5号館を出て

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2007年 03月 30日 ( 2 )

待つ力

 またまた山田ズーニーさんの「大人の進路教室。」を聞いて感動、というよりは共感してしまいました。

 最近3月8日からは『第五章 「働けない日々」からの脱出』ということで、高校1年のときシックハウス症候群になって、受験にも乗りそこね、就職の機会も逃したという、末吉さんという方がゲストでした。彼は150社不合格という壮絶な就職活動の末、やっと就職できたらしいのですが、やがてその仕事も辞めざるを得なくなるという踏んだり蹴ったりの経験を積んだ方です。

 これまでは3回、彼の話を聞くというスタイルだったのですが、昨日29日は「Lesson20 ズーニーのまとめ」ということで、山田ズーニーさんの一人語りでした。前に書いた「やりたいことが見つからない」の時もそうでしたが、彼女はひとりで語っている時が断然良いのです。

 昨日の話は、まったく同感というところが満載の話でした。自分の過去を語っているのですが、気に入ったところを抜き書きさせてもらいます。

 ポッドキャスティング Lesson20 ズーニーのまとめ
あれが
アイデンティティを失うという感覚だったのだと思う。
天職とか、大好きな人とか、
自分の真ん中にあるものを失うという感覚。

でも私は、そこからのがれるために、
スケジュールの空白をうめる、ということをしなかった。

正直いうと、やろうとしてもできなかった。

 自分がダメだと思った時に、ともかく身体を動かし続けて落ち込むことを避けることができる人がいますが、ズーニーさんはそれができないのだそうです。私も、「とりあえず体を動かす」というのができない質です。体を動かし続けていると、どうなるかというと。
それはそれでスケジュールの空白は埋まり、
絶えず何かやってれば、
寂しさは感じなくてすむかもしれない。
でも何かで空白を埋めるということは、
そこにはもう、他の何かは入れられない、ということだ。
 ということで、そんな生活をしていたら新しいことができなくなるのではないか、というのです。まさしく、そうだと思います。
1年のうちでも何回もない、「これだ!」
というものに出逢ったときに、

むやみな動きで消耗しきってくたくただったら?
スケジュールに余白がなかったら?
どうやってそこに飛び込んでいけるのだろうか?
 
 何もしないことの力、それを「待つ力」と呼ぶのかも知れません。何もしないということは、充電の期間でもあるのです。
だから、心の声にしたがえば、
スケジュールに空白ができ、
空白の時間は、じっとパワーを溜め込んだ。

その状態は、見方を変えれば、
いつなんどき「これだ!」というものに遭遇しても、
「すぐに」、「全身全霊で」、飛び込める状態でもある。

 そうなのです。こちらの準備がなければ、チャンスに出会った時にそれをつかむことができないのです。素晴らしい結語もありました。

  「ものはひらいた手でしかつかめない」

 何かを探している時には、何もしないこと。このアドバイスは、とても大切なのかもしれないと思います。

【追記】
 もう一回聞いてみると、山田ズーニーさんは昔書いたエッセイを朗読しているようです。探してみたら、ここに全文がありました。1年ちょっと前に書かれたものですね。

   おとなの小論文教室。感じる・考える・伝わる!
      Lesson 280  待つ力
by stochinai | 2007-03-30 21:26 | つぶやき | Comments(2)
 先ほどNHK総合テレビの7時のニュースのトップで、高校の日本史の教科書の検定によって太平洋戦争末期の沖縄戦での住民の「集団自決」について、昨年までは認められていた「日本軍により強制された」となっていた記述が、強制はなかったというように修正されたと報道されていました。

 従軍慰安婦問題でも、「日本軍の直接関与」がうんぬんされ、証拠がないからなかったのだろうという議論がありましたが、今回の教科書検定も教科書検定調査審議会が、日本軍の強制の証拠がないから、教科書から削除するようにという意見(逆らうと検定外になってしまうので、事実上の強制)を付けたものと思われます。(不思議なことに、従軍慰安婦問題には検定で意見書が付いていないそうです。外圧のせいでしょうか?)

 これでまた、明日から世界中からいろいろな文句が来ることは間違いなく、国際的に孤立して生きていくことはできないグローバリゼイションの時代に、なんともセンスのない行政を行う政府なのかと疲れてしまいます。(総理は文科省のやることこは、政府がやっていることではないとコメントしているようですが、外国からみるとそうはならないでしょう。)

 従軍慰安婦にしても、沖縄の非戦闘員集団自決にしても、存在したことは事実として否定する人はいないと思うのですが、それを日本帝国軍が直接指揮したかどうかについては議論が分かれるのはかまわないと思います。そして、両方の意見が自由に言える状態でこそ、本当の民主主義国家と言えるのだと思います。ですから、時の政府がどちらの意見であったとしても、それを国民全体に強制するということになる教科書検定などはもうやめてしまってはどうでしょう。

 そもそも教科書検定の大問題は、教えてはならないことが出てくることであり、検定教科書に載っていないことは受験に出してはいけないことになっており、そのせいで能力のある子どもでもその能力を伸ばそうと思っても、モグラたたきのようにたたかれてしまう原因のひとつにもなっていると思います。

 これだけの情報化社会なのですから、教科書で知識や思想を統制しようという発想そのものが古すぎます。これを機に、教科書検定そのものをやめてしまってはどうでしょう。そうしなければ、ただでさえ評判がガタガタになっている公教育そのものが見捨てられることになってしまうと思います。(結果的には、それでも検定制度は崩壊します。)

 教科書の検定制度は廃止しましょう。
by stochinai | 2007-03-30 20:01 | 教育 | Comments(9)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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