5号館を出て

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良い人は悪い人

 退職する方々を送る最終講義や送別会のシーズンです。

 北海道大学の定年は63歳ですから、今年辞められる方はまさに終戦の年昭和20年(1945年)前後に生まれた方ということになります。大学や研究所では65歳定年のところもありますので、そういうところだと終戦の直前に生まれた方が定年を迎えているわけです。

 そうした方々は、終戦のどさくさで非常に苦労された少年時代を送られるとともに、大学の進学率が高くなり始めたといってもせいぜい20%の頃で、大学院進学率となると5%くらいで、大学院へ進学したひとのほとんどが大学教員または国立研究所の研究員になった時代です。

 ですから、そういう方の話を聞いていても、助手や助教授やさらには教授になる時でさえ、たとえ3倍でも競争相手がいると、競争があるということ自体が話題になったというのどかな時代だったようです。私はそのちょっと後になるのですが、それでも公募によって選抜されるということが、まだほとんどない時代でした。

 そういう時代に職を得るということは、その職場の権力者(多くは教授)の一存で決められることが多かったので、採用された側からみると「就職活動」なしに選ばれるわけですから、理由もわからずにありがたいという感覚で感謝の気持ちが述べられることが多いようです。つまり、教授は「とても良い人」になります。

 採用された人はありがたいと思うしかない一方では、自由参加の競争があるわけではありませんので、採用される可能性がある位置にいながらまったく無視されてしまった人もまた存在したわけで、そういう人で現在に至るまでアカデミアに残っている人というのは珍しいでしょうから、退職時期に聞く話としては「**先生のおかげで」とか「**先生に拾われて、今日の私があるのです」という、一見感動の物語に聞こえる話が多いものです。

 しかし、冷静に考えてみると、その人が採用された時点で理不尽に振り落とされた人がいた可能性もまたあるわけで、30年も40年も前のことになってしまうのですが、その時の人事に応募したくてもできなかった人からみると、その教授は「とても悪い人」ということになるでしょう。

 まあ、そうやって選ばれた教員ですから、とんでもない人材が入り込んでしまうこともあったようですが、それと同じくらい優秀な人が紛れ込んでいたのもまた事実でした。

 こうした人事は、大学院重点化・ポスドク1万人計画が出てくるちょっと前あたりから、強い指導のもとに禁止されるようになり、公募であつまった候補者を人事委員会で決定するという人事が普通になって今日に至っているのですが、この方式で選抜された人材が昔の「主観的人事」によるものと比べて、圧倒的に客観的優位性を持っているかと言われると、これもまた首をかしげざるをえないものも、ままあるようです。

 公募であろうがなかろうが、人事委員会があろうがなかろうが、優秀な人材を選ぶことは可能であり、一方で不適切な人事が行われうることもまたどちらも可能だというのが、そこから導き出される結論かも知れません。

 要するに、制度を作ってもうまく使いこなせないし、場合によってはその制度を骨抜きにしてしまう伝統的やり方も持っている我々日本人は、欧米から直輸入した人事考査制度ではダメなのかもしれません。逆にいうと、人あるいは文化を変えることなしに制度だけをいくらいじっても何も変わらないのがこの国の現実なのかもしれません。

 このあたりのことを考えはじめると、もうこの国はダメなのかもしれないと暗くなる今日この頃なのでありました。
Commented by なぜ? at 2008-03-08 06:48 x
 公募制度が機能しないのはどうしてとお考えですか?
H大で上手くいっていないというのは、
1、公募しても業績がある人を選ばない。のか
2、業績がある人を選んでも、その人が優秀とは限らない。
のどちらなのでしょうか?私が見ている大学では1の場合が多いようです。つまり公募は見せ掛けで最初から内部の人や教授の弟子等に決まっているという場合です。
 1の場合は明らかに優秀な人を取ろうと言う気がないのですが、2の場合でも、私自身は例を知りませんが、あまりに杓子定規に論文数とかIFで決めるとだめなのも理解できます。本当の能力にしろ、人間性にしろ、書類審査と面接だけではなくいろいろ関係者に評判を聞いたりすればわかると思うのですが、なぜそうしないのでしょうね。そんなに難しいことだとは思わないのですが・・・。
3、主観を入れるとコネ人事になってしまうという恐怖感があるのか、
4、そもそも教授層に能力人格を見る目のない人が多いのか、
5、さっさと雑用は終わらせたいと思っているのか、
なぜだとお考えですか?
Commented by stochinai at 2008-03-08 07:49
 すべてのケースがあり得ることだと思います。どうすればよいのかというのは比較的簡単で、大学の利益を第一に考える企業と同じ思想に基づく人事委員会を作れば良いのだと思います。人事に直接の利害関係者が力を持ちすぎると会社もつぶれることでしょう。
Commented by パートタイマー労働者 at 2008-03-08 17:31 x
恩師が退職にあたって、やはり「自分は先輩と友人たちのおかげで全ての職を得てきた」と謝辞を述べたとき、関係無いということは重々承知してはいたものの、列席している若手研究者たちへの配慮の無さに怒りを覚えたことがあります。

人事委員会はすばらしい考えですね。しかし、公募すら骨抜きになることもあるのですから、果たしてうまく行くのかよくわかりませんね。

コネで決まるのならそれでいいんです。だったら、もっとその仕組みをオープンにしていただきたい。看板では「公募です」と言っておきながら実は出来レースというのが、一番、困ります。
Commented by 数字の使い方 at 2008-03-08 18:51 x
公募については業績の数を重視する傾向があるように思います。本来であれば業績の質で評価すべきでしょうが、数が重視されるのは選考の客観性・透明性を高めるため、あるいは、説明責任を果たすため、数値に頼らざるを得ないのが実情ではないでしょうか。その結果、数値で測れない何かが抜け落ちることがあるのかもしれません。

競争力を高めるために数値目標を設定することは重要なことですが、社保庁の年金納付率のように、必ずと言っていいほど悪さをするものが出てきます。けしからんことですが、公募の必要のない人事案件まで形式的に公募が出されるのは、公募実施率という数値目標に堪えるためという圧力によるものです。

数字の使い方は難しいですね。
Commented by コメント at 2008-03-09 02:05 x
複雑な気持ちで、読みました。

> 採用される可能性がある位置にいながらまったく無視されてしまった
> 人もまた存在したわけで、そういう人で現在に至るまでアカデミアに
> 残っている人というのは珍しい...

私はその珍しい一人です。教授に嫌われ、1通も推薦書を貰っていません。オーバードクター(無給)と任期付職を、合計10年以上続けました。生き残れたのは、形だけでも公募制度が動き始めたからです。

不完全であっても、制度が存在することは重要だと思います。もちろん、運営次第で、いくらでも、中身が変えられてしまう余地もありますが。。。
Commented by コメント2 at 2008-03-09 04:28 x
欧米の制度も駄目なところはたくさんあります。ただ、駄目さにも程度があり、現状の日本の制度は変えるべき点があるのだと思います。
そうは言っても、人事委員会を作っても必ず失敗と言われる選考は起こります。ひとつは基準が多様で時と共に移ろい変わりゆくものであること(極論すれば特許をたくさんとる研究者がいい研究者だと考えるひともいれば、そうでない人もいる、など。かつ、それが時代によっても変わること)、もうひとつは人間の判断に完璧はないことです。
企業なら採用したけれども使えない人は、やめさせる・人事異動で別のポストにすげ替えるなり(それで力を発揮して会社の役にたつ場合もありますよね)をしているだけで、採用が完璧なわけではないはずです。欧米も、採用した後にも競争や任期切れの際に見直しが入る余地が日本より多いに過ぎないのでは?
Commented by コメント2 at 2008-03-09 04:31 x
もし、日本の大学が企業や欧米とくらべて著しく劣っている点があるとするならば、それは、制度を完璧につくれば謬りが起こらないという思いこみ・大学人である自分たちは間違いをおかさないという思いこみではないでしょうか?
人を採用するときに、失敗する採用があるということを前提としていれば、入り口を変えるだけでは不十分で、入った後の見直しが入る仕組みが重要ということに気づかれると思います。
そのような話にならないのは、既にアカデミックポストに就いている人が、自らの首を絞めるようなことをしたくないからではありませんか?

既にポストに就いている人の入れ替わりが頻繁に起こるようであれば、上の「コメント」氏のような方にも実力を発揮する機会が増えるはずです。
Commented by なぜ? at 2008-03-09 09:19 x
 日本の場合終身雇用で、採用されたら絶対に首にならないというのが大きな問題であることは間違いないですね。欧米ではテヌアになるまでは大変と聞きます。
 人事委員会というのは当事者でない(該当学科の教員は除外する)ということでしょうか?該当学科では採用基準だけを作り、実際の選考はそういう利害の関係ない人でしかも学外の専門家を入れて(該当学科の教員を除いて学内でやると専門家がおらず評価できないという問題が出てしまう)やるというのはベストかもしれません。
Commented by コメント at 2008-03-09 10:30 x
>>なぜ?さん
> 私は残れなかったほうです。

またまた、複雑な気持ちで読みました。
重点化前の大学院では、研究業界に残れた人と、残れなかった人とは、本当に紙一重の違いでした。それは、「指導教授の評価」だけでした。

大部分の教授は、妥当な評価をしましたが、私の指導教授は、教授の趣味(研究とは無関係)にマメに付き合った研究生(論文ゼロ)を助手に採用し、学振研究員の弟子(Natureのfirstも含め10報以上の業績)を追い出しました。こんな無茶苦茶な人事も、20年前の大学では罷り通りました。

最近は、制度が整い、極端な例は消えましたが、やはり、誰が見ても変だと思う人事はやめて欲しいと思います。
Commented by コメント at 2008-03-09 10:33 x
>>コメント2さん
> 既にポストに就いている人の入れ替わりが頻繁に起こるようであれば、上の「コメント」氏のような方にも実力を発揮する機会が増えるはずです。

私はこの意見に反対です。

入れ替わりと簡単に言いますが、難しいです。もし、入れ替わりをするなら、小中高の教員や公務員、会社員、すべて欧米と同様の仕組みにすべきです。アメリカ時代、グラント切れで全員解雇になりましたが、日本のようなストレスはなかったです。社会の中で、職の入れ替わりが多く転職が容易だからです。日本は、社会の中で、職の入替わりが少ないので、ポスドクや研究職からの転職は相当厳しいです。私のポスドク時代の悩みもこの点に尽きました。

ポスドク→大学や研究所の職は数十倍の倍率で、弁理士試験の合格率程度の狭き門です。この倍率を勝ち抜いても、5-10年の任期付なら、私は研究職を辞めるでしょう。日本では、任期付では、家のローンも組めません。また、これだけの倍率を勝ち抜くために、相当消耗します。
Commented by コメント at 2008-03-09 10:34 x
(続き)
コメント2さんは、血のションベンが出るほど、働いたことがありますか?私は、公募で渡って来ましたが、何度も血のションベンが出るほど働きましたよ。もう一度、それをしろと言われたら、研究を辞めると思います。

大切なのは、ポスドクや任期付助教のように、流動化と称し職を不安定化することではなく、一定の確率で失敗があってもいいから、公正な人事をすることです。
Commented by なぜ? at 2008-03-09 21:19 x
コメントさんのコメントに大きな違和感を感じます。

>ポスドクや研究職からの転職は相当厳しいです。私のポスドク時代の悩みもこの点に尽きました。
>もう一度、それをしろと言われたら、研究を辞めると思います

私はもう一度それをしろと言われ、研究は辞め、結局民間のあまり条件の良くないところに就職しました。成果は出ていたのに就職先はなかったからです。
私から見ればコメントさんコメントは職を得た人からの立場のエゴイスティックな意見に見えます。公平な人事をすることはもちろん大事ですが、失敗した人事をすればその分本当は活躍できた人の機会を失うことになるのです。
Commented by なぜ? at 2008-03-09 21:20 x
>ポスドクや任期付助教のように、流動化と称し職を不安定化することではなく、
 相当数の人が「すでに」流動化していて不安定化していることをお忘れになっているように感じます。
大事なのは研究の世界全体が発展することであって現在職にある人の不安をなくすことではありません。そういうことを言う人はもっと立場が悪くもっと不安におびえて生活している人が存在することを忘れています。
全体が発展するためには、一定の確率で失敗があってもいいから、公正な人事をすることではなく、今よりも多くの人が今よりも少し高年齢まで流動化しても、必ずちゃんと仕事をしていれば生き残れる制度にすることです。
Commented by コメント at 2008-03-10 01:20 x
> 相当数の人が「すでに」流動化していて不安定化していることを
> お忘れになっているように感じます。

職が流動化していることは、良く知っています。私がテニュアを得たのは2005年で、今の時代の激しい競争を勝ち抜きました。90年代初めから10年以上任期付を公募で続けてきたのですから。。。

その上で、この競争は無意味で、消耗するだけだと思ったのです。今は、優秀な学生は、博士課程へ進学しなくなり、定員割れになっています。学生にも、博士に行くなと言っています。

むしろ大学院生の数を減らし、入学時に選抜し、さらに、博士の取得の時点で、企業就職か、アカポスかを、選択させる方が日本のシステムに相応しいと思います。そうでないと学生に博士進学を勧められないと思ったのです。

無能な教員を首にしろという「腹いせ」的な意見もわかります。自分もそう思う部分もありますから。。しかし、これ以上任期付の職を増やしても、いいことはありません。終身雇用の日本で、もっとも待遇が悪い職が増えるだけですよ。
Commented by コメント at 2008-03-10 02:07 x
アメリカでも、移籍は2-3箇所で、ポスドク6年以内にテニュアトラックポジションを得ます。日本では、私も含め、アメリカよりも移籍回数の多い人は今は普通にいます。

さらにこれ以上、任期付を増やしたり、職を不安定にするようなやり方は、やりすぎだと思います。。。

それから、公募が公正であることは重要だと思います。公正な公募で成果をあげた者を選抜する必要があります。

職の不安は、私も、よく分かります。しかし、研究に残った人も、去った人も同じ経験をしていると思います。私など10年以上もそれを続けたのですから。。
Commented by コメント at 2008-03-10 02:18 x
>>なぜ?さんへ
> 私はもう一度それをしろと言われ、研究は辞め、結局民間のあまり
> 条件の良くないところに就職しました。

それというのは何でしょうか?私は「テニュアをとること」という意味で書きました。

私は、テニュアをとる事を目標にしてきました。ポスドク~テニュアトラック時代に、殆ど単独で、同業者の誰もが認める成果(学会賞レベル)を出し、テニュアをとりました。

テニュアはチャラで、もう一度元に戻すといわれたら、もう一度同じことをやりたいとは思いません。今の職はアホらしくなり、企業に移るか海外に出ると思います。

上場企業との共同研究は実り、ラボごと移籍する誘いもありましたし、海外なら任期付職ならあります。

こういう気持ちはエゴですか?
Commented by なぜ? at 2008-03-10 08:54 x
 「それ」は今までの成果はちゃらにして、激務をしてもう一度際立った成果をだせ、ということと読みました。
>90年代初めから10年以上任期付を公募で続けてきたのですから。。。
 それは私も同じです。成果を出せといわれて出し、公募にも多数挑戦したら、実はそんなことは就職にはほとんど関係が無かったということがよくわかったので降りたわけです。
 コメントさんの世代(40台前半と見ました)以前だと、博士出てすぐにいきなりテヌア助手になった人が多いと思います。コメント2さんの話はそういう人も含めて対象にしていると思います。今流動化している人の中だけで競争をしろというのではなく、流動化する部分を増していけば実力のある人のチャンスは増えます。アメリカでも40前半ではまだテヌアになっている人は少ないのではないですか?
Commented by なぜ? at 2008-03-10 09:02 x
 自分もポスドク時代はテニュアを目指していました。就職すれば不安な生活から逃れられるぞと。そうなっていればたぶんコメントさんと同じ考え方になっていたと思います。
 しかし今では会社に就職したものの、小さな会社で不安定な状況はポスドク時代と大して変わらないということに気がつきました。これはこの先変わることは無いでしょう。でも考えてみると自由業の人たちは前からこうだったわけです。こういう立場になると、大企業や公務員で終身雇用というのがものすごく贅沢なことに見えてきます。テニュアでないと不安で仕方がないという人が脆弱にも見えてくるんですね。
Commented by なぜ? at 2008-03-10 09:15 x
 コメントさんの意見ではポスドクは廃止で以前の制度に戻せということですね。それはそれで筋が通っています。しかし、ポスドクは現に多数いるし、後戻りは現実的ではありません。また研究の世界だけならそれもできないことは無いかもしれませんが、社会からの要求を考えると昔のようなのどかなことをやってはおられません。研究のレベルを上げる圧力もかかっています。
Commented by なぜ? at 2008-03-10 09:23 x
 この問題、基本的にはパイが小さくなっている(あるいは状況が厳しくなっている)ときの世代間の資源争奪戦問題です。研究の世界だけに限りません。上の世代が今まで享受できたものがしたの世代にはできなくなってきています。それを上の世代はそのままで下にだけ(あるいは特定の世代だけ)に負担が来るというのはフェアではないでしょう。
 コメントさんに限って言えば何度も公募をくぐってこられているので十分テニュアの資格があると思いますが、自分があちら側に行ったらあちら側の人と同じになって梯子を外すようなことをおっしゃるのは如何なものかという気がしないでもありません。
 これはちょっと誠実に答えられているコメントさんには厳しすぎる言い方かもしれませんが、あえてです。
Commented by コメント at 2008-03-10 10:18 x
>>なぜ?さん
いいたいことが、よく分かります。今時間が取れないので、改めてかきこみますが。。。

> 成果を出せといわれて出し、公募にも多数挑戦したら、実は
> そんなことは就職にはほとんど関係が無かった

コネ就職する人も多くいますが、少なくとも自分や、自分の大学院の同期は、公募で勝ち抜きました。
90年代前半は、東大の博士なら、助手になれましたが、地方帝大だと、職が全く無く、無職(オーバードクター)をへて、片道切符で海外ポスドクが半数以上でした。

> アメリカでも40前半ではまだテヌアになっている人は少ない。。

アメリカ時代の同僚ポスドクは、皆テニュアです。40代前半です。30代で自分の岐路に立つようです。

> ポスドクは廃止で以前の制度に戻せ。。。

昔に戻せとは思いません。ポスドク制度は、存続すべきですが、博士院生の数を減らし、ポスドクへの入り口で、絞るべきです。

> 流動化する部分を増していけば実力のある人のチャンスは増えます。

流動的な職は魅力的でしょうか?これだけ不安定だと、実力のある学生は、研究者を目指しません。アメとムチではなく、今の状況はムチだけです。
Commented by そうね at 2008-03-10 11:10 x
教授の給料なんて大企業に行けば30代で越えるからね。
Commented by S at 2008-03-10 11:18 x
なぜ?さんは、北米なみに流動的な人事システムを日本のアカデミズムは取り入れるべきと原則論を出し、コメントさんは、アカデミズムだけ変わっても日本社会全体の非流動的な雇用体質はなかなか変わらず研究者だけが損をすることになってしまうから、ポスドク制度は研究職への第一歩として温存しつつも全体的な教育指導・雇用体制は以前の規模に戻すべきという折衷案を提示している・・・とまとめてみました。

ただし、お二方とも、現に存在している大量のポスドクをどう社会的に活用できるかを考えておられる点では、一致しているように見受けられます。

そこで、別のエントリー(なぜ大学は、大学院生を増やしたか?)からの情報を少し。

石井郁子衆議院議員の発言(元北大生2さんからの情報)によれば、「国立大学が法人化後に削減した人件費は四百七十九億円で、旧国立大学時代の助手の初任給の一万人分です。これだけ、助手や助教の採用を抑制しているのです。非正規雇用の増大は構造改革路線によるものです。」(石井郁子衆議院議員の発言より)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-02-04/ftp2008020404_01_0.html
Commented by S at 2008-03-10 11:29 x
他方、むかし助手でしたさんによると、人件費は削減されている一方で、同時期に競争的研究費のほうは年間あたり1000億円くらい増えているそうです。
http://www.zam.go.jp/pdf/00000050.pdf (p8左側のグラフ)

単純には言えないでしょうが、むかし助手でしたさんがおっしゃるように「パイが増えている(あるいは減っていない)のに、それをポスドク問題への解決(?)に使わなかった」と解釈できるとしたら、この予算の幾分かを助手(助教)・講師・准教授などのポスト拡大に充て、現在研究機関・企業にいるポスドクのうちアカデミア志向の人々に職を与えてはどうでしょう? その一方で、博士課程の院生の数を徐々に減らし、入り口と出口の数が合うようにするのです。

ドクター出すのに国から教育費・研究費を大量に使っておきながら、そうして育てた人材を有効に活用しないなんて、ばかげています。 あやしい調査会社に天下り官僚が再就職できて、立派に研鑽を積んだドクターに安定した就職先が無い日本社会の現状に、憤りを通り越して虚脱感を覚えます。
Commented by 海外ポスドク at 2008-03-15 15:03 x
Sさんのおっしゃるように「助手(助教)・講師・准教授などのポスト拡大」いいですね。日本はアメリカに比較し、ポスドク2期ほどやった後のassistant professorに相当する任期5年程度のPIポストが圧倒的に少ないと思います。もちろん、アメリカでもNatureクラスかその姉妹紙クラスの業績が必要な狭き門ですが。日本でもそういうポストを増やす方向ではあると思うのですが、まだ少なすぎるような気がします。
by stochinai | 2008-03-07 22:49 | つぶやき | Comments(25)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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