5号館を出て

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2007年 08月 31日 ( 1 )

のんきな大学人

 さなえさんに、また(^^;)大学が的確なお叱りをいただきました。

 まずポスドク問題の議論の中で、お金に関して「予算が増えれば解決する問題が多いのだから、金の議論も燃えさかるべきなのに、なんとなく迂回している」とおっしゃられていますが、このことの理由は二つあると思っています。

 一つはおっしゃるとおり、大学人が「億がつくような研究費が手にはいるというのに、どぶに捨てても良い、武士は食わねど高楊枝だ風によそ事のように放置するのは、金銭教育が出来ていないからだろう」ということがあります。そもそも、国立大学ではお金は「定期的にいただく基盤運営費」か「申請して交付していただく競争的研究費」しか手に入らない構造になっておりまして、自ら稼いだり巨額の寄付を集めたりすると基盤運営費が削減されたりするという極めて理不尽な運用体制がとられてきたこともあり、「自分でお金を稼ぐことなどは考えないように」というのが「お上」の意図であるという現実があります。

 そういう体制が戦前・戦後と100年以上も続いてきたので、大学の人がお金に対してのんきに見えてしまう風潮ができあがってしまって、今日に至っているのだと思います。

 そんな中で、ポスドク問題も実はお金の問題であるにもかかわらず、お金の話が前面に出ることなく政治や自己責任の話ばかりが議論されているので、さなえさんとしては何とも歯がゆいということなのだと思います。

 理由の二つ目は、大学や研究をめぐる場にいる人の多く、特に研究者と言われる人の多くは、おっしゃるとおりまったく「金銭教育が出来ていない」ということあります。ですから、そういう人がいきなりベンチャーとかやっても成功しないのが当然、と私には思われます。

 そういう現実があるにもかかわらず、大学では基本的に定常的事務作業以外のほとんどすべての運営をそういう金銭感覚の欠如した我々研究者にさせているのです。これでは、どう考えても的確な法人運営ができるはずがないと思いませんか。

 卑近な例で言えば、つい先日も大学においてどのような行政文書を誰がどのように保存すべきかということを決めることを、私が求められました。そもそも行政官という認識すらない私たちが、法律に基づいて大学の中にあるどれが行政文書に当たるのかを見分けて、どのようなな文書をどのように保存すべきかなどということの判断など、到底できるはずがないと思われるのに、そういうことを要求するのが大学というところです。仕方がないので、私は過去の記録を参照しながらそれを踏襲するようなものを作り上げましたが、それが法的に適切なものであるかどうかという点に関して、もちろん自信はありません。

 これは、最近身近に起こったほんの一例にすぎません。同じように人事から予算・決算まで、すべての運用の責任が研究者に任されているのが今の大学なのです。もちろん、法人化されてから、運営主体として理事からなる役員会や運営協議会などもできましたが、もっとも末端における実務は今までどおりすべて研究者によって運用されていることは変わりがありません。

 そこで、本当に大学を変えようとするならば、大学の運営を実際に担う実行部隊を作らなければならないと思います。それによって、研究者(教育者)を不得手で不毛な大学運営から解放して、研究・教育に専念させることができるようになることと、金銭感覚を持った法人運営を行えるようになると思います。

 そのための前提となる、二つの大きな条件があります。まず政府・文科省が個々の大学が自ら稼いだり巨額の寄付を受け入れたとしても運営交付金を削減したりという、懲罰的な資金管理をやめることと、大学の教員の1割くらいを削減して運営のプロを雇い入れるということです。

 前者に対しては文科省が抵抗しそうですし、後者に対しては大学側から猛烈な抵抗が予想されます。

 しかし、ここを乗り越えずに大学が独り立ちすることは決してできないと感じています。大学も親(文科省)離れ、文科省も子(大学)離れしなければならないところにきているというのが私の判断なのですが、さてどのくらいの方に共感していただけるものでしょうか。
by stochinai | 2007-08-31 21:49 | 大学・高等教育 | Comments(23)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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