5号館を出て

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2006年 08月 20日 ( 1 )

 ファン・ウソク教授を中心とする論文ねつ造事件のNHKスペシャルを見ました。おおむね妥当なものに仕上がっていると思いましたが、最後の結論が「こうした論文ねつ造を防ぐことはできない」という、あまりにも消極的なものだったことに衝撃を受けました。

 科学論文を書くことが、現世の利益(経済的成功など)と直結していなかった時代には、そこに嘘を書こうなどと思う人は少なかったと思います。また、仮に嘘を書いたとしても同じ研究をやっている研究者が少ない場合には、嘘であることが見抜かれることもほとんどなく、さらにはたとえ嘘だと見抜かれたとしても関係者の間で「あの論文に書いていることは嘘らしいよ」という噂が飛び交っておしまいという程度で終わっていました。

 確かに、昔も大学の教授になったりするための「業績」として論文を書くことは必要でしたから、教授になるために、嘘のデータで論文をでっち上げたり、ひとつのデータで3つの論文を書いたりということは頻繁にあったようで、私もそれに類する話を直接聞いたことがあります。いわく、教授のポストが空いたので、教授になるために急いで論文を「作った」と。

 そういうふうな「論文なんて大したものではない」という環境の中で育ってきた研究者が、論文を書くということがかつてのように給与が低く人気のない職を確保するためにだけ利用される条件ではなく、社会的にも認知度が高く、人気も高く、給与もそこそこの職を得たり、場合によっては給与以外の収入でボロ儲けができたりすることのネタになるという向こうからやってきた状況の中におかれている、というのが現状なのではないでしょうか。

 つまり論文ねつ造をやっている人達の多くは、ばれてとしてもそんなに責められることのない、内輪のゲームでやるちょっとしたズルのような程度のことをやっっていた昔と、それほど違わない気分でやっているのではないかと思えるのです。

 ちょっとしたズルにしては大きすぎる地位や巨額のお金が動きますから、冷静に考えると事情は変わっているということを理解できなくはないと思うのですが、そうした社会常識を持つことのできなかった人が研究者に多いということも、ねつ造がなくならない理由のひとつにあるのかもしれません。

 それにしても、NHKスペシャルの結論のように「論文ねつ造をふせぐことはできない」などということは決してなく、論文をねつ造した場合にもきちんとした社会的制裁が下されるような制度を作ることで、ねつ造を限りなく少なくすることはできると思います。

 日本でも、研究環境をめぐる不正に関しては、処分が甘いと言われます。多くの場合研究者のミスコンダクトを裁く側に専門的なことに関する判断を求めるとして研究者が入っているケースがほとんどだと思いますが、そのことが結果的に研究者の行う不正に対して同情的な判断につながっているということはないでしょうか。前にも書きましたが(「泥棒に縄をなわせる」)、研究上の不正に関しても科学リテラシーを持った第3者を入れた機関で裁くようにしなければ、いつまでたっても「専門家の不正」はなくならないでしょう。

 また、番組ではやっていませんでしたが、なんとファン教授は製薬会社が提供する研究所で研究を再開することになったようです。

 確かに、論文のねつ造ということは詐欺罪程度ですし、動くお金もせいぜいが数億円とか数十億円程度のことが多いですから、社会全体が甘く扱っているということなのかもしれません。
by stochinai | 2006-08-20 23:55 | 科学一般 | Comments(10)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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