5号館を出て

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2007年 10月 14日 ( 1 )

 10月6日の「ポスドク問題の国家的損害」というエントリーに、たくさんのコメントがついて議論になっています。その中で、Aさんという方のコメントが大学院問題の核心をついた重要な点を指摘していると思われますので、こちらに再掲させていただいて問題を整理したいと思います。

 10月13日のAさんのコメントから抜粋します。
 これを読んでいる中に大学教育の関係者の方が多いのであれば、せっかく匿名なのですから「なぜ大学は今、大学院生が欲しいのか」について本音で話してもらえませんか? これまでの説明ではほとんど理解できません。また、これまでに企業や社会からほとんど必要とされることのない博士を大量生産してきたわけですが、「大学の考える大学院教育は、国民の税金でまかなわれる教育として妥当だったのか」についても意見をうかがいたいと思います。
 これに対して私が書いたコメントです。
 Aさん。他人事にように言うと叱られるかもしれませんが、私は大学院生の定員を減らすべきだと思っています。
 今は、学生定員より少ない状態にしておくと文科省から叱られて、予算が減らされるらしく(確認していません)、ひいては教員を減らさざるを得なくなるようなので、ほとんどの先生は学生を減らすという提案には賛成してくれません。
 確かに、大学院生を増やすことで、大学の予算が増えたり、団塊ジュニアの時代に一時的に殖えた教員定員を減らさなくても済んだという「取り引き」はあったようですが、現実には予算はほとんど増えなかったですし、その後どんどん減っているのが実態です(教員も減っています)。ですから、ここで学生を減らすともっと予算が削減されることを恐れているというのが大学側の本音のような気がします。
 そういう意味では、Aさんがおっしゃるように、学生をたくさん取ることにメリットがあるとも言えますが、タコが自分の足を食べながら生き延びているという程度だと思います。
 これに対して、Aさんが長いコメントをくださいました。3つに分かれているものをまとめて再掲します。
 なるほど。詳しい内訳は分かりませんが、大学のサイフは文科省が握っているので、文科省の設定した定員数に満たなければ大学の資金が削られ、結果として職員をリストラしなくてはならなくなる。そこで大学院生の獲得を選んだというのが実際でしょうか。つまり、大学院生・博士増産に対する見返りは「既存の職員のクビをつなげる」ことだったということになりますか。これは組織を守るために仕方のない緊急避難だったとも言えなくはないでしょう。
 ひとつ疑問に思うのは、本当に大学には文科省の言いなりになるしか選択肢が無いくらい、経済的に逼迫しているのかということと、大学院生を増やせば当然出口問題も予想されることなのに、なぜ看過してここまで来たのか、と言うことです。文科省の(無理な)要求に対してそれをはねのけるくらいの経済的、体制的な強さが大学には必要だと思いますが、理想論でしょうか。ともあれ、切り詰められるところは全て切り詰めてもまだ困窮しているというのであれば、大学院生を増やし、自分たちのクビをつなげたとしても、そのこと自体は非難されることではないと思います。

 問題となるのは、見返りに増やした博士が社会的にどこにも行き場がないことですね。今の職員数で精一杯の大学なのですから、博士が何人産まれようと吸収する容量がなかったのは始めからわかっていたことでしょう。にもかかわらず、大学以外の方向性を模索するような方向に大学院生を教育していかなかったのは欺瞞だったと思います。もし、増やした大学院生がきちんと社会に出て活躍していたのであれば、大学院教育の評価は大きく上がっていたと思います。おそらく、文科省も一部の上位大学はちゃんと博士を社会に送り出して来るものと期待していたのではないでしょうか。
 彼らが社会に出て、向こう40年近く国に税金を納め、消費にも参加するならば、社会的にも大きな貢献でしょう。しかし、このままいくと今の博士は納税や消費という意味では氷河期世代と同様、今後3、40年間、マイナスの効果を産み続けることになります。確かにこれは国家的損失で、こちらの解決もかなり重要だと思います(最終的にはこう言う社会に受け入れられない人たちの生活保障は、他の納税者が負担するということになると思います)。

 この大学院生の教育問題、結果として大学院の存在理由をも揺るがすレベルまでのダメージとなったわけですが、これに解決はないのでしょうか。今後として、大学院の学生を減らすというのは私も賛成です。東大が定員を増やしたところで、博士の社会進出を促すよっぽどの秘策がない限り、ここ何年かの惨状を再現するだけの話で、さらに無職者が出て社会負担が増えるでしょう。そうなると次は大学院の取りつぶし(統廃合)になると思います(そもそもこれが文科省の狙いではなかったのですか)。
 この統廃合を避けるための対策として、大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げることが重要になると思います。こと授業料に関しては、きちんとした教育が行われ、若い人材が世に出て活躍できるのであれば、今の3倍4倍の授業料でも決して高い対価ではないと思います。また、財源を有効に生かすという意味で、経営体制を見直すリストラも必要だと思います。それから、やはり大学院の唯一の売り物である学位に付加価値をつけるためにも、今いる博士たちの社会進出はサポートした方が良いと思います(現状では途方もないマイナスの宣伝効果を生み出しています)。
 大学関係者ではないAさんに、大学側の事情を理解していただけたことはとてもありがたいと思いますが、同時にAさんがおっしゃられているように、「文科省の(無理な)要求に対してそれをはねのけるくらいの経済的、体制的な強さが大学には必要」だということを重く受け止め、大学は自己決定力を獲得していく必要があると思います。

 今から考えると不思議な気もするのですが、30年くらい前の国立大学は文科省が何を言ってもコントロールできないくらいの「強さ」を持っていたような気がします。同時に、その頃は文科省も大学が言うことを聞かなかったからといって、懲罰的な予算削減などということはおそらくあまりやっていなかったのように思います。文科省も大学も貧乏だったから、お金で支配できるというような関係にはなれなかっただけなのかもしれません。それが、国の科学技術振興政策で文科省が大きなお金を大学などに対して配布できるようになったことで、文科省はその配分決定を通じて大学を支配下におこうとし、逆に大学側ではいかに文科省に気に入られることでその配分を多く受けるかという、経済的支配原則が回り始めたような気がします。

 教育のことを考えると、実は大学院が重点化される前には、大学院には事実上「教育」などというものはなかったと言ってよいほどの(考えようによってはひどい)状態でした。大学院では「学生は先生の背中を見て自分で育っていくものだ」などという、何の根拠もない通説がまかり通っていましたから、大学院生を受け入れる研究者の側では大学院生が何人になろうとも、背中さえ見せていればいいのだからと何も心配していなかった能天気な先生が多かったように思います。しかも、それまでは大学院の博士課程を出ればその半分近くが大学の教員になれるくらいしか大学院生はいませんでしたから、就職が大変になるなどという想像力を働かせることもできなかったのかもしれません。また、大学院生の数が研究室から上がる研究業績に比例し、ひいては獲得できる研究費に反映するということになってきましたので、大学院生の獲得にはますます拍車がかかったというのが実態で、そのことは非難されて当然のことです。これに関しては、大学(私を含めて)は責任を逃れることはできません。

 また、文科省の方でも何を根拠にしてか、大学院生を増やして修士や博士が増えたら、企業がそういう人材を積極的に採用するはずだと「信じて」いたのだと思いますが、卒業生が出るころは就職難時代になってしまっていたので、超高等教育を受けた人材が失業者になることを防ぐためにも例の「ポスドク1万人計画」が予定を上回る速度で達成されたという声もあります。文科省の予想通りならば就職氷河期が過ぎた今、企業がポスドクをどんどんと吸収してくれるはずだったのでしょうが、増やしすぎた博士の中に質が低くて使い物にならない人がいることを「口実」に企業は博士を採用することに消極的です。

 ここまで来てしまった以上、博士・ポスドク問題はかなりの痛みをともなわずには解決することは不可能なことは認めざるを得ないと思います。そのためには、何度も書いていますけれども、大学院を少数精鋭に戻し、大学院教育を充実し「こと授業料に関しては、きちんとした教育が行われ、若い人材が世に出て活躍できるのであれば、今の3倍4倍の授業料でも決して高い対価ではない」と思わせるくらいの質を持った博士を世の中に送り出せる体制を作り、博士になった全員(少なくとも半分か3分の1は)が大学教員や研究者(大学・企業を問わず)あるいは、社会のリーダーになれるという状況をつくるべきでしょう。

 また、もはや大学や大学院の統廃合も避けられないことだと思いますが、ジリ貧になって文科省主導でツブされるのでなく、大学側が積極的に動いて変わっていくことが必要なのだろうと思います。そのためには、Aさんのおっしゃるように「大学は財源を文科省以外のところにも求め、依存度を下げる」ことや、「経営体制を見直すリストラ」さらには、大学・大学院の教育体制を抜本的に改革するためのリストラも必要になると思います。

 大学にそれをやらせるのは、納税者であり受益者である国民の声と力だと思うのですが、そうなると最大の問題は、国民の大多数が大学のことなど気にしてはいないことだという気もしてきます。

 出口は簡単には見つかりそうもありません。
by stochinai | 2007-10-14 23:58 | 大学・高等教育 | Comments(738)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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