5号館を出て

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ほんとうにスゴイ論文は日本語で書いても外国で読まれる

 私が学生の頃に聞いた話なので、今となっては半世紀も前のことなのかもしれませんが、日本の魚類学が世界をリードしていた時代があったのだそうです。その頃は魚類学に限らず、日本人が書く科学論文の多くは日本語で書かれ、日本国内の雑誌に載っていたのだと思います。ところが、世界中の魚類学者、特にアメリカの魚類学者は日本の魚類学の成果を読みたくて仕方がなかったようで、なんと日本の学術雑誌(「魚類学雑誌」?)がアメリカで翻訳されて流通していたという話を聞きました。

 しかし、その他の業界の論文は日本語で書いても世界の誰も読んではくれなかったようです。つまり日本の科学のレベルが低かった、あるいはほとんど評価されていなかったので、わざわざ翻訳してまでも読んでくれる人がいなかったということなのだと思いますが、すでに何年も前に日本語で論文が書かれていたのとほとんど同じ内容の研究成果が外国人の手によって英語で出版され、そちらがオリジナルな仕事ということで評価され、日本語で書いた論文はまったく相手にもされなかったということもたくさんあったと聞きました。

 私が大学院に入った頃は、すでに研究論文は英語で書かなければ意味がない、という風潮になっていました。事実、日本では誰も興味を持ってくれそうもないような研究をしていても、英語で論文を書いて国際誌に掲載されると、すぐに30~50人の外国の研究者から論文別刷りの請求がきて、うれしかったことを記憶しています。つまり、それほど大したことのない仕事でも、世界に訴えかけるとかならず興味を持ってくれる人が、ある程度の数はいるのだということを知りました。

 というわけで、やはり論文は英語でかかなければ意味がないのかもしれないと思っていたのですが、除雪をしながら先週末2008年01月19日に配信になったヴォイニッチの科学書のポッドキャスティングを聞いていて、ひさびさに上に書いた水産学の話を思い出しました。

 ヴォイニッチの科学書では、磁気ディスクの垂直磁気記録方式のことを話していたのですが、この技術は日本で30年くらい前に発明されて、2004年に製品化されるまで日本が独走していて、アメリカがまったく追いついてこれなかったということがあったのだそうです。その原因のひとつとしてアメリカの議会でIEEEの会長さんだかが証言したところでは、日本で発明された垂直磁気記録方式の論文のほとんどすべてが日本語で書かれており、最近の日本人は英語で論文を書くものだと思ってすっかり油断していたアメリカの研究者達が、日本の研究の進展をまったくフォローすることができなかったということがあるのだというのです。笑い話のような話ですが、終戦直後は日本の水産学の進歩を知りたくて、日本語の論文を翻訳して勉強していたアメリカが、スキを付かれた恰好で垂直磁気記録方式に敗北したというのはなんともおもしろい話だと思いました。ひょっとするとアメリカでは、日本語で書かれたコンピューター関係の学術雑誌の翻訳を開始したかもしれません。

 上にあげた水産学の場合には、特許だとか製品の売り上げだとかに直接かかわることではなかったので、なんとなくのどかな感じがする話ですが、本題である日本の技術や特許が日本語という「暗号」によって海外に流出するのが防がれていたという話は、なかなか痛快なことだと思いました。

 同じ番組のなかで、iPS細胞の山中さんの話もちょっと出てきていましたが、山中さんがマウスを使ってやったオリジナルな研究は2006年に英語で書かれ、超有名誌に載っていましたから、それを読んでたくさんのアメリカ人が同じ研究を開始したのだと思われます。その結果、山中さんがヒトでiPS細胞を作ることに成功した時には、アメリカに追いつかれていました。さらに山中さんの感触でも、産業化などを含めた総合的な進展度合いでは、日本はすでに負けているだろうと思っているようなことを、テレビ(私は見なかったのですが「クローズアップ現代」など)で語っているということも聞きました。

 山中さんの生物学者としての名声が2006年に世界にとどろきわたったのは、英語で有名雑誌に研究成果が載ったからです。と同時に、1年間でアメリカに追いつかれ、ひょっとすると追い越されたかも知れないのは論文が英語で書かれたいたからという理由も少しはあるのかもしれません。

 秘密やお金がからむことになりそうな研究は、やたらと国際語で発表しない方がいいのか、悩みどころですね(^^;)。ただし、成果を盗まれる心配がまったくないような研究成果は、やはり英語で発表しておかないと、外国での職探しなどはできなくなりますし、同じ研究が先に英語で書かれてしまうとオリジナリティすら失う危険もありますので、これは決して日本語で論文を書くことのすすめではありません。

 世の中というものが、複雑に入り組んでいることを考えさせられるエピソードでした。
Commented by さなえ at 2008-01-24 13:59
何回か論文の英訳を頼まれたことがあります。一度、全く意味不明な論文で悲惨な思いをしたことがありました。中等教育に関する論文だったのですが、主語がなく、てにをはがいい加減で、だらだら長い文章の途中で視点が代わり、何がどれを修飾しているのか、何を言いたいのか、混乱の極みでした。他の人にも読んで貰いましたが、お手上げでした。英訳を外注なさる先生方には、美文を狙わず、きちんと文の構造が分かるように論理的に組み立てる作業をお願いしたいです。
Commented by stochinai at 2008-01-24 14:17
 たしかに、日本人同士にとっても暗号としか思えないような「論文」を書かれる先生は、今でもたくさんいらっしゃるようですね。私も他人事と思わずに、気をつけたいと思います。
Commented by alchemist at 2008-01-24 14:54
国内の英文誌の査読をやっていると、理解不能な英語に行き当たることがあります。その場合は、理解不能な英文の元になった日本語を想像すると概ね意味がつかめたりします。で、想像した日本語を元に再び英語になおして(これを英文英訳という)、こんな感じで全体を修正して下さいなどというコメントを付けて返した場合、時々「nativeに見てもらっている英語にクレームをつけるのは怪しからん」という叱声が帰ってきたりして、どっと疲れます。色んなレベルの「英文誌」が存在します。
Commented by m at 2008-01-24 23:40
少数のひと向けの論文にしたがる研究者はよい研究者ではないと思います。
Commented by M at 2008-01-25 12:50
こないだ亡くなられた岡田善雄さんの細胞融合論文は、微研ジャーナルでしたっけ?それで世界には無視されてノーベル賞取れなかったんですよね。
Commented by 小市民 at 2008-01-26 00:48
岡田善雄さんの細胞融合の発見は、最初は阪大の英文の医学雑誌(1957)に発表され、その後はスウェーデンの科学雑誌(1962)にまとまった形で発表されていました。

> 理解不能な英文の元になった日本語を想像すると概ね意味がつかめたりします。で、想像した日本語を元に再び英語になおして(これを英文英訳という)、

WOW!「英文英訳」の事は初めて聞きました。世にもすごい翻訳,すごい解読があるものですね。。。めっちゃ面白かった!
by stochinai | 2008-01-23 21:43 | 科学一般 | Comments(6)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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