2008年 07月 15日
ひとりのブログ仲間として死を悼む
先週10日、ノーベル賞を受けた小柴昌俊さんのお弟子さんで、現在日本でもっともノーベル賞に近いところにいる物理学者と言われていた戸塚洋二さんががんでなくなったという記事を目にしていました。朝日新聞に載っていた、「弟子を失うのは、親が子どもに先立たれるのと同じ。こんなにつらいことはない」という、小柴さんのコメントが心に残っていましたが、個人的に物理学には疎い私は、戸塚さんの業績もほとんど理解しておらず、単に高エネルギー加速器研究機構長だったということを新聞記事から情報として得ていたくらいの存在でした。
それとはまったく別の話で、ウェブ上にはがんと闘病しながらブログを書き続けておられる方がたくさんいらっしゃいます。私がRSSで購読していたひとりのブロガーの方が、がんとの闘病の報告の他に、大学や研究のことを内部の人間のひとりとしてかなり的確なご意見を書いていらっしゃっいました。他は、ご趣味で庭に咲いている花の写真を撮してアップされていたのが、私と趣味が合うということで、よく見せていただいていたものです。ところが、その方のブログが先月から、ほとんど病気の状況と花の写真しかなくなってきていたので、だんだんと読むのがつらくなってくるとともに、心配もしておりました。
その結果、7月2日に胡蝶蘭の写真を載せたブログがご自身で書かれた最後のブログになりました。写真も奥様が撮られたもののようで、最後の一文がとても気になっていました。
いままでも、ネットの上で似たような言葉を最後に戻ってこられなかった方を、何人か見ておりましたので、その時フッと不安な思いがしたのですが、そのまま忘れておりましたところ、本日新しい記事が書かれました。
私がこのブログの存在を知ることになったのは、「落ちこぼれの年金生活研究者」と名乗ってブログを書いておられたFewMoreMonthsさんが、私が昨年の9月13日に文科省の「世界トップレベル研究拠点」が決まったことについて書いたふてくされエントリー「bad news for Hokudai」に対して、非常に丁寧な反論のエントリー「世界トップレベル研究拠点プログラム採択課題の感想」をトラックバックしてくださったからです。しかも、コメント欄にも「初心者なのでトラックバックがうまくいったかどうかわからない」とか、「失礼があればお許し下さい」とか書き込まれ、とても紳士的な方でしたので、強く印象に残っておりました。
書かれたものを読む限り、どちらかというと研究費を配分する側にいる方のように思われ、この方はただ者ではないと思ってはいたのですが、個々の議論に関しては意見が違うことがあったとしても、日本の科学研究の将来を憂う思いは同じだと感じ、それからは少々不吉なタイトルを持つブログ、The Fourth Three-Monthsを定期購読させていただいておりました。
今から思えば、余命数ヶ月と宣告された時に、まだまだ後輩達に言い残しておかなければならないことがあると、ブログを始められたのではないかと思います。日本の科学政策に関しても、報告書などを詳細に読み解いて議論されておられ、私の雑文などと違ってブログにしておくのはもったいないような有益な提言もたくさんありました。残念ながら、あと少しで1年というところで途切れることになってしまいました。
ネットやブログがなかったら、私のようなものがこのような偉大な方と議論するなどという機会は決してなかったものと思われます。だからどうしたということはないのですが、ネットの上で知り合い、実名も知らぬまま時折議論をし、日本の科学の将来を憂う同士としての連帯感も感じていたところでした。
本日、FewMoreMonthsさんが戸塚洋二さんであることを知りましたが、新聞記事などのようにその方がノーベル賞を取る前に逝ってしまったということを嘆くよりも、私にとってひとりの貴重なブログの仲間を失ったということを心から悼んでおります。
お疲れさまでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
それとはまったく別の話で、ウェブ上にはがんと闘病しながらブログを書き続けておられる方がたくさんいらっしゃいます。私がRSSで購読していたひとりのブロガーの方が、がんとの闘病の報告の他に、大学や研究のことを内部の人間のひとりとしてかなり的確なご意見を書いていらっしゃっいました。他は、ご趣味で庭に咲いている花の写真を撮してアップされていたのが、私と趣味が合うということで、よく見せていただいていたものです。ところが、その方のブログが先月から、ほとんど病気の状況と花の写真しかなくなってきていたので、だんだんと読むのがつらくなってくるとともに、心配もしておりました。
その結果、7月2日に胡蝶蘭の写真を載せたブログがご自身で書かれた最後のブログになりました。写真も奥様が撮られたもののようで、最後の一文がとても気になっていました。
今日、病院に外来で来ましたが、残念、そのまま入院になりました。
いままでも、ネットの上で似たような言葉を最後に戻ってこられなかった方を、何人か見ておりましたので、その時フッと不安な思いがしたのですが、そのまま忘れておりましたところ、本日新しい記事が書かれました。
few more monthsの家族のものです。そこには、今まで見たことのなかった暖かい笑顔で微笑むご本人の遺影も掲載されていました。その写真と毎日新聞に載っていた写真を比べ、「みなさんすでにご存じの通り」と「7月10日に亡くなりました」という言葉で、それまでまったく関係がないと思っていた2人の存在が、私の中でひとつにつながりました。このブログを書いておられたのは、戸塚洋二さんだったのです。
皆さんすでにご存じのとおり、父は7/10に亡くなりました。
最後まで見守った家族としては、その壮絶な経過を記したいところですが、
本人はきっと嫌がるでしょう。
ただ、がんと正面から向き合い最後まで戦い抜いたということは言って良いと思います。
07年8月から始まったこのブログは、結局forth-three monthsで閉じることとなりました。
これまで皆さんに読んでいただき(時として更新することがプレッシャーともなっていたようですが・・・)、少しでも皆さんのお役に立てたのであれば、本人も喜んでいるものと思います。
これまでお読みいただき、誠にありがとうございました。
本人に代わりここで御礼申し上げます。
私がこのブログの存在を知ることになったのは、「落ちこぼれの年金生活研究者」と名乗ってブログを書いておられたFewMoreMonthsさんが、私が昨年の9月13日に文科省の「世界トップレベル研究拠点」が決まったことについて書いたふてくされエントリー「bad news for Hokudai」に対して、非常に丁寧な反論のエントリー「世界トップレベル研究拠点プログラム採択課題の感想」をトラックバックしてくださったからです。しかも、コメント欄にも「初心者なのでトラックバックがうまくいったかどうかわからない」とか、「失礼があればお許し下さい」とか書き込まれ、とても紳士的な方でしたので、強く印象に残っておりました。
書かれたものを読む限り、どちらかというと研究費を配分する側にいる方のように思われ、この方はただ者ではないと思ってはいたのですが、個々の議論に関しては意見が違うことがあったとしても、日本の科学研究の将来を憂う思いは同じだと感じ、それからは少々不吉なタイトルを持つブログ、The Fourth Three-Monthsを定期購読させていただいておりました。
今から思えば、余命数ヶ月と宣告された時に、まだまだ後輩達に言い残しておかなければならないことがあると、ブログを始められたのではないかと思います。日本の科学政策に関しても、報告書などを詳細に読み解いて議論されておられ、私の雑文などと違ってブログにしておくのはもったいないような有益な提言もたくさんありました。残念ながら、あと少しで1年というところで途切れることになってしまいました。
ネットやブログがなかったら、私のようなものがこのような偉大な方と議論するなどという機会は決してなかったものと思われます。だからどうしたということはないのですが、ネットの上で知り合い、実名も知らぬまま時折議論をし、日本の科学の将来を憂う同士としての連帯感も感じていたところでした。
本日、FewMoreMonthsさんが戸塚洋二さんであることを知りましたが、新聞記事などのようにその方がノーベル賞を取る前に逝ってしまったということを嘆くよりも、私にとってひとりの貴重なブログの仲間を失ったということを心から悼んでおります。
お疲れさまでした。ご冥福をお祈り申し上げます。
Commented
by
花見月
at 2008-07-16 00:09
x
CoSTEP開講式に、科学技術コミュニケーターになろうとする受講生のみなさんあてにビデオメッセージを送ってくださったのも、戸塚さんでした。丁寧に撮影されたビデオレターを思い出します。
0
Commented
by
stochinai at 2008-07-17 00:38
記憶のかなたにおぼろげに思い出せそうな気もしますが、その頃の私にとって戸塚さんという方は、はるか遠くにいる「偉い人」のひとりにすぎなかったのだと思います。人の出会いというものは、ほんとうに不思議なものです。
今となっては我がことのように思える戸塚さんの憂国の情を思うにつけても、この先我々は戸塚さんを安心させてあげられるような日本を作っていくことができるのだろうかと、疑念の方が強くなる現状が残念でなりません。
今となっては我がことのように思える戸塚さんの憂国の情を思うにつけても、この先我々は戸塚さんを安心させてあげられるような日本を作っていくことができるのだろうかと、疑念の方が強くなる現状が残念でなりません。
by stochinai
| 2008-07-15 19:58
| コンピューター・ネット
|
Comments(2)