5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

2008年 11月 11日 ( 1 )

 キャリア問題を考える時に一番難しいと思っているのが、キャリア形成の際に考えるべきキャリアパスを獲得するためのルールが変わり続けていることだと思います。

 世襲制の身分制度のある社会であるならば、キャリアパスなどというものは存在せず、子どもは親の職業を継ぐだけです。もしも、長子だけが世襲を許されているような場合でも、それ以外の子どもが選べる「キャリア」などはきわめて限られていたでしょう。

 身分制度が崩壊し、世襲制度も崩壊し、社会のしくみが変わった時には、キャリア形成も大混乱したと思いますが、それでも伝統的な職種は第二次世界大戦が終わるくらいまでは、昔と同じような制度が続いていたのではないでしょうか。そして、そこに現れた新しい職種、官公庁や巨大民間企業などへのキャリアは、新しいルールである「学歴主義」によって決められるようになったのではないでしょうか。

 私が大学へ入った頃までの日本は、間違いなく学歴主義の国であり、一部の人間は中学校までの義務教育を終えると、家業を継ぐために見習いを始めました。そして、高校まで進学した中で大学まで進学する人と高卒で就職する人も、比較的はっきりと分けられ、高卒では地方の中小企業や、大企業の生産部門へ就職する人が多かったように記憶しています。

 そして、一握りの部分だけが大学へ進学します。大学への進学は、いわば全国レベルで順位をつけられる作業となっており、もっとも偏差値の高い人は文系ならば東大法学部、理系ならば東大の医学部へといくことが多かったのではないかと思います。

#実は、私は当時の大学のランキングについてはあまり知らないので、この辺は怪しいかもしれません。しかし、一般的には大学入学時のランキングが、大学を出てどんなキャリアに就くのかということも決めるシステムになっていたことは間違いないと思っています。

 だから、当時の子ども達(学生)は、キャリアのことなど考える必要はなく、だまって勉強を続けて、与えられるランキングを待っていれば、その先のキャリアは自動的に決まったと言ってもよいくらい、何も考えなくてもよかったのではないでしょうか。

 その頃、大学の教員になりたいという人は少なく、最高学歴を持っていながら、経済的成功を望まない「変わり者」と位置づけられていたような気がします。

 やがて時代は変わり高校へはほぼ100%が進学し、さらにそのうちの半分以上が大学へ進学する時代になりました。とは言え、大学の序列や偏差値のランキングはいまだに厳としてあるのですが、社会の受け入れ側のキャパシティが減ってしまったという問題があります。その結果、何が起こったかというと、昔ならば悠々と高給取りになれた国立大学出身の学生ですら、職にあぶれるような状況になってきました。

 同時に、社会の側での学歴信仰も崩壊し、今までは学歴さえ用意しておけばなんとかなったものが、なんとかならなくなってきました。

 ところが、大学の側ではそうしたことに対する対応をまったくしてきませんでした。おそらく、長いこと気がついてすらいなかったのだと思います。特に国立大学、それも旧帝大の対応がもっとも遅れたのは、私大などに比べるとその影響が目に見えてくるようになるまでに時間がかかったということに原因があったのだと思います。

 旧帝大でも最近になってようやく動き始めたところが多くなりましたが、それは文科省からの指導とともに、就職がきちんとできない大学には入学志望者も来なくなるということが分かってきたからだと思います。少し遅すぎますが、しないよりはマシでしょう。

 しかし、大学が動き始めたからといって学生はその働きかけを待っていられるほど状況は甘くないというのが現実だと思います。

 なぜならば、今でも社会状況は刻々と変わり続けており、今年のキャリア対策が来年は使えないというくらい、流動的だと思われるからです。そのくらいの激しい動きに対する対応を、つい最近参入したばかりの国立大学の就職係に求めても無理というものでしょう。

 そういう状況の中、残された道はただひとつ、自分のキャリアパスは自分でデザインするということです。

 では、どうやってそれを実現するのか。明日はCoSTEPで、理系のキャリアパス問題をを考えるという講義を頼まれているので、一緒に考えてみましょう。
by stochinai | 2008-11-11 22:41 | CoSTEP | Comments(3)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai