5号館を出て

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カテゴリ:大学・高等教育( 411 )

 「今日行く審議会」さんが、論文博士の廃止について中教審の資料をもとに論考したエントリーをたてられました。

 非常に的確に議論なさっておられますので、私は特に付け加えることはありません。そちらへ飛んで、お読み下さい。

関連エントリー
 また中教審
 また中教審2:博士課程への囲い込み
by stochinai | 2005-05-11 18:18 | 大学・高等教育 | Comments(0)

大学はどこへ行くのか

 「大学教育を考えたりする私」さんが、2006年度に設置が予定されている学部2006年に新設が予定されている大学、および2007年度に予定されている大学をめぐる出来事というリストを出しておられます。

 特にコメントもつけずに並べてあるだけなのですが、それを見ているとなんだか考え込まされてしまいます。

 2007年度の出来事の最初に「大学・短大全入に」と書いてあるのですが、そのくらい大学入学者数が減っているにもかかわらず、大学や学部がどんどんと増えているという印象を受けます。

 もちろん廃止になる学部や倒産する大学も出てくるのでしょうから、単純に増加していくわけではないと思うのですが、何か学生数減少と学部・大学の新設には整合性が感じられません。

 ご存じの通り、大学というものは文科省が設置を認めてくれなければ作ることはできませんので、このリストは文科省が認めたものということなのでしょうが、文科省としてはしっかりとしたビジョンを持って認可作業を進めていることを期待したいと思いますが、本当に大丈夫なのでしょうか。

 設置予定の学部に医療や看護、保育それにはやりの「こども学部」などというものが目立つのは、少子高齢化社会への対応としてわかるのですが、城西国際大学 観光学部、京都精華大学 マンガ学部、園田学園女子大学 未来デザイン学部などというものは、大学でやらなければならないものなのかどうか、疑問も残ります。

 また、相変わらず名前からでは訳のわからないものもあり、工学院大学 グローバルエンジニアリング学部、駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部などでは、どんなことをまなぶことができるのでしょう。

 新設の大学9校のうち、札幌に3校もあります。札幌市立大学 デザイン学部 看護学部、札幌大谷大学 音楽学部、北海学園商科大学 商学部です。札幌市立大学以外は、母体となる大学がすでにありますので、純粋の新設というわけではないのですが、札幌市立大学は完全な新設です。我々の大学との競合も予想されることになるのでしょうか。さらに名寄市立大学 保健福祉学部を加えると、新設大学9校中4校が北海道ということになります。経済的に冷え切っていると言われている北海道で、新たに大学をそんなに増やして大丈夫なのかと、とても心配になります。

 さらに2007年に予定されているイベントのエントリーを見ると、「早稲田大学理工学部が『先進理工学部』『基幹理工学部』『創造理工学部』の3つになる」など、特定の大学が独走する予想も見て取れる感じです。

 たとえ私立大学でも、文科省から認可されると多額の補助金が出るはずで、それは我々の税金によってまかなわれるので、我々も大学の将来について考えコメントする権利があると思います。どんどん作ってはつぶれて、そのたびにたくさんの被害者となる学生と、多額の税金の浪費が行われるのだとしたら、そうそう黙って見過ごすわけにはいきません。

 なんだか最近は、監視しなければならないものが多すぎて困ります。そういうことをやってもらうために、政府とか官庁とかがあるはずで、そのために税金を納めているはずなのに、税金を払った上に、大変になっている現状ってやっぱり変だと思います。
by stochinai | 2005-05-07 17:03 | 大学・高等教育 | Comments(12)

同窓会

 本日、理学部同窓会の理事会・評議員会というものがありました。今年から、「動物」の理事にさせられましたので、出席して参りました。

 同窓会というものは昔を懐かしむための組織ですから、理学部を卒業して出て行かれた方が、久しぶりに戻ってこられた時に、昔の建物や昔の組織そして昔の先生などが、昔のまま残っていてこそ同窓会の意味もあるように思います。

 私が卒業した頃は、理学部には数学、物理、化学、地質学鉱物、生物(動物、植物)、地球物理、高分子、第二化学という8(9)つの学科がありました。私は動物の卒業生です。それに、臨時教員養成所というものがあった時期があるそうで、現在の同窓会は10の分野から役員が選ばれて運営にあたっています。いずれにせよ、その頃は学部も大学院もひとつの「学科」というまとまった単位として運営されていました。学科の中にはさらに小さな家族に相当するような組織=講座がありました。いろいろと問題も指摘されている講座制の講座ですが、同窓会の最小単位としては懐かしさがもっとも強く感じられる組織だと思います。

 つまり、学部卒であれ大学院卒であれ同窓生が懐かしむ基盤としての学科がありましたから、大学を卒業した後でも出身の学科をたよりに大学を懐かしみ、時には戻ってくる場所として学科が、文字通り不動の地位を保っていました。同窓会の基盤がしっかりしていた時代とも言えるでしょう。

 ところが学部改革や大学院重点化ということで、10年前から学部は数学科、物理学科、化学科、生物科学科(生物学、高分子機能学)、地球科学科(地球惑星物質科学、地球物理学)の5つに改組され、同時に大学院も5つの専攻になりました。そのころから、大学の建物もどんどんと建て直しが進み、今では当時の建物で残っているのは博物館になってしまった理学部の本館だけといってもよいくらい風景も変わってしまいました。

 つまり、同窓生にとっては戻り懐かしむ場所の実体である建物も、バーチャルに懐かしむことのできる組織である学科もなくなってしまったと言えると思います。久しぶりに大学を訪れた卒業生も、「いやあ、懐かしいですね」と言いながら訪ねる場所がなくなってしまい、新しい建物の中をうろついているうちに、運が良ければ知り合いに会うことができるという迷宮になってしまったのが今の大学です。

 来年からは、さらに大学院の組織が大きく変化することになっていて、理学部(大学院理学研究科)という単位すら壊されて、全学的にスクラップ・アンド・ビルド状態になりますので、もはや理学部を軸とした同窓会の存立基盤はなくなってしまうことになります。

 卒業生はそうした変化に敏感なのか、この不況が原因なのか、あるいは単にそのようなものに関心がないのか、大学が変わり始めた10年くらい前から「同窓会離れ」が顕著になってきているようで、それまでは毎年1000万円以上の収入で使い切れないほど集まっていた同窓会費が、どんどんと減少を続け、今では600万円の確保すらあやしくなってきています。

 今年は、理学部発足75周年なのだそうですが、そろそろ同窓会も解散すべき時にさしかかっているようです。それと対応するように、北海道大学同窓会というものも立ち上がりましたが、果たしてそのような大きな組織としての同窓会に帰属意識を持って参加してくれる人がいるか、大いに疑問が持たれるところです。
by stochinai | 2005-04-20 22:02 | 大学・高等教育 | Comments(2)
また中教審:追記です。

 少々感情が先走った脊髄反射的な前のエントリーに対して、たくさんの方からトラックバックおよびコメントをいただきました。トラックバックをいただいた、Dr Blue さん、今日行く審議会さん、まきこみ計画さんのエントリーを読むと、中教審の今回の決定に対する批判は冷静に議論され、重要なポイントはだいたい出つくしているようにも思われます。みなさん、ありがとうございました。

 特に、まきこみ計画さんの制度改変の本当の理由の議論に関しては、まったくその通りだと思いました。実は怠慢で調べていないのですが、中教審の委員の中にかなりの数の国立大学関係者がいるのではないかと、私も薄々感じていたところです。というわけで、まきこみ計画さんのおっしゃる通り、国立大学の法人化と今回の決定とに関係があるという推測は、かなり当たっているのではないかと私も思います。

 法人化の前からそうなのですが、大学では学生定員の充足と歩留まりの良い卒業率、大学院ならばそれに加えて効率良く(短期間でできるだけたくさんの学生に)学位を取らせることが求められており、法人化以降はその達成率が評価に反映され、ひいては大学への運営資金の配分にも影響があると恐れられているようです。

 私もさっき知ったばかりなのですが、「北大大学院工学・博士課程1年生の授業料タダ 不人気脱却を狙う」には驚きました。

 これと併せて考えると、博士号の取得を在学者だけに限ることで論文博士狙いの学生の就職を阻止し(なんということでしょう!)、法人化した大学院博士課程へ人材を囲い込もうという魂胆が露骨に見えてくるように思われます。でも、博士の価値が下がり始めてしまった以上、こんなことで修士卒者の就職を阻止できるのか、疑問です。

 自分の大学の悪口は言いたくないですが、なんか大学院博士課程は自滅への道を走り始めたようにもみえるんですけど、、、、。
by stochinai | 2005-04-15 11:45 | 大学・高等教育 | Comments(8)

年度の終わり

 ようやく今日で「平成16年度」が終わり、明日からは「平成17年度」が始まります。

 年度の変わり目ですから、委員の任期にも今日で終わるものがたくさんあります。私は、今日まで全学教育「生物学」企画委員というものをやっていたのですが、これは今まで経験したこともないくらいハードな委員でした。

 あまりのハードさから、従来は「物理・化学・生物・地学」の中にあった「物理学実験・化学実験・生物学実験・地学実験」をくくりだして、新しい委員会を作ってもらいました。その結果、少しは楽になったのかもしれませんが、新たに実験の企画委員になった方々も大変な思いをしておられますので、今まで1人でやってきたということが奇跡(あるいは手抜き)だったと言わざるを得ません。

 この企画委員の役割は、昔「教養」と呼ばれていた「全学教育」つまり、大学に入学して来た初年度~1.5年間くらいに行われる全学の「初年度教育」における、理系の学生(理学部、医学部、歯学部、薬学部、工学部、農学部、獣医学部、水産学部)すべてに対して生物学(I、II、III)および基礎生物学I、IIという講義科目(前は実験も)を提供することです。全員が必修ではありませんが、延べ人数で最大で3000人分くらいにもなる学生のクラスと教員を割り振るのは、真面目にやったらとてもできるとは思えないようなことです。

 それを担当する数十名の先生の担当する科目と学生、そして教室の割り振りをやりました。もちろん、他の科目との調整などもありますので自分1人でできるわけもなく、原案をだして全学教育の教務係との共同作業ということになるのですが、この春から始まる講義に関しては昨年の夏から秋にかけての作業でした。

 でもまあ、ある意味で機械的にこうした割り振り作業をするだけならば、時間とエネルギーさえかければ何とかならないものでもありません。さらに、2年目ということでちょっとは慣れてきていろいろとわかるようになっていました。

 ところが、去年から今年にかけては、さらに大きな仕事が持ち上がってきているのです。その一つが18年度から始まる大カリキュラム改革です。迷走を続ける文科省が頻繁に変えた学習指導要領の最後の仕上げが成された平成15年度に高校に入学した学生が大学に入ってくるのが平成18年度で、この年に入学してくる学生は高校までに、我々の知っているいわゆる「理科」の素養をまったくといって良いほど持っていないであろうことが予想されています。それを、「18年問題」あるいは「2006年問題」と呼んでいるのですが、その問題に対して大学の初年度教育を全面的に設計し直さなければならないところまで追い込まれているというのが、今の大学の実情です。

 そして、追い込まれた結果、誰かがそれに対応しなければならないので、我々は文科省のお力を借りることなく自力で対応しますということは、法人化するに当たって北大が作成し文科省に認可していただいた「中期目標・中期計画」に書いてあるのです。文科省のしでかした不始末を、我々が尻ぬぐいさせていただくということを文科省に許可していただくというのも、なんともひどく卑屈な態度ですが、それが我々の大学の首脳陣の姿勢なわけです。というわけで、ともかく18年度問題に適切に対処するためには、少なくとも理科のカリキュラムは全面的に改定する必要があるというわけです。

 来年から始まるその新しいカリキュラムづくりの基本的設計をしたのが、16年度だったというわけで、とんでもない時に委員になったものです。

 さらに「秀」評価及びGPA制度の導入という、これも中期目標・中期計画に書いてしまってあった約束があります。「学士課程に『秀』評価及びGPA制度を導入し,修学指導等に積極的に活用するよう努める」と書いた以上、それを実現しなければ6年後にマイナスの評価を受け、いろいろなところで大学として文科省から否定的な処分を受けるに違いないと、大学当局は信じておられるようです。つまり、やらなければなりません。

 その新しい評価方法に対応するための検討もやらされておりました。「秀」評価及びGPA制度というのは、海外の大学では普通にやられていることなのだそうで、大学を国際標準の存在にするために必須のものなのだそうです。北大では今までは、優良可という3段階の合格評価と、不可および不履修という不合格の評価しかありませんでしたが、それを秀優良可という4段階の合格評価に変えるということは、実はそれほど簡単なことではありません。

 そうしたことについての完璧な対応ができた上で、明日からの新学期を迎えられるのであれば大したものなのですが、当然のことながら我々のような非力な人間が少数で、しかも限られた時間の中でできたことなどはたかが知れているというのはどなたでも想像に難くないことだと思います。

 そういうわけで、私は任を解かれてせいせいした気持ちはあるのですが、今年・来年と起こるであろうカリキュラム上の混乱を予測しては、それほどすっきりとした気持ちではいられない年度の大晦日なのでありました。
by stochinai | 2005-03-31 20:51 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 同じようにセクハラで処分された国立大学の助教授のうち、ひとりは自殺し、もうひとりは処分取り消しの訴訟を起こそうとしているというニュースがありました。

 東北大大学院助教授、セクハラ指摘を苦に自殺か

 セクハラ:北見工大助教授を停職処分に

 片や「セクハラはやっていない」という遺書を残して練炭自殺。もう一方は「学生側の言い分を一方的に認めたもので事実誤認」として訴訟を起こそうとしているとのことです。

 明日は我が身とまでは思わないのですが、同じような立場にいる私としてはいろいろと考えることがあります。

 おそらく、どちらの場合も学生から訴えられた先生にはセクハラの自覚はなかったのではないかと思われます。しかし、セクハラやアカハラに関しては客観的事実もさることながら、被害者が不快感や恐怖感を持ってしまった時点で、犯罪の存在が強く推定されてしまうという特徴があるので、そうした学生の気持ちを推し量れなかったということで、教員としての資質を問われたとしても、それはやむを得ないものがあるとは思います。(それにしても、処分が安易に行われていないかどうかは、気になるところです。)

 ニュースを読む限りでは「女子学生3人に抱きついたり、夜間の面会を強要するなど」とか、「飲食店などへの同行を迫る」などということしか書いてありません。もしも、こうしたことが女子学生と同期生などの学生同士の間で行われていたものであるならば、おそらく女子学生もそれを必ずしもセクハラと思わなかった可能性があると思います。

 普段、そのような学生同士のじゃれ合いを身近で見ていて、先生としてもついついフラフラと同じようなことをやってしまったというようなレベルのセクハラも多いのではないかと同情する部分がないでもありません。しかし例えそうだとしても、それが女子学生にセクハラであると思われてしまった時点で、学生の気持ちをわからなかった落第教員とされても仕方がないのだと思います。(教員はつらいものです。)

 もちろん、単位や研究指導などと引き換えに相手を追い込んだ上でセクハラ行為があった場合には、まったく弁解の余地がありませんので、グラウンドで公開むち打ち100回を与え、学内を裸で引き回しの上、懲戒免職にするなどの罰を与えても良いと思いますが、今回のケースはどうなのでしょう。

 もしも、処分された当人が本当に一点の曇りもなくセクハラが冤罪だと確信しているのならば訴訟は正しい行動だと思います。しかしセクハラ問題では、まったく自分に落ち度がないと主張するというのもどうかなあ、というのが正直な感想です。また一方では、そこまでこじれる前に、当事者間と大学との間で十分な話し合いをして、和解および善後策の検討がなされなかったとするならば、大学当局にも問題があると思います。

 自殺してしまった人の場合にも、大学当局の対応は大丈夫だったのかという心配が残ります。セクハラという非常に微妙な問題を、学外者の目(文科省、マスコミ、などなど)を気にするあまりに、正義というよりは事態収拾ということに重点を置きすぎた拙速な対応をしていなかったのかどうかが気になります。

 今の大学を見ていると、あらゆることが外圧によって動いているように見えます。そんな中で、セクハラ問題も、教員の抑圧と処分ということでしか解決できないのだとしたら、やはり大学というものが知性の府としてもはや機能していないということの証拠の一つになってしまうような気がします。

 法学や心理学や教育学の専門家がたくさんいるはずなのですが、自分たちの現場でそうし学問研究の成果が生かされないのが大学という病の実態なのかもしれません。

 つらいところです。
by stochinai | 2005-03-22 22:52 | 大学・高等教育 | Comments(0)

スキャンダル

 大学がもっとも恐れるもののひとつがスキャンダルです。

 昼前にNHKがタクシーで乗り付けて、ある建物の映像を撮影して、飛んで帰っていく様子を目撃したので、NHKのお昼のニュースを見てみました。北海道版のニュースをみて納得しました。そういうことだったんですか。

 朝日コムでも出ました。

 極地研所長を告訴へ 北大、研究費2千万円横領容疑で

 地元紙のほうがもうちょっと詳しいですし、続報も出ています。

 前北大地震火山観測センター長、共同研究費を不適切処理 7600万円
 共同研究費不適切処理、北大が島村前センター長告訴へ 業務上横領と判断

 毎日新聞です。

 北大不祥事:前センター長が7600万円受領も手続きせず

 記事を読む限りはひどい話です。でも、地震計を売るっていうのも、、、、。

 また、道新の記事によると今回の事件が発覚した発端には「内部告発」があったということです。大学における不正が表に出る時、その多くが内部告発によるものであることが多いのは事実です。

 告発した人を守らなければならないのはもちろんですが、今回のように被疑者が転出した後に初めて告発するではなく、問題が起こりそうな時にその問題を抑止するようなアクションを起こせる組織にすることが求められていると思います。

 我々に与えられた課題ですね。
by stochinai | 2005-03-18 13:53 | 大学・高等教育 | Comments(2)
 いつも大学の批判ばっかりしている私ですが、今日は思いっきり(?)褒めてみたいと思います。

 昨日の入学試験がJR事故の影響で2時間遅れになったために、日帰りを予定していたかなりの数の受験生が帰れなくなってしまうことになる事態を受けて、大学は急遽、航空券や、JR乗車・特急・指定券の変更や宿泊先の確保のために相談窓口を設置したのだそうです。

 しかも、1教科目の試験が終わった時点で受験生に対して、各種切符の変更の仕方や相談窓口を書いたプリントを配布したという迅速な処置があったようです。

 その時までに、北大当局は航空各社とJRに本来ならば変更不可能な受験パック旅行などを利用している受験生に対しても、無料で変更できるように交渉をしていたといいますから、なかなかの対応だったと思います。

 ホテルに関しても北大生協の協力で確保したといいますから、ほぼ完璧と言っても良いほど素晴らしい対応だったと言えると思います。

 ここからは想像なのですが、この処置に関しては事務系の職員の方々がかなりの活躍をしたのではないかと思われます。

 我々大学の教員というのは、ほとんどの人が研究には自信がありますが、教育に関しては義務だからやりますという程度の人が多いです。まあ、研究と教育まではなんとかできるのですが、それ以外のいわゆる「社会的活動」は苦手な人が多く、今回のような機転を利かせた対応というものはおそらく間違いなく事務系職員の方の主導および実働で行われたものではないかと思います。

 こういうことがあると、大学というものを動かすのに事務という存在がいかに重要であるかがはっきりするのですが、普段は大学というものの主役は教員・研究者であると思われているフシがあります。フシだけではなく、大学の運営方針を決めているのは教員を中心とした教授会や評議会です。今のところ学長も教員ですから、大学の運営は教員がやっていると言っても良いと思います。

 そして、去年まで公務員だった国立大学では、文科省から定員削減の命令がくると、まずは事務職員を削減するということを続けてきましたから、教員の減り方よりも事務系職員の減り方はずっと早かったのです。

 その結果、どんなことが起こってきているかというと、改めて言うまでもないことですが、会計処理や備品や薬品の管理などのさまざまなサービスを、教員自身でやらざるを得ないということになってきています。しかも、我々が自分でやると何がなんだかわからないだけではなく、時間もかかるし間違いも多いということになります。その分、研究や教育に割く時間も減ってしまいます。

 まさに、我々教員が自分の首を自分で締めているということなのですが、そういうことがここまで来てようやく気がつき始めたというところも間抜けな話です。

 人員の削減をしなければならなくなった時に、誰を削減するかということを決める組織が教員だけで構成されているといういびつな運営体制をとっている限り、教員と事務職員のどちらが優先的に削減されるかなどということは、中学生でもわかることだと思います。

 法人化した大学をうまく運営していくためには、事務系の職員も経営に参加していくしくみにしていかないと、単なる差別の問題だけではなく効率的な運営というものも期待できません。

 どうせやるなら徹底的にやってみませんかね、北大だけでも。
by stochinai | 2005-02-26 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 今日は北大でも入試の2次試験がありました。

 運の悪いことに、朝からJRの札幌-新千歳空港間が貨物列車の故障のため一時不通になり、空路で駆けつける受験生に対する配慮から、試験時間を繰り下げる措置を午前8時に1時間、さらに9時にもう1時間と2回繰り返したため、結局2時間の遅れになりました。

 本来ならば、9時から始まって5時10分までだったはずの試験時間が、11時から7時10分までということになり、受験生は肉体的にだけではなく精神的にもかなり疲れたことと思います。

 ほんとうにお疲れさまでした。

 発表は9日の予定で、その後12日に後期日程の2次試験が行われる予定です。

 何回かいろんなところで言ったり書いたりしているのですが、受験生にも大学にも大きな負担になる、この2次試験というものはもうそろそろ止めたらどうでしょう。センター試験で成績順の振り分けができているのですから、屋上屋を重ねるような学力判定にすぎない前期の2次試験をする意味はほとんどないと思われます。

 後期試験は小論文や面接、総合問題ですから、センター試験とはかなり異なる能力を判定していると思われますので、とりあえず前期試験は願書とセンター試験での選抜、後期試験では今まで通り特色ある試験とセンター試験での選抜ということで良いのではないでしょうか。

 噂によると、今年から試験や採点にかかわる教職員の手当が廃止あるいは縮小になっているのだそうで、時間外の労働(試験監督・採点)に対しては、基本的には代休で対応し旧来のような時間外手当は特例的扱いになっているようです。

 昔は、入学試験というものは、大学にとって非常に重要な行事と考えられており、私が初めて採点業務に係わった20年くらい前には、採点にとてつもないエネルギーも要求されましたが、大学当局からの手厚い慰労もありました。昼食はもとより、数時間ごとに豪華な茶菓の差し入れがあり、夕方まで頑張って採点を続けるような事態に至った時には、特別に夕食までも差し入れられたものでした。公務員の贅沢と思われるかもしれませんが、それは採点の緊張感を維持するのにとても大切なことだったのだと確信しています。

 一方、採点にも2重3重のチェックが入り、最後の事務的点検の段階で配点の矛盾や加算のミスなどが発見されると、全員が再招集されてすべてを再点検させられた記憶もあります。ものすごく古い話しなのでもう時効だと思いますが、そのころの試験にはミスなどというものはほとんど考えられなかったと思います。

 もちろん、時間外の労働に対する手当も、適度に厚かったような記憶があります。

 それが、いつの頃からか採点には昼食がつかなくなり、もちろん夕食など出るはずもなく、大瓶のインスタントコーヒーと乾きものの駄菓子はありますが、あまり食べる気にもならないものばかりです。緊張感もだんだんと喪失せざるを得ないというものでしょう。

 その頃から、採点に対するチェックもそれまでよりは2~3割(感覚ですが)の簡略化が始まったように記憶しています。単なる偶然なのかも知れませんが、全国の国立大学で入試や採点のミスが多く報道されるようになったのも、その頃からだったような気がします。

 そして、今年からは手当も削られ代休での対応となってきました。

 わかるでしょうか。採点する人間の志気を低下させるような状況が作られてきているのです。その結果としてとはまでは言いませんが、こんな状況下でミスが多くなるのは、人情としては良く理解できます。きちんとした対価を支払うことなしに作業させようとしたら、いくら先生でもパワーが出ないものです。

 こうした「人の使い方」がきわめて下手なまま、法人化という会社的経営を始めた国立大学というものが如何に危ういものかということは、この後続々と新聞を賑わせるような結果となって出てきそうな気がして、ちょっと恐いものがあります。

 わかりますか。
by stochinai | 2005-02-25 21:33 | 大学・高等教育 | Comments(2)

大学入試のミス

 大学入試のミスの続出が問題になっているようです。

 入試だって人間がやることですからミスはあり得ます。特に、できる限り少人数で作ることを要求される入試は、ミスが起こりやすいものだと思います。

 入試だからといって、ミスが許されないのでしょうか。ならば、入試を止めることを提案します。入試がなくなればミスもなくなります。

 そもそも、ちょっとしたミスが大問題になるような試験というものは、ろくな問題ではないと思います。本当に良い試験であれば、ちょっとしたミスなどはなんのその、きちんと受験生の実力を判断できるはずです。

 そうです。昨日も話題になった小論文こそ、そうしたミスの入る余地が少ない優れた試験なのです。しかし、あくまでもそれは優秀な教員が採点した場合であって、神子秋沙さんが既知録で書かれたように、「論文の内容のチェックなんてしません」というようなコンピューターが採点するのだとしたら、「極端な話、単語と文の構成が正しく用いられていれば、文の意味がとんでも無いことになっていても得点は高く・・成るかもしれません」ということですので、それこそ採点ミスが約束されているようなものです。

 入試を作ったことのある人ならばわかると思いますが、問題作成の80%くらいのエネルギーはミスを除くことに費やされます。つまらないことです。しかし、それでも起こるのがミスなのです。

 人間のやることにミスがあるということを前提に話を進めるのが、現代の危機管理ですから大学の入学試験でもミスが起こることを前提に対策を立てておくべきだと思います。

 そうしたならば、ミスが起こってもあわてず騒がず、それこそ粛々と対応すれば済むことです。

 文科省も、ミスを起こした大学を罰するなどというつまらないことを考えずに、ミスが起こった時の対応マニュアルでも作っておくべきでしょう。

 マスコミも騒がないでください。あなた達だって、しょっちゅうミスを犯しているではないですか。

 人というものは間違える存在(Homo mistakes)なのです。もう、いい加減で気が付いても良いのではありませんか。(まあ、それを知っていながら騒いでいるのがマスコミというものなのだと思いますが、誰も一緒に踊ってはいないことには気が付いていないのでしょうか。)
by stochinai | 2005-02-17 23:02 | 大学・高等教育 | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai