5号館を出て

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カテゴリ:ポスドク・博士( 14 )

 早稲田大学の調査委員会(小林英明委員長)が、たとえどんな内容の博士論文であっても「学位の取り消しは一つの法律行為なので、その要件に合致しなければ、たとえ心情的にはおかしいと思っても、取り消すことができない性質がある」ということで、たとえ疑惑の博士論文に
「不正の方法があったとしても、その『不正の方法』によって『学位の授与』を受けたという要件を満たさなければいけない。つまり、『不正の方法』と『学位の授与』との間に因果関係が必要になる。

因果関係というのは、ある事実があった後にある事実がある、ある事実がなければある事実がない、といった関係のことをいう。つまり、それが学位授与に重大な影響を与えたという場合に、初めて因果関係があるといえるレベルになる。

早稲田大学では、査読付きのジャーナルに受理されているということが学位授与に非常に大きな影響を与えている。それが受理されていれば、あとは指導教員が論文を丁寧に指導すれば、ほとんど学位がとれるということが実態になっている。

今回、小保方さんは査読付きのジャーナルに受理された論文を持っており、それに基づいて博士論文を書いている。そういう状況下で、学位の授与に重大な影響を与えたかを検討した。

最終的には、学位の授与に一定程度の影響を与えたという事実はあるけれど、重要な影響を与えるとまではいかない、科学の論文なので、実験結果の部分で盗用がない以上、重要な影響とまでは言えないという結論になった。

このような議論の末、今回の場合、不正の方法により、学位授与の取り消しにはあたらないという結論に至った」
と発表しました。(いずれも弁護士ドットコム トピックスよりの引用)

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(タカノハススキ・ヤバネススキ)

 弁護士さんでもあるこの委員長の詭弁としては、「早稲田大学では、査読付きのジャーナルに受理されているということが学位授与に非常に大きな影響を与えている。それが受理されていれば、あとは指導教員が論文を丁寧に指導すれば、ほとんど学位がとれるということが実態になっている」ので、今回の件もこの条件に関してはクリアしているので、学位取り消しはしなくてもいいだろうということのようです。

 「査読付きのジャーナル」にもピンからキリまであり、中学生の夏休み自由研究のようなレベルでも「査読をした」とした論文をどんどん出しているジャーナルもあります。実際にはかなりの数の「博士」がそうしたレベルのジャーナルへの出版することで、「条件をクリアした」として授与されているという事実があります。これはひとり早稲田に限らず、どこの大学でもそうした条件を付けているところでは見られることだと思います。さらには、この「査読付きジャーナル」での出版を学位授与の条件にしていない大学が(旧帝大でも)あると聞いていますので、博士の学位授与の条件など「有ってなきがごとし」といえるものだと、私は理解しています。

 それでも、「東大の博士号」とか「早稲田の博士号」などはそれなりの品質保証を伴っているものだという世間的理解もまたあると思っていましたので、今回の調査委員会の結論はその「品質保証」の存在を土足で踏みにじるもののようにも思えて、ちょっとびっくりしました。

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(ノウゼンカズラ)

 もちろん今までだって、某帝大とか某著名私立大学の博士号を持っているからといって、それがそのままその人の学問的レベルの保証にはなっていないということは、我々業界内部の人間にとってはいわば「常識」でした。ルールとしては、どんなに博士号授与の審査に関してキツイ条件が課せられていた研究科であったとしても、それを本人の実力を越えた「何らかの方法」で乗り越えてきた「博士」がいることは、その博士としばらく学問的に付き合ってみればたちどころにわかるものです。

 つまり、どこの大学院で授与された博士号を持っているかということが、「品質保証」と直結しないことは誰でもが感じていたことです。しかし、それを表立って公式に表明した例というものはいまだかつてなかったはずです。それが、今回の調査委員会はあまりにも露骨に、「早稲田の博士ってこんなものです」と言ってしまったのであります。

 アカデミアの外にいる人から見るとこれは、「早稲田の博士」だけにとどまらず、「日本の博士」というものがそういうものなのだと、公式に(国際的に)表明することになってしまった事件になってしまいました。

 なんども言ってきたように、どこの大学の大学院の博士号を持っているからといって、品質保証になっていないということは我々は認識して今日に至っているのですが、社会的にはあまり広く公言されてきてはいなかったことだと思います。それが、こんなにあっさりと公になってしまったのですから、それはもう大騒ぎ、というレベルの衝撃がアカデミアに走っています。

 とはいえ、我々も一部の博士号なんて信用できないものだというふうには思っていたのも事実なのですから、こうなった以上、ここで一旦「日本の博士号」の存在をリセットすることもアリかもしれないと思っています。

 私の博士号も剥奪していただいても構いません。ただし同時に、博士号を必要とする職種というものからすべてその制限を取り除くことも同時に行ってもらわなければ整合性がとれなくなります(失職する可能性もある)ので、それは必須です。

 そうなれば、人事考査の際に博士号を持っているかどうかで安易にふるい分けすることができなくなり、ちょっと面倒くさくなりそうですが、実は今でも博士号を前提とする人事ではあまりにもたくさんの方が博士号を持っているために、事実上それを持っているということでの選抜は機能していないのが現実ですし、逆に博士号を取るなどということの無意味さを知っている「骨のある」人材を最初にふるい落としているというマイナス面がなくなるという意味では、「一害あれども百利あり」くらいの結果になることと思います。

 というわけで、もしも今回の早稲田の調査委員会の報告が早稲田大学の最終結果として世界に発表されるようなことになったならば、いっそのこと日本の博士号はその時点をもってチャラにして、「日本には博士号というものはありませんので実力本位の人事選考をお願いいたします」と世界に発信するのがもっとも現実的で妥当な着地点だと、私は強く思うのですが、どうでしょうか?

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(ラベンダー)

 結構、本気でそう思っています。
by stochinai | 2014-07-21 21:37 | ポスドク・博士 | Comments(16)
 ボストンのハーバード大学医学部でポスドクから叩き上げで助教授、准教授になり、いわば日本のポスドクの憧れの星としてブログを発信し続けておられた島岡要(しまおかもとむ)さんが、2011年に三重大学大学院医学系研究科の教授として戻ってこられてからはお忙しいのかあるいはもはや目標を達成されたということでなかなか発信しづらくなったのか、それほど目立った活動をされていなかったと感じていたのですが、さすがにそんなことはないようで、アメリカにいらしたときの『やるべきことが見えてくる 研究者の仕事術』(羊土社、2009年)や『ハーバードでも通用した 研究者の英語術』(羊土社、2010年)に続いて、三部作の完成版とでもいうべき新著を発行されました。(この度、恵贈いただきまして、感謝いたしております。)

 研究者のための思考法 10のヒント~知的しなやかさで人生の壁を乗り越える

島岡要「研究者のための思考法10のヒント」_c0025115_1939521.jpg

 もはや教授だけでなく、災害救急医療・高度教育研究センター長にバイオエンジニアリング国際教育研究センター代表さらには軟式庭球部顧問もされているということで、後に続くポスドク諸君へのアドバイスもやりにくくなっているのではないかと心配もしておりましたが、ポスドク時代の心は今でも健在のようで、安心しました(笑)。

 前書きが公開されているので、これを読んでいただくのが一番いいのですが、感動的部分を一部引用させていただきましょう。
 日本→米国→日本と二重に相対化を行うことにより見えてきたものは、
必ずしも明るいことばかりではありません。最も重大な問題の1つが、米
国風の競争原理が劣化した形で日本に広がってしまったということです。
競争原理の導入は、前提となる3つの重要な社会の整備である“情報開示・
人材の流動性維持・セイフティネットの確保”とセットで行われるべきで
した。しかし日本ではこれらの社会整備が不十分なまま、競争原理がグ
ローバリゼーションとともに社会に押し寄せました。その結果として、個
人は(情報開示が不十分なので)意識しないうちに自分ではコントロール
できないリスクに曝され、(人材の流動性が低いので)一度失敗すれば再
チャレンジが効かず、(セイフティネットが確保されていないので)常に
不安に苛まれ、自己責任を強要されるので孤立してしまいます。そして今
後ますます個人の満足度や幸福度は低く抑えられることが予想されます。
このような厳しい世の中では、社会人として生きていくための環境は決
して最適であるとは言えません。サブオプティマル(最適化されていな 
い)世界で満足度の高い幸福な人生を生きていくためには、脆さと表裏一
体の強さだけでは不十分で、さまざまな予期せぬストレスのなかでも折れ
ずにしなやかに生きていくための資質が必要です。そのような資質が知的
柔軟性であり、抗脆弱性です。本書では知的柔軟性を身につけ、厳しい世
の中でも満足度の高い抗脆弱な人生を送るために、プロフェッショナルや
エキスパートをめざす社会人や学生が知っておくべき10の基本的な論点
を、各章1つずつ、1〜10章でわかりやすく説明します。       
 この後に、日本の医学系の研究者が置かれた環境の過去と現在についてありのままの状況を書かれ、さらに将来も決して明るくないという見通しも述べられます。その上でこの本に書かれているメッセージがこちらです。
 本書はサブオプティマルな環境でもしなやかに生き、自分で花道を飾る
力をつけるための論点とヒントについて書いています。今は人生の花道は
非常に多様化しています。花道のパーソナル化という相対的視点も大切に
なってきます。また花道は人生に1回きりではありません。花道を一度飾
れることができれば、とりあえず世間体を繕うことはできるかもしれませ
ん。しかし、花道を飾ること自体が究極の目的ではありません。花道は一
里塚・通過点です。1回目の花道を飾った後も、いい仕事をすることを目
標とすべきです。その結果、さらなるキャリアアップで第2、第3の花道
を飾ることもできるはずです。                   
 私は40歳までに自助努力で花道を飾る、つまりPIになることを20代
半ばで漠然と意識しました。そして何とか1回目の花道をボストンで飾る
ことができました(テニュアトラック助教授)。2回目の花道は、ボスト
ンでのPIとしての仕事が認められて日本でのテニュア職・教授になった
ことかもしれません。そして今、第3の花道を意識してこの文章を書いて
います。第2の花道に安住せずに、次のキャリアアップの落としどころ
(=第3の花道)を常に意識しています。               
 後に続くポスドクたちへの力強いエールになるのか、あるいは「自分たちには島岡さんのような『成功』はもはや望めないだろう」と思うかは読んでいただいて一人ひとりが判断するしかないと思います。

 そういう意味では、この本はある種の「劇薬」となるかもしれないことを思いつつ手にとっていただきたいという気もしました。

 参考までに、目次を転載しておきます。

はじめに
1. 好きなことをする 天職に出会えなくても、仕事は充実する
2. 研究者と英語 日本人研究者はなぜ英語を勉強しなければならないのか
3. 研究者の幸福学 研究者も幸せになりたいのです
4. イノベーションについて知っておくべきこと Innovation =「技術革新」ではない
5. 知的しなやかさ 結果を出すリーダーはみな軸がブレている
6. 研究者のあたらしい働き方 ///スラッシュのあるキャリア
7. 抗脆弱性(アンチフラジャイル)とは 想定外の衝撃「ブラックスワン」に備える
8. 賢い選択をするには 幸せな選択と不幸な選択を分つもの
9. 創造的な仕事をするために 社会に創造的価値を提供する
10. リベラルアーツとしての論理的思考法 英語プロポーザルライティングで構想力を育てる
11. 読書術と毒書対策 無理せず優位性を構築する
12. 知的生産のための健康術 研究ができる人はなぜ筋トレをするのか…
あとがき

 11章と12章は「外伝」なので、肩の力を抜いて読んでいただきたいとのこと、著書のユーモアが届きますかどうか?(笑)

 また、大隅典子さんをはじめ、4人の研究者との対談も興味深いものとなっています。

 とりあえず、素晴らしい前書きを読んでみてから購入をご検討ください(笑)。
by stochinai | 2014-07-09 20:08 | ポスドク・博士 | Comments(0)
 夏至からもずいぶん日にちがたって、実感としても日の沈む時間が早くなってきたと感じれられる今日此の頃です。

 札幌でも日の入りの時間がとうとう午後7時を切って、今日は18時59分になっていました。
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 というわけで、ちょっと急かされるように、農場に夕日を見に出かけました。

 立場上からか、最近は研究職に応募する我が研究室関係者の推薦書を書く機会が多くなってきました。文章量自体はA4用紙が1枚か2枚くらいなのでそれほど苦痛ではないのですが、なんだか最近は推薦書を書くたびに被推薦者の「四半生記の伝記」のようになるパターンが多くなったようなことに、自分で気がつきました。良いのか悪いのかはわかりませんが、いろいろと思い出しながら書くと意外とあっという間に書けてしまうものです。

 科学の世界全体が、農場から見た上の夕景のように壮大なものだとしたら、個々の研究者の四半世紀は夕日を浴びてしっかりと立つ、こちらの木々のようなものかもしれません。
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 夕日という世界の潮流の中で、それをしっかりと受け止めながらも自分を見失わない若い研究者の皆さんが首尾よく安定した位置に収まることを願いながら「伝記」を書き綴る日々でもある今日此の頃です。

 それでも、夕日はこちらの意思とはまったく関係なく、着々と沈んでいきます。
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 研究者のコミュニティもこちらの意思を無視するようにどんどんと変化を続けているように思えることもあります。

 見る見るうちに太陽は山の陰に沈んでいき、ほんの数分後にはまったく見えなくなってしまいました。
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 今日は、夕日が沈んだほんの狭い一帯にだけが夕焼けとして染まりました。

 大きな力を持つ太陽でさえ、大きな力を発揮できないことがあるのが現実というものです。我々のような小さな存在が現実に翻弄されるのは無理もないことではあるのですが、夕日を見た帰りに見つけたナナカマドのまだ青い実が来るべき秋に赤く染まる準備を整えているのを見ると、小さな存在だからとあきらめるのではなく、次のステージに備えて着々と準備したものだけが赤く実ることができるのだとも思えるのでした。
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 まだまだ青い実としての存在であ若い研究者たちは、来るべきシーズンに備えて着々と準備を怠らないことを期待します。

 そして、寒い季節が来た時には皆さんが赤く実っていることも確信しています。
by stochinai | 2013-07-30 20:50 | ポスドク・博士 | Comments(0)
 著書の謹呈を受けました。ありがとうございました。

 他力本願のすすめ (朝日新書) [新書]
【新刊】水月昭道「他力本願のすすめ」_c0025115_1761252.jpg


 今やすっかり有名になったポスドク経験者で僧侶でもある、水月昭道さんの新著です。水月さんは現在は、筑紫女学園というところで事務職員をなさっているそうです。

 今まで水月さんの出されたポスドク関係の本は、するどく大学や社会を糾弾するものばかりでした。

 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) [2007]

 アカデミア・サバイバル―「高学歴ワーキングプア」から抜け出す (中公新書ラクレ) [2009]

 ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院 (光文社新書) [2010]

 今回の著書はそれらの攻撃的な姿勢と比べると驚くほど静かな、まさに僧侶としての水月さんの法話とでもいう一冊です。

 「まえがき」に内容が凝縮されているので、書いてあることをつまみ食いしたいのであれば、まえがきを読むだけで済んでしまうと言えなくもありません。


・・・異なる学校を渡り歩いてみて、ふと思ったことがある。
「学校とは本当に『自力』が好きなんだな」と。
 実際、そこでは毎日のように「頑張れ」「努力が大事」「夢を追いかける」という掛け声が、若い学生に対してかけられている。

 学校とは、ご存じのように、努力することの大切さを教える場である。
 だから勢い、「頑張りさえすれば”必ず”道が拓ける!」となってしまう。

半分ウソ、とわかっていても、学校には、どこまでも表向きの言葉を必要とするいう悲しい現実がある。

 だが、現実がそう甘いものでないことは、いい大人であれば誰だって知っている。

「なりたい自分」になれなかった、つまり、挫折や失敗に直面したときに、心を支えてくれる「考え方」が「頑張れ!」以外に全くないからではなかろうか。それどころか、場合によっては「自己責任」と追い詰められる。

 努力は大切だ。これは間違いない。ただそうだとしても、ひとつだけどうしても拭えない心配もあるではないか。
「万一、うまくいかなかった時には、どうすればいい?」
 どれほど頑張ってみたとしても、いつも必ずうまくいくとは限らないのが人生のつらいところだ。

「どうすれば、己は救われるのか」
 親鸞さんは、あらゆる手立てを使ってここを執拗に追求してみせた。
 比叡山での長く厳しい修行の果てに、ようやく導かれた一つの答は、「(自力を頼っての)修行だけでは、いつ救われるかわからない・・・・・・」だったから、ちょっと面白い。いや、興味深い・・・・・・。
 だがそれが、後の悟り---「他力(思想)」の発見に繋がっていく。


 というわけで、ポスドクの置かれた理不尽な状況を、力づくの「自己責任」ではなく、自然体で自分の置かれた状況を受け入れる「他力本願」という思想によって「乗り越える」ことができるのではないかという提言でもあります。

 「現実に負けたから宗教へ逃げるのか」という意見もありうると思いますが、宗教が人の命を救うこともできるということを語りかけてくれるアドバイスにもなっていると思います。

 「そういうことが書いてあるのね」と読まないでわかったような気になることもできますが、じっくりと読むことによって穏やかな心を得られるのだとしたら、十分に役に立つ「心の薬」になってくれるかもしれません。

 読んでみますか?
by stochinai | 2012-03-19 20:00 | ポスドク・博士 | Comments(0)
 このブログを読んでいる方々にはおなじみだと思いますが、あの榎木さんが札幌にいらっしゃって北海道大学でCoSTEPの講義をされるそうで、そのついでに三省堂でサイエンスカフェを行うということです。
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【テーマの内容】
1950年以降、科学技術振興政策によって大量に生まれた「博士」。この博士たちが就職できず余ってしまい「高学歴ワーキングプア」などと呼ばれる一方で、将来は科学技術を担う人材が不足するのではないかという指摘もあります。
かつては「オーバードクター」と呼ばれた彼らのために「ポスドク」という働き口が用意されましたが、これも不安定で低収入、しかもその先に研究機関や企業での就職が保証されているわけではありません。
依然、「博士余剰」問題は未解決のまま。しかし、博士の活用は科学技術の発展、そして不況にあえぐ日本の再生につながるはずです。
榎木英介さんが書いた『博士漂流時代〜「余った博士」はどうなるか?』は、博士の余剰問題を統計データと取材に基づいて考察し、具体的な解決策を提言しています。どうしたら博士たちの能力を、社会を良くするために生かせるのか、皆さんも榎木さんと語り合いませんか?
 冒頭に「1950年以降」と書いてありますが、大学院重点化政策が始まったのは1990年頃で、博士が目に見えて増えてきたのはその後だったと思いますから、これは1990年以降のミスタイプではないかと思われます。

 それはさておき、このカフェは紀伊国屋前のロビーで行われるカフェと違い、参加定員がわずかに30名と限られておりますので、申し込んでおかなければ参加が難しいことも多いと思われますので、お早めのお申し込みをお願いいたします。店舗の営業時間内ならば、電話や書店レジでも受け付けているようですが、やはり24時間営業のネットからの申し込みが便利だと思います。こちらからどうぞ

 さて、それとは関係ないのですが、私は明日と明後日はこちらのお手伝いをします。
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 場所は北キャンパスのこちら、遠友学舎です。
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 天気が良ければいいのですが・・・。
by stochinai | 2011-10-21 20:08 | ポスドク・博士 | Comments(0)
 世の中の経済活動は、基本的にはすべて需給バランスで動いていると考えても良いのではないでしょうか。

 大学卒業生がどんどん多くなっているのに、経済状態はとてもどんどん発展しているという状況ではなく、多くの大学卒業生が望むホワイトカラーの就職先はそれほど増えていません。ポスドクのケースも好意的に考えると、文科省はこれからは学卒ではなく修士卒、博士卒、さらにはポスドクを必要とする企業がどんどん増えてくるだろうから、大学院を充実させ、博士ならびにポスドク経験者を大量に生産しておこうと思ったのかもしれません。しかし、増加する学卒を吸収できない程度の経済発展しかしていない状況のもとでは、さらに高学歴を求める企業はやはり増えなかったのです。

 それにしても、新聞・テレビがこぞって同じような報道をするのにはやはりうんざりしますね。こちらが朝日新聞に掲載された、いかに今年の大卒予定者の就職内定率が悪いかというグラフです。
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 テレビでも他の新聞やネットの報道でも基本的にはこれと同じグラフを使って、ともかく今年が「最悪」であることを強調する流れになっていますが、内定率というものが何かということをちょっと冷静に考えてみれば、このグラフでは物足りなくなるのが「教養」というものだと思います。つまり、実数が知りたくなるはずです。

 就職内定率というのは、卒業を予定している大学生のうち、就職の内定をもらった者の割合です。つまり、就職(求人)がどのくらいあるのかということと、大学卒業予定者の数がどのくらいかというデータが過去と現在にわたってわからなければ、それらを割り算した結果だけを示されても「なんだかなあ」と思うのが正しい姿勢だと思います。

 というわけで、さすが我が国の文科省は(まだまだ見つけにくいものですが)最近はグラフでデータを示してくれるようになりました。これは元データは文科省のはずですが、こちらからお借りしてきたものです。
大卒が就職できないのもポスドクが就職できないのも理由はひとつ_c0025115_23373322.jpg
 このグラフを見ると、一目瞭然なのですが、(ポスドク問題とか)「就職氷河期なんてものはマスコミが作り出したまやかしだったんだよ!!」ということが一目瞭然です。

 つまり、大学卒業という供給と求人という需給関係が就職内定率を決定し、大学教員などの研究者ポストの数がポスドクの就職率を決定するという枠組みは、行政や政策担当者にとっては5年や10年、場合によっては20年くらい前からわかっていたことが現実化したにすぎないことなのです。

 そういう目で見てみると、就職(内定)率に関しては、大学生は増加し続けているにもかかわらずここ数年改善し続けていることもわかります。

 とまあ、ここまでは今まで何度も繰り返したことなので、今回は最後にちょっとした解決のヒントになることを提案して終わりにしたいと思います。

 NHKのニュースなどでは、大学生の就職に関しては中小企業と学生をなんとなマッチングさせようと必死の様子ですし、大学もそう考えているようです。また、ポスドク問題に関しても、博士の就職先としては研究職ばかりではなく、教育職やそれ以外にもいろいろと「おもしろい」ところがあるということを必死で説得しているようでしたが、無理に説得しても長続きする就職にはならないと思います。

 そこで、決定的に彼らを動かすものは、金あるいはそれ以外の意外な「魅力」だと思います。その魅力が何であるかは、実は個々人によっていろいろありますから、そこを突破口とするとすれば無限の可能性が開けてくるはずです。

 というわけで、最後は標語みたいになってしまいますが、実はたくさんある就職口になかなか目を向けようとしない学生や博士達に対してどこから声をかけていこうかとお悩みの、大学・大学院・研究所・研究室・企業の関係者の皆さんへ、ワンポイント・アドバイスです。

・大学卒業生には今までのホワイトカラーにはない魅力的な新しいワーク・スタイルを
・ポスドクには今までの大学教員や研究者を越えた新しい魅力を持った新しいワーク・スタイルを

 と提案してみるというようなところで、どうでしょう。
by stochinai | 2011-01-18 23:59 | ポスドク・博士 | Comments(35)
 献本御礼
榎木英介著: 博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?_c0025115_1853777.jpg
博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

 実は私は榎木さんが東大理学部の大学院生の(あるいは学生だった?)頃から存じ上げており、当時まだそれほど一般的でもなかったウェブを使って、アフリカツメガエルを使った発生学研究を発信し続けていたことを今でも鮮明に覚えています。

 ウェブサイトの名前は「たまごの部屋」だったような気がしますが、調べてみると今でもここに保存されているようですね。本業の「アフリカツメガエルを学ぼう!」以外にも、後輩達のために「大学・大学院入試情報」や、今でいうところのキャリアパスのひとつとして「国家1種公務員の生物受験情報」など、一貫してどうやって大学院を生き延び、その後につなげていくかということを、自分だけではなく仲間達と一緒に考えようとしていた印象が強い方でした。

 そうした行動の底を流れていたのが単なる科学至上主義ではない「正義感」であることは、現在の榎木さんを見ていてもわかりますが、この「過去の書庫」にもある、研究問題メーリングリスト(research ML)や研究問題ブログなどでの活動が、NPO法人サイエンス・コミュニケーションの設立、そしてその理事としての活動へとつながっていったことをご存じの方も多いのではないでしょうか。今は理事も勇退されて、今年は新しい組織サイエンス・サポート・アソシエーションを立ち上げるなど、一貫してNGO活動で走り続けておられる方というのが私の印象です。

 そうした活動と並行しての彼の研究生活は、順風満帆だったとは言い難かったのかもしれません。アフリカツメガエルの発生研究で博士号を取るには至らず、博士(後期)過程を中退することになったあたりの詳しい事情はよく知りませんが、紆余曲折を経て神戸大学の医学部に学士入学したことを知った時にはちょっとびっくりしたものです。

 そして、病理医として十二分に忙しい生活をしているにもかかわらず、学生時代から続けてきた若い科学者達をサポートする活動を今でも率先して人一倍精力的に続けておられるそのエネルギーの源泉は、自分がやりたくでもできなかった「理学の基礎研究」を続けている若い学者および学者の卵達が、彼らの望みどおりに科学者になって欲しいという「怨念」のようなものなのではないかと感じることもあります。

 彼の心の奥にあるものはさておき、彼が今の日本で若い科学者達のサポーターの第一人者であることを認める人が多いと思いますし、私もそう思っています。その彼が満を持して日本のポスドク問題について書いたのがこの本です。

 博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか? (DISCOVERサイエンス)

 決して明るく楽しい本ではありませんが、少なくともこれから大学院に入って科学者を目指そうという学生ならば知っておかなければならない、日本の大学院の歴史と現状が第1章と第2章にしっかりと記録されております。校正の時に削ったという120ページがもしもこの第1章、第2章に関わるものだとしたら、どこかで公開していただきたいくらい貴重なデータが満載です。もちろん、私はよく知っていることばかりですが、こうしたことすらよく知らない大学の先生や、政治家の方々が日本の科学者教育やその政策決定に大きな力を持っていることの恐ろしさは、当事者である学生・院生・ポスドクの皆さんがしっかりと認識しておく必要があります。つまり、このあたりに書いてあるようなことすらしらないボスの研究室は「危険」なのです。

 第3章、第4章では榎木さんが一所懸命博士・ポスドクを売り込んでいますが、今の社会状況の中では決してうまいセールストークになっていないのが残念なところです。榎木さんは極めて誠実に、真っ正面から博士の有用性と必要性を説いておられますが、今の社会の大多数が抱いている通念をひっくり返すほどの説得力が感じられないのは、博士・ポスドク問題が人々の意識を変えるだけで片付くようなものではなく、この社会の構造を変えなければならないほど根深いところから発していることに一因がありそうに思えます。

 この本を最後まで読んでみて感じるのは、博士・ポスドク問題についてはもはや語るべきものが残っていないほど語り尽くされているにもかかわらず、解決策が出てこないというところにこそ問題があるということです。

 状況が動き始めるのは、おそらく国立大学の一部が整理・再編され始める数年後でしょう。

 そう考えると、現状はすでにある博士・ポスドク問題を解決するというようなのんきな段階ではなく、さらにひどくなる前の段階にあると考えるべきなのかもしれません。

 榎木さんの力作を前にして、この本が日本の博士への鎮魂歌のように思えるのが残念でなりません。
by stochinai | 2010-11-25 19:54 | ポスドク・博士 | Comments(3)
 昨日、大学に送られてきました。ありがとうございました。早速読ませていただきました。
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ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院 (光文社新書)

 目次より

 第一部 派遣村・ブラック企業化する大学院

 第二部 希望を捨て、「しぶとく」生きるには

 対談 大学院に行く意味を考える 鈴木謙介 x 水月昭道

 第一部は巷で繰り返されている、「博士残酷物語」です。このパートは、この問題に感心のある方々にはもう耳にたこができるほど聞かされていることが描かれており、これでもかという感じで読まされるのは、正直言って少々つらいところがありますが、大学院というところや、博士のその後についてのイメージを持っていない方々(特にこれから進学を考えている人々)には必読の部分です。
 繰り返すが、東大卒で六〇パーセントが無職。これが、我が国で最高学歴の証たる「博士号」を持つことの真実だ。

 すでに、優秀な学生ほど、活躍の場を失うというパラドックスが生まれている。

 信頼を寄せることができる最後の砦であった教育機関ですら、その職責を放棄するなかで、すでに寄りかかれるものはどこにもないことを、私たちは覚悟すべきかもしれない。とすれば、自分の思考力や判断力を鍛えていかねば、サバイバルなど無理である。
 第一部の最後の結論はあっけないほど明快でもあります。
声を出すこと。そうしなければ、何も変わらないこと。
 第二部は重たいエピソードがいくつも出てきますが、私がそこから読み取ったことは、大学院や博士などといった学歴や資格から、「自分から卒業していくこと」の大切さです。誰かに認めてもらうことからの卒業とも言えるかもしれません。納得できれば自信につながりそうでもあります。

 第三部は水月さんと後輩の鈴木さんという方の対談なのですが、これがすこぶるおもしろく元気が出ます。この章を読むためだけでも本を買う価値があります。鈴木さんの言葉を少し引用します。
大学院に入ったらトップスターを目指せ、それに失敗して路頭に迷っても、それは自己責任だ、っていうんじゃ、人材の活用という面から見てもあまりに非効率だし、そんな状況で斬新なアイディアなんか出てくるわけがない。

大学院には、特殊な価値観が形成されていて誰もがそれを疑わない。それどころか、指導教官や先輩から、大学院での“正しい”生活のあり方がいつも教化されています。(洗脳ですね-stochinai)

 まずは、自分の指導教員の影響から離れる努力をしてみる。「自分」をとりもどすということです。良いところも悪いところも、強みも弱みも含めてほんとうの自分の姿を鏡に映してみること。その上で、欠点や弱点を知恵や工夫でどう再活用できるか考えてみること。とくに、大学以外で通用させる--金を稼ぐ--ことにどう転用できるのかを柔軟に“発見できる”環境をつくりあげること。
 というように、サバイバルの哲学や直接役に立つノウハウなども含めて、たくさんの有益な「言葉」が満載です。

 もちろん、読む人の過去や現在置かれている場所によって、強く響いてくる箇所は違うと思いますが、少なくとも大学院と博士という点で重なるところのある人には文系理系を問わず響いてくるものが多い内容の本だと思います。

 15年ほど前に、ポスドク等一万人支援計画が出され、Natureが紙面でその政策を非難した時、私は大学院生向けの講義の中で家庭医という意味の「ホームドクター」をもじって、「ホームレスドクターにならないために」という話をした時には、半分冗談のつもりだったのですが、その後も状況はそのまま突っ走って、「ホームレス博士」がタイトルになる本が出てしまうという状況がほんとうにきてしまいました。

 現在、大学院進学、特に博士後期課程への進学には躊躇する学生が増えてきていますので、大学院の進学を考えている多くの若者にとって、この本に書かれているようなことはある程度実感されているのだとは思いますが、頭の中を整理するという意味においても、一度じっくりと読んでみて損はない本だと思います。

 値段も、読者の幸運を祈って777円となっているのも、悪くありません。
by stochinai | 2010-09-14 19:29 | ポスドク・博士 | Comments(0)
 3日半にわたった日本発生生物学会年会(アジア・パシフィック・ネットワークとジョイント)が終わりました。基本的にすべてが英語で行われた大会ですが、発表する方も聞く方もそれほど違和感なく英語のミーティングを淡々とこなしているように見えました。ただ、若い研究者が多くの発表者になっていたポスターセッションでは、発表する側と聞く側が日本人同士の場合には、こちらも迷うことなく日本語で行われていました。オーストラリアやインドなどの英語がネイティブの参加者も多かったのですが、それ以外の東アジアの方々と我々日本人が共通言語としておたがいにつたない英語でやりとりをしているのも、ほほえましい光景でありますし、意外なほどスムーズに意見交換ができることを体験した人も多かったことだと思います。

 今回は外国からの参加者がかなり多かったのですが、ある程度の数外国の方がおられると日本人同士でも英語でやりとりするのにそれほどのためらいがなくなるような気もしました。今後も発生生物学会は英語で通すということになっておりますので、毎回できるだけたくさん外国からのお客さんを引きつけることと、若い人が気楽に英語で発表できる雰囲気ややり方を工夫していく必要があるのだと思いました。

発生生物学会を終えて:若手研究者の望み_c0025115_23373634.jpg
 これは昨日撮った、会議場の庭の池でひなたぼっこするカメ(巨大化したミドリガメ=ミシシッピ・アカミミガメ)です。このカメはアメリカからわたってきたものですが、今や日本のカメと言ってもよいくらいに日本の環境になじんでしまっています。このカメは嫌われていますが、会議における英語もこのカメと同じくらいに日本の中に溶け込むのには何年くらいかかるでしょうか。

 今回も発表された研究の多くがポスドクや大学院生によって行われたものでした。逆境におかれた彼らが、素晴らしい研究成果を出し続けていることに敬意を感じるとともに、彼らの未来を思って複雑な気持ちになったことも事実です。

 昨日の学会総会の席で、数年前に組織されたポスドク問題を検討するワーキンググループが、これ以上活動を続けても意味のある成果が得られそうもないということで、とりあえずの活動休止宣言をしたという報告がありました。精力的に調査や提言構想の策定を行っていたようなのですが、同じような調査はいろいろなところで行われており、得られた結果も大同小異で特に新しいことも出てこず、提言にしても考えても考えてもいままでに様々な人や組織によって出されているものと類似のものにならざるを得ず、また提言を出したとしても実現される可能性がほとんど期待できないということには、その通りだろうと納得してしまいました。さらには、こうした活動をしているワーキング・グループのポスドクの方々も自分たちの明日を考えるという現実に追い立てられており、活動を続けることが彼らの将来にプラスになるとは思えないということも活動休止の要因だったようです。

 まったく胸の痛む報告ですが、そのくらい事態は閉塞状況にあるのだと思います。

 渦中にいるポスドクや時限雇用の助教・テニュアトラックの方々も、この先、事態が劇的に好転すると思っている人は皆無のようです。つまり、職を求めている全員が希望する研究職になれないということは覚悟しているのです。しかし逆に、それを納得するために必要な重大なポイントがあります。

 それは、公平な人事です。

 人事が公平であることを彼らに納得してもらうためには、誰がどのような経緯で採用されたのかという人事プロセスの透明化・公開が必要なのではないかと、私には思えています。

 旧来、人事はプライバシーの尊重などを盾に秘密主義で行われてきているケースがほとんどだと思いますが、そのことが採用された人以外の人(応募した人もしなかった人も)に疑念を持たせてしまう理由のひとつにもなっているように思われます。公募して採用するという人事を行っているのであれば、応募人数だけではなく、候補者が採用されるに至った経緯を公開しても問題ないのではないでしょうか。また、そのことによって採用されなかった応募者がなぜ自分は採用されなかったのか、また採用された人が自分よりもどういったポイントが評価されたのかということがわかると、結果にも納得しやすいのではないでしょうか。

 一人でも多くのポスドクや時限付き雇用の研究員がパーマネントの研究員になれることが理想ですが、それが絶対的に不可能なくらい研究者志望の予備軍を生み出してしまった国が責任を持って彼らを納得させることは義務だと思うのですが、どうでしょうか。
by stochinai | 2010-06-23 23:45 | ポスドク・博士 | Comments(4)
 ポスドクを大量に生み出したのが中曽根首相時代のポスドク等1万人計画だったとすると、それを救済するのも自民党(自公)政権の責任とも言えるわけですが、政権交代してしまった今となっては彼らにそれをする力はほとんど残っていません。しかし、自公政権下で国立大学が法人化されて以降、毎年1%ずつ減らされ続けた運営費交付金はどうなっているのでしょうか。

 当然、他の費目に変えられて使っているのだと思いますが、ここはひとつそれを高等教育政策費として戻してもらえませんでしょうか。

 ある資料によれば、毎年90億円ほどが削減されてきたようなので、それが5年分とするとざっと450億円です。

 この450億円を使って、あらゆる研究分野のポスドクを雇用し、研究費配分の仕事をしてもらってはどうかというのが提案です。

 かなり荒っぽい計算ですが、そのお金を使って一人年間400-500万円の給料でポスドク1万人を雇用することができるという計算にならないでしょうか。その1万人のポスドクを各国立大学法人と文科省の下にあるJSPSとJSTに分配してプロフェッショナルな科学研究費プログラムオフィサーとして働いてもらうというのは、かなり現実味のある提案だと思いますが、いかがでしょう。

 もちろん、ポスドクの多くの方々は研究をしたいと思われているでしょうが、プロとして研究費配分の仕事に携わるということは、限りなく研究の現場に近いところにいるということであるともに、世界の研究動向を勘案するという意味において広い視野を持つこともできます。

 そういう仕事を数年続けたら、今度は大学や研究所の研究者と立場を交換するのです。

 アメリカでは、大学などの研究者が1年間くらい研究の現場を離れて、NSFなどで研究費配分の仕事に携わると聞いたことがあります。
5年間削られ続けた国立大学運営費交付金でポスドク雇用_c0025115_21253831.jpg
 日本でも、大学や研究所の研究者(教員)は、何年かあるいは十何年かに1回、文科省に1年間くらい現場を離れて出向し、研究費配分の仕事に携わるとか、自分の大学あるいは研究所で研究費申請や審査に携わることを義務づけてはどうでしょう。

 このシステムを起動するために、とりあえず最初はポスドクから始めてみようというのが今回の提案です。

 いきなり、科学者コミュニティに研究費配分のための組織を作れと言っても途方に暮れるだけだと思いますので、今ある組織を改編して(できれば、JSTとJSPSを統廃合し一つの組織にして)、そこに大量のポスドクを入れるところから始めてはどうでしょう。

 我ながら悪くない案だと思いますが、現時点では単なる思いつきですので、どんどん叩いてください。同時により良い対案もお願いします。
by stochinai | 2009-11-26 21:30 | ポスドク・博士 | Comments(8)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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