2008年 07月 29日
文科省の意図を越えた大学の節約ぶり
昨夜の記事だと思いますが、決して喜ぶべきニュースではないと思います。
毎日jp: 大学人件費:05年度比6.8%減 目標超える削減ペース
先日も書いたように、法人化以降、国立大学の運営交付金は毎年1%ずつ削減されています。運営交付金には人件費も含まれていますので、1%ずつ運営交付金が削減されても、従来どおりの運営(教育と研究)を続けようとすると、人件費の削減がもっとも効果的ということになります。北海道大学の場合だと教職員が約4000名いますので、あまりにも雑な計算ではありますが、毎年40人ずつ辞めても補充しなければ、それは達成されます。
しかし、10年で1割400名の人員削減というのは、想像しただけでも寒くなります。
平成19年度に出た北海道大学の報告書によると、18年度の教員数が2144名で。職員数が1954名となっています。16年度は教員数2166名、職員数1888名となっているので、教員は22名減っていますが、職員は大量に増えてすらいます。しかし、ここでは常勤と非常勤(あるいは任期付き)が区別されていませんので、常勤が非常勤に置き換わっている可能性があります。
上記の記事では、「国立大学法人と四つの大学共同利用機関法人の常勤職員の07年度人件費は9361億8000万円で、05年度人件費の予算額(9967億9000万円)を6.8%(606億1000万円)下回ったことが、文部科学省のまとめでわかった」となっています。「06年度比では1.3%減」とも書かれていますので、05年から06年に5%以上の削減が達成されたことになります。
一方、非常勤職員などの人件費は、なんと06年度比で「16.8%(308億9000万円)の大幅増」ということですので、常勤職員を減らして非常勤で置き換えている実態が露骨にわかります。となると、北大の場合も職員は常勤が非常勤になることで増員を達成しているのかもしれないと思えてきます。(実際、まわりを見渡してみると、そういう感じはあります。)
しかし、こんなふうに運営交付金を減らされても、それを上回る節約ができてしまうのだとしたら、たとえそれが血のにじむような努力と、常勤教職員の首切りによって達成されていたとしても、財務省などから見るとまだ余力があると見えるに違いありません。
ひょっとすると、先日の来年度の運営交付金3%削減案というのはこうした実態から導き出された結論なのかもしれないという気もしてきました。記事にも、文科省の不安げなコメントが載っています。
常勤教職員を減らして非常勤教職員に置き換えていくことで、最低限(見た目?)の教育サービスは守ることはできるのかもしれませんが、次世代を担う研究者や大学を良くしたいという若い職員の安定した受け皿がなくなっていくのだとしたら、この先大学はどんどん細っていくだけになってしまいます。
このニュースを読んで、空腹のあまり自分の足を食べてしまうというタコの逸話を思い出しました(生物学的には疑問な話だと思いますが)。もはや大学は、タコになってしまったのでしょうか。
毎日jp: 大学人件費:05年度比6.8%減 目標超える削減ペース
先日も書いたように、法人化以降、国立大学の運営交付金は毎年1%ずつ削減されています。運営交付金には人件費も含まれていますので、1%ずつ運営交付金が削減されても、従来どおりの運営(教育と研究)を続けようとすると、人件費の削減がもっとも効果的ということになります。北海道大学の場合だと教職員が約4000名いますので、あまりにも雑な計算ではありますが、毎年40人ずつ辞めても補充しなければ、それは達成されます。
しかし、10年で1割400名の人員削減というのは、想像しただけでも寒くなります。
平成19年度に出た北海道大学の報告書によると、18年度の教員数が2144名で。職員数が1954名となっています。16年度は教員数2166名、職員数1888名となっているので、教員は22名減っていますが、職員は大量に増えてすらいます。しかし、ここでは常勤と非常勤(あるいは任期付き)が区別されていませんので、常勤が非常勤に置き換わっている可能性があります。
上記の記事では、「国立大学法人と四つの大学共同利用機関法人の常勤職員の07年度人件費は9361億8000万円で、05年度人件費の予算額(9967億9000万円)を6.8%(606億1000万円)下回ったことが、文部科学省のまとめでわかった」となっています。「06年度比では1.3%減」とも書かれていますので、05年から06年に5%以上の削減が達成されたことになります。
一方、非常勤職員などの人件費は、なんと06年度比で「16.8%(308億9000万円)の大幅増」ということですので、常勤職員を減らして非常勤で置き換えている実態が露骨にわかります。となると、北大の場合も職員は常勤が非常勤になることで増員を達成しているのかもしれないと思えてきます。(実際、まわりを見渡してみると、そういう感じはあります。)
しかし、こんなふうに運営交付金を減らされても、それを上回る節約ができてしまうのだとしたら、たとえそれが血のにじむような努力と、常勤教職員の首切りによって達成されていたとしても、財務省などから見るとまだ余力があると見えるに違いありません。
ひょっとすると、先日の来年度の運営交付金3%削減案というのはこうした実態から導き出された結論なのかもしれないという気もしてきました。記事にも、文科省の不安げなコメントが載っています。
また、政府は09年度予算で国立大運営費交付金の削減幅を年3%に拡大しようとしているが、文科省は「削減目標を超過しているから『もっと削ってよい』とみるのは妥当でない」としている。個人レベルや研究室レベルでは、入ってくるお金がなくなったらなんとかやりくりして支出を抑えようと努力しますが、それは結局個人や研究室の活動の低下につながります。もしも、いままで大学が必要以上に無駄をしていて、それを節約した結果こんなに節約できたということならば歓迎されるべきだと思いますが、教育・研究活動を低下させつつの節約だったとしたら、かなり絶望的な状況に思えます。(どこかで、犠牲になっている部分が必ずあるはずです。)
常勤教職員を減らして非常勤教職員に置き換えていくことで、最低限(見た目?)の教育サービスは守ることはできるのかもしれませんが、次世代を担う研究者や大学を良くしたいという若い職員の安定した受け皿がなくなっていくのだとしたら、この先大学はどんどん細っていくだけになってしまいます。
このニュースを読んで、空腹のあまり自分の足を食べてしまうというタコの逸話を思い出しました(生物学的には疑問な話だと思いますが)。もはや大学は、タコになってしまったのでしょうか。
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遅刻の場合
at 2008-07-29 19:49
x
・非常勤講師の大量削減(→常勤教員の負担増で対応)
・退職教員ポストの採用延期(→これも教員の負担増で対応)
・研究費の大幅削減(→教育費を削ると見栄えが悪いので)
・常勤職員から派遣へ置き換え(→一時は物件費で処理できるとの理由
で、直接雇用より高コストでも積極的に派遣へ切り替えられた。)
姑息と言われても仕方ない状況ですが、文科省に良く見られようと
努力?した結果がこのニュースでは残念でなりません。
・退職教員ポストの採用延期(→これも教員の負担増で対応)
・研究費の大幅削減(→教育費を削ると見栄えが悪いので)
・常勤職員から派遣へ置き換え(→一時は物件費で処理できるとの理由
で、直接雇用より高コストでも積極的に派遣へ切り替えられた。)
姑息と言われても仕方ない状況ですが、文科省に良く見られようと
努力?した結果がこのニュースでは残念でなりません。
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サムイ
at 2008-07-29 22:37
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財務省などから見るとまだ余力があると思われるのでしょうね。たぶんそうなると思います。「ムダがあるから削れる」と「苦労して智恵を絞って削っている」の違いを調べようとしない・理解しようとしない姿勢と、世界の有り様を自分で規定しようとする姿勢はどこかで繋がっていると思います。これって、科学的にものを見るという姿勢の欠如とも言える気がします。世界がどうあるべきか、と、世界がどうであるか、の区別ができない人が結構いますが、科学の基礎的な素養を身につけていれば、この区別ができないなどと言うことはおきないですし。法を自ら作り出す法律家やマスメディアの方と、自然の法則を理解しようとする科学者のものの見方の違いを面白いといっていられない時代になったわけですね。
とはいえ、大学が大幅に人件費を削っているのは文科省にいい顔をしたいだけではなく、自ら生き延びるためということもあると思います。冷静に考えて、少子化がどんどん進むのに大学の経営が今のままで成り立つとは思えません。
それと、4000人のうち毎年40人を削減しても交付金の1%減には足りませんね。人件費が交付金の100%を締めるわけではないですから。
とはいえ、大学が大幅に人件費を削っているのは文科省にいい顔をしたいだけではなく、自ら生き延びるためということもあると思います。冷静に考えて、少子化がどんどん進むのに大学の経営が今のままで成り立つとは思えません。
それと、4000人のうち毎年40人を削減しても交付金の1%減には足りませんね。人件費が交付金の100%を締めるわけではないですから。
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stochinai at 2008-07-29 23:44
>4000人のうち毎年40人を削減しても交付金の1%減には足りませんね。
その通りでした。数学の弱さが露呈していますね。それにしても法人化後の中間評価において、削減されたお金でどのくらい教育研究活動が低下したのかというデータを文科省が受け取ろうとしないという「噂」はほんとうなのでしょうか。そうだとしたら、文科省の責任も大きいと思います。
その通りでした。数学の弱さが露呈していますね。それにしても法人化後の中間評価において、削減されたお金でどのくらい教育研究活動が低下したのかというデータを文科省が受け取ろうとしないという「噂」はほんとうなのでしょうか。そうだとしたら、文科省の責任も大きいと思います。
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サムイ
at 2008-07-30 03:14
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文系エリートの責任と認識する方が適切では。文科省だけでなく、現実がどうなっているかを観察して現実を直視することより、結論に合わせて現実をねじ曲げて解釈するという文化があるように思います。文系エリートは観念的な話とかイデオロギーの話とかは得意でも、実証的な分析能力が欠けているようにも見受けられます。
実業の経営者はシビアに実証的な分析能力を持っているのだと思いますが(だから工業製品の品質が高かったり、サービス業の質が高かったりするのでしょう)。
耐震偽装問題で官製不況と呼ばれる状況に陥りましたが、これも、実証的な分析を伴わず感情的に騒ぎたてるマスメディアとそれを真面目に受け止めて頑張ってしまった官僚・政治家が分析的な視点をもたずにルールの為のルールを作り出したために起きた悲劇では。
質を下げないように工夫しながらお金を削ることが大切なはずです。質を落とすお金の削り方なら、高度な智恵など無くても実現できます。きっと能力が高い文科省・財務省の官僚や政治家の方は、質を下げずにお金を削る工夫をしているのだとおっしゃると思います。本当にそう考えているのかどうかは、質のデータを受け取るかどうかで判断出来ると思います。
実業の経営者はシビアに実証的な分析能力を持っているのだと思いますが(だから工業製品の品質が高かったり、サービス業の質が高かったりするのでしょう)。
耐震偽装問題で官製不況と呼ばれる状況に陥りましたが、これも、実証的な分析を伴わず感情的に騒ぎたてるマスメディアとそれを真面目に受け止めて頑張ってしまった官僚・政治家が分析的な視点をもたずにルールの為のルールを作り出したために起きた悲劇では。
質を下げないように工夫しながらお金を削ることが大切なはずです。質を落とすお金の削り方なら、高度な智恵など無くても実現できます。きっと能力が高い文科省・財務省の官僚や政治家の方は、質を下げずにお金を削る工夫をしているのだとおっしゃると思います。本当にそう考えているのかどうかは、質のデータを受け取るかどうかで判断出来ると思います。
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改革という名の・・・
at 2008-07-30 12:44
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運営交付金削減、研究費配分方法の見直し、非常勤講師削減、少子化、大学の統廃合、教育の実質化、大学のユニバーサル化。
大学を巡るキーワードはひとつの方向を指していますね。
社会の成熟と少子化が進行して必ずしも勉学意欲の高くない学生が大量に大学に入る時代になり、教員は入学時に約束(契約?)した教育目標(=実用的な知識や資格の取得とコミュニケーション能力など社会常識の獲得)の達成を目指して高校教師と同じように「勉強を教える」。同時に、コスパフォの悪い研究費ばらまきは止め、旧帝大系を中心に競争的資金を重点配分すれば十分。人件費食いの常勤教員も、週5日毎日3-4コマの講義をさせて半分程度まで定員を減らし、大学も半分くらいにする。大事な子供達を育てるのに、今までのいい加減な大学の教育システムではダメ。税金も投入するのだから、一部を除いて統廃合と完全民営化(私立化)をして、職業人育成教育に特化すべき。
単純明快で分かりやすく世間で受け入れられやすそうですが、学問や基礎研究の多様性の重要性に対する無知に根ざした、とんでもない方向であると思います。
大学を巡るキーワードはひとつの方向を指していますね。
社会の成熟と少子化が進行して必ずしも勉学意欲の高くない学生が大量に大学に入る時代になり、教員は入学時に約束(契約?)した教育目標(=実用的な知識や資格の取得とコミュニケーション能力など社会常識の獲得)の達成を目指して高校教師と同じように「勉強を教える」。同時に、コスパフォの悪い研究費ばらまきは止め、旧帝大系を中心に競争的資金を重点配分すれば十分。人件費食いの常勤教員も、週5日毎日3-4コマの講義をさせて半分程度まで定員を減らし、大学も半分くらいにする。大事な子供達を育てるのに、今までのいい加減な大学の教育システムではダメ。税金も投入するのだから、一部を除いて統廃合と完全民営化(私立化)をして、職業人育成教育に特化すべき。
単純明快で分かりやすく世間で受け入れられやすそうですが、学問や基礎研究の多様性の重要性に対する無知に根ざした、とんでもない方向であると思います。
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bamboo_hermitage at 2008-07-31 00:01
中期目標期間中にかかわらずいきなり運営費交付金3%減を押しつけるというので憤慨しています。去年は運営費交付金の競争資金化の話があり,毎年概算要求の時期は腹立たしいことばかりなのでしょうか。
なぜ運営費交付金を減らしてはならないかと言えば,それは「勝手をさせないため」という理由に尽きます。時の政権や政策によって,学問が右往左往してはなりません。競争的資金が増えれば資金の政策的な配分が進み,「政治」の影響力が格段に強くなります。問題の根幹は,学術研究というものを専門家の学者に委ねるか,一貫性の無い政策を矢継ぎ早に出して責任を取らない政治家・官僚に委ねるかという選択,これだけです。
なお上のサムイさんのコメントに対しては,「文系」と言ってもいろいろあり,「政治」に関わらず「実証」を目指す学者も沢山いるということは知っておいて欲しいです。本当はこう簡単にも言い切れないのですが,今はとりあえずこれだけ書きます。
なぜ運営費交付金を減らしてはならないかと言えば,それは「勝手をさせないため」という理由に尽きます。時の政権や政策によって,学問が右往左往してはなりません。競争的資金が増えれば資金の政策的な配分が進み,「政治」の影響力が格段に強くなります。問題の根幹は,学術研究というものを専門家の学者に委ねるか,一貫性の無い政策を矢継ぎ早に出して責任を取らない政治家・官僚に委ねるかという選択,これだけです。
なお上のサムイさんのコメントに対しては,「文系」と言ってもいろいろあり,「政治」に関わらず「実証」を目指す学者も沢山いるということは知っておいて欲しいです。本当はこう簡単にも言い切れないのですが,今はとりあえずこれだけ書きます。
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とおりすがり
at 2008-07-31 20:12
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国立大学法人に勤めているが、私の勤めている大学は、国家公務員よりも給与を低く抑えて(手当てをカット)、人件費を節約している。
そのせいで、余力があるとして、さらに人件費節減を要求されるというのであれば、学長や理事たちには責任を取ってもらいたい。
そのせいで、余力があるとして、さらに人件費節減を要求されるというのであれば、学長や理事たちには責任を取ってもらいたい。
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サムイ
at 2008-08-02 01:19
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bamboo_hermitage様
大雑把すぎるコメントであったことをお詫びします。
とおりすがり様
お気持ちはわかりますが、そこで学長や理事たちに噛みついたとしたら、
それは余力があるとして更に削減を要求する人たちの思うつぼというものではないでしょうか。
文句(意見)を言うべきところはどこかを見極めることは難しいですが。
大雑把すぎるコメントであったことをお詫びします。
とおりすがり様
お気持ちはわかりますが、そこで学長や理事たちに噛みついたとしたら、
それは余力があるとして更に削減を要求する人たちの思うつぼというものではないでしょうか。
文句(意見)を言うべきところはどこかを見極めることは難しいですが。
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ゑぶ
at 2008-08-03 01:01
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stochinai先生の書き込み等では、まるで運営費交付金が学問の自由を保障するものであるということが前提になっているように見受けられるのですが、これは本当なのでしょうか?
私の理解では、運営費交付金の算定は複雑で、人件費や一般事務費のような数式で自動的に導かれるわかりやすい部分もある一方で、文科省の裁量がものすごく反映される不透明な部分などがあり、うわさでは、地元の国会議員の意向で増額されるとか、文科官僚のいわゆる「鉛筆なめなめ」で増減するなどと聞いています。
そういう資金が、本当に学問の自由を保障するものとはとても思えません。本当に、運営費交付金が必要なものであるのであれば、算定にあたっての過程について、もっと明確化し、わかりやすくすべきと思います。そういう意味では、配分額の決定に成果主義が盛り込まれるのは望ましい方向性だと思います(その時評価の過程も明らかにしていくとなおよいと思います)
私の理解では、運営費交付金の算定は複雑で、人件費や一般事務費のような数式で自動的に導かれるわかりやすい部分もある一方で、文科省の裁量がものすごく反映される不透明な部分などがあり、うわさでは、地元の国会議員の意向で増額されるとか、文科官僚のいわゆる「鉛筆なめなめ」で増減するなどと聞いています。
そういう資金が、本当に学問の自由を保障するものとはとても思えません。本当に、運営費交付金が必要なものであるのであれば、算定にあたっての過程について、もっと明確化し、わかりやすくすべきと思います。そういう意味では、配分額の決定に成果主義が盛り込まれるのは望ましい方向性だと思います(その時評価の過程も明らかにしていくとなおよいと思います)
結局、血のにじむような努力でコストを抑えたら、抑えただけカットされてしまうということですね。以前から不思議に思っていましたが、そうやって浮いた資金は非常用にプールすると法令違反に問われるようでますが、それを外すように運動はしないのでしょうか。家計でも企業でも、入るを計って出るを制すのが基本であり、そうやって浮いた金は設備投資や緊急の際のために留保するのが基本のはずで、それが違反となれば、隠すか、余りそうなら無駄遣いするしか方法がなくなります。コスト削減に努力したことがマイナスにしか働かないというのはおかしな制度です。
経理を厳密に明確にすることを条件に、削減したコストはその大学がプールしてもよいように法令を変更するよう働きかけられたらと思うのですが。
経理を厳密に明確にすることを条件に、削減したコストはその大学がプールしてもよいように法令を変更するよう働きかけられたらと思うのですが。
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at 2008-08-03 23:42
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>>ゑぶさん
> 運営費交付金の算定は...地元の国会議員の意向で増額されるとか、
> 文科官僚のいわゆる「鉛筆なめなめ」で増減するなどと聞いています。
運営費交付金は、官僚の意向で増減する部分はわずかですよ。
むしろ、競争的研究資金や、政策的研究資金の方が、官僚の意向が強いです。例えば、iPS細胞、ヒトゲノム、タンパク3000、ポスドク1万人計画、それから、地方の活性化を謳い文句にした、産学共同研究などは、この類でしょう。
問題は、グラフすらロクに読めない文官が、評価や予算の最終決定権を持つことです。アメリカでは、科学に関わる役人は、博士号保持者が最低条件です。日本は自分の頭で研究内容を理解できない人が、決定権を持つことが問題です。
独法化前は、各省庁の国研がシンクタンク的に働き、研究所の技官が文官と組み技術政策を立てていました。アメリカのアポロ計画の様な、打ち上げ花火的研究は無かったものの、妥当な技術政策が続き、日本の技術を支え、産業を後押ししました。
> 運営費交付金の算定は...地元の国会議員の意向で増額されるとか、
> 文科官僚のいわゆる「鉛筆なめなめ」で増減するなどと聞いています。
運営費交付金は、官僚の意向で増減する部分はわずかですよ。
むしろ、競争的研究資金や、政策的研究資金の方が、官僚の意向が強いです。例えば、iPS細胞、ヒトゲノム、タンパク3000、ポスドク1万人計画、それから、地方の活性化を謳い文句にした、産学共同研究などは、この類でしょう。
問題は、グラフすらロクに読めない文官が、評価や予算の最終決定権を持つことです。アメリカでは、科学に関わる役人は、博士号保持者が最低条件です。日本は自分の頭で研究内容を理解できない人が、決定権を持つことが問題です。
独法化前は、各省庁の国研がシンクタンク的に働き、研究所の技官が文官と組み技術政策を立てていました。アメリカのアポロ計画の様な、打ち上げ花火的研究は無かったものの、妥当な技術政策が続き、日本の技術を支え、産業を後押ししました。
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at 2008-08-03 23:47
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小泉内閣以降の科学技術政策は、経常的経費を削り、打ち上げ花火的研究を求めています。官僚も、マスコミも、博士号すら持たない素人集団なのに、自分たちが理解出来る研究が社会的に重要だと錯覚してます。素人集団の評価なので、前評判で判断し、打ち上げ花火になりそうな研究に予算を付けます。
本来なら、科学技術政策の担当者の仕事は、家庭用花火のような小さな研究の山から、大きな打ち上げ花火のタネを、見いだすことです。小泉内閣以降、研究費を集中しすぎ、小さな研究の火を消す圧力が相当強くなっています。
不幸なことに、報道に関わる記者も素人です。小さな花火の火は見えず、打ち上げ花火に、幻惑され、本当にオリジナルな研究の火が消えていることを理解してません。ゑぶさんの書込は、その典型です。
打ち上げ花火は高価です。家庭用花火的な研究を100-1000を削り、1個の打ち上げ花火を上げてます。確かに遠目には目立ち、外野の素人には、成果が出たように見えます。
でも、全体のアウトプットは相当落ちています。おそらく、家庭用の花火的研究が駆逐され無くなるまで、素人は理解出来ないでしょう。現状は相当まずいです。
本来なら、科学技術政策の担当者の仕事は、家庭用花火のような小さな研究の山から、大きな打ち上げ花火のタネを、見いだすことです。小泉内閣以降、研究費を集中しすぎ、小さな研究の火を消す圧力が相当強くなっています。
不幸なことに、報道に関わる記者も素人です。小さな花火の火は見えず、打ち上げ花火に、幻惑され、本当にオリジナルな研究の火が消えていることを理解してません。ゑぶさんの書込は、その典型です。
打ち上げ花火は高価です。家庭用花火的な研究を100-1000を削り、1個の打ち上げ花火を上げてます。確かに遠目には目立ち、外野の素人には、成果が出たように見えます。
でも、全体のアウトプットは相当落ちています。おそらく、家庭用の花火的研究が駆逐され無くなるまで、素人は理解出来ないでしょう。現状は相当まずいです。
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サムイ
at 2008-08-04 08:33
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インセンティブを逆向きに与える、頑張って経費削減すれば損をする制度を経済の専門家であるはずの有識者が後押しするのも滑稽です。
研究者には実証的に考える人もいるそうですが、どの政策が良いかを見極めるのではなく、自分の考える政策が良いものであるように見せかけるにはどうすればよいかを考えている人たちの声の方が大きいようであれば、焼け石に水です。
>コメントさん
ゑぶさんがものを誤解しているという風には思えないのです。非競争的な家庭用花火的な研究であってもそれなりの評価は必要でしょう。Natureに論文が載ったか、産業化出来たか、という評価軸であっては困りますが。
専門家集団として、稚拙な有識者集団と同じレベルの議論をせずに、税金を堂々と貰えるように説明責任を果たすことも重要ではないですか。文官はグラフすら読めない、報道だって素人、そういう状況であれば、研究者集団が智恵がある人々の集団であるのならば、文官よりも良い方針を提示すればいいだけではないですか。駄々をこねている子どものようになっても納税者は理解してくれないと思います。基礎研究を守るためには、理解してくれない人が悪いと言っても仕方がないのでは。
研究者には実証的に考える人もいるそうですが、どの政策が良いかを見極めるのではなく、自分の考える政策が良いものであるように見せかけるにはどうすればよいかを考えている人たちの声の方が大きいようであれば、焼け石に水です。
>コメントさん
ゑぶさんがものを誤解しているという風には思えないのです。非競争的な家庭用花火的な研究であってもそれなりの評価は必要でしょう。Natureに論文が載ったか、産業化出来たか、という評価軸であっては困りますが。
専門家集団として、稚拙な有識者集団と同じレベルの議論をせずに、税金を堂々と貰えるように説明責任を果たすことも重要ではないですか。文官はグラフすら読めない、報道だって素人、そういう状況であれば、研究者集団が智恵がある人々の集団であるのならば、文官よりも良い方針を提示すればいいだけではないですか。駄々をこねている子どものようになっても納税者は理解してくれないと思います。基礎研究を守るためには、理解してくれない人が悪いと言っても仕方がないのでは。
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それでも
at 2008-08-04 08:35
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まとまって運動できないのが研究者という生き物です
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at 2008-08-04 12:39
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>>サムイさん
> 専門家集団として、稚拙な有識者集団と同じレベルの議論をせずに、
> 税金を堂々と貰えるように説明責任を果たすことも重要では...
机上の空論です。説明責任を果たすとは何を指していますか?
言うだけなら簡単。
例えば、「マウスでクリックする」って動作も意味不明な人に、コンピューターの最先端を、どうやって説明しますか?ワープロや表計算、ゲームなどのソフトを動かし、「こんなことが出来る」と示すのが関の山でしょう。説明を受けた人は、分かった気になるかも知れません。でも、少しパソコンの経験があれば、説明が最先端では無いとわかります。国の方針がこれでは駄目です。衆愚政治の最たるもので、専門的判断や評価は専門家集団に任せるべきです。
例えば、アメリカの市民への科学への説明なんて、ジュラシックパークの映画を見せて、
「科学に投資すれば、わくわくしたことが起こる」
ってイメージを持たせる程度のものですよ。もし、このレベル以上の説明を求めるなら、説明を求める側も学ぶ姿勢が必要でしょう。
> 専門家集団として、稚拙な有識者集団と同じレベルの議論をせずに、
> 税金を堂々と貰えるように説明責任を果たすことも重要では...
机上の空論です。説明責任を果たすとは何を指していますか?
言うだけなら簡単。
例えば、「マウスでクリックする」って動作も意味不明な人に、コンピューターの最先端を、どうやって説明しますか?ワープロや表計算、ゲームなどのソフトを動かし、「こんなことが出来る」と示すのが関の山でしょう。説明を受けた人は、分かった気になるかも知れません。でも、少しパソコンの経験があれば、説明が最先端では無いとわかります。国の方針がこれでは駄目です。衆愚政治の最たるもので、専門的判断や評価は専門家集団に任せるべきです。
例えば、アメリカの市民への科学への説明なんて、ジュラシックパークの映画を見せて、
「科学に投資すれば、わくわくしたことが起こる」
ってイメージを持たせる程度のものですよ。もし、このレベル以上の説明を求めるなら、説明を求める側も学ぶ姿勢が必要でしょう。
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at 2008-08-04 12:45
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> 文官はグラフすら読めない、報道だって素人、そういう状況であれば、
> 研究者集団が智恵がある人々の集団であるのならば、文官よりも
> 良い方針を提示すればいいだけではないですか。
確証があるのでしょうか?現実は、甘くありません。総合科学技術会議で、学会の重鎮と言われる先生が、相当練り込んだプレゼンをしても、難しい様です。
コンピューターの基礎が無い人に、ゼロから説明するのが難しい様に、科学の基礎がない人(しかも、自ら学ぶ気がない他力本願)に、ゼロから説明するのは困難です。
科学技術の吟味が出来ない人が政策決定権を握り、その傾向が独法化以降、強まったことが問題です。政策決定は、科学技術の視点ではなく、産業応用など、別な視点で行われる傾向が強まっています。科学技術立国を掲げながら、科学の視点で政策立案しない(できない)のは問題です。
> 研究者集団が智恵がある人々の集団であるのならば、文官よりも
> 良い方針を提示すればいいだけではないですか。
確証があるのでしょうか?現実は、甘くありません。総合科学技術会議で、学会の重鎮と言われる先生が、相当練り込んだプレゼンをしても、難しい様です。
コンピューターの基礎が無い人に、ゼロから説明するのが難しい様に、科学の基礎がない人(しかも、自ら学ぶ気がない他力本願)に、ゼロから説明するのは困難です。
科学技術の吟味が出来ない人が政策決定権を握り、その傾向が独法化以降、強まったことが問題です。政策決定は、科学技術の視点ではなく、産業応用など、別な視点で行われる傾向が強まっています。科学技術立国を掲げながら、科学の視点で政策立案しない(できない)のは問題です。
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コメントさんのコメントの感想
at 2008-08-05 01:35
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>専門的判断や評価は専門家集団に任せるべき
とおっしゃるのは理解できるのですが、それは「専門家集団」が専門家集団として社会的に認められていないと「机上の空論」ですよね。誰かが意図的にやったとは思わないのですが、目先の利益のために大学や大学院や博士号取得者を乱造して「専門家」の品質を劣化させてきた結果、専門家集団としての立場が弱くなってきているような気がしないでもないような、もしそうならば「専門家集団」の自業自得ですよね。社会的にもいろいろマイナスなので困ったものですが、個々人は賢いはずの専門家集団がそういう方向に舵を切ってしまったものを、いまさら非専門家がどうこうできるわけはないですしねえ、どうしましょうかね。
とおっしゃるのは理解できるのですが、それは「専門家集団」が専門家集団として社会的に認められていないと「机上の空論」ですよね。誰かが意図的にやったとは思わないのですが、目先の利益のために大学や大学院や博士号取得者を乱造して「専門家」の品質を劣化させてきた結果、専門家集団としての立場が弱くなってきているような気がしないでもないような、もしそうならば「専門家集団」の自業自得ですよね。社会的にもいろいろマイナスなので困ったものですが、個々人は賢いはずの専門家集団がそういう方向に舵を切ってしまったものを、いまさら非専門家がどうこうできるわけはないですしねえ、どうしましょうかね。
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サムイ
at 2008-08-05 03:02
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コメントさん。勝つ見込みの確証はありませんし、コメントさんが説明したくないというのなら説明しなければ良いと思います。
コメントさんのご意見からは斜に構えた頭の良さは感じられても、当事者感覚が感じられないというのが率直な感想です。それを持てなどと上から目線で説教するつもりでは全くありません。そのような研究者の当事者感覚の欠如が「コメントさんのコメントの感想」さんが書かれているような状況を生み出したのではないかと思う立場から見ていると、現状は起こるべくして起こった結果だとしか思えないということです。
「専門的判断や評価は専門家集団に任せるべき」はごもっともです。その判断や評価が専門家集団の中で適切に実施出来ているとして、その内容はさておき外形的な手続きの妥当性くらいは説明できるような気がしますが、それすらなされているとは思えませんよ・・・。
批判だと感じられるのであれば批判だととって頂いてかまいませんが、もしそういうレベルでしか受け止めて貰えなかったら、少し残念です。少なくともひとりの人間(=私)が、家庭用花火的な研究を応援したいという気持ちが薄らぎました。おつきあい頂きありがとうございました。
コメントさんのご意見からは斜に構えた頭の良さは感じられても、当事者感覚が感じられないというのが率直な感想です。それを持てなどと上から目線で説教するつもりでは全くありません。そのような研究者の当事者感覚の欠如が「コメントさんのコメントの感想」さんが書かれているような状況を生み出したのではないかと思う立場から見ていると、現状は起こるべくして起こった結果だとしか思えないということです。
「専門的判断や評価は専門家集団に任せるべき」はごもっともです。その判断や評価が専門家集団の中で適切に実施出来ているとして、その内容はさておき外形的な手続きの妥当性くらいは説明できるような気がしますが、それすらなされているとは思えませんよ・・・。
批判だと感じられるのであれば批判だととって頂いてかまいませんが、もしそういうレベルでしか受け止めて貰えなかったら、少し残念です。少なくともひとりの人間(=私)が、家庭用花火的な研究を応援したいという気持ちが薄らぎました。おつきあい頂きありがとうございました。
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at 2008-08-05 12:24
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>>コメントさんのコメントの感想
> 「専門家集団」が専門家集団として社会的に認められていないと
> 「机上の空論」ですよね
専門家として、学会で活躍する人のレベルは、変わっていません。専門家と社会が認めるかは別にして、少なくとも、「”素人”が判断する」よりは数段マシです。
むしろ、博士定員が大幅に増え、博士崩れ、ポスドク崩れが大発生しています。大学院生や、ポスドクの急激な増員、教員の任期制は、大学や研究所の現場の意向とは別に、政策決定されてきたツケではないですか?
> 「専門家集団」が専門家集団として社会的に認められていないと
> 「机上の空論」ですよね
専門家として、学会で活躍する人のレベルは、変わっていません。専門家と社会が認めるかは別にして、少なくとも、「”素人”が判断する」よりは数段マシです。
むしろ、博士定員が大幅に増え、博士崩れ、ポスドク崩れが大発生しています。大学院生や、ポスドクの急激な増員、教員の任期制は、大学や研究所の現場の意向とは別に、政策決定されてきたツケではないですか?
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at 2008-08-05 12:25
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>>サムイさん
>当事者感覚が感じられないというのが率直な感想です.
私は、自分の立場は言及してませんよ。大学教員ではないですよ。
> コメントさんが説明したくない..
そんなことは書いてませんよ。
”科学者が、科学の基礎がない人に研究を説明しても、聴衆の個人の興味を満たすことは出来ても、科学技術政策の妥当性を議論できるレベルの話にならない。もし科学政策の妥当性というレベルの説明を望むなら、説明を求める側にも科学の基礎が必要だろう。”と言っています。一般の人に研究を説明する様な講演会ならいくらでもします。しかし、科学政策というレベルの視点は全く違うはずです。
> その内容はさておき外形的な手続きの妥当性くらいは説明できるような気がします
こういう考え方から、予算関連の融通性や、薬品管理が異様に厳しくなり、研究を阻害しています。極端な例ですが、NaClを1g使うにも、コンピューター入力を義務づけています。やりすぎです。
> 批判だと感じられるのであれば批判だととって頂いてかまいません
批判だとは思いません。的外れだと思い、持論をかきこみました。
>当事者感覚が感じられないというのが率直な感想です.
私は、自分の立場は言及してませんよ。大学教員ではないですよ。
> コメントさんが説明したくない..
そんなことは書いてませんよ。
”科学者が、科学の基礎がない人に研究を説明しても、聴衆の個人の興味を満たすことは出来ても、科学技術政策の妥当性を議論できるレベルの話にならない。もし科学政策の妥当性というレベルの説明を望むなら、説明を求める側にも科学の基礎が必要だろう。”と言っています。一般の人に研究を説明する様な講演会ならいくらでもします。しかし、科学政策というレベルの視点は全く違うはずです。
> その内容はさておき外形的な手続きの妥当性くらいは説明できるような気がします
こういう考え方から、予算関連の融通性や、薬品管理が異様に厳しくなり、研究を阻害しています。極端な例ですが、NaClを1g使うにも、コンピューター入力を義務づけています。やりすぎです。
> 批判だと感じられるのであれば批判だととって頂いてかまいません
批判だとは思いません。的外れだと思い、持論をかきこみました。
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at 2008-08-05 12:34
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> 少なくともひとりの人間(=私)が、家庭用花火的な研究を応援
> したいという気持ちが薄らぎました。おつきあい頂きありがとうござい
> ました。
本気で議論をするつもりなら、この書き込みはどうかと思います。
議論というのは勝ち負けではないのですから。。
> したいという気持ちが薄らぎました。おつきあい頂きありがとうござい
> ました。
本気で議論をするつもりなら、この書き込みはどうかと思います。
議論というのは勝ち負けではないのですから。。
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コメントさんのコメントの感想
at 2008-08-06 08:12
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いろいろ教えてもらってありがとうございます > コメントさん
>専門家として、学会で活躍する人のレベルは、変わっていません。
>(中略)少なくとも、「”素人”が判断する」よりは数段マシです。
それは否定していないのですが(円周率を議会で決めるとかいう史実ありましたね)、専門外から見ると(たとえば学会は誰でも出席発表可能ですし)活躍と無意味な「活躍」(評価目当てのしょうもない論文量産とか)の区別がつかないわけですよ。で、そのあたりの差異が外部から見えるような汗を「専門家集団」がかかないのであれば、外部からは「専門家集団」を一律に扱うわけにはいかなくなるわけで、個々の「専門家」を各々評価せざるをえなくなるような気がするので、そうなると「専門家『集団』」に対してこう評価せよ、というご主張といまいち齟齬がでてくるような。
>専門家として、学会で活躍する人のレベルは、変わっていません。
>(中略)少なくとも、「”素人”が判断する」よりは数段マシです。
それは否定していないのですが(円周率を議会で決めるとかいう史実ありましたね)、専門外から見ると(たとえば学会は誰でも出席発表可能ですし)活躍と無意味な「活躍」(評価目当てのしょうもない論文量産とか)の区別がつかないわけですよ。で、そのあたりの差異が外部から見えるような汗を「専門家集団」がかかないのであれば、外部からは「専門家集団」を一律に扱うわけにはいかなくなるわけで、個々の「専門家」を各々評価せざるをえなくなるような気がするので、そうなると「専門家『集団』」に対してこう評価せよ、というご主張といまいち齟齬がでてくるような。
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コメントさんのコメントの感想
at 2008-08-06 08:12
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大学究所の現場の意向とは別に、政策決定されてきたツケではない
>ですか?
そこで「政策決定」って「専門家集団」の外部から強制的に押し付けられた(だけ)という史観は実態に即しているのかなあ、という疑問点があるわけで、実際には「専門家集団」の中のそれなりの人達はエサに吊られて積極的に話に乗った(該当者の主観的に言えば騙された、ということかも知れませんが)ようなイメージがあるのですが…そんなことない?
>ですか?
そこで「政策決定」って「専門家集団」の外部から強制的に押し付けられた(だけ)という史観は実態に即しているのかなあ、という疑問点があるわけで、実際には「専門家集団」の中のそれなりの人達はエサに吊られて積極的に話に乗った(該当者の主観的に言えば騙された、ということかも知れませんが)ようなイメージがあるのですが…そんなことない?
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at 2008-08-11 00:34
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>>コメントさんのコメントの感想
以下は私の個人的見解です。
> 専門外から見ると(たとえば学会は誰でも出席発表可能ですし)
> 活躍と無意味な「活躍」の区別がつかないわけですよ。で、そのあたりの
> 差異が外部から見えるような汗を「専門家集団」がかかないのであれば、
> 外部からは「専門家集団」を一律に扱うわけにはいかなくなるわけで
あなたの論法を纏めると、、、
専門家に疑義がある → でも自分たちは専門家の区別がつかない →
専門家集団はこの人なら信頼できるというお墨付きを出せ
これは変ですよ。疑義がある集団が、お墨付きをだし、それを信じるなんて、
自己矛盾では無いですか?
また、専門家の主張がマトモか分からない人が、
「(漫然と)専門家は怪しい」
と主張しても、説得力ゼロでしょう。
だから、海外の環境団体は専門家を雇い、自分たちの力で、独自の
評価をし、専門家の見解をチェック(例:反捕鯨活動、反核運動etc.)
しています。海外のマスコミや政策立案の部署も専門家(博士)を雇い、
独自の評価をしています。。
以下は私の個人的見解です。
> 専門外から見ると(たとえば学会は誰でも出席発表可能ですし)
> 活躍と無意味な「活躍」の区別がつかないわけですよ。で、そのあたりの
> 差異が外部から見えるような汗を「専門家集団」がかかないのであれば、
> 外部からは「専門家集団」を一律に扱うわけにはいかなくなるわけで
あなたの論法を纏めると、、、
専門家に疑義がある → でも自分たちは専門家の区別がつかない →
専門家集団はこの人なら信頼できるというお墨付きを出せ
これは変ですよ。疑義がある集団が、お墨付きをだし、それを信じるなんて、
自己矛盾では無いですか?
また、専門家の主張がマトモか分からない人が、
「(漫然と)専門家は怪しい」
と主張しても、説得力ゼロでしょう。
だから、海外の環境団体は専門家を雇い、自分たちの力で、独自の
評価をし、専門家の見解をチェック(例:反捕鯨活動、反核運動etc.)
しています。海外のマスコミや政策立案の部署も専門家(博士)を雇い、
独自の評価をしています。。
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at 2008-08-11 00:38
x
あなたがマスコミ関係者や、NPO団体のメンバーで、科学者に
疑義を持つなら、理系の大学院で、科学教育を受けた人を雇い入れ、
独自の視点で、判断が出来るレベルになるか、自分自身で科学を
学び同じレベルになる必要があるでしょう。
そうでないと、専門家チェックや政策の立案なんて出来ませんよ。
素人の興味として、科学を知りたいというレベルと、政策立案や専門家のチェック機能で要求されるレベルは全く違うのです。
繰り返しになりますが、チェック機能を果たしたければ、他力本願では駄目で、自らが、あるいは、自らのチームなどが、専門性を身につける必要がありますよ。
疑義を持つなら、理系の大学院で、科学教育を受けた人を雇い入れ、
独自の視点で、判断が出来るレベルになるか、自分自身で科学を
学び同じレベルになる必要があるでしょう。
そうでないと、専門家チェックや政策の立案なんて出来ませんよ。
素人の興味として、科学を知りたいというレベルと、政策立案や専門家のチェック機能で要求されるレベルは全く違うのです。
繰り返しになりますが、チェック機能を果たしたければ、他力本願では駄目で、自らが、あるいは、自らのチームなどが、専門性を身につける必要がありますよ。
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つまり
at 2008-08-11 09:46
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専門家側から信頼性を高める努力はしなくていいということですか?
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コメント
at 2008-08-11 11:54
x
>>つまり
> 専門家側から信頼性を高める努力はしなくていいということですか?
そんなことは、ひとことも言っていません。
「専門家の信頼性」を、政策のレベルで問題にするなら、或いは、チェックするなら、政策立案やチェックをする側も、信頼性を見分けられる程度の専門性を、個人として、或いは、組織として、持つ必要があると言っています。
専門家が信頼性を高める努力はすべきことは自明で、行っていると思います。現代の日本の科学技術の繁栄は、専門家の力によるものです。
> 専門家側から信頼性を高める努力はしなくていいということですか?
そんなことは、ひとことも言っていません。
「専門家の信頼性」を、政策のレベルで問題にするなら、或いは、チェックするなら、政策立案やチェックをする側も、信頼性を見分けられる程度の専門性を、個人として、或いは、組織として、持つ必要があると言っています。
専門家が信頼性を高める努力はすべきことは自明で、行っていると思います。現代の日本の科学技術の繁栄は、専門家の力によるものです。
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というか
at 2008-08-11 13:11
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それが足りないという話をしているんじゃないですか?
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by
だから
at 2008-08-11 15:47
x
勉強が足らんといわれるんですよ。
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by
つまり
at 2008-08-11 20:40
x
専門家側から信頼性を高める努力はこれ以上しなくていいということですね?
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by
stochinai at 2008-08-11 21:09
私は、その専門家の信頼性を回復する努力がとても必要だと思い、このブログを開設しました。まだまだ、信頼性を回復する道のりは遠く、時には逆に遠のいているとすら感じることがある昨今ですが、その努力を普段に続けることなくしては、科学や大学が生き延びることはできないとも思っています。そして、それはとりもなおさず、日本の滅亡をも意味するのだと思いますが、我々が踏んばることで日本も立ち直れる可能性があると信じて、できるところまでがんばりたいと思っています。
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コメント
at 2008-08-13 18:51
x
>> stochinai先生
一般の人に科学を説明する努力は必要ですし、このブログやサイエンスコミュニケーターの活動は重要だと思います。
それは別にして、「専門家の信頼性」って何でしょうね。20-30年前も、今も、大学や研究機関の専門家のレベル(専門性)は遜色ありません。それとも、日本の専門家のレベルは落ちて居るのでしょうか?或いは、元々、日本の専門家のレベルは低いのでしょうか?
現代日本の科学の繁栄は専門家が築いたものです。専門家の信頼性に疑問を持つ人は、日本の科学技術の繁栄を、どう考えるのでしょう。何を理由に専門家が信頼出来ないのでしょうか?
もし、報道やドロップアウトした院生や団塊の世代の学生運動等に煽られて、漠然と専門家を信頼できないなら、先入観が相当大きい気がします。印象での決めつけなので、信頼性の回復は難しい気がします。どう思われますか?
一般の人に科学を説明する努力は必要ですし、このブログやサイエンスコミュニケーターの活動は重要だと思います。
それは別にして、「専門家の信頼性」って何でしょうね。20-30年前も、今も、大学や研究機関の専門家のレベル(専門性)は遜色ありません。それとも、日本の専門家のレベルは落ちて居るのでしょうか?或いは、元々、日本の専門家のレベルは低いのでしょうか?
現代日本の科学の繁栄は専門家が築いたものです。専門家の信頼性に疑問を持つ人は、日本の科学技術の繁栄を、どう考えるのでしょう。何を理由に専門家が信頼出来ないのでしょうか?
もし、報道やドロップアウトした院生や団塊の世代の学生運動等に煽られて、漠然と専門家を信頼できないなら、先入観が相当大きい気がします。印象での決めつけなので、信頼性の回復は難しい気がします。どう思われますか?
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だから
at 2008-08-13 19:36
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過去も成功ばかりじゃないし、現在が過去の通用しない変革期ってことが分からないんですかね。コメントさんのような意見が多数派ならば、今後も信頼は下がるばかりでしょう。
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コメント
at 2008-08-13 20:08
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>>だからさん
> 過去も成功ばかりじゃないし、現在が過去の通用しない変革期
具体的な例を挙げて頂けませんか?
研究は、トライ&エラーの繰り返しです。アメリカのアポロ計画だって、スペースシャトルだって、大金を掛けて打ち上げても失敗し、死者まで出してます。でも、全体としてみれば、科学技術の進歩に貢献しています。
過去の失敗をあげつらうことは、簡単です。でも、全体としてみると、世界的に見て、有数の科学技術立国に成功したことは事実です。信頼が無いという人は、この事実をどう見ますか?
私の意見で信頼が下がるというのは、どういうことですか?
私は市民の啓蒙は必要だと思います。市民が感心を持つことが第一歩ですから。。。
しかし、少なくとも政策立案や報道に関わるならば、一定の専門知識を持つべきだと思います。そうでないと、今のマスコミのように、タダ不安を煽り、記事が売れればいいという報道は消えないし、トンデモ系の研究に大予算を付ける政策担当者も無くならないと考えます。基礎知識なしに、政策や報道を扱うなら、怠慢だと思います。
(これは、個人的見解です。。。)
> 過去も成功ばかりじゃないし、現在が過去の通用しない変革期
具体的な例を挙げて頂けませんか?
研究は、トライ&エラーの繰り返しです。アメリカのアポロ計画だって、スペースシャトルだって、大金を掛けて打ち上げても失敗し、死者まで出してます。でも、全体としてみれば、科学技術の進歩に貢献しています。
過去の失敗をあげつらうことは、簡単です。でも、全体としてみると、世界的に見て、有数の科学技術立国に成功したことは事実です。信頼が無いという人は、この事実をどう見ますか?
私の意見で信頼が下がるというのは、どういうことですか?
私は市民の啓蒙は必要だと思います。市民が感心を持つことが第一歩ですから。。。
しかし、少なくとも政策立案や報道に関わるならば、一定の専門知識を持つべきだと思います。そうでないと、今のマスコミのように、タダ不安を煽り、記事が売れればいいという報道は消えないし、トンデモ系の研究に大予算を付ける政策担当者も無くならないと考えます。基礎知識なしに、政策や報道を扱うなら、怠慢だと思います。
(これは、個人的見解です。。。)
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コメント
at 2008-08-13 20:26
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もし理解できないものに対し、
「漠然と不信感を持ち、信頼できない」
というなら、明治期の笑い話の
「写真を撮ったら魂を抜かれる」とか
「電柱に荷物をくくりつけたら、遠くに運んでもらえる」とか
そんな類のことと同じだと思います。科学者やサイエンスコミュニケーターは、上記の様な迷信を信じない様に一般の人の啓蒙をする必要はあるでしょう。
しかし、政策や報道に関わる人が、「写真で魂を抜かれる」と思う程度の理解では困るし、そのレベルの理解しか出来ないなら、怠慢だと言っています。
「漠然と不信感を持ち、信頼できない」
というなら、明治期の笑い話の
「写真を撮ったら魂を抜かれる」とか
「電柱に荷物をくくりつけたら、遠くに運んでもらえる」とか
そんな類のことと同じだと思います。科学者やサイエンスコミュニケーターは、上記の様な迷信を信じない様に一般の人の啓蒙をする必要はあるでしょう。
しかし、政策や報道に関わる人が、「写真で魂を抜かれる」と思う程度の理解では困るし、そのレベルの理解しか出来ないなら、怠慢だと言っています。
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by
ええと
at 2008-08-13 22:36
x
わかってませんね。専門知識を持つことと専門家集団を信頼できることは別ですよ。
Commented
by
あんたも
at 2008-08-13 22:46
x
Commented
by
ほう
at 2008-08-13 23:03
x
専門知識を持てば官僚やマスコミが専門家を判定していいのですね。
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by
ところで
at 2008-08-13 23:31
x
これまで日本の繁栄を担ってきたのは主にメーカーだと思うのですが、そんなに信頼できるのでしょうか。
Commented
by
だから、
at 2008-08-13 23:42
x
科学の基礎を持ったうえで、官僚やマスコミが専門家を判定するなら、無知のままで、いい加減な判断だけしている、現状よりずっといい。
Commented
by
コメントさんのコメントの感想
at 2008-08-14 18:00
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いろいろ教えていただいてありがとうございます > コメントさん
私の言いたかったことは、「専門家集団」として評価しろということであれば、「専門家集団」として社会的な位置を維持するために、その集団が能動的にアクションおこさないとダメなのでは?逆に個々の「専門家」を各々評価せよ、という話であれば、「専門家集団」に属していれば(「属す」の定義はどうするかという話もありますが、それはさておき)自動的に一定以上の社会的評価を受けるというわけにはいかないのでは?ということなのです。
で、単なる「感想」でなんですが、どうも「専門家集団」と個々の「専門家」をダブルスタンダードに都合よく使い分けているような印象を持ってしまったもので、感想をこちらのコメント欄に記入しているしだいです。
私の言いたかったことは、「専門家集団」として評価しろということであれば、「専門家集団」として社会的な位置を維持するために、その集団が能動的にアクションおこさないとダメなのでは?逆に個々の「専門家」を各々評価せよ、という話であれば、「専門家集団」に属していれば(「属す」の定義はどうするかという話もありますが、それはさておき)自動的に一定以上の社会的評価を受けるというわけにはいかないのでは?ということなのです。
で、単なる「感想」でなんですが、どうも「専門家集団」と個々の「専門家」をダブルスタンダードに都合よく使い分けているような印象を持ってしまったもので、感想をこちらのコメント欄に記入しているしだいです。
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すみません
at 2008-08-14 18:28
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そもそも専門知識を持っているかどうかは誰が判定するのですか?
by stochinai
| 2008-07-29 18:16
| 大学・高等教育
|
Comments(42)