5号館を出て

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2005年 05月 08日 ( 1 )

 私の5月2日のエントリー「引用は正確に(読売オンラインに苦言)」に対して、幻影随想さんから苦言を頂きました(^^;)。

 詳しくは幻影随想さんのエントリー「科学知識とメディアリテラシー」を読んでいただきたいと思いますが、私がブログ(その前の、「今日のつぶやき」という勝手なコラムも含め)を始めてから、自分のエントリーをまな板に載せて批判していただいたのは初めてだったことと、内容的にもとても有り難かったため、改めてエントリーを立てました。

 まずは、幻影随想さんにお礼を申し上げるとともに、濡れ衣を着せてしまった読売の記者さん(最初から今まで匿名のままですが)にお詫びを申し上げます。

 今回の「えん罪事件」の原因は、私が議論の出発点になった2002年の科学技術政策研究所が発行したニュースにある表と今回の読売の記事を比較して、引用された文章が元と違っていることの原因を、軽率にも「読売記者のずさんな引用」と結論したことにあります。

 幻影随想さんの調査によると、文科「省内でも何故か資料の転載が行われるうちに問題文の変化が起こっている」ことが明らかにされており、読売はそれを単に受け売りしただけなので、読売が引用する際に変化を導入したというのは、明らかに私の事実誤認ということになります。

 この点について、私が「問題文の改変を読売記者によるものとして疑いもしていない点」がブロガーとしてメディアリテラシーに欠けると断罪されていますが、まったくおっしゃるとおりで、反論の余地もありません。常日頃、マスコミを批判している私が同じような思考停止状態にあるのでは困ったものだということですが、私も同じ意見です。すみません(^^;)。

 最後に、幻影随想さんから「何故設問の変化が起きたのかというところでもう一歩踏み込んで調べて欲しかった」とのリクエストがあるのですが、それはなかなか難しい要望で、たとえ考察してみたとしても推論に次ぐ推論になりそうで、下手をすると今回の事件以上のえん罪を生むのではないかと危惧してしまいます。

 しかし今回の事件によって、我々が行っている科学研究という行為の中におけるもっとも日常的な作業のひとつである仮説検証実験に潜む落とし穴について考えさせられることがありましたので、そちらの考察をもって今回の事件のお詫びに代えさせていただくことにしたいと思います。

 幻影随想さんも生物科学系の研究者のようなのでわかっていただけると思うのですが、まったく雲をつかむような予備実験や学生実習のような場合を除き、我々が実験や観察を行う前には、仮説という「研究しようとしている現象を説明する仮定」を立てます。研究者というものは、ややもすると妄想的(*)に自分で考え出した仮説を信じる傾向がありますが、たとえ盲信していたとしても実験や観察によって仮説と合わない結果が出ると、仮説を棄却することができますので、最初に妄想を持つこと自体はそれほど危険なことではありません。

*さらに、その「妄想」こそが科学者が献身的に研究に没頭するモチベーションになることも多いので、妄想を持つこと自体はあながち悪いとばかりは言えません。

 しかし、仮説で予想した通りの結果が出た時には危険な瞬間が訪れます。普通、特定の現象に対してはある科学者が想定した仮説以外にも幾通りもの説明が可能なものです。つまり、仮説はいくつも立てられることの方が多いのです。にもかかわらず、特定の研究者が想定したたった一つあるいは数少ない仮説で予想された通りの実験結果が出てきたりすると、我々は意外と簡単に仮説が真理であることが証明されたかのごとくに思いがちです。

 冷静に考えてみると、実際に出た結果は「仮説を否定しなかっただけ」で、「仮説が証明された」ということとは必ずしも同じではありません。仮説が否定されなかった時には仮説のさらなる検証のための精密な実験計画を立てて、さらに研究を続けなければなりません。これが、研究の世界におけるリテラシーです。

 つまり、今回の私は幻影随想さんのおっしゃるとおり「読売の記者ならやりそうだ」という先入観(仮説)を持ちながら、探しているうちに見つけた記事とは異なる文章の載っているオリジナルのソースを見て、それと読売の記事の間を結ぶどこかで変更が加わったという事実を、「読売の記者が誤転載した」という結論にしてしまったという間違いを犯してしまったのです。本来ならば、「ではどこで誰が、その変更をしたのか」というふうに追求していくことがメディア・リテラシーのあり方だったということです。

 研究の世界では、有名な雑誌に論文(たとえば仮説とその検証実験、結論からなる)を投稿するとしつこいくらい「ほんとうにそれで仮説が証明されたことになるのか」と査読者からのコメントが付き、その議論をサポートするための追加実験を要求されることもしばしばあります。

 そして、その査読者の存在こそが学術論文およびそれを掲載する雑誌の質を維持しているシステムなのです。今回の幻影随想さんから突っ込みを受けて、私が真っ先に思い浮かべたのはこのことでした。

 『ネット・メディアには、査読者がいる』

 もちろんこの「査読」は制度的に確立されたものではないので、誤ったエントリーを書いたところで必ずしも査読のような建設的なレスポンスを受けることばかりではないでしょう。場合によっては、多数のコメントやトラック・バックによっていわゆる炎上状態になることもあるでしょうし、時には単に無視されることもあるでしょう。しかし、今回私が頂いた批判は非常に建設的な提言でした。まさに、科学の世界で行われている研究者同士による相互批判・相互扶助の査読(審査)制度であるであるピア・レビューと同じものだと感じました。

 こうしたことが機能している限り、ネットの世界は科学研究の世界と同じように健全に発展していく可能性が高いと思います。そして、逆にそうした「査読制度」を構築していくことが、中央集権ではない権力分散型の新しいメディアが発展する鍵になるような気がしています。

#ネットを利用しない市民との間でもそのようなコミュニケーションが可能になるサイエンス・カフェ(バー・パブ・書店)のような活動もやってみたいと思っています。「北海道にも出来ないだろうか?」とおっしゃっている幻影随想さんは、お近くの方なのでしょうか。もし、実現しそうになったら一緒にやってみませんか。
by stochinai | 2005-05-08 21:55 | 科学一般 | Comments(1)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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