5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

2011年 02月 12日 ( 2 )

 さすがのムバラクも最後のテレビ演説をしても国民が納得しなかったことを悟り、退陣を決断せざるを得なかったようです。
独裁者も大多数の国民の意志には逆らえない_c0025115_2250290.jpg
 正式な選挙などを経ずに政治体制が崩壊し、新しい体制ができようとしているのですから、これは間違いなく「革命」と呼ぶことがふさわしい出来事です。とは言っても、まだ新しい体制が確立したわけではありませんので、第一章「政権崩壊」までしか進んでいません。

 また、事実上の「無血革命」とは言え、正式な数ではありませんが300名くらいの犠牲者が出ているという情報もあり、やはり独裁政権を倒すということは、それほど簡単なことではないということもわかります。

 どこの国でも大きな広場をうめつくすほどの数の国民が、いつまでも引いていかない状況が続くということは権力者によっては恐ろしいことですから、独裁国家ではほとんど例外なく国民が自由に集会をすることを禁止しています。それを破って人が集まり出すと、初期の段階で強い弾圧をするものですが、たとえそうした序盤の弾圧で犠牲者が出たとしても人々が集まるのを止めることができなくなっている場合には、国家としてはかなり危機的状況にあるということが内外に露見してしまいます。

 そうした状況においても、権力が軍隊を完全に掌握している場合には、たとえ多くの犠牲者が出たとしても徹底的に弾圧することができるケースもあります。中国の天安門事件などはそのようにして弾圧が成功した事例と言えるのかもしれません。

 独裁政権に対する政権交代は選挙という制度がないので、このような「革命」あるいは「クーデター」という手段を取らなければならず、その際にはどうしても犠牲者が出てしまうことが多くなります。犠牲者が出る理由は、政権を守ろうとする独裁者側と、政権交代をさせようとする国民側の間に政権交代のためのルールがないので暴力的に意見を通すしかないからです。

 民主主義と独裁政治との決定的違いは、選挙などという平和的手続きで政権交代が可能かどうかというところですが、独裁政権は独裁こそが最善の政治体制だと信じていますので、それを自ら放棄する手続きがないのは当然と言えば当然です。

 話が飛躍するように思われるかもしれませんが、大学も含め企業などの組織は基本的に独裁政権と同じ構造を持っています。つまり、経営側という権力が会社あるいは大学という国家に加わるメンバーを許諾する権利をすべて持っており、さらにその中から次の権力を担うメンバー(大学ならば教員や経営陣)を選ぶ際にも、基本的にすべての決定権を握っているのは経営者側です。雇用者は不当な解雇に抵抗する権利を有する場合もありますが、組織の中で個人の意志だけでできることといったら基本的には退職することくらいしかありません。もちろん社長や学長の交代を要求する権利などは持っていません。そういう状況で、会社や大学を変えようとするならば、その手続きは「革命」しかないのかもしれないと、ここ数日の「エジプト革命の実況中継」を見ながら感じております。

 そういう意味では、学生や若手教員が大学を占拠して大学や国家にさまざまな要求を突きつけた1970年前後の活動は、(結果的には失敗しましたし、それによる後遺症はいまだに続いているという声もありますが)大学という権力をボトムアップで変える手段としては意外と正しかったのかもしれないという気もします。

 ただし、このボトムアップ「革命」が成功するための絶対的条件があります。それは、大多数の構成員が賛同して「広場に集まること」です。その条件があるのならば、会社でも大学でも「革命」は可能だと思います。

 さて、今の大学は革命前夜と言えるでしょうか?
by stochinai | 2011-02-12 23:42 | つぶやき | Comments(16)

2月11日のtwitter

Fri, Feb 11



Powered by twtr2src.
by stochinai | 2011-02-12 08:07 | コンピューター・ネット | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai