5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

2005年 11月 05日 ( 2 )

日本一のイチョウ並木

 数日前に、NHKの7時のニュースでも取り上げられるほどきれいになった、北大のイチョウ並木。天気にも恵まれて、おそらく今日明日が今年のベスト・イチョウ・デーでしょう。
c0025115_16151712.jpg

 もっとも色がきれいな一本を近接撮影。
c0025115_16172777.jpg

 毎日の変化はこちらをごらんください。黄葉の見頃というものが、だいたい1週間の命だということがよくわかります。
 夜桜ならぬ、夜イチョウもきれいですよ。
by stochinai | 2005-11-05 16:22 | 札幌・北海道 | Comments(5)

わかりやすさの強要

 RSSリーダーのキーワード検索でとても有意義なエントリーにたどり着けました。

 キーワードは「サイエンスコミュニケーション」です。なんだかgentlemanつながりのようで不思議な気もするのですが「千人印の歩行器(walking gentleman)」さんのところのエントリー「文明の背後に野蛮が潜んでいる」です。

 このエントリー自体は例のタリウム殺人未遂事件を扱ったものなのですが、その中に引用されている武田徹さんというかたのオンライン日記「逃げられない  投稿者: 武田徹  投稿日:11月 1日(火)08時06分45秒」の中に、キーワードを含む文章が出てきます。

 今まであまり出会ったことのない厳しい意見ですが、非常に重要なポイントを指摘していますので、孫引きになりますが転載させていただきます。

 安心が強要されているのと同じく、わかりやすさも強要されている感じがする。わかりやすさが単純さだとすれば、現実が複雑な時、それを表すために単純化された表現を選べば、現実と表現の間に非対称性が生じる。その非対称性の傾斜角の隙に「政治」が成立する。
 たとえばサイエンスコミュニケーション講座とかサイエンスライティング講座が増えているようだが、理解の共有を悩むことなく第一義に掲げる講座の担い手は自分たちがいかなる「政治」に関与しているのか自覚しているのだろうか。


 本来は複雑で難しいはずの「科学」を「わかりやすく伝える」時には、ほとんどの場合オリジナルから捨て去られる部分が出てくるものだと思います。

 同じく「科学をわかりやすく伝える」としても、どこを捨ててどこを残すかによって、場合によっては正反対のものに仕上がる危険性があるということの指摘だと思います。

 例えば原子力発電にしても、反対派も推進派も自分たちの意見をわかりやすく伝えるべく科学を説明します。原著論文の段階ではたったひとつだったものが、片方の伝達では原子力の有用性を示すものとして伝えられ、もう一方では原子力技術の不安定性を示すものとして伝えられることが可能であったとしたら、どちらを選ぶかあるいはどちらも選ばないかという段階で「政治」が入り込む余地があるということを認識しておかなければならないということです。

 わかりやすいということだけを追求するとしばしば陥る落とし穴だと思います。

 心の壁に貼っておきたいと思います。
by stochinai | 2005-11-05 16:11 | CoSTEP | Comments(10)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai