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カテゴリ:教育( 184 )

インフルエンザ公欠

 最近、全学教育の教務からこんなメールがよく来ます。(改行の位置は適宜変えてあります。)

*** 先生
全学教育科目担当教員 各位

            北海道大学学務部教務課全学教育担当

     インフルエンザによる学生の欠席について

 このことについて,別添ファイルの学生より検査によりインフルエンザと診断された旨連絡がありました。
 つきましては,当該学生は高熱等の症状が治まるまでと,治まってからの2日間は自宅待機となるため,かねてから依頼しておりますとおり当該学生の履修する全学教育科目における欠席の取扱いについては,学生の不利益となることがないよう,特段のご配慮をいただくよう,よろしくお願いたします。

 なお,この欠席者情報は履修登録後(10月19日以降),インフルエンザと連絡があった学生の一覧です。履修登録前にインフルエンザで欠席した学生は含まれておりませんので,ご了承願います。
 また,一覧に記載されていない学生より,今後インフルエンザで欠席していたと申し出がありました場合は,学生に所属学部へ申し出るようご指示いただくとともに特段のご配慮をいただくよう,併せてお願いいたします。
 要するに(新型)インフルエンザという診断書を持って教務課に申し出た学生に関しては、大学の方針で自宅待機をさせることになっているため、欠席であったとしても学生の不利益にならないように(つまりは出席扱いとして)対応してくださいという申し出です。

 まあ、今回のインフルエンザに関しては、大学が大々的に学生・教員に対して、罹患した場合には十分な自宅待機を求めておりますので、本人は出席したかったとしても大学の方針を遵守するならば、欠席せざるを得ないわけですので、もちろんそのことだけで不利益にならないようにはしようと思います。

 しかし学生にとっては、新型インフルエンザではなくとも、やむを得ず欠席しなければならない事情はいくらでもあり得ます。私はずっと前から必ず、授業を欠席したものには単位を与えないと宣言してから開講するようにしています。ただし、理由の如何を問わず(たとえ理由もなく欠席した場合でも)、2000字以上のレポートを提出すれば出席したとみなすと言ってあります。

 つまり、単なるサボりであろうと、サークルの大会であろうと、近親者の不幸であろうと、交通事故であろうと、新型インフルエンザであろうと、私の授業に関しては欠席したらレポートを書くことを、強要しているのです。

 そもそも、授業を休むということはせっかくの大切な勉学のチャンスを失することです。それは、誰のためでもなく自分のために非常な不利益だと思います。私は、その不利益を挽回するためのチャンスとしてレポートを書くために勉強することを求めているだけです。たとえ、どのような理由があるにせよ、授業料を払っている大学の授業を受けないということは大きな損失です。レポートを書くことでその損失をリカバーできるならば、それは感謝されこそすれ恨まれるようなことではないと思います。

 ところが、学生の中には「自分はインフルエンザにかかって、診断書もあるのだから、たとえ授業に出なくとも、出たというクレジットをくれても良いのではないか。高校でも、公式な学校行事で欠席する時には『公欠』という制度があったのだから、インフルエンザによる私の欠席も出席として認めるべきではないか」という主張をするものがいます。こういう話を聞くと、「君は大学を辞めたほうがよいのではないか」という言葉が喉から出そうになりますが、グッとこらえることができるようになりましたが、次のような「イヤミ」をいうことはたまにあります。

 大学としてインフルエンザによる欠席は不利益にならないように扱うという方針があるので、君がレポートを出したくないというのならば、そのことだけによって単位を落とすような扱いはしません。しかし、理由がなんであれ休んだ分、君は大学で勉学をするという機会を失うという大きな損失を受けたのだと思う。その損失を挽回するためにレポートを書くことを勧めるけれども、勉強したくないというのならばあえて強制はしません。それにしても、そんなに勉強するのがきらいなのですか?

 こういう学生が増えてきたら、大学も存在意義はありませんね。
by stochinai | 2009-10-26 23:43 | 教育 | Comments(10)
 民主党が衆院選のマニフェストに書いていたことですから、驚くことではないと思うのですが、ニュースになっています。

日本経済新聞
 教員免許更新制の廃止法案、通常国会に提出も 民主・輿石氏
 民主党は衆院選のマニフェスト(政権公約)で「教員免許制度を抜本的に見直す」と明記していた。同制度は安倍晋三元首相のもとで設置した教育再生会議が教員の質向上策として打ち出した。
 私もここで7月に書きましたが、今年全国の大学で開講が予定されていた教員免許更新講習なるものには「教育再生会議」の言っていたようなあるいは期待していたような教員の資質向上に対しては、ほとんどまったくなんの役にも立たないだろうと思われる講義が並んでいるばかりではなく、全国の大学で開講予定だった講義のうち、かなりたくさんのものが受講希望者がほとんどいなかったために中止に追い込まれていたものです。教育再生会議も政府も文科省も、こんなばかばかしい制度を導入するだけで、教員の資質が向上すると考えて、小泉選挙で獲得した衆議院議員の数を頼りに法律の採決を強行したのだとしたら、そのあまりの脳天気さ、無責任さにあきれるとともに、現在はその数を失ってしまったのですから、法律が廃止されても何の文句を言える筋合いではありません。

 この件でもっともおかしい(笑える)のは、「民主党さんの思うようにはさせないぜ」とtwitterでつぶやいて陳謝したはずの「下野した」産経新聞が、このことを日教組の横暴だと書き立てているところです。

 教員免許の更新制度廃止へ 民主・輿石氏が明言
 日教組の主張通りへの一歩に 免許更新制廃止

 産経新聞が何を言おうとも、マニフェストに書いてあったのですから、民主党は教員免許制度を抜本的に見直すことを実行する義務を負っています。もし、それを実行することが国民から大反発をくらうようなら、総選挙はいつでも、何回でもできるはずですので、もう一度総選挙をやって民主党が下野すればすむことです。

 同様に、民主党はこの4年間に自公政権によって採決されたたくさんの法案をすべて見直すことが求められているのだと思います。もちろん、与野党合意の上で決議されたものもたくさんあると思いますが、野党の強い反対があったにもかかわらず強行採決されたような法律に関しては、そのすべてを廃止することも今回の選挙結果が新しい与党に求めていることのひとつだと思います。

 というわけで、これからマニフェストに書いてあったことをなにか実行しようとするたびに、産経新聞のようなマスコミや野党の自民党から囂々たる非難や反論が出てくると思いますが、それは当然であり、また健全なことだと思います。

 一方、与党になった政党の皆さんは、自分たちが野党だった時に自民・公明の与党が数を頼みに自分たちの意見をまったく無視されたくやしさを忘れずに、今度は同じような横暴をせずにじっくりと議論を重ねた上でいろいろなことを決めていって欲しいと思います。

 心配なのは自民党が野党として機能できないほどの崩壊状態にあるのではないかという危惧なのですが、もしもそういうことであるならば小泉さんの希望通りに今の自民党はぶっ壊して、民主党も再編してもう少しすっきりした形の2大政党を作り直すこともありだと思います。

 ともかく、我々国民は新政権の実験をじっくりと見せてもらってから、次の政権のことを考えるということで良いのではないでしょうか。

 今だけは何となく、政権が国民のもとに帰ってきたようないい気分がしませんか?
小泉選挙の結果得られた議員数を頼りに採決された法律は見直して当然_c0025115_21374218.jpg
 写真は1週間前の北海道庁横にあるビルの谷間のオアシスです。夏の終わりを感じさせられる風景だと思います。
by stochinai | 2009-09-13 21:46 | 教育 | Comments(7)

未来の科学者養成講座

 北大が、今年度のJSTプロジェクト「未来の科学者養成講座」に採択されてしまったので、お手伝いすることになりました。

 このプログラムは「北海道から世界と未来へ発信する環境科学 ~分子からフィールドまで~」というタイトルになっているので、私の研究分野と重なる部分がそれほど多くはないのですが、プログラムのステップ3にある、「“北大”ラボアドベンチャー」の一環として、高校生の男女1名ないし2名を研究室に受け入れて、卒業研究並みの長期間(2009年11月~2010年8月)、卒研生や大学院生と一緒に「研究(のまねごと)」をやってもらうパートに参加することにしました。

 募集要項にあるように北大全体で10名ですし、道内の高校生で10/31~11/1のフィールドアドベンチャー(一泊二日)に参加でき、しかも配属先の研究室に必要回数通うことのできる方ということなので、かなり門戸は狭いです。

 窓口が女性研究者支援室なので、女子が優先されるのではないかとご心配する向きもあるかもしれませんが、今回のプロジェクトに関しては男女差別しないことになっていますので、男子生徒の方もふるって応募してください。

 縁があったら、しばらく一緒に生物学を楽しみましょう。

 というわけで、とりあえずうちの研究室の募集ポスターを掲載しておきます。
未来の科学者養成講座_c0025115_2012615.jpg
 どうですか。ポスターとしてなかなか良いものができあがったと満足しているのですが、いかがでしょうか。

 もっとも、このポスターの作成には、CoSTEPで修行して、この「未来の科学者養成講座」プログラムでもコンペを勝ち抜いてロゴマークが採択されたnaramaruことNYさんも大きく関わっているので、まあこれくらいのものができるのは当然とも言えるかもしれません。

 ロゴマークはこちらにあります。

 それにしても、このブログを見ている高校生って、それも札幌の高校生って・・・いなさそうですよね。
by stochinai | 2009-07-29 20:22 | 教育 | Comments(0)
 聞くところによると、本学で設定した教員免許更新の実験講座にも応募が極端に少なかったというようなので、先生達はあまり積極的ではないのだろうと思っていたのですが、案の定というニュースです。

教員免許更新、大学講習ガラガラ 228講座中止に(朝日コム)

 教員免許更新制は安倍晋三政権の時に、教育再生会議が提言してバタバタと決められたものです。政権崩壊とともに教育再生会議も静かになってしまった現在では、文科省ですらその推進に意欲を持っていないという噂も聞きます。

 さらに昨年度は試行期間ということで、全国の大学で無料で講習が開催されており、有料になった今年受けるくらいなら昨年のうちに受けてしまおうという先生が多かったので、昨年は無料のところはどこでも何倍という狭き門で受講者制限をしていたようです。

 そのせいかどうか、今年は「15日現在で39大学が計228の講習の開催を中止した」とのことです。全国で毎年約10万人の教員が対象になるということなので、その方達が適切に割り振られていればこのようなことはなかったのだと思いますが、これも聞くところによると、文科省も各地の教育委員会もぜんぜんやる気がないのだそうです。
文科省は制度開始に当たって全国の大学にできるだけ多くの講習を開くよう協力を呼びかけてきた。しかし、各地の受講予定者数に対し、大学側がどれぐらいの講習の数を設けるのが適正か考えず、任せきりで十分に調整しなかったため、こうした状況を招いたとみられる。
 最近の大学は素直ですから、文科省がやれと言えば(たとえ「喜んで」ではなくとも)進んでやりますので、こうした事態は予想されたことです。

 各地の教育委員会もやる気がなさそうなのですが、文科省では「今後は地域での量的な調整も含め、教育委員会と大学の情報交換をより進めるようお願いしたい」と言っているようなのです。ということは文科省はやっぱりやる気がないということですが、今はあまりかかわっていない教育委員会に動けと命令したようですから、来年度からはちょっと変わるかもしれません。

 しかし、10年に1回ほんの30時間の講習などを受けることが、教員免許更新という意味において、どれほどの意味があるのかと疑問に思う人が多くいても不思議はありません。しかも休暇を取って自腹で受講しなければならないので、「よしやってやろう」というモチベーションがわかないのも無理ないように思えます。

 また、これは私の個人的感触ですが、安倍政権の時に明らかに思いつきのように実行が決められたこの制度なので、政権交代とともに「廃止」になることを期待している人も多いのかもしれません。

 というわけで、一応本格稼働の初年度からこれでは、先が思いやられます。

 教職員の方々は、衆議院選挙のマニフェストに教員免許更新制度廃止をうたった政党に投票するという圧力をかけてみてはどうでしょうか。
by stochinai | 2009-07-15 19:00 | 教育 | Comments(1)
 CoSTEPの教員によって、今年から全学の大学院共通授業科目「研究者のための映像制作技法」が始まりました。1単位の授業なので4月から始まった講義なのですが今日が最終回ということで、受講生が制作した作品発表会が行われましたので、聴講させてもらいました。

 学生は4つのグループに分かれて、市販されている「太陽電池を理解するための教育実験キット」を使い、高校生くらいを対象にしたコミュニケーションビデオを作成するという実習を行ってきたということで、今日は完成作品が発表されました。
大学院共通授業「研究者のための映像制作技法」_c0025115_19574279.jpg
 それぞれが自由に作ったビデオ作品は次の通りです。

1. 1班 作品タイトル「太陽電池 ~光の色と発電~」
作品時間 2分29秒

2. 2班 作品タイトル「太陽光発電と農業への応用」
作品時間 4分41秒

3. 3班 作品タイトル「太陽電池 ~光の種類と電力の関係~」
作品時間 4分25秒

4. 4班 作品タイトル「暮らしに役立つソーラー発電」
作品時間 4分28秒

 授業の説明ページから、その目的を引用します。
映像は、イメージや現実に行われていることを的確に伝える手段の一つと考えられます。難解な科学技術も映像に置き換えることで、わかりやすく伝える事が可能となるのではないでしょうか。しかし、映像を使用し的確に伝えるためには、映像特有の表現スキルを身につけなければなりません。そこで、研究者にとって有用な、映像表現の理論と技法の習得を目指します。
 受講生の中には、このテーマに近い専門分野の学生もいたようで、その差が出てしまったところもあったのかもしれませんが、どのグループもこれまでのたった7回の授業の中で、よくここまでたどりつけたものだと感心しました。

 動画というのは、静止画と違って「時間」というファクターが加わる分、表現力が大きいのですが、その分他人に見せるものを作るのはかなりハードルが高いものです。

 作品を制作した学生さん達も、まず太陽電池キットというものを理解し、その上でそれを題材にある種の「教育番組」を作るということの難しさとおもしろさを同時に体験するという貴重な経験になったと思います。こんなちょっとしたことでも、経験があるとないとでは、自分が将来コミュニケーションの手段として動画を使うということがチョイスのひとつになるかならないか、というくらい大きな差になったのではないかと感じました。

 動画を「使えるコミュニケーション手段」にするためには、しっかりとした企画とシナリオ、ハードとソフトの使いこなしの技術というものがいかに大切か、そうしたものをクリアした上でなければ、コミュニケーションなどおぼつかないということが良くわかりました。

 逆に、そういうことを考えているだけでは、動画というのはやはりハードルの高さにひるんでしまう相手だと思いますので、こうした授業などで、半ば強制的に経験しておくというのは非常に有効な教育になるということも良くわかりました。

 学生の皆さん、そして彼らを教育・指導した教員のみなさん、お疲れさまでした。

 ソフトハードともに動画を扱うことの経済的障壁はどんどんなくなりつつある現代ですので、これは間違いなく今後の大学・大学院におけるコミュニケーション教育の中において重要な位置を占めるもののひとつになることでしょう。
by stochinai | 2009-06-10 20:20 | 教育 | Comments(1)
 WDLというとTDL(東京ディズニーランド)を連想する人も多いかもしれませんが、ワール・ドデジタル・ライブラリーの略です。

 この4月からオープンしているそうですが、greenz.jpさんのところで知りました。

 World Digital Library で世界中の図書館の本棚をのぞいてみよう

 World Digital Library
UNESCOのバックアップで完成したデジタル世界図書館_c0025115_2261224.jpg
 適当にクリックしていけば、おわかりになると思うのですが、世界の歴史的図書・絵画遺産をデジタル化して公開しようというもののようです。

 さすがにUNESCOが支援しているだけあって、スケールが大きく紀元前8000年から今年までをカバーする「文化的コンテンツ」を提供するという意気込みです。現在までのところ、コンテンツは1170とちょっと寂しいのですが、今後どんどん増えていくと言っています。

 もちろん、これだけのものを作るにはお金がかかり、国連は貧乏で有名ですから、特別にスポンサーがついています。

# Google, Inc., for $3 million

 グーグル300万ドル

# The Qatar Foundation, for $3 million

 カタール財団300万ドル

# The Carnegie Corporation of New York, for $2 million

 カーネギー200万ドル

# The King Abdullah University of Science and Technology, Saudi Arabia, for $1 million

 アブドラ王科学技術大学100万ドル

# Microsoft, Inc., for $1 million

 マイクロソフト100万ドル

 とまあ、インターネット企業と石油関係が大きなお金を提供しています。

 コンテンツは高細精度画像で提供されていて、それはそれで素晴らしいのですが、ちょっと重たいのが難点でブラウジングしていると、あっという間に時間が経ってしまいます。

 というわけで、私の本日の収穫はフランスのラ・フォンテーヌの童話集です。基本的にはイソップ童話なので、日本人にもなじみ深いものがたくさんありました。その中から、3つほどご紹介しましょう。

 まずは、これです。
UNESCOのバックアップで完成したデジタル世界図書館_c0025115_22253612.jpg
 「ネズミの恩返し」というタイトルで知られているものだと思います。ライオンが、食べずに逃がしてやったネズミに救われる話です。

 次は、鉄鍋と土鍋がケンカして土鍋が壊れてしまうお話のようです。記憶の奥にありそうな気もするのですが、タイトルと中身が思い出せません。
UNESCOのバックアップで完成したデジタル世界図書館_c0025115_22282449.jpg
 最後は「ネズミとカキ」のお話のようですが、これも聞いたことのあるようなないような、という感じです。
UNESCOのバックアップで完成したデジタル世界図書館_c0025115_2237842.jpg

 いずれにせよ、こんなに簡単に100年以上前の絵本にも出会えるのですから、WDLさまさまです。

 さすがUNESCOで、本をまるごとダウンロードすることもできるようですので、気に入ったものがあったらpdfダウンロードしてゆっくり見るのが良いかもしれません。

 おっと、こちらには古文書と呼ぶにふさわしい500年前のイソップの本もありました。これが「ネズミの恩返し」でしょうか?
UNESCOのバックアップで完成したデジタル世界図書館_c0025115_23148100.jpg
 「にわか歴史家」の気分も味わえますね(^^)。
by stochinai | 2009-05-24 23:03 | 教育 | Comments(0)

攻めの大学改革

 今日付けのCBニュースに、「日本の医学教育はガラパゴス?」という記事がありました。 
「日本の医学教育はガラパゴス」―。元東大客員教授のゴードン・ノエル氏(米オレゴン健康科学大)は離日する際に、日本の医学教育制度の特異性をこう表現したという。
 これは医学教育に限らず、日本の大学教育さらには大学院教育がそうなっていると思います。
東京医科歯科大医歯学教育システム研究センターの奈良信雄センター長が、「医学教育の国際間比較」と題して発表。この中で、ノエル氏の発言を紹介した。
 奈良センター長は、日本の医学教育制度の特徴として、▽教授から学生へのワンウエー(一方通行)の講義中心であり、学生は欠席、遅刻、居眠りをすることもある▽講座が縦割りで、基礎と臨床の乖離(かいり)がある▽大項目の筆記試験での評価法が残っている―などを挙げた。
 一方、海外の医学教育では、▽少人数チュートリアル教育▽基礎―臨床統合カリキュラム▽e‐ラーニング▽臨床の早期導入▽SPS活用▽シミュレーション教育▽参加型臨床実習▽MD-PhDコース(研究者養成特別コース)▽国際交流―などが主流になっていることを紹介した。
 この後に引用されている東大医学教育国際協力研究センターの北村聖教授が紹介したエピソードが、日本の高等教育システムにおける諸悪の根元をあぶり出していると思います。
最近の東大の教授会で、「入学させた学生を卒業させる義務があるのか」というテーマで意見交換があったことを報告。教授会では、「医学生は20歳を過ぎた成人。それなりの目標に到達していないのであれば、その後の人生を大学が保障する必要はないのではないか」「日本人的感覚からすると、冷酷かもしれないが、温情で卒業させたために、患者に被害が及ぶことになってはならない。臨床に向いていない人は落とすべきでは」「大学が卒業させるのであれば、大学が(医学生の質を)保証するぐらいでなければならない。もう、入学させたから卒業まで保証するという時代ではない」などの意見が出たという。
 医学部だけではなく、ほかの学部も含めて大学・大学院においても、入学した学生は「よほどのことがなけらば」、また「時には、かなり首をかしげざるを得ない状況があっても」ほとんどのケースにおいて卒業できるのが日本の高等教育制度の特徴であり、それがある意味でガラパゴスと言われる状況を生んでいるのだと思います。

 一方、昨日話題にした放送大学の卒業率はなんと入学者の10分の1くらいだと聞きます。そういう目でみると放送大学は、「普通の大学」よりは卒業要件を厳しく判定しているという意味で「進んだ」大学だと見ることもできます。もちろん、コメント欄でbeachmolluscさんが書いておられるように「せっかくPCとネットの時代になっているのにもかかわらず、その活用をベースに設計・構築されていない古いシステムが継続して運営されている」ということも事実だと思いますし、「大学とは名ばかりで、趣味の講座と何の変わりもない」という側面があるのもその通りだと思います。

 しかし、一方で他の大学とは違って入学した学生のほとんどすべてを卒業「させなくてはならない」という拘束がないという面から見ると、理想の大学に生まれ変わることのできる有利な素地を持っているような気がしました。

 国立大学を含め「普通の大学」は、文科省によって定員というものに非常に強い制限がかけられており、入学定員を10%上回る合格者を出すと運営交付金や補助金に影響を受け、30%を越えると信じられないようなペナルティ(すみません、中味はあまり知りません)が与えられるという話を聞きました。ということは、上の東大の教授会で話されたような、たくさん入学させてどんどん振り落としていくという制度は採れないということになります。私は、今の大学を再生させるひとつの有力な方策が、どんどん入れてどんどん落とすということだと信じていますので、それを許さない文科省のもとでは高等教育の改革は両手両足をしばられて400メートル走を要求されているようなものだと思います。

 一方、卒業率10%と言われる放送大学ではまさにたくさん入れてたくさん落とすという教育がされているということになります。その制度を使いつつ、beachmolluscさんのおっしゃる「専門分野の講師と受講生が双方向で情報交換をやり、主導する講師側も自分の勉強になるよう」な体制をとることができたら、そこらの大学に負けないものになることができそうな気がします。

 少子化で希望者全入時代になった大学を、卒業する学生の質の維持という観点からの攻めの改革をしようと思ったら、まずはここらあたりを突破口にするという手もあるかもしれないと感じました。

 現在の文科省にはどうしてそういうことができないのかということを含めて、ご意見をいただければと思います。
by stochinai | 2009-03-26 19:53 | 教育 | Comments(18)

覚醒剤の誘惑

 世の中にはもっともっとハードに働いているのは承知しているつもりなのですが、昨日今日とセンター試験の監督業務を努めて、へなちょこな話でお恥ずかしいのですが、精神的にも肉体的にもかなりつらい思いをしました。

 受験生の間を音を出さないように何時間も歩き回っていると疲れますし、かといって座っていると睡魔に襲われそうになります。もちろん、睡魔に負けることは許されない状況です。受験生に負担を与えないように目立たずに、しかも彼らにミスをさせないようにしっかりと、音もなくサポートを続けるという作業は、いわゆる肉体労働と比べるとエネルギー消費では間違いなくかなり低いものだと思いますが、どんよりとまとわりつく疲労感は、単純な筋肉運動とは比べられない過酷なものと言えます。

 食後の午後のつらい時間帯に、ふと「こんな時に覚醒剤を勧められたら、誘惑に乗ってしまうかもしれない」という思いが頭をよぎりました。

 大学の教員などをしていると、普段の生活のかなりの部分が自己裁量に任されていますので、教育にしろ研究にしろ、結果のパフォーマンスが悪くなるようならば無理はしないということが多いものです。もちろん、締め切りのあるものに対しては、無理をしてがんばることはありますが、基本的に「自分のために」やっていると思えることが多いので、基本的には不合理な(あるいは不条理な)無理はあまりせずにすんでいます。ところが、試験監督のような組織的・社会的に強い強制力を持った作業の場合にはパフォーマンスよりも、決められた時間に決められた場所で決められたことを遂行することが要求されますので、個人の都合を越えた作業になります。

 考えてみれば、夜間トラックの運転手さんとか、タクシーの運転手さんとか、ともかく覚醒していなければ仕事にならず、しかもスケジュールに従って働き続けなければならないというような職種の方は、常時センター試験の監督のような(もちろんそれ以上の過酷な)状態に置かれていると言えるかもしれません。

 そんな時に、一服するだけであるいは一本鬱だけで、疲労感が解消し、脳が明晰になり、精神的にもハイになれる薬があったら、人はその誘惑に勝てるものでしょうか。

 先日、ここでも取り上げたように脳機能増強剤という名の覚醒剤は、覚醒した脳を使い続けたい頭脳労働者にとっては強い魅力を持ったものであり、高名な科学者の中にも、その合法化を主張する人が少なくないようです。

 人を過酷な労働(またはそれに類似した作業)に追い込む環境がある限り、覚醒剤の誘惑はかなりの人を落とすに違いないと確信しました。

 解決策はただひとつ、覚醒剤を必要とするような環境(競争)をなくすることだと思いますが、それは現代社会(自由主義)を否定することにもつながるわけで、容易なことではなさそうです・・・。
by stochinai | 2009-01-18 23:24 | 教育 | Comments(8)
【追記】
 私の不手際で同じ記事が重複してアップロードされてしまったようですが、それぞれに異なるコメントがついてしまいましたので、このまま残させていただきます。申し訳ありません。
【以下、元記事】

 ひさびさにセンター試験の監督をやりました。4回目になるというリスニングの監督は始めてだったので、かなり久しぶりということになります。で、やっぱり疲れました。

 初日の今日は、午前中に公民と地理歴史、午後に国語と外国語それに英語のリスニングでした。比較的小さな30人規模の教室の監督を応援が一人ついたリスニング以外を二人で担当。午前中は人の出入りもありつつも、それぞれの科目で受験者が教室の3分の2ずつでしたが、午後は一人を除いて全員が受験という状況でした。朝日の記事によると、「志願者数に対する割合は次の通り。公民30万5639人(56.2%)▽地理歴史35万9936人(66.2%)▽国語48万4884人(89.1%)▽外国語50万1115人(92.1%)」とのことですから、ほぼ平均的受験状況だったようです。

 前回やったときと大きく違ったところは、受験生が50音順で割り当てられていたことで、我々が担当した教室は名字がすべて「なか」で始まる人ばかりでした(多くは「中」)。音では同姓同名で区別できない組み合わせも数組ありましたが、不思議なことにいずれも漢字は異なっておりました。受験生が札幌およびその周辺から来ていると考えると、もっと同姓同名がいても不思議がないと思われますので、ひょっとすると五十音順だけで機械的に分けてあるだけではなく、同じ「なか」で始まるグループが別の会場にもいたのかもしれません。

 いずれにしても、なんとその多くが平成2年と3年生まれです。まあ、今年が平成21年ですから、当たり前と言えばあたりまえなのですが、1990年-91年生まれが今年大学生になります。

 毎回、同じメンバーの教室を監督していますので、だんだんと顔や名前を覚えてきます。そうすると不思議なもので、休憩時間に廊下ですれ違ったりすると、「あっ、うちのクラスの子だ」と思ってしまいます。そうなってくると、うちのクラスの子達は是非とも希望の大学に合格して欲しい、いやさせてやりたいという「親心」が生じてくるのが不思議なものです。そして、試験監督中には彼ら・彼女らが最良のコンディションで試験に臨めるように、最大限に気を遣うようになっている自分を発見します。問題の答えさえも教えてやりたくなるほどの気持ちをグッと抑えて、部屋の明かりや温度の調節をこまめにしたり、マークシートの記入ミスを防止してやろうと一所懸命やっていると、本当に疲れてしまいました。

 最後の英語リスニングでは、この教室からは絶対にミスやトラブルを出さないぞという覚悟で臨みました。幸いなことにハードのトラブルもなく、順調に終わることができました。このリスニング試験は、正味はたった30分のものですが、それを実現するためにおそらく他の全科目を足しあわせた以上のコスト(実質コストに監督業務の精神的コスト)がかかっていることを実感しました。

 私は監督をしつつもリスニングテストをすべて実モニターする役割も与えられましたので、すべての問題を聴取しました。いずれも素晴らしくきれいな発音の英語で、ほぼ日常会話レベルのものですので、それなりの訓練を受けている受験生はほとんど苦労もなく聞き取れるものだと感じました。逆に言うと、街の英会話教室などに通っていると圧倒的に有利なのではないかという印象も持ちました。

 テレビのニュースでも、インタビューされた受験生が答えていたように、リスニングの最後の問題はかなり長いニュース原稿レベルの英文を聞き取って理解しなければならず、確かに高校生にとってはちょっとハードかとも思いましたが、逆にここで差がつくことが予想されますので、ある意味では良い問題だったかもしれません。その朗読の中に、website とか blog とかの単語が出てきていましたが、教科書などで扱っているのかについても、ちょっと心配になりました。

 リスニングに使った機械(デジタル・オーディオ・プレイヤー)は持ち帰っても良いことになっていますので、全員が持ち帰っていましたが、メモリーカードも含めて他の用途にはまったく使えないらしく、それではリサイクルを奨励する今の状況に逆行していると思いました。おそらくMP3プレイヤーではないかと思われますので、メモリーカードおよび再生する音声ファイルを一般の規格に合わせることで、持ち帰った受験生がそれを英語の勉強に使ったり、音楽や音声のpodcastingプレイヤーとして使ったりできるようにすべきだと思います。

 ともあれ、全国的にそれほど大きなトラブルもなく一日目が終了したのは幸運でした。受験生と我々監督員もあと一日がんばり抜きましょう。

 がんばれ、うちのクラス!
by stochinai | 2009-01-17 22:59 | 教育 | Comments(1)
 ひさびさにセンター試験の監督をやりました。4回目になるというリスニングの監督は始めてだったので、かなり久しぶりということになります。で、やっぱり疲れました。

 初日の今日は、午前中に公民と地理歴史、午後に国語と外国語それに英語のリスニングでした。比較的小さな30人規模の教室の監督を応援が一人ついたリスニング以外を二人で担当。午前中は人の出入りもありつつも、それぞれの科目で受験者が教室の3分の2ずつでしたが、午後は一人を除いて全員が受験という状況でした。朝日の記事によると、「志願者数に対する割合は次の通り。公民30万5639人(56.2%)▽地理歴史35万9936人(66.2%)▽国語48万4884人(89.1%)▽外国語50万1115人(92.1%)」とのことですから、ほぼ平均的受験状況だったようです。

 前回やったときと大きく違ったところは、受験生が50音順で割り当てられていたことで、我々が担当した教室は名字がすべて「なか」で始まる人ばかりでした(多くは「中」)。音では同姓同名で区別できない組み合わせも数組ありましたが、不思議なことにいずれも漢字は異なっておりました。受験生が札幌およびその周辺から来ていると考えると、もっと同姓同名がいても不思議がないと思われますので、ひょっとすると五十音順だけで機械的に分けてあるだけではなく、同じ「なか」で始まるグループが別の会場にもいたのかもしれません。

 いずれにしても、なんとその多くが平成2年と3年生まれです。まあ、今年が平成21年ですから、当たり前と言えばあたりまえなのですが、1990年-91年生まれが今年大学生になります。

 毎回、同じメンバーの教室を監督していますので、だんだんと顔や名前を覚えてきます。そうすると不思議なもので、休憩時間に廊下ですれ違ったりすると、「あっ、うちのクラスの子だ」と思ってしまいます。そうなってくると、うちのクラスの子達は是非とも希望の大学に合格して欲しい、いやさせてやりたいという「親心」が生じてくるのが不思議なものです。そして、試験監督中には彼ら・彼女らが最良のコンディションで試験に臨めるように、最大限に気を遣うようになっている自分を発見します。問題の答えさえも教えてやりたくなるほどの気持ちをグッと抑えて、部屋の明かりや温度の調節をこまめにしたり、マークシートの記入ミスを防止してやろうと一所懸命やっていると、本当に疲れてしまいました。

 最後の英語リスニングでは、この教室からは絶対にミスやトラブルを出さないぞという覚悟で臨みました。幸いなことにハードのトラブルもなく、順調に終わることができました。このリスニング試験は、正味はたった30分のものですが、それを実現するためにおそらく他の全科目を足しあわせた以上のコスト(実質コストに監督業務の精神的コスト)がかかっていることを実感しました。

 私は監督をしつつもリスニングテストをすべて実モニターする役割も与えられましたので、すべての問題を聴取しました。いずれも素晴らしくきれいな発音の英語で、ほぼ日常会話レベルのものですので、それなりの訓練を受けている受験生はほとんど苦労もなく聞き取れるものだと感じました。逆に言うと、街の英会話教室などに通っていると圧倒的に有利なのではないかという印象も持ちました。

 テレビのニュースでも、インタビューされた受験生が答えていたように、リスニングの最後の問題はかなり長いニュース原稿レベルの英文を聞き取って理解しなければならず、確かに高校生にとってはちょっとハードかとも思いましたが、逆にここで差がつくことが予想されますので、ある意味では良い問題だったかもしれません。その朗読の中に、website とか blog とかの単語が出てきていましたが、教科書などで扱っているのかについても、ちょっと心配になりました。

 リスニングに使った機械(デジタル・オーディオ・プレイヤー)は持ち帰っても良いことになっていますので、全員が持ち帰っていましたが、メモリーカードも含めて他の用途にはまったく使えないらしく、それではリサイクルを奨励する今の状況に逆行していると思いました。おそらくMP3プレイヤーではないかと思われますので、メモリーカードおよび再生する音声ファイルを一般の規格に合わせることで、持ち帰った受験生がそれを英語の勉強に使ったり、音楽や音声のpodcastingプレイヤーとして使ったりできるようにすべきだと思います。

 ともあれ、全国的にそれほど大きなトラブルもなく一日目が終了したのは幸運でした。受験生と我々監督員もあと一日がんばり抜きましょう。

 がんばれ、うちのクラス!
by stochinai | 2009-01-17 22:57 | 教育 | Comments(3)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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