5号館を出て

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2004年 12月 05日 ( 1 )

 天気予報通り、朝起きたら一面の銀世界に戻っておりました。そして、一日中雪が降り続いています。今日は2回、除雪しましたけれども、また降り積もっています。そろそろ、道路の除雪車が来ることが予想されるので、それが通り過ぎるまではもう除雪はしないしないのが正解です。除雪車は、雪を道ばたに寄せるだけですので、個々人の家の前は除雪車が来ると雪に埋もれてしまうのです。

 今日の朝日新聞朝刊(札幌12版)には、なかなかおもしろい記事がありましたので、つまみ食いしながら、流し読みしてみましょう。

 私の新聞の読み方は、1面の見出しを見てから3面へ飛び、そこから1面まで逆戻りしながら読みます。1面は見出し以外まで読むことはあまりありません。経験的に、1面記事が一番読み応えがありません。

 1面トップは「企業に景気減速感」ですが、トップにする価値があるとも思えない古い話題です。2番目に出ていた「雇用保険 私大に強制加入措置」にはちょっとびっくりしました。私大の約6割は雇用保険に加入していないというのです。でもまあ、つまらない1面は、このくらいにして3面に飛びましょう。

 30面にはE型肝炎関連記事があり、ブタ内蔵などが原因の4割を占めるこの病気の患者は国内感染報告56人中、北海道が22人と最多であるとのことです。北海道では、ブタの生食が多いんでしょうか。気をつけたいものです。

 24面の生活欄には、僧侶の「玄侑宗久さんの伝言」というコラムがあります。「『個性病』から立ち直って」という題のコラムの中に「だいたい君たちは、小さい頃から『個性』を求められすぎてきた」と書かれています。個性という、いわば自分の力でどうすることもできないものを持つようにと「強制する」という信じられない矛盾を打ち出してきた、文科省主導の現在の教育方針の病理が指摘されている、良いコラムだと思いました。

 19面オピニオン欄の「時流自論」で東大の金森修さんの「頑張れ、教養人」はいくつかの共感できる意見を提出してくれています。「ところで、日本は、高等教育でさえ、私の希望に逆行することを、この数年どんどん押し進めて来た。いわゆる『教養教育』の解体だ」。全国の大学が文科省のリード(ミスリード?)のもとで「教養部」を廃止したことを、読者の皆さんはご存じでしょうか。教養部の廃止と共に、それまでは確かに嫌がられながらも強制されていた教養教育も少hくなり、もともと「教養」の少ない今の若者が教養を身につける最後のチャンスもなくなってしまったことで、今後何十年にもわたって日本が立ち直ることを不可能にしてしまったのかもしれない、と私は思っています。たとえ、何十年か後であっても、これはやばいと気がつくことができれば、まだ救いもあるかもしれません。しかし、その時にはそのことに気がつく教養を持っている人がほとんどいなくなっているかもしれないという最悪の事態が、実はもっともありそうなシナリオである可能性が高いと、やっぱり私には思えるのです。

 金森さんのいうとおり「だから、今最も求められているのは、もっと太書きの構図を描ける人、良い意味での文明論的な見通しを背負える人なのだろう」と教養人の出現を期待しながら、若者に教養を身につける制度が崩壊してしまっている今の教育制度に対する提案をすることなく(東大にはその責任があるはずです)「教養のあるあなた、あなたらしい謙虚で控えめな姿勢を少し崩して、もっとわれわれに、文明の構図を示して見せて下さい」と言ってみたところで、空しい一般論としてしか聞こえてこないというところが残念です。

 それよりは、12面読書欄のビジネス書欄で取り上げられている「ビジネスのサムライ」から引用されている「我々の青春時代は、いかに世のため人のために役立つ人間になるかだけを夢見ていた。いい意味のエリート意識でいっぱいだった。言ってみれば、そこにはエゴがなかった。戦後の教育との違いはそれだけだった」という戦前教育の持っていた、たとえ戦争に負けたとしても否定すべきではなかった、つまり戦後教育が受け継ぐべきだった視点は重要だと思います。

 受益者負担と自己責任、そして勝ち組の総取りという、小泉政策に代表されるエゴの塊として生きることを求められるこの社会はやはりどう見ても病んでいますし、いずれ破綻することは間違いのないことだと思います。あるいは、すでに破綻していることを指摘できるのが本当の教養人と言えるのではないでしょうか。

 個性というプロフェッショナリズムを強調して、たとえゆがんだ人格でもエゴイスティックでも、勝利したものが勝ちなのだという日本流に改造されたアメリカン・ドリームが支配する社会を作ろうという思想は、地球という資源が有限であることをたくさんの人が気がつき始めた現実を前に、限界が明らかになってきているのだろうと思います。つまり、他人の犠牲を前提にした勝利が本当に勝つことなのかどうかを冷静に判断できる、真の教養人を育てることでしか地球には未来がないのだということが、あるの1紙の朝刊を読むだけで実感されてしまうということは、なかなかすごいことではありますが、とても不幸なことなのかもしれません。
by stochinai | 2004-12-05 00:00 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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