2005年 02月 27日
絶対に失敗できない・・・
現時点までのところ、H2Aロケットの打ち上げは成功し、多目的衛星の放出もうまくいって、まことに喜ばしいことです。あとは、順調に目的軌道に乗り、正常に機能することを祈っております。貴重な国民の税金を投入していることと、現場の科学者や技術者の努力を考えると、やはり成功してくれるとほっとするものです。
上がる直前までは、あらゆるニュースが口を揃えて「もう失敗は許されません」と繰り返していましたが、関係者はそれを聞くたびに胃が痛くなっていたことと思います。ひさびさにゆっくりと眠れたのではないでしょうか。本当にお疲れさまでした。
言葉の文(あや)なのかもしれませんが、最近はテレビ・ラジオやマスコミ関係で「絶対に負けられない試合」とか「絶対に失敗の許されない打ち上げ」などという表現が耳や目につきます。
スポーツ番組などではあまりにも安っぽく使われていて、実際に競技を行う選手に無用なプレッシャーを与えていることが気になります。先日の対北朝鮮戦のサッカーの試合はまさにそのプレッシャーが試合をダメにしてしまったのではないかと思っております。
ロケットの打ち上げやサッカーの試合をやる人間は、誰だって成功したいし勝利したいと思っています。しかし、完璧を目指して準備した打ち上げだって失敗する可能性をゼロにすることは理論的に不可能だし、ほぼ間違いなく勝てるはずのサッカーの試合でもJ2のチームが高校生に負けたりすることは事実として起こるわけです。逆にそうであるからこそ成功や勝利がうれしいのだと思います。
そんな中で、社会的影響力の大きなマスコミが「絶対に失敗が許されない」とか「絶対に負けられない」とかを繰り返し強調するのは、「社会的いじめ」ではないかとさえ思えます。もちろん「気持ちとしては応援しているつもりです」と居直るとは思いますが、さんざん期待を強調されたあげくに失敗したり敗北したりする現場の人間の気持ちになってみてください。
イラクで殺されたジャーナリストの橋田信介さんの奥さんである橋田幸子さんも、今朝の朝日新聞のコラム「未来を生きる君へ 橋田幸子さんの伝言」『失敗を恐れずに』でそのことに触れています。
「でも今の日本は、失敗をなかなか許してもらえない社会ですね。少しでもミスをすると、すぐにそれがヒステリックな社会全体の『バッシング』に変わる。だからマニュアルばかり作って、その通りの思考と行動を生活規範としています。」
マスコミが発する「絶対に・・・ない・・・」という言葉の魔力が、日本という国全体を萎縮させているとしたら、なんとも不幸なことです。
2月17日のエントリー「大学入試のミス」http://shinka3.exblog.jp/737774/に対してコメントをいただいたように、日本の国において絶対に失敗の許されないものの代表のように思い込まれている大学入試だって、実はやり直しがきくのです。冷静に考えるとこの世の中に「失敗の許されないチャレンジ」などというものはないのではないかと思えます。まずは、チャレンジする側が失敗したっていいんだ、という気持ちになることでしょう。
同時に傍観者にすぎない我々が持つべきは、チャレンジする人々を温かく見守り、たとえその結果が成功だったとしても失敗だったとしても、よくやったねといたわってやれる気持ちなのだと思います。
成功も失敗も自分のことのように受け入れられる想像力さえあれば、ちっとも難しいことではないような気もするのですが、今の社会では人々の心から他人のことを思いやる余裕も奪われてしまっているということが想像力の欠如(あるいは拒否)の原因だとすると、解決はなかなか難しいのかもしれません。
上がる直前までは、あらゆるニュースが口を揃えて「もう失敗は許されません」と繰り返していましたが、関係者はそれを聞くたびに胃が痛くなっていたことと思います。ひさびさにゆっくりと眠れたのではないでしょうか。本当にお疲れさまでした。
言葉の文(あや)なのかもしれませんが、最近はテレビ・ラジオやマスコミ関係で「絶対に負けられない試合」とか「絶対に失敗の許されない打ち上げ」などという表現が耳や目につきます。
スポーツ番組などではあまりにも安っぽく使われていて、実際に競技を行う選手に無用なプレッシャーを与えていることが気になります。先日の対北朝鮮戦のサッカーの試合はまさにそのプレッシャーが試合をダメにしてしまったのではないかと思っております。
ロケットの打ち上げやサッカーの試合をやる人間は、誰だって成功したいし勝利したいと思っています。しかし、完璧を目指して準備した打ち上げだって失敗する可能性をゼロにすることは理論的に不可能だし、ほぼ間違いなく勝てるはずのサッカーの試合でもJ2のチームが高校生に負けたりすることは事実として起こるわけです。逆にそうであるからこそ成功や勝利がうれしいのだと思います。
そんな中で、社会的影響力の大きなマスコミが「絶対に失敗が許されない」とか「絶対に負けられない」とかを繰り返し強調するのは、「社会的いじめ」ではないかとさえ思えます。もちろん「気持ちとしては応援しているつもりです」と居直るとは思いますが、さんざん期待を強調されたあげくに失敗したり敗北したりする現場の人間の気持ちになってみてください。
イラクで殺されたジャーナリストの橋田信介さんの奥さんである橋田幸子さんも、今朝の朝日新聞のコラム「未来を生きる君へ 橋田幸子さんの伝言」『失敗を恐れずに』でそのことに触れています。
「でも今の日本は、失敗をなかなか許してもらえない社会ですね。少しでもミスをすると、すぐにそれがヒステリックな社会全体の『バッシング』に変わる。だからマニュアルばかり作って、その通りの思考と行動を生活規範としています。」
マスコミが発する「絶対に・・・ない・・・」という言葉の魔力が、日本という国全体を萎縮させているとしたら、なんとも不幸なことです。
2月17日のエントリー「大学入試のミス」http://shinka3.exblog.jp/737774/に対してコメントをいただいたように、日本の国において絶対に失敗の許されないものの代表のように思い込まれている大学入試だって、実はやり直しがきくのです。冷静に考えるとこの世の中に「失敗の許されないチャレンジ」などというものはないのではないかと思えます。まずは、チャレンジする側が失敗したっていいんだ、という気持ちになることでしょう。
同時に傍観者にすぎない我々が持つべきは、チャレンジする人々を温かく見守り、たとえその結果が成功だったとしても失敗だったとしても、よくやったねといたわってやれる気持ちなのだと思います。
成功も失敗も自分のことのように受け入れられる想像力さえあれば、ちっとも難しいことではないような気もするのですが、今の社会では人々の心から他人のことを思いやる余裕も奪われてしまっているということが想像力の欠如(あるいは拒否)の原因だとすると、解決はなかなか難しいのかもしれません。
by stochinai
| 2005-02-27 23:59
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