5号館を出て

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2007年 10月 28日 ( 1 )

 大学院にはいって自分で研究をするようになると、他の人の研究者としての能力を判断できるようになってきます。(それができない人は、まだまだ修行が足りないと反省してください。)さらに博士後期課程やポスドクになり、研究者としての自分の能力に自信がついてくると、自分よりも明らかに研究者としての能力が劣っていると思われる人間が、教授・准教授・助教でテニュアの職についているのを見ると、時には腹が立つことも多いだろうと思います。

 さらに頭に来るのは、「公募」と称して自分も参加したポスト獲得競争において、明らかに自分よりも業績や能力に劣ると思われる候補者が選ばれることをしばしば経験することでしょう。そのたびに、この国にはフェアな競争がないと絶望的な気持ちになることは想像に難くありません。

 もちろん、「公募」と称した募集の中には、公募という形にしなければ文科省に叱られるからという理由で形だけ公募の形態をとったいわゆる「やらせ公募」が横行していることも、なかば公然の秘密です。経済的手法などで、これだけ大学をしっかりと管理しているにもかかわらず、そういうことを文科省が関知していないのだとしたら、管理責任を問われても仕方がないと思います。

 しかし、一方では文科省と応募してくるポスドクとの間で板挟みになっている大学、それもいわゆる「地方大学」の置かれた立場を理解することも、ポスドク問題を考える上にとって重要なのではないかと思います。たくさんのコメントをいただいたエントリー「大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか」に寄せられた「田舎教師」さんのコメントは、もちろん立て前としてはそれに対して寄せられた「そんなことは許されない」というたくさんの反論が正しいのだと思いますが(それは田舎教師さんも自覚されているようです)、単純に否定するだけでは済まない現在の地方大学の置かれた状況を反映しているような気がしますので、ここに再掲させていただきます。
Commented by 田舎教師

>40台海外ポスドク様
>地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。

 地方大学の教員です。仰ることはよく分かるし、その通りなのですが、ちょっとだけ現状の説明をさせてください。
 確かに古くからいる教員にはハナから業績のないひともいます。採用されたときの時代や情勢がそうだったのでしょう。しかし、多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。特に最近は。なぜか?まず週に講義を5-6コマ担当し、入試・教務・学生委員会など委員に選ばれれば必ず出る必要のあるさぼれない委員会や会議が週平均1.5回くらいあります。校費は昔は100万以上あったのが今は10-40万です。大手の大学と違って、卒業研究の指導も教授自ら真剣に手取り足取りやる必要があります。そのうちちょっとデキの良い学生は大手の大学の大学院に行ってしまい、自分のところには誰も来ないか、来ても2年間バイトにあけくれるモラトリアム組です。

 そして、論文も急速に出なくなり、着任当時は当たっていた科研費も次第に当たらなくなります。
 ここで公募で(場合によっては所属ラボのお陰もあって)すばらしい業績をもつポスドクと競っても、地方で苦労して教育と運営をしている教員は負けるでしょう。しかし、そのポスドクも慣れない教育と運営に四苦八苦しているうちに結局は前任者と同じ運命をたどるでしょう。
 そこで現場で行われているのは、公募条件を厳しくして当該内部候補しか当てはまらないような募集をするのです。これは良くないことですが、教育の質や運営の継続性を保つためにはある程度仕方ないことのようにも思われます。また、最近この状況がさらにひどくなってきたのは、定削に伴う定年後のポスト消失やメンヘル学生の指導の増加や講義実習の評価導入による負担増加など地方大学の教員をめぐる状況がさらにひどくなってきていることと関係があります。

 海外でポスドクをやって業績をあげて、今後は常勤職を得てさらに研究を推進させたいと思っている方々は、そもそも特に教育に対する覚悟が足りないケースが多いように思います。さらに、そんな劣悪な研究環境で、実際には教育(しかも相手の多くは勉強する気のほとんどない学生です)のデューティと運営のための会議に翻弄されるポジションに、それでも就きたいですか?就いた後はそうした仕事をしっかりやり続けることができますか?
 多少、挑発的な田舎教師さんのコメントですが、こんな状況の中に長いこと置かれていた人間が、研究環境としては理想的なスーパーラボで、研究以外のデューティもなく論文作りに邁進していたポスドクと研究業績だけでガチンコの競争をしたらかなうわけがないというのも、また事実だと思います。

 不思議なことに、昔から大学の教員の選考においては研究業績が最大の比較されるべき対象で、そういう観点から競争をしたら、大学院を卒業するかしないかのうちに助教(助手)になった人と、博士課程をしっかりと卒業してそのあとポスドクで研究三昧していた人との勝負はやる前から着いています。そして一時期、研究業績だけをかなり形式的に最優先に人事をした時代があって、その結果教育体制がガタガタになってしまったところも多かったという「噂」も良く聞きます。

 だからと言って、「研究業績だけではなく、教育もしっかりできる人を採りたい」という気持ちで始めたのだとしても、いったん「やらせ人事」という形式の人事を許してしまうと「好き嫌い人事」などの横行を許してしまう温床にもなりかねません。

 というわけで、私は何度も言っているのですが、選考基準と選考過程を透明化することと、研究室のメンバー(特に教授)から人事権を取り上げて、もっと広い視野から人事選考をできる組織に移すことが、大学教員予備軍として存在しているポスドクをはじめとする研究者志望者の中から次世代を担う人々を正しく公平に選ぶことになるのだと思います。

 ついでに申し上げておくと、日本の高等教育と研究を守る(というよりは育てる)ためには、東大や京大という頂点大学の「裾野」としての地方大学の存在がとても大事だと思いますので、そうした裾野を健全に発展させる政策というものが施行されることを心から願っています。そうした大学では、東大や京大とは異なる基準の教員採用が行われることも「あり」だと、私は思っています。

 いずれにしても、「やらせ公募」で採用される見込みのまったくない応募者に無駄な作業をさせるような詐欺的な行為は絶対にやめて欲しいことですね(と、科研の申請書を書きながら思ったのでした)。
by stochinai | 2007-10-28 23:55 | 科学一般 | Comments(42)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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