5号館を出て

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2006年 01月 07日 ( 1 )

僕はラジオ

 年末年始の喧噪が一段落した始めての土曜日、久しぶりに週末DVD劇場を開催しました。

 そう言えば、2年くらい続いていた95円の特別価格期間が終了して、昨年の12月からGEOの旧作DVDレンタル料金が180円に戻っています。店頭の価格表には確かにずっと「特別価格」と書いてあったので、いきなり正常価格に戻しますと言われても文句を言う筋合いではないのですが、値上げされたのと同じ気分になるのは不思議なものです。

 それはさておき、今夜の映画はデボラ・ウインガーの復帰作品として注目していた「僕はラジオ(RADIO)」です。劇場公開は2003年だったと書いてありますが、日本では2004年公開だったかもしれません。キューバ・グッディング・ジュニアとエド・ハリスとの競演ということで、役者は揃っているので安心して見ていられました。

 内容は、ほぼ実話なのだそうですが、高校のフットボール部のコーチが、町をうろつく知恵遅れの少年に部活の世話係という仕事を与えて、社会復帰をさせるという正義感だけで成り立っているようなちょっと間違うとものすごい臭いお話なのですが、それを照れもせずに堂々と直球勝負の映画にしてしまうところがアメリカという国の不思議さでもあるような気がします。

 恐らく、あの国には貧困家庭に生まれた知恵遅れの子どもなどがどうなろうと、それは運命や「自己責任」なのであきらめなさいという思想もあるのだと思いますが、同時にそういう弱者に対して国ではなく個人のレベルで援助の手を差し延べる人がまた多いのもあの国の特徴だという気がします。

 これが日本だと、個人で手を差し延べる人も少ないと同時に、国に何とかしろという声が起こるだろうということが予想されます。日本でもアメリカ流の自由主義思想が勢いを得てきているようですが、こうしたチャリティ精神もそれと同時に移入されないと、かなりやばい弱肉強食一本槍の状況になるかもしれないとも思いました。

 さてネタバレっぽい話になってしまいますが、話の内容自体はほとんどなんということもないにもかかわらず、最後の最後に中年になった本物の「知恵遅れの少年」の今の活躍の様子が出てくるという、ドラマが急にドキュメンタリーになる瞬間は実話に基づく話であるという制約からなかなか山を作ることができないこの手の映画の中では、ようやくある種の開放感を感じる瞬間だったかもしれません。

 キューバ・グッディング・ジュニアの演技はかなりのものだったと思います。本物の知恵遅れの少年などの行動をかなり研究していることが伝わってくる迫真の演技だったと思います。こういう演技は障害者差別につながるということで、どうしても腰が引けて本物ではあり得ないほど「美しく」演じてしまうことがままあるものなのですが、演技である以上はできるだけ「本物」に近いことが大事だということも感じました。なかなか才能のある役者さんだと思います。

 正直に白状しておきますが、実は私は出番のあまりないデボラ・ウインガーばかりをずっと見ていたのでした。すっかりおばさんになってしまいましたが、あの吸い込まれるような眼差しは、若い時のまま変わらず魅力的なままでした。動いているデボラ・ウインガーを見ただけで満足というのがこの映画の本当の感想と言えるのかもしれません。

 無批判なただのファンのつぶやきで、申し訳ありません。
by stochinai | 2006-01-07 23:38 | 趣味 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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