5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】

 本日はCoSTEPの修了式でした。

 作品発表会を見ていただいて、ゲストの皆さんに講評をしていただきました。

 竹内薫さん。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_3242599.jpg
 JSTから東北大GCOEに移られた、長神風二さん。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_3263414.jpg
 JSTの永山國昭さん。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_3274221.jpg
 古田ゆかりさん。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_328776.jpg
 基本的に皆さまから、高い評価をいただくことができました。履修生からは不安のあった、中間評価の低さに関しては、どなたも「気にすることはない。CoSTEPはいろいろな意味でナンバーワンだ」というお言葉をいただき、一同胸をなで下ろしました。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_335525.jpg

 基本的には評価などは気にせずに、どんどんと実績を上げて日本を引っ張っていって欲しいというのが、ゲストの共通したご意見だったと思います。そうですよね。ほんの一握りの評価委員の評価ではなく、全国の多数の国民に評価をいただくことこそが、本当のCoSTEPの評価なのだと思います。

 そして、最後は例によってのサプライズ。教員一同の歌と踊り「この世にたったひとつの花」です。さすがに、私も最近はこのくらいでは驚かなくなりました。
作品発表会と修了式 【関連記事続々追記】_c0025115_3353544.jpg

 式の後は、慰労会・懇親会等々で、結局3時近くまで飲み会になってしまいましたが、その中でCoSTPは2008年も大丈夫だということを確信できました。

 がんばりましょう。

【追記】
 こちらに、過去の修了生などからのレポートと論評があります。
 ・ 3回目のCoSTEP修了式
 ・ CoSTEP(北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット)の存在価値って何?
 ・ CoSTEP修了式に行ってきました
 ・ Winding Road
 ・ 無事にお家に帰ってきました
 ・ 今年も修了・終了
 ・ CoSTEP修了・トカゲ誕生
 . もっと科学コミュニケーターの活躍の場を!
 . M姫とフェアリーさんとMさんと・・・
 . 春うらら
 ・ 3回目の作品発表会と修了式
 ・ 北大CoSTEP修了式とシンポジウム、翌日ビズ・サイエンスカフェおたる今年度分終了
【重要参考エントリー】
 ・ 早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム第1期が修了
 ・ 【竹内薫の科学・時事放談】CoSTEP 官僚の評価は非科学的?

【付録】
 ・ お似合い
Commented by K_Tachibana at 2008-03-23 09:15
CoSTEPの存在価値は,むしろ修了生のコース修了後の活動の継続性にあると思っています.中間評価が低かったのは,CoSTEPの教育活動が終わったあとの継続性と,目標に掲げた履修生の人数と実数の乖離にあったので,教育活動自体の評価が低かったわけではありません.

私はCoSTEP修了生が,科学技術コミュニケーターを職業として食っていくということ以外に,大学や研究畑から一般社会に出ていって,ボランティアであっても社会に組み込まれていくように意識した活動を継続していくことが重要なのではないかと思っています.
Commented by stochinai at 2008-03-23 12:34
 コメンテーターの方々の話を聞いていて、少なくとも本音で議論すれば、誰が見てもCoSTEPがもっとも先を行っていることに異論は出ないということがほぼ実感できました。評価基準が予め決まっている評価の危うさがとても良くわかるエピソードとして、この先も語りつがれることになるでしょう。

 K_Tachibanaさんが「職業として食っていくということ以外に」とおっしゃることも良くわかるのですが、ボランティアで活動することの限界を考えると、私はむしろ「正式な業務の一部として、食っていける職業」を拡大していくことが大切だと思います。
Commented by K_Tachibana at 2008-03-23 16:27
私は,逆に科学コミュニケーターの看板を下げて,職業人として「科学コミュニケーター」になったはずなのに,5年前後でまたどこかの研究職に戻ってしまうという人たちを多く見てきているので,逆に職業として活動することの限界を感じてしまっています.全国の科学館等に人材を輩出する「科学コミュニケーター」養成機関であるはずのところが,実はそのように機能していない.

現場から遠く離れていれば,違った見方もできたのかも知れませんが.
Commented by stochinai at 2008-03-23 17:11
 もちろん、専門職として科学コミュニケーターで食べていけるのであれば、それに越したことはないと思います。しかし、科学コミュニケーターの職場を「科学館」などに限定してしまうと、たちまち今の博士と同じように「過剰供給」になってしまいます。それよりは、やはり科学コミュニケーション・リテラシーを持った**の養成をすると考えると、ボランティアからプロの科学者までのすべてが対象になるので、ベターではないかと思っています。
Commented by Salsa at 2008-03-23 17:17
笑!「お似合い」のリンク、、、恥ずかしいので、次のエントリーの方にお願いします。。。http://girasole.cocolog-nifty.com/costep/2008/03/winding_road.html できればトラバも~(赤面・・・)
Commented by 質問 at 2008-03-23 23:49
1.プロの養成を目指すとしたら。。。
科学技術コミュニケーターと、博物館の学芸員、専門誌の記者、新聞社の科学担当記者などと、何処が違うのでしょう。もし、違いが曖昧なら、これまでの、学芸員、専門誌の記者、科学担当記者でいいのではないですか?

2.ボランティアでいいから科学技術コミュニケ-ターを養成なら。。
野鳥の会や自然保護協会のような任意団体も、広い意味での科学コミュニケ-ターになります。「養成」と銘を打って活動する上で、これらとの違いは何なのでしょう?

上記の2点が曖昧だと、CoSTEPの出口が曖昧になり、そのツケは、履修生の自己責任とされます。ポスドク問題と同じ図式になる気がします。企業の製品でも、マーケッティングをするように、大学教育でも、卒業生(履修生)の売り先(プロとしての就職先、あるいは、在野の人としての活動の場)を、綿密に想定し教育プランを練る必要があると思うのですが、どうなのでしょうか?

私は、科学教育の人材養成には賛成ですが、少し心配です。
Commented by stochinai at 2008-03-24 00:21
>学芸員、専門誌の記者、科学担当記者
 現在、これらの職に就いている中でかなりの人が、科学コミュニケーション能力を持っていないという現実があると思います。そこに、的確な能力を持った人が(複数~たくさん)はいっていく必要を感じています。そのためにはもちろん、コミュニケーター自身が売り込んで食い込んでいかなければなりません。コミュニケーターとしての能力を身に付けさえすれば、向こうから誘いがくるほど状況は甘くはありません。

 また、プロかボランティアかを決めるのは、あくまでも個人であり、ボランティアであれば低い能力でも良いとか、これこれの能力があらばプロになれるとかいうものでもないでしょう。
Commented by stochinai at 2008-03-24 00:22
(つづき)
 コミュニケーターとしての能力を身に付けることで、キャリアの幅が広がるということがコミュニケーター養成コースの大きな意義だと思っています。プロの研究者になるとしても、科学教育者になるとしても、プロのコミュニケーターになるとしても、基礎能力として科学技術コミュニケーション能力が必要なのだという認識です。

 科学技術コミュニケーション能力を身に付けることで、ツケを払わなければならなくなるという状況があるとすれば、短期的な時間配分(例えば、研究時間が減ってボスとの関係にヒビがはいる)など以外には考えにくいのですが。
Commented by K_Tachibana at 2008-03-24 08:16
大隅さんがいみじくも指摘しておられますが,科学コミュニケーション業界だけで閉じることなく,もっと社会に組み込まれていくよう,社会にインパクトを与えられるように意識した活動が必要なのだと痛切に感じます.

これは,私が札幌にいないから余計に感じることなのかも知れませんが,CoSTEPもMAJESTyもサイエンスエンジェルもほとんど知名度ゼロに近いですから,世間一般では.
土曜日のサイエンスカフェでも「CoSTEP」と言って,スタッフ以外誰にも通じなかったくらいです.
Commented by うーん at 2008-03-24 10:27
博士課程の学生に科学コミュニケーションの能力をつけて、マスコミや官庁にどんどん送り込むのが正しいキャリアパスじゃないかなぁ。
Commented by at 2008-03-24 11:30
サイエンス・ジャーナリストに関して。北米だと、理系の修士・博士課程卒の学生が大学のジャーナリズム講座を受講してインターンでマスコミで研鑽を積みサイエンス・ジャーナリストとして巣立っていったり、もともと記者だった人間が理系の大学院に入って科学のイロハを習得してサイエンス・ジャーナリストになるという人が普通にいますよね。

日本だとそのようなキャリア・パスが存在していないので、うーんさんがおっしゃるように博士課程の学生やPDに科学コミュニケーション能力つけて、マスコミや官庁に就職していってもらう、もしくは、既に学芸員・マスコミ関係・役人としてのキャリアを持っている人々に科学コミュニケーション能力をつけて再び社会で活躍してもらう・・・というのが現実的かもしれません。
Commented by stochinai at 2008-03-26 09:29
 エントリー「早稲田大学科学技術ジャーナリスト養成プログラム第1期が修了」へのリンクを追加しました。必見です。
http://sci-tech.jugem.jp/?eid=842
Commented by A at 2008-03-26 11:54
A評価、B評価の違いは、名前のもつ主体性のイメージと、実際の就職先によるものではないかと思いました。

ともかく、社会のなかでどんな役割を果たしたいのかという目的を明確に持つことが大事だと思います。「誰が」「どのような」科学情報を欲しがっている(発信したがっている)のか、そこをとらえる必要があると思います。

少なくとも、大学(院)はもっと世の中に伝えるべきことがあるでしょうし、市民がもっとサイエンスリテラシーを持てば、怪しいテレビ番組等に熱中せずに、学問を重視する気運が高まるかもしれません(遺伝子組み換え作物等の産業なども育つかも知れません)。

ま、サイエンスリテラシーと言えば、何より政府がきちんとした意見を求められる人間を側に置くことからでしょうかね。貧富の差も流動するグローバル化の時代ですから、常に新しい価値を創造できる、知的に裕福な国でなければ、いずれ世の中の貧困や労働の部分を受け持つことになると思います。
Commented by 質問 at 2008-03-27 06:13
評価は、”評価者”によって変わります。誰が評価したか、わからないので、評価の値がAでもBでも、コメントがしにくいです。。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/12/07122123/011.htm#a005
にある評価を見た感想をかきますが、

1.早稲田のプログラムは出口が明確。
 第3者の印象ですが、早稲田のプログラムの方が、「xxxxとして社会の中で働く人を養成する」という出口が明確です。人材養成と銘打つからには、プログラムの運営側が、どういう場で働くサイエンスコミュニケ-ターを想定して教育するかが重要です。中身は別にして、この点は早稲田のほうが明示され、良いと思います。

2.早稲田の評価はお手盛り?
 これも第3者の印象ですが、早稲田の評価の記載を読むと、お手盛りかなと思う文面が散見されます。先に評価ありきという、デキレースみたいな評価の印象も受けました。

あくまでも印象ですが」。。。
Commented by K_Tachibana at 2008-03-29 20:11
こちらのブログでは紹介が遅れましたが,CoSTEPについてとりあげた竹内薫さんの記事がアップされています.
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080329/
acd0803290803003-n1.htm

神戸のサイエンスカフェメンバーに見ていただきました.
産経東京本社版にはカラーで,大阪本社版ではモノクロで掲載されています.
Commented by K_Tachibana at 2008-03-30 19:13
今日,「海のサイエンスカフェ」に取材に来られた産経新聞甲府支局の記者のかたに竹内さんの記事を紹介しました(ご存じなかったので).外部に委託した記事は,記者さんの頭の中に入っていないみたいです.
by stochinai | 2008-03-22 23:59 | CoSTEP | Comments(16)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai