5号館を出て

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カテゴリ:大学・高等教育( 415 )

スキャンダル

 大学がもっとも恐れるもののひとつがスキャンダルです。

 昼前にNHKがタクシーで乗り付けて、ある建物の映像を撮影して、飛んで帰っていく様子を目撃したので、NHKのお昼のニュースを見てみました。北海道版のニュースをみて納得しました。そういうことだったんですか。

 朝日コムでも出ました。

 極地研所長を告訴へ 北大、研究費2千万円横領容疑で

 地元紙のほうがもうちょっと詳しいですし、続報も出ています。

 前北大地震火山観測センター長、共同研究費を不適切処理 7600万円
 共同研究費不適切処理、北大が島村前センター長告訴へ 業務上横領と判断

 毎日新聞です。

 北大不祥事:前センター長が7600万円受領も手続きせず

 記事を読む限りはひどい話です。でも、地震計を売るっていうのも、、、、。

 また、道新の記事によると今回の事件が発覚した発端には「内部告発」があったということです。大学における不正が表に出る時、その多くが内部告発によるものであることが多いのは事実です。

 告発した人を守らなければならないのはもちろんですが、今回のように被疑者が転出した後に初めて告発するではなく、問題が起こりそうな時にその問題を抑止するようなアクションを起こせる組織にすることが求められていると思います。

 我々に与えられた課題ですね。
by stochinai | 2005-03-18 13:53 | 大学・高等教育 | Comments(2)
 いつも大学の批判ばっかりしている私ですが、今日は思いっきり(?)褒めてみたいと思います。

 昨日の入学試験がJR事故の影響で2時間遅れになったために、日帰りを予定していたかなりの数の受験生が帰れなくなってしまうことになる事態を受けて、大学は急遽、航空券や、JR乗車・特急・指定券の変更や宿泊先の確保のために相談窓口を設置したのだそうです。

 しかも、1教科目の試験が終わった時点で受験生に対して、各種切符の変更の仕方や相談窓口を書いたプリントを配布したという迅速な処置があったようです。

 その時までに、北大当局は航空各社とJRに本来ならば変更不可能な受験パック旅行などを利用している受験生に対しても、無料で変更できるように交渉をしていたといいますから、なかなかの対応だったと思います。

 ホテルに関しても北大生協の協力で確保したといいますから、ほぼ完璧と言っても良いほど素晴らしい対応だったと言えると思います。

 ここからは想像なのですが、この処置に関しては事務系の職員の方々がかなりの活躍をしたのではないかと思われます。

 我々大学の教員というのは、ほとんどの人が研究には自信がありますが、教育に関しては義務だからやりますという程度の人が多いです。まあ、研究と教育まではなんとかできるのですが、それ以外のいわゆる「社会的活動」は苦手な人が多く、今回のような機転を利かせた対応というものはおそらく間違いなく事務系職員の方の主導および実働で行われたものではないかと思います。

 こういうことがあると、大学というものを動かすのに事務という存在がいかに重要であるかがはっきりするのですが、普段は大学というものの主役は教員・研究者であると思われているフシがあります。フシだけではなく、大学の運営方針を決めているのは教員を中心とした教授会や評議会です。今のところ学長も教員ですから、大学の運営は教員がやっていると言っても良いと思います。

 そして、去年まで公務員だった国立大学では、文科省から定員削減の命令がくると、まずは事務職員を削減するということを続けてきましたから、教員の減り方よりも事務系職員の減り方はずっと早かったのです。

 その結果、どんなことが起こってきているかというと、改めて言うまでもないことですが、会計処理や備品や薬品の管理などのさまざまなサービスを、教員自身でやらざるを得ないということになってきています。しかも、我々が自分でやると何がなんだかわからないだけではなく、時間もかかるし間違いも多いということになります。その分、研究や教育に割く時間も減ってしまいます。

 まさに、我々教員が自分の首を自分で締めているということなのですが、そういうことがここまで来てようやく気がつき始めたというところも間抜けな話です。

 人員の削減をしなければならなくなった時に、誰を削減するかということを決める組織が教員だけで構成されているといういびつな運営体制をとっている限り、教員と事務職員のどちらが優先的に削減されるかなどということは、中学生でもわかることだと思います。

 法人化した大学をうまく運営していくためには、事務系の職員も経営に参加していくしくみにしていかないと、単なる差別の問題だけではなく効率的な運営というものも期待できません。

 どうせやるなら徹底的にやってみませんかね、北大だけでも。
by stochinai | 2005-02-26 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 今日は北大でも入試の2次試験がありました。

 運の悪いことに、朝からJRの札幌-新千歳空港間が貨物列車の故障のため一時不通になり、空路で駆けつける受験生に対する配慮から、試験時間を繰り下げる措置を午前8時に1時間、さらに9時にもう1時間と2回繰り返したため、結局2時間の遅れになりました。

 本来ならば、9時から始まって5時10分までだったはずの試験時間が、11時から7時10分までということになり、受験生は肉体的にだけではなく精神的にもかなり疲れたことと思います。

 ほんとうにお疲れさまでした。

 発表は9日の予定で、その後12日に後期日程の2次試験が行われる予定です。

 何回かいろんなところで言ったり書いたりしているのですが、受験生にも大学にも大きな負担になる、この2次試験というものはもうそろそろ止めたらどうでしょう。センター試験で成績順の振り分けができているのですから、屋上屋を重ねるような学力判定にすぎない前期の2次試験をする意味はほとんどないと思われます。

 後期試験は小論文や面接、総合問題ですから、センター試験とはかなり異なる能力を判定していると思われますので、とりあえず前期試験は願書とセンター試験での選抜、後期試験では今まで通り特色ある試験とセンター試験での選抜ということで良いのではないでしょうか。

 噂によると、今年から試験や採点にかかわる教職員の手当が廃止あるいは縮小になっているのだそうで、時間外の労働(試験監督・採点)に対しては、基本的には代休で対応し旧来のような時間外手当は特例的扱いになっているようです。

 昔は、入学試験というものは、大学にとって非常に重要な行事と考えられており、私が初めて採点業務に係わった20年くらい前には、採点にとてつもないエネルギーも要求されましたが、大学当局からの手厚い慰労もありました。昼食はもとより、数時間ごとに豪華な茶菓の差し入れがあり、夕方まで頑張って採点を続けるような事態に至った時には、特別に夕食までも差し入れられたものでした。公務員の贅沢と思われるかもしれませんが、それは採点の緊張感を維持するのにとても大切なことだったのだと確信しています。

 一方、採点にも2重3重のチェックが入り、最後の事務的点検の段階で配点の矛盾や加算のミスなどが発見されると、全員が再招集されてすべてを再点検させられた記憶もあります。ものすごく古い話しなのでもう時効だと思いますが、そのころの試験にはミスなどというものはほとんど考えられなかったと思います。

 もちろん、時間外の労働に対する手当も、適度に厚かったような記憶があります。

 それが、いつの頃からか採点には昼食がつかなくなり、もちろん夕食など出るはずもなく、大瓶のインスタントコーヒーと乾きものの駄菓子はありますが、あまり食べる気にもならないものばかりです。緊張感もだんだんと喪失せざるを得ないというものでしょう。

 その頃から、採点に対するチェックもそれまでよりは2~3割(感覚ですが)の簡略化が始まったように記憶しています。単なる偶然なのかも知れませんが、全国の国立大学で入試や採点のミスが多く報道されるようになったのも、その頃からだったような気がします。

 そして、今年からは手当も削られ代休での対応となってきました。

 わかるでしょうか。採点する人間の志気を低下させるような状況が作られてきているのです。その結果としてとはまでは言いませんが、こんな状況下でミスが多くなるのは、人情としては良く理解できます。きちんとした対価を支払うことなしに作業させようとしたら、いくら先生でもパワーが出ないものです。

 こうした「人の使い方」がきわめて下手なまま、法人化という会社的経営を始めた国立大学というものが如何に危ういものかということは、この後続々と新聞を賑わせるような結果となって出てきそうな気がして、ちょっと恐いものがあります。

 わかりますか。
by stochinai | 2005-02-25 21:33 | 大学・高等教育 | Comments(2)

大学入試のミス

 大学入試のミスの続出が問題になっているようです。

 入試だって人間がやることですからミスはあり得ます。特に、できる限り少人数で作ることを要求される入試は、ミスが起こりやすいものだと思います。

 入試だからといって、ミスが許されないのでしょうか。ならば、入試を止めることを提案します。入試がなくなればミスもなくなります。

 そもそも、ちょっとしたミスが大問題になるような試験というものは、ろくな問題ではないと思います。本当に良い試験であれば、ちょっとしたミスなどはなんのその、きちんと受験生の実力を判断できるはずです。

 そうです。昨日も話題になった小論文こそ、そうしたミスの入る余地が少ない優れた試験なのです。しかし、あくまでもそれは優秀な教員が採点した場合であって、神子秋沙さんが既知録で書かれたように、「論文の内容のチェックなんてしません」というようなコンピューターが採点するのだとしたら、「極端な話、単語と文の構成が正しく用いられていれば、文の意味がとんでも無いことになっていても得点は高く・・成るかもしれません」ということですので、それこそ採点ミスが約束されているようなものです。

 入試を作ったことのある人ならばわかると思いますが、問題作成の80%くらいのエネルギーはミスを除くことに費やされます。つまらないことです。しかし、それでも起こるのがミスなのです。

 人間のやることにミスがあるということを前提に話を進めるのが、現代の危機管理ですから大学の入学試験でもミスが起こることを前提に対策を立てておくべきだと思います。

 そうしたならば、ミスが起こってもあわてず騒がず、それこそ粛々と対応すれば済むことです。

 文科省も、ミスを起こした大学を罰するなどというつまらないことを考えずに、ミスが起こった時の対応マニュアルでも作っておくべきでしょう。

 マスコミも騒がないでください。あなた達だって、しょっちゅうミスを犯しているではないですか。

 人というものは間違える存在(Homo mistakes)なのです。もう、いい加減で気が付いても良いのではありませんか。(まあ、それを知っていながら騒いでいるのがマスコミというものなのだと思いますが、誰も一緒に踊ってはいないことには気が付いていないのでしょうか。)
by stochinai | 2005-02-17 23:02 | 大学・高等教育 | Comments(2)

卒業研究発表会

 ふ~、ようやく卒業研究発表会が終了しました。

 これで、先月末から博士号検定最終試験、修士研究発表会と続いてきた卒業のための行事の派手なところがすべて終了と言うことになります。

 実際に単位の認定をしたりする作業はまだ残っていますが、あとはセレモニーみたいなものなので、一応肩のこる作業は山を越えたことになります。

 大変だ大変だとみんな言っていますが、昔から比べるとずいぶん楽になってきているはずなのです。例えば、博士だと昔は大学院に入って5年で取る人などはほとんどおらず、博士号を申請するまでには5本くらいの論文を書いているのが普通でした。修士論文もすべて英語で書くことを要求されていましたので、修士卒業生を3人も抱えてしまったら(経験あります)過労死しないのが不思議な年末年始になります。そして、卒業研究も論文の形で提出しなければなりませんでした。

 それが、今は博士も大学院5年間で出る人がメジャーになり、論文も1本以上あれば良いということなので1・2本の人が多くなり、修士論文も無理に英語で書かなくても日本語でもOKということになり、卒論もポスター発表をすれば無理に書かなくても良いということになっているのです。

 それにもかかわらずやはり大変なのは、学生も大学院生も大量にいるからなのだと思います。我々も大変と言えば大変ですが、学生はそれだけしっかりとした指導を受けられなくなっているということになるので、迷惑と言えば迷惑を被っていると思います。そういう意味では、学生も昔より大変な状況に置かれているのかもしれません。昔の学生はしごかれたかもしれませんが、少人数でしっかりとした教育を受けていました。

 それを大学生も大学院生もたくさん増やして、マスとして教育しようということになりましたから、ある意味で教える方も教えられる方も大変になっているのだと思います。なんで、こんなことになったのかと不思議に思うかも知れませんが、政治や経済のレベルから眺めると、今のやり方が昔よりはずっと良いということになっていると思います。

 つまり、大学や大学院を出た人がたくさんいるということは、たとえ平均値が下がったとしても、政治や経済に必要な「優秀な人材」の絶対数は確実に増加しているので、適当にあるいは過当に競争させればさせるほど、彼らから見て望ましい人材を確保しやすくなっているのです。

 ですから、政府は政策を誤ったと見る見方は誤っていて、政府は着々と望ましい方向へと大学を変えていると見るべきなのかも知れません。

 資本主義下での政治や経済から見ると、大学は大学生の幸せのためにあるわけではなく、政治や経済を支える人材を供給する源として位置づけられていますので、実は文科省のやっていることもそれなりの計算があってのことなのだと思います。

 もしも、この考え方が事実だとしたら、我々は政治に対して今までと異なる対応をすべきなのかもしれません。

 検討を続けようと思います。
by stochinai | 2005-02-14 21:04 | 大学・高等教育 | Comments(2)

大学内に保育所

 あまりにも当たり前すぎることだと思うのですが、読売オンラインに名大が教職員・学生など対象に「学内保育所」開設へという記事が出ていました。

 「名古屋大学(平野眞一学長)は来年4月から、同大の教職員や学生、留学生を対象にした学内保育所を開設する方針を決めた」ということです。大きな大学だったら、どこでも教職員向けの保育所はあるものですが、学生・留学生をも対象としたとものについては、あまり聞いたことがありませんでしたので、画期的なことなのかもしれないと思いました。

 しかも「国立大の学内保育で、国立大学法人が設置主体となるのは全国初という」と書かれています。しかし、今まで横並びでやってきた全国の国立大学のことです。名古屋がやるなら、他でも一斉にやるのではないかと思い、調べてみました。

 まずは、足元の北大を検索。なんと、脱力するほど同じストーリーの話題が12月の北大時報に載っていたのでした。 お知らせ「子どもの園保育園(仮称)の設置等について」です。

 「このたび,本学の中期計画に基づき,育児にあたる必要の生じた本学の職員や大学院生,ポストドクター,外国人研究者等が安心して就労又は就学できる環境を整えるため,平成17年度から「子どもの園保育園(仮称)」を札幌市の認可を得て本学が設置・運営する予定でおります」だそうです。ほとんどまったく同じ企画ですね。もちろん、悪いことではありませんので、どんどんやったら良いと思います。

 私は保育所のことは詳しくないのですが、北大の場合は札幌市の認可を受けることから、「4月1日からの入園児童は一般市民の児童も対象となっており,入園の可否は札幌市で決定されることとなりますので,入園を希望する場合は,居住地域の区役所(保健福祉サービス課)へお申し込みください」となっており、「現在職員授乳所に入所中の児童であっても,同様に申込手続きが必要と」なるのだそうです。そうなると、北大関係者が優先されるわけではなくなると読めます。

 これって、地域のためにはなるかもしれませんが、北大の教職員・学生にとっては大学のそばに認可保育園ができたのとなんら変わらないということになります。北大が自らの費用を使って作るのであれば、北大関係者の福利厚生を優先すべきではないかと思うのですが、そこにもまた例の経済原則が働いているのでしょう。認可保育園となると、自主性を失う見返りに公的補助が得られます。なんかセコイ気がします。

 それに、そもそも保育園や託児所というものは、異常にお金がかかるところだと聞いています。ある時給非常勤の方が、「子どもを預けて働いても赤字になるだけです」とおっしゃっていましたが、そんな現実があるのに国が少子化対策に有効な手を打てないというのは、まったく不可思議な気がします。

 学生であろうが、大学院生であろうが、事務職員であろうが、若手研究者であろうが、給料の少ない大学(だけじゃないですが)関係者が子どもを持った場合には、保育料や低学年の学費はすべて無料にするという簡単な政策がどうして取れないのでしょう。

 くだらない大型工事はもうやめて、すべての予算を子どもを増やすためにまわすくらいのことをやらないと、少子化に歯止めなんてかかるわけないです。

 少子化対策なんてきわめて簡単です。子どもを生んだ方が生活が楽になる社会を作ることです。それを、子どもは将来収入源になる親の資源であるから、その成育は受益者負担で自己責任でおやり下さいなどという思想を持った連中が行政を牛耳っている限り、何百年後かに人の1人もいない日本列島が近隣のアジアの国に乗っ取られることでしょう。

 まったく、書いていても腹が立ってきます。
by stochinai | 2005-02-08 21:41 | 大学・高等教育 | Comments(10)
tsurezure-diary:どくりつぎょうせいほうじんって最低だ

 って書かれてしまいました。まったく、おっしゃるとおりです。内部にいる人間もそう思うのですから、最低と言われて返す言葉がありません。せっかく、国立大学法人という独立した組織ものになったのに、国の命令にはまったく逆らえないことに関しては、やっぱりおかしいと思うのが常識的な判断というものだと思います。

 (注:姑息なことなのですが、大学は「独立行政法人」になることを拒否したので、国はでは「国立大学法人」になりなさいと、似て非なる法律を作ったので、もとの国立大学は独立行政法人ではなく、国立大学法人です。などという、どうでもいい議論をするところも大学人のバカさ加減を示していると言われると、まったくその通りと自分で笑ってしまいます。すみません。横道にそれました。)

 だいたい国民の税金で運営されている教育機関が、授業料や受験料を収益のように扱って、それを増加させることができないと正常に運営できない組織にするって、そうした発想がどうにかしてますよね。税金で運用されているのですから、国民の意見を聞いて、みんなが値上げしたほうが良いということなら、それはそれで従うべきだと思いますが、そういう意見がどのくらいあるのか是非とも知りたいところです。(>新聞社のみなさん。内閣の支持率調査よりそっちのほうが、よっぽど意義があると思いますので、よろしくお願いします。)

 敢えて弁護しておくと、大学の運営交付金を授業料や病院からの収入に応じて減少させようというのは、財務省の考えで文科省はおそらくただそれを右から左に伝えているだけなのです。だったら、やっぱり文科省っていらないんじゃないの、って誰でもが思いますね。それは、当たっているかもしれません。(弁護になっていませんね。)

 大学を効率化させたり、営業の思想をとりいれた組織にしてこうとしているのならば、細かく監督・指示する文科省など必要なく、単に民営化してしまえばいいということになるかもしれません。

 NHKと同じく、国立大学法人は国民の皆さまのものです。NHK問題を動かしつつあるのが、受信料不払い運動だとするならば、国の政策を変更させるのは、税金不払い運動になるのでしょうか。いずれにしても、NHKの例は歴史に残る市民の勝利のひとつになりそうです。

 まとまりませんが、この辺で。
by stochinai | 2005-02-05 15:05 | 大学・高等教育 | Comments(3)

学長選挙

 メールが来ました。

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 次期総長の選考に当たり,総長選考会議委員による
投票の結果,次期総長候補者は下記のとおりとなった。

                記


           中  村  睦  男

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 先日、ふたりの候補者で学長候補者の人気投票があり、現職の中村さんが615票で、博物館長の藤田さんが553票という結果でした。人気には、それほど差がなかったということですね。

 その投票(選挙ではもちろんありません)を受けて、本日選考会議があったようです。そこで「投票」が行われて、上のように現職が再選という結果が出たということなのでしょう。

 この「総長選考会議」というものは、たった13名の会議ですから、たとえそこで投票をやってもそれは「選挙」と言えるほどのものではないと思いますが、北大の場合にもそれがニュースとなって、「東北大、学長選挙廃止へ 『非民主的』と批判の声も」というような報道がされたことはあったのでしょうか。

 まあこういうふうに、なんとなくなし崩し的にいろんなことが変わっていくというのが、この大学の特徴なのかもしれません。

 そういう意味では、やっぱり文科省の優等生というところでしょうか。
by stochinai | 2005-02-03 16:49 | 大学・高等教育 | Comments(0)

静かな学長選挙

 北大の学長が総長と呼ばれるようになったのは、それほど昔の話ではありません。それまでは学長と呼ばれていたものが、当時のH学長が東大や京大では学長のことを総長と読んでいるので、(「自分もそう呼ばれたい」とまで言ったかどうかは定かではありませんが)同じ旧帝大の北海道大学でも学長のことを総長と呼ぶことにしたいと提案し、あっさり決まってしまいました。

 学長と総長とどこが違うのかは、いまだにわかりませんが北大が自分で総長と呼ぶことに決めたら、新聞などでもそのように呼んでくれるようになったようです。学長に比べ偉そうに響く総長ですが、ヤクザとか暴走族でも親分を総長と呼ぶことがあるようなので、私は個人的には好きではない呼び方です。だいたい、中味の変更なしに昨日まで学長と呼ばれていた人が、次の日から総長と呼ばれるようになったといういきさつも気に入りません。

 というわけで、私は今でも総長という名前に馴染んでいないのですが、公告が回ってきました。「第一次候補者にかかわる所見等の送付について」という文書です。(学長は総長と呼ぶのですが、副学長は副総長とは呼ばないのも、不思議です。)

 それによると「公示によりすでにご承知のことと思われますが、来る2月1日(火)に時期総長候補者の選考に係る学内意向聴取(投票)が実施されます」とのことです。

 今年の学長選挙はいつになく静かだと思っていたら、どうもいつの間にか選挙はなくなってしまっていたようです。「当該意向聴取は、総長選考会議委員による投票に先立ち、同委員が参考とするために行われる重要な手続きであります」とのこと。つまり、我々が2月1日に投票するのは、学長候補者の意向調査(人気投票)に過ぎないということでしょう。

 その投票の結果を、参考にするのかしないのかはさておき、その後に「選考会議による選考」というものがあるようで、そこでの投票が学長を決めることになると思われます。今日のニュースで、東北大学では学長選挙が廃止になると大々的に報じられていますが、我々が投票できる「学長選挙」も人気投票にすぎないのだとすると、北海道大学でも学長選挙が廃止になったと理解できます。

 で、そこで出てきている第一次候補者というのがまたまたふざけていて、現職の学長であるN先生と、副学長のF先生でした。(補足:F先生は今は副学長ではなく、博物館長・獣医学部長でした。【2006年11月にさらに訂正・補足】1997-1999、総長補佐;1999-2001,獣医学研究科長;2001-2003,副学長(なんで「副総長」じゃないんでしょう?^^);2003-現在、博物館長、でした。お詫びして、訂正します。)

 どちらも現執行部の方で、副学長の方が反執行部だということなのかもしれませんが、そのふたりのうちから次期学長としてふさわしい方を選べという択一問題は、入試ならば解答なしと言われてしまいそうなチョイスです。

 どおりで学内が静かなわけでした。

 現学長が選ばれた最後の学長選挙の時には、もう少し学内に活気があったことを記憶しています。その時には、現学長は国立大学法人化反対をはっきりと掲げて当選したことを記憶しています。今回、候補者になった副学長はその時にも推薦を受けたのですが候補になることを自ら辞退されていた方です。

 その後、学長は粛々と法人化を推進し、副学長も一緒に行動していたのだと思っていましたが、実は呉越同舟だったということなのでしょうか。

 それにしても、どちらが新しい学長になったとしても、北大の方針が劇的に変わるような気はしません。

 そもそも、こんな「選挙のようなもの」で新しい学長を決めるというセンスがどうも理解できません。法人化したのだから、下々のものが経営陣に口を出すなというのなら、「選挙のようなもの」もやめてしまったほうが良いのではないでしょうか。
by stochinai | 2005-01-27 23:27 | 大学・高等教育 | Comments(0)

大学にコンビニ

 今日はこれから忘年会なので、「つぶやき」は休刊にしようかと思ったのですが、京都新聞の国立大初のコンビニ 京都大でオープンのニュースが気になりました。

 そう言えば、東広島にある広島大のキャンパス内にはマクドナルドがあった記憶があります。やっぱりど真ん中にありました。

 京大では開店前から話題になっていたようで、学内新聞が事前に記事を書いています。吉田南構内にコンビニ出店がそれです。大学と、既存の生協と、ローソンの三者三様の思惑が絡み合っている様子が見て取れます。

 開店の日にもローソンがオープンと、改めてニュースになっています。

 24時間営業はしないものの、午前7時から午後9時までと長く設定し、「やや値段が高い」と言われながらも生協との時間的住み分けを狙っているところが見て取れます。

 ただし、「大学構内ということを考慮し、酒や成人雑誌は販売しない」とのことですが、北大生協でも酒は売っています。酒を売らない理由は別のところにあるのかもしれません。

 大学も法人化したので、「工事費用はローソン持ち」で「一定の利益が出れば寄付を受ける」という話は、喉から手が出るような話なのかもしれません。しかし、ローソンだって私企業ですから、儲けの出ないことはやりません。学内に出店させるのでしたら、あくまでも学生や教員の利益を損ねないようなしたたかさを持って交渉に当たって欲しいものです。

 法人化してからの国立大学は、やたらとみみっちくなっていることは事実で、ある意味では健全な節約精神と言えなくもないのですが、つい昨日まで中央官庁の官僚や国会議員と同じく、一円でも多く国から資金を調達し、もらったものは余さず使うという生活をしていた大学ですので、正直に申しあげてお金の使い方はまだまだ幼稚な感が否めません。

 学内に民間企業がどんどん入ってくるのは構わないと思いますが、彼らの狡猾さにコロリとだまされて、気がついてみたら生協がつぶれ、あらゆるものの値段が高くなってしまっていたなどということにならないように気をつけたいものです。
by stochinai | 2004-12-14 00:00 | 大学・高等教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai