5号館を出て

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2006年 07月 31日 ( 1 )

 世界のサイエンスカフェの動向が気になる方には超有名な Duncan Dallas さんという方が、これまた分子細胞生物学方面では超有名な Cell という雑誌(Volume 126, Issue 2, Pages 227-229)に「Café Scientifique — Déjà Vu (いつか見たサイエンスカフェ:5号館訳)」というコメンタリー記事を投稿しています。

 特に驚くべきようなユニークなことが書いてあるわけではありませんが、世界中で同時多発的にカフェ・シアンティフィクの小さな火が燃え始めているという現象を読み解いています。何を根拠にしているか知りませんが、1998年にイギリスのLeedsで始まったカフェはアメリカとカナダの30を筆頭に日本、アルゼンチン、韓国、バングラデシュなど総計180になっているそうです。

 カフェの平均的規模は50名くらいで、科学者がオーガナイズすることもありますが、それよりは科学に興味を持った人によって運営されることが多いとのこと、CoSTEPと同じですね。ゲストに科学者やライターを呼んで話してもらうのですが、専門的な話をしてくれる人ならばわりと簡単に見つかるものの、今人々の議論になっているホットなテーマについて話してくれる人を探すのが困難だということは、世界中で共通のことのようです。

 場所についてもいずこも同じで、大学や研究所を避け、カフェバー、ワインバー、劇場、書店、ショッピングモールなどで行われていますが、ポーランドでは森の中で行われるカフェもあるのだそうです。載っている夕日を浴びながらのカフェの写真を見ると、我が北大の遠友夜学校と似た雰囲気を感じます。場所が変わると、議論の雰囲気が変わるということはサイエンスカフェの中味を左右する大きな条件として考えておくべきというのも、押さえておくべきことですね。

 カフェはローカルに行われ、トップダウンの全国組織や中央官庁からの指令などはないということも強調されていますので、どこかの国で全国一斉に行われた某学術会議主導のカフェなどというものは存在そのものが矛盾しているということでしょうか。逆にこういう構造ゆえに、カフェシアンティフィクは科学の宣伝や政治的利用などには使えないし、利用しようとしても聴衆の失笑を買うだけだと書いてあるあたりは、日本でもあてはまりそうです。そういう意味で、科学者のアウトリーチ活動とは一線を画されるべき存在であり、日本のあちこちで見られるような科学の宣伝のためのカフェは、ちょっと違うのではないかということでしょう。

 パワーポイントファイルが嫌われるという話は何回か聞いたことがありますが、ここにも書いてありました。その理由はただでさえ力を持っている科学者が、さらにパワフルな説得力を持つツールを持ち人々を説得する力を奪い取ることによって、できるだけ聴衆に近い水準に降りてもらうためにハンディをつけることだというふうに私は読めました。

 カフェの主役は科学者ではなく聴衆であり、議論も決して科学者ひとりを中心に行われるものではなく、どのようなことが議論になって盛り上がるかということも主催者やゲストの科学者には予想することができないものであるというスリルを楽しめる科学者をゲストとして迎えることができるかどうかが成功の鍵とも言えそうです。逆に、普段は経験することのないそのような立場に置かれたことを楽しんだ、という感想を持つ科学者も多いようです。

 インターネットの時代ですから、世界中のあちこちで行われるカフェのアイディアはたちまち世界に広がるということもあり、その日のテーマに即したケーキを焼くカフェや、音楽演奏付きのカフェ、2名さらには4名のスピーカーに参加してもらうものの、彼らには2-3分の自己紹介の時間しか与えず、ほとんど議論だけに終止するというカフェも出てきており、キャバレーやバーももはや珍しいものではなくなりつつあるようです。

 フランスで始まった生徒達によるジュニアカフェは、フランスでは100を越え、イギリスやアメリカでも増えつつあるようです。記事を読んで感じたことは、まさに「しゃべり場」があちこちの学校の食堂やカフェテリアに作られつつあるということです。しかし、残念ながらこの試みは日本では多分日の目を見ないような気がします。NHKがやってすごいと思えるようなことは、決して一般には広がらないのがこの国であると予言しておきます。

 カフェシアンティフィクは、科学振興のために考え出されたものではありません。科学者と普通の人が普通に話し合う場として生まれたものです。著者は、世界中で雨後のタケノコのように立ち上がってきたこの動きは、科学と他の文化の関係が根本的に変化し始めてきた兆候を示しているのではないかと考えているようです。

 指導者もいない、政治理論もない、将来の展望もない、PRする会社もない、そしてまったく儲からないのがカフェシアンティフィクなのです。科学は世界共通ですが、人々が暮らす場の文化はそれぞれの国に独自のものがあります。国や文化集団に独自のカフェが立ち上がってくるのは当然と言えば当然です。

 イギリスにいるイスラム教徒が始めたサイエンスカフェや、サンディエゴで始まったインターネットカフェTVと呼ばれるネット配信カフェで、現時点ではカフェシアンティフィクがない国へもカフェが浸透していく可能性も出てきていることを注目しているようです。

 科学が国家の補助だけに依存する時代は終わりました。市民の支持がないともはや科学が続けられない時代です。人々の暮らしや健康に直接関わる問題に大きく関わり始めた科学は、もはや市民の理解なしには立ちいかなくなっているのです。そうした状況の中で立ち上がってきたカフェシアンティフィクを見ていると、我々が今住んでいる社会において市民と科学者が、友人としてまた同じ人間としての立場から科学的問題について議論することができる社会になってきているのかどうかを知るためのバロメーターになるのだというのが、著者であるダンカンさんの結論のようです。

 良く整理された読みやすい評論ですので、是非原文を読んでみてください。
by stochinai | 2006-07-31 22:26 | CoSTEP | Comments(5)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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