5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

2008年 10月 19日 ( 1 )

【冒頭に追記】
 この件に関連して、非常に重要なエントリーが lanzentraeger さんによって書かれています。是非ともご参照ください。

 (25) 博士課程に進むメリット ~博士の株も暴落するのか?~

 もうひとつ、ありました。ktatchy さんです。

 ”うすっぺら日記”に啓発されて

 いずれも博士後期課程まで進学されて、ノンアカデミックなキャリアへと進んだ若手の方です。

 それから、ちょっと前のものになりますが、これも重要論考です。

 18年も前にポスドク問題の帰趨は見えていた:基礎研究を「益なきもの」と蔑む国に博士とアカデミアの未来などない

 こちらは、アカデミアの viking さんです。

【以下、本論】
 5日ほど前の、ブログ・アクション・デーへの参加エントリー「Blog Action Day :テーマは貧困」に対して、久しぶりにたくさんのコメントをいただきました。ありがとうございます。

 しかし、状況が変わっていないという現実を反映して、なかなか新しい局面へと議論が進まないこともまた事実なのかもしれません。

> 何か再燃してしまいましたね。

> 同じような議論が何度繰り返されたことか。

> そういう方針は何度となくいろんな人が言ってきたことで、でも実現するための行動がとれないからぐるぐる回っているわけで、

> これらはずいぶん前から繰り返し言われてきたことだと思います。

 と、古くからこの問題の議論に参加し、あるいはウォッチしてきた人にとっては、非常に歯がゆいことになっています。引用した上記最後のコメントをお書きになったSRさんの疑問は当然のことだと思います。
私が興味があるのは、このポスドク問題が大学内の会議(教授会とか??)でどのような議論のされ方をされてきたのか(あるいはされていないのか)です。ポスドク問題が社会的に認知されて大学院が敬遠されるようになってきていますが、大学内の実際の会議では人事の公正化や大学院定員やその他の問題に関して、どう話し合われているのでしょうか?外にいるとわからないのですが、興味があります。
 この点に関して、大学の内側にいるalchemistさんから、お返事がありました。私よりもalchemistさんの方が、大学の運営側に近いところにおられるようですので、私がそれ以上に何かを知っているということはありませんが、何か書いてみます。

 大学再編時代ということもひしひしと感じられるようになってきており、各教員は研究費の枯渇、教員定員の削減、教育負担の増加、点検評価疲れ、中期目標という名の永続的改革圧力などに追いまくられているのが現状で、研究する金も暇もなくなっているのが大多数の教員の現実なのではないかと思われます。ポスドク問題どころか自分が生き残ることで精一杯の方もたくさんおられます。研究者の選択・生き残り問題として考えるなら、ポスドク問題と教員のキャリア問題は共通部分も多いと思えます。

 初期の段階において、ポスドク問題は大学の問題だと考える教員は少なかったように思います。ポスドクは大学院の博士課程を修了してからなるものですから、ポスト大学院の存在であるというような意識があったのかもしれません。さらに、大学院重点化とポスドク1万人計画が連動しており、重点化によって大量に増えた博士課程修了者がフリーター化するのを、1万人計画で(たとえ一時的にでも)食い止めるという効果がありましたし、それ以前にはポスドクというのは研究職へと続く王道だったこともあって、政府・文科省がポスドクを1万人に増やすのだから、ポスドクを終えた時にはそれだけの数の研究職が増えているに違いないという(希望的)観測を、政府・文科省・大学がともに夢見ていたのだろうと思います。もちろん、一部の冷静な大学教員はポスドクが終わり研究職につけなかったポスドク達のポスト・ポスドク問題が起こるであろうということを予測し、警告を発していたのもまた事実です。しかし、そうした声はポスドク増産の熱気の中にかき消されました。

 しかし、ここへきて大学院博士後期課程へ進学する学生が激減しています。博士課程へ進学してくる学生が減ってくれば、その理由としてポスドク問題・博士問題があるということは、さすがに鈍感な研究一筋の教員でも気がつき始めているように思われます。しかし、それに対して出てきたのが、授業料無料化などの博士後期課程進学者を増やすための方策でした。これは、問題の論点をそらすものだという批判も多いと思います。やるなら、全国一律に制度としてやるべきでしょう。そういう議論を経たあとで、お金をもっている学部・大学が実施に踏み切ったのだと思います。

 ポスドク問題と一緒に考えられているとは思えませんが、人事の公正化については、会議で話し合われるまでもなく、本来公正に行われなければならないものですので、それまでは見逃されてきた「不正」をどのように防止するのかという点がポイントになっています。既得権を持っているボスの側では、いかにして監視をすり抜けるかの工夫をするのかもしれませんが、問題点が公になってマスコミなどが取り上げてくれるとともに、どんどん監視がきつくなってきていると感じられます。しかし、一時期はやった機械的な業績比較だけによる人事では、採用後に教育能力や社会性に問題が発覚したりということがあちこちで見られたということもあって、現在では一部数値化されない状況も勘案しながら選抜を行うというあたりに落ち着いているところも多く、それでは万人の納得できる「公平性」が確保できていないかもしれないという疑念を消し去ることは難しそうです。人事に関しては、まだまだ透明性が低く、同じ学科内でもどのような人事が行われているのかを知ることは難しいようです。事務に人事係はありますが、教員人事を関係教員が行うというやり方はなかなか変わりそうもありません。

 そして大学院定員のことについては、定員削減が大学内で多数意見になることはあまり期待できません。そもそも、大学院の定員は文科省との折衝で決まっているものであり、教員定員と連動しているとも聞きます(しかし、大学院定員が減らないのに教員定員はじわじわと減っていますので、それも嘘かもしれません)。文科省は入学定員を満たさないということに対して非常に厳しく監督をしているらしく、大学院の定員を満たすために最近では夏・秋・春と3回の入試をするところも多くなってきました。これほどセンシティブに大学院定員でしばってきますので、その定員を減らすなどと提案したら、即座に教員定員を削減されるのではないかという恐怖感を持っている先生が多いのが今の大学です。私は教員定員を減らしてもいいから、大学院生の定員を減らそうと提案するのですが、今でさえ減りすぎて頭が痛いと思っている先生が多い現状では、その意見は小さな会議の中でさえ通りません。仮定の話として、もしも大学内で合意が形成されたとしても、それを認めるかどうかは文科省が決めることです。大学が法人化する時に、各大学は文科省の一律な管理を離れて・・・などという嘘が流布されたこともありますが、法人化後は予算や競争的資金を通しての管理が大成功しており、大学は文科省にまったく逆らえなくなっています。

 ですから、大学や大学院に問題があると思われたら、各大学ではなく文科省を攻める方がはるかに実現の可能性は高いと思います。とは言っても、文科省はそういうことは各大学の自主性に任せてあるから、意見はそちらの方へ持っていってくれと言うと思いますが、大学を通じて出てきたそんな意見などは相手にしないだろうとも思います。もちろん、ノーベル賞を取った小柴さんや益川さんがおっしゃってくれても、まったく通らないだろうと思います。

 つまり文科省の支配下にある限り、大学は文科省が考える以外の方向に変わることはないのだと思いますが、大学・大学院に関しては乱暴な「改革」の連続ですでに崩壊を起こし始めています。文科省は、その崩壊を利用してさらにねらい通りに大学を変えようと思っているのだと感じますが、私は逆にその崩壊を利用して良い方に改革できる可能性はあるのかもしれないと思ってます。

 いずれにしても、大学や大学院が穏やかに変わるということはなさそうですが。
by stochinai | 2008-10-19 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(56)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai