5号館を出て

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2007年 01月 12日 ( 1 )

 論文のねつ造と似て非なるものに、研究者の不正経理問題があります。

 今日、北大の地震火山研究観測センター長だった島村さんが、地震計をノルウェーに売却して現金化したことが詐欺罪にあたるとして、懲役3年、執行猶予4年の有罪判決を受けました。

 その「代金」が約2030万円だったということですが、その後島村さんは北大に約1850万円を支払い和解しているそうです。さらに、告訴されたときに所長だった国立極地研も辞職して社会的制裁を受けているということで、執行猶予がついたようです。

 私はこの件について、ニュースで報道される以上には、まったく何の内部情報も持ち合わせていないのですが、ひょっとすると島村さんが北大から極地研に移る時に、お金を北大地震火山研究観測センターのプール金として置いていっていたならば、この騒ぎが起こらなかったような気もしております。

 まあ、ものを売って換金するということは、めったに見られないことですが、昔の大学では今ならば絶対に許されない不正経理は組織ぐるみでやっておりました。そもそも、研究費が単年度決算で、旅費は旅費、研究費は研究費で、それらの間で融通することすら許されず、さらにお金を余すことも許されなかったのです。使い切れないから返還したいということも許されなかったと思います。

 お金が残りそうな時にどうするかというと、もっとも「安全な」使い方が、近くにいる他の研究者に使ってもらうということです。実際にそういうケースはたくさん見聞きしました。しかし、もともと少ないお金ですから、なんとか翌年の研究に使えないかと考えた結果なのか、もっとも普遍的に行われていた方法が「カラ出張」と「預かり金」という方法です。

 カラ出張は文字通り、出張せずに出張届だけ出して旅費を現金で受け取ることです。現金になってしまえば、研究に使おうと私的に流用しようとわからなくなりますが、大学では大多数のお金は公金として、研究や教育に使われていたと思います。私も大学院生の頃、学会発表の旅費を現金で頂いたことがありますが、おそらく先生のポケットマネーから出ていたのではなかったと思います。

 それから、預かり金というのは、業者から実際には何も買わずに、形だけものを買ったことにして請求書をもらい、それに対してまずお金を支払ってしまい、翌年以降にゆっくりとそのお金を研究費として使うというものです。こちらは、業者がお金を預かっていますので、結果的には研究に使う試薬や消耗品、備品などを買わざるを得ないため、ほとんどの場合、「正しい」研究費になっていたと思います。

 もちろん、どちらも完全な不正経理ですので、今ではまず行われているところはないと思いますが、こんな頭の良い単年度決算の予算の使い方を研究者が思いつくはずはありません。

 すべては、大学の事務系の官僚に教わったものだと思います。事務系の職場では、研究者に負けず劣らず柔軟に利用できるお金がありませんので、事務職員の福利厚生や自主学習などにかかるお金を捻出するために、カラ出張、購入品の品名替え、預かり金などのテクニックが日本中の国家・地方の役所で行われていたと思います。私企業でもやっていたのかもしれませんが、柔軟に使える予算がある場合には、そんなややこしいことをする必要はないでしょう。

 もちろん、今ではカラ出張や預かり金などはほとんどまったくと言って良いほどなくなっていると思いますが、場合によっては同じような手法で自由に使えるお金(もちろんほとんどの場合、研究費です)を手に入れたくなる誘惑はあちこちにあるのではないでしょうか。

 特に、今回の島村さんの場合や、早稲田の先生の場合などは、そのままにしておくと寄付になったり、返還しなければならなくなかったはずのものが、ちょっと「頭を使う」ことで、翌年以降の研究費として使える1000万単位のお金が手に入るという誘惑に負けたのではないかという気もします。

 もちろん、そのように正しい経理からはずれてしまったお金は、しばるものがありませんので、研究以外の私的流用へとささやきかける誘惑もあるでしょうし、人によってはその誘惑に負けて研究費の一部で、飲み食いしたり、異性とおつきあいしたりというような結果になってしまった方もいるかもしれません。

 弾さんが使った意味とは違うのかもしれませんが、持ちつけたことのないお金を持ってしまった時のお金の使い方に関して、「商人の目で見ると学者の脇というのはずいぶんと甘く感じる」ということになってしまうのかもしれません。

 もともと、研究者にそれを教えてくれた官僚はもっと賢く、やばくなりそうになる前に、いつの間にかカラ出張や預かり金などということはやらなくなっているようで、気がついてみたら教えられた研究者の一部の社会の動きに疎い連中が血祭りに挙げられているように見えることもあり、なんだか哀れにも見えてきます。
by stochinai | 2007-01-12 22:59 | 大学・高等教育 | Comments(9)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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