5号館を出て

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2007年 09月 02日 ( 1 )

宿題代行業

 夏休みが終わる頃になって宿題代行業のことがいっせいにニュースになっています。おそらく、ずいぶん前からある商売なのだと思いますが、夏休みの終わりになってからたまった宿題をまとめてやるという、新聞記者を含め今大人になっている人たちが子どもの頃経験していたことが今も続いているという、固定観念にしばられたつまらないニュースに感じられました。

 一番の疑問は、お金を出してまで夏休みの宿題を完成させて出すという子ども(親?)がそんなにたくさんいるとは、とても思えないということです。もし、そんなにいないのならニュースにするほどのことなのでしょうか。もちろん、宿題は何のためにあるのかという意味を理解することもできず、宿題をきちんと出すことが子どもの「内申」を含めた成績に良い効果を出すかもしれないという明らかに間違った判断に突き動かされて、誤った行動をとる一部の金銭的に余裕のある家庭があることは事実なのでしょう。だからといって、それが日本の教育界全体の問題になるほど蔓延しているということはないと思います。

 私も小学校の頃、夏休みや冬休みには「夏休み帳」や「冬休み帳」という宿題ノートを課せられた記憶があり、「自由研究」などというちっとも自由ではない作品制作課題とともに、親などの協力のもと、休みが終わる数日前に半泣きになりながら、やっつけで何ページもまとめてこなしたり、「日記」をまとめて書いたり、いろいろなものを作った記憶はあります。もしも、それを誰かがやってくれるといったら大喜びで頼んだに違いありません。しかし、どこの家も貧乏だった上に、そこまでやったらもうおしまいという世間の雰囲気がそうした商売の出現を阻んでいたのだと思います。

 今は、貧富の差が拡大しているようで、そんな百害あって一理もないようなものにお金を出す余裕のあるバカな親もいるということなのでしょう。さらに、どうみても倫理的には許されない教育を破壊する商売を考える仕掛け人および、そうしたものに荷担する倫理観のかけらもない下請けの大学生・大学院生がいるということも事実かもしれません。

 教育を受けている人間が課題として課せられたことを代行してもらうということは、教育を受けている人間を評価するという、教育機関として非常に重要な作業に対する妨害行為になりますので、そうしたことを意味する代理受験やカンニングに対しては、どこの大学でも非常に重い罰(無期停学~退学)で対処しているはずです。その一方で、そもそも教育というのは、ある期間継続して行われることですので、その全期間を代行してもらうならばいざ知らず、最終的な課題や試験の時だけ誰かに代行してもらったとしても、教育している側から見るとすぐにその異常さ(この子がそんなにできるはずがない)はわかってしまうものです。

 つまり、発勝負の試験ならば代行してもらうことで効果を生む結果を得ることができるかもしれませんが、普段つき合いのある先生に提出する「宿題」はそうそうごまかしが効くものではないと思います。同じように、卒業論文やましてや修士論文などを代行業者に依頼して、それが通るなどということがあるのだとしたら、それは代行業者や提出者に問題があるのは当然としても、それ以上にそれを受け取る側に大きな問題があると思います。つまり、そこには教育者と被教育者の間に日々の交流がないこと、教育がないことを意味しています。逆にいうと、きちんとした教育が行われている場では、代行業者がはいる余地などまったくないということです。

 というわけで、夏休みの宿題であろうと卒業論文・修士論文であろうと、きちんとした教育がなされている場があれば、代行業などというものは存在し得ないあだ花ということになります。

 またもしも、そんなことを利用して「成功」するような人間が出てくるようなことがあるのだとしたら、その社会はもはや滅び行くしかない腐敗しきった社会であることを意味していると思います。もしも、今の日本がそいういう社会になっているのだとしたら、日本を変えるか日本を捨てるかという選択しか残っていない国になっているということになります。

 今の日本は、もうそんな状態なのですか。
by stochinai | 2007-09-02 23:58 | 教育 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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