人が多いので、ポジションを得た「勝ち組」が我々のようなキャリアパスが築けていない者を見下すのは仕方がないことではないかと。
特にこの方のように、若く自負心に溢れていれば、自分がこの立場に立って当然だとお考えなのでしょうね。能力無き者は去れ、というのも、煽りではないと思います。
優秀な方とは思いますが、私はこの人とは異なる教員像を目指したいと思っています(無論アカデミックに就ければの話ですがね。)
アカデミック志望者は、このような「勝ち組」を目指している人が多いので、ポジションを得た「勝ち組」が我々のようなキャリアパスが築けていない者を見下すのは仕方がないことではないかと。
特にこの方のように、若く自負心に溢れていれば、自分がこの立場に立って当然だとお考えなのでしょうね。能力無き者は去れ、というのも、煽りではないと思います。
優秀な方とは思いますが、私はこの人とは異なる教員像を目指したいと思っています(無論アカデミックに就ければの話ですがね。)
> PDを応援する会団長様
> 36歳PD様
「通りすがり No8640986 」さんは私じゃないですよ (^^;)
基本的に私は、「能力無き者は去れ」とは思っていないんです。去る去らない、ではなくて、「自己責任」の議論が無くなってしまうことが悲しいというか、むなしくなっています。そんな気持ちで、いくつかエントリーを書いたのですが・・・・・・
> 36歳PD様
「通りすがり No8640986 」さんは私じゃないですよ (^^;)
基本的に私は、「能力無き者は去れ」とは思っていないんです。去る去らない、ではなくて、「自己責任」の議論が無くなってしまうことが悲しいというか、むなしくなっています。そんな気持ちで、いくつかエントリーを書いたのですが・・・・・・

36歳PDさん、yoshiさん、
ごめんなさい。私の勘違いでしたね。「通りすがり No8640986 」の名前をクリックするとyoshiさんのブログに辿り着いたものですから(こんなこと出来るんですね!)。yoshiさんには、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
個人的には、「自己責任」の重要性を現在のPD本人(や長期PDもしくは無給OD経験者)が自戒を込めて言う分には良いと思います。
しかし、現状では、「なんとか上手くいった人(アカポスであれ企業であれ)」や「勝手に制度を作って若者に苦労させておいて自分は責任取らずにどこかで隠居している人」や「能力がそれなりにある長期PDの悲哀や現状を全くわかっていないにもかかわらず、PDに『負け組み』の烙印を押して揶揄する人」が「自己責任」論を振りかざしているような気がするのです。
ごめんなさい。私の勘違いでしたね。「通りすがり No8640986 」の名前をクリックするとyoshiさんのブログに辿り着いたものですから(こんなこと出来るんですね!)。yoshiさんには、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
個人的には、「自己責任」の重要性を現在のPD本人(や長期PDもしくは無給OD経験者)が自戒を込めて言う分には良いと思います。
しかし、現状では、「なんとか上手くいった人(アカポスであれ企業であれ)」や「勝手に制度を作って若者に苦労させておいて自分は責任取らずにどこかで隠居している人」や「能力がそれなりにある長期PDの悲哀や現状を全くわかっていないにもかかわらず、PDに『負け組み』の烙印を押して揶揄する人」が「自己責任」論を振りかざしているような気がするのです。

ところで、今、他のエントリーで「甘えては駄目」さん「re」さんなどが議論していらっしゃいますが、PD雇用問題を語っていると、このように「アカデミアVS企業(世間)」という構図の無間地獄に陥ってしまいがちです。
そんなとき、アカデミア派の理想主義が時に空回りしているように感じると同時に、企業(世間)派からは、なぜか大抵、高学歴者に対するイジメにも似たルサンチマンが感じられます(「何甘えているんだ」「好きなことばかりやっていられるか」云々)。
昨今の成果主義・競争肯定主義の行きすぎで、企業もアカデミアも、「勝ち組」も「負け組」も、ものすごく疲れているんじゃないでしょうか? 働きすぎで疲れて、今のポストを死守することに疲れて、仕事が無いことに疲れて。
どうして、みんなでwin-winになろうという建設的な方向に議論が向かないのでしょうね。。。
(全くの蛇足ですが、本来なら、私の名前は「会長」ですね。お恥ずかしい)
そんなとき、アカデミア派の理想主義が時に空回りしているように感じると同時に、企業(世間)派からは、なぜか大抵、高学歴者に対するイジメにも似たルサンチマンが感じられます(「何甘えているんだ」「好きなことばかりやっていられるか」云々)。
昨今の成果主義・競争肯定主義の行きすぎで、企業もアカデミアも、「勝ち組」も「負け組」も、ものすごく疲れているんじゃないでしょうか? 働きすぎで疲れて、今のポストを死守することに疲れて、仕事が無いことに疲れて。
どうして、みんなでwin-winになろうという建設的な方向に議論が向かないのでしょうね。。。
(全くの蛇足ですが、本来なら、私の名前は「会長」ですね。お恥ずかしい)

PDを応援する会団長さんの善意はわかりますが、私が指摘した、
「自分の出所進退を間違えると悲劇なのが政治家も研究者も同じ。」
の悲劇、つまり、現在出来している博士持ち無業/低賃金・劣悪労働の『悲劇』にはどう対処するつもりですか? 応援していれば済むものでもないかと思いますが。
「自分の出所進退を間違えると悲劇なのが政治家も研究者も同じ。」
の悲劇、つまり、現在出来している博士持ち無業/低賃金・劣悪労働の『悲劇』にはどう対処するつもりですか? 応援していれば済むものでもないかと思いますが。

yoshi様
ここでの議論でも、元の読売の記事でもそうですが、自己責任論はなくなっていませんよ。ただ単に「本人が悪い」では何の解決にもならないだけで。実際、ほとんどのポスドクは自己責任であることは自覚しています。というか、そんなことは分かりきっています。だからこういう議論の場でも、当事者であるポスドクの意見が出にくいのですが。
例え話は悶着の元とは理解していますが。こんなのはどうですか。
除隊後は良好な生活ができるからと勧められ、甘い気分で軍隊に志願したとします。
→どっかの国と戦争になり、戦場に送られた
→過酷な状況で過ごし、戦況もいっかな好転する兆しがみられない。
→職業訓練を受けていないので、退役後も職につけない。
まったく関係のないこんな記事を参考にしてみました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/99430/
この状態がどうかと言えば。志願して入隊した本人が悪い、と言えばその通りですが、それだけではあまりにも無策なわけで。
誰が悪い、と責め合っても仕方がないのも確かですがね。
ここでの議論でも、元の読売の記事でもそうですが、自己責任論はなくなっていませんよ。ただ単に「本人が悪い」では何の解決にもならないだけで。実際、ほとんどのポスドクは自己責任であることは自覚しています。というか、そんなことは分かりきっています。だからこういう議論の場でも、当事者であるポスドクの意見が出にくいのですが。
例え話は悶着の元とは理解していますが。こんなのはどうですか。
除隊後は良好な生活ができるからと勧められ、甘い気分で軍隊に志願したとします。
→どっかの国と戦争になり、戦場に送られた
→過酷な状況で過ごし、戦況もいっかな好転する兆しがみられない。
→職業訓練を受けていないので、退役後も職につけない。
まったく関係のないこんな記事を参考にしてみました。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/99430/
この状態がどうかと言えば。志願して入隊した本人が悪い、と言えばその通りですが、それだけではあまりにも無策なわけで。
誰が悪い、と責め合っても仕方がないのも確かですがね。

読売ではなく、NHKのクローズアップ現代についてでしたね。申し訳ございません。また、遅ればせながら、娘様のご誕生おめでとうございます。
通りすがりNo8640986様
引き際を誤っているのは確かですが。
「だめな奴は、やめるしかないだろうに!」といわれましてもねえ。やめたあとは、どのようにすればいいとお考えでしょうか。
ちなみにその悲惨な「悲劇」からは抜け出そうとしていますよ。「だめな奴」である私にも息子がいますのでね。
通りすがりNo8640986様
引き際を誤っているのは確かですが。
「だめな奴は、やめるしかないだろうに!」といわれましてもねえ。やめたあとは、どのようにすればいいとお考えでしょうか。
ちなみにその悲惨な「悲劇」からは抜け出そうとしていますよ。「だめな奴」である私にも息子がいますのでね。

通りすがりNo8640986 さん
>現在出来している博士持ち無業/低賃金・劣悪労働の『悲劇』にはどう対処するつもりですか?
それについては、これまでの書き込みの中で、私を含め多くの人々が提案を出されています。ぜひ一度初めから御覧ください。少なくとも、「だめな奴はやめるしかない」よりは、建設的な意見が出されていると思いますよ。
(「悲劇」から抜け出ようと頑張っている人たちの傷口に塩を塗るような行為はやめてください。それに、「アカポス就職から外れる=だめな奴」という論理は、旧来的なアカポス上位の枠組みから抜け出ていない考えですよ)
>現在出来している博士持ち無業/低賃金・劣悪労働の『悲劇』にはどう対処するつもりですか?
それについては、これまでの書き込みの中で、私を含め多くの人々が提案を出されています。ぜひ一度初めから御覧ください。少なくとも、「だめな奴はやめるしかない」よりは、建設的な意見が出されていると思いますよ。
(「悲劇」から抜け出ようと頑張っている人たちの傷口に塩を塗るような行為はやめてください。それに、「アカポス就職から外れる=だめな奴」という論理は、旧来的なアカポス上位の枠組みから抜け出ていない考えですよ)
私のブログでの書き方に、ちょっと至らない点があった気もします。自己責任論そのものはみんな理解しているんでしょう(さすがに、自己責任はゼロだ、というポスドクがいたら、ちょっと甘すぎますよね)。その上で、政策に矛先が向くのはいいと思います。でも、私の知り合いで、「自分にはまったく責任がない。政府が悪いからむかつく」という論調のポスドクが何人かいるんです。それはさすがに違うだろう、と思うわけです。というわけで、ポスドク問題について何回かブログで書いてみた、という経緯があります。私も現職に就くまではポスドクを3回やりました。政府はなんでこんなにドクターを増やしちゃうんだろうと嘆いたことも多々あります。公募に落ちて、その倍率を後から知って愕然としたこともあります。現職だって、准教授とはいえ任期付きです。さすがに、自己責任論以外にも政府の無策っぷり・ドクター増やしまくりっぷりをもっと責めて、改善策を練っていく必要性を感じています。

「だめな奴は、やめるしかないだろうに!」ということに案外みなさんは賛成なのではないでしょうか。 問題は「だめな奴」とは何か?どう決めるのか?でしょう。 職を得られないポスドクは論文は何報ありますか?特に筆頭。
5年くらい前、旧国研でポスドクを公募していました。結構多数、10数人。足きり基準が、論文数が博士課程入学から経た年数の数。つまりもしドクターを取って8年目の人は、8+(通常は)3の11報の論文が必要。 ちなみに、実際はボーダーはその基準の2倍あたりで、外国人、特にアメリカで一活躍した中国系の若者が多かったとのこと。
このブログのどこかで、過去の日本人ノーベル賞受賞者を引き合いに、人の才能など判断できない、という結論で落ち着いていたようですね。 論文数など業績判断の「フィクション」にすぎないとは思いますが、そういう基準をフィクションをもたない職能集団は悲劇ではないでしょうか?
5年くらい前、旧国研でポスドクを公募していました。結構多数、10数人。足きり基準が、論文数が博士課程入学から経た年数の数。つまりもしドクターを取って8年目の人は、8+(通常は)3の11報の論文が必要。 ちなみに、実際はボーダーはその基準の2倍あたりで、外国人、特にアメリカで一活躍した中国系の若者が多かったとのこと。
このブログのどこかで、過去の日本人ノーベル賞受賞者を引き合いに、人の才能など判断できない、という結論で落ち着いていたようですね。 論文数など業績判断の「フィクション」にすぎないとは思いますが、そういう基準をフィクションをもたない職能集団は悲劇ではないでしょうか?

それに、「論文数など業績判断の「フィクション」にすぎない」と暗に思い込み、自分の将来性を信じている「だめな博士」がいますが、博士という制度こそ「フィクション」にすぎないでしょうに。 もちろんそのフィクションである評価基準は、博士さえ取れなかった者と博士持ちの者とを区別する基準になります。

通りすがりNo8640986様は、ポスドクはシビアに業績で判断すべきだ、とお考えなのですよね?業績だけで線引きされるのなら、引き時がはっきり分かっていいのですが、実際は不透明な基準で判断されるのが問題なわけで(ここでもさんざ議論されていますが)。
アカデミックに幻想をもっても仕方がないのですが、私よりもはるかに業績のない人が普通にポストについています。どこに出しても遜色のない人も無論いますが、問題は鶏肋というべき我々のような残り物なわけで。
一部の選ばれた者のみがアカデミックに残る価値がある、というのはそうなのかもしれません。運よくアカデミックポストにつけた者でも、業績の上げられないものが(大学とともに)淘汰されてゆき、死屍累々の中で、一部のきわめて優秀な方のみが生き残る、というのが、あるべき姿なのかもしれませんね。
アカデミックに幻想をもっても仕方がないのですが、私よりもはるかに業績のない人が普通にポストについています。どこに出しても遜色のない人も無論いますが、問題は鶏肋というべき我々のような残り物なわけで。
一部の選ばれた者のみがアカデミックに残る価値がある、というのはそうなのかもしれません。運よくアカデミックポストにつけた者でも、業績の上げられないものが(大学とともに)淘汰されてゆき、死屍累々の中で、一部のきわめて優秀な方のみが生き残る、というのが、あるべき姿なのかもしれませんね。

通りすがりNo8640986 様
「フィクション」の中の話ですがインパクトファクターも込みで話してますか?それとも本数だけ?卒業語10年でインパクトファクター10の第一著者として一報だけ持っているひととインパクトファクター1の論文を第一著者として10報持っている人とではどちらが業績が上なのですか?
「フィクション」の中の話ですがインパクトファクターも込みで話してますか?それとも本数だけ?卒業語10年でインパクトファクター10の第一著者として一報だけ持っているひととインパクトファクター1の論文を第一著者として10報持っている人とではどちらが業績が上なのですか?

(気に入ったのでハンドルネームにつけます。36歳PDと同じものです)
通りすがりNo8640986様のご意見は、議論が袋小路に入ると必ず出てくるものですが、具体的な解決案は何もないのですよね。ドロップアウトするのは我々ではなく本人の問題だから、勝手に生きて行くがいいという。(もちろん私のことは私の問題ですから、言われずとも勝手に生きていきますよ?)
誰が悪いかの議論には興味がないのですが、ここでは、大学の方、企業の方が今後について議論してらっしゃるので、勝手に参加させていただいております。これまでこういう問題点があり、こういう事態になった、今後はどうすべきか、ということで、建設的なご意見を拝見させて頂いています。通りすがりNo8640986様は、現在の状態が望ましいとお考えなのでしょうか?
通りすがりNo8640986様のご意見は、議論が袋小路に入ると必ず出てくるものですが、具体的な解決案は何もないのですよね。ドロップアウトするのは我々ではなく本人の問題だから、勝手に生きて行くがいいという。(もちろん私のことは私の問題ですから、言われずとも勝手に生きていきますよ?)
誰が悪いかの議論には興味がないのですが、ここでは、大学の方、企業の方が今後について議論してらっしゃるので、勝手に参加させていただいております。これまでこういう問題点があり、こういう事態になった、今後はどうすべきか、ということで、建設的なご意見を拝見させて頂いています。通りすがりNo8640986様は、現在の状態が望ましいとお考えなのでしょうか?

本筋から外れますけど、インパクトファクターはあくまで雑誌の評価基準であって、論文著者の評価に使うのは誤りなのでは?
被引用数が多い論文を、どこからも引用されていない論文より高く評価すべきだ、ということを主張されたいのだとは思いますが。
被引用数が多い論文を、どこからも引用されていない論文より高く評価すべきだ、ということを主張されたいのだとは思いますが。

こんにちわ。
スチュワーデス志願の、みさえ 39歳です。
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
20年前のことです。 でも、せっかく専門学校を卒業したのに、スチュワーデスのポストはありませんでした。 バブル崩壊で、航空会社の業績が悪化したことが原因らしいです。
私は、専門学校に引き続き研修生として在籍しましたが、未だ職が見つかりません。 途中、周りの人は同じ接客業だからと、いろいろな職を勧めるという侮辱を私に対してはたらきました。ひどい話です。 スチュワーデス以外に何があるでしょう!
とまれ、一番の衝撃は、スチュワーデスという語が廃語になったことです。
でも、わたしは絶対あきらめません。 みなさん! がんばりましょう!
スチュワーデス志願の、みさえ 39歳です。
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
20年前のことです。 でも、せっかく専門学校を卒業したのに、スチュワーデスのポストはありませんでした。 バブル崩壊で、航空会社の業績が悪化したことが原因らしいです。
私は、専門学校に引き続き研修生として在籍しましたが、未だ職が見つかりません。 途中、周りの人は同じ接客業だからと、いろいろな職を勧めるという侮辱を私に対してはたらきました。ひどい話です。 スチュワーデス以外に何があるでしょう!
とまれ、一番の衝撃は、スチュワーデスという語が廃語になったことです。
でも、わたしは絶対あきらめません。 みなさん! がんばりましょう!

スチュワーデス志願の、みさえ 39歳です。
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
ポストがないので私は、専門学校に引き続き研修生として在籍しました。
成績が優秀なら正式に採用されるという話だったのですが、実際に採用されるのはコネの人ばかりです。これっておかしいと思いませんか?おまけに職場では立場が弱いのでいじめられてばかりですが、我慢するしかないんです。給料もよくないし、同じ接客業に転職しようと思っているんですが、年齢を理由に門前払いされるんです。チャンスさえ与えられれば活躍する自信はあるんですが。
さらに頭にくるのは同じ専門学校を出てスチュワーデスにならずに他の接客業に就職した人たちからの執拗ないじめがあることです。私たちをいじめるのが楽しいみたいなんです。最低の人たちですね。
でも、わたしは絶対くじけません。 みなさん! がんばりましょう!
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
ポストがないので私は、専門学校に引き続き研修生として在籍しました。
成績が優秀なら正式に採用されるという話だったのですが、実際に採用されるのはコネの人ばかりです。これっておかしいと思いませんか?おまけに職場では立場が弱いのでいじめられてばかりですが、我慢するしかないんです。給料もよくないし、同じ接客業に転職しようと思っているんですが、年齢を理由に門前払いされるんです。チャンスさえ与えられれば活躍する自信はあるんですが。
さらに頭にくるのは同じ専門学校を出てスチュワーデスにならずに他の接客業に就職した人たちからの執拗ないじめがあることです。私たちをいじめるのが楽しいみたいなんです。最低の人たちですね。
でも、わたしは絶対くじけません。 みなさん! がんばりましょう!

スチュワーデスの、かえで 45歳です。
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
当時、スチュワーデス専門学校は激烈なる競争で入学さえ大変困難でした。あの、本郷スチュワーデス専門学校でさえ、本郷の女の子の半分がはじかれていたのです。
そんな、私たちは、在学中にすでに引く手あまてでした。各航空会社が私たちを欲しい、欲しいといいました。在籍中に就職しました。「資格」はあとからロンパクでした。驚くべきことに、各二流航空会社のスッチーの人事権はスチュワーデス専門学校の理事が持っていたと最近知りました。
時代は変わりました。二流航空会社どころか、三流航空会社までもが、スチュワーデス専門学校を持つようになったのです。 さらに、各スッチー専門学校も大幅増員。
私たちから見ればおおよそスッチー向けでない、ブサイクな娘まで在籍するようになりました。
そして、現状は、みなさんの知るところです。
でも、みなさん、は絶対くじけてはいけません。
みなさん! がんばりましょう!
私は、スチュワーデスを志し、スチュワーデス専門学校に入りました。
当時、スチュワーデス専門学校は激烈なる競争で入学さえ大変困難でした。あの、本郷スチュワーデス専門学校でさえ、本郷の女の子の半分がはじかれていたのです。
そんな、私たちは、在学中にすでに引く手あまてでした。各航空会社が私たちを欲しい、欲しいといいました。在籍中に就職しました。「資格」はあとからロンパクでした。驚くべきことに、各二流航空会社のスッチーの人事権はスチュワーデス専門学校の理事が持っていたと最近知りました。
時代は変わりました。二流航空会社どころか、三流航空会社までもが、スチュワーデス専門学校を持つようになったのです。 さらに、各スッチー専門学校も大幅増員。
私たちから見ればおおよそスッチー向けでない、ブサイクな娘まで在籍するようになりました。
そして、現状は、みなさんの知るところです。
でも、みなさん、は絶対くじけてはいけません。
みなさん! がんばりましょう!

>> 通りすがりNo8640986 さん
> 論文数など業績判断の「フィクション」にすぎない
と言い切ってしまうとは、論文もロクに書いたことが無く、科学が何かも理解していないのだろう。
旧国研のポスドクの例を上げてますが、任期付研究員の間違いでは?
任期付研究員は、現在の大学の公募でよく見かけるテニュアトラックと同様の職が多く、ポスドクとは、随分、違います。ポスドクはプロジェクト研究で雇われる事が多く、通常は10数人も同一の条件での雇用はない。もし有るとすれば、大型の装置(加速器など)を使う一部の物理学の分野や、バイオならゲノムプロジェクトくらいだろう。
現実と書込は随分違うし、現実とは違うことを根拠にした意見など、取るに足りないと思う。無学ゆえの無知かも知れないが...米国でもこんな人が発言する場面を見たが、大抵は無視されるか、会場から叩き出されていたものだ。。
> 論文数など業績判断の「フィクション」にすぎない
と言い切ってしまうとは、論文もロクに書いたことが無く、科学が何かも理解していないのだろう。
旧国研のポスドクの例を上げてますが、任期付研究員の間違いでは?
任期付研究員は、現在の大学の公募でよく見かけるテニュアトラックと同様の職が多く、ポスドクとは、随分、違います。ポスドクはプロジェクト研究で雇われる事が多く、通常は10数人も同一の条件での雇用はない。もし有るとすれば、大型の装置(加速器など)を使う一部の物理学の分野や、バイオならゲノムプロジェクトくらいだろう。
現実と書込は随分違うし、現実とは違うことを根拠にした意見など、取るに足りないと思う。無学ゆえの無知かも知れないが...米国でもこんな人が発言する場面を見たが、大抵は無視されるか、会場から叩き出されていたものだ。。

これまでの議論では企業は博士に何も期待していないし必要ともしていないということですので、企業で働く人材として博士を想定すること自体が間違っているのではないでしょうか?もちろん欧米のように博士課程で培った能力を評価する企業もあるかとは思いますが、基本的には望まれてもいないのに、企業にも行ったことのない人間が勝手に無理矢理想定した「企業向き博士」の指導育成法の議論なんて無意味でしょう。学部・修士の学生に企業が望むであろう教育を与え、博士に関しては自分たちで就職先を処理できる人数だけを養成するというだけの話なのではないでしょうか?やはり進学させないのが一番なのに、それでも進学させたい理由はなんですか?やはり学生を論文作成の為の労働力と見ているか定員確保の為としか思えません。国立大学で博士学生の定員が確保できないと何が起こりますか?やはりこれも「その後のことを考えずに定員確保の圧力だけかけるというのが文科省のやり方」というのがオチですか?政府や大学が確保したいのはさっさと就職してくれて後腐れのない無給博士学生労働者ですか?

研究所の人さん、
>やはり進学させないのが一番なのに、それでも進学させたい理由はなんですか?
予算管理を通じた定員充足圧力。
>国立大学で博士学生の定員が確保できないと何が起こりますか?
短期的には予算の配分額が減る。長期的には、博士課程自体を設置しないという話になりかねず、そうすると今度はその専攻の魅力が減るため、学部あたりの受験生確保にも響く(あるけどあまり行く人が居ない、というのと、最初からそのコースはない、というのは、受け止める側にとっては多分差があり、博士課程までいく*かも*しれないからコースのある別の大学を選ぼう、という選択になるかもしれない)
>やはり進学させないのが一番なのに、それでも進学させたい理由はなんですか?
予算管理を通じた定員充足圧力。
>国立大学で博士学生の定員が確保できないと何が起こりますか?
短期的には予算の配分額が減る。長期的には、博士課程自体を設置しないという話になりかねず、そうすると今度はその専攻の魅力が減るため、学部あたりの受験生確保にも響く(あるけどあまり行く人が居ない、というのと、最初からそのコースはない、というのは、受け止める側にとっては多分差があり、博士課程までいく*かも*しれないからコースのある別の大学を選ぼう、という選択になるかもしれない)

続きです。
>やはりこれも「その後のことを考えずに定員確保の圧力だけかけるというのが文科省のやり方」というのがオチですか?
多分そういうオチでは。博士課程の進学者が減ったら予算やら教員定員やらを減らすという懲罰的管理が行われる限り現状は変わらないと思います。現状が適正な状況ならば減らしても大丈夫なんですが、元々ギリギリのリソースでやっていた→減らされないために大学院を充実させた→充実を謳った割には大学側のリソースはほとんど増えなかった→結果無理しながらこれまで運営、という状態ですので。
さらに、中期目標やら中期計画やらを提出させられて評価されますので、大学院定員を減らしたら「努力しなかった」と評価されてとんでもないマイナスになるんじゃないかというのも引っ掛かる部分かもしれません。
>政府や大学が確保したいのはさっさと就職してくれて後腐れのない無給博士学生労働者ですか?
政府が何を考えているか知りません。大学は、博士課程の学生のことよりも、いかにして文科省の言うことに従うか、外部評価で悪い点をもらわないようにするか、の方が大事なんじゃないかと。
>やはりこれも「その後のことを考えずに定員確保の圧力だけかけるというのが文科省のやり方」というのがオチですか?
多分そういうオチでは。博士課程の進学者が減ったら予算やら教員定員やらを減らすという懲罰的管理が行われる限り現状は変わらないと思います。現状が適正な状況ならば減らしても大丈夫なんですが、元々ギリギリのリソースでやっていた→減らされないために大学院を充実させた→充実を謳った割には大学側のリソースはほとんど増えなかった→結果無理しながらこれまで運営、という状態ですので。
さらに、中期目標やら中期計画やらを提出させられて評価されますので、大学院定員を減らしたら「努力しなかった」と評価されてとんでもないマイナスになるんじゃないかというのも引っ掛かる部分かもしれません。
>政府や大学が確保したいのはさっさと就職してくれて後腐れのない無給博士学生労働者ですか?
政府が何を考えているか知りません。大学は、博士課程の学生のことよりも、いかにして文科省の言うことに従うか、外部評価で悪い点をもらわないようにするか、の方が大事なんじゃないかと。

apj様お答えありがとうございました。
もう一つ質問させてください。
博士学生は教員に与えられた研究課題に取り組む中で種々の実験手技・問題解決力・研究展開力・英語力・プレゼンテーション力といった研究遂行能力を身につけ、後輩の指導やグラントの申請書類作成も経験するでしょう。この成果を左右する要素は研究テーマだと思うのですが、多くのラボでは「研究室名」とセットで代々受け継がれる社会的要請とはかけ離れた特化した研究内容を守り続けているように見受けます。授業科目も研究室名に沿っていて、時代錯誤な教育科目であっても放置状態でカリキュラムの魅力のなさの原因かと思います。学生実験なんてその典型で昔の実験をこなすだけでほとんど役に立ちません。
基本的には大講座制廃止の方向になっているとは思いますが、研究室を継ぐというシステムの廃止や授業科目の柔軟な変更などはできないのでしょうか?講義名は研究室名と一致していなければならないのですか?カリキュラムの編成や変更には手間がかかる、他人のラボへの口出しは御法度、文科省を通す大々的変更が必要、等が理由でしょうか?また米国でも新たな人員の補充には前任者との相関があるのでしょうか?
もう一つ質問させてください。
博士学生は教員に与えられた研究課題に取り組む中で種々の実験手技・問題解決力・研究展開力・英語力・プレゼンテーション力といった研究遂行能力を身につけ、後輩の指導やグラントの申請書類作成も経験するでしょう。この成果を左右する要素は研究テーマだと思うのですが、多くのラボでは「研究室名」とセットで代々受け継がれる社会的要請とはかけ離れた特化した研究内容を守り続けているように見受けます。授業科目も研究室名に沿っていて、時代錯誤な教育科目であっても放置状態でカリキュラムの魅力のなさの原因かと思います。学生実験なんてその典型で昔の実験をこなすだけでほとんど役に立ちません。
基本的には大講座制廃止の方向になっているとは思いますが、研究室を継ぐというシステムの廃止や授業科目の柔軟な変更などはできないのでしょうか?講義名は研究室名と一致していなければならないのですか?カリキュラムの編成や変更には手間がかかる、他人のラボへの口出しは御法度、文科省を通す大々的変更が必要、等が理由でしょうか?また米国でも新たな人員の補充には前任者との相関があるのでしょうか?

研究所の人、さん
具体例を挙げていただかないと何とも答えづらいのですが、私のところですと、物理化学、有機化学、無機化学、分析化学……といった内容で、(海外を含む)どこの大学の化学系でもやってるスタンダードな内容です。これを大幅に変える必要があるとは思えません。私は物理出身でしたが、力学、電磁気学、熱力学……といったものを変えなければならないとは今でも思えません。その後、専門的なことをするための基礎としては、無くてはならない知識です。
大学院については、私は、ウチの専攻で論文を読むのに必要となるが学部のコースではやらないフーリエ変換などを教えたりしています。他の先生は、論文を読ませてプレゼンテーションさせたりといったことをしています。確かに、博士前期課程向けのいい教科書が少ないということはあると思いますけど……。
学生実験は、基本的な操作や自然現象を理解させるためのものです。全く物を触ったことがなく、実験の経験自体がない学生の方が多いので、まず、物を触るというところから訓練しないといけないのです。でないと、卒研の指導にも差し障ります。
具体例を挙げていただかないと何とも答えづらいのですが、私のところですと、物理化学、有機化学、無機化学、分析化学……といった内容で、(海外を含む)どこの大学の化学系でもやってるスタンダードな内容です。これを大幅に変える必要があるとは思えません。私は物理出身でしたが、力学、電磁気学、熱力学……といったものを変えなければならないとは今でも思えません。その後、専門的なことをするための基礎としては、無くてはならない知識です。
大学院については、私は、ウチの専攻で論文を読むのに必要となるが学部のコースではやらないフーリエ変換などを教えたりしています。他の先生は、論文を読ませてプレゼンテーションさせたりといったことをしています。確かに、博士前期課程向けのいい教科書が少ないということはあると思いますけど……。
学生実験は、基本的な操作や自然現象を理解させるためのものです。全く物を触ったことがなく、実験の経験自体がない学生の方が多いので、まず、物を触るというところから訓練しないといけないのです。でないと、卒研の指導にも差し障ります。

続きです。
実験が代々受け継がれるように見えるのは、リソースが少なくて他に手出しできないという理由と、学生を卒業させなければならないという理由の2つです。
まず、リソースについて。
会社の研究者の方と仕事をしてわかったのですが、会社は、予算の付け方がまるで違います。校費の額を言って、あまりの少なさに驚かれてしまいました。一人が使う年間研究費が一千万円以上(それでも少ないと言われることもあるらしい)、それが何年も継続します。ですから、必要な装置や試薬もどんどん買って、新しい実験にもチャレンジできます。一方、大学では、数十万円の年々減り続ける校費と、たまに当たる科研費(それでも、3年で500万円といった規模が一番多い)をあてにするしかありません。会社の方は、どんどん新しいことを調べ、大学では手出しできない実験もできますが、大学は金がないので同じことは不可能です。
実験が代々受け継がれるように見えるのは、リソースが少なくて他に手出しできないという理由と、学生を卒業させなければならないという理由の2つです。
まず、リソースについて。
会社の研究者の方と仕事をしてわかったのですが、会社は、予算の付け方がまるで違います。校費の額を言って、あまりの少なさに驚かれてしまいました。一人が使う年間研究費が一千万円以上(それでも少ないと言われることもあるらしい)、それが何年も継続します。ですから、必要な装置や試薬もどんどん買って、新しい実験にもチャレンジできます。一方、大学では、数十万円の年々減り続ける校費と、たまに当たる科研費(それでも、3年で500万円といった規模が一番多い)をあてにするしかありません。会社の方は、どんどん新しいことを調べ、大学では手出しできない実験もできますが、大学は金がないので同じことは不可能です。

さらに続けます。
つまり、好きで研究内容を守っているわけではなく、他に手出しする金がないのに論文を出そうとすると、装置や試薬が十分買えないために守らざるをえない面があります。
次に、学生の指導について。
例えば卒業研究だと、就職活動の合間で実験して4年の最後には形にしないといけません。修士でも2年、博士でも3年です。きちんと修了・卒業させるためには、定められた期間で一応の結果が出るテーマを与えないといけません。ですから、学生に冒険させることはできません。以前所属していた講座制の研究室では、学生や院生に研究室の伝統を無視して新規テーマを出しまくって、データが出なかったり博士取得がのびたりという、屍累々になりました。企業から委託された実用的なテーマは、逆に、企業の都合で発表延期になったり方向が変わったりするため、学生にさせることはできず、私が直接やっています(多少発表ができなくても次に影響しないから)。
米国の事情についてはよくわかりません。
つまり、好きで研究内容を守っているわけではなく、他に手出しする金がないのに論文を出そうとすると、装置や試薬が十分買えないために守らざるをえない面があります。
次に、学生の指導について。
例えば卒業研究だと、就職活動の合間で実験して4年の最後には形にしないといけません。修士でも2年、博士でも3年です。きちんと修了・卒業させるためには、定められた期間で一応の結果が出るテーマを与えないといけません。ですから、学生に冒険させることはできません。以前所属していた講座制の研究室では、学生や院生に研究室の伝統を無視して新規テーマを出しまくって、データが出なかったり博士取得がのびたりという、屍累々になりました。企業から委託された実用的なテーマは、逆に、企業の都合で発表延期になったり方向が変わったりするため、学生にさせることはできず、私が直接やっています(多少発表ができなくても次に影響しないから)。
米国の事情についてはよくわかりません。

補足です。
>大学院については、私は、ウチの専攻で論文を読むのに必要となるが学部のコースではやらないフーリエ変換などを教えたりしています。他の先生は、論文を読ませてプレゼンテーションさせたりといったことをしています。
これだと私だけが講義しているように読めちゃいますよね(汗)。そんなことはなくて、演習的なことをする人も講義のようなことをする人も両方居るということです。
>大学院については、私は、ウチの専攻で論文を読むのに必要となるが学部のコースではやらないフーリエ変換などを教えたりしています。他の先生は、論文を読ませてプレゼンテーションさせたりといったことをしています。
これだと私だけが講義しているように読めちゃいますよね(汗)。そんなことはなくて、演習的なことをする人も講義のようなことをする人も両方居るということです。

やめたらいいのに。
apjさんの論理では、結局は体制、あるいは現状順応にならざるを得ない。
能力の低い学生、少ない研究費、学生を拘束する就職活動などなど、まともな教育、研究活動と程遠い。 こういう環境にいるのは学生も教官も不幸ではないのかな?
やめればいいのに。
apjさんの論理では、結局は体制、あるいは現状順応にならざるを得ない。
能力の低い学生、少ない研究費、学生を拘束する就職活動などなど、まともな教育、研究活動と程遠い。 こういう環境にいるのは学生も教官も不幸ではないのかな?
やめればいいのに。

>> 通りすがりNo8640986
> やめたらいいのに。
地方国立の教育に対し、「やめたらいいのに」と言われますが、現実には、早慶も含めた、私立大学の学部教育は、apjさんの書き込んだ地方国立大学以下の水準です。地方国立大学は、地場産業を中心にした産業への人材の供給源になっています。能力が低いと言われますが、早慶も含めた私大の学生など、大学教育が全くできていない人が多いです。
それは、学会の要旨集を開いてみれば一目瞭然です。私大院生の発表は、ごく一部しかありません。企業の採用担当者もよく分かっていて、私大は文科系の職種では採用されますが、理系の専門職ではマイノリティです。
> やめたらいいのに。
地方国立の教育に対し、「やめたらいいのに」と言われますが、現実には、早慶も含めた、私立大学の学部教育は、apjさんの書き込んだ地方国立大学以下の水準です。地方国立大学は、地場産業を中心にした産業への人材の供給源になっています。能力が低いと言われますが、早慶も含めた私大の学生など、大学教育が全くできていない人が多いです。
それは、学会の要旨集を開いてみれば一目瞭然です。私大院生の発表は、ごく一部しかありません。企業の採用担当者もよく分かっていて、私大は文科系の職種では採用されますが、理系の専門職ではマイノリティです。

地方国立は偏差値は低いかも知れませんが、大学に入ってから、それなりに教育がなされ、実際に雇ってみると、結構使い物になります。
ある地方大学の学科の予算をみたことがありますが、教員が10名強で外部の競争的資金(科研費など)も含め、学科全体で3000万円程度でした。実際に教員に回る校費は30万以下で、(光熱費を除くと)、科研費を入れても、教員1人当たり100万円に満たないと思います。
阪大のある研究室で、駆け出しの院生が500万くらい年間に使う姿を見ました。地方大学の教員の方が、院生よりもずっとできるわけで、予算の配分はもう少し考えた方が良いかと思います。
ある地方大学の学科の予算をみたことがありますが、教員が10名強で外部の競争的資金(科研費など)も含め、学科全体で3000万円程度でした。実際に教員に回る校費は30万以下で、(光熱費を除くと)、科研費を入れても、教員1人当たり100万円に満たないと思います。
阪大のある研究室で、駆け出しの院生が500万くらい年間に使う姿を見ました。地方大学の教員の方が、院生よりもずっとできるわけで、予算の配分はもう少し考えた方が良いかと思います。

上に挙げられている年間数十万の校費予算というのは、いわばプラクティカルジョークで、これの実際意味するところは、「研究室運営はやめなさい」ということです。今は過渡期で、地方国立大でも、教員全員が研究者だという、これまでのの擬制の名残で運営している所が多いですが、早晩続かなくなります。学内研究費の配分を、米国風に外部資金のマッチングファンドにしようという一部の動きも、今後広がらざるを得ないでしょう。
典型的な地方大を見ると、科研費をコンスタントに当てて、論文書いたり講演したりの「研究者」教員は、どこでも大体3割前後です。同様に学生のうちで、大学院に進んだり従来の意味の「専門職」につくものもそんな割合です。
そう考えると、自然な将来像が見えてきます。同じ大学の中に違った機能を持った教員がいて、違う処遇で違った事をやりながら、全員で大学を支えている。またむしろこうしてこそ、本当の意味で個性ある学問が、方々で生まれるのではないでしょうか。
典型的な地方大を見ると、科研費をコンスタントに当てて、論文書いたり講演したりの「研究者」教員は、どこでも大体3割前後です。同様に学生のうちで、大学院に進んだり従来の意味の「専門職」につくものもそんな割合です。
そう考えると、自然な将来像が見えてきます。同じ大学の中に違った機能を持った教員がいて、違う処遇で違った事をやりながら、全員で大学を支えている。またむしろこうしてこそ、本当の意味で個性ある学問が、方々で生まれるのではないでしょうか。

>>辺境さんへ
> 「研究室運営はやめなさい」ということです。
地方大をどう捉えていますか?例えば,お茶の水女子大や千葉大も,上記に近い状況と思いますよ。研究をしてない、できないと言いますが、誤りです。学会の役員クラスで1流と言われ、国際的認知度の高い人でも、分野が基礎研究で金儲けに繋がらないと、予算は上記の様になります。
(私は地方大学でないので、漏れ聞くだけですが....)
教育に専念しろといいますが、素人の意見です。文系なら、同じ話を何年も講義で続けるのも普通でしょうが、理系の技術革新は早く、あっという間にさび付きます。
地方大学には、企業の欲しい技術が無いと言いますが、予算が無いので、新技術の導入ができず、益々さび付く側面があります。独法化までは,年間100万円程度の校費が、技術の更新を支えていましたが、今後はそれも難しくなるでしょう。
形ばかりの大学で、内容は高専レベル、学生の教育水準は高卒なみの理系学生が、地方大学や私大を中心に溢れると思います。それは資源の無いこの国の発展を阻害する事でしょう。
> 「研究室運営はやめなさい」ということです。
地方大をどう捉えていますか?例えば,お茶の水女子大や千葉大も,上記に近い状況と思いますよ。研究をしてない、できないと言いますが、誤りです。学会の役員クラスで1流と言われ、国際的認知度の高い人でも、分野が基礎研究で金儲けに繋がらないと、予算は上記の様になります。
(私は地方大学でないので、漏れ聞くだけですが....)
教育に専念しろといいますが、素人の意見です。文系なら、同じ話を何年も講義で続けるのも普通でしょうが、理系の技術革新は早く、あっという間にさび付きます。
地方大学には、企業の欲しい技術が無いと言いますが、予算が無いので、新技術の導入ができず、益々さび付く側面があります。独法化までは,年間100万円程度の校費が、技術の更新を支えていましたが、今後はそれも難しくなるでしょう。
形ばかりの大学で、内容は高専レベル、学生の教育水準は高卒なみの理系学生が、地方大学や私大を中心に溢れると思います。それは資源の無いこの国の発展を阻害する事でしょう。

> 同じ大学の中に違った機能を持った教員がいて、違う処遇で違った
> 事をやりながら、全員で大学を支えている。またむしろこうしてこそ、
> 本当の意味で個性ある学問が、方々で生まれるのではないでしょうか。
これは誤りです。研究をしない教員は、研究への理解がなく、個性ある学問を伸ばすという発想は,絶対に出ません。もし、地方大学で、一部の教員でも研究ができているように見えるなら、それは研究を主体とした評価があるからです。
同様に、旧帝大だけを研究の中心に据えても駄目です。旧帝だけではPIの絶対数が少なすぎます。科学の裾野が広がる様に地方大学も支援すべきと思います。
研究者数の統計で、日本は博士院生を加え水増ししています。諸外国ではありえないです。日本の研究者数から、博士院生を引いたら、諸外国に比べ、研究者は多くはないです。
さらに,地方大学の教員の研究を止めさせたらどうなるでしょう。日本の研究者数から、地方大学の教員数を差し引いたら、人数の上でも、海外と競争できるか結論は自明です。
先進国で,これほど学問を排斥し無用と決めつけ、金儲けを優先の国はないと思います。
> 事をやりながら、全員で大学を支えている。またむしろこうしてこそ、
> 本当の意味で個性ある学問が、方々で生まれるのではないでしょうか。
これは誤りです。研究をしない教員は、研究への理解がなく、個性ある学問を伸ばすという発想は,絶対に出ません。もし、地方大学で、一部の教員でも研究ができているように見えるなら、それは研究を主体とした評価があるからです。
同様に、旧帝大だけを研究の中心に据えても駄目です。旧帝だけではPIの絶対数が少なすぎます。科学の裾野が広がる様に地方大学も支援すべきと思います。
研究者数の統計で、日本は博士院生を加え水増ししています。諸外国ではありえないです。日本の研究者数から、博士院生を引いたら、諸外国に比べ、研究者は多くはないです。
さらに,地方大学の教員の研究を止めさせたらどうなるでしょう。日本の研究者数から、地方大学の教員数を差し引いたら、人数の上でも、海外と競争できるか結論は自明です。
先進国で,これほど学問を排斥し無用と決めつけ、金儲けを優先の国はないと思います。

国から金が来ないのはもう変えられないから、現実的な対策が必要です。金が無くても出来る事に研究テーマを変更する。学生は知り合いの金持ちラボに預ける。自分も金持ちラボの下請け仕事をする、などなど。まあ、教員数も減らされてるし、慎重な学生は会社に就職するから、やがてはよほど自信があるか金持ちだけが博士課程に進むという事に落ち着くのでは?
これだけ世知辛くなると、既に良く知られている現象をモダンな方法で詳しく調べる研究が流行るのは仕方ないですね。捏造頻発もむべなるかな。
これだけ世知辛くなると、既に良く知られている現象をモダンな方法で詳しく調べる研究が流行るのは仕方ないですね。捏造頻発もむべなるかな。

はあ、誤りと言われても、今試行錯誤中のものは、誤りかどうかわかるまで10年はかかりますよ。私の周りでは、まあナントカやってる例を見てます。あらゆる事をいっぺんに解決するのは当然無理です。例えば荒っぽい概算で、上の例の10人の学科で3000万なら、学科の経費1000万とって2000万をここ5年に科研費取って来た3人に分けると一人600−700万、これにポスドク、秘書は別調達とすれば、年間でなんとか研究室維持できるでしょう。規模や詳細はちょっとちがいますが、実際こんな感じです。

> 今試行錯誤中のものは、誤りかどうかわかるまで10年はかかります
そうでしょうか?現場はもっと早く気が付いていると思いますよ。
例えば、上記の先生が10人の学科ですが,学生は毎学年40名が入学します。1人の教授に4名の学生が来ます。もし3つの研究室だけに重点的に予算を配分したら、研究室により、教育内容に大きな違いが出てきます。
今までも、同じ大学でも出身研究室や指導教員により、学生の出来の違いはありましたが、物理的に埋めようのない、運営費の差が付けられると、本人の能力以外の部分が効いてきます。
米国でも競争的な環境はありましたが、予算の枠が多く,頑張れば全ての研究室が成り立つだけの枠組みがありました。日本は、同様の事を行うには予算の総枠が少なすぎます。
上記の様な状況は、現実に多くの大学で生じています。東大あたりだと、何処の研究室でも,予算が取れる様ですが、大部分の大学では難しいようです.
そうでしょうか?現場はもっと早く気が付いていると思いますよ。
例えば、上記の先生が10人の学科ですが,学生は毎学年40名が入学します。1人の教授に4名の学生が来ます。もし3つの研究室だけに重点的に予算を配分したら、研究室により、教育内容に大きな違いが出てきます。
今までも、同じ大学でも出身研究室や指導教員により、学生の出来の違いはありましたが、物理的に埋めようのない、運営費の差が付けられると、本人の能力以外の部分が効いてきます。
米国でも競争的な環境はありましたが、予算の枠が多く,頑張れば全ての研究室が成り立つだけの枠組みがありました。日本は、同様の事を行うには予算の総枠が少なすぎます。
上記の様な状況は、現実に多くの大学で生じています。東大あたりだと、何処の研究室でも,予算が取れる様ですが、大部分の大学では難しいようです.

私の二年間滞在した米国の大学の学科では、NSFやDOEのブロックグラントをもらったグループがいくつかあって、その中でも主導的な研究にアクティブな教員にリソースが集められて運営されていました。学生を一人もとれない、給料も3/4くらいの先生もチョボチョボいて、ひっそりと暮らしていたようです。アメリカと日本では事情が違いますので同じように行かないのは当然ですが。
地方大が現に置かれた大枠の状況があって、これは当面変わりません。我々はこれを所与と受け止め、その枠の中でどうにかやっていくのみです。ここで駄目だ駄目だと騒いで予算が3倍になるならばみんなそうするでしょう。そう出ないからには、選択はみんなが窮して総倒れになるか、なんとか東京基準国際基準で競争できる研究室を、一つでも二つでも立ち上げるシステムを工夫するか、のどちらかです。後者のような試みが散発的に始まっている、ということです。詳細は勿論このスペースでは言えませんが、ネット等を探せば情報は載ってますし、駄目と総計に断定せず、知り合いを伝って実際に足を運ばれるのが良いかと思います。
地方大が現に置かれた大枠の状況があって、これは当面変わりません。我々はこれを所与と受け止め、その枠の中でどうにかやっていくのみです。ここで駄目だ駄目だと騒いで予算が3倍になるならばみんなそうするでしょう。そう出ないからには、選択はみんなが窮して総倒れになるか、なんとか東京基準国際基準で競争できる研究室を、一つでも二つでも立ち上げるシステムを工夫するか、のどちらかです。後者のような試みが散発的に始まっている、ということです。詳細は勿論このスペースでは言えませんが、ネット等を探せば情報は載ってますし、駄目と総計に断定せず、知り合いを伝って実際に足を運ばれるのが良いかと思います。

私がポスドクをしていたアメリカの大学でも、テニュアは取っていてもアクティビティの下がった教授の部屋はオフィスだけで、講義専門になっていたりしました。日本もそうならざるを得ないでしょう。

皆さんにお尋ねしますが、科研費が切れてしまった時、学生にバイト代を寄付させたら何か問題起きますか?

上に書いた、リソースが集められている、研究にアクティブな、主導的教員というのは、多くは30半ばから40代の若い人でした。
日本の地方大に(限らず)欠けているのは、お金であるよりも、むしろ運営の工夫、というか、工夫をする政治的意志な気がします。「学長のリーダーシップ」というのが本来目指したのは、こういった見込みのある部門への選択と集中、その結果の副作用の注意深いフォロウアップな筈なんですが、実際は多くの場合そううならずに、身近にいるお友達への資源の優先的分配に堕してしまいがちなのも事実です。しかし全体の配分資源が減ってるので、従来どおりの順送り無風経営は出来ないので、いろんな試みやってみて、その中から、なにか出てくるのを鷹揚に待つしか無いでしょう。
日本の地方大に(限らず)欠けているのは、お金であるよりも、むしろ運営の工夫、というか、工夫をする政治的意志な気がします。「学長のリーダーシップ」というのが本来目指したのは、こういった見込みのある部門への選択と集中、その結果の副作用の注意深いフォロウアップな筈なんですが、実際は多くの場合そううならずに、身近にいるお友達への資源の優先的分配に堕してしまいがちなのも事実です。しかし全体の配分資源が減ってるので、従来どおりの順送り無風経営は出来ないので、いろんな試みやってみて、その中から、なにか出てくるのを鷹揚に待つしか無いでしょう。

ここで教えていただく予算削減に伴う大学教育の疲弊は甚だ深刻で、自分の子供をそういった大学には絶対に通わせたくないと思ってしまいます。このような状況にしている文科省の希望するところは何なのでしょうか?市町村の合併誘導と同じやり方、という理解で良いですか?
大学の事務職員の数や教員の数、また個々の給与の額は誰が決めるのですか?予算を流動的資金に頼るように仕向けている以上、そのような術を持たないところは規模を縮小せよということなのではないですか?もちろん辺境さんが仰る運営の工夫もひとつでしょうが、業績を上げられない腐ってしまった人員を早期退職させて業績のある人を迎えるといったような経営的視点からすれば至極当たり前な方策は取れないのでしょうか?すべて自分たちで決める権限はあるけれどやっていないというのであれば、馴れ合い所帯が自己保身のために「教育の質」にしわ寄せしているだけでしょう。また、大学自身が独自に収入を得る手段というのはありますか?
いつも質問ばかりですみません。
大学の事務職員の数や教員の数、また個々の給与の額は誰が決めるのですか?予算を流動的資金に頼るように仕向けている以上、そのような術を持たないところは規模を縮小せよということなのではないですか?もちろん辺境さんが仰る運営の工夫もひとつでしょうが、業績を上げられない腐ってしまった人員を早期退職させて業績のある人を迎えるといったような経営的視点からすれば至極当たり前な方策は取れないのでしょうか?すべて自分たちで決める権限はあるけれどやっていないというのであれば、馴れ合い所帯が自己保身のために「教育の質」にしわ寄せしているだけでしょう。また、大学自身が独自に収入を得る手段というのはありますか?
いつも質問ばかりですみません。

>>研究所の人さんへ
> このような状況にしている文科省の希望するところは何なのでしょうか
大元は、財務省の予算削減の方針でしょう。文部科学省の役人も、問題は把握していると思います。
ここからは推測ですが、財務省の方針を決めるのは政治家で、国会議員の意向が強く反映している気がします。最近、私大に予算が流れ始めています。
以前は東大からの移籍先は、地方国立でしたが、最近は、首都圏の私大へ、教授や准教授が就職した例をよく聞きます。以前は研究環境が悪く、見向きもされなかった大学です。国立大学に比べ、身分が安定し、少ないながらも研究費が付くのが魅力のようです。
> このような状況にしている文科省の希望するところは何なのでしょうか
大元は、財務省の予算削減の方針でしょう。文部科学省の役人も、問題は把握していると思います。
ここからは推測ですが、財務省の方針を決めるのは政治家で、国会議員の意向が強く反映している気がします。最近、私大に予算が流れ始めています。
以前は東大からの移籍先は、地方国立でしたが、最近は、首都圏の私大へ、教授や准教授が就職した例をよく聞きます。以前は研究環境が悪く、見向きもされなかった大学です。国立大学に比べ、身分が安定し、少ないながらも研究費が付くのが魅力のようです。

但し、私大は、授業のコマ数が多く、研究に割ける時間は少ないです。幾ら優秀な先生でも、研究室に10人卒研生が来て、修士博士も合わせて20名以上を1人で指導するのは不可能です。
授業をし、20名の学生と1時間づつ話をしたら、1週間は終わりです。これでは理系の教育は成り立ちません。
今後は、まともな理系の教育が受けられるのは、旧帝大+東工大+筑波大+医学部くらいでしょう。お茶の水女子大,広島大,神戸大あたりは設備の面でも難しくなっていくと思います。筑波あたりがボーダーの気がします。(私大は人数の面で難しいと思います.)
> 業績を上げられない腐ってしまった人員を早期退職させて
> 業績のある人を迎える
米国の大学でも、一度、テニュアを取った人をクビにすることはできません。契約が生きているからです。これは難しいと思います。しかし、日本は契約を反古にすることも、普通なので、見せしめ的に行う例があるかも知れません。
授業をし、20名の学生と1時間づつ話をしたら、1週間は終わりです。これでは理系の教育は成り立ちません。
今後は、まともな理系の教育が受けられるのは、旧帝大+東工大+筑波大+医学部くらいでしょう。お茶の水女子大,広島大,神戸大あたりは設備の面でも難しくなっていくと思います。筑波あたりがボーダーの気がします。(私大は人数の面で難しいと思います.)
> 業績を上げられない腐ってしまった人員を早期退職させて
> 業績のある人を迎える
米国の大学でも、一度、テニュアを取った人をクビにすることはできません。契約が生きているからです。これは難しいと思います。しかし、日本は契約を反古にすることも、普通なので、見せしめ的に行う例があるかも知れません。

> 大学の事務職員の数や教員の数、
詳しく知りません.
> また個々の給与の額は誰が決めるのですか?
俸給表に従って、決まります。
> 予算を流動的資金に頼るように仕向けている以上、そのような術を
> 持たないところは規模を縮小せよ...
その通りで、独法化以降、役人の顔色ばかりみる様になりました。また、以前ではありえなかった、官僚の国立大学や旧国研への天下りも普通にあります。天下り役人は、相当の自由度で、勝手に予算を使っています。逆らうと、競争的研究費が来なくなるので、顔色を伺うわけです。
> 大学自身が独自に収入を得る手段というのはありますか
授業料,寄付,特許使用料,付属病院の収入,国からの補助金でしょう。
米国の大学だと,寄付の割合が高いです(日本の10倍以上)。大学によっては授業料収入よりも多いのではないでしょうか?特許は、大学に依り様々で、案外多くはないのです。授業料は年間4-500万/学生だと思います(日本の私大の医学部並)。
詳しく知りません.
> また個々の給与の額は誰が決めるのですか?
俸給表に従って、決まります。
> 予算を流動的資金に頼るように仕向けている以上、そのような術を
> 持たないところは規模を縮小せよ...
その通りで、独法化以降、役人の顔色ばかりみる様になりました。また、以前ではありえなかった、官僚の国立大学や旧国研への天下りも普通にあります。天下り役人は、相当の自由度で、勝手に予算を使っています。逆らうと、競争的研究費が来なくなるので、顔色を伺うわけです。
> 大学自身が独自に収入を得る手段というのはありますか
授業料,寄付,特許使用料,付属病院の収入,国からの補助金でしょう。
米国の大学だと,寄付の割合が高いです(日本の10倍以上)。大学によっては授業料収入よりも多いのではないでしょうか?特許は、大学に依り様々で、案外多くはないのです。授業料は年間4-500万/学生だと思います(日本の私大の医学部並)。

試算をした人さん> 知人の様子を見聞きすると私大もいろいろですね。例外的とは思いますが、学内支給の研究費も授業支援のTAもたっぷりついていてうらやましいところもあります。一方で、ノーベル賞候補に名前があがるような研究者がいる所で、卒研生10人院生20人、授業週7コマ、入試問題作り年5回なんてところもありますね。地方国立大でよく頑張っている方(修士学生主著の投稿論文をほぼ毎年出している)も数名知っています。
>業績をあげられない人を早期退職させて
これは難しいので、校費を削って競争的資金に重心を移しているのでしょうね。次の段階は、競争的資金から自分の給料も出せるようして、全体の給与引き下げでしょうか。学務雑用が多くなって研究に打ち込むのが難しい中高年教員にはつらい方向です。定年が近づいて研究活動が低下している先生方にいろいろ雑務を引き受けてもらおうと思っていたら、かつての業績を看板にして次々に私大に転出してしまい、残った我々はてんてこ舞いです。どうせ研究できないなら給料が下がらないところに行きたい、という気持ちはよくわかりますけれど。愚痴になって失礼。
>業績をあげられない人を早期退職させて
これは難しいので、校費を削って競争的資金に重心を移しているのでしょうね。次の段階は、競争的資金から自分の給料も出せるようして、全体の給与引き下げでしょうか。学務雑用が多くなって研究に打ち込むのが難しい中高年教員にはつらい方向です。定年が近づいて研究活動が低下している先生方にいろいろ雑務を引き受けてもらおうと思っていたら、かつての業績を看板にして次々に私大に転出してしまい、残った我々はてんてこ舞いです。どうせ研究できないなら給料が下がらないところに行きたい、という気持ちはよくわかりますけれど。愚痴になって失礼。

ポスドク問題解決の特効薬は、業績をあげられない教官の解雇ですよ。
そうすると、1)才能あるポスドクのポストがいくばくかは空くことになり、ポスドクのやる気を充実させることができるし、2)能力もないのにだらだらポスドクを続けて、あわよくばパーマネントにもぐりこめば65歳まで安穏とできると思っているへたれポスドクの頭を冷やすことができるからです。
どうでしょう?
そうすると、1)才能あるポスドクのポストがいくばくかは空くことになり、ポスドクのやる気を充実させることができるし、2)能力もないのにだらだらポスドクを続けて、あわよくばパーマネントにもぐりこめば65歳まで安穏とできると思っているへたれポスドクの頭を冷やすことができるからです。
どうでしょう?

Rantって日本語でなんて言うんでしょうかね?

いろいろとご教授いただきましてありがとうございました。
もうひとつ知りたいのですが、大学で教員がやらなくてはならない「雑用」というのは何が該当するのかざっと具体的に教えていただけますでしょうか?またこの雑用の内容や処理方法に大学間の差はありますか?
それと教員の一人か数人を雑用専門の職員にするということは可能ですか?
それと、秘書がいる部屋やいない部屋を見かけるのですが秘書の雇用には大学の予算がついていたりするのでしょうか?
もうひとつ知りたいのですが、大学で教員がやらなくてはならない「雑用」というのは何が該当するのかざっと具体的に教えていただけますでしょうか?またこの雑用の内容や処理方法に大学間の差はありますか?
それと教員の一人か数人を雑用専門の職員にするということは可能ですか?
それと、秘書がいる部屋やいない部屋を見かけるのですが秘書の雇用には大学の予算がついていたりするのでしょうか?

北米の大学の例で言うと、デパートメントあるいはプログラムごとの事務員および技術者の数が非常に充実していますよね。彼らが授業や会議の書類準備、研究の下準備をきちんとやっていてくれるために、教員は忙しいながらも研究に時間を割くことができる仕組みです。日本の大学ではどうなんでしょうね。
北米の大学のシステムを導入するのであれば、安易にポスドクや任期制のような一部を移植するのではなくて、まずは組織全体の有機的な働きを考慮すべきだと思うのですがね。これは、院で思考訓練を受けている者であれば容易に想像がつく、制度や文化の移植と受容に関する基本的な注意事項です。
このような辻褄の合わない小手先の改革が社会のあちこちで起きていること自体、院で思考訓練を受けた専門家が企業・官庁などこの国の幅広い領域で活躍すべきであることの証左と思われるのですが。
北米の大学のシステムを導入するのであれば、安易にポスドクや任期制のような一部を移植するのではなくて、まずは組織全体の有機的な働きを考慮すべきだと思うのですがね。これは、院で思考訓練を受けている者であれば容易に想像がつく、制度や文化の移植と受容に関する基本的な注意事項です。
このような辻褄の合わない小手先の改革が社会のあちこちで起きていること自体、院で思考訓練を受けた専門家が企業・官庁などこの国の幅広い領域で活躍すべきであることの証左と思われるのですが。

少なくとも、研究室単位の秘書は、先生が自分の予算から雇っているところが多いように思います。
偶然検索で見つけたのですが、大学院生(博士含む)に特化した人材紹介会社もあるんですね。
http://d-f-s.biz/
偶然検索で見つけたのですが、大学院生(博士含む)に特化した人材紹介会社もあるんですね。
http://d-f-s.biz/

>大学で教員がやらなくてはならない「雑用」
うちの大学(偏差値60程度の私大)で私がやっている「雑用」のうち、欧米の大学教員はやってないであろうものをいくつかあげます。こうした「雑用」と過重な教育・委員会負担をこなしながら欧米の大学教員と同じだけの業績をあげるのは極めて困難だと思います。
うちの大学(偏差値60程度の私大)で私がやっている「雑用」のうち、欧米の大学教員はやってないであろうものをいくつかあげます。こうした「雑用」と過重な教育・委員会負担をこなしながら欧米の大学教員と同じだけの業績をあげるのは極めて困難だと思います。

・入試問題の作成、試験監督:各種入試や大学院を含め年10回程度
・合格通知の封入作業(学部長以下、入試委員全員で行う)
・公募人事業務(事務室はノータッチなので、公示の主要大学への発送、JRECINへの登録や開封作業を含め全て行う)
・第3者評価のための書類作成
・ゼミ生の教育実習先への挨拶:年1回
・オープンキャンパスでの模擬授業:年3回
・高校での出張講義:年2~3回
・地方での保護者面談:年2~3回
・短期語学研修の引率(なお、私は語学教師ではありません):年1回2週間
・校門及び駅前でのマナーキャンペーン(学内や通学路にゴミを捨てるな等)チラシの配布:年1回
・大学周辺での違法駐車・駐輪の取り締まり:年1回
・問題を起こした学生の対応:随時(留学生関係を含む)
・合格通知の封入作業(学部長以下、入試委員全員で行う)
・公募人事業務(事務室はノータッチなので、公示の主要大学への発送、JRECINへの登録や開封作業を含め全て行う)
・第3者評価のための書類作成
・ゼミ生の教育実習先への挨拶:年1回
・オープンキャンパスでの模擬授業:年3回
・高校での出張講義:年2~3回
・地方での保護者面談:年2~3回
・短期語学研修の引率(なお、私は語学教師ではありません):年1回2週間
・校門及び駅前でのマナーキャンペーン(学内や通学路にゴミを捨てるな等)チラシの配布:年1回
・大学周辺での違法駐車・駐輪の取り締まり:年1回
・問題を起こした学生の対応:随時(留学生関係を含む)

通りすがりNo8640986 さんへ
>業績をあげられない教官の解雇
は現在任期なしの職にある教員に対しては労働法上できません。
また、そういう方策をとれば、研究室の業績を独占したり、データを捏造したり、論文を剽窃したりということが増えるでしょう(ばれたらクビですが、業績を上げなければ何にしてもクビですから)。そこまでひどくなくても、ほとんど貢献していない論文に名前を連ねるなどという非倫理的な行為は頻発するでしょう。
>業績をあげられない教官の解雇
は現在任期なしの職にある教員に対しては労働法上できません。
また、そういう方策をとれば、研究室の業績を独占したり、データを捏造したり、論文を剽窃したりということが増えるでしょう(ばれたらクビですが、業績を上げなければ何にしてもクビですから)。そこまでひどくなくても、ほとんど貢献していない論文に名前を連ねるなどという非倫理的な行為は頻発するでしょう。

一言さんに賛成です。
ポスドクの社会的地位が低いからといってPIの解雇をしやすくしても問題解決にならないばかりか、アカデミックの地位がより脅かされるだけだと思います。地位に相応しくない教員も沢山いるのは事実ですが、辞めるべきなのは実力不足のポスドクたちの方ではないでしょうか。
ポスドクの社会的地位が低いからといってPIの解雇をしやすくしても問題解決にならないばかりか、アカデミックの地位がより脅かされるだけだと思います。地位に相応しくない教員も沢山いるのは事実ですが、辞めるべきなのは実力不足のポスドクたちの方ではないでしょうか。

セーフティーネットの確立されていない状態で、ポスドク(院生)を辞めさせるというのは業界の先細りにつながると思います。シニアは定年まで安泰、若手は逆に激しい競争で、負ければ30〜40代で社会からも脱落というのでは、次世代の人材が逃げるのも仕方ないと思います。すでに博士課程に進学する院生自体激減していて、旧帝大でも生命系などは博士進学者がゼロに近いところもあると聞きます。
立場が弱く切り易いからと言って、若手を粗末に扱っていると、中長期的に体質が弱まるというのは企業でも同じだと思います。優秀であろうがなかろうが、採用した以上、それを使いこなしてこそ組織としての力量が評価されるでしょう。
このままの流れで行くと、アカデミアの研究は、身分を保障されたシニアが、若手が進めていた部分をアウトソーシング会社などに依頼するという発注形態にシフトしていく気がします。大学は研究費を取って来て研究の方向性を決める機関となり、教育面ではその発注者育成コースに変わっていくことになるんでしょうか。役所みたいな存在ですね。
立場が弱く切り易いからと言って、若手を粗末に扱っていると、中長期的に体質が弱まるというのは企業でも同じだと思います。優秀であろうがなかろうが、採用した以上、それを使いこなしてこそ組織としての力量が評価されるでしょう。
このままの流れで行くと、アカデミアの研究は、身分を保障されたシニアが、若手が進めていた部分をアウトソーシング会社などに依頼するという発注形態にシフトしていく気がします。大学は研究費を取って来て研究の方向性を決める機関となり、教育面ではその発注者育成コースに変わっていくことになるんでしょうか。役所みたいな存在ですね。

>次世代の人材が逃げるのも仕方ないと思います。
自分達のせいでで人材が寄り付かないのに、最近やってくる学生が劣化したとかのたまっている先生方は滑稽ですよね。
自分達のせいでで人材が寄り付かないのに、最近やってくる学生が劣化したとかのたまっている先生方は滑稽ですよね。

Aさん
失礼ながらすでにそのような理想論を唱える時期はとっくに過ぎていると思うのですが。若手を粗末に扱うな、とおっしゃいますが、それでは今更若手のために常勤ポストを増やせると思いますか?予算もポストも増やせない以上、人材が減って日本の科学が衰退するのも仕方ないじゃないですか。科学の発展のためにポスドクたちを人柱にする方が非道ではないでしょうか。そういう意味で私は、無能なポスドクたちは(アカデミアの研究を)辞めるべき、と書きました。
HNのとおりアカデミアに居ても絶望的なポスドクの私見です。
失礼ながらすでにそのような理想論を唱える時期はとっくに過ぎていると思うのですが。若手を粗末に扱うな、とおっしゃいますが、それでは今更若手のために常勤ポストを増やせると思いますか?予算もポストも増やせない以上、人材が減って日本の科学が衰退するのも仕方ないじゃないですか。科学の発展のためにポスドクたちを人柱にする方が非道ではないでしょうか。そういう意味で私は、無能なポスドクたちは(アカデミアの研究を)辞めるべき、と書きました。
HNのとおりアカデミアに居ても絶望的なポスドクの私見です。

そんことないですよ、次世代の若手がいなければ、10年で業界は破綻します。いくら何でもそんなバカなことをする国はありませんよ、と言いたいところですが、どうやら博士課程修了後5年までしかポスドクは出来なくなるようですね・・・・こうなると有能も無能もなくみな消滅ということになりそうです。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071129k0000m010110000c.html
この流れで行くと、今の博士課程の学生はあまり数が多くないので、アッという間に次世代の中堅層は消え失せるでしょう。有識者会議はバカの集まりなんでしょうか。「質の確保」とか言っていますが、基礎研究は基本的に頭数+多様性です。
今後、ほとんどの大学は研究自体を諦めて、会社に外注するくらいしか出来ないんじゃないでしょうか。そして博士も30超えたらポスドクすら出来ないんですから、自分たちで起業するなり、下請け会社に入るなりして研究をしていくしか道はないんでしょうね。もう、これから大学院に行きたいと思う人はいないでしょう。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071129k0000m010110000c.html
この流れで行くと、今の博士課程の学生はあまり数が多くないので、アッという間に次世代の中堅層は消え失せるでしょう。有識者会議はバカの集まりなんでしょうか。「質の確保」とか言っていますが、基礎研究は基本的に頭数+多様性です。
今後、ほとんどの大学は研究自体を諦めて、会社に外注するくらいしか出来ないんじゃないでしょうか。そして博士も30超えたらポスドクすら出来ないんですから、自分たちで起業するなり、下請け会社に入るなりして研究をしていくしか道はないんでしょうね。もう、これから大学院に行きたいと思う人はいないでしょう。

昨晩、国際的に加熱するレアメタル争奪戦のドキュメンタリーを見ました。レアメタルは携帯電話など様々な機器に使用されていますが、文字通り希少で、しかも世界の多くの産地を既に中国が15-6年前からの国家的プロジェクトとして買い占めているそうです。
ただ買い占めているだけではなく、毎年、定期的に産地に乗り込んで現地のお偉方と会談するばかりか地元民との交流といったパフォーマンスまでして見せる中国の高官たちの姿に、日本の官僚・政治家との落差を見ました。
ここの話題との関連で興味深かったのは、「交渉のネタとしての日本の技術力」です。ロシアのレアメタル獲得の日本側の「奥の手」が「高い技術力の一部移転」でした。やはり、資源の無い国は、技術や知恵で勝負しなければいけないのだなと再認識しました。
ただ買い占めているだけではなく、毎年、定期的に産地に乗り込んで現地のお偉方と会談するばかりか地元民との交流といったパフォーマンスまでして見せる中国の高官たちの姿に、日本の官僚・政治家との落差を見ました。
ここの話題との関連で興味深かったのは、「交渉のネタとしての日本の技術力」です。ロシアのレアメタル獲得の日本側の「奥の手」が「高い技術力の一部移転」でした。やはり、資源の無い国は、技術や知恵で勝負しなければいけないのだなと再認識しました。

そんな中、技術の基となる研究を蔑ろにして日本は将来大丈夫なんだろうか・・・と思った次第です。昨今、話題になっている「教授におんぶにだっこで博士号取得したPD」は除外しても、日本には高い技術力と発想力を持ったPDはまだまだ多い(特に30代半ば以上)と思います。そうした人々が日本国内で安定した職を得られずに、他国(多くは米国)でPDとしてその国の研究の土台を支えているわけです。これでは、多額のお金をかけて博士号取得者を出してPDとして二束三文で輸出しているようなものです。
>基礎研究は基本的に頭数+多様性
その通りです。
「高給でなくとも人並に安定した暮らしがしたい」という若い研究者たちの多くに職場を確保することぐらい、年金問題や汚職に流れている金額に比べればなんてことないように思うのですが。
>基礎研究は基本的に頭数+多様性
その通りです。
「高給でなくとも人並に安定した暮らしがしたい」という若い研究者たちの多くに職場を確保することぐらい、年金問題や汚職に流れている金額に比べればなんてことないように思うのですが。

旧帝大教授でも俸給500万円にして、その分ポストを増やしましょうよ。それくらいの人は講演料やら集中講義代とかで、副収入はあるんだから。

私もSさんの考えに賛成です。
>>基礎研究は基本的に頭数+多様性
>その通りです。
>「高給でなくとも人並に安定した暮らしがしたい」という若い研究者たち
>の多くに職場を確保する
これに尽きると思います。大学のスタッフの整理には反対です。自分もポスドクや任期付職を11年やって、ようやく職を得ました。40代の研究者の整理の話が出るたびに、またかと思いますし、ポスドク時代と何も変わらないまま一生過ごすのかと思います。
そんな職を魅力的に思い、若者が目指すのでしょうかね。
「教授=博士課程に勧誘」
みたいな論調の書き込みを見ますが、間違いです。私も、同世代の友人も、
「博士課程に進むな。日本では馬鹿を見る。」
と学生には言い。企業を紹介しています。そんな活動の成果でしょう。
それから、日本の企業もつ研究分野はきわめて狭く、大学の研究のアウトソーシングなど絶対にできません。
だから、私のところも含め、いくつかの技術力があると目されるラボに頭を下げて情報収集や技術研修に来るのです。
>>基礎研究は基本的に頭数+多様性
>その通りです。
>「高給でなくとも人並に安定した暮らしがしたい」という若い研究者たち
>の多くに職場を確保する
これに尽きると思います。大学のスタッフの整理には反対です。自分もポスドクや任期付職を11年やって、ようやく職を得ました。40代の研究者の整理の話が出るたびに、またかと思いますし、ポスドク時代と何も変わらないまま一生過ごすのかと思います。
そんな職を魅力的に思い、若者が目指すのでしょうかね。
「教授=博士課程に勧誘」
みたいな論調の書き込みを見ますが、間違いです。私も、同世代の友人も、
「博士課程に進むな。日本では馬鹿を見る。」
と学生には言い。企業を紹介しています。そんな活動の成果でしょう。
それから、日本の企業もつ研究分野はきわめて狭く、大学の研究のアウトソーシングなど絶対にできません。
だから、私のところも含め、いくつかの技術力があると目されるラボに頭を下げて情報収集や技術研修に来るのです。

> 講演料やら集中講義代とかで、副収入はあるんだから。
よほどの大物なら別ですが、通常は講演料は雀の涙です。昨年は、福岡、札幌などの学会で招待講演を依頼され、自腹ではないと思い、会員でも無いのにノコノコ出かけました。福岡、札幌共に講演料30000円だけで交通費、宿泊費ゼロで大赤字でした。昨年は招待講演を10回くらいしましたが、半分はこんなものでした。また、省庁からの依頼講演だと、交通費だけの時もあり、大赤字でした。
大学の集中講義はこんなことはありませんが、それでも、儲けが出るほど、講義依頼に応じていたら、本務ができなくなると思いますよ。引退した老人とかなら別ですが。。。
ちなみに、私自身は講演のデータは90%以上は自分の手で取ったものを出しています。。うちではポスドクの方が働いていない感じですね。
よほどの大物なら別ですが、通常は講演料は雀の涙です。昨年は、福岡、札幌などの学会で招待講演を依頼され、自腹ではないと思い、会員でも無いのにノコノコ出かけました。福岡、札幌共に講演料30000円だけで交通費、宿泊費ゼロで大赤字でした。昨年は招待講演を10回くらいしましたが、半分はこんなものでした。また、省庁からの依頼講演だと、交通費だけの時もあり、大赤字でした。
大学の集中講義はこんなことはありませんが、それでも、儲けが出るほど、講義依頼に応じていたら、本務ができなくなると思いますよ。引退した老人とかなら別ですが。。。
ちなみに、私自身は講演のデータは90%以上は自分の手で取ったものを出しています。。うちではポスドクの方が働いていない感じですね。

科学界の政治能力のなさといういつもの結論でFAですか?

政治力がないというよりは・・・やりたくてやってるんじゃないかと。
閣僚
福田 康夫 内閣総理大臣
町村 信孝 内閣官房長官
岸田 文雄 科学技術政策担当大臣
増田 寛也 総務大臣
額賀 福志郎 財務大臣
渡海 紀三朗 文部科学大臣
甘利 明 経済産業大臣
有識者
相澤 益男 (常勤議員) 元東京工業大学学長
薬師寺 泰蔵(常勤議員) 慶應義塾大学客員教授
本庶 佑 (常勤議員) 京都大学客員教授
奥村 直樹 (常勤議員) 元新日本製鐵(株)代表取締役 副社長、技術開発本部長
庄山 悦彦 (非常勤議員) (株)日立製作所取締役会長
原山 優子 (非常勤議員) 東北大学大学院工学研究科教授
郷 通子 (非常勤議員) お茶の水女子大学学長
金澤 一郎 日本学術会議会長 ※関係機関の長
閣僚
福田 康夫 内閣総理大臣
町村 信孝 内閣官房長官
岸田 文雄 科学技術政策担当大臣
増田 寛也 総務大臣
額賀 福志郎 財務大臣
渡海 紀三朗 文部科学大臣
甘利 明 経済産業大臣
有識者
相澤 益男 (常勤議員) 元東京工業大学学長
薬師寺 泰蔵(常勤議員) 慶應義塾大学客員教授
本庶 佑 (常勤議員) 京都大学客員教授
奥村 直樹 (常勤議員) 元新日本製鐵(株)代表取締役 副社長、技術開発本部長
庄山 悦彦 (非常勤議員) (株)日立製作所取締役会長
原山 優子 (非常勤議員) 東北大学大学院工学研究科教授
郷 通子 (非常勤議員) お茶の水女子大学学長
金澤 一郎 日本学術会議会長 ※関係機関の長

第71回総合科学技術会議の配付資料
http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu71/haihu-si71.html
システム改革についておおよそ目を通しましたが、既にここで言われているような内容がほとんどでしょうか。それでなぜポストポスドク対策がこのようになるのかが不思議です。問題解決が放棄されたというか、今のポスドクをなかったことにしてシステムを再構築しようという方針です。こういう切り捨てを今やるということは、将来問題が出たらまた切り捨てるということを意味していて、新しく入る方も怖くて飛び込めないんじゃないでしょうか。どうして今の現状から、上手に移行しようと考えないのか理解に苦しみます。
せめて今の現状からいえば、少なくともこれからのエリート教育世代と入れ替わる10〜20年後くらいまでは、今のポスドクたちに現役として研究を推進してもらうなどしないと、次世代のシステムが組み上がる前に研究現場が崩壊してしまうと思います(エリート教育をする教員の教育時間の負担も相当になると思いますし)。少数精鋭は人材育成には適していても、世界的な研究競争には向いていないと思います。この辺のニュアンスの違いが理解されていないのでしょうか。
http://www8.cao.go.jp/cstp/siryo/haihu71/haihu-si71.html
システム改革についておおよそ目を通しましたが、既にここで言われているような内容がほとんどでしょうか。それでなぜポストポスドク対策がこのようになるのかが不思議です。問題解決が放棄されたというか、今のポスドクをなかったことにしてシステムを再構築しようという方針です。こういう切り捨てを今やるということは、将来問題が出たらまた切り捨てるということを意味していて、新しく入る方も怖くて飛び込めないんじゃないでしょうか。どうして今の現状から、上手に移行しようと考えないのか理解に苦しみます。
せめて今の現状からいえば、少なくともこれからのエリート教育世代と入れ替わる10〜20年後くらいまでは、今のポスドクたちに現役として研究を推進してもらうなどしないと、次世代のシステムが組み上がる前に研究現場が崩壊してしまうと思います(エリート教育をする教員の教育時間の負担も相当になると思いますし)。少数精鋭は人材育成には適していても、世界的な研究競争には向いていないと思います。この辺のニュアンスの違いが理解されていないのでしょうか。

政治力というより政治「能力」がないんでしょう。

なるほど。

>せめて今の現状からいえば、少なくともこれからのエリート教育世代と入れ替わる10〜20年後くらいまでは、今のポスドクたちに現役として研究を推進してもらうなどしないと、次世代のシステムが組み上がる前に研究現場が崩壊してしまうと思います
Aさんの提示された資料に暗澹たる思いになりました。「将来エリート教育を担う教員は今のPDや若手任期付きPIがなる→現在のPD・若手任期付きPIを切り捨てるのはもったいない→このへんの雇用問題をなんとかしよう」とならないのですね。企画・立案者側の想像力の欠如でしょうか。
つくづく、団塊Jr≒就職氷河期世代≒ロスト・ジェネレーションは、フリーターから高学歴職無しPDまで、損な世代ですね。いずれは団塊の世代のごたごたの後処理を任され、下の世代の踏み台にされ、将来の仕事も年金も無いかもしれない・・・と。 少子化にもなりますよ、これじゃ。
Aさんの提示された資料に暗澹たる思いになりました。「将来エリート教育を担う教員は今のPDや若手任期付きPIがなる→現在のPD・若手任期付きPIを切り捨てるのはもったいない→このへんの雇用問題をなんとかしよう」とならないのですね。企画・立案者側の想像力の欠如でしょうか。
つくづく、団塊Jr≒就職氷河期世代≒ロスト・ジェネレーションは、フリーターから高学歴職無しPDまで、損な世代ですね。いずれは団塊の世代のごたごたの後処理を任され、下の世代の踏み台にされ、将来の仕事も年金も無いかもしれない・・・と。 少子化にもなりますよ、これじゃ。

こちらで以前紹介されていた赤木智弘さんの一連の文章が、この世代にとっては心理的にはものすごいリアリティーを持っていることが改めて認識させられます。
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html (「「丸山眞夫」をひっぱたきたい」)
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html(「けっきょく、「自己責任」ですか?」)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20071122dde014070009000c.html (赤木氏と中島岳志氏の対談)
http://www.bk1.jp/review/0000462784 (赤木氏の本『若者を見殺しにする国 :私を戦争に向かわせるものは何か』の書評。現在の状況は戦中期を思い出させるという指摘には、ぞっとします。数年前なら「思い過ごし」と笑ってやり過ごせたのですが。セーフティーネット無しで妙な競争ばかり煽っても碌なことがないということは、科学行政・教育についても言えますね )
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama.html (「「丸山眞夫」をひっぱたきたい」)
http://www7.vis.ne.jp/~t-job/base/maruyama2.html(「けっきょく、「自己責任」ですか?」)
http://mainichi.jp/enta/art/news/20071122dde014070009000c.html (赤木氏と中島岳志氏の対談)
http://www.bk1.jp/review/0000462784 (赤木氏の本『若者を見殺しにする国 :私を戦争に向かわせるものは何か』の書評。現在の状況は戦中期を思い出させるという指摘には、ぞっとします。数年前なら「思い過ごし」と笑ってやり過ごせたのですが。セーフティーネット無しで妙な競争ばかり煽っても碌なことがないということは、科学行政・教育についても言えますね )

16000人を700万円で雇っても防衛予算の足下にも及ばないのに。問題化させるより活用したほうがよっぽど有益だと思うのですが、計算間違ってますか?

>re 様は真面目なんですね、、。多くの教授は「某学会にて某大学の研究者と研究成果について議論する」などと書類を提出して、自分の研究費から旅費と宿泊費を出すと思いますよ。ホテルを安いとこにして差額は小遣い、、。
>K様 毎年それでは無理があるでしょう。大学院と学位取得後5年間の論文で、合計被引用回数10−20以下の人はアカデミアを諦めてもらうというのでどうですかね、、。
>K様 毎年それでは無理があるでしょう。大学院と学位取得後5年間の論文で、合計被引用回数10−20以下の人はアカデミアを諦めてもらうというのでどうですかね、、。

今ポストをもっているひとを首切りしやすくするというのは、非正規雇用問題の解決には切り札です。大学に限って言えば大量に存在するどう見てもダメな教官をクビにするだけなら、悪い影響はほとんどないでしょう。
ただ政治的にはほとんどありえないことも理解しています。単に既得権が侵されるから反対するというだけでなく、余裕がないからか多くの人が他人に対する想像力や共感力を失っているからという問題があると思っています。ポスドク問題がこれだけ理解されないのもこのせいでしょう。
例の赤木さんのHPの掲示板にしつこく連帯を迫る人との面白いやり取りがあります。正規雇用の人と連帯できないというのはわかるんですが、彼は自分より境遇が悪い人とも連帯できないと言う。驚くべきことに彼はそれらの人に自己責任を適応するのです。これではダメでしょう。
狭量な相手を批判に同じ狭量さで対応するのでは孤立した殺伐とした社会になってしまう。どうにかそういうことを避けながら皆が幸せになれる道はないものでしょうか。就職氷河期世代から文化の担い手(抑圧が文化を創る)や社会運動の優れた担い手が出てこないかなと期待しています。以上独り言でした。
ただ政治的にはほとんどありえないことも理解しています。単に既得権が侵されるから反対するというだけでなく、余裕がないからか多くの人が他人に対する想像力や共感力を失っているからという問題があると思っています。ポスドク問題がこれだけ理解されないのもこのせいでしょう。
例の赤木さんのHPの掲示板にしつこく連帯を迫る人との面白いやり取りがあります。正規雇用の人と連帯できないというのはわかるんですが、彼は自分より境遇が悪い人とも連帯できないと言う。驚くべきことに彼はそれらの人に自己責任を適応するのです。これではダメでしょう。
狭量な相手を批判に同じ狭量さで対応するのでは孤立した殺伐とした社会になってしまう。どうにかそういうことを避けながら皆が幸せになれる道はないものでしょうか。就職氷河期世代から文化の担い手(抑圧が文化を創る)や社会運動の優れた担い手が出てこないかなと期待しています。以上独り言でした。

総合科学技術会議案についてですが、今後の教育面に関してはかなりの改善が見込めると思います。一方で、ポスドク期間の上限(博士取得後5年)については、社会にも適合できるエリート教育を受けられなかった今のポスドクたちには、別の対応が必要になると思います。
会議案をポジティブに解釈すれば、研究支援者の拡充が必要とあるので、まずはその部分を今のポスドクたちで埋めていくが理想でしょうか。同時に、既に研究職に就いている者のなかからも、「世界レベルの研究を牽引するはつらい」と言う人には書類作成や経費整理などのサポート側に回る配置転換や、ポスドクの中からも適性のあるものは新たな研究リーダーとして立てるなどの再編が重要になるでしょう。
注意点は、研究者>新博士(ポスドク)>サポート役、のような格付けに基づいて評価体系を決めてしまうと良くないと言う点です。これらのポジションはどれも必要であって、研究リーダー1流、ポスドク2流、サポート3流となってしまっては競争力は向上しないでしょう。特性に応じた住み分けと評価が大事だと思います。win-winの業界再編と、新規参入者の教育の質の向上を平行して行うのが良いでしょう。
会議案をポジティブに解釈すれば、研究支援者の拡充が必要とあるので、まずはその部分を今のポスドクたちで埋めていくが理想でしょうか。同時に、既に研究職に就いている者のなかからも、「世界レベルの研究を牽引するはつらい」と言う人には書類作成や経費整理などのサポート側に回る配置転換や、ポスドクの中からも適性のあるものは新たな研究リーダーとして立てるなどの再編が重要になるでしょう。
注意点は、研究者>新博士(ポスドク)>サポート役、のような格付けに基づいて評価体系を決めてしまうと良くないと言う点です。これらのポジションはどれも必要であって、研究リーダー1流、ポスドク2流、サポート3流となってしまっては競争力は向上しないでしょう。特性に応じた住み分けと評価が大事だと思います。win-winの業界再編と、新規参入者の教育の質の向上を平行して行うのが良いでしょう。

Aさんの提案におおむね賛成です。
>注意点は、研究者>新博士(ポスドク)>サポート役、のような格付けに基づいて評価体系を決めてしまうと良くないと言う点です。これらのポジションはどれも必要であって、研究リーダー1流、ポスドク2流、サポート3流となってしまっては競争力は向上しないでしょう。
研究者は研究の専門家、ポスドクはエリート研究者を要請するための専門教育の専門家、サポート(事務・技術者)は研究・教育になくてはならない専門家として、それぞれが矜持を持って活躍していけるようになると良いですね。
そのためにも、基本給の格差はなるべく抑えて、その代わりに研究者・ポスドクには幾ばくかの研究費が出る(機会がある)というような給与体系が必要でしょう。
>注意点は、研究者>新博士(ポスドク)>サポート役、のような格付けに基づいて評価体系を決めてしまうと良くないと言う点です。これらのポジションはどれも必要であって、研究リーダー1流、ポスドク2流、サポート3流となってしまっては競争力は向上しないでしょう。
研究者は研究の専門家、ポスドクはエリート研究者を要請するための専門教育の専門家、サポート(事務・技術者)は研究・教育になくてはならない専門家として、それぞれが矜持を持って活躍していけるようになると良いですね。
そのためにも、基本給の格差はなるべく抑えて、その代わりに研究者・ポスドクには幾ばくかの研究費が出る(機会がある)というような給与体系が必要でしょう。

Aさんの書かれることに以前から「ズレ」を感じてきたんですが、
>>社会にも適合できるエリート教育を受けられなかった今のポスドクたちには
ポスドクの問題は教育の問題だと本当に思っているのですか?私はポスドク問題を教育問題にするのは何らかの意図(例えば責任逃れ)があってのことと思っています。
2段目もサポート役に回ってしかもプライドも失わないあり方というのが想像できません。こういう配置転換をやろうとすると大学の中で相当に殺伐とした争いが起こりそうな気がします。学内政治力がモノをいうので適材適所にもならないでしょう。いろんな怨念の蓄積した組織になりそうです。机上の空論にみえます。
>>社会にも適合できるエリート教育を受けられなかった今のポスドクたちには
ポスドクの問題は教育の問題だと本当に思っているのですか?私はポスドク問題を教育問題にするのは何らかの意図(例えば責任逃れ)があってのことと思っています。
2段目もサポート役に回ってしかもプライドも失わないあり方というのが想像できません。こういう配置転換をやろうとすると大学の中で相当に殺伐とした争いが起こりそうな気がします。学内政治力がモノをいうので適材適所にもならないでしょう。いろんな怨念の蓄積した組織になりそうです。机上の空論にみえます。

以前からこちらの書き込みを拝見していて不思議なのですが、なぜ多くの場合、「研究者>>>>教育者」という従来からのヒエラルヒーを唯一普遍の前提のように語るのでしょうか? そもそも、そのような単線的なヒエラルヒーこそが間違っている(少なくとも見直す必要がある)と考えてみることはできないでしょうか?
もちろん、現状では「研究者>教育者」と大学内では見られているようですし(嘆かわしいことです)、政治力・資金配分もそのようになっています。しかし、そのような「研究者>教育者」というヒエラルヒーそのものを組みかえる作業が必要であるということをAさんはおっしゃっているのだと思います。
もちろん、現状では「研究者>教育者」と大学内では見られているようですし(嘆かわしいことです)、政治力・資金配分もそのようになっています。しかし、そのような「研究者>教育者」というヒエラルヒーそのものを組みかえる作業が必要であるということをAさんはおっしゃっているのだと思います。

40台海外ポスドクさんがおっしゃることも分かります。今のままいきなりAさんの提案通りにしたら、単に「格差」(政治力、資金力、などなど)が広がるだけかもしれません。
しかし、上の提案は理想論かもしれませんが、その理想に少しでも近づけるにはどうしたら良いか考えることも必要ではないでしょうか?
たとえば、いきなり価値観の転換を図るのは難しいのでポスドクを「研究者かつエリート要請のための教育者」と位置付ける、私が提案したように給与体系をほぼ同等にする、などの対策を立て、或る程度プライドを保ちながら皆が働いていけるような仕組みに徐々に変えていくのです。
私は北米で「縁の下の力持ち」としてプライドを持ち、周りからも信頼・尊敬されているサポート(技術者ですが)を見ましたが、40台さんの周りにはいらっしゃいませんでしたか?
しかし、上の提案は理想論かもしれませんが、その理想に少しでも近づけるにはどうしたら良いか考えることも必要ではないでしょうか?
たとえば、いきなり価値観の転換を図るのは難しいのでポスドクを「研究者かつエリート要請のための教育者」と位置付ける、私が提案したように給与体系をほぼ同等にする、などの対策を立て、或る程度プライドを保ちながら皆が働いていけるような仕組みに徐々に変えていくのです。
私は北米で「縁の下の力持ち」としてプライドを持ち、周りからも信頼・尊敬されているサポート(技術者ですが)を見ましたが、40台さんの周りにはいらっしゃいませんでしたか?

研究から教育に移るならともかく、今まで教授だった人がテクニシャンになるのはありえないと思います。
理想を語るのなら、もっと予算と人員を増やすことが第一ではないですか?それが難しいのはわかりますが、最初から除外して話をするのはどうしてでしょうか?アメリカとの一番の違いは予算と教員、サポートする人も学生数に比較して圧倒的に日本よりは多いことです。その悪条件を考えに入れれば、日本の大学は相当頑張っていると思います。しかもそれはシステムに支えられているわけではなく一部教員の個人的な倫理観に支えられている面が大きいと思っています。
何でもアメリカ流がよいわけではないです。アメリカの大学の事務を見てみると、専門職みたいな感じで扱われていて日本よりは地位は高いですが、この国では仕事の分担ははっきりしていますので日本より効率が高いかというとかなり疑問です。
理想を語るのなら、もっと予算と人員を増やすことが第一ではないですか?それが難しいのはわかりますが、最初から除外して話をするのはどうしてでしょうか?アメリカとの一番の違いは予算と教員、サポートする人も学生数に比較して圧倒的に日本よりは多いことです。その悪条件を考えに入れれば、日本の大学は相当頑張っていると思います。しかもそれはシステムに支えられているわけではなく一部教員の個人的な倫理観に支えられている面が大きいと思っています。
何でもアメリカ流がよいわけではないです。アメリカの大学の事務を見てみると、専門職みたいな感じで扱われていて日本よりは地位は高いですが、この国では仕事の分担ははっきりしていますので日本より効率が高いかというとかなり疑問です。

>研究から教育に移るならともかく、今まで教授だった人がテクニシャンになるのはありえないと思います。
すみません。私が勘違いしていたのでしょうか? 「研究、教育、サポート」というのは現在のPDの今後の職の振り分け方というふうに解釈していたのですが。 (つまり、「今まで教授だった人がテクニシャンになる」ということをAさんは書いていないと思っていたのですが)
すみません。私が勘違いしていたのでしょうか? 「研究、教育、サポート」というのは現在のPDの今後の職の振り分け方というふうに解釈していたのですが。 (つまり、「今まで教授だった人がテクニシャンになる」ということをAさんは書いていないと思っていたのですが)

>>Mさん
> 多くの教授は「某学会にて某大学の研究者と研究成果について
> 議論する」などと書類を提出して、自分の研究費から旅費と
> 宿泊費を出すと思いますよ。
予算が十分にある年は招待講演の旅費が出なければ研究費から捻出しました。しかし、残念ですが、今年のように予算獲得に失敗すると、10回分の出張旅費は自分のポケットマネーになります。
東大京大の教授を除くと、学会出張はポケットマネーの人も結構いると思います。
私は大学でも取れる文科省系の競争的予算に依存しています。
大体、年間800万円~1500万円の間です。
ここから年間700ー800万円の人件費(契約職員の給与)を出します。今年のように予算が900万程度だと、人件費を引くと、消耗品を100万円程度で終わりです。
競争的予算の獲得金額は、これでも、私の分野では多い方です。数年に一回年間200万円程度の科研費を当ててラボを運営している方も多いと思います。
研究所も、かつては、常勤の技官や研究室秘書がいました。しかし、人員削減され、研究者が自ら雇う形です。学生が来たとしても、旧帝大クラスの学生は皆無です。戦力外です。
> 多くの教授は「某学会にて某大学の研究者と研究成果について
> 議論する」などと書類を提出して、自分の研究費から旅費と
> 宿泊費を出すと思いますよ。
予算が十分にある年は招待講演の旅費が出なければ研究費から捻出しました。しかし、残念ですが、今年のように予算獲得に失敗すると、10回分の出張旅費は自分のポケットマネーになります。
東大京大の教授を除くと、学会出張はポケットマネーの人も結構いると思います。
私は大学でも取れる文科省系の競争的予算に依存しています。
大体、年間800万円~1500万円の間です。
ここから年間700ー800万円の人件費(契約職員の給与)を出します。今年のように予算が900万程度だと、人件費を引くと、消耗品を100万円程度で終わりです。
競争的予算の獲得金額は、これでも、私の分野では多い方です。数年に一回年間200万円程度の科研費を当ててラボを運営している方も多いと思います。
研究所も、かつては、常勤の技官や研究室秘書がいました。しかし、人員削減され、研究者が自ら雇う形です。学生が来たとしても、旧帝大クラスの学生は皆無です。戦力外です。

工学部と推測されますが、、資金が年1000万ほどで、契約職員の人件費を700万ほどてのは、これでは研究できませんね。ポケットマネーでやっていただくのも仕方ないでしょう。一方、人件費これがポスドクならとても良いお金の使い方ですね。秘書二人とかなら笑い話。

あ、失礼しました。Aさんのはポスドクをテクニシャンに、ポストを持っている研究者の人の一部を事務にということですね。それでも、僕の意見には全然変わりません。

研究者とテクニシャン、事務では人材の志向性というか、持っているエトスが全然違います。支援者の地位を向上させることは賛成ですが、それでポスドクをこっちに回すとか、上のほうから考えることではないでしょう。実際やってもテクニシャンになるポスドクがどれだけいるか。肩書きはテクニシャンで実際は研究者の仕事をさせられするかもしれません。アイデア出しても取られたりして。
これも前から思っていたのですが、失礼ながらAさん官僚や上のほうの研究者とは付き合い(取材?)があるのかもしれませんが現場の人間をまるではご存知じゃないのではないでしょうか?
これも前から思っていたのですが、失礼ながらAさん官僚や上のほうの研究者とは付き合い(取材?)があるのかもしれませんが現場の人間をまるではご存知じゃないのではないでしょうか?

それはエトスの持たせ方が偏っているんじゃないでしょうか。海外には博士持ちの高級テクニシャンや事務官が結構いるのではありませんか?

>肩書きはテクニシャンで実際は研究者の仕事をさせられするかもしれません。アイデア出しても取られたりして。
それは、それぞれの職分を初めから了解して仕事をしておれば、大丈夫ではないでしょうか。たとえば、テクニシャンになった場合には、テクニシャンとしてのプロに徹する(=基本的には実験の基幹となるアイディアは出さない)のです。ボスとの関係が良好でアイディアをただ取りされないような環境であれば、共同研究者となるのもよいかもしれません。
現行の制度では、「アイディアが盗られる=論文減る=業績減る=身分不安定」と考えが進むのは分かります。(そのような考えでいけば、上のような制度は、テクニシャンやポスドクの使い捨てのように見えるかもしれません)
しかし、そこには、あらゆる種類の教員に対して研究成果ばかりが評価の対象となってきたことの弊害が垣間見られます。
研究で評価される研究者、研究+院生教育で評価されるポスドク、教育と実験補佐の的確さで評価されるテクニシャン、というように、将来的には、それぞれの職分ごとに違う評価基準が導入されても良いのではないでしょうか。
それは、それぞれの職分を初めから了解して仕事をしておれば、大丈夫ではないでしょうか。たとえば、テクニシャンになった場合には、テクニシャンとしてのプロに徹する(=基本的には実験の基幹となるアイディアは出さない)のです。ボスとの関係が良好でアイディアをただ取りされないような環境であれば、共同研究者となるのもよいかもしれません。
現行の制度では、「アイディアが盗られる=論文減る=業績減る=身分不安定」と考えが進むのは分かります。(そのような考えでいけば、上のような制度は、テクニシャンやポスドクの使い捨てのように見えるかもしれません)
しかし、そこには、あらゆる種類の教員に対して研究成果ばかりが評価の対象となってきたことの弊害が垣間見られます。
研究で評価される研究者、研究+院生教育で評価されるポスドク、教育と実験補佐の的確さで評価されるテクニシャン、というように、将来的には、それぞれの職分ごとに違う評価基準が導入されても良いのではないでしょうか。

>海外には博士持ちの高級テクニシャンや事務官が結構いる
そうだと思います。もっとも、研究者としての訓練を受けてきた現在のPDがいきなり事務官になるのは、無理があるかもしれません。ただ、それも、事務官の仕事を分化させて、これまでの経験が活かせるように配置すれば良いのではないでしょうか。
たとえば・・・(あくまでも一案です)
・研究者(博士号持ち)
うち教授(基本給1000万+研究費):研究+
うち準教授(基本給800万+研究費):研究+
うち助教(基本給600万+研究費):研究+
・ポスドク(博士号持ち。基本給600-800万+研究費):研究+
・テクニシャン(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):実験補助+
・理系事務官(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):
・文系事務官(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):
・RAなど院生:
・・・すみません。今、時間ありません。続きを書いても良いという奇特な方、どうぞ。 「研究+」の後には各種教育活動、諸雑務が入ります。現在の日本の大学教員が行なっている「雑務」については、上のほうに書き込みがあるので参考になるかもしれません。
そうだと思います。もっとも、研究者としての訓練を受けてきた現在のPDがいきなり事務官になるのは、無理があるかもしれません。ただ、それも、事務官の仕事を分化させて、これまでの経験が活かせるように配置すれば良いのではないでしょうか。
たとえば・・・(あくまでも一案です)
・研究者(博士号持ち)
うち教授(基本給1000万+研究費):研究+
うち準教授(基本給800万+研究費):研究+
うち助教(基本給600万+研究費):研究+
・ポスドク(博士号持ち。基本給600-800万+研究費):研究+
・テクニシャン(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):実験補助+
・理系事務官(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):
・文系事務官(修士号・博士号持ち。基本給600-700万):
・RAなど院生:
・・・すみません。今、時間ありません。続きを書いても良いという奇特な方、どうぞ。 「研究+」の後には各種教育活動、諸雑務が入ります。現在の日本の大学教員が行なっている「雑務」については、上のほうに書き込みがあるので参考になるかもしれません。

>S様
上記給料はx0.5~0.7でいいと思います。そんなに有能な人は私も含めて多くないです。
上記給料はx0.5~0.7でいいと思います。そんなに有能な人は私も含めて多くないです。

Sさんに概ね賛成です。
Mさんのx0.5〜0.7ですと給与の最低額が300万円になってしまうのでこれではまともな人は敬遠するでしょう。
Mさんのx0.5〜0.7ですと給与の最低額が300万円になってしまうのでこれではまともな人は敬遠するでしょう。


薄給だが税金は納めてるよ。研究者が遊んでると思ってんの?一日中実験やってみたらいい。重労働だよ。ポスドクを食い物にして研究成果を丸儲けしようとしてるのはもっと上の人でしょ。

ばかか? おまえは。
その薄給はどこから出てる?
大学も行けなかった庶民が払った税金も食い物にしてるだろう!
1日中実験? はぁ? そんなこと1000兆円も借金のある国でやることか?
てめえら、サラ金に年収の10倍以上の借金があるのに、
カルチャーセンターに通ってる ばか娘・どら息子 なんだよ!
その薄給はどこから出てる?
大学も行けなかった庶民が払った税金も食い物にしてるだろう!
1日中実験? はぁ? そんなこと1000兆円も借金のある国でやることか?
てめえら、サラ金に年収の10倍以上の借金があるのに、
カルチャーセンターに通ってる ばか娘・どら息子 なんだよ!


なんだか、金額の話になってしまいましたね・・・。 金額は、自分でも少々大目に見積もりました。だから、×0.8くらいでもOKだと思います。
ただ、ポイントは金額だけではなくて(それも重要ですが)、研究・教育・雑務のすべてが教員に課せられている過剰労働の弊と、特殊能力・知識があるにも関わらず社会的に有効に活用されていると思われない30-40代PDの雇用問題とをどう解決できるかということです。 その一案として、職分の見直しを提案しているのです。
「庶民が払った税金を食い物」にしないためにも、大学院で(まともに)修行を積んだ人々が専門的な知識・訓練を活かした職についてその能力を社会に還元する必要があるのです。感情的に人に八つ当たりしているだけでは、全く生産的ではありません。
ただ、ポイントは金額だけではなくて(それも重要ですが)、研究・教育・雑務のすべてが教員に課せられている過剰労働の弊と、特殊能力・知識があるにも関わらず社会的に有効に活用されていると思われない30-40代PDの雇用問題とをどう解決できるかということです。 その一案として、職分の見直しを提案しているのです。
「庶民が払った税金を食い物」にしないためにも、大学院で(まともに)修行を積んだ人々が専門的な知識・訓練を活かした職についてその能力を社会に還元する必要があるのです。感情的に人に八つ当たりしているだけでは、全く生産的ではありません。

>> あり得ないほど少なすぎ
確かにそうですね。この程度の研究費でも、倍率4-10倍の公募を勝ち抜いています。私の専門分野では恵まれている方です。
専門は理学系です。誰か特定されるので、分野は不詳。
同様の研究は工学部でも行われています。私の元への企業からの
訪問者(技術相談や技術指導(短期が多い))は年間50名を超えます。
おかげで学生の就職は良いですが。。。
確かにそうですね。この程度の研究費でも、倍率4-10倍の公募を勝ち抜いています。私の専門分野では恵まれている方です。
専門は理学系です。誰か特定されるので、分野は不詳。
同様の研究は工学部でも行われています。私の元への企業からの
訪問者(技術相談や技術指導(短期が多い))は年間50名を超えます。
おかげで学生の就職は良いですが。。。

テクニシャンや事務の地位向上は賛成です。ポスドクや博士が一部そういう職にいくのも良いでしょう。でもポスドク対策としてそういうことを打ち出されるのには違和感を感じますね。実現可能性は低いでしょうけれど、もしそういう職がたくさんできて、ポスドクが大挙して押しかかるのだとしたら、僕はポスドクという人たちを過大評価していたことになります。研究者というのは未知のものにチャレンジすることに生きがいを感じる人たちだと思っているので。もちろん何がチャレンジなのかは人によっても多少違いはあるでしょうけど、テクや事務でいいなら大学でなくてもいいはずです。

失礼ながら、それが多分「視野の狭さ」と呼ばれるんじゃないでしょうか。サイエンスへの貢献の仕方はいろいろあるべきで、テクニシャンや事務方に高いサイエンスの能力が必要とされる場面も多いと思います。

「それ」というのは私がという意味ですか?
テクや事務で大学に留まろうとする方が視野が狭いのではないですか。視野が狭いというよりは、外の世界が怖いのではないか。実際にそういうことを言っていた院生を何人か知っています。他にもいっぱいポスドクの高い問題解決能力を生かす職はあると思いますよ。もちろんテクや事務になる人がいてもいいですが、もっと外に広く目を向けるべきです。
テクや事務で大学に留まろうとする方が視野が狭いのではないですか。視野が狭いというよりは、外の世界が怖いのではないか。実際にそういうことを言っていた院生を何人か知っています。他にもいっぱいポスドクの高い問題解決能力を生かす職はあると思いますよ。もちろんテクや事務になる人がいてもいいですが、もっと外に広く目を向けるべきです。

>>未知のものにチャレンジすることに生きがいを感じる
ナイス!
貴殿の漂流人生こそ、不安定博士という「豊かな」日本社会で初めての未知なるものだろう。
未知のものにチャレンジすることに生きがいを感じる
とはよく言ったものだ! あっぱれ!
検討、あっ、もとい、健闘を祈る! チャレンジ人生!
ナイス!
貴殿の漂流人生こそ、不安定博士という「豊かな」日本社会で初めての未知なるものだろう。
未知のものにチャレンジすることに生きがいを感じる
とはよく言ったものだ! あっぱれ!
検討、あっ、もとい、健闘を祈る! チャレンジ人生!

揶揄してもらってもかまいませんが、ポスドクの人がいくら評価が厳しいからといって自信をなくしたり自分を過小評価することはして欲しくないのです。これは決して現実から目をそらしているのではなく、この厳しい現実に立ち向かうために自信や高い理想や目標が必要だと考えるからです。これは自分に言い聞かせていることでもあります。
アメリカにいますが博士もちの高級テクニシャンに会ったことがないので、イメージがわきません。テクニシャンの地位向上は賛成ですが、PIと並ぶぐらいの地位になるというのは幻想にしかみえません。以前企業にいたとき高卒専門学校卒のテクニシャンがいました。技術に関してはしっかりとしたものを持っていました。修士の学生よりはぜんぜん上です。おそらく大学でしか研究してない人はびっくりすると思います。ところがどう研究を進めるかとかいったことは全くできません。こういうことを見ると博士の価値がどこにあるのか、なければいけないのか、良く判ると思いますよ。
もし大学だけでテクニシャンの地位を正味の価値よりも上げてポスドクがそこに大勢行くことになっても、外側から見たポスドクの地位は下がりこそすれ上がることはないでしょう。
アメリカにいますが博士もちの高級テクニシャンに会ったことがないので、イメージがわきません。テクニシャンの地位向上は賛成ですが、PIと並ぶぐらいの地位になるというのは幻想にしかみえません。以前企業にいたとき高卒専門学校卒のテクニシャンがいました。技術に関してはしっかりとしたものを持っていました。修士の学生よりはぜんぜん上です。おそらく大学でしか研究してない人はびっくりすると思います。ところがどう研究を進めるかとかいったことは全くできません。こういうことを見ると博士の価値がどこにあるのか、なければいけないのか、良く判ると思いますよ。
もし大学だけでテクニシャンの地位を正味の価値よりも上げてポスドクがそこに大勢行くことになっても、外側から見たポスドクの地位は下がりこそすれ上がることはないでしょう。

「テクニシャンになる=自信をなくす」というのが、今いちよく分かりません。なぜ誇りを持って「どう研究を進めるとかいったこと」もできるプロのテクニシャンになってはいけないのか。なろうとしないのか。
現在日本におけるテクニシャンが技術力だけで研究力は無いからと言って、将来的にもそのままの状態でよいというわけではないでしょう。
それに、アメリカだったら、博士持ちテクニシャンというのは結構いるはずですが・・・? イメージしにくいのであれば、福岡伸一『生物と無生物のあいだ 』をご一読ください。ハーバードだかロックフェラーだかに勤務していて、あちこちの研究室から引っ張りだこのスーパーテクニシャン(もっとも、この人は博士号は持っていませんが)が出てきていたと思います。
それに、ここの議論の流れは「PDはテクニシャンになれ」とは言っていないのでは? ただPDの大学における進路を従来の単線的なものからより複線的なものに変えるという提案ではなかったでしょうか?
「PDがPIになれない=自信喪失、自分を過小評価」という考え方自体を業界全体で変えていこうという主旨だったと思いますけど・・・?
現在日本におけるテクニシャンが技術力だけで研究力は無いからと言って、将来的にもそのままの状態でよいというわけではないでしょう。
それに、アメリカだったら、博士持ちテクニシャンというのは結構いるはずですが・・・? イメージしにくいのであれば、福岡伸一『生物と無生物のあいだ 』をご一読ください。ハーバードだかロックフェラーだかに勤務していて、あちこちの研究室から引っ張りだこのスーパーテクニシャン(もっとも、この人は博士号は持っていませんが)が出てきていたと思います。
それに、ここの議論の流れは「PDはテクニシャンになれ」とは言っていないのでは? ただPDの大学における進路を従来の単線的なものからより複線的なものに変えるという提案ではなかったでしょうか?
「PDがPIになれない=自信喪失、自分を過小評価」という考え方自体を業界全体で変えていこうという主旨だったと思いますけど・・・?

>>???
> プロのテクニシャンになってはいけないのか。
まず、ハンドルネームは変えてくださいね。元祖???です。
アメリカにはプロのテクニシャンいましたよ。しかし、熟練のテクでも
年収はポスドクより少しよい程度でした。テクニシャンの給料は、PIが
払います。だから、PIの給料よりも、よい待遇になることはあり得ません。
> テクニシャンが技術力だけで研究力は無いからと言って、
> 将来的にもそのままの状態でよいというわけではないでしょう。
もし、アメリカの制度に従うなら、テクニシャンは一生そのままです。
向上心がある人は、大学院に編入し、博士を取得し、研究者を目指し
ます。テクとして働く限り、同じ仕事の繰り返しです。
> プロのテクニシャンになってはいけないのか。
まず、ハンドルネームは変えてくださいね。元祖???です。
アメリカにはプロのテクニシャンいましたよ。しかし、熟練のテクでも
年収はポスドクより少しよい程度でした。テクニシャンの給料は、PIが
払います。だから、PIの給料よりも、よい待遇になることはあり得ません。
> テクニシャンが技術力だけで研究力は無いからと言って、
> 将来的にもそのままの状態でよいというわけではないでしょう。
もし、アメリカの制度に従うなら、テクニシャンは一生そのままです。
向上心がある人は、大学院に編入し、博士を取得し、研究者を目指し
ます。テクとして働く限り、同じ仕事の繰り返しです。

> アメリカだったら、博士持ちテクニシャンというのは結構いる...
本当ですか?当方はハーバードのメディカルエリアの方とアメリカ時代は親しく交流し、ハーバードの日本人会にも入ってましたが、そんな話は
聞きませんでした。
知り合いのテクニシャンは、院生に技術指導をし、有名教授の代わりに
実験をし、名前の入った論文は20ぐらいありました。僕の論文にも
共著で名前を入れました。しかし、自分では実験の計画を立てることは
できず、論文の執筆なんて論外と自分で言ってました。
また別のテクニシャンは非常に腕がよく、相当引っ張りだこでした。
日本の企業がアメリカから招いた程です。元・大工でした。しかし、
研究者が書いた図面に沿って、装置を作るだけで、自分で発案し
装置を設計することはありませんでした。
日本の制度では、始めは見習のテクニシャンからはじめても、教え込んで、育てていこうとなります。アメリカの制度では、優秀なテクは大学院に進学させ、同じ土俵で学ばせ育てていこうとなります。だから、テクニシャンを脱さない限り、身分の改善はないのです。
本当ですか?当方はハーバードのメディカルエリアの方とアメリカ時代は親しく交流し、ハーバードの日本人会にも入ってましたが、そんな話は
聞きませんでした。
知り合いのテクニシャンは、院生に技術指導をし、有名教授の代わりに
実験をし、名前の入った論文は20ぐらいありました。僕の論文にも
共著で名前を入れました。しかし、自分では実験の計画を立てることは
できず、論文の執筆なんて論外と自分で言ってました。
また別のテクニシャンは非常に腕がよく、相当引っ張りだこでした。
日本の企業がアメリカから招いた程です。元・大工でした。しかし、
研究者が書いた図面に沿って、装置を作るだけで、自分で発案し
装置を設計することはありませんでした。
日本の制度では、始めは見習のテクニシャンからはじめても、教え込んで、育てていこうとなります。アメリカの制度では、優秀なテクは大学院に進学させ、同じ土俵で学ばせ育てていこうとなります。だから、テクニシャンを脱さない限り、身分の改善はないのです。



アメリカのテクニシャンは、日本よりも(あくまで技術の上で)専門的であり、待遇が良いというだけの話であって、博士(研究者=ポスドク)とは明らかに違います。テクニシャンは、研究の方向性を決めることも(研究費を獲ってくることも)、論文を書くことも(学会発表することも)できません。
だから、博士をテクニシャンにするという案は、実に”Mottainai”話だと思います。
だから、博士をテクニシャンにするという案は、実に”Mottainai”話だと思います。

>ポスドクの問題は教育の問題だと本当に思っているのですか?
教育に問題がないとすると、どうしてポストポスドク問題なんてことになるのでしょうか? 実際にポスドクたちの能力が低いからですか? それとも、狭量な社会の人間には、ポスドクの能力などは理解できないからですか?
結局のところ、ポスドクは大学研究のスタイルに特化しすぎていて、社会的な規範、常識などが他業種からかけ離れていること、それとディスカッションなどや、目的を持った対話のスキルが低いことが原因じゃないかと思います。しかし、これは十分教育で取り返せることです。次世代のポスドクはその辺の能力を鍛え上げてから研究を始めるべきだと思います。
それから、私はポスドクは無能だとは思っていません。上にあるように大学の研究スタイルにマッチするように5年も10年もかけて矯正された存在だ、というだけです。なぜ、現場から「ポスドクの研究能力は十分に高く、大学の研究活動に大きく貢献している。それを減らすなんてとんでもない、むしろ増やせ!」と言う声が上がらないのが不思議でなりません。
教育に問題がないとすると、どうしてポストポスドク問題なんてことになるのでしょうか? 実際にポスドクたちの能力が低いからですか? それとも、狭量な社会の人間には、ポスドクの能力などは理解できないからですか?
結局のところ、ポスドクは大学研究のスタイルに特化しすぎていて、社会的な規範、常識などが他業種からかけ離れていること、それとディスカッションなどや、目的を持った対話のスキルが低いことが原因じゃないかと思います。しかし、これは十分教育で取り返せることです。次世代のポスドクはその辺の能力を鍛え上げてから研究を始めるべきだと思います。
それから、私はポスドクは無能だとは思っていません。上にあるように大学の研究スタイルにマッチするように5年も10年もかけて矯正された存在だ、というだけです。なぜ、現場から「ポスドクの研究能力は十分に高く、大学の研究活動に大きく貢献している。それを減らすなんてとんでもない、むしろ増やせ!」と言う声が上がらないのが不思議でなりません。

話がもう何回かループして、500レスもある割に、どこにでも書いてある同じ話ばかりですね。そんななか、教授たちの待遇を下げろ、という怨嗟にみちた提案が、新しと言えば新しいですかね。実現性は当然ゼロですが。
ポスドク問題の本質は、いうまでもなく需給の極端なアンバランスというのに尽きますし、解決策は、団体交渉する主体すら不在な以上、個人ベース以外には当面なにもなさそうですね。
ポスドク問題の本質は、いうまでもなく需給の極端なアンバランスというのに尽きますし、解決策は、団体交渉する主体すら不在な以上、個人ベース以外には当面なにもなさそうですね。

もう一度、「大学組織体系・職分の見直し」というところに立ち戻って考えてみませんか? なんだかテクニシャンの話に集中しているようですが(それもいいですが)、研究職以下全ての職分を見直すということを提案したはずなんですが・・・。

それから、今の日米にある職種の形態にこだわる必要は無いと思います。
たとえば、テクニシャンであれば、日本にもアメリカにもいまだ存在しない、「研究遂行能力もあるテクニシャン」というものを生み出すことを考えても良いかもしれません。あるいは、現行のPDを「研究と院生の教育を担当するPD」と「研究と実験補助を担当するPD(上の議論で『スーパーテクニシャン』となっていたもの」に分化する、その下に従来のような「実験補助専門のテクニシャン(博士号無し)」を据えるという方向性も考えられます。
PDやテクニシャンを任期制/短期契約制からほぼ無期限の常勤職というように設定して、「一生PDまたはテクニシャン」で生きていくことが保証される制度にしてもよいでしょう。一生その職分でよいと考えることが「向上心がない」ことにつながるとは必ずしも言えないでしょう。また、生涯上昇志向を持ち続けることが絶対的に良いこととも言えません。
要は、想像力を働かせて、「現在の各職分に対する認識そのものを問い直し、現行の制度を変えていく」ことが大切ではないでしょうか?
たとえば、テクニシャンであれば、日本にもアメリカにもいまだ存在しない、「研究遂行能力もあるテクニシャン」というものを生み出すことを考えても良いかもしれません。あるいは、現行のPDを「研究と院生の教育を担当するPD」と「研究と実験補助を担当するPD(上の議論で『スーパーテクニシャン』となっていたもの」に分化する、その下に従来のような「実験補助専門のテクニシャン(博士号無し)」を据えるという方向性も考えられます。
PDやテクニシャンを任期制/短期契約制からほぼ無期限の常勤職というように設定して、「一生PDまたはテクニシャン」で生きていくことが保証される制度にしてもよいでしょう。一生その職分でよいと考えることが「向上心がない」ことにつながるとは必ずしも言えないでしょう。また、生涯上昇志向を持ち続けることが絶対的に良いこととも言えません。
要は、想像力を働かせて、「現在の各職分に対する認識そのものを問い直し、現行の制度を変えていく」ことが大切ではないでしょうか?

確かにきりがないですね。要点だけまとめると、今後の流れは今のポスドクだけを置き去りにして、次に向かおうとしているということです。この中で、今のポスドクたち(そして周りの人間、少なくとも上司)は、そうなりたくなければ声を上げる必要があると思います。
どうしてもPIにならないと気がすまないのか、それともどうにか研究だけは続けたいのか、はたまた、もう研究は忘れて他の道を選択したいのか。大学院拡充からの、政府や省庁の案がいかに馬鹿げていようと、何もしなければ、一番弱い立場のものが一番ひどい目にあうという、日本式のやり方で結末を迎えると思います。
私としては、サポートや教育スタッフのポストを増やして、その中に多くのポスドクを組み込んで行きながら、ポストポスドク問題をソフトランディングさせられたら良いのではないかと思いました(むろん、最良の策はポスドク全てをこのまま生き残らせることでしょうけど、この案を支持する教員も官僚も政治家もいないようですし、ポスドク間でも個人の能力や意見のぶれがまとまらない以上、要求は通らないと思います)。
どうしてもPIにならないと気がすまないのか、それともどうにか研究だけは続けたいのか、はたまた、もう研究は忘れて他の道を選択したいのか。大学院拡充からの、政府や省庁の案がいかに馬鹿げていようと、何もしなければ、一番弱い立場のものが一番ひどい目にあうという、日本式のやり方で結末を迎えると思います。
私としては、サポートや教育スタッフのポストを増やして、その中に多くのポスドクを組み込んで行きながら、ポストポスドク問題をソフトランディングさせられたら良いのではないかと思いました(むろん、最良の策はポスドク全てをこのまま生き残らせることでしょうけど、この案を支持する教員も官僚も政治家もいないようですし、ポスドク間でも個人の能力や意見のぶれがまとまらない以上、要求は通らないと思います)。

職分に関して少しだけ。
>サポート役に回ってしかもプライドも失わないあり方というのが想像できません。
それは傲慢なものの考え方では? ポスドクや教員なども、それまでの過程を親なり、奨学金なりにサポートされ、国の税金で給料をもらって来たと思います。そもそも、あなた方が使っている研究機器や試薬も国の税金でしょう。いつも自分が主役じゃなきゃ嫌だ、サポートなんかに回ったら自我が保てない、と言うなら自分の金で研究所を建てるしかないです。
>もし大学だけでテクニシャンの地位を正味の価値よりも上げてポスドクがそこに大勢行くことになっても、外側から見たポスドクの地位は下がりこそすれ上がることはないでしょう。
サポートを見下すのはやめた方がいいですよ。ポスドクがのびのび研究できるのは、それぞれのサポートスタッフが書類の作成から、試薬の購入、機器の管理などをやってくれているからでは? それに、誰もが誰も、マネージャーから書類書きまでを一手に背負い、東にに呼ばれればセミナーをして、西に会議があれば行って座長をするという、生データも見る暇がないようなPIになりたいのでしょうか。生涯一研究員という生き方もあるのでは?
>サポート役に回ってしかもプライドも失わないあり方というのが想像できません。
それは傲慢なものの考え方では? ポスドクや教員なども、それまでの過程を親なり、奨学金なりにサポートされ、国の税金で給料をもらって来たと思います。そもそも、あなた方が使っている研究機器や試薬も国の税金でしょう。いつも自分が主役じゃなきゃ嫌だ、サポートなんかに回ったら自我が保てない、と言うなら自分の金で研究所を建てるしかないです。
>もし大学だけでテクニシャンの地位を正味の価値よりも上げてポスドクがそこに大勢行くことになっても、外側から見たポスドクの地位は下がりこそすれ上がることはないでしょう。
サポートを見下すのはやめた方がいいですよ。ポスドクがのびのび研究できるのは、それぞれのサポートスタッフが書類の作成から、試薬の購入、機器の管理などをやってくれているからでは? それに、誰もが誰も、マネージャーから書類書きまでを一手に背負い、東にに呼ばれればセミナーをして、西に会議があれば行って座長をするという、生データも見る暇がないようなPIになりたいのでしょうか。生涯一研究員という生き方もあるのでは?

Aさん
そもそもそのサポートスタッフに博士号は必要なのですか?本末を転倒していませんか?
そもそもそのサポートスタッフに博士号は必要なのですか?本末を転倒していませんか?

そうですね。たとえ生涯一研究員、一技術者でストイックに技を磨くという生き方であっても十分に家族を養える程度の暮らしはできる、という仕組みを作るのが上の人間の責務かと思います。

Aさんじゃありませんが (元祖???さん失礼しました)
>そもそもそのサポートスタッフに博士号は必要なのですか?本末を転倒していませんか
従来的な「誰でもできるサポートでスタッフ」ではなく、「博士号持ちのスーパーサポートスタッフ」というのも将来的にはアリなのでは?
>そもそもそのサポートスタッフに博士号は必要なのですか?本末を転倒していませんか
従来的な「誰でもできるサポートでスタッフ」ではなく、「博士号持ちのスーパーサポートスタッフ」というのも将来的にはアリなのでは?

>そもそもそのサポートスタッフに博士号は必要
博士号やそれに順ずる能力があるならそれに応じて職権と待遇をあげればいいだけの話です。サポートが優秀であるほど現場の生産性はあがるのは当然でしょう。一流スポーツ選手はサポート陣も一流です。
博士号やそれに順ずる能力があるならそれに応じて職権と待遇をあげればいいだけの話です。サポートが優秀であるほど現場の生産性はあがるのは当然でしょう。一流スポーツ選手はサポート陣も一流です。

ですから、博士号を持つものがテクニシャンをしても別に不思議はないのですが、テクニシャンになるために博士号をとる必要があるかということなのです。「一流スポーツ選手はサポート陣も一流」と言っても、サポート陣が一流スポーツ選手(崩れ?)である必要はないわけで。それともあくまでも現在のPDの救済措置としてですか?

何度も指摘していますが、上の議論のもともとの流れでは、「高度な能力を持った現在のPDの行く先として、大学内に研究職のほかにも研究兼エリート養成担当教員などの道を設けるべきではないか?」ということが
主題でした。
数ある「PDの生きる道」の”一つ”として「スーパーテクニシャン」などが提案されただけであって、「それだけがPDの行き場」と言っていたのではありません。
>テクニシャンになるために博士号をとる必要があるか
博士号を持たなければやれないような「研究+実験補佐」のPDもしくはテクニシャンのポジションを設けてもよいのではないでしょうか? 「テクニシャン」の言葉が嫌なのであれば、「PD」でも何でも構いませんが。 そして、博士課程で研鑽する必要もないような事柄は、従来のような形のテクニシャンが担当すればよいのだと思います。
もう一度、言います。「スーパーテクニシャン/PD」の提案は、現在のPDに将来的に開かれる道の”一つ”でしかありません。「PDの能力を活かせるポストを作るとしたらどのようなものが考えられるか」という原点に立って、議論しませんか?
主題でした。
数ある「PDの生きる道」の”一つ”として「スーパーテクニシャン」などが提案されただけであって、「それだけがPDの行き場」と言っていたのではありません。
>テクニシャンになるために博士号をとる必要があるか
博士号を持たなければやれないような「研究+実験補佐」のPDもしくはテクニシャンのポジションを設けてもよいのではないでしょうか? 「テクニシャン」の言葉が嫌なのであれば、「PD」でも何でも構いませんが。 そして、博士課程で研鑽する必要もないような事柄は、従来のような形のテクニシャンが担当すればよいのだと思います。
もう一度、言います。「スーパーテクニシャン/PD」の提案は、現在のPDに将来的に開かれる道の”一つ”でしかありません。「PDの能力を活かせるポストを作るとしたらどのようなものが考えられるか」という原点に立って、議論しませんか?
現在の研究室の疲弊状態を解消するために、金と人が必要だということは総合科学技術会議でも認めているのですから、助教を増やすことができないというのであれば、ポスドク問題が落ち着くまで(10-20年間)現在のポスドクを「准研究員 associate researcher」としてでも各研究室で吸収しておくという提案に、私も賛成したいと思います。

国に金が無い以上、職にあぶれたPDは昔みたいに無給研究員や無給助手となって、バイトしながら研究するしかないと思われます。皆さん若い時には頭か体を極限まで使いましょう!後は天命というか、運ですかね、、。

スーパーテクニシャンですか??
テクニシャンはサポートスタッフで、PIである研究者に雇われる以上、雇用者であるPI以上の待遇はありえません。それから、サポートスタッフが研究もはじめたら、それは研究者であり、サポートのプロではありません。日本の企業では、この辺りの区分けが明確ではありません。それゆえ、大卒で就職し、初めはテクニシャン的な職から始まり、徐々にステップアップし、技術や科学の専門家になるという、日本流に相応しい道が開かれています。旧国研やかつての講座制の大学も同様でした。
それに対し、欧米では、優秀なテクニシャンは、博士課程への進学を勧め、博士として養成し学位を与え、引き立てていこうという思想です。どちらも、若手にチャンスを与え、能力ある人を育てていくという主旨は同じなのです。
テクニシャンはサポートスタッフで、PIである研究者に雇われる以上、雇用者であるPI以上の待遇はありえません。それから、サポートスタッフが研究もはじめたら、それは研究者であり、サポートのプロではありません。日本の企業では、この辺りの区分けが明確ではありません。それゆえ、大卒で就職し、初めはテクニシャン的な職から始まり、徐々にステップアップし、技術や科学の専門家になるという、日本流に相応しい道が開かれています。旧国研やかつての講座制の大学も同様でした。
それに対し、欧米では、優秀なテクニシャンは、博士課程への進学を勧め、博士として養成し学位を与え、引き立てていこうという思想です。どちらも、若手にチャンスを与え、能力ある人を育てていくという主旨は同じなのです。

海外でポスドクの職がある理由も書きましょう。海外は終身雇用が一般的ではないので、企業では技術教育は受けられません。もし、企業が社員に技術教育をしたら、その能力を他社に売り込んでステップアップすることでしょう。だから、会社員や学生が自ら、巣進んで勉強する必要があり、そのような場を大学が提供しています。日本企業が行う、社内の技術研修的な役割を大学が担っているのです。だから、大学にいる博士やポスドクを海外の企業は採用するのです。この大学の研究室で身に付ける技術の中身は日本も欧米も大差はありません。その証拠に、日本で学位を取得したまともな博士なら、欧米の大学のポスドクとして、互角に通用しています。

博士やポスドクの必要性を日本企業が感じないのは、日本の企業には、人材育成の機能があるからです。例えば、世界に冠たる日本の光学機器メーカーは新卒の8-9割が技術系の採用です。そして、1年間は技術の勉強だけをさせます。その中で技師を選抜します。製品つくりをさせてみて、本当の一握りの人は、設計や研究の現場にとどまりますが、それ以外の人は営業や知財などに回ります。この中で、技術にこだわる人は、それまでの実績をもとに、別のメーカー(例えばコピー機やデジカメのメーカー)に移籍するのです。だから、光学の知識が無い電機メーカーでもデジカメやコピー機などの製品がすばやく出せるのです。
欧米は技術人材の育成を、大学に依存しています。上記のような日本流の人材育成のシステムが機能している場に、上面だけの欧米流を持込んでもうまくいきません。日本の博士やポスドクは、企業の中で育成された人との競争にさらされます。製品化ではない研究をしてきた人と、製品化を見据えて研究をしてきた人では、即戦力としての使い勝手が違います。企業から見れば、企業で育成された人材を採用すればいいという論理になります。
欧米は技術人材の育成を、大学に依存しています。上記のような日本流の人材育成のシステムが機能している場に、上面だけの欧米流を持込んでもうまくいきません。日本の博士やポスドクは、企業の中で育成された人との競争にさらされます。製品化ではない研究をしてきた人と、製品化を見据えて研究をしてきた人では、即戦力としての使い勝手が違います。企業から見れば、企業で育成された人材を採用すればいいという論理になります。

現状のポスドクや博士課程の問題点は、人材養成の背景にある考え方を無視して、上面だけの制度を導入したことです。日本に相応しい制度に変えていく必要があります。
現状の大学の競争的研究費も同様です。これは別の機会に書きますが、上面だけを真似て導入したので、大学や旧国研の疲弊が進んでいます。地方の商店街のシャッター街のように、十分な学生の指導が出来ない開店休業の研究室が相当出てきています。シャッター外では、弱小の店舗が潰れると、最後には大型店も影響を受け撤退になりますが、大学も同様で、数年以内に旧帝大や東大京大にも影響は波及し、日本の科学は相当疲弊する様に思います。
現状の大学の競争的研究費も同様です。これは別の機会に書きますが、上面だけを真似て導入したので、大学や旧国研の疲弊が進んでいます。地方の商店街のシャッター街のように、十分な学生の指導が出来ない開店休業の研究室が相当出てきています。シャッター外では、弱小の店舗が潰れると、最後には大型店も影響を受け撤退になりますが、大学も同様で、数年以内に旧帝大や東大京大にも影響は波及し、日本の科学は相当疲弊する様に思います。

「准助教」を導入した九州大学を理想としているのでしょうか。大学は、技官さえ将来性のない職として取らない方向に動いていたと思うのですが。
それにしても、現在のPDを一時的に吸収するためだけに、派遣問題と同じような愚を何度繰り返すのでしょう。その准研究員にどのような将来のキャリアパスを描いているのか、お聞かせいただければ幸いです。「研究員」に格付けしてみても、結局は弱い立場から犠牲になっていくことは、これまでと同じだと思います。
それにしても、現在のPDを一時的に吸収するためだけに、派遣問題と同じような愚を何度繰り返すのでしょう。その准研究員にどのような将来のキャリアパスを描いているのか、お聞かせいただければ幸いです。「研究員」に格付けしてみても、結局は弱い立場から犠牲になっていくことは、これまでと同じだと思います。

私は、テクニシャンは本来PDとは同格の、誇るべき職であると思います。テクニシャンはその優れた技能の提供が仕事であり、決してPDの劣化版がテクニシャンであるとは考えていません。博士号は単に研究者としての「通行証」に過ぎず、テクニシャンが博士号を取れば「スーパーテクニシャン」になれるという将来も、私には理解できません。
議論百出の末の提案がこれかと、少しあきれています。
議論百出の末の提案がこれかと、少しあきれています。
お恥ずかしいことに准助教のことは知りませんでした(^^;)。
私の「准研究員」構想は、今いる団塊およびそれに続く我々テール部分が辞めて大量の更新がなされるまで研究キャリアを維持し、教育キャリアを磨くことのできるつなぎとしての意味を持たせたいというものです。もちろん全員が研究室を主催するというわけにはいかないでしょうが、半数あるいは悪くても3分の1くらいがポストをとれるくらいの数の准研究員を想定しています。もちろん、その後テクニシャンとして常勤になる道も否定しませんし、途中で自らいろいろなところへスピンアウトすることも奨励する自由な研究者の「ファーム」のようなものがあっても良いのではないでしょうか。
私の「准研究員」構想は、今いる団塊およびそれに続く我々テール部分が辞めて大量の更新がなされるまで研究キャリアを維持し、教育キャリアを磨くことのできるつなぎとしての意味を持たせたいというものです。もちろん全員が研究室を主催するというわけにはいかないでしょうが、半数あるいは悪くても3分の1くらいがポストをとれるくらいの数の准研究員を想定しています。もちろん、その後テクニシャンとして常勤になる道も否定しませんし、途中で自らいろいろなところへスピンアウトすることも奨励する自由な研究者の「ファーム」のようなものがあっても良いのではないでしょうか。

stochinaiさま
ご返答ありがとうございます。自由な研究者の「ファーム」のようなものとは、そもそも現在の「ポスドク」の筈なのですが、現実は一年任期でほぼ使い捨ての状態です。派遣も本来なら、キャリアアップしながら正社員を目指す「ファーム」のはずですが、現実には格差が固定化されてしまっています。ですので、現在の研究員を低い身分で雇ったとしても、たとえ10年後に職があいても通常は「エリート」の方が優先されるわけで、そこから抜け出すのは容易ではないと考えます。まだポスドクの方が(条件が同一な分)ましなのではないかと思えます。
ご返答ありがとうございます。自由な研究者の「ファーム」のようなものとは、そもそも現在の「ポスドク」の筈なのですが、現実は一年任期でほぼ使い捨ての状態です。派遣も本来なら、キャリアアップしながら正社員を目指す「ファーム」のはずですが、現実には格差が固定化されてしまっています。ですので、現在の研究員を低い身分で雇ったとしても、たとえ10年後に職があいても通常は「エリート」の方が優先されるわけで、そこから抜け出すのは容易ではないと考えます。まだポスドクの方が(条件が同一な分)ましなのではないかと思えます。

以前ここで、大学卒業から10年間は(大学も企業も)正職員の登用をせず、全員が派遣のような状態でキャリアアップして、その間に得た資格や、技能、業績によって就職活動をし、正社員としての行き先を決めるのはどうでしょう、という夢物語を提案しましたが、一顧だにされませんでした。業績主義の自由な社会を目指すなら、むしろここまでやってほしいと今でも思っています。

>業績主義の自由な社会
私は一部で言われる業績至上主義みたいなものが嫌いです。私の記憶では、業績主義を導入して大躍進した企業はなかったと思います。なのに、まだハイプロファイルな雑誌に掲載された実績をよりどころにする研究者がいるのは何なんだろうと思います。政治家や官僚たちが、ハイプロファイル雑誌に論文を出せ、出さないと評価しない、と言ったのでしょうか。むしろ、大学院拡充と同様、現場が『勝手に」判断して作った基準じゃないでしょうか。逆にハイプロファイル雑誌の嗜好に追従するような研究者が重宝されると、多様性の芽が潰れるんじゃないかと危惧してしまいます。
>アイデア出しても取られたりして。
そういう考え方が生まれるのも、業績主義の弊害だと思います。せめて同じ研究グループの中では、精一杯いいアイディアを出し合って研究を進めていくべきではないですか。個人の業績を突き詰めれば、同じラボのメンバーですら競争相手ですから、後輩に実験を教えたり、情報の共有やディスカッションするということも減っているのではないかと思います。
私は一部で言われる業績至上主義みたいなものが嫌いです。私の記憶では、業績主義を導入して大躍進した企業はなかったと思います。なのに、まだハイプロファイルな雑誌に掲載された実績をよりどころにする研究者がいるのは何なんだろうと思います。政治家や官僚たちが、ハイプロファイル雑誌に論文を出せ、出さないと評価しない、と言ったのでしょうか。むしろ、大学院拡充と同様、現場が『勝手に」判断して作った基準じゃないでしょうか。逆にハイプロファイル雑誌の嗜好に追従するような研究者が重宝されると、多様性の芽が潰れるんじゃないかと危惧してしまいます。
>アイデア出しても取られたりして。
そういう考え方が生まれるのも、業績主義の弊害だと思います。せめて同じ研究グループの中では、精一杯いいアイディアを出し合って研究を進めていくべきではないですか。個人の業績を突き詰めれば、同じラボのメンバーですら競争相手ですから、後輩に実験を教えたり、情報の共有やディスカッションするということも減っているのではないかと思います。

Aさん
>教育に問題がないとすると、どうしてポストポスドク問題なんてことになるのでしょうか? 実際にポスドクたちの能力が低いからですか?
企業がポスドクを取らない一番大きい問題は、そもそも中途採用の枠が小さいこと、中途採用であまりにも浅薄に即戦力を求めすぎることにあります。ここらへんはポスドクの能力が知られてくると改善されてくるとは思いますが、中途採用したがらないのは日本の集団の共同体的特質が関係してきますので簡単に変わらないと思っています。企業は必ず合理的な判断をする、だから企業が採用しないのは・・・という考え方で議論すると企業を過大評価することになります。企業にいたことがあるのでわかりますが、ポスドクの問題解決能力、理論的思考能力は高いですよ。
>教育に問題がないとすると、どうしてポストポスドク問題なんてことになるのでしょうか? 実際にポスドクたちの能力が低いからですか?
企業がポスドクを取らない一番大きい問題は、そもそも中途採用の枠が小さいこと、中途採用であまりにも浅薄に即戦力を求めすぎることにあります。ここらへんはポスドクの能力が知られてくると改善されてくるとは思いますが、中途採用したがらないのは日本の集団の共同体的特質が関係してきますので簡単に変わらないと思っています。企業は必ず合理的な判断をする、だから企業が採用しないのは・・・という考え方で議論すると企業を過大評価することになります。企業にいたことがあるのでわかりますが、ポスドクの問題解決能力、理論的思考能力は高いですよ。

つづき
>結局のところ、ポスドクは大学研究のスタイルに特化しすぎていて、社会的な規範、常識などが他業種からかけ離れていること、それとディスカッションなどや、目的を持った対話のスキルが低いことが原因じゃないかと思います
前半はある程度当たっていると思いますが、ディスカッション、目的を持った対話のスキルというのは博士が得意とするところ(のはず)なんですがねえ。エリート教育とおっしゃるのはそれだけのことなんですか?
>結局のところ、ポスドクは大学研究のスタイルに特化しすぎていて、社会的な規範、常識などが他業種からかけ離れていること、それとディスカッションなどや、目的を持った対話のスキルが低いことが原因じゃないかと思います
前半はある程度当たっていると思いますが、ディスカッション、目的を持った対話のスキルというのは博士が得意とするところ(のはず)なんですがねえ。エリート教育とおっしゃるのはそれだけのことなんですか?

>大学卒業から10年間は(大学も企業も)正職員の登用をせず、全員が派遣のような状態でキャリアアップして、その間に得た資格や、技能、業績によって就職活動をし、正社員としての行き先を決める
まあ、本来は、院の拡大・PD増大化をした時に、中途半端に「アメリカ式」にするのではなく、「鶏助36歳PD」さんがおっしゃるように(少なくとも若いうちは)流動的な雇用体系&基礎研究をしつつも企業の要望にも対処できるような院の教育を導入するべきだったんですよね。
それに、「元祖???」さんの指摘のような事情があるので鶏助さん案の実現は難しいでしょう。 仮に実現されたとしても、それは現30-40代PDの状況を劇的に変えるわけではなさそうですね。
>せめて同じ研究グループの中では、精一杯いいアイディアを出し合って研究を進めていくべきではないですか。
Aさんのおっしゃる「業績主義の弊害」は確実に出てきているようです。ディスカッション重視と言いながら、肝心の点は「盗られない」ようにお互いに言わない・・・という話を最近あちこちで聞きます。「三人寄れば文殊の知恵」なんですがね。
まあ、本来は、院の拡大・PD増大化をした時に、中途半端に「アメリカ式」にするのではなく、「鶏助36歳PD」さんがおっしゃるように(少なくとも若いうちは)流動的な雇用体系&基礎研究をしつつも企業の要望にも対処できるような院の教育を導入するべきだったんですよね。
それに、「元祖???」さんの指摘のような事情があるので鶏助さん案の実現は難しいでしょう。 仮に実現されたとしても、それは現30-40代PDの状況を劇的に変えるわけではなさそうですね。
>せめて同じ研究グループの中では、精一杯いいアイディアを出し合って研究を進めていくべきではないですか。
Aさんのおっしゃる「業績主義の弊害」は確実に出てきているようです。ディスカッション重視と言いながら、肝心の点は「盗られない」ようにお互いに言わない・・・という話を最近あちこちで聞きます。「三人寄れば文殊の知恵」なんですがね。

>国に金が無い以上、職にあぶれたPDは昔みたいに無給研究員や無給助手となって、バイトしながら研究するしかないと思われます。皆さん若い時には頭か体を極限まで使いましょう!
30代半ば過ぎを「若い」と見るか否か。
30代半ば過ぎを「若い」と見るか否か。

元祖??? さんが現状を正確に記述していただいていると思います。
ただ、そもそも博士を増やした背景には、アカデミズムからの要望だけでなく知的集約型へ産業構造を変えるという話がベースにあるわけで、それ自体間違っていたとは思いません。思ったよりもそれは進まず、それには大学の教育だけでなく転換が上手くいっていない産業界の側にも問題はあると思います。その辺の話を抜かすとポスドクがバカだという話になってしまいがちです。
ただ、そもそも博士を増やした背景には、アカデミズムからの要望だけでなく知的集約型へ産業構造を変えるという話がベースにあるわけで、それ自体間違っていたとは思いません。思ったよりもそれは進まず、それには大学の教育だけでなく転換が上手くいっていない産業界の側にも問題はあると思います。その辺の話を抜かすとポスドクがバカだという話になってしまいがちです。

泣いても吼えても,35歳過ぎたポスドクは年収200万円のコンビニ店員が最も確率が高い落ち着き先です。現実に、そういう人生を甘受している博士は多いのですよ。 お知らせまで。

いや、年収200万までいかなくてもいいでしょう。
英語が書けて読めて何らかの専門知識があるなら、産業翻訳の仕事を探せます。
機械的なものを扱った経験があるなら、工場の現場で正社員の道もあるでしょう。
実験ができる人は、派遣で最低限食べていけるくらいは稼げます。
高収入で見栄えのいい仕事にこだわるのをやめれば、食べていく道はあります。
なお上記の仕事は、全て私が就職活動の過程で見た現実です。
派遣で入って実験して正社員になった人も居ますし、フリーの翻訳家として立った人も居ます。
食べていくために研究を捨てる覚悟があるか、と言うのが問題だと思うのですが。
英語が書けて読めて何らかの専門知識があるなら、産業翻訳の仕事を探せます。
機械的なものを扱った経験があるなら、工場の現場で正社員の道もあるでしょう。
実験ができる人は、派遣で最低限食べていけるくらいは稼げます。
高収入で見栄えのいい仕事にこだわるのをやめれば、食べていく道はあります。
なお上記の仕事は、全て私が就職活動の過程で見た現実です。
派遣で入って実験して正社員になった人も居ますし、フリーの翻訳家として立った人も居ます。
食べていくために研究を捨てる覚悟があるか、と言うのが問題だと思うのですが。

>食べていくために研究を捨てる覚悟があるか、と言うのが問題だと思うのですが
それが難しいのではないですか。中の上から中の人にとって、業績で飛び抜けている訳でない以上 PI は無理かな、、、でも今の日本でポジションについている人を見ると、自分が方向転換する前にやめるべき人がいるだろう、と思う訳で、、、 特任助教・テニュアートラックで外にも出ずに「青田買いのように」若い人がポジションについていく現状をみると、どうなんでしょうね。
でも個人的には、力のある人が方向転換して、パイオニアとして新たな道筋を作っていくべきだとも思いますが。
それが難しいのではないですか。中の上から中の人にとって、業績で飛び抜けている訳でない以上 PI は無理かな、、、でも今の日本でポジションについている人を見ると、自分が方向転換する前にやめるべき人がいるだろう、と思う訳で、、、 特任助教・テニュアートラックで外にも出ずに「青田買いのように」若い人がポジションについていく現状をみると、どうなんでしょうね。
でも個人的には、力のある人が方向転換して、パイオニアとして新たな道筋を作っていくべきだとも思いますが。

>35歳過ぎたポスドクは年収200万円のコンビニ店員が最も確率が高い落ち着き先です。
こうして「頑張って勉強したって、ろくなことないよね」「科学なんてやってもしょうがないよね」という風潮が広がるとしたら、(科学)教育的にも非常にまずいんじゃないですかね。せめて年収300-400万なければ自分の家庭をもてないですし。
>特任助教・テニュアートラックで外にも出ずに「青田買いのように」若い人がポジションについていく現状
これは、本当にどうかと思いますよ。もう少し様々な経歴を持った人々を優遇しても(優遇せずとも正当に評価しても)よいんじゃないでしょうか。
こうして「頑張って勉強したって、ろくなことないよね」「科学なんてやってもしょうがないよね」という風潮が広がるとしたら、(科学)教育的にも非常にまずいんじゃないですかね。せめて年収300-400万なければ自分の家庭をもてないですし。
>特任助教・テニュアートラックで外にも出ずに「青田買いのように」若い人がポジションについていく現状
これは、本当にどうかと思いますよ。もう少し様々な経歴を持った人々を優遇しても(優遇せずとも正当に評価しても)よいんじゃないでしょうか。

もともとポスドクになるような人は食べていくためにその道を選んだのではないから、方向転換はますます難しい。

>もともとポスドクになるような人は食べていくためにその道を選んだのではないから、方向転換はますます難しい
しかも、ほんの10年前くらいまでは、「まあ、最初のうちはオーバードクターとかポスドクとかで大変かもしれないけど、数年すればちゃんと研究者として就職できるから」みたいな説明を教授・先輩から受けていましたからね。
しかも、ほんの10年前くらいまでは、「まあ、最初のうちはオーバードクターとかポスドクとかで大変かもしれないけど、数年すればちゃんと研究者として就職できるから」みたいな説明を教授・先輩から受けていましたからね。

山中さんには今年度中に6億円が追加されるらしいですね。使い道はスタッフの拡充と研究スペースの確保とか。ただ、いきなり半年で6億円とか、毎年14億とかもらって、ひとつのラボで本当に使い切れるんでしょうか。
むしろ、関連分野以外にも広くお金を出して、iPS細胞を使った応用研究をしたいポスドクを公募するなど、次のブレイクスルーを狙うのが良いのではないでしょうか(もちろん博士号取得後5年以内とかいう条件は付けないで)。特に即戦力という意味でも、今の行き場のないポスドクたちを広く公募するのがいいんじゃないかと思います(ポストが無いだけで、彼らの研究能力が否定されたわけではありません)。今からエリート学生を育てても間に合わないでしょうし。
しかし、かたや職のないポスドク、かたや研究費で潤う研究室と聞くと、基礎研究というのは博打なんだなぁと思います。どうボスを選んだかで残りの30年、無職か研究者かの岐路が決まってしうようでは日本の科学は発展できないと思います。私が学生でも怖くて研究室を選べないので、山中さんのところに行ってしまうと思います(多様性の先細りですね)。
むしろ、関連分野以外にも広くお金を出して、iPS細胞を使った応用研究をしたいポスドクを公募するなど、次のブレイクスルーを狙うのが良いのではないでしょうか(もちろん博士号取得後5年以内とかいう条件は付けないで)。特に即戦力という意味でも、今の行き場のないポスドクたちを広く公募するのがいいんじゃないかと思います(ポストが無いだけで、彼らの研究能力が否定されたわけではありません)。今からエリート学生を育てても間に合わないでしょうし。
しかし、かたや職のないポスドク、かたや研究費で潤う研究室と聞くと、基礎研究というのは博打なんだなぁと思います。どうボスを選んだかで残りの30年、無職か研究者かの岐路が決まってしうようでは日本の科学は発展できないと思います。私が学生でも怖くて研究室を選べないので、山中さんのところに行ってしまうと思います(多様性の先細りですね)。

人の行く 裏に道有り花の山、、相場の格言です。研究者の受給関係を読んで対策が立てられない様では、本業の研究能力自体も大丈夫かな?
前もってあてにできる親の財産、金持ちの嫁、資格取得など、なんか手を打っておかないとね、、。
前もってあてにできる親の財産、金持ちの嫁、資格取得など、なんか手を打っておかないとね、、。

>>Aさん
6億円ですか。
研究室のメンバーは卒研生も含めて20数名です。追加予算だけで、一人2400万円。
ポスドクから、30倍以上の難関を経て、地方大学の准教授に採用されても、校費は50万円以下。この研究室の卒研生以下の予算。これでは、科学も滅ぶな。
6億円ですか。
研究室のメンバーは卒研生も含めて20数名です。追加予算だけで、一人2400万円。
ポスドクから、30倍以上の難関を経て、地方大学の准教授に採用されても、校費は50万円以下。この研究室の卒研生以下の予算。これでは、科学も滅ぶな。

別に山中さんのラボにお金出すなというわけではないですし、こういう発見こそ周りがもっと盛り立て、是非日本の財産にして欲しいと思うのですが、盛り立て方がちと違うかな、と思います。大事なのは発見で、発見した山中さんは自由に研究ができる体勢を作るべきですが、ひとつのラボに2億円/年以上あっても使い道がないと思います(むしろ科研費申請や報告を免除とかの方がありがたいのでは)。記事を見る限り、さらにラボメンバーを増やして規模を拡張するという方向に進むようですが・・・
研究費分配が傾斜しすぎていて、研究教育レベルが一定しないのは良くないのではないか、というのはどこかで書いたと思います。こういう格差が生じると、院生だってわざわざ貧乏な研究室に行って、計画した実験も実行できなかったり、使った実験器具洗いなどに貴重な時間を費やしたくないでしょう(時間を費やせば費やすほど社会から遠のくので)。逆に社会的に評価されていて、お金が湯水のようにあって、どんな研究計画も実行できて、全ての器具が使い捨てのラボがあったら、そこで精一杯まで自分の可能性を試してみたいと思うのではないでしょうか。
研究費分配が傾斜しすぎていて、研究教育レベルが一定しないのは良くないのではないか、というのはどこかで書いたと思います。こういう格差が生じると、院生だってわざわざ貧乏な研究室に行って、計画した実験も実行できなかったり、使った実験器具洗いなどに貴重な時間を費やしたくないでしょう(時間を費やせば費やすほど社会から遠のくので)。逆に社会的に評価されていて、お金が湯水のようにあって、どんな研究計画も実行できて、全ての器具が使い捨てのラボがあったら、そこで精一杯まで自分の可能性を試してみたいと思うのではないでしょうか。

>>Aさん
> 社会的に評価されていて、お金が湯水のようにあって、どんな研究
> 計画も実行できて、全ての器具が使い捨てのラボがあったら、そこで
> 精一杯まで自分の可能性を試してみたいと思うのではないでしょうか。
その通り。同様の心情で、「寄らば大樹」的に生きる奴も多し。
大研究室で、独立を嫌ってポスドクを続け、気がついたら年齢制限で職がない人が結構いる。
社会的名声はボスに対してで、ポスドクにではないことに気がつかない。
有力ボスでも、50人以上もの弟子の職の世話なんてできないし、同じ分野の人を同じ研究室から、採用することもあり得ない。多くは、職にあぶれ、そして、ボスに裏切られたとか、ネット上で言って回る輩になる。
> 社会的に評価されていて、お金が湯水のようにあって、どんな研究
> 計画も実行できて、全ての器具が使い捨てのラボがあったら、そこで
> 精一杯まで自分の可能性を試してみたいと思うのではないでしょうか。
その通り。同様の心情で、「寄らば大樹」的に生きる奴も多し。
大研究室で、独立を嫌ってポスドクを続け、気がついたら年齢制限で職がない人が結構いる。
社会的名声はボスに対してで、ポスドクにではないことに気がつかない。
有力ボスでも、50人以上もの弟子の職の世話なんてできないし、同じ分野の人を同じ研究室から、採用することもあり得ない。多くは、職にあぶれ、そして、ボスに裏切られたとか、ネット上で言って回る輩になる。

直接PD問題には関係しませんが、「科学は滅ぶ」つながりで。
PISAの結果が出たので、各新聞で大きく取り上げていますね。「ゆとり教育の見直し」という論調が多くて違和感があったのですが(そもそも「本当に学力が低下しているのか」「何をもって学力とするのか」という問題もありますし)、そんな中、寺西隆行さんという方が、「日本の子どもの学力が低下しているワケ」という文章でちょと違った見解を示していらっしゃいます。
寺西さんは「大人社会全体が、スグに結果を求めるようになっていることが大きな要因では?」と言います。最後の「勉強することが、長期的に見たら、一番ラクする方法だ、と、子どもたちにうまく伝えていきたい」という部分は私とは意見が違いますが、全体としてはするどい分析であると思います。
http://www.insightnow.jp/article/794
「日本の研究力が低下しているのは、学界・社会がスグに結果を求めるようになったから」なんていうことにならなければ良いんですが。
PISAの結果が出たので、各新聞で大きく取り上げていますね。「ゆとり教育の見直し」という論調が多くて違和感があったのですが(そもそも「本当に学力が低下しているのか」「何をもって学力とするのか」という問題もありますし)、そんな中、寺西隆行さんという方が、「日本の子どもの学力が低下しているワケ」という文章でちょと違った見解を示していらっしゃいます。
寺西さんは「大人社会全体が、スグに結果を求めるようになっていることが大きな要因では?」と言います。最後の「勉強することが、長期的に見たら、一番ラクする方法だ、と、子どもたちにうまく伝えていきたい」という部分は私とは意見が違いますが、全体としてはするどい分析であると思います。
http://www.insightnow.jp/article/794
「日本の研究力が低下しているのは、学界・社会がスグに結果を求めるようになったから」なんていうことにならなければ良いんですが。


・・・・ふう。納税者さんの意見は厳しいですねえ。
まあ、僕は税金も使わせてもらえないわけですが。
ポスドク問題も問題ですが、そもそもポスドクの口すら絶対数が
少ないですよ。分野によっては学振しかポスドクがないばあいもありますし。
まあ、僕は税金も使わせてもらえないわけですが。
ポスドク問題も問題ですが、そもそもポスドクの口すら絶対数が
少ないですよ。分野によっては学振しかポスドクがないばあいもありますし。

■研究者(崩れ)は象か? だまって研究界から消えていく。
今じゃ、どこでどうしていることやら?
■研究者(崩れ)は、うぬぼれが強すぎる。
税金を食い物にする安穏パーマネントポジションか、しからずんば死を!さもなくば、樹海へ行くぞ!と健全な納税国民を虚仮脅す。
■落ち着く先は、死にそこないの、ワーキングプアーである。世の中厳しい。
今じゃ、どこでどうしていることやら?
■研究者(崩れ)は、うぬぼれが強すぎる。
税金を食い物にする安穏パーマネントポジションか、しからずんば死を!さもなくば、樹海へ行くぞ!と健全な納税国民を虚仮脅す。
■落ち着く先は、死にそこないの、ワーキングプアーである。世の中厳しい。

PDも「研究者(崩れ)」も納税者ですけんど?


「納税者」なんて、ハンドルネームの奴がいるが、
年間いくら納税しているんだ。書き込んでみろ。
ただのリーマンで、納税額が少なかったらわらうな。
ポスドクよりも、納税額が少なかったりしてな。。
官庁相手に営業して、甘い利益にありついてたら
国を食い物にしている輩、そのものだな。
年間いくら納税しているんだ。書き込んでみろ。
ただのリーマンで、納税額が少なかったらわらうな。
ポスドクよりも、納税額が少なかったりしてな。。
官庁相手に営業して、甘い利益にありついてたら
国を食い物にしている輩、そのものだな。

> Sさん
> 「日本の研究力が低下しているのは、学界・社会がスグに結果を
> 求めるようになったから」なんていうことにならなければ良い。。。
「科学や研究」 = 「趣味、無駄」
という考えが広がり、報われない殻だろうと思います。実際には、科学は趣味みたいな安易な感覚ではとても続けられないほど厳しい社会で、会社員よりもよほど厳しいと思います。
海外は、日本以上の学歴社会で、大学院で勉強することが、社会的地位や所得に結びつきます。アメリカだと、大卒の年収平均は500万程度。それに対し博士取得者は900万です。これだけ年収に差があれば、進学したいと思いますよね。
日本では逆に、勉強したら年収200万のコンビニ店員ですか。。。これでは誰も科学に関わろうと思いません。当然だろと思います。
> 「日本の研究力が低下しているのは、学界・社会がスグに結果を
> 求めるようになったから」なんていうことにならなければ良い。。。
「科学や研究」 = 「趣味、無駄」
という考えが広がり、報われない殻だろうと思います。実際には、科学は趣味みたいな安易な感覚ではとても続けられないほど厳しい社会で、会社員よりもよほど厳しいと思います。
海外は、日本以上の学歴社会で、大学院で勉強することが、社会的地位や所得に結びつきます。アメリカだと、大卒の年収平均は500万程度。それに対し博士取得者は900万です。これだけ年収に差があれば、進学したいと思いますよね。
日本では逆に、勉強したら年収200万のコンビニ店員ですか。。。これでは誰も科学に関わろうと思いません。当然だろと思います。

>>納税者さん
「税金だ」と言う人は、概して所得が低く、これが手元に残れば、生活やローンが楽になるのに、と考えている場合が多いです。周囲に、新聞に名前が載るような高額納税者がいましたが、彼はそんなことは言いませんでした。
税金を納めていない者ほど、使い道に関して「税金だ」というのは矛盾だと思います。上の自称「納税者」さんも、ロクに納税もせず、納税額以上の社会サービスの恩恵を行政から受けている一人と推察します。
米国だと、低所得者でも年収の25-30%は所得税と地方税を取られていました。それに比べると、日本の税率は低いです。個人的には所得税の最低税率を米国並みの国税で25-30%にするのも良いと思います。
「税金だ」と言う人は、概して所得が低く、これが手元に残れば、生活やローンが楽になるのに、と考えている場合が多いです。周囲に、新聞に名前が載るような高額納税者がいましたが、彼はそんなことは言いませんでした。
税金を納めていない者ほど、使い道に関して「税金だ」というのは矛盾だと思います。上の自称「納税者」さんも、ロクに納税もせず、納税額以上の社会サービスの恩恵を行政から受けている一人と推察します。
米国だと、低所得者でも年収の25-30%は所得税と地方税を取られていました。それに比べると、日本の税率は低いです。個人的には所得税の最低税率を米国並みの国税で25-30%にするのも良いと思います。

>アメリカだと、大卒の年収平均は500万程度。それに対し博士取得者は900万です。これだけ年収に差があれば、進学したいと思いますよね。日本では逆に、勉強したら年収200万のコンビニ店員ですか。。。これでは誰も科学に関わろうと思いません。当然だろと思います。
そうなんです。学歴が上がれば収入も社会的地位もアップという点では、分野を問わずアメリカもそれ以外の国々も、日本以外は同じようなものです。日本の外に出て「博士号持っているから就職厳しくて・・・」と言っても、なかなか通じません。
しかも、昔は「日本では会社で教育してくれるから・・・」みたいなことが言えたのですが、就職氷河期に採用を手控えたり過度なリストラしたりで会社の研修・教育制度もどの程度機能しているのか、あやしいものです。まあ、大学院のほうも、これまで象牙の塔に篭もりすぎていたという弊がありましたから、問題を抱えているんですが。
日本人以外にこのへんの事情を説明していると、相手も自分も「うーん。日本の未来は無いかも」と思えてきてしまいます。悲しい・・・。
そうなんです。学歴が上がれば収入も社会的地位もアップという点では、分野を問わずアメリカもそれ以外の国々も、日本以外は同じようなものです。日本の外に出て「博士号持っているから就職厳しくて・・・」と言っても、なかなか通じません。
しかも、昔は「日本では会社で教育してくれるから・・・」みたいなことが言えたのですが、就職氷河期に採用を手控えたり過度なリストラしたりで会社の研修・教育制度もどの程度機能しているのか、あやしいものです。まあ、大学院のほうも、これまで象牙の塔に篭もりすぎていたという弊がありましたから、問題を抱えているんですが。
日本人以外にこのへんの事情を説明していると、相手も自分も「うーん。日本の未来は無いかも」と思えてきてしまいます。悲しい・・・。

アメリカ並みとは言いませんが、せめて共働き家庭を営める程度の年収をまともに博士号を取得したPD(なんちゃって博士は除く)に与えてはどうかと思います。「埋蔵金」があちこちにあるそうですから、この程度はできるのでは? (これ言うと、また「納税者」さんに怒られてしまいそうですが。苦笑)

ここに集う研究者さんたちの書いた論文は、被引用回数はどれくらいなんでしょうか?分野にもよるでしょうが、どれくらいが生き残れるボーダーなんですかね?そういう目安があると、進路適性を自己判断しやすいかも、、。

博士の評価が低い理由に、質のばらつきがあると思います。社会と交わる可能性の高いのは、どちらかというと大学院に残れない部分、質の低い方の人口が多いことが予想されます。この接点の部分で問題が生じれば生じるほど、博士の評価が下がるというのは負の循環です。改善の方向は、ひとつは質の高い方から社会に送り出すこと、もうひとつは大学院が責任を持って「最低レベル」を向上させていくことでしょうか。
特に重要なのは、論文を掲載された雑誌の格で業績評価するのではなく、ゼロからどうやって研究を組み立て、意味のあるところまで持っていけたかという、普遍的なプロジェクト構築能力を評価するべき点だと思います。教官の与えたテーマを実行しているだけでは、たとえどんなにインパクトのある論文を出しても、年齢に見合う構築能力は上がらないので、社会での評価が下がるのは当たり前です。このプロジェクト構築能力を身につけさせるのが、最低ラインの博士教育だと思いますし、これにより研究の多様性も出てきます。また、これが出来れば企業も欲しいと思うでしょうし、一石二鳥です。既に立ち上がってるプロジェクトを終わらせるだけなら、修士で十分です。
特に重要なのは、論文を掲載された雑誌の格で業績評価するのではなく、ゼロからどうやって研究を組み立て、意味のあるところまで持っていけたかという、普遍的なプロジェクト構築能力を評価するべき点だと思います。教官の与えたテーマを実行しているだけでは、たとえどんなにインパクトのある論文を出しても、年齢に見合う構築能力は上がらないので、社会での評価が下がるのは当たり前です。このプロジェクト構築能力を身につけさせるのが、最低ラインの博士教育だと思いますし、これにより研究の多様性も出てきます。また、これが出来れば企業も欲しいと思うでしょうし、一石二鳥です。既に立ち上がってるプロジェクトを終わらせるだけなら、修士で十分です。

付け加えれば、ポストポスドク問題には、絶対的なPIの数が足りていないと言う問題もあると思います。この解決は、もっと上位の博士ポストを増やして研究者層の「縦の」厚みを増すことでしょうか。
アメリカは日本の2倍の研究者がいるそうですが、PIレベルの人材も2倍(かそれ以上)いるでしょう。独立して研究を行う人口が多いということで、研究の多様性、層の厚さで大きな差があると思います。これは単純な個人の努力では埋まらないギャップだと思います。(万能細胞の話でも、アメリカではすでに複数のラボがこれに追いつき、追い越すような状況ですが、日本では山中さんだけで、予算の流れもここ中心ですので、ますます個人vs国家という構図になっている気がします)。
年齢に見合った社会的能力を身につけるという意味でも、30代以上のポスドクは、独立したPIになって研究を立ち上げると良いと思います。また、上にあるように業績で人材を切らずに、とにかくリーダーとして立ち上げの経験を積ませないことには、年齢に見合わない人材のままで終わり、大学院教育が無価値であることを示す、消えることない「負の象徴」となってしまうことも危惧します。
アメリカは日本の2倍の研究者がいるそうですが、PIレベルの人材も2倍(かそれ以上)いるでしょう。独立して研究を行う人口が多いということで、研究の多様性、層の厚さで大きな差があると思います。これは単純な個人の努力では埋まらないギャップだと思います。(万能細胞の話でも、アメリカではすでに複数のラボがこれに追いつき、追い越すような状況ですが、日本では山中さんだけで、予算の流れもここ中心ですので、ますます個人vs国家という構図になっている気がします)。
年齢に見合った社会的能力を身につけるという意味でも、30代以上のポスドクは、独立したPIになって研究を立ち上げると良いと思います。また、上にあるように業績で人材を切らずに、とにかくリーダーとして立ち上げの経験を積ませないことには、年齢に見合わない人材のままで終わり、大学院教育が無価値であることを示す、消えることない「負の象徴」となってしまうことも危惧します。
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200712060047.html
「成功しているのは、教師がすべて修士号を取得していて質が高く、同じ学校で長く勤務して責任を持たせているためだ」。まねるだけではダメ、教師の環境を整えることが第一だという。
「成功しているのは、教師がすべて修士号を取得していて質が高く、同じ学校で長く勤務して責任を持たせているためだ」。まねるだけではダメ、教師の環境を整えることが第一だという。

上にリンクにある、
>『例えば、「勉強する」という言葉の代わりに「読む」をよく使う。「テスト前だから読まなくちゃ」といった具合だ。分厚い本を何冊も読むことが要求され、テストではその知識に基づいて、エッセー(小論文)を書かせることが多い。』
というのは面白いと思います。こう言う、暗記や決まった方法では答えが出ない問題を考えさせるというのが、教育の基本なんでしょうね。それがなぜか、大学院でも、ラボのお決まりの方法で与えられた実験をすることが博士の仕事になっていると。むしろ、全然違う分野の論文を100本以上読ませて、何か面白い研究計画をプレゼンしろ、という方が力になるんじゃないでしょうか。
>『例えば、「勉強する」という言葉の代わりに「読む」をよく使う。「テスト前だから読まなくちゃ」といった具合だ。分厚い本を何冊も読むことが要求され、テストではその知識に基づいて、エッセー(小論文)を書かせることが多い。』
というのは面白いと思います。こう言う、暗記や決まった方法では答えが出ない問題を考えさせるというのが、教育の基本なんでしょうね。それがなぜか、大学院でも、ラボのお決まりの方法で与えられた実験をすることが博士の仕事になっていると。むしろ、全然違う分野の論文を100本以上読ませて、何か面白い研究計画をプレゼンしろ、という方が力になるんじゃないでしょうか。

>全然違う分野の論文を100本以上読ませて、何か面白い研究計画をプレゼンしろ
これって、アメリカの大学院でのpreliminary examそのものですよ。それでPIになれそうな人(合格者)は、博士課程に残れるけど、不合格者は退学です。我が身を省みず言わせてもらえば、日本の博士は玉石混交です。
これって、アメリカの大学院でのpreliminary examそのものですよ。それでPIになれそうな人(合格者)は、博士課程に残れるけど、不合格者は退学です。我が身を省みず言わせてもらえば、日本の博士は玉石混交です。

またAさんのカキコにコメントするのですが。
賛成の方は
>普遍的なプロジェクト構築能力を評価するべき
>PDに立ち上げの経験をつませるべき
という点です。ただ、それを大学院の教育でカバーするのは限界があります。
また
>ラボのお決まりの方法で与えられた実験をすることが博士の仕事になっている
という例は私は知りません。皆、ボスからの難題をどうやって解決するかで悩んでいます。Aさん、日本の制度、PDや博士に過小評価でアメリカの制度に対しては幻想をもっていませんか?
どうかと思うのは「教育」で解決をしようとしすぎている点です。問題は教育をするのは今の教官であること、とアメリカの大学院教育にも問題があるからです。こちらの学生はとにかく実験をしません。また何かを突き止めよう、発見しようという情熱も概して日本の学生よりも薄いものを感じます。それよりも授業で単位を取って博士をとろうというところに意識があるようです。アメリカではMさんが書かれたのとは違い博士取得者の多くは企業に就職します。
賛成の方は
>普遍的なプロジェクト構築能力を評価するべき
>PDに立ち上げの経験をつませるべき
という点です。ただ、それを大学院の教育でカバーするのは限界があります。
また
>ラボのお決まりの方法で与えられた実験をすることが博士の仕事になっている
という例は私は知りません。皆、ボスからの難題をどうやって解決するかで悩んでいます。Aさん、日本の制度、PDや博士に過小評価でアメリカの制度に対しては幻想をもっていませんか?
どうかと思うのは「教育」で解決をしようとしすぎている点です。問題は教育をするのは今の教官であること、とアメリカの大学院教育にも問題があるからです。こちらの学生はとにかく実験をしません。また何かを突き止めよう、発見しようという情熱も概して日本の学生よりも薄いものを感じます。それよりも授業で単位を取って博士をとろうというところに意識があるようです。アメリカではMさんが書かれたのとは違い博士取得者の多くは企業に就職します。

日本の徒弟制度が必ずしも悪いとは思っていません。これは上手くいけば指導教官の持つエトスとか言葉にならないものを伝授できる制度でもあります。ただ意を汲むというコミュニケーションが出来なくなってきた最近の若者には(教官もかも)難しいのでアメリカ的な制度に代わっていくのは不可避と思っています。
アメリカで大学院の学生やPDを見ていても、日本人の学生やPDが劣っているとは思いません。では研究レベルの大きな較差はどこから生じてくるのか?PIになってからの評価の厳しさが大きく違うからだと思っています。ご存知かとは思いますが、グラントの申請書は質量とも日本のものとは全く比較にならず、しかも研究計画の内容で評価されます。研究費が取れなければ研究者を辞めるしかありません。テニュアーを持っていてもラボの片隅に追いやられます。このグラント書きの時によく研究計画を練ることで成長するのだということはよく聞かされます。日本だと研究費が「過去」の業績や学会での人間関係に大きく影響されたりします。
アメリカで大学院の学生やPDを見ていても、日本人の学生やPDが劣っているとは思いません。では研究レベルの大きな較差はどこから生じてくるのか?PIになってからの評価の厳しさが大きく違うからだと思っています。ご存知かとは思いますが、グラントの申請書は質量とも日本のものとは全く比較にならず、しかも研究計画の内容で評価されます。研究費が取れなければ研究者を辞めるしかありません。テニュアーを持っていてもラボの片隅に追いやられます。このグラント書きの時によく研究計画を練ることで成長するのだということはよく聞かされます。日本だと研究費が「過去」の業績や学会での人間関係に大きく影響されたりします。

どっかのブログ(@日本)で「『これは世界初』などとグラント申請書に自信ありげに書いておけばOK」と書いてありました。 本当?!

実際に見ていてアメリカでPDや学生の実験時間は圧倒的に日本より少ないのに仕事は進むのは元の実験計画がよく練られていて現実的で無駄のないものになっているからです。そういう意味ではアメリカの方がポスから言われることをただやっている、に近いでしょう。

多分、「どこで若手に独立した研究に挑戦する機会を与えるか」という点について、日本ではまだ機関ごとにバラつきがありすぎ、うまく機能していないものと思われます。

>『これは世界初』などとグラント申請書に自信ありげに書いておけばOK
科研費ならば審査員によるでしょう。正確ではないことが判ればその時点で評価「1」を付けます。ただし、NIH grantと比べて審査する数が10倍くらい多いですから、完全には目を通せません。
科研費ならば審査員によるでしょう。正確ではないことが判ればその時点で評価「1」を付けます。ただし、NIH grantと比べて審査する数が10倍くらい多いですから、完全には目を通せません。

皆さんの言われることを総合すると、アメリカでも日本でも、ポスドクの仕事はプロジェクトの遂行になるでしょうか。死活を分ける違いは、アメリカでは普遍的なプロジェクト構築能力を博士課程(もしくは入試)の時点から訓練し、必要とされるのに対して、日本ではポスドクをやって、「業績」を出してからでないとその訓練の機会がないというか、そもそも体系的な教育と評価のシステムがないので、教員自体その能力を持っているか怪しいというところでしょうか。
アメリカの大学院生は一番大事なスキルを一番最初に叩き込まれることにより、その気になればいつでも企業にその能力を売り込めるし、大学や研究機関に残る場合も、使う方、使われる方のどちらにも構築能力があるので優れた研究プランが立ちやすい(実際の遂行能力は別として)というところでしょうかね。さらに、いつでも他の道が残されていることで、ハイリスクな研究プロジェクトにも失敗を恐れず挑戦することができる点が国際的競争力を高めているのでしょうか。
アメリカの大学院生は一番大事なスキルを一番最初に叩き込まれることにより、その気になればいつでも企業にその能力を売り込めるし、大学や研究機関に残る場合も、使う方、使われる方のどちらにも構築能力があるので優れた研究プランが立ちやすい(実際の遂行能力は別として)というところでしょうかね。さらに、いつでも他の道が残されていることで、ハイリスクな研究プロジェクトにも失敗を恐れず挑戦することができる点が国際的競争力を高めているのでしょうか。


>死活を分ける違いは、アメリカでは普遍的なプロジェクト構築能力を博士課程(もしくは入試)の時点から訓練し、必要とされるのに対して、日本ではポスドクをやって、「業績」を出してからでないとその訓練の機会がない
まさに、この部分がかなり大きな違いですよね。そして、資金の配分。
京大のiPS研究がメディアでとりあげられていますが、たいして事情をよく知らない人々がコメントしていて、世間に妙な誤解をばらまいているのではないかと思うことがあります。
まさに、この部分がかなり大きな違いですよね。そして、資金の配分。
京大のiPS研究がメディアでとりあげられていますが、たいして事情をよく知らない人々がコメントしていて、世間に妙な誤解をばらまいているのではないかと思うことがあります。

たとえば、今日の『ブロードキャスター』では、日本の個別研究室ごとの研究とアメリカの研究室ごとが連携した組織的な研究を対比的に取り上げ、このままでは日本の科学研究はいかん、と指摘。
ここまではよかったのですが、コメンテーターの方々が口々に「日本も国を挙げてこのような研究を支援しなければ」(←もう発表されましたよ・・・)、「日本は悪平等で数十万円ずつ研究費をばら撒いているからいけない」(←それは昔の話ですよ・・・)と続けておられました。よく事情を知らない人間が見ていたら、多分鵜呑みにすると思います。
これに続いて、PISAの結果が「日本の科学が危ない」という論調で触れられていましたが、ポスドク問題と合わせて日本の科学教育・研究の現場の問題そのものの中核に迫るような特集にはしてはくれていませんでしたね。残念。 (← これって、メディアの人たちの企画のヒントになるのでは?)
ここまではよかったのですが、コメンテーターの方々が口々に「日本も国を挙げてこのような研究を支援しなければ」(←もう発表されましたよ・・・)、「日本は悪平等で数十万円ずつ研究費をばら撒いているからいけない」(←それは昔の話ですよ・・・)と続けておられました。よく事情を知らない人間が見ていたら、多分鵜呑みにすると思います。
これに続いて、PISAの結果が「日本の科学が危ない」という論調で触れられていましたが、ポスドク問題と合わせて日本の科学教育・研究の現場の問題そのものの中核に迫るような特集にはしてはくれていませんでしたね。残念。 (← これって、メディアの人たちの企画のヒントになるのでは?)

iPSに関して言えば,国が号令をかけないと「オールジャパン」ができないのが日本,あちこちから即座にトップジャーナルにのせるだけのdataがでてきて勝手に「オールアメリカ」になっているのがアメリカ,日本のアカデミアはやっぱりお上が号令をかけないと動かないメンタリティなのでしょうか。
ブロードキャスターは私も見ました。日米の教授がインタビューを受けている場所の差だけを見ても、日本はもう負けていると感じざるを得ませんでした。
また昨日は、大臣達が山中さんを呼びつけたニュースもやっていました。これを見ても、もう勝負は着いていると思わざるを得ませんでした。今彼がもっとも欲しいのは時間ではないかと思うのに・・・。
山中さんの研究成果はほんとうにすごいと思いますが、それが基礎科学の中から出てきたということを考えるならば、彼の仕事だけではなくまだ芽の出ていない基礎科学全体を振興すべきだということや、たくさんいる研究者予備軍であるポスドクにどんどんオリジナルな仕事のできる環境を与えるのがいいのだという議論になっていかないようでは、今回の騒ぎもバブルに終わってしまいそうな気がします。
また昨日は、大臣達が山中さんを呼びつけたニュースもやっていました。これを見ても、もう勝負は着いていると思わざるを得ませんでした。今彼がもっとも欲しいのは時間ではないかと思うのに・・・。
山中さんの研究成果はほんとうにすごいと思いますが、それが基礎科学の中から出てきたということを考えるならば、彼の仕事だけではなくまだ芽の出ていない基礎科学全体を振興すべきだということや、たくさんいる研究者予備軍であるポスドクにどんどんオリジナルな仕事のできる環境を与えるのがいいのだという議論になっていかないようでは、今回の騒ぎもバブルに終わってしまいそうな気がします。

アメリカの大学院教育に関しては幻想を持っている人が多いと感じています。僕は実際に大学院には行っていないので、実際の院生やPDを見て判断しますが、アメリカで学位をとった方に聞くと、「広範囲の基礎的な知識を叩き込まれた」「課題の量がすごかった」ということを言われます。コースワークで研究能力が上がったという話は聞いたことがありません。
アメリカの院生の方が日本の院生よりも明らかに優れているのはプレゼン能力でしょう。短期で訪れた人はこれで勘違いをして帰っているんだと思います。逆に日本人のほうが優れているのは実験技術や、粘り強さという点だと思います。これは馬鹿にはできません。
>全然違う分野の論文を100本以上読ませて、何か面白い研究計画をプレゼンしろ
僕も助手時代にもっとものを考えさせるような演習ができないかなと思っていたので、否定はしないのですが、コースワークで研究能力が上がるほど研究とはそんなに簡単なものでしょうか。
アメリカの院生の方が日本の院生よりも明らかに優れているのはプレゼン能力でしょう。短期で訪れた人はこれで勘違いをして帰っているんだと思います。逆に日本人のほうが優れているのは実験技術や、粘り強さという点だと思います。これは馬鹿にはできません。
>全然違う分野の論文を100本以上読ませて、何か面白い研究計画をプレゼンしろ
僕も助手時代にもっとものを考えさせるような演習ができないかなと思っていたので、否定はしないのですが、コースワークで研究能力が上がるほど研究とはそんなに簡単なものでしょうか。

そもそも確定している情報だけを使って論理思考をするというのがそんなに高度なことですか?私はそうは思いません。むしろ高度ではないから授業でできるのです。実際の研究では確定していない情報を元に判断をしなければいけません。またそこに「自分」というものが入ることで客観視が難しくなります。自分の考えた仮説にたいするこだわり、実験の不確かさもデータによって異なります。ですから実際的なところから入っていく日本のやり方の持つ強みというものを認識するようになりました。



>>それが基礎科学の中から出てきたということを考えるならば、
stochinaiさん! これは理解できない。 「基礎科学」という概念の定義によるのではあるが、「万能細胞」なぞ不自然=工学的対象であると私は考える。
これは、長生きを至上の価値とする近代快楽主義に合致した技術主義的思想の歓迎する科学技術である、と私は思う。
stochinaiさんの目論見は、山中業績すごい→それは基礎科学の中から出てきた→大学、基礎科学から出てきた→大学に金だせ!大学を大切にしろ!というイデオギーだと、私は考えます。
でも、山中さんの発見・発明はノーベルのダイナマイト発見・発明の系譜には違いありません。これで人類が「幸せ」になるのかは....。
stochinaiさん! これは理解できない。 「基礎科学」という概念の定義によるのではあるが、「万能細胞」なぞ不自然=工学的対象であると私は考える。
これは、長生きを至上の価値とする近代快楽主義に合致した技術主義的思想の歓迎する科学技術である、と私は思う。
stochinaiさんの目論見は、山中業績すごい→それは基礎科学の中から出てきた→大学、基礎科学から出てきた→大学に金だせ!大学を大切にしろ!というイデオギーだと、私は考えます。
でも、山中さんの発見・発明はノーベルのダイナマイト発見・発明の系譜には違いありません。これで人類が「幸せ」になるのかは....。
あざみさんがおっしゃるように、私の「イデオロギー(上で言いたかったこと)」は訳のわからないように見える科学から、(今人々がもてはやしている)技術が生まれてきたのだからもっとイノベーティブな技術が欲しいと思うのなら、大学を大切にすべきだということです。
「万能細胞」が不自然な存在であるというご意見は傾聴に値するものですが、それは間違いなく過去60年くらいに蓄積された基礎学問である「発生学」から生まれてきた「成果」のひとつです。
もちろんiPSが人類を幸せにするかどうかはわからないと思いますし、場合によってはとんでもない結果を引き起こすことになる可能性もないとは言えません。だから、そんな科学をやっている大学などサポートする必要がないとおっしゃるならば、それは間違っていると思います。なぜならば、iPSが生み出すかもしれない悲劇の対策を研究するためには大学のような研究機関が必要だからです。
「万能細胞」が不自然な存在であるというご意見は傾聴に値するものですが、それは間違いなく過去60年くらいに蓄積された基礎学問である「発生学」から生まれてきた「成果」のひとつです。
もちろんiPSが人類を幸せにするかどうかはわからないと思いますし、場合によってはとんでもない結果を引き起こすことになる可能性もないとは言えません。だから、そんな科学をやっている大学などサポートする必要がないとおっしゃるならば、それは間違っていると思います。なぜならば、iPSが生み出すかもしれない悲劇の対策を研究するためには大学のような研究機関が必要だからです。

あざみ様
科学はそもそも幸せになることを前提に進んでいるとは限りませんよ。山中さんの今回の成果はすばらしいと思いますが、その成果の応用ばかりに力を入れるのではなく、その成果を生み出すような基礎にも力を入れて欲しいとは私も思います。
あと、40台海外ポスドクさんの意見は参考になるものが多いと思います。現在PIでであるかどうかは、意見の軽重にいささかも影響しないと思います。
科学はそもそも幸せになることを前提に進んでいるとは限りませんよ。山中さんの今回の成果はすばらしいと思いますが、その成果の応用ばかりに力を入れるのではなく、その成果を生み出すような基礎にも力を入れて欲しいとは私も思います。
あと、40台海外ポスドクさんの意見は参考になるものが多いと思います。現在PIでであるかどうかは、意見の軽重にいささかも影響しないと思います。

>「広範囲の基礎的な知識を叩き込まれた」「課題の量がすごかった」
これが大事なのでは? この訓練がきちんとしてれば会社でも使えそうなことは期待できます。昔、大卒の学歴が偏重されたのも、少なくとも入試の時点でかなりのことを詰め込まれていることが保証されていたからでは?
逆に言えば、研究室の専門知識がいくらあっても「会社でやって欲しいのは違うテーマだから」と言われたらすれ違いで終わってしまうのではないでしょうか。
>アメリカの院生の方が日本の院生よりも明らかに優れているのはプレゼン能力でしょう。
>逆に日本人のほうが優れているのは実験技術や、粘り強さという点だと思います。
プレゼンはとても大事ですよ。これがうまく行かないとプロジェクトが始まりませんし、人も雇えません。実験技術や粘り強さはそのあとに必要になることでしょう。ポストポスドク問題もこの辺にずれがあるのではないでしょうか。技術、粘り強さに博士号が必要でしょうか。そもそもこれを訓練、評価できますか?
これが大事なのでは? この訓練がきちんとしてれば会社でも使えそうなことは期待できます。昔、大卒の学歴が偏重されたのも、少なくとも入試の時点でかなりのことを詰め込まれていることが保証されていたからでは?
逆に言えば、研究室の専門知識がいくらあっても「会社でやって欲しいのは違うテーマだから」と言われたらすれ違いで終わってしまうのではないでしょうか。
>アメリカの院生の方が日本の院生よりも明らかに優れているのはプレゼン能力でしょう。
>逆に日本人のほうが優れているのは実験技術や、粘り強さという点だと思います。
プレゼンはとても大事ですよ。これがうまく行かないとプロジェクトが始まりませんし、人も雇えません。実験技術や粘り強さはそのあとに必要になることでしょう。ポストポスドク問題もこの辺にずれがあるのではないでしょうか。技術、粘り強さに博士号が必要でしょうか。そもそもこれを訓練、評価できますか?

>彼の仕事だけではなくまだ芽の出ていない基礎科学全体を振興すべきだということや、たくさんいる研究者予備軍であるポスドクにどんどんオリジナルな仕事のできる環境を与えるのがいい
これはその通りだと思います。ニュースを見ていて思うのは、あたかも山中さんが何も無いところから万能細胞を作り出したかのように話しますが、これの元になったクローン技術の発見などいろいろな元になる研究成果というものが存在します。山中さんたちの「発見」は飛躍的でしたが、山中さんをサポートさえしていれば日本はiPSに関連する全ての分野で主導権を握れる、と思っているなら、とんでもない事になると思います。
そもそもなぜ、主導権を握ることが重要かと言えば、特許や実施権を押さえるだけでなく、その発展、利用などに関する議論の主導権も握ることになるからではないでしょうか。議論次第では、iPS作成技術は人類の宝だから特許権は認めない、ということにもなりかねません。アメリカはその辺をわかっていて、さっさと実用段階の研究を押さえると言うところでしょうか。最終的に山中さんにはノーベル賞、アメリカはiPS治療の実施権という成果配分になりそうです
これはその通りだと思います。ニュースを見ていて思うのは、あたかも山中さんが何も無いところから万能細胞を作り出したかのように話しますが、これの元になったクローン技術の発見などいろいろな元になる研究成果というものが存在します。山中さんたちの「発見」は飛躍的でしたが、山中さんをサポートさえしていれば日本はiPSに関連する全ての分野で主導権を握れる、と思っているなら、とんでもない事になると思います。
そもそもなぜ、主導権を握ることが重要かと言えば、特許や実施権を押さえるだけでなく、その発展、利用などに関する議論の主導権も握ることになるからではないでしょうか。議論次第では、iPS作成技術は人類の宝だから特許権は認めない、ということにもなりかねません。アメリカはその辺をわかっていて、さっさと実用段階の研究を押さえると言うところでしょうか。最終的に山中さんにはノーベル賞、アメリカはiPS治療の実施権という成果配分になりそうです

stochinaiさんが指摘なさっている「訳のわからないように見える科学から、(今人々がもてはやしている)技術が生まれてきたのだからもっとイノベーティブな技術が欲しいと思うのなら、大学を大切にすべきだ」という洞察には全く同感いたします。しかしながら、なかなか日本の報道はこの域にまで達していません。せいぜい、『ブロードキャスター』に見られたように、「すごい研究成果が出た→支援しなければ!」でおしまいです。
日本の科学ジャーナリズムの底がいかに浅いかがこれだけでもわかってしまいます。メディア関係者に大学院レベルの科学教育を受けた人間が増えること、少なくともそのレベルの話のできる人間を育てていくことは、日本の科学界にとっても今後、非常に重要になってくることでしょう。
日本の科学ジャーナリズムの底がいかに浅いかがこれだけでもわかってしまいます。メディア関係者に大学院レベルの科学教育を受けた人間が増えること、少なくともそのレベルの話のできる人間を育てていくことは、日本の科学界にとっても今後、非常に重要になってくることでしょう。

40台海外ポスドクさんのおっしゃるように、アメリカの教育を過度に理想化するのも問題があるかと思います。と言うか、アメリカは大学・研究機関のレベルに大変ばらつきがあるので、一概に「これがアメリカの教育・研究だ」と言えない難しさがあります。アメリカの例について何かを言う場合には、どのレベルの教育・研究機関について問題にしているのか限定しながら話し合ったほうが、建設的ではないでしょうか。
なお、40台海外ポスドクさん、「コースワークで研究能力が上がる」とは誰も書いていないように思います。Aさんが書かれたのは、「preliminary exam(Ph.D.candidateに正式になるための試験)」の一つに、先行研究をふまえつつ自分なりに研究を組み立てることを要求する課題があるということではないかと思います。このような訓練を受ける機会が日本の大学では制度化されていないので、PDの独立が遅れるという弊害があるということではないでしょうか。
なお、40台海外ポスドクさん、「コースワークで研究能力が上がる」とは誰も書いていないように思います。Aさんが書かれたのは、「preliminary exam(Ph.D.candidateに正式になるための試験)」の一つに、先行研究をふまえつつ自分なりに研究を組み立てることを要求する課題があるということではないかと思います。このような訓練を受ける機会が日本の大学では制度化されていないので、PDの独立が遅れるという弊害があるということではないでしょうか。

それと、山中さんを持ち上げて、オールジャパンとか言うトップダウン組織を作るそうですが、それで基礎研究軽視の方向に向かうということだけは勘弁して欲しいですね。一面として、細かい技術は海外の文献から得て、日本は今回のような大きな飛躍の部分だけ狙えば良いという考えもあるかも知れませんが、それでは最終的に主導権を奪われます。既に今の流れを見てもアメリカは追いつき、追い越そうとする勢いです。
この強みがどこにあるのかと考えると、まずラボの数、そしてカバーする研究領域が広範であること、加えて、個々のラボの持つ基礎研究能力が専門分野で突出していることではないでしょうか。こう言ったハイレベルの基礎科学の地盤があるからこそ、個々のラボがiPS技術を取り入れると、あっという間に広い範囲を網羅する研究成果が立て続いて発表されるということになるのではないでしょうか。つまり、オールアメリカというのがもしあるとすれば、その実態は個の力の集積によって作られるもので、オールジャパンとは全く異なる、ボトムアップ形式の研究形態だと思います。このどちらが強いのか、それはこの2、3年ではっきりするのではないでしょうか。
この強みがどこにあるのかと考えると、まずラボの数、そしてカバーする研究領域が広範であること、加えて、個々のラボの持つ基礎研究能力が専門分野で突出していることではないでしょうか。こう言ったハイレベルの基礎科学の地盤があるからこそ、個々のラボがiPS技術を取り入れると、あっという間に広い範囲を網羅する研究成果が立て続いて発表されるということになるのではないでしょうか。つまり、オールアメリカというのがもしあるとすれば、その実態は個の力の集積によって作られるもので、オールジャパンとは全く異なる、ボトムアップ形式の研究形態だと思います。このどちらが強いのか、それはこの2、3年ではっきりするのではないでしょうか。

>山中さんをサポートさえしていれば日本はiPSに関連する全ての分野で主導権を握れる、と思っているなら、とんでもない事になる
蛇足ですが、これって、「優秀な血筋を残す」ために近親者で結婚を繰り返していると、逆に遺伝的に様々な弊害が生じてしまう・・・というパターンに似ていますね。
本当に優秀な子孫(=研究成果)を将来的に残したいのであれば、多様性と層の厚さを確保すべきです。今、優秀そうに見えるものだけを大切にするのでは駄目なのです。
蛇足ですが、これって、「優秀な血筋を残す」ために近親者で結婚を繰り返していると、逆に遺伝的に様々な弊害が生じてしまう・・・というパターンに似ていますね。
本当に優秀な子孫(=研究成果)を将来的に残したいのであれば、多様性と層の厚さを確保すべきです。今、優秀そうに見えるものだけを大切にするのでは駄目なのです。

AさんもSさんもいつも肝心なところはスルーで枝葉の部分に反論しますね。
まず前も書いたけど僕は企業や大学にもいたので、ポスドクはのべ3年しかやっていません。しかももうすぐ企業の世界に戻ります。鶏肋さんのおっしゃるとおり立場で意見の「軽重」は変わらないと思いますが立場による経験の差や利害関係には違いがあります、少なくとも常連の方は立場をある程度明らかにすべきと思います。
Aさんの書かれるものに反応するのは、Aさんがメディア関係者であり、官僚や研究者の上のほうの方と交流があると以前指摘されていて、Aさんも否定されていないからです。私から見るとAさんの立場は確かに官僚や大ボスクラスの研究者の立場に沿ったものになっていて、地方大学の現場、ポスドクの実態、アメリカの大学院の実態などについてはご存知ないようにお見受けするからです。しかもこの立場が現在ポスドク問題でメディアで報じている立場と全く重なっています。このことに危惧を覚えるからです。
まず前も書いたけど僕は企業や大学にもいたので、ポスドクはのべ3年しかやっていません。しかももうすぐ企業の世界に戻ります。鶏肋さんのおっしゃるとおり立場で意見の「軽重」は変わらないと思いますが立場による経験の差や利害関係には違いがあります、少なくとも常連の方は立場をある程度明らかにすべきと思います。
Aさんの書かれるものに反応するのは、Aさんがメディア関係者であり、官僚や研究者の上のほうの方と交流があると以前指摘されていて、Aさんも否定されていないからです。私から見るとAさんの立場は確かに官僚や大ボスクラスの研究者の立場に沿ったものになっていて、地方大学の現場、ポスドクの実態、アメリカの大学院の実態などについてはご存知ないようにお見受けするからです。しかもこの立場が現在ポスドク問題でメディアで報じている立場と全く重なっています。このことに危惧を覚えるからです。

以前ここで、企業が業績主義を取り入れて大失敗したという話が出ていました。私はこれは日本の企業が「自分たちが今まで何をやっていたか」をちゃんと理解していなかったことが原因だと思っています。自分たちのやっていたことは当たり前すぎて言葉に出来ていなかったのでアメリカから来たものに簡単に飛びついて失敗してしまったのです。
同じことを教育でもやろうとしていないか?ちゃんと今までの教育のよさを評価できているのか、言葉に出来ているのか疑問に感じます。それを出来ていないで、アメリカ風の教育にしてしまうと、以前の良さもなくなり、新しいものも上手くできないという最悪の状態になってしまいはしないかという危惧を感じます。
同じことを教育でもやろうとしていないか?ちゃんと今までの教育のよさを評価できているのか、言葉に出来ているのか疑問に感じます。それを出来ていないで、アメリカ風の教育にしてしまうと、以前の良さもなくなり、新しいものも上手くできないという最悪の状態になってしまいはしないかという危惧を感じます。

前から書いていることなのですが、ポスドク問題を教育問題にすりかえるのは素人目にわかりやすいけれども、ミスリーディングだと思っています。ポスドクが就職できないのはポスドクの質が問題なのですか?全然問題がないとは言いませんし、教育を改善すべき点も多いでしょう。しかしそれが一番の理由でしょうか?
Sさんの
>このような訓練を受ける機会が日本の大学では制度化されていないので、PDの独立が遅れるという弊害があるということではないでしょうか。
日本でアカデミックポジションを取るときに「これからの研究計画」を書くわけですが、これがコネとか評判とか業績に比べて採否にどれだけの重みがあるでしょうか?採用されるかどうかはPD間での競争であって、独立が遅れることと研究計画の能力と何の関係もありません。
同様にお二人の考え方ではアメリカの研究が優れているのも教育だとおっしゃる。私はそれよりも、PIになってからの評価制度の方がずっと重要だと申し上げているのですが、これに関してのコメントはないんですね。
Sさんの
>このような訓練を受ける機会が日本の大学では制度化されていないので、PDの独立が遅れるという弊害があるということではないでしょうか。
日本でアカデミックポジションを取るときに「これからの研究計画」を書くわけですが、これがコネとか評判とか業績に比べて採否にどれだけの重みがあるでしょうか?採用されるかどうかはPD間での競争であって、独立が遅れることと研究計画の能力と何の関係もありません。
同様にお二人の考え方ではアメリカの研究が優れているのも教育だとおっしゃる。私はそれよりも、PIになってからの評価制度の方がずっと重要だと申し上げているのですが、これに関してのコメントはないんですね。

どっちも重要なんじゃないの?

>PIになってからの評価制度
これに関しては、以前にも言ったことがありますが、日本は末期的状況です。一度職を得てしまえば、不祥事を起こさない限り雇用は続くし、退職金も年金も満額出るわけです。実のところ研究/教育は趣味程度でも何も問題ありません。
そういう責任ない人間が、大学院生やポスドクの教育に関わっていることが大学の問題です。特に、研究はまだしも、教育をしないということは、将来の人材を歪め、社会にも出れない半端者を量産することになり、大学院の価値を著しく貶めます。もちろん、このような不適切な教員を減俸、もしくは降格させることができるのであれば、評価でもなんでもやった方が良いと思います。ただ、残念なことに大学人事は国の管轄害ですから、強い措置には出られないし、国民の声も届きません。
ポスドク問題も同様で、彼らをPIにして鍛え上げれば良い話ですが、実際は、弱い立場の彼らに、無能のレッテルを貼りつけ、責任をなすりつけて終わりです。大学の言い分は、「昔から大学教育なんてこんなものだった」ですが、「少なくとも教育責任は果たせ」というのが私の意見です。
これに関しては、以前にも言ったことがありますが、日本は末期的状況です。一度職を得てしまえば、不祥事を起こさない限り雇用は続くし、退職金も年金も満額出るわけです。実のところ研究/教育は趣味程度でも何も問題ありません。
そういう責任ない人間が、大学院生やポスドクの教育に関わっていることが大学の問題です。特に、研究はまだしも、教育をしないということは、将来の人材を歪め、社会にも出れない半端者を量産することになり、大学院の価値を著しく貶めます。もちろん、このような不適切な教員を減俸、もしくは降格させることができるのであれば、評価でもなんでもやった方が良いと思います。ただ、残念なことに大学人事は国の管轄害ですから、強い措置には出られないし、国民の声も届きません。
ポスドク問題も同様で、彼らをPIにして鍛え上げれば良い話ですが、実際は、弱い立場の彼らに、無能のレッテルを貼りつけ、責任をなすりつけて終わりです。大学の言い分は、「昔から大学教育なんてこんなものだった」ですが、「少なくとも教育責任は果たせ」というのが私の意見です。


40台海外ポスドクさん
>同様にお二人の考え方ではアメリカの研究が優れているのも教育だとおっしゃる
私は決してそのようなことを書いてはいませんが?「40台海外ポスドクさんのおっしゃるように、アメリカの教育を過度に理想化するのも問題があるかと思います」と書いたのを御覧になりましたか? これは、むしろ、あなたのお考えに同意を示した発言だったのですが・・・。 また、「日本のは駄目だ」とも言っていません。
最後の文章は、40台さんが誤解しておられると思ったAさんの発言の主旨(研究能力をどこで訓練するかに関する部分)を僭越ながら自分なりにまとめて付け加え、見当違いの「行き違い」を防ごうとしたのです。あの部分は私の考えではなく、「Aさんが言わんとしていたと思われる内容」です。私の書き方が曖昧だったのかもしれませんが、どうぞ間違えないでください。
>同様にお二人の考え方ではアメリカの研究が優れているのも教育だとおっしゃる
私は決してそのようなことを書いてはいませんが?「40台海外ポスドクさんのおっしゃるように、アメリカの教育を過度に理想化するのも問題があるかと思います」と書いたのを御覧になりましたか? これは、むしろ、あなたのお考えに同意を示した発言だったのですが・・・。 また、「日本のは駄目だ」とも言っていません。
最後の文章は、40台さんが誤解しておられると思ったAさんの発言の主旨(研究能力をどこで訓練するかに関する部分)を僭越ながら自分なりにまとめて付け加え、見当違いの「行き違い」を防ごうとしたのです。あの部分は私の考えではなく、「Aさんが言わんとしていたと思われる内容」です。私の書き方が曖昧だったのかもしれませんが、どうぞ間違えないでください。

「アメリカの大学・研究機関はバラつきが激しいので、一概に『アメリカ』とは言えないので、今後はどのレベルの機関の話をしているのかを明確にしたほうが良い」と書いたのは、別に40台さんだけに向けて書いたのではありません。一般論を語る上での基本的な注意事項を自戒を込めて書いたのです。「日本の大学・研究機関・企業」について発言する場合にも、同じ注意が必要ですが。
大切なのは、アメリカ(でもどこでもいいですが)と日本の様々なレベルの機関における研究・教育制度を総ざらいして、それぞれにおける長所・短所を洗い出し、そこから、現在の日本の研究・教育の現場における状況に適用可能なものを選び出したり、多少の変形を加えて応用したりする作業ではないでしょうか。「どっちが素晴らしいか」を決めることは、全く重要ではないと思います。 (今、ちょっと時間が無いので、これで失礼します)
大切なのは、アメリカ(でもどこでもいいですが)と日本の様々なレベルの機関における研究・教育制度を総ざらいして、それぞれにおける長所・短所を洗い出し、そこから、現在の日本の研究・教育の現場における状況に適用可能なものを選び出したり、多少の変形を加えて応用したりする作業ではないでしょうか。「どっちが素晴らしいか」を決めることは、全く重要ではないと思います。 (今、ちょっと時間が無いので、これで失礼します)

問題抽出はいいとして、行動としては具体的になにすればいいのでしょう。

議論自体がかみ合わないのでそろそろやめにしようと思います。
Sさんのアメリカの教育が良いとかかれている点2点についてそれは当たっていないと具体的に指摘したのに、それに対する回答が一般的で当たり前な
>アメリカの教育を過度に理想化するのも問題があるかと思います
では何の回答にもなっていないでしょう。
Aさんの教育論に賛同する形でアメリカの教育の良い点を論じれば、流れとして元のAさんの意見に賛同することになりませんか?誤解されるのはSさんが僕やAさんのコメントに対して表面的に反応しすぎだからではないですか?
それから私がAさんを誤解しているとも思いません。
実際の自分の研究の中でやるか、他人の論文を元にバーチャルな研究シミュレーションをするかということで、後者をコースワークと表現したのが不適切とも思いません。後者を否定するわけではなくやったらいいと思いますが、自分の研究でやるのとは質的な差があるため幻想を持たないほうが良いと指摘しました。
Sさんのアメリカの教育が良いとかかれている点2点についてそれは当たっていないと具体的に指摘したのに、それに対する回答が一般的で当たり前な
>アメリカの教育を過度に理想化するのも問題があるかと思います
では何の回答にもなっていないでしょう。
Aさんの教育論に賛同する形でアメリカの教育の良い点を論じれば、流れとして元のAさんの意見に賛同することになりませんか?誤解されるのはSさんが僕やAさんのコメントに対して表面的に反応しすぎだからではないですか?
それから私がAさんを誤解しているとも思いません。
実際の自分の研究の中でやるか、他人の論文を元にバーチャルな研究シミュレーションをするかということで、後者をコースワークと表現したのが不適切とも思いません。後者を否定するわけではなくやったらいいと思いますが、自分の研究でやるのとは質的な差があるため幻想を持たないほうが良いと指摘しました。

とりあえず、stochinaiさんがまとめられた(1)「基礎科学全体を振興すべき」・(2)「研究者予備軍であるポスドクにどんどんオリジナルな仕事のできる環境を与える」という二点から議論を深めて、行動に移していけばよろしいのでは?
それにしても、日本のPDってどこで「オリジナルな仕事」をする訓練や機会を与えられているんでしょう? 「日本ではポスドクをやって、「業績」を出してからでないとその訓練の機会がない」という現場、結構多いですよね? そして、「PIになかなかなれない」とPDがぼやくと「オリジナルの研究をしていないからだ」と言われる・・・。なんだか、正社員になるための第一歩として一生懸命働いてきたのに「専門能力・技能が無い」ということで正社員になれないフリーターさんたちと重なってきますね。
それにしても、日本のPDってどこで「オリジナルな仕事」をする訓練や機会を与えられているんでしょう? 「日本ではポスドクをやって、「業績」を出してからでないとその訓練の機会がない」という現場、結構多いですよね? そして、「PIになかなかなれない」とPDがぼやくと「オリジナルの研究をしていないからだ」と言われる・・・。なんだか、正社員になるための第一歩として一生懸命働いてきたのに「専門能力・技能が無い」ということで正社員になれないフリーターさんたちと重なってきますね。

Sさんは誤解を避けるために、40台海外ポスドクさんに対して「アメリカのどのへんの大学の例を具体的に想定して議論しているんですか?」と質問しただけだと思いますけど・・・?

議論の落としどころを作る訓練が必要なことは分かりました。

・・・で、結局どうすれば私のような人間はすくわれるのでしょうか。
アカデミアも残れない、企業にも行けない、私のような人間は。
アカデミアも残れない、企業にも行けない、私のような人間は。

企業にいくしかありません。

食い詰め博士さま
私も似たような身分で、情緒不安定気味です。失礼ですが、ここで議論をされている方々は何の力にもなって頂けませんので、結局は自分で何とかするしかありませんよ。お互い人生を投げず、粘りづよく生きていきましょう。これまでの研究でも諦めずに頑張ってきたのですから。
私も似たような身分で、情緒不安定気味です。失礼ですが、ここで議論をされている方々は何の力にもなって頂けませんので、結局は自分で何とかするしかありませんよ。お互い人生を投げず、粘りづよく生きていきましょう。これまでの研究でも諦めずに頑張ってきたのですから。

日本の徒弟制の良い部分が崩れ、独自の研究力を高める機会の設置を抜かして中途半端にPD競争原理が取り入れられた現状では、以下の道があるということでOK?
(1)オリジナルな研究に早くから着手できた少数の人々&教授のおぼえめでたくてなんとなく残れた人々=大学・研究所の常勤PI・教育職。
(2)売れそうな研究・人から頼まれた押し付け研究でも嫌がらずにきちんと成果を出せて、なおかつ、研究職以外に配置転換されてもなんとかやっていけそうな人々=企業に就職
(3)能力もしくは人脈・運の関係で大学・研究所の常勤PI・教育職にはなれず、しかも研究あるいは実験以外のことはやりたくない(できない)人々=大学・研究所の研究助手(含公務員)
(4)能力もしくは人脈・運の関係で大学・研究所の常勤PI・教育職にはなれないが、科学教育はそれなりに楽しいかもと思っている人々=大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
↓のような分析を読んでいると、上のような進路が妥当と考えられ。まずは、(3)(4)の拡充が必要か。
http://abyss.blogzine.jp/shisetsu/2005/12/post_2ad4.html
http://mercamun.exblog.jp/6276313/
(1)オリジナルな研究に早くから着手できた少数の人々&教授のおぼえめでたくてなんとなく残れた人々=大学・研究所の常勤PI・教育職。
(2)売れそうな研究・人から頼まれた押し付け研究でも嫌がらずにきちんと成果を出せて、なおかつ、研究職以外に配置転換されてもなんとかやっていけそうな人々=企業に就職
(3)能力もしくは人脈・運の関係で大学・研究所の常勤PI・教育職にはなれず、しかも研究あるいは実験以外のことはやりたくない(できない)人々=大学・研究所の研究助手(含公務員)
(4)能力もしくは人脈・運の関係で大学・研究所の常勤PI・教育職にはなれないが、科学教育はそれなりに楽しいかもと思っている人々=大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
↓のような分析を読んでいると、上のような進路が妥当と考えられ。まずは、(3)(4)の拡充が必要か。
http://abyss.blogzine.jp/shisetsu/2005/12/post_2ad4.html
http://mercamun.exblog.jp/6276313/

>特に、研究はまだしも、教育をしないということは、将来の人材を歪め、社会にも出れない半端者を量産することになり、大学院の価値を著しく貶めます。
大学院生やポスドクの教育は、研究推進の現場で知を生み出すノウハウやプロセスを体感させることにあるはずです。従って研究をしていない人はもはや教育をしているとは言えないと思います。
誰かのテーマで論文は出したものの、これから何を研究すべきかという自身のビジョンは持たず、パーマネントになって停止するパターンは多いと思います。一つのテーマの研究推進能力と、その後に何かを成し遂げられるかは必ずしも一致せず、後者を教育できる人は数少ないと思います。後者の能力の評価は困難なので人事採用は前者の成果に依存する訳ですが、少なくとも一定期間で再評価する制度がなければ人は停滞しやすいと思います。私自身ポスドクで、いつかのパーマネントを夢見て身を削る毎日ですが、もしプレッシャーのない職を得たらとりあえず休暇のような日々を送ってしまう絶対の自信があります。なんて。
大学院生やポスドクの教育は、研究推進の現場で知を生み出すノウハウやプロセスを体感させることにあるはずです。従って研究をしていない人はもはや教育をしているとは言えないと思います。
誰かのテーマで論文は出したものの、これから何を研究すべきかという自身のビジョンは持たず、パーマネントになって停止するパターンは多いと思います。一つのテーマの研究推進能力と、その後に何かを成し遂げられるかは必ずしも一致せず、後者を教育できる人は数少ないと思います。後者の能力の評価は困難なので人事採用は前者の成果に依存する訳ですが、少なくとも一定期間で再評価する制度がなければ人は停滞しやすいと思います。私自身ポスドクで、いつかのパーマネントを夢見て身を削る毎日ですが、もしプレッシャーのない職を得たらとりあえず休暇のような日々を送ってしまう絶対の自信があります。なんて。

食い詰め博士様、鶏助様。
名が売れていても中小企業は結構開発研究陣は手薄なので、そういう会社に応募してはいかがですか?特に地方地場産業は人材を求めていると思いますよ。こういった身の振り方もまた、「問題解決能力」の一種ですね。
名が売れていても中小企業は結構開発研究陣は手薄なので、そういう会社に応募してはいかがですか?特に地方地場産業は人材を求めていると思いますよ。こういった身の振り方もまた、「問題解決能力」の一種ですね。


>>趣味の社会学 様
> 現状では、以下の道があるということでOK?
> (1)大学・研究所の常勤PI・教育職。
> (2)企業に就職
> (3)大学・研究所の研究助手(含公務員)
> (4)大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
現状認識が随分あまいです。上記の職があれば、ポスドク問題はないですよ。
現状は
(1) 大学・研究所の常勤PI・教育職。(毎年、ポスドクの5%程度が就く)
(2) 企業に就職
(大企業はまれ。求人は、修士20に対し、博士1程度の比率。多くは、中小企業やベンチャーに就職。もしくは派遣社員になり,低収入。)
(3) 大学・研究所の研究助手(含公務員)
(常勤の研究助手のポジションは、人員削減で消滅し、今は殆ど無い。バート並みの扱いのアルバイト的な職(2-3年任期)のみ。時給850-1500円程度。年収200-300万程度。これでは家庭も持てない)
(4)大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
(一番可能性はあるが、小中高の学校の先生は、院卒を嫌う。東京都などでは、院卒は問題校に回されることが多く、新任で進学校に配属される例は殆どない。教師の世界も、高学歴差別が強い。むしろ、塾講師の方が多い。)
> 現状では、以下の道があるということでOK?
> (1)大学・研究所の常勤PI・教育職。
> (2)企業に就職
> (3)大学・研究所の研究助手(含公務員)
> (4)大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
現状認識が随分あまいです。上記の職があれば、ポスドク問題はないですよ。
現状は
(1) 大学・研究所の常勤PI・教育職。(毎年、ポスドクの5%程度が就く)
(2) 企業に就職
(大企業はまれ。求人は、修士20に対し、博士1程度の比率。多くは、中小企業やベンチャーに就職。もしくは派遣社員になり,低収入。)
(3) 大学・研究所の研究助手(含公務員)
(常勤の研究助手のポジションは、人員削減で消滅し、今は殆ど無い。バート並みの扱いのアルバイト的な職(2-3年任期)のみ。時給850-1500円程度。年収200-300万程度。これでは家庭も持てない)
(4)大学・高専・高校・中学などの科学教育者。
(一番可能性はあるが、小中高の学校の先生は、院卒を嫌う。東京都などでは、院卒は問題校に回されることが多く、新任で進学校に配属される例は殆どない。教師の世界も、高学歴差別が強い。むしろ、塾講師の方が多い。)

博士卒やポスドクは、報われない。職が無いのは、日本の雇用慣行による部分が大きく、一筋縄では改善し得ない。
毎年、上位の5%程度が大学や研究所に職を得る。
それ以外は中小を主体とした企業、塾講師、あるいは、パート扱いの補助員、家事手伝いとなる。、無職・不明も1割近くいる。
弁理士並みの難関をパスし、大学や研究所に職を得ても、年間50万円以下の研究費しかつかず、外部資金を取らねば研究も出来ない。給料も修士卒で企業就職した人よりも安い。
この、2-30倍以上の難関を勝ち抜いて得た大学や研究所の職も、5年のテニュアトラックで、先の保証はない。テニュアが取れないと、年齢が高い分、再就職は不利になる。
こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。
毎年、上位の5%程度が大学や研究所に職を得る。
それ以外は中小を主体とした企業、塾講師、あるいは、パート扱いの補助員、家事手伝いとなる。、無職・不明も1割近くいる。
弁理士並みの難関をパスし、大学や研究所に職を得ても、年間50万円以下の研究費しかつかず、外部資金を取らねば研究も出来ない。給料も修士卒で企業就職した人よりも安い。
この、2-30倍以上の難関を勝ち抜いて得た大学や研究所の職も、5年のテニュアトラックで、先の保証はない。テニュアが取れないと、年齢が高い分、再就職は不利になる。
こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。

元祖???さん。もちろん、上記のは「理想型」、「夢」です。だから、(3)(4)の拡充((2)もですが)が必要、なのです。
それから付け足すと、年齢制限の真実なる(制度上だけではない)撤廃と、すべての場合、最低限、修士卒と同等の待遇が実現されるべき。 それには、学歴(学校歴ではない)がきちんと社会で評価されるように根本から変えないといけませんけどね。 (これ書くと、「学歴インフレになってだめ」とかまた書く人いるでしょうけど)
>こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。
悲しいけど、同感。つくづく、日本国民はあほですね。
それから付け足すと、年齢制限の真実なる(制度上だけではない)撤廃と、すべての場合、最低限、修士卒と同等の待遇が実現されるべき。 それには、学歴(学校歴ではない)がきちんと社会で評価されるように根本から変えないといけませんけどね。 (これ書くと、「学歴インフレになってだめ」とかまた書く人いるでしょうけど)
>こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。
悲しいけど、同感。つくづく、日本国民はあほですね。

僕はベンチャーに行くんですけど、給料安いしいつ潰れるかわかりません。しかし、今多くのポスドクはベンチャーなんて嫌だなと思っているかもしれませんが、高齢ポスドクの切捨てはこの世界ではもう既定方針なので、需給関係からすると今条件が悪いとおもっているところにさえ就職できなくなってしまわないかと思っています。
Mさん
後よく中小企業に行けという人がいるんですが、これはどういう会社を指しているんですか?地方地場産業で研究開発って???ちょっと想像できないんですね。実際にそういうところにいったポスドクがいるんでしょうか?ポスドク叩きでないならもう少し詳しい情報を出してください。
Mさん
後よく中小企業に行けという人がいるんですが、これはどういう会社を指しているんですか?地方地場産業で研究開発って???ちょっと想像できないんですね。実際にそういうところにいったポスドクがいるんでしょうか?ポスドク叩きでないならもう少し詳しい情報を出してください。

やっぱり正月は樹海かな。

>>趣味の社会学様
私も同感です。
>> こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
>> 博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
>> 日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。
> 悲しいけど、同感。つくづく、日本国民はあほですね。
科学の振興とか、新聞が報道しているが、悪い冗談だと思う。
これだけ、人生で不利な条件を付けて、科学を振興するつもりが
あるのだろうか?
同様の問題は法科大学院でも起きる。日本の街をシャッター街だらけにした改正大店法も、法曹職を骨抜きにする法科大学院も、農村をさらに過疎化させた支援の取りやめも、「年次改革要望書」という米国の日本への内政干渉を目的とした文書を小泉バカ内閣が実行したから。。米国の目的は自国の利益だから、日本が実行したら、日本が不利益を蒙り社会がすさむのも明らかだ。
おそらくは、ポスドク制度や科学のファンディングも根っこは同様の気がする。マスコミは何故か米国の内政干渉を報道しないし、内政干渉に触れた評論家を番組から外している。
「年次改革要望書」とgoogleで検索すれば出てくる。
私も同感です。
>> こんなに、著しく不利な雇用条件で、誰が、科学に携わろうと思うだろう。
>> 博士進学やポスドクは、人にはお勧めしない。
>> 日本の未来は暗いが、それも、国民が望んだことだと思う。
> 悲しいけど、同感。つくづく、日本国民はあほですね。
科学の振興とか、新聞が報道しているが、悪い冗談だと思う。
これだけ、人生で不利な条件を付けて、科学を振興するつもりが
あるのだろうか?
同様の問題は法科大学院でも起きる。日本の街をシャッター街だらけにした改正大店法も、法曹職を骨抜きにする法科大学院も、農村をさらに過疎化させた支援の取りやめも、「年次改革要望書」という米国の日本への内政干渉を目的とした文書を小泉バカ内閣が実行したから。。米国の目的は自国の利益だから、日本が実行したら、日本が不利益を蒙り社会がすさむのも明らかだ。
おそらくは、ポスドク制度や科学のファンディングも根っこは同様の気がする。マスコミは何故か米国の内政干渉を報道しないし、内政干渉に触れた評論家を番組から外している。
「年次改革要望書」とgoogleで検索すれば出てくる。

>元祖???さま
付け加えさせていただくならば、例の欠陥住宅の件もアメリカの要望でしたよね。
私は右翼は大嫌いですが、こんなご時勢になると反米右翼に望みをたくそうとする人間が増えるのは、少し理解できるような気がします。伝統的な左翼は常勤・正社員以外の人間には冷たいですしね。
でも、
>食い詰め博士さま
もちろん冗談でしょうが、こんなんで樹海に行ってしまっては、それこそ犬死です。なんとか自分の知識と技術を少しでも活かせる職場にもぐりこみ、そこで一定の存在感を出し、貧乏でも楽しく暮らす術を見つけましょう。それが一番の社会に対する「復讐」であり、なおかつ(逆説的ではありますが)一番の「社会貢献」でしょう。
付け加えさせていただくならば、例の欠陥住宅の件もアメリカの要望でしたよね。
私は右翼は大嫌いですが、こんなご時勢になると反米右翼に望みをたくそうとする人間が増えるのは、少し理解できるような気がします。伝統的な左翼は常勤・正社員以外の人間には冷たいですしね。
でも、
>食い詰め博士さま
もちろん冗談でしょうが、こんなんで樹海に行ってしまっては、それこそ犬死です。なんとか自分の知識と技術を少しでも活かせる職場にもぐりこみ、そこで一定の存在感を出し、貧乏でも楽しく暮らす術を見つけましょう。それが一番の社会に対する「復讐」であり、なおかつ(逆説的ではありますが)一番の「社会貢献」でしょう。

>> 趣味の社会学様
> 付け加えさせていただくならば、例の欠陥住宅の件もアメリカの
> 要望でしたよね。
建築基準の審査を必要以上に厳しくし、マンションなどが売れなくなっている問題ですね。
もうひとつ、付け加えると、郵政民営化も、年次改革要望書を実行したに過ぎないこと。郵便事業は黒字で、日本の財政赤字とは無関係。自民党の国会議員が反対したのも当然だと思う。マスコミは「抵抗勢力」と煽っていたけれど。
自分は反米でないし、在米経験もあるが、すべてアメリカの言う通りでは問題が多すぎる。
脱線してすみません。話をポスドク問題に戻しましょう。
>>食い詰め博士さま
気持ちはわかりますが、そのときに選べるものの中で、一番ましなものを選んでいけば、きっと未来が開けると思います。
そう思ってがんばりましょう。
> 付け加えさせていただくならば、例の欠陥住宅の件もアメリカの
> 要望でしたよね。
建築基準の審査を必要以上に厳しくし、マンションなどが売れなくなっている問題ですね。
もうひとつ、付け加えると、郵政民営化も、年次改革要望書を実行したに過ぎないこと。郵便事業は黒字で、日本の財政赤字とは無関係。自民党の国会議員が反対したのも当然だと思う。マスコミは「抵抗勢力」と煽っていたけれど。
自分は反米でないし、在米経験もあるが、すべてアメリカの言う通りでは問題が多すぎる。
脱線してすみません。話をポスドク問題に戻しましょう。
>>食い詰め博士さま
気持ちはわかりますが、そのときに選べるものの中で、一番ましなものを選んでいけば、きっと未来が開けると思います。
そう思ってがんばりましょう。

大学は教育機関であって、研究機関ではない。なのになぜ、こうも自然に大学ポストが研究をずっと続けてきた研究者である自分の、あるべきポジションと考えられるのか、おかしくて仕方がない。
研究の先端において知を生み出す能力があることと、他人が知を生み出すのを助けることには、異なるベクトルの能力が要求される。現状の大学院教育は、他人が知を生み出すのを助けることに関してただの一度も、何らの専門教育も受けていない人物が、ただ教員のポジションにありついたというだけで、教育者面をするというのが実態。そんな教育を誰が進んで受けたいと思うんだろうか。
そんな人物から得られる教育なんて、その研究分野の専門知識や研究方法しかないし、それは世の中で必要とされる能力ともまた異なる。
それ以外の普遍的な問題解決力等は、与えられた環境で伸びただけであって、別に教員からの教育を受けたことでで伸びたわけではない。そんな教育は世の中から必要とされなくて当然でしょ?
研究をやってないと研究の指導ができないというのであれば、教育を施す訓練を受けていないと教育なんてできるはずがない。
研究の先端において知を生み出す能力があることと、他人が知を生み出すのを助けることには、異なるベクトルの能力が要求される。現状の大学院教育は、他人が知を生み出すのを助けることに関してただの一度も、何らの専門教育も受けていない人物が、ただ教員のポジションにありついたというだけで、教育者面をするというのが実態。そんな教育を誰が進んで受けたいと思うんだろうか。
そんな人物から得られる教育なんて、その研究分野の専門知識や研究方法しかないし、それは世の中で必要とされる能力ともまた異なる。
それ以外の普遍的な問題解決力等は、与えられた環境で伸びただけであって、別に教員からの教育を受けたことでで伸びたわけではない。そんな教育は世の中から必要とされなくて当然でしょ?
研究をやってないと研究の指導ができないというのであれば、教育を施す訓練を受けていないと教育なんてできるはずがない。



学問というものは、これまでの研究成果で得た知識の蓄積でもあるわけで、したがって、大学教育も、教科書にあることを伝えるだけではなく、教科書に載っていないことを開拓していく、及び誤りを正していくことを教えるのも重要なわけです。
私もその両方に携わりたいとずっと思ってきたのですが、まあ、無理なのかもしれませんね。
私もその両方に携わりたいとずっと思ってきたのですが、まあ、無理なのかもしれませんね。

大学は研究と教育を同時に行う機関であり、大学院は研究に重点がおかれる、という事らしいです。
大学の劣化が言われていますが、最近ではもしかすると、小学並みの稚拙な思考を綴った文章をかいても、進級できてしまうのでしょうか。
大学の劣化が言われていますが、最近ではもしかすると、小学並みの稚拙な思考を綴った文章をかいても、進級できてしまうのでしょうか。

>大学は研究と教育を同時に行う機関であり、大学院は研究に重点がおかれる、という事らしいです
だったら、両者を組織として分けるべきではないでしょうかね。
(1)研究する一方で大学学部=教育に重点を置いた大学と、研究中心の大学院に重点を置いた大学に分ける
もしくは
(2)同一大学内で、学部を中心的に担当する教員と、大学院を中心的に担当する教員に分ける。
しかも、教育と研究の評価は対等のものとして(とりあえず、基本給は大学学部担当教員も大学院担当教員も同一、など)。
しかも、単純に考えると、大学教員の雇用がほぼ倍増するので、PD就職先対策にもなります。少子化による学部生呼び込み対策としてもレベルの高い教育は、今後ますます重要になってくるでしょう。まさに一石二鳥。
だったら、両者を組織として分けるべきではないでしょうかね。
(1)研究する一方で大学学部=教育に重点を置いた大学と、研究中心の大学院に重点を置いた大学に分ける
もしくは
(2)同一大学内で、学部を中心的に担当する教員と、大学院を中心的に担当する教員に分ける。
しかも、教育と研究の評価は対等のものとして(とりあえず、基本給は大学学部担当教員も大学院担当教員も同一、など)。
しかも、単純に考えると、大学教員の雇用がほぼ倍増するので、PD就職先対策にもなります。少子化による学部生呼び込み対策としてもレベルの高い教育は、今後ますます重要になってくるでしょう。まさに一石二鳥。

たとえば、アメリカには、大学院はぱっとしないけれど研究者としてもなかなかの力量のある教員によるきめ細かな学部教育で、学部段階としてはアメリカ国内ではアイビーリーグ校よりも有名な大学ってあるじゃないですか。あんな感じの大学があってもいいと思うんですよね。
でも、日本の現状だと、大学院の規模や研究成果だけでその大学機関・教員が評価され、予算にも影響が出る・・・という仕組みですよね。つまり、相変わらず評価基準が「研究>>>>>>教育」で一元的。
でも、日本の現状だと、大学院の規模や研究成果だけでその大学機関・教員が評価され、予算にも影響が出る・・・という仕組みですよね。つまり、相変わらず評価基準が「研究>>>>>>教育」で一元的。


研究中心大学と、教育中心大学に分ける。
そんなつもりで、文科省は交付金や研究費を傾斜配分してるんだろう。
結果は、地方大学で研究が出来なくなり、院生や学部生の教育レベルが
下がり、科学技術の層が薄くなっただけ。
そんなつもりで、文科省は交付金や研究費を傾斜配分してるんだろう。
結果は、地方大学で研究が出来なくなり、院生や学部生の教育レベルが
下がり、科学技術の層が薄くなっただけ。

> 大学院はぱっとしないけれど研究者としてもなかなかの力量のある
> 教員によるきめ細かな学部教育で、学部段階としてはアメリカ
> 国内ではアイビーリーグ校よりも有名な大学ってあるじゃないですか。
具体的に学校名を挙げてくれ。イメージできない。
> 教員によるきめ細かな学部教育で、学部段階としてはアメリカ
> 国内ではアイビーリーグ校よりも有名な大学ってあるじゃないですか。
具体的に学校名を挙げてくれ。イメージできない。

>Mさん
後よく中小企業に行けという人がいるんですが、これはどういう会社を指しているんですか?地方地場産業で研究開発って???
ヒント:ニッチトップ企業、地方製薬、地方機械製造業など、、。あまり詳しく言うと身元が割れるのでこの程度で。
まあ、大学で長年教えてると将来が安心な院生と不安を感じる院生がいます。前後3学年でトップクラスならまあO.K.優秀な人は4年生やM1 でも完璧な仕事セミナーや文献紹介セミナーをするから、だいたいそれで分かりますね。もちろん、これは逆転することもあるので、皆諦めきれないのですが、、。他人より良い研究アイデアを持っているならあちこちに自分を売り込んで頑張ったらいいし、そうでもないなら早めに見切りをつけるべきだと思います。
後よく中小企業に行けという人がいるんですが、これはどういう会社を指しているんですか?地方地場産業で研究開発って???
ヒント:ニッチトップ企業、地方製薬、地方機械製造業など、、。あまり詳しく言うと身元が割れるのでこの程度で。
まあ、大学で長年教えてると将来が安心な院生と不安を感じる院生がいます。前後3学年でトップクラスならまあO.K.優秀な人は4年生やM1 でも完璧な仕事セミナーや文献紹介セミナーをするから、だいたいそれで分かりますね。もちろん、これは逆転することもあるので、皆諦めきれないのですが、、。他人より良い研究アイデアを持っているならあちこちに自分を売り込んで頑張ったらいいし、そうでもないなら早めに見切りをつけるべきだと思います。

>コメントさん
>単純に考えると、教員数は増えずに、教育活動も研究活動も半分になるだけでしょう
>研究中心大学と、教育中心大学に分ける。そんなつもりで、文科省は交付金や研究費を傾斜配分してるんだろう。結果は、地方大学で研究が出来なくなり、院生や学部生の教育レベルが下がり、科学技術の層が薄くなっただけ。
現状のまま行けば、そうですね。だって、相変わらず、「研究>>>>教育」という一元的な評価基準しかないんですからね。そのうえ、教育も研究も教員数を増やさないでやろうとしていますから。
そうではなくて、「教育は将来への投資」と(社会全体が)考えて教員数を倍増する&教育中心大学も研究中心大学も(あるいは、学部担当教員と院担当教員も)それぞれ特色がある大学(教員)として対等に評価し、予算配分もそれ相応に遇する ようにすればよいと思うのですが。
>単純に考えると、教員数は増えずに、教育活動も研究活動も半分になるだけでしょう
>研究中心大学と、教育中心大学に分ける。そんなつもりで、文科省は交付金や研究費を傾斜配分してるんだろう。結果は、地方大学で研究が出来なくなり、院生や学部生の教育レベルが下がり、科学技術の層が薄くなっただけ。
現状のまま行けば、そうですね。だって、相変わらず、「研究>>>>教育」という一元的な評価基準しかないんですからね。そのうえ、教育も研究も教員数を増やさないでやろうとしていますから。
そうではなくて、「教育は将来への投資」と(社会全体が)考えて教員数を倍増する&教育中心大学も研究中心大学も(あるいは、学部担当教員と院担当教員も)それぞれ特色がある大学(教員)として対等に評価し、予算配分もそれ相応に遇する ようにすればよいと思うのですが。

「学部教育で定評のあるアメリカの大学」としては、有名なリベラル・アーツ・カレッジ(Williams, Amherst, Swarthmore など)や学部教育で定評のある州立大なんかを念頭に置いて書いていました。
もちろん、アメリカと日本では資金面での差がありすぎますし、アメリカでは学部は文理の総合教育(リベラル・アーツ)が基本なので学部教育をしっかりやることが評価されやすい背景があります。ですから、アメリカ式をそのまま取り入れろというわけではありません。
ただ、日本の大学の現状を支えている前提となる考え方(「研究>>>教育」の評価基準。しかも実はこれではコメントさんが書いておられるように研究の低下も招いてしまっている)を見直すことは、決定的に必要だと思います。
もちろん、アメリカと日本では資金面での差がありすぎますし、アメリカでは学部は文理の総合教育(リベラル・アーツ)が基本なので学部教育をしっかりやることが評価されやすい背景があります。ですから、アメリカ式をそのまま取り入れろというわけではありません。
ただ、日本の大学の現状を支えている前提となる考え方(「研究>>>教育」の評価基準。しかも実はこれではコメントさんが書いておられるように研究の低下も招いてしまっている)を見直すことは、決定的に必要だと思います。

大学院の時代に合わせた改革は、間違いなく必要で、実際いま目に見えぬ程ゆっくりとかも知れませんが、そろりと始まっています。
ただそれは、主要には、今後の日本の生き残りに必須な日本の研究開発力の増進の為であって、さらには高い学術文化水準のもたらすプレステージの為でしょう。この後者はお金に勘定できないほど強い価値、競争力の源泉です。
ただこれは、ポスドク問題の解決とは必ずしも結びつきません。たとえば日本が強い競争力を誇る物理では、むかしから無数の若手の屍の上に極少数の成功者が生まれるという構造でした。研究、教育が>>>>や<<<<という話にいたっては基本的に頓珍漢。
ただそれは、主要には、今後の日本の生き残りに必須な日本の研究開発力の増進の為であって、さらには高い学術文化水準のもたらすプレステージの為でしょう。この後者はお金に勘定できないほど強い価値、競争力の源泉です。
ただこれは、ポスドク問題の解決とは必ずしも結びつきません。たとえば日本が強い競争力を誇る物理では、むかしから無数の若手の屍の上に極少数の成功者が生まれるという構造でした。研究、教育が>>>>や<<<<という話にいたっては基本的に頓珍漢。

今まで日本の経済発展を支えてきた世界の工場としての物作りは人件費の安いBRICsに移りつつあるので、これからの日本は今までの欧米のように専門技術を提供する側にならなければいけません。
熟練だけが必要な単純作業であれば、企業に就職してからの教育訓練で補うことができます。
しかし、今のような科学技術全盛の時代に、その元となる専門性の高いアイディアを生み出すためには、最先端の研究を開拓していかなければいけません。また、その技術の進展も経済状況の変化も早いので、昔のように自前で人材を育てるほどのゆとりは、多くの企業にはありません。
だから、専門性が高く(自分の専門分野とその周辺分野に精通し、海外の専門家と対等に英語でコミュニケーションでき)、急な状況の変化にも素早く適切に対応できるように教育訓練された人材を、大学院が輩出してくれれば良いのだと思います。
一般に、現場の物作りのような川下側よりも、アイディアを提供する川上側の方がコストパフォーマンスは良いので、川上にいる専門家の方が給与は高くなるはずです。
熟練だけが必要な単純作業であれば、企業に就職してからの教育訓練で補うことができます。
しかし、今のような科学技術全盛の時代に、その元となる専門性の高いアイディアを生み出すためには、最先端の研究を開拓していかなければいけません。また、その技術の進展も経済状況の変化も早いので、昔のように自前で人材を育てるほどのゆとりは、多くの企業にはありません。
だから、専門性が高く(自分の専門分野とその周辺分野に精通し、海外の専門家と対等に英語でコミュニケーションでき)、急な状況の変化にも素早く適切に対応できるように教育訓練された人材を、大学院が輩出してくれれば良いのだと思います。
一般に、現場の物作りのような川下側よりも、アイディアを提供する川上側の方がコストパフォーマンスは良いので、川上にいる専門家の方が給与は高くなるはずです。

細かい事で申し訳ありませんが:世界の工場は「BRICS」に「移りつつある」ではなく、「China」に「移って久しい」ですよね。日本の産業が今なんとか持ちこたえているのは、そのChinaへの生産資材、生産技術、資金の主要供給源としてです。遠からずどれもChinaが自前で供給できるようになるのは目に見えているので、米国と並ぶような、さらに上流の痴的資産の供給源に自己変革を遂げないと、それも今すぐ始めないと、日本の今の生活水準の保持すら危ういのが実情です。

大学が研究機関か就職予備校かといえば、一般的な価値観では後者なんだけどね。今では理系修士課程までも就職予備校としてとらえられているんじゃないかな。
でも、なぜか大学に関わる人間は後者であることを蔑み、前者に価値を置くことがきわめて多い。教育というキーワードで予備校的な中等教育の知識詰め込み、と短絡して反発するケースも目立つ。
世の中で必要とされるスキルのうち、どのスキルを研究を通して身につけられるか、なぜそれが身に着くか、身につけさせるスキームやシステムは何か、そのために研究者ができる教育は何なのか、高等教育のスキルはただ研究やってる人間に簡単に身につくようなものではない。教員に求められるのは高等教育を担える技能であり、純粋に研究がやりたいのならどこかの国研にでもいけばいいと思う。国研じゃなくてなぜ大学なのか、その辺の説明ができなければ学生にとっても教員にとってもお互いに不幸になるだけでしょう。
でも、なぜか大学に関わる人間は後者であることを蔑み、前者に価値を置くことがきわめて多い。教育というキーワードで予備校的な中等教育の知識詰め込み、と短絡して反発するケースも目立つ。
世の中で必要とされるスキルのうち、どのスキルを研究を通して身につけられるか、なぜそれが身に着くか、身につけさせるスキームやシステムは何か、そのために研究者ができる教育は何なのか、高等教育のスキルはただ研究やってる人間に簡単に身につくようなものではない。教員に求められるのは高等教育を担える技能であり、純粋に研究がやりたいのならどこかの国研にでもいけばいいと思う。国研じゃなくてなぜ大学なのか、その辺の説明ができなければ学生にとっても教員にとってもお互いに不幸になるだけでしょう。

>>psdさま
大学院の教育はスキルを覚えさせることではないのです。
スキルを求めるなら、機械や工員でいい。。
大学院は、自ら企画立案し、何を学べば良いかを論文を読んで、
あるいは学会に出て見出し、切り開く能力を身につける場。
修士は、自分で企画立案し、実験結果を出せるレベルが求められている。どうすれば良いか、教員にお伺いを立てているようでは院生としては、だめ。
技術の進歩は早く、あっという間に過去のものになる。
スキルしか持たない奴は、錆びついて使い物にならなくなるが、企画力があれば、新しい技術に対応し、新しい世界を切り開くことができる。。
予備校型の知識重視の教育では、それは難しいと思う。
大学院の教育はスキルを覚えさせることではないのです。
スキルを求めるなら、機械や工員でいい。。
大学院は、自ら企画立案し、何を学べば良いかを論文を読んで、
あるいは学会に出て見出し、切り開く能力を身につける場。
修士は、自分で企画立案し、実験結果を出せるレベルが求められている。どうすれば良いか、教員にお伺いを立てているようでは院生としては、だめ。
技術の進歩は早く、あっという間に過去のものになる。
スキルしか持たない奴は、錆びついて使い物にならなくなるが、企画力があれば、新しい技術に対応し、新しい世界を切り開くことができる。。
予備校型の知識重視の教育では、それは難しいと思う。


>>LSDさん
skillという英語の意味は、下記のとおり。
skill: 1.(知識、訓練で身につけた)腕前、技量。2.(作業、演技などでの)熟達した腕前。3.(特殊な訓練を要する)技能。
(ランダムハウス英和大辞典より)
つまり、意訳すると、「技巧」とか「技(わざ)」になります。
大学院で学ぶべき企画立案能力は、skillではないです。技(わざ)がなくとも、企画立案能力は示せますから。。。
skillという英語の意味は、下記のとおり。
skill: 1.(知識、訓練で身につけた)腕前、技量。2.(作業、演技などでの)熟達した腕前。3.(特殊な訓練を要する)技能。
(ランダムハウス英和大辞典より)
つまり、意訳すると、「技巧」とか「技(わざ)」になります。
大学院で学ぶべき企画立案能力は、skillではないです。技(わざ)がなくとも、企画立案能力は示せますから。。。


「企画立案能力はskillではない」というお考えを仮に正しいと仮定しても・・・
>技(わざ)がなくとも、企画立案能力は示せます
技(技術)があるからと言って企画立案能力があるというわけではないでしょうが、技が無ければ企画立案も困難なのでは?
博士課程修了者の強みはあくまでも企画立案能力(のはず)ですが、技(技術)という基礎力を否定する必要もないでしょう。
>技(わざ)がなくとも、企画立案能力は示せます
技(技術)があるからと言って企画立案能力があるというわけではないでしょうが、技が無ければ企画立案も困難なのでは?
博士課程修了者の強みはあくまでも企画立案能力(のはず)ですが、技(技術)という基礎力を否定する必要もないでしょう。

教員にお伺いを立てているようではだめ、というのは学生の心意気の問題であって、教育を施す側の正当な主張にはなりえません。それを実行に移すのは単なる仕事の放棄・怠慢です。
教員にお伺いを立てないで進められるような学生を育てるには、何を教え授ければよいかを考え、環境を整えて適切に導くのが教育者の仕事です。それは研究一辺倒でやってきた人間にはまずできない芸当と思うわけです。
たとえば企画立案能力にしても、そりゃ特定の環境に学生を置いて放っておけば、うまくいく奴は勝手に身に付けることもあるでしょう。でも、それって学生が自分で身につけたものであって、教育で身に付いたものとは違うわけです。注意を払い、発達段階に応じて導くというケアなしに、環境の提供だけで教育と言い張るのは無理があるでしょうね。研究者のみの養成機関であった時代ではそれでもよかったのでしょうけど、研究機関で大学院生の就職を吸収できないのですから、真の高等教育を施すノウハウを教員が身につけることは必須でしょう。率直に、大学は研究者なんか本質的には必要とはしていないと思います。
教員にお伺いを立てないで進められるような学生を育てるには、何を教え授ければよいかを考え、環境を整えて適切に導くのが教育者の仕事です。それは研究一辺倒でやってきた人間にはまずできない芸当と思うわけです。
たとえば企画立案能力にしても、そりゃ特定の環境に学生を置いて放っておけば、うまくいく奴は勝手に身に付けることもあるでしょう。でも、それって学生が自分で身につけたものであって、教育で身に付いたものとは違うわけです。注意を払い、発達段階に応じて導くというケアなしに、環境の提供だけで教育と言い張るのは無理があるでしょうね。研究者のみの養成機関であった時代ではそれでもよかったのでしょうけど、研究機関で大学院生の就職を吸収できないのですから、真の高等教育を施すノウハウを教員が身につけることは必須でしょう。率直に、大学は研究者なんか本質的には必要とはしていないと思います。

自分の研究内容であれば、何かわからないけど適当に条件与えてしばらくインキュベートすれば、うまくいくケースとうまくいかないケースができた、理由はわからない。なんて考察や結果を絶対に許さないでしょう。研究者であるならば、教育についても同様にあてはめてみる必要はあるのではないでしょうか。
多分その程度のごく当たり前のことが成り立たないから、大学教育は世間から虚仮にされているわけであり、その教育の産物である博士が世の中から必要とされないわけです。そういう時代において、なおも教育者ではなく研究者を大学の教員として雇用するスキームを維持しようとする部分が、荒唐無稽であるように思われるのです。
多分その程度のごく当たり前のことが成り立たないから、大学教育は世間から虚仮にされているわけであり、その教育の産物である博士が世の中から必要とされないわけです。そういう時代において、なおも教育者ではなく研究者を大学の教員として雇用するスキームを維持しようとする部分が、荒唐無稽であるように思われるのです。

>>psd様
> 教員にお伺いを立てているようではだめ、というのは学生の
> 心意気の問題であって、教育を施す側の正当な主張には
> なりえません。それを実行に移すのは単なる仕事の放棄・怠慢です。
また決め付けかよ。俺は大学教員ではない。
> 多分その程度のごく当たり前のことが成り立たないから、大学教育は
> 世間から虚仮にされているわけであり、その教育の産物である博士が
> 世の中から必要とされないわけです。
自分の考え=世の中 とは恐れ入った。
俺はあんたと正反対の考えだ。
研究者が大学教員であるべきだ。予備校的教育は、学部程度までだ。
今の大学教員は頑張っていると思う。
俺は、大学院教育が、「世間から虚仮にされている」とは思わない。
世間は、博士の使い方を知らず、風評で判断している。
psdさんの書き込みも、大学院卒には思えない。
以上。
俺は、大学教員、ポスドクではなく、社会人。あんたの書き方でいうと
世間の一人だ。
> 教員にお伺いを立てているようではだめ、というのは学生の
> 心意気の問題であって、教育を施す側の正当な主張には
> なりえません。それを実行に移すのは単なる仕事の放棄・怠慢です。
また決め付けかよ。俺は大学教員ではない。
> 多分その程度のごく当たり前のことが成り立たないから、大学教育は
> 世間から虚仮にされているわけであり、その教育の産物である博士が
> 世の中から必要とされないわけです。
自分の考え=世の中 とは恐れ入った。
俺はあんたと正反対の考えだ。
研究者が大学教員であるべきだ。予備校的教育は、学部程度までだ。
今の大学教員は頑張っていると思う。
俺は、大学院教育が、「世間から虚仮にされている」とは思わない。
世間は、博士の使い方を知らず、風評で判断している。
psdさんの書き込みも、大学院卒には思えない。
以上。
俺は、大学教員、ポスドクではなく、社会人。あんたの書き方でいうと
世間の一人だ。

>>psdさん
もしあんたが、マスコミ関係者で、大学院にかよった経験が無いなら、うわべの取材で決め付ける前に、社会人入学で、国立大学の大学院(私大は駄目)に在籍してみることを勧める。自分の目で確かめてもらいたい。
院卒なら、相当の、落ちこぼれで、論文も書いた経験が無い奴だろう。
もしあんたが、マスコミ関係者で、大学院にかよった経験が無いなら、うわべの取材で決め付ける前に、社会人入学で、国立大学の大学院(私大は駄目)に在籍してみることを勧める。自分の目で確かめてもらいたい。
院卒なら、相当の、落ちこぼれで、論文も書いた経験が無い奴だろう。

今さらですが、何でPDや非常勤は旧育英会(現日本学生支援機構)の免除職にならないんでしょうね。これだけ「お国」のために働いているのに・・・。
(あ、免除職廃止されたのは知っていますよ。でも、職に困っているPDって、2004年以前の免除職適用期間の人たちが多いはずなので)
(あ、免除職廃止されたのは知っていますよ。でも、職に困っているPDって、2004年以前の免除職適用期間の人たちが多いはずなので)