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「浪人」遺伝子がマウスES細胞の多能性を支配する

 哺乳類の初期胚から得られた幹細胞であるES細胞は、いろいろな種類の細胞に分化することができる「多分化能」を持っています。その多分化能を支配している遺伝子として、Oct4、Sox2 と Nanog が重要であると考えられています。その中でも、特に Oct4 が重要であり、条件によっては Sox2 や Nanog がなくても多分化能が維持されることがありますが、Oct4 は必須だと言われているようです。

 ところが、今回発見された胚発生のごく初期に作られるRoninと名付けられたタンパク質は、胚の幹細胞の多能性を維持することに働いており、Oct4 遺伝子を働けなくされて多能性を失ったES細胞の多能性を回復させることができることも示されました。
「浪人」遺伝子がマウスES細胞の多能性を支配する_c0025115_18421492.jpg
 CELL Volume 133, Issue 7, 27 June 2008, Pages 1162-1174
 doi:10.1016/j.cell.2008.05.047

 Roninは日本語の「浪人」から名付けられたのだそうで、主人のいない日本のサムライが浪人と呼ばれるように、Ronin遺伝子はそれをコントロールするマスター(主人)遺伝子がいないように見えるということです。それは、つまりRoninこそがマスターである可能性も示唆しているということなのでしょう。著者の中に日本人はいないようですが、「椿三十郎」の映画でも好きな人がいるのかもしれません。

 Ronin遺伝子はネズミの胚発生のごく初期に働き、その働きを抑えると胚は着床前後に死んででしまいます。またES細胞でも働いているのですが、ES細胞の中で働くRonin遺伝子を抑えるとES細胞は増殖できなくなります。逆に、分化するような条件下に置いたES細胞の中で強制的に働かせると、細胞は分化しないまま(ES細胞にとどまったまま)増殖を続けるようになります。

 Roninタンパク質はHCF-1という転写調節因子と結合することが示されている上に、それ自身はTHAPと呼ばれる領域をもっています。THAPは特定の遺伝子に結合して、その働きを抑えることに関係している部分だということなので、Roninタンパク質そのものが遺伝子の発現を抑えて、細胞が分化することを抑制し、多分化能を維持させているマスターであることをうかがわせるものです。

 ES細胞をネズミに移植すると、通常は奇形種という良性のがん腫瘍ができるのですが、Ronin遺伝子を働き続けるようにしておいたES細胞を移植すると、悪性のがんになるという結果も出ているようです。

 私も詳しくところは良くわからなかったのですが、Oct4、Sox2、Nanogなどは特定の遺伝子に働きかけて、その働きを抑えることによって細胞の多能性を維持しているのに対して、Roninは一度にたくさんの遺伝子に網をかけるように働きかけて遺伝子の働きを抑え、細胞の多能性を維持しているので、こちらの方が「偉い」あるいはマスター遺伝子に近いところにあるというようなことを主張したいのだと思いました。

 ご参考までに、彼らの書いたモデルの図を引用転載させていただきます。(なんか、矢印の向きが逆のような気がしますが・・・・。)
「浪人」遺伝子がマウスES細胞の多能性を支配する_c0025115_19102531.jpg
 iPS細胞に浮かれ気味の日本ですが、ESを使ったこういう良い研究もどんどん進行しています。あまり、具体的な応用にばかり目を奪われないで地道に幅広い基礎研究を振興していただきたいものです。
Commented by K_Tachibana at 2008-06-27 22:30 x
iPS細胞,とくに臨床応用に浮かれているのは日本のマスメディアだけだと思います.幹細胞研究の4拠点(京大,慶應,東大および理研)では,むしろ,基礎研究とリサーチツールとしての幹細胞研究を推進すべきと表明していました.ただ,4拠点以外のところに研究資金が振り向けられる可能性は低そうです.
Commented by stochinai at 2008-06-27 23:30
 新しい研究は、「それ以外」のところから生まれるのだと思うのですが。
Commented by K_Tachibana at 2008-06-28 08:27 x
>新しい研究は、「それ以外」のところから生まれるのだと思うのですが。

私もstochinaiさんの意見に首肯するのですが,実際には必ずしもそのようには動いていない.科研費の委員会にも傍聴していますが,まさにそのあたりの意図がどこかでねじまがってしまっているようです.

この間の幹細胞・再生医学委員会の高橋淑子さんの意見が,「バラマキはやりませんから」と真っ向から否定されてしまいましたし.
ぜひ,文科省や総合科学技術会議の動向に注目して,科学技術政策に対する意見を出していってください.いまはひとにぎりの研究者の意向で政策決定されているのが現状です.それをきちんとウォッチして,必要に応じてアクションを起こすことが,研究者コミュニティとしてぜひあってほしいと願っています.
Commented by ぜのぱす at 2008-06-28 12:28 x
イントロに出て来る関連論文の筆頭著者のひとりが日本人のようなので、そのひとの案かもしれませんね → 浪人
Commented by XP at 2008-06-30 01:09 x
新しい研究が「それ以外」のところから生まれるとのはその通りですが、それと、この件で4拠点に研究費が重点配分されることの是非は別問題では?議論すべきは、
(1)政策的に重点配分する研究費
(2)競争的に分配する研究費
(3)非競争的に分配する研究費
の比率をどうするかです。この件に異議を唱える際に、1~3の構成比率を変えて3を増やすべきという話をせずに4拠点に重点配分されることを取りあげて問題提起するのは、もたざるものがもてるものに対して僻んでいるように見えて逆効果だと思います。
(1)や(2)の一部は産学連携で資金調達出来るのに対して(3)でカバーすべき「新しい研究」はなかなかそうはいきません。
にもかかわらず、純粋な基礎研究をしている研究者が、応用研究で企業から資金を調達する研究者を白眼視してきた・大学や学問の自治に反するとして批判的に受け止められてきたという歴史的経緯を思い出すと、本来公的にまかなうのが望ましい(3)から(1)や(2)に公的研究費がシフトしてきたことは非常に皮肉的であると感じます。
Commented by XP at 2008-06-30 01:29 x
01:09とこれの間に投稿したコメントがstochinaiさんを直接非難するような冷静さを欠くコメントになっていましたので削除しました。わずかな間ですが読まれた方もいらっしゃったかもしれませんので念のため。申し訳ございません。
Commented by stochinai at 2008-06-30 07:46
 たしかに「ひがんでいる」という深層心理は働いているかもしれませんが(^^;)、基本的に私はiPS細胞研究に大型資金が投入されることには賛成をしておりましたし、今もその気持ちに変化はありません。ただし、XPさんがおっしゃるようにその財源が、将来への研究投資となる「広く浅く(政治家はそれをバラマキという言葉で切り捨ててしまうようですが)」配分されるべき基礎研究を削って充当されるのでは本末転倒になってしまうと思います。
 バランスの悪い議論になってしまったのは反省しますが、マスコミの論調のあまりのアンバランスに対する警鐘のつもりだったことをご理解いただけると幸いです。
Commented by js at 2008-06-30 20:19 x
重箱の隅ですが、奇形「腫」じゃないでしょうか。また、良性のがんって普通言わないんでは。癌って悪性腫瘍そのものですよね。
Commented by stochinai at 2008-06-30 20:25
 ご指摘の通りだと思います。「がん」を「腫瘍」に直します。
Commented by XP at 2008-07-01 03:39 x
お返事ありがとうございます。
政治はその時々の勢いでものを決めることが求められるのか、普通の人々に細かいことを言っても仕方がないという世界なのか、一方的な面だけ取りあげてものが決まってしまいます。
それに対して単なる反対のための反対ではなくて、
今の方針の良いところ悪いところ
反対している立場からの方針の良いところ悪いところ
を並べて説明しないと同じ穴のむじなというか、広く一般の人に問題を理解をして貰えないのではないか、と思ってあのように書いてしまいました。
stochinaiさんと思うところは同じで、将来への研究投資が大事だと後押ししたいと思う余り棘のある書き方になってしまいました。重ねてお詫びします。
Commented by つまらないことですが… at 2008-07-05 09:08 x
>彼らの書いたモデルの図を転載させていただきます。

転載ではなく「引用」とされたほうがよいかとおもいます。
無断転載はまずいでしょう。
Commented by stochinai at 2008-07-05 10:16
 「引用」とさせていただきました。
by stochinai | 2008-06-27 19:21 | 生物学 | Comments(12)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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