2008年 06月 05日
不祝儀と北大祭
本当の北大祭は明日からということになっているのですが、今日は開学記念行事日で全学休講です。当然のことながら、学生は今日から北大祭だと思っていますから、大学の中は朝から食べ物のいい匂いが漂って落ち着かない気分です。
調べてみると、なんと今年の北大祭は記念すべき第50回なのだそうです。その割には、いつもの年と同じく模擬店ばかりが目立っています。まあ、そんなものなのでしょう。
そんな中、私は叔母の不祝儀がありました。神道の葬儀は初めてではないのですが、きわめて稀なことには違いなく、いちいち感心させられることばかりです。今夜は、仏教でいうところの通夜ですが、「前夜祭」と言っていたと思います。
祭壇は、仏教のものとそれほどの違いは感じられません。日本文化の中で融合していることも、充分に想像されます。

明日の朝は、同じ場所で葬場祭・出棺祭が行われることになっています。神道では、死は汚れたものという考え方をしているので、神社では葬儀を行ってくれません。それでいて、死んだ人はみんな神様になるというのは、なかなか理解しがたいところでもあります。
さて、葬儀場に家族を残して大学へ戻ってくると、大学祭「初日」(前夜祭)がそろそろ終わろうというところでした。理学部の前は、例年インターナショナル・フード・フェスティバルということで、各国の留学生が店を並べる、模擬店の中では一番の呼び物です。
これは。ラテン系のお店のようでしたが、火を落として店じまい中です。

こちらは中国かな?お客さんもいなくなって、店員さんが疲れ切ったように座っていました。

そんな中、エジプト店ではまだまだにぎわいが続いていました。

店じまい風景にもお国柄が感じられ、眺めて歩くだけでも楽しいものです。
思いっきり、楽しんでください。
調べてみると、なんと今年の北大祭は記念すべき第50回なのだそうです。その割には、いつもの年と同じく模擬店ばかりが目立っています。まあ、そんなものなのでしょう。
そんな中、私は叔母の不祝儀がありました。神道の葬儀は初めてではないのですが、きわめて稀なことには違いなく、いちいち感心させられることばかりです。今夜は、仏教でいうところの通夜ですが、「前夜祭」と言っていたと思います。
祭壇は、仏教のものとそれほどの違いは感じられません。日本文化の中で融合していることも、充分に想像されます。

さて、葬儀場に家族を残して大学へ戻ってくると、大学祭「初日」(前夜祭)がそろそろ終わろうというところでした。理学部の前は、例年インターナショナル・フード・フェスティバルということで、各国の留学生が店を並べる、模擬店の中では一番の呼び物です。
これは。ラテン系のお店のようでしたが、火を落として店じまい中です。



思いっきり、楽しんでください。

有名なところでは会津藩の武士は初代保科正之の方針もあって神道です。会津本陣のあった黒谷さん(金戒明寺)には幕末の京都で死亡した会津藩士の墓地がありますが、全て「○○○神霊」となっています。また、猪苗代町にある会津藩主の墓地も神道です。
一藩を上げて平田神道になったのは幕末の苗木藩です。廃仏棄釈が最も激しく行われたところで、今もお寺はないそうです。島崎藤村の「夜明け前」の舞台の近くですので、平田神道が普及していたのでしょう。
一藩を上げて平田神道になったのは幕末の苗木藩です。廃仏棄釈が最も激しく行われたところで、今もお寺はないそうです。島崎藤村の「夜明け前」の舞台の近くですので、平田神道が普及していたのでしょう。
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ふーむ、全然知らないことでした(^^;)。明治政府と神道の関係も学校で詳しく教えてくれませんから、自分で勉強しないとダメですね。

余り知られていませんが、廃仏棄釈が革命運動と結びついたケースに隠岐があります。一時的にですが、天皇と直結しようとするコミューンが成立して松江藩の支配から脱しています。檀家制度で地方の戸籍係の役割を果たしていた寺院は徳川体制と一体と見られていたのかも知れません。
「ゆめうら」という伝奇的な小説が文庫で出ていますが、江戸末期からの神道の顔がちらっと窺えます。
「ゆめうら」という伝奇的な小説が文庫で出ていますが、江戸末期からの神道の顔がちらっと窺えます。
by stochinai
| 2008-06-05 22:50
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Comments(3)