5号館を出て

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失敗した実験にも愛の手を

 あまり詳しい情報を持ち合わせていないのですが、土曜日に行われた実験でカムイロケットの打ち上げに失敗したようです。3機打ち上げる予定だったものの、1機目に打ち上げたロケットのパラシュートが開かず、テントに落下するという事故になったようで、2機目・3機目の打ち上げは中止になったとニュースで聞きました。

 カムイロケットは、NPO法人北海道宇宙科学技術創成センターが開発を続けている道産ロケットです。ホームページにも簡単な報告がありますが、「▼詳細につきましては資料を準備中ですので、暫くお待ちください」とのことです。

 司令部となっていたテントには打ち上げスタッフがいたようですが、幸いなことに誰にもケガがなかったことを、まずは喜びたいと思います。

 そもそも研究過程における実験などとというものは、基本的に失敗するためにやるようなものなので、失敗は当たり前です。いかにダメージ少なく失敗し、その失敗からいかにたくさんのものを得るかというのが研究者の能力と言っても良く、科学者の能力はいかに失敗が少ないかということではなく、いかに失敗を次の展開に生かせるかということです。

 もちろん、無駄に失敗を続けるならば、それは科学者としての資質を疑われても仕方がないのかもしれませんが、失敗しないことが科学者の能力であるというような判断をされるようならば、その社会では「新しい研究」をするなと言っているに等しく、研究のオリジナリティが高ければ高いほど、また目標が高ければ高いほど失敗は多くなるはずで、実験をやったことのある人ならば誰でもが「失敗は研究者の勲章である」と思っているはずです。

 しかし、研究者同士では宝物であるとは言え、社会的にはやはりいろいろな物議をかもすことも理解できますし、特にロケットの打ち上げなどという一回の実験にかかる人的・時間的・経済的コストの大きなものは成功した時の称賛の大きさに比例するように、失敗した時の失望も大きいものだと思います。

 ただ、実験の失敗で一番落ち込んでいるのは研究者自身ですし、逆に失敗からもっともたくさんのものを吸収できるのも研究者です。

 実験に失敗した研究者にも、成功した研究者と同じくらいのチャレンジに対する賛辞と、時には成功した研究者に対するよりも手厚いサポートが欲しいというのが同じ研究者としての本音です。もちろんその前提として、なぜ実験に失敗したのか、今後どうすれば成功につなげるのかということは経済的サポーターである納税者・政府・企業などなどの方々に厳しく審査してもらうべきだと思いますし、そうした説明や情報公開に真摯に取り組まないようならば、安易にサポートを続けるべきではないと思いますが、カムイロケットを打ち上げようとしている北大工学部の永田先生と制作スタッフのリーダーである植松電機社長の能力と人柄に触れたことのある私は全面的に彼らの研究の支持の継続を訴えたいと思います。

 新聞にも書いてあるように、墜落したにもかかわらず大事にいたらなかったということをポジティブに評価することもできるという意味で、この失敗はある意味で今後の大きな糧になったと確信します。

 確かに一回の失敗が大きいと言う意味では、なかなかつらいものがあった実験ではありましたが、現場で2機目・3機目の打ち上げを中止した永田さん、植松さんの「勇気」を称えるとともに、今後の成功を心から祈りたいと思います。

 がんばれカムイロケット!
by stochinai | 2007-12-10 23:42 | 科学一般 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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