5号館を出て

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2007年 09月 07日 ( 1 )

 久々に山田ズーニーの「おとなの進路教室。」から話題を頂きます。8月後半から第十一章「フリーランスという生き方」が始まっています。高橋真裕美さんというフリーランスの構成作家の方の話は、ここで話題になっているポスドクの仕事探しとかなりの共通点を持っていると感じられるものです。

 高橋真裕美さんの夢は「字を書いてお金をもらって暮らせたらいいなあ」だったのだそうです。そして今、番組の構成作家になって字を書いてお金をもらって暮らしています。最初は社員として何でもやります的なところから始めて、どうやってフリーランスになっても仕事がまわってくるようになったのかという話は、大学院・ポスドクの時にはボスのいいなりで、何でもやります的な研究生活を経て、独立した研究者になった人の話とたくさんの共通点があるように思えました。

 多くのポスドクの夢は「研究をしてお金をもらって暮らせたらいいなあ」ではないでしょうか。そう考えると、彼女がどうしてフリーランスになったのか、そして今どうやって生きているのかを知ることはかなり参考になるかもしれません。たとえ大学に雇われたとしても、研究者という職業はフリーランスに限りなく近いものに思えます。興味があったら是非とも聞いてみてください。

 昨日は「Lesson43 独りで生き抜くために必要なこと」でした。前半はいつものように山田ズーニーさんがゲストの高橋さんの話を聞いているのですが、途中からなぜか山田ズーニーさんが自分もフリーランスということでか、自分の話を始めるあたりから話が盛り上がってきます。

 ここから、高橋さんが聞き役にまわるという、この番組らしい展開になります。そこで山田さんが言った言葉「不要に恐れない」「自信を失わない」ということは、言い換えるとプライドを失うなということだと聞こえました。フリーになったはいいけれども、全然仕事にありつけなくて、仕事をさがしにいっても断られてばかりだと、自信を失いまわりの何もかもが恐ろしくなるという気持ちは良くわかる気がします。就職活動をしている学生を見ていると、失敗するたびに落ち込みどんどん自信を失い、なんだかおどおどと卑屈になっていくように見え、逆にそれが原因で次も失敗するという悪循環にもなるでしょう。

 山田さんは、ともかく恐れないというのは「簡単じゃないか、恐がらなきゃ済むことなんだ」と気がついたことが大きかったと言っています。似たようなことですが「自信を持て」も大事にしている言葉だそうです。思い返せば「自信を失っていた期間というものがまったく無駄だった」と思えるのだそうで、恐がらず、自信を失わず、そして「体を鍛えよう」が山田ズーニーさん(フリーランス歴7年)のモットーだそうです。

 片や、フリーランス歴21年の高橋さんのモットーは、さすがにその上を行っています。フリーランスになると決めたからには、1)誰にも負けない得意なものを持て、そして先輩からもらった2)ものを作るようになったら絶対に時間給で働くな、という言葉はとても重要なことだと思います。得意なものを持てというのは売り物を持てということで、時間給で働くなというのは結果に値段をつけてもらえということです。フリーで仕事をする時の鉄則だと思います。

 なぜか、山田ズーニーさんがフリーになる時に高橋さんにアドバイスをもらっていたという逸話も紹介され、その時に高橋さんが山田さんに言った「お弁当は配らしてもらえないよ」という言葉が山田さんの胸に刻まれていました。山田さんにはフリーになって教育のテレビ番組を作りたいという夢があって、そのためにはまずどうやってテレビ界に潜り込もうかと考え、「お弁当配りでもなんでもやります」と高橋さんに相談した時、高橋さんは「お弁当は配らしてもらえないよ」と言ったのだそうです。

 フリーランスになって仕事をしようと考えている、ちょっと年のいったそしてプライドの高い生意気な人間を、わざわざテレビ局が雇って弁当を配らせるはずがない、お弁当を配るなら、バイト代が安くて馬力のある従順な若いヤツを使うに決まっている、というのです。なるほど、それはその通りです。使う側の立場に立ってみても、使われる側の立場にたってみても、会社を辞めて独立しようとしているヤツが弁当配りをするということはあり得ないシチュエーションということになります。

 ポスドクが自分の得意な能力をまったく使わない仕事に就くということは、フリーランスに弁当配りをさせるようなもので、雇う側も雇われる側も望んでいることではないということも良くわかります。だから、いろいろと難癖をつけて、ポスドクは雇いたくないといっている企業の方々はポスドクの能力を使う気がないということでしょう。ポスドクの能力について語らずに、彼らの「使いにくさ」などを説いているということはそういうことなのだと思います。使う気がないのなら、はっきりと「うちの会社にはポスドクの能力は必要ないんです」と言って欲しいものです。

 高橋さんのアドバイスは、テレビ番組を作りたいなら「向こうから呼んでもらえるプロになれ」でした。「何でもやりますということが通るのは若いうちだけ。30すぎ、40以上になったらプロ中のプロにならなければやっていけない」。

 これは、なかなかきつい言葉ですが、真実でしょう。

 いろいろと違いはありますが、とりあえずそこには目をつぶって、ポスドクも研究者になりたいのなら、向こうから呼んでもらえるようなすごいプロになっていないと、確実に仕事を得るということはできないぞ、と言われたら、確かにそれには一面の真理があると言わざるを得ません。研究を捨てる(フリーランスで独立することをあきらめる)ということなら、自分を偽ってでも何でもやりますということで、どこかに潜り込むというのも可能かもしれませんが、夢を捨てないつもりなら「何でもやります」はない、ということでしょう。

 これはまさにプロ・スポーツと同じ世界の話だと感じました。そして、ポスドクが研究者になる時にも、かなり似たシチュエーションが想定されるということは、今や研究者になるということも芸能界やプロスポーツ並みの状況にあるとも言えるのではないかと感じます。

 30・40になったら「何でもやりますと言うな」というのは、重い言葉ですね。

【追記】
 ボストンの島岡さんから、TBエントリーをいただきました。中にある「フリーランスほど『様々なコレクションやしがらみのなかに積極的に自分を置かなければならない』」という言葉には、目から鱗が落ちる思いがします。
by stochinai | 2007-09-07 23:14 | つぶやき | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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