5号館を出て

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 今日は、北海道の高校の先生向けに頼まれた原稿の下書きを転載させてもらいます。

Ⅰ はじめに
1.国立大学法人・北海道大学
 今年の春から国立大学法人というものになった北海道大学の理学部は、理学研究科という大学院にぶら下がっている組織です。もちろん学部生はそこに所属しているのですが、教員も大学院生も理学研究科という大学院組織に属しています。この10年くらいは他の大学と同様に北海道大学でも、頻繁に大学組織の改革が行われており、大学の中にいる我々でさえ組織がどうなっているのかを把握しきれずにおりますので、外からご覧の皆さまには何がなんだかわからないことだと思います。話をわかりやすくするために、大学入学から学部移行、そして大学院へと進学する学生の視点で説明をしてみましょう。
Ⅱ 理学部・生物科学科
1.入学から学科分属
 現在は、理学部生物系として入学試験による選抜が行われています。一般入試(前期・後期)とAO入試を合わせて45名の入学者のうち、2年次にAO入試の5名と40名中27名合わせて32名が生物科学科(生物学)へと分属します。残りの13名のうち8名は生物科学科(高分子機能学)へ、残りの5名は地球科学科へと分属します。逆に、物理系から3名、科学系から5名が生物科学科へと分属・進級してきます。ただし、2006年からは、生物の得意な学生に対する生物重視の入試は残りますが、入学後は理学部として一括教育をすることになっており、入学の時点での系別は廃止されることになっています。
2.学部から卒業研究
 生物科学科(生物学)へ進級した学生は、2年次と3年次は、生物科学の専門の講義と実習で非常に忙しい毎日を送ることになります。この2年間は非常に厳しく、毎日朝から晩まで講義と実験に明け暮れますが、ようやく専門の学問に触れるという実感を持てるようになる時期でもあります。勉学の苦しさから、落ちこぼれとなってしまう学生も出てきますが、多くの場合はここで講義をする研究者に出会い、研究のおもしろさを教えられ、現実感を持って研究することを望み始める学生も多くなります。
 もっともハードな講義と実習で追いまくられる3年次が終わると、卒業実習のための研究室分属が行われ、各研究室に一人か二人ずつ配属され、いよいよ研究のまねごとが開始されるのです。多くの学生は3年次までに、教職や卒業研究以外のほとんどの単位は取得してしまいますので、4年次は教職単位を除くとほぼすべての時間を卒業実習という名の研究に宛てるようになります。すでに、気分は大学院生です。私の所属する研究室には、今年二人の卒業実習生が配属され、次のような研究をしています。それぞれ本人が書いています。
(T君)ヤマトヒメミミズには、どんな細胞にでも分化できると言われる幹細胞(ネオブラスト)が存在します。自分はこのネオブラストの発生過程に興味を持ち、ネオブラストがどのように発生してくるのか、またネオブラストが幹細胞と同じく未分化であるのなら、その発生過程において未分化能がどのように維持されているのかを解明したいと考えています。現在は研究の第一段階として胚の構造を観察しているところです。
(Mさん)GFPはくらげ由来のたんぱく質で蛍光を発します。GFPの発色効率をさらに高めたVENUSという遺伝子が理化学研究所で開発されました。私は、これをアフリカツメガエルに組み込み、全身でVENUSを発現する個体を作りたいと思っています。また、この個体の元になる卵と精子はJ系統という、遺伝子が均一になっている系統の個体のものです。全身で蛍光を呈し、なおかつGFPを組み込まれていないJ系統と移植実験を行ってみて、拒絶反応が起こるかどうかを確かめてみたいと思っています。
図1 アフリカツメガエル
Ⅲ 大学院・理学研究科生物科学専攻
1.組織
 私たちの研究室は、大学院・生物科学専攻の系統進化学講座にありますが、そこは事実上3つのグループの分かれていて、内部では系統進化のⅠ、Ⅱ、Ⅲと呼ばれています。Ⅰは教授2名、に助手1名で動物分類学と生態学、Ⅱは教授1名と助教授2名で植物分類学、Ⅲは私一人の助教授1名だけのとても小さな研究室ですが、いちおう進化発生学研究という看板を掲げています。
2.研究
 そこには、すでに博士号を持った独立の研究者である博士研究員を先頭に、大学院博士後期課程の学生が4名、博士前期課程(修士課程)の学生が3名いて、次のような研究をしています。
(博士研究員:Yさん)我々人間を含む多くの動物は、前後軸、背腹軸を持った左右相称動物です。一方、有櫛動物(クシクラゲ)は、口-反口軸と呼ばれる軸を持つ放射相称動物です。放射相称動物は、進化学上、左右相称動物が出現する直前に位置しており、遡れば、左右相称動物と共通の祖先動物から進化してきたと考えられています。本研究では、放射相称動物であるクシクラゲの軸構造を、分子生物学的手法により解析しています。また、有櫛動物がモザイク卵であることを利用して、細胞質や割球の除去により有櫛動物の軸形成を実験生物学的に解析することも目指しています。
(博士後期課程3年:K君)私達が使っているヤマトヒメミミズは、雨の日に道端でよく出会うフトミミズ等に比べてとても小さく、とても変わった増え方をします。1.5 cmほどに成長すると、自分の体をいくつもの断片にちぎるのです。そして、それぞれの断片は前に頭、後ろに尾を再生して、1匹のミミズになります。ところが時々、後ろにも頭が再生して、両側に頭をもったミミズになってしまうことがあります。私はこの両頭ミミズに注目して、どのようにして頭や尾が作られるのかについて研究しています。
図2 ヤマトヒメミミズ
(博士後期課程3年:Y君)哺乳類、鳥類、爬虫類では脳は再生しません。しかし、同じ脊椎動物でも下等な魚類、有尾両生類(イモリ)では脳の一部を除去しても再生できます。おもしろいことに、これらの間に位置する無尾両生類(カエル)では、オタマジャクシの時は再生できるのですが、カエルになってしまうとできなくなってしまいます。この個体発生にともなう再生能力の消失に興味をもちました。今までの研究から「カエルも脳の再生に必要な分裂できる細胞は持っているが、カエルになるとこの細胞が壊れた部位に移動できなくなる」ことを発見しました。
(博士後期課程2年:T君)長年にわたる形態学と分子生物学研究から、受精卵から全体の調和を保ちながらからだが作られる発生過程と、全体との調和が取れるようにからだが補修される再生過程では、状況が異なるにもかかわらず、同じ遺伝子が働ていることがわかってきました。私はヤマトヒメミミズを実験材料に、特に再生初期の遺伝子発現の変化に注目し、再生をコントロールするメカニズムを明らかにすることを目標に研究を行っています。
(博士後期課程1年:Sさん)私が実験材料として用いているヤマトヒメミミズは、プラナリアと同様に、細かく切り刻んでもそれぞれの断片が再び完全な個体へと再生しますが、幹細胞(ネオブラスト)の数ははるかに少ないです。今までの研究から、ヤマトヒメミミズのネオブラストは切断後まもなく同調的に分裂増殖しながら切り口へ移動し、再生芽と呼ばれる新しい組織を作ることが示されました。私は、再生時のネオブラストの挙動を追跡することで、少数の幹細胞による驚異的な再生能力のメカニズムを探りたいと思っています。
(修士課程1年:K君)私は脳も再生できる両生類の中でも、オタマジャクシの時には再生できるのに、カエルになると再生できなくなるという特徴を持つアフリカツメガエルを用いて、視覚情報の処理を行っている中脳という部分についての再生実験を行っています。主に、カエルになると再生能力を失ってしまう原因の解明を中心に実験を進めています。
(修士課程1年:Nさん)ミジンコでは、形態の違いから別種とされていた2つのグループが、実は通常型と捕食者の存在で誘導される防御型の違いであることが明らかになってきました。このように発生時の外部環境によって異なる表現型を選択するという現象は、環境と進化の関わりについて研究するための良いモデルになると思います。フサカがいるとミジンコにはneckteethと言われる突起が形成され、それを持つ個体は捕食されにくくなります。今後は、フサカからの刺激を受けた個体では形態形成に関わる遺伝子の発現がどのように変化するのか、長期にわたり刺激を与え続けることでかたちの変化の仕方に影響があるのか、などを調べていきたいと思っています。
図3 ミジンコ
Ⅳ おわりに
 このように、さまざまな研究材料を使ってとりとめのない研究をしているように見える私たちの研究室ですが、研究テーマの中にある動物のからだが作られていく発生とそれを作り直す再生、そして作られたからだを守る免疫というものの中には、不安定から安定へとからだの中の状態を一定に保つホメオスタシスともいうべき共通の性質があると思っています。そして、それらのしくみがすべての動物において、進化という縦糸で結ばれているのです。私たちの研究室では、これからもホメオスタシスと進化についての研究を続けながら、地球上における生命の歴史と未来を見つめ続けていきたいと思っています。
by stochinai | 2004-11-19 17:28 | 大学・高等教育 | Comments(0)

理系音痴が動かす国

 昨日の毎日新聞理系白書に「理系音痴」が動かす国という、元村有希子さんの署名記事が載っています。

 悲しくも恐ろしい言葉「21世紀の今も、年4兆円近い科学技術予算を左右するのは『科学音痴』を公言する政治家たちだ」というのは、日本の現状のことです。

 この20年くらいをかけて、政府は理系の大学院生を大量に増やして、彼らの受け皿を作らなかったことを、かねがね不審に思っていたのですが、特に考えがあってやっているわけではなく、単に「音痴」なだけなのかもしれません。つまり、理系の大学院を出るということが、ひとりひとりの人生にどのような意味を持つのかがわかっていないのでしょう。職がないなら別のことやれば良い、と簡単に思っているのだと思います。しかし、大学院だけではなくポスドクを何年もやって、40歳くらいになった人間に「職がなかったら、別のことやれ」って、簡単に言って欲しくないですよね。

 そんな中、米100俵の総理に対し、総合科学技術会議で先月、有識者議員の一人が次のような進言をしたそうです。

 「科学技術振興には社会の理解が不可欠で、それには合言葉が有効だ。例えばケネディ元大統領は『人類を月に送る』、クリントン氏は『ヒトゲノム解読』を掲げた」そうです。ここはひとつ日本でもやりませんか、ということを言いたかったのだと思います。
 
 ところが、「あのスローガン好きの首相が、このアドバイスには関心を示さなかった」と書いてあります。やっぱり。 

 このエピソードを読んで、日本政府が考えている科学技術振興というのは、科学を振興させたいということではなく、科学技術振興を「何か」に利用したいだけなのだということを確信しました。彼らにとっての科学とは、経済発展という目的のための手段のひとつにすぎず、別の方法で目的に達成されるなら、それで良いということだと思います。

 首相が出てきたついでに、前から気になっていたことをひとつ。首相は、「やればできる」という言葉がお好きのようですが、この言葉ほど落ちこぼれた人間を傷つけるものはないということをわかって欲しいと思っています。

 もちろん、やればできると思って努力することは貴重なことなのですが、やってもできないことがあると知ることは、もっと意味があることだと思います。

 今の若者達は、首相をはじめとした方々の刷り込みにより「自分だって、やればできる」と思っている人が多いようですし、事実そのように言う学生も多いです。

 そして、最悪なことに「やればできると思っている」にもかかわらず、決してやろうとしないので、「やってもできない」という境地に到達できないのです。

 いつまでたっても、「やればできる」というおまじないを頭の中で繰り返しながら、トライをしないままに年を取っていきますので、かなりの年齢になっても「自分はやればできるのだけれども、やる気が起こらないのでやっていないだけだ」という不思議な思考を持ち続けている若者がかなり見受けられます。

 北大の保健管理センター精神衛生相談室カウンセラーの市川啓子さんが書いたただよう学生の心(4)の中に、このことが鋭く指摘されています。「カウンセリングなどを通して若者の無気力に向き合った時に感じるのが、彼らのなかにある何ともいえない『万能感』の存在です」が、まさにこれだと思います。以下に、市川さんの言葉を転載させて頂きますが、さすがにプロの解釈はすごいと脱帽です。

 「人間は、幼いある時期に『幼児的万能感』を持つといわれています。自分の望むものは与えられるという感覚です。しかし、成長に伴ってさまざまな葛藤や挫折にぶつかり、現実は自分の思うどおりにはいかないという体験を積み重ねるようになります。そのことを通じて現実を検討する力や、等身大の自分を認識できるようになるといわれていますが、思春期以降もこの「幼児的万能感」から抜け出すことができない若者が増加しているのではないかという見方があります。」

 というわけで、首相にお願いがあります。これからは「やればできる」から、「やればできるかどうか、まずはやってみよう」と叫んでもらいたいと思います。よろしく、お願いします。
by stochinai | 2004-11-18 17:29 | 科学一般 | Comments(0)

お客さん

 今日は、カリフォルニアのアーバイン(Irvine)からお客さんが来たので、歓迎会をしています。

 お客さんは、日本人なのですが東北大を出て、広島でポスドク(博士を持っている非常勤研究員)をした後、カリフォルニアでポスドクをやっている人です。

 東北大での大学院生時代に、カエルの再生研究をやっていたので知り合いになった人なのですが、アメリカで研究者として働くには時々国外に出て(日本に戻って)、ビザの更新をしなければならないということで、東京のアメリカ大使館に出頭するついでに北海道にも寄ってくれたというわけです。

 セミナーをお願いして、主に今やっている再生研究の話をしてもらいました。ついでに、つい最近カリフォルニアで住民投票の結果、賛成多数で成立した「再生研究推進」の話もしてくれました。シュワルツネガー州知事の下、先頃亡くなったスーパーマン・クリストファー・リーブや、パーキンソン病で苦しむマイケル・J・フォックスの話などが出てくると、「さすがアメリカ」という気がします。 

 アメリカには日本から行っているポスドクの人がたくさんいるのですが、そういう人たちが集まると、必ず最後はどうやって日本に帰ったら良いかの話になるそうです。

 日本政府の大学院生・ポスドク大量生産政策の結果、優秀なポスドクの人がたくさん海外に出ているのですが、向こうでたくさんの業績を上げたとしても、なかなか日本で定職に就くことのできない人が多いという現状があります。

 非常に優秀な彼ら・彼女らをこのまま、外国流民にしてしまっては国家的大損害です。せっかく育った彼らをなんとかして日本に呼び戻して、きちんとしたポジションを与えることは、日本の将来にとっても非常に重要なことであると思いますので、政府にはそこのところをしっかりと把握した上で、長い目で見たしっかりとした政策の立案をお願いしたいと思います。

 内閣や国会議員の継続年数以内の政策しか出てこないような、今の政策立案システムでは国の将来を担うであろう、若手研究者の未来を切り開くことはとても難しいと思います。

 そこで、政府だけにまかせておかず、全国の大学関係者においても、自分たちが育てた、最良の頭脳である彼らを日本に呼び戻し、次世代の研究および研究者養成に携わるべきポジションを与えるよう声を上げて頂きたいと思います。

 微力ながら、私も頑張りたいと思います。

 逆に、そのような境遇に置かれたポスドクの皆さんにも、声を挙げて頂きたいと思います。

 黙っていても、国は動いてくれないものです。一緒に頑張りましょう。
by stochinai | 2004-11-17 17:43 | 生物学 | Comments(0)

もう殺し合いはやめよう

 さすがに準備不足で、ゼミは満足のいくものにはなりませんでした。朝から集まって頂いた皆さんには、改めておわびを申し上げます。論文は良かったんですけど、紹介者がダメでした。すみません。

 さて、あと数日でファッルージャの戦いも終わると、アメリカは発表しているようです。個人的にはアメリカが負けて痛い目を見るべきだと思わなくもないのですが、ともかく一日も早く銃火が収まって欲しいので、そんなことは言っていられません。

 おそらく、数千人の兵士と市民が殺されたことと思います。すぐにやめろと言っても、今のアメリカ軍にそのようなことができないことはわかります。ともかく、アメリカが勝とうがどうしようがかまいません。一刻も早く戦闘が終結して欲しいと思います。

 そんな中、またしても嫌なニュースが飛び込んできました。非武装・無抵抗のイラク人負傷者、米兵が射殺です。戦場ですから、そのようなことは起こり得ることだと思います。そういう意味では、どうしてこれが大ニュースで、戦闘の中で殺されたたくさんの子ども達のことはニュースにならないのでしょう。

 たまたまカメラがとらえてしまったから、「残酷」だというのでしょうか。傷を負って動けない人間を射殺するのが残酷で、元気な兵士を何十人も撃ち殺すのは残酷ではないということなのでしょうか。

 抵抗しない人間を殺すと犯罪で、抵抗している人間はひとりでも多く殺すと勲章だという戦場の「ルール」を我々が受け入れなければならない義務はありません。。

 殺人に、良い殺人と悪い殺人があるはずがありません。どちらも犯罪です。また、無抵抗の人間を殺したのが犯罪だという論理は、現場の兵士には通じないと思います。その兵士だって、ついさっき隣にいた戦友が銃弾に倒れたことが原因で、怒りに狂っていたということも考えられます。それを犯罪者呼ばわりするアメリカ軍の偽善的な態度も、非常に不快です。「米軍は16日、戦争犯罪の疑いがあるとして捜査を始めた」などと書くマスコミも不快です。

 ルールのない無差別殺戮が行われている戦場に兵士を送り込んで、人道的な殺人をしろなどとは、なんたる命令でしょう。人道的な殺人とは、どんなことを指すのですか。

 先日の、捕虜収容所での虐待事件も起こるべくして起こったものだと思います。虐待をした兵士が悪いといって「裁判」にかけたようですが、精神がおかしくなるようなところに送り込まれた人間が、異常な行動をとったからと言って裁判にかけると言っている人間の方がよほど狂っていると思います。

 若くて(おそらく高等教育などはそれほど受けていないであろうと思われる)貧乏な兵士を大量に送り込んで、その人間達に老練な倫理学者のような行動を取れ、と言っていることの喜劇(悲劇)性がわからないとしたら、やはりブッシュ一派とそれを支持している各国の首脳は、ヒトラーや金正日となんら変わらない血に飢えた狂人と断言せざるを得ません。

 そして同じ思想を持つ連中が、かつて戦場で起こった虐殺は、聖戦であったし、正当防衛であったし、あなた方がいうほどたくさんの人を殺したわけではないと、戦争のあと何十年もたってから言うものなのだという歴史の事実が目の前で行われている現実を見ていると、ほんとうにつらくなります。

 主義主張はいくらでもほざいてください。ともかく、殺人は醜悪で不快です。すぐにやめてください。

 高遠さんも言っているように、イラクで人質を取っては殺す外国から集まってきている「義勇兵」も、勝手に人の国の体制を「民主化」しようとして虐殺を繰り返しているアメリカ軍も、どっちも人殺しはやめてください。

 あなた達は、心底バカです。
by stochinai | 2004-11-16 17:43 | つぶやき | Comments(0)

自分で起こす突然変異

 気温はどんどん下がってきています。おそらく、真夜中の外気温は1℃か2℃だと思います。時折、空から降ってきているものは、雨ではなく雪です。風もかなり強くなってきました。

 今日の講義の後は、明日のゼミで紹介する論文を読んでいました。

 9月頃に出た論文なのですが、ウイルスのおもしろい生き方についての研究です。

 百日咳のバクテリア(細菌)に感染して、内部で増殖し百日咳を破壊してしまう、正義の味方(?)ウイルスの話です。

 百日咳は免疫ができやすく、乳幼児期に一度かかるか、そうでなくてもワクチンが非常に効果的に効くので、それほど問題になっていることもないのですが、ヒトに悪さをする細菌を殺してくれるウイルスは、納税者にも説明しやすい研究対象かもしれません。研究が進んでいるようです。

 そのウイルスが、百日咳菌に感染する時には、細菌の表面にある毒素に結合して侵入します。一方、百日咳菌はときどき毒素を作らないタイプに変異してしまうので、その時には毒素を介したウイルスの感染も起こらなくなると思われていました。

 ところが敵もさるもので、毒素を作らなくなった百日咳菌に感染できるようにウイルスも変異することがわかりました。

 それだけなら、自然界に良くある進化競争のひとつとして片づけられるのですが、そのウイルスの変異の仕方がなんと驚くことに、自分で自分の遺伝子を変異させるカセット遺伝子を用意していて、時に応じてそのカセットから遺伝子を呼び出して、それまで使っていた遺伝子の部品を交換して変化させているということがわかりました。

 毒のない百日咳菌に感染できるようになったウイルスは毒のある菌に感染する力はなくなってしまうのですが、百日咳菌が毒性を回復すると、また例のカセット遺伝子を呼び出して自分の遺伝子を組み換えて、毒性菌に感染できるように復帰もできるというのです。

 現代の進化論は、突然変異はランダムにしか起こらず、ランダムな突然変異の中から適応的な遺伝子を持った個体が自然の力で選択させることで進化が起こると説明しています。

 ところが、ウイルスの研究から、特定の場所に特定の突然変異を引き起こすことがあり得ることが示されるようになってきました。つまり、生物に都合の良い突然変異を起こしうるということです。

 しかも、今回ウイルスで発見された突然変異を引き起こすカセット遺伝子が、ウイルスのみならず、もう少し高等なシアノバクテリアという光合成細菌にあることもわかってきました。

 長い間不思議に思われてきた、合目的な進化というものを期待させてくれる発見なのかも知れません。

 生物というものは、本当に底知れない存在です。
by stochinai | 2004-11-15 17:45 | 生物学 | Comments(3)

雪がこい

 日頃の行いが良いせい(?)で、今日は一日暖かい小春日和でした。

 というわけで、予定通りに庭木の冬支度を終えることができました。こちらでは、竹で支柱を立てて荒縄などで雪に負けないように木の周りを囲うので、「雪囲い」という処置をするのが一般的なのですが、私のはかなり簡易バージョンです。

 基本的にツツジなどの小さな木には雪囲いをしなければならないのですが、数年前から意識的に雪に負けない枝の張り方をするように剪定をしています。それで、多くのものは竹の支柱を必要としないような枝ぶりになってきていますので、木を縄でグルグル巻きにするだけです。縄もワラでできた荒縄ではなく、5ミリくらいのビニール(PPと書いてあるのでポリプロピレンかな)のロープです。安いし丈夫だし、害虫の住みかにもならないので、廃棄物問題を考えなければかなりの優れものです。

 私が慣れてきたせいもありますが、一昨年くらいまでは2日かかっていた庭木の処置が、今年は一日で余裕を持って終わりました。

 その後は、ビールを飲んで昼風呂にはいってノンビリと休息。

 夜は、明日の講義のや明後日のゼミや某出版社のゲラなど各種の雑用が気になりつつも、DVD鑑賞。

 「フォーン・ブース」という、舞台でも使えそうな小品でしたが、楽しめました。出演者も声だけの電話の相手と、電話ボックスの中で電話をかけ続けさせられる男の、二人だけと言っても良いくらいのもので、会話だけで作られているような心理映画なのですが、映画としてもきちんと細かいところまでお金をかけて作られていることがわかり、安心して見ていられます。

 ストーリー自体は荒唐無稽と言えなくもないのですが、こちらを引き込むだけのきっちりとした脚本と舞台装置が用意されていますから、安心して話に浸っていられます。時間も最近の映画としては短めの81分ですので、だれることもなく一気に終わりまでいけます。お薦めです。

 最近は映画を選ぶ必要があった時には、出演俳優で選べばまず間違いないという気がしています。この映画も、渋めですがいい俳優が出ています。

 逆に言うと、出演俳優を見るとダメな映画もわかると言うわけです。

 日本の場合は良くわからないこともあるのですが、アメリカ映画に関していうならば俳優が出る映画を選んでいることが感じられますので、彼らの判断を信用してもいいということだと思っています。

 人を信用するということはなかなか難しいことですが、それができるならばブレインが増えることになりますから、信用できる人間を増やしていくことができれば、生きることにも少し楽ができるように思えます。これからも、信じらることのできる人を増やしていきたいと思います。
by stochinai | 2004-11-14 17:46 | 趣味 | Comments(0)

雪はありません

 昨夜は、冷たい雨に台風並みの強風が吹き荒れていて、自転車の私は大変な目にあいました。

 とは言え、私はただ濡れ鼠になっただけですが、札幌のすぐ近くに石狩湾新港では貨物船が防波堤に激突し、船体が3つに折れ6人の方がなくなる大事故が起こっていました。

 今朝は、たくさんのヘリコプターが千歳空港からも飛んできて、自宅の上空を通って石狩方面へ向かっておりましたが、たいへんだったようです。

 昨夜の予想では、雨は雪の嵐となり、朝には一面の銀世界になっているという雰囲気だったので、今朝は明るい光が漏れているカーテンを開ける時には、ちょと期待をしてしまいましたが、外は太陽が照りつけていたものの、雪のかけらもありませんでした。気温も、思ったほど低くはありませんでした。なんだか、肩すかしを食らった感じです。

 今年は、本当に天気の変化が荒っぽい気がします。

 荒っぽいと言えば、国会の党首討論での某氏の発言については、しばらくは書く気分になれないほど落ち込んだ気分にさせられたいました。

 サマワを非戦闘地域と断言した根拠は何かと問われたことへの答が「戦闘が行われていない。だからこそ非戦闘地域だ」でした。

 これは、「非」という接頭語の使い方を習ったばかりの中学生(小学生?)の答としては許されるかもしれませんが、高校生以上だと不可か、お情けで鉛筆代として10点満点中の1点くらいをやろうというレベルの答です。

 法人化された大学では、経営の圧迫源であるとして全国的に非常勤講師を削減しようという動きがあるようです。これまで大学教育の中で大きな貢献をしてきた非常勤講師の方々を経済原則だけで切り捨ててよいはずはなく、そんな時に「では、大学にとって非常勤講師とは何なのですが」と質問した時に、「非常勤講師とは、常勤ではない講師のことです」と学長などが答えたとしたら、どうでしょう。

 その瞬間に、その人の学問する人としての権威は失墜します。つまり、彼はその時に研究者として死を迎えるのです。我々、研究者の置かれているのはそのくらいの厳しさのある場所であり、自己点検とか自己評価とか第三者評価とか言われるまでもなく、長い時間をかけてそのような緊張感のある環境が築かれてきたのです。

 その大学を含めた組織の運営に責任を持っている政府の最高責任者が、すべてを台無しにするような発言を繰り返していることは、日本全体に対する侮蔑であり政府というものに対する責任放棄です。あの瞬間に、政治家生命が失われなかったことに対しては、日本国民全体が責任を持たなければならないと感じました。脱力していて済む話ではありません。

 なぜかと考えてみると、どうも首相にも任期があるということがこの無責任の原因のひとつであるような気がしてきました。大臣なども、どうせ改造までの半年か1年しかその任にいないんだし、首相にしてもいくら長くても残り2年くらいということになると、「旅の恥はかき捨て」みたいな粗雑な言動が、彼らの口から次から次へと出てくるのもわかるような気がします。

 そう考えると、今大学の現場などで任期制こそが教員や研究者の質を維持するための切り札の一つなどと言われて推進されていることについても、冷静に考え直して見た方が良い気がしてきました。

 再任が期待できない任期制ほど、人間のモラルと品性をダメにするものがないということを首相自らが実例になって示してくれたという、ポジティブ(?)な評価も可能かなというのが、この件に関する精一杯のサービス・コメントです。
by stochinai | 2004-11-13 17:47 | つぶやき | Comments(0)

夜半から雪

 暖かかった数日を過ぎて、今日の昼過ぎから急激に気温が下がり始めました。夜半過ぎからは雪の予報が出ています。明日の朝には、この秋2度目の銀世界になっているかもしれません。

 さすがにこの週末は、庭の木々の冬支度をしてやらなければならないでしょう。

 日曜日が晴れてくれると理想的なんですが、どうなりますか。

 黄葉をゆっくりと楽しむ間もあらばこそ、北大のイチョウはすっかり葉を落としてしまいました。

 今年の秋の北大キャンパスはなんとなく明るいと思っていたら、台風のせいででかなり木が減ってしまっていたことを思い出しました。

 北海道のような北国では、冬になると日照時間が短くなるために「冬季鬱病」と呼ばれる症状になる人がいるそうです。

 そういう人には、明るくなった北大キャンパスで、太陽を浴びながらゆったりと散歩でもしてもらいたいと思います。

 人間というものは、日照時間が短くなったり、過労になったり、寒かったり、お腹が空いたりしただけで、鬱になってしまうデリケートな存在です。

 脳というものが発達しすぎて、外界からの働きかけに過剰に反応するようになったしまったせいなのかもしれません。

 そんな弱い存在である人間を、お互いにいたわりながら助け合う社会を作らなければならないと思いますが、相変わらずまわりでは「競争」があらゆる問題を解決する「魔法の合い言葉」であるかのごとくに突き進もうという勇ましいかけ声で満ちあふれています。本気でそう思っているのでしょうか。それとも、条件反射のように、大脳を経由しないで反射的に反応しているだけなのでしょうか。

 もう景気を回復させようなどと言う寝ぼけた夢から覚めて、のんびり生きてみませんか?
by stochinai | 2004-11-12 17:48 | つぶやき | Comments(0)

都教委の逆襲?

 東京都教育委員会と言えば、先日皇居で開かれた園遊会で失言をして、赤恥をかいた将棋差しがいるところではなかったでしょうか。

 そこが、なんともまたアナクロな政策を打ち出しました。

 朝日コムでは、都立高校「奉仕」必修へ 東京都教委が07年度にと出ておりますし、毎日にも都立高:奉仕活動を必修科目に 07年度から導入へと出ています。

 都立校では昨年度から、毎年11月に「ボランティアの日」を設け、うち15校で「ボランティア活動」を選択科目として単位認定しているそうなのですが、それに参加する生徒が少ないために、また国旗国歌のように「強制的に」やらせようということになったのかもしれません。

 しかも、こんどは「ボランティア」ではなく「奉仕」です。辞書によればボランティアは「自ら進んで社会事業などに無償で参加する人」を意味しますが、「奉仕」は「献身的に国家・社会のためにつくすこと」となっています。前者は、自ら進んで行うものですが、後者は献身的につくさせることが主眼で強制的に奉仕させるということもあり得ます。

 今回、都立高校に導入される「奉仕」は必修科目になる方針だそうですから、有無を言わせず国家・社会に貢献させようという意志が見えてきます。

 いったい、なんなんでしょう。

 将棋差しがチョンボをして、都知事が弁解して恥ずかしかったので、逆襲に出たようにも思えます。

 だいたい、高校で奉仕活動を必修させようということは、何を意味しているのでしょう。記事によると「1単位(年35時間)で、うち10時間程度は座学。残りは福祉施設での生活支援、地域行事や児童、園児の野外活動の手伝い、森林の維持管理、河川、公園の清掃などを予定している」とのことです。

 中味としては戦時中のような軍需工場での生産活動などの手伝いのような、悪いことをするのではなさそうですが、たとえ良いことでも高校生という大人に手の届きそうな若者達を単位でしばって強制するということはどういうことなのでしょう。

 小学生に町内の掃除をさせるというようなことなら、多少の強制も教育としてあり得るかなとも思うのですが、自分でものを考えることができるようになっていなければならない高校生に奉仕活動を必修させなければならないとは、いやはやなんとも幼稚な(もちろん教育委員会が幼稚なので、高校生は幼稚かどうかは知りません)自治体と言わざるを得ません。
by stochinai | 2004-11-11 17:48 | 教育 | Comments(0)

多肉植物にはまる

 私の近辺には、いつも生きた動物や植物がいます。動物は商売道具のこともあるのですが、植物に関してはほぼ確実に趣味の領域です。

 自宅ばかりではなく、大学の研究室や実験室、果てはエレベーター前のロビーに至るまで、光のある隙間はいつの間にか植物に占領されてしまう傾向があります、というか私がそうしてしまうのです。スミマセン。

 動物と植物とどちらの世話が大変かというと、一般的には動物という答が返ってきそうですが、私の感覚はちょっと違います。

 植物の方が、顔色を見るのが大変で、問題があっても騒いだりしませんし、弱る時も、ほんとうにかなりひどくなってから気が付くことが多く、気を抜けない相手だと思うのです。

 と、ここまで書いて最近、カメの顔を見ていないことに気が付きました。あまりに大きくなって自宅ではもて余されたミドリガメです。飼育室においてあったのですが、どうも邪魔にされているらしく、いつも辺境に追いやられています。

 姿が眼に入ると、顔色を見て、世話もすぐにできるのですが、そう言えばここのところ数日顔をみていないことを思い出しました。飼育室に行ってみると、やはり目に付きにくい物陰に追いやられておりましたが、元気にしていました。カメの嫌いな学生がいるに違いありません(^^;)。まあ、実験に使うわけではないので、邪魔にされても仕方がないのですが、かわいそうなミドリちゃんでした。

 さて、植物の世話が難しいという話に戻りますが、なんとなく最近は植物の顔色もわかるようになってきて、ますます植物はデリケートだし大変だと思うようになってきております。まあ、逆に機嫌良くしてくれているとうれしいので、そういう意味では楽しみでもあるのですが、手を抜こうというときに困ってしまうのです。

 というわけで、最近は鉢を水につけっぱなしで良い食虫植物と、水をやるのを忘れても何ヶ月かは問題が起こらない多肉植物が、徐々に増えてきている私の周辺なのでした。

 昔から苦手だった、サボテンにも少しずつ手を出し始めています。夜咲くサボテンが多いことも知りました。

 そう言えば、メキシコでは夜咲いて、コウモリに花粉を運んでもらうサボテンもあるということを勉強したばかりでした。

 多肉植物はこれから長いつきあいになりそうな気配です。
by stochinai | 2004-11-10 17:49 | 趣味 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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