5号館を出て

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カテゴリ:教育( 184 )

仙台入り

 雪に埋もれた札幌を後に、仙台に入りました。明日から、東北大学理学部生物学科で特別講義です。

 今の時期は、あちこちの大学で特別講義のオンパレードになっており、通常の講義はつぶれ、たくさんの教員が不在で、逆によそからたくさんの教員が出張してくるということになっています。

 しかし、この制度も例によって法人化の影響を受けており、北大では特別講義をお願いした非常勤講師の方の謝礼が年々安くなって来ているだけではなく、今年からは大学から旅費は出ないということになっています。もちろん、旅費を自前で特別講義してくれるなどという奇特で金持ちな先生などいませんので、旅費は大学ではなく講義を依頼した学科が負担するということになっています。

 こちらではどうなっているのかわかりませんが、東北大学でも懐事情はそれほど変わらないでしょうから、特別講義でございと能天気なことをやっていると顰蹙を買ってしまいそうです。

 そもそも特別講義というのは、自前の教員だけではすべての学問領域をカバーしきれないので相互に助け合おうということで始まったはずなのに、予算がないからやめようなどという発想がどこから出てくるのかわかりません。

 同じように、北大では通常の講義の非常勤もゼロにすることを目指しているようで、できれば2006年までにはなくして欲しいというのが当局の本音のようです。

 しかし、どうやらそれはできなさそうと見ているのか、そんなことは無理なのでやはり非常勤は雇い続けるということなのか、非常勤講師の給料をひねり出すために常勤教員を恒常的に定員以下に抑えておくという作戦に出たようです。

 法人化してからは、国からは定員分だけ人件費が来るのだそうで、教員を定員以下に抑えておくと予算が浮くので非常勤を雇う財源になるということらしいです。

 その手が使えるのなら、いっそのこと教員の半分くらいを非常勤にしてしまうのも良いかもしれないですね。さらに言うなら、全員を非常勤にしてしまってはどうでしょう。

 ・・・・・・そうか、文科省の言っている時限付き採用というのはこれだったのですね。

 なるほど、財源をコントロールすると言うことは、おもしろいほど意のままに大学を動かすことができるということのようです。すごい。やはり、日本の官僚はただものではないことが良くわかりました。

 しかも、この方法だと「非常勤を切れ」とか「全員を非常勤にしろ」とかについては文科省が直接命令・指導しているわけではありませんから、なにか問題が起こった時にも責任は各大学にあることになりますので、文科省はいっさい責任を問われないという構造になっているのですね。

 確かにすごいと思いますが、そのすごさが日本の教育を良くするために使われていると言うよりは、日本の教育機構を支配するためだけに使われているというところが残念ですね。せっかく才能を持っているのですから、何で正しいことに使わないのでしょう。もったいない。
by stochinai | 2004-12-19 00:00 | 教育 | Comments(0)
 どちらかというと、わいせつ先生、過去最多155人というニュースがおもしろおかしく報道されているようですが、同時にもっと深刻な発表があったことはあまり報道されていないのが残念です。精神疾患で休職の教員、最多の3千人超も同じ文科省の調査です。

 ただ読売はわいせつ先生が155人と報道していますが、他のほとんどの社は196人となっているのは、何の差なのでしょう。また、例によって多くの社は共同通信などによる売記事で、読売などの大手は自前で書いていることによる差なのでしょうか。

 それはともあれ、精神性疾患のため昨年度に病気休職した全国の公立学校教員が3194人という数字は深刻です。去年よりも507人増えて、10年前の1188人から見ると、2.7倍というとんでもない数字になっています。教員約290人に1人の割合なのだそうです。

 まあ、不登校の児童生徒の数の10数万人に比べると少なく思えなくもないですが、児童生徒の場合は100人に1人くらい、先生は300人に1人くらいというふうに考えると、生徒に負けず劣らず悩み苦しんでいる先生の姿が見えてくるような気がします。

 まあ、明らかに犯罪ですから情状の余地はないのですが、セクハラや体罰も同じように苦しんで追いつめられた先生の、ゆがんだ反応の仕方と見えなくもないと思います。

 これだけ大規模に精神的な病人を出しているということは、その職場の管理者である文科省に責任がないということはできないでしょう。もちろん、民間会社でも同じように、あるいはそれ以上に精神性の疾患を出しているところもあるかもしれませんが、警視庁発表の自殺者の統計を見ると、この10年で急増してはいるものの増加率は1.7倍くらいですから、2.7倍という数字は、教育現場の荒み方のスピードが一般社会よりもはるかに速いことを示していると言って良いのかもしれません。

 教育の現場を陰鬱なものにしてしまっている理由はたくさんあるでしょうが、最大の被害者は間違いなく子ども達です。

 つい数日前に出たOECDの学力調査の結果を見て、先生を締め上げようという意見もあちこちから出ていたように思います。優秀でやる気のある先生が増えさえすれば子ども達の学力が上がると考えて、大学院を出ることを教員免許取得の条件にしたり、数年ごとに免許更新の試験をしたり、というようなアイディアも聞いたことがあります。

 しかし、それが本当に正しい処方箋なのでしょうか。

 私は、先生達が働く職場として学校が明るく楽しく魅力あるものにすることこそが、最初にしなければならないことにように思えてなりません。もちろん、その前提として子ども達にも明るく楽しく魅力あるものにならなければならないのですが、その二つは両立することだと思います。

 今、政府や文科省が考えていることは、優秀な先生を確保して、その人達にすべてを任せてしまって、後は頼むよ、というようなことだと思います。

 しかし、教育などという時間がかかり、効率の悪い作業を誰か優秀な人間に丸投げしようなどという発想そのものがすでに間違っていると思います。

 先生1人にまかせず、教員がお互いに助け合い、学校も教員をサポートし、さらに父兄をはじめとする地域の住民がみんなで学校での教育に参加し、協力できる体制が必要なのだと思います。

 スーパー・ティーチャーとか、大学院を出た小学校教師とかいう頭でっかちの個人に解決を委ねるのではなく、多くの人が協力して作り上げる楽しい学校を再建しない限り、病める教員も減らないでしょうし、子ども達の学力も回復することはないと思います。
by stochinai | 2004-12-10 00:00 | 教育 | Comments(0)

こども達のネットワーク

 今朝、配信されてきた毎日教育メールの記事に、携帯「チェーンメール」でイラク邦人殺害の画像出回るというものがありました。

 実は、我が家の娘達の携帯にも殺害動画があるサイトのアドレスや、殺害現場写真が送られたきたというような話は聞いていたので、このニュースそのものにはそれほど驚きませんでしたが、ニュースになったことによりまたあちこちの教育委員会などが動き出してアホな対応が始まるのではないかと危惧しております。

 昔から、子ども達の間では独特のニュース(怪談系やオカルト系が多い)がものすごい勢いで拡がるという現象は知られており、多くの子ども達が携帯を持つようになった現在、そのニュースが携帯チェーンメールとして拡がっていくのは必然だと思います。

 子ども達に携帯やコンピューターの「正しい」取り扱い方を教育しなければならないなど、一部の教育管理者が騒ぎ出すのも予想されるのですが、子ども達のうわさ話を阻止することができないのと同じように、携帯やメールによる情報伝達を阻止することなどできるはずはありません。

 唯一の解決方法は、子どもたち自身のしっかりとした人格を育てるということでしかないので、いろいろなルールを作ったところで何の効果も期待できないでしょう。

 ましてや現時点で行われているような、携帯電話の学校への持ち込み、校内での使用を禁止するなどという対応では、携帯使用が陰に隠れるだけだし、今回のような「事件」の場合には校外で見たり転送したりするのはいいのかということになってしまいます。違いますよね。

 おまけに、先日の奈良の少女誘拐殺人事件があったせいで、今後はむしろ子ども達には積極的にGPS携帯などを持たせるという動きになるでしょうから、それと子ども達のチェーンメールを防ごうなどという話は完全に矛盾したことになってしまいます。

 もともと、大人の社会の電話会社が金儲けのために始めた携帯電話の普及なのですから、子どもは禁止などということは最初からあり得ない選択だったのではないでしょうか。むしろ、現在の主なる使用者は子どもになってしまっていると思います。

 韓国では、数年前から携帯を使ったカンニング事件が多発しており、日本でも起こっていないとは言えません。単に摘発がないだけだと思います。

 こういう状況になってしまった以上、我々としても子ども達は携帯を持っているという前提で動き始めたほうが現実的な対応だと思います。

 講義中に居眠りしている学生に、メールを送ってやったらそれ以降、講義に集中してくれたり、手を挙げるのが苦手な今の学生に、講義の中で意見があったらメールを下さいと言ったら、意外とみんなが乗ってきたりということも笑い話ではなく現実に考えても良い時代が来つつあると感じます。

 携帯の普及にどう対応するかが試されているのは、子ども達というよりは我々大人達なのです。
by stochinai | 2004-11-24 17:23 | 教育 | Comments(0)

都教委の逆襲?

 東京都教育委員会と言えば、先日皇居で開かれた園遊会で失言をして、赤恥をかいた将棋差しがいるところではなかったでしょうか。

 そこが、なんともまたアナクロな政策を打ち出しました。

 朝日コムでは、都立高校「奉仕」必修へ 東京都教委が07年度にと出ておりますし、毎日にも都立高:奉仕活動を必修科目に 07年度から導入へと出ています。

 都立校では昨年度から、毎年11月に「ボランティアの日」を設け、うち15校で「ボランティア活動」を選択科目として単位認定しているそうなのですが、それに参加する生徒が少ないために、また国旗国歌のように「強制的に」やらせようということになったのかもしれません。

 しかも、こんどは「ボランティア」ではなく「奉仕」です。辞書によればボランティアは「自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」を意味しますが、「奉仕」は「献身的に国家・社会のためにつくすこと」となっています。前者は、自ら進んで行うものですが、後者は献身的につくさせることが主眼で強制的に奉仕させるということもあり得ます。

 今回、都立高校に導入される「奉仕」は必修科目になる方針だそうですから、有無を言わせず国家・社会に貢献させようという意志が見えてきます。

 いったい、なんなんでしょう。

 将棋差しがチョンボをして、都知事が弁解して恥ずかしかったので、逆襲に出たようにも思えます。

 だいたい、高校で奉仕活動を必修させようということは、何を意味しているのでしょう。記事によると「1単位(年35時間)で、うち10時間程度は座学。残りは福祉施設での生活支援、地域行事や児童、園児の野外活動の手伝い、森林の維持管理、河川、公園の清掃などを予定している」とのことです。

 中味としては戦時中のような軍需工場での生産活動などの手伝いのような、悪いことをするのではなさそうですが、たとえ良いことでも高校生という大人に手の届きそうな若者達を単位でしばって強制するということはどういうことなのでしょう。

 小学生に町内の掃除をさせるというようなことなら、多少の強制も教育としてあり得るかなとも思うのですが、自分でものを考えることができるようになっていなければならない高校生に奉仕活動を必修させなければならないとは、いやはやなんとも幼稚な(もちろん教育委員会が幼稚なので、高校生は幼稚かどうかは知りません)自治体と言わざるを得ません。
by stochinai | 2004-11-11 17:48 | 教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai