5号館を出て

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2009年 11月 30日 ( 2 )

 事業仕分けで科学研究予算について、かまびすしい議論がわき起こっています。多くの研究費が国民の税金を原資としていることから、無駄遣いをするなという意見はきわめて正当なものです。

 しかし、科学という行為は未踏の領域に踏み込んでいくことであり、予想がつかないことにチャレンジするという際に「効率」とか「無駄を省く」とかいう言葉がまったく通用しない世界であることもまた事実なのだと思います。
科学研究には無駄なお金がかかるものです_c0025115_21573038.jpg
(C) photoXpress

 そういういわば「無駄のかたまり」のような科学研究をするのですから、お金はあればあるに越したことがないので、科学をやっている誰に聞いても「お金は欲しい」というに違いありません。

 しかし、たとえそうであっても「**億円なければ、この研究は達成できない」というような高圧的な台詞には違和感を感じます。

 たとえ、あればあるほどよいというのが事実であっても、スポンサーである国の経済状態がこういうことになっていることを理解できず、科学研究の予算を削減するなどというのは無知蒙昧の証拠である、などという傲慢な態度をとるならば、「だったら研究していただかなくても結構です」と言われても仕方がないと思います。

 過去に、世界に認められる業績を残され、世界的に有名な賞を受賞された方であったとしても、今の日本の経済状況を理解できずにそのような発言を繰り返すのであれば、多くの国民から見放されてしまうこともまた覚悟しなければならないでしょう。

 「資源のない日本という国で、科学技術を振興せずに未来はない」という言葉にも一遍の真理はあると思いますが、科学技術を振興することで当面の財政危機を乗り越えられるのかという問いに、「そうだ」と答えたとしたら、それはその「科学者」がただの社会的状況に無知な人間にすぎないことを表明していることにすぎません。

 基本的に研究や教育というものは、国の基礎体力をつくるものだと思いますが、基礎体力はあくまでも基礎体力であり、目の前の問題を解決する即戦力にはなり得ないことのほうが多いのです。

 そう考えると、やはり科学研究への投資は短期的な見返りを期待できるものではなく、ある意味ではきわめて贅沢な出費ということになりますので、お金が有り余っているのであればともかく、そうでないならばいろいろなものを我慢して投資していただくべきものというものだと思います。

 そのためには、大多数の国民の理解が得られていないならば、科学研究予算を強引に要求するということは、やはり正しくないことだと思います。自民党時代に多く行われた政治主導の研究費獲得には、そうしたものも多かったのではないでしょうか。

 私は研究費を受け取る側として、最低限でも多くの国民の皆さんに「まあそのくらいの費用ですむなら研究してもいいよ」と言ってもらいたいと思いますし、さらにできるならば「いろいろと苦しいんだけど、みんなで我慢するから未来のために研究してください」と言われるのが理想的だと思っています。

 今すぐにそんなことが可能だとはとても思えませんが、今回の「事件」の中で、科学と社会の「いい関係」を作ることの重要性を認識できた科学者がどのくらいいるかが、今後の展開の正否を占う鍵になると思っています。

 残念ながら、あまり明るい未来が見えてこないというのが現在の個人的感触なのですが・・・。
by stochinai | 2009-11-30 22:28 | 科学一般 | Comments(16)

11月29日のtwitter

Sun, Nov 29


  • 14:39  「仕分け」は誰が行ったのか -大学の授業を変える会 会長の日記 - 「元学生だった仕分け人」「今社会の中心にいる人は、まともな大学教育を受けていない。ちょうど自分のように。だから、大学教育をきちんと考えられないのだ。」 http://ow.ly/GFMC

  • 11:04  理系人がiPhoneと手書きMindmapで成功す� - GCOE 東北大学グローバルCOEプログラム「変動地球惑星学の統合教育研究拠点」「恵まれた給付奨学金さえもらえない院生・・・そういう努力人だっていることを自覚しているか、と問いたい。」 http://ow.ly/GCs2


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by stochinai | 2009-11-30 21:32 | コンピューター・ネット | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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