2005年 06月 09日
動物園と科学コミュニケーション
昨日のレッサーパンダ関連記事のエントリーの後、動物園というものは科学コミュニケーションの実践の場として優れたものなのではないかと、考え始めました。
バッシングされた旭山動物園の副園長さんは、「動物園は見せ物じゃない」とおっしゃってますが、彼に寄せられた非難の中に「所詮、動物園なんて見せ物じゃないか」というものがあったと言います。
欧米ではしばらく前から動物園は動物を展示する場ではなく、絶滅しつつある種を保存する仕事をするところであるという認識が出来上がっていると聞きます。
種の保存のためには、できれば自然に繁殖をさせるのが良いのですが、場合によっては人工的な手段での繁殖も必要になります。いずれにしても、前者ならば動物が落ち着いて心地よく繁殖できる環境を整えてやるための生態学や動物行動学の研究が必要になります。後者の場合であるならば動物の生殖生物学の研究をしなければなりません。
さらに、動物園は教育の場です。これに関しては、日本でも小中学生には動物の多様性や自然環境の大切さを学ぶ場として、認識されているところだと思います。
今回のレッサーパンダ騒ぎの中で、日本の動物園は、エンターテインメントが占める割合が大きいと感じさせられました。
もちろん欧米の動物園も観客に動物を見せるということはやっています。見ることを楽しみに来ている人が大多数であるという点においては、日本も外国も違わないと思います。
そして、日欧を問わず動物園の裏方の現場で働いている方々は多かれ少なかれ見せ物というよりは、動物の保護や教育・研究、そして希少種の繁殖などが自分たちの仕事であると考えておられるように思えるのです。それは、また旭山動物園で恐縮ですがホームページの「園長室」にある園長さんの書いた文章を読むと良くわかります。昨日取り上げた副園長さんの考えも同じだと思います。
旭山動物園では、この園長さん副園長さんそして多くの職員がそうした使命感を持った上で、一般の人から見たら「非常におもしろい」さまざまな展示法が開発されました。
おもしろいのだから見せ物である、という思考は短絡的だと思います。旭山動物園の場合は確かにおもしろいという結果にはなっていますが、それは動物たちの行動や生態を調べ上げて、動物たちがリラックスし、ストレスを感じることなくみずから進んで行動してくれるところを見せることができていることが成功の大きな要因だと思います。
動物を科学的に調べた上で、彼らの行動を見せることは科学的であり、教育的であり、さらに動物愛護的なのだという良いことずくめの結果を導き出すことができたのは、旭山動物園が短絡的なエンターテインメントではなく、科学を理解した上でのエンターテインメントを目指して得られた結果だったと思います。
ではなぜ昨日書いたようなバッシングが起こってしまったのでしょう。(ここからは、ちょっと飛躍があるかもしれませんが、)その理由のひとつが科学者と一般市民の間の横たわるコミュニケーション不全があると感じます。
動物園というすばらしい研究・教育そして娯楽機関があります。そこで、働いている人は自分たちは科学的あるいは教育的なプロフェッショナルであると考えている人が多いようですが、市民からみるとただの飼育人くらいにしか思えていないのかもしれません。
そのギャップを埋めることができれば、動物園という存在自体が生まれ変われそうな予感がします。今、立ち上がろうとしている科学コミュニケーター養成ユニットでは、そんなことについての検討や実践ができるかもしれないと、始まる前からの皮算用を初めてみました。
ご意見をお聞かせください。
バッシングされた旭山動物園の副園長さんは、「動物園は見せ物じゃない」とおっしゃってますが、彼に寄せられた非難の中に「所詮、動物園なんて見せ物じゃないか」というものがあったと言います。
欧米ではしばらく前から動物園は動物を展示する場ではなく、絶滅しつつある種を保存する仕事をするところであるという認識が出来上がっていると聞きます。
種の保存のためには、できれば自然に繁殖をさせるのが良いのですが、場合によっては人工的な手段での繁殖も必要になります。いずれにしても、前者ならば動物が落ち着いて心地よく繁殖できる環境を整えてやるための生態学や動物行動学の研究が必要になります。後者の場合であるならば動物の生殖生物学の研究をしなければなりません。
さらに、動物園は教育の場です。これに関しては、日本でも小中学生には動物の多様性や自然環境の大切さを学ぶ場として、認識されているところだと思います。
今回のレッサーパンダ騒ぎの中で、日本の動物園は、エンターテインメントが占める割合が大きいと感じさせられました。
もちろん欧米の動物園も観客に動物を見せるということはやっています。見ることを楽しみに来ている人が大多数であるという点においては、日本も外国も違わないと思います。
そして、日欧を問わず動物園の裏方の現場で働いている方々は多かれ少なかれ見せ物というよりは、動物の保護や教育・研究、そして希少種の繁殖などが自分たちの仕事であると考えておられるように思えるのです。それは、また旭山動物園で恐縮ですがホームページの「園長室」にある園長さんの書いた文章を読むと良くわかります。昨日取り上げた副園長さんの考えも同じだと思います。
旭山動物園では、この園長さん副園長さんそして多くの職員がそうした使命感を持った上で、一般の人から見たら「非常におもしろい」さまざまな展示法が開発されました。
おもしろいのだから見せ物である、という思考は短絡的だと思います。旭山動物園の場合は確かにおもしろいという結果にはなっていますが、それは動物たちの行動や生態を調べ上げて、動物たちがリラックスし、ストレスを感じることなくみずから進んで行動してくれるところを見せることができていることが成功の大きな要因だと思います。
動物を科学的に調べた上で、彼らの行動を見せることは科学的であり、教育的であり、さらに動物愛護的なのだという良いことずくめの結果を導き出すことができたのは、旭山動物園が短絡的なエンターテインメントではなく、科学を理解した上でのエンターテインメントを目指して得られた結果だったと思います。
ではなぜ昨日書いたようなバッシングが起こってしまったのでしょう。(ここからは、ちょっと飛躍があるかもしれませんが、)その理由のひとつが科学者と一般市民の間の横たわるコミュニケーション不全があると感じます。
動物園というすばらしい研究・教育そして娯楽機関があります。そこで、働いている人は自分たちは科学的あるいは教育的なプロフェッショナルであると考えている人が多いようですが、市民からみるとただの飼育人くらいにしか思えていないのかもしれません。
そのギャップを埋めることができれば、動物園という存在自体が生まれ変われそうな予感がします。今、立ち上がろうとしている科学コミュニケーター養成ユニットでは、そんなことについての検討や実践ができるかもしれないと、始まる前からの皮算用を初めてみました。
ご意見をお聞かせください。
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by stochinai
| 2005-06-09 16:09
| 教育
|
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2005年 06月 08日
レッサーパンダの酷使:やっぱり叱られた
ワシントン条約指定動物をコマーシャルに使うなど、ちょっと小首をかしげたくなるような直立するレッサーパンダ・ブームですが、あまりのはしゃぎすぎにWWFジャパンが注意を呼び掛ける文書を公表したとのことです(共同通信)。
もともと立つのが珍しくもないレッサーパンダが立ったと言って騒ぎを誘導したあげくに、カメラを持って押し寄せる観客に当のレッサーパンダが調子を崩したという噂も聞きましたが、私たちの国ではどうしてこうなんでも大騒ぎになってしまうのでしょう。
WWFの姿勢は、動物たちに気づかせないで動物を大切にしていくということを訴えているように見えます。
今回の風太君にしても、人々に注目されているということを彼に意識された時点で、ある種の虐待状態になったのではないかと心が痛みます。
野生動物はペットではないのですから、動物園では人との接触を彼らが意識しないですむように気を遣ってやって欲しいものです。
追記:
こうした騒ぎの中で、新しい動物園の姿を提示したとして全国的に有名な存在になった旭山動物園のホームページを見てみると、いろいろと考えさせられることがあります。
トップページ中央に立たずに4つ足で踏ん張るレッサーパンダが配置され、上方に「一連のレッサーパンダに係る意見に行き過ぎた表現があったことをお詫びします」というコメントが載せられています。それをクリックしてしまうと、いきなりお詫びの文章に飛んでしまうのですが、そこをこらえて以下のように巡ぐりに見ていってください。
まず、サイトの中にはゲンちゃんの本音という副園長さんでもある獣医さんのエッセイ集があります。そこで、ゲンちゃんは2週間ほど前にレッサーパンダを『見せ物』にしないでねというエントリーを立てて、最近のレッサーパンダ騒動に警鐘を鳴らしていたようです。
ところが、その中で
>レッサーパンダを「見せ物」にしないでください。
と書いた後で、「動物園」に対する思いというエントリーを立て、
>動物園は「見せ物」ではないと信じています。
と、「なぜに今?」と感じさせるタイミングで、正論を強く宣言しているのを読んで、「あれっ?」と思っていたところ、謎が解けた気がする新聞記事を発見しました。
記事によると「「しょせん見せ物の動物園が『見せ物』とは何事だ」などの抗議のメールが市役所や旭川観光協会に寄せられ、インターネットの掲示板などでも賛否の書き込みが相次いだ」ということです。
その結果としてゲンちゃんは行き過ぎた表現をお詫びしますというエントリーを出さざるを得なくなりました。
しかし、この「お詫び」の文章も動物と動物園に対する熱い思いの伝わってくる格調の高い良い文章だと思いました。今までの発言の中には表現として不的確なところがあったことを認め、そのことについては素直にお詫びをしていながら、彼の考え方は決して譲っていません。
最近、あちこちでちょっと過激な(あるいはまともすぎる)発言があると、それをバッシングするという現象がしばしば起こります。いわゆる炎上ですね。バッシングが起こるには、それなりのきっかけや「原因」があることは事実なのですが、意見として間違っているというものではないことも多いのです。それにもかかわらず、時としてバッシングを終わらせるためだけに「自分の考え方は間違いでした」と表明するという形で事態が収拾されることをしばしば目撃して、悲しい思いをしておりました。
しかし、このゲンちゃん副園長さんはきちんとした文章を書くことで、謝るところは謝りつつも自分の考え方は間違っていないと再度主張しているところが、さわやかだと思いました。
バッシング収拾の仕方として、今後の参考にしたいと思いました。
頑張れ、ゲンちゃん! 頑張れ、旭山動物園!
もともと立つのが珍しくもないレッサーパンダが立ったと言って騒ぎを誘導したあげくに、カメラを持って押し寄せる観客に当のレッサーパンダが調子を崩したという噂も聞きましたが、私たちの国ではどうしてこうなんでも大騒ぎになってしまうのでしょう。
WWFの姿勢は、動物たちに気づかせないで動物を大切にしていくということを訴えているように見えます。
今回の風太君にしても、人々に注目されているということを彼に意識された時点で、ある種の虐待状態になったのではないかと心が痛みます。
野生動物はペットではないのですから、動物園では人との接触を彼らが意識しないですむように気を遣ってやって欲しいものです。
追記:
こうした騒ぎの中で、新しい動物園の姿を提示したとして全国的に有名な存在になった旭山動物園のホームページを見てみると、いろいろと考えさせられることがあります。
トップページ中央に立たずに4つ足で踏ん張るレッサーパンダが配置され、上方に「一連のレッサーパンダに係る意見に行き過ぎた表現があったことをお詫びします」というコメントが載せられています。それをクリックしてしまうと、いきなりお詫びの文章に飛んでしまうのですが、そこをこらえて以下のように巡ぐりに見ていってください。
まず、サイトの中にはゲンちゃんの本音という副園長さんでもある獣医さんのエッセイ集があります。そこで、ゲンちゃんは2週間ほど前にレッサーパンダを『見せ物』にしないでねというエントリーを立てて、最近のレッサーパンダ騒動に警鐘を鳴らしていたようです。
ところが、その中で
>レッサーパンダを「見せ物」にしないでください。
と書いた後で、「動物園」に対する思いというエントリーを立て、
>動物園は「見せ物」ではないと信じています。
と、「なぜに今?」と感じさせるタイミングで、正論を強く宣言しているのを読んで、「あれっ?」と思っていたところ、謎が解けた気がする新聞記事を発見しました。
記事によると「「しょせん見せ物の動物園が『見せ物』とは何事だ」などの抗議のメールが市役所や旭川観光協会に寄せられ、インターネットの掲示板などでも賛否の書き込みが相次いだ」ということです。
その結果としてゲンちゃんは行き過ぎた表現をお詫びしますというエントリーを出さざるを得なくなりました。
しかし、この「お詫び」の文章も動物と動物園に対する熱い思いの伝わってくる格調の高い良い文章だと思いました。今までの発言の中には表現として不的確なところがあったことを認め、そのことについては素直にお詫びをしていながら、彼の考え方は決して譲っていません。
最近、あちこちでちょっと過激な(あるいはまともすぎる)発言があると、それをバッシングするという現象がしばしば起こります。いわゆる炎上ですね。バッシングが起こるには、それなりのきっかけや「原因」があることは事実なのですが、意見として間違っているというものではないことも多いのです。それにもかかわらず、時としてバッシングを終わらせるためだけに「自分の考え方は間違いでした」と表明するという形で事態が収拾されることをしばしば目撃して、悲しい思いをしておりました。
しかし、このゲンちゃん副園長さんはきちんとした文章を書くことで、謝るところは謝りつつも自分の考え方は間違っていないと再度主張しているところが、さわやかだと思いました。
バッシング収拾の仕方として、今後の参考にしたいと思いました。
頑張れ、ゲンちゃん! 頑張れ、旭山動物園!
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by stochinai
| 2005-06-08 20:31
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2005年 06月 08日
NHKえらい!
受信料の不払いをものともせずにNHKが2年連続の増収(毎日)だったとのこと、喜ばしい限りです。
もともとしっかりとした番組を作る力があるのですから、どんどん番組を売っていくようにして収入を増やせば、払いたくないという人からは無理に取らなくても良くなるでしょう。記事によれば今でも、まだ不払いが増えても大丈夫ということですよね。
それどころか、もっともっと良い番組を作り続けていけば、払ってくれる人も増えるでしょう。
いろいろ無理をして中立を保とうとしても、いろんなところから横やりが入ったりすることも多いでしょうから、いっそのことコマーシャルも出せるようにしてはどうでしょう。お金を払った人 はコマーシャルを見なくてもすむようにするとか、デジタル時代になったらいろんなことができるようになります。
そうやって健全な経営を進めて行けば、政治からの独立も勝ち取れるし、大学何かよりもずっと民営化しやすいのではないでしょうか。
少なくとも、NHKは今の日本でもっとも良心的な放送局であることは間違いないのですから、その姿勢を保ち続けながら経済的にも独立できたら、困ったことはすべて解決しそうに思えます。
がんばってください。
もともとしっかりとした番組を作る力があるのですから、どんどん番組を売っていくようにして収入を増やせば、払いたくないという人からは無理に取らなくても良くなるでしょう。記事によれば今でも、まだ不払いが増えても大丈夫ということですよね。
それどころか、もっともっと良い番組を作り続けていけば、払ってくれる人も増えるでしょう。
いろいろ無理をして中立を保とうとしても、いろんなところから横やりが入ったりすることも多いでしょうから、いっそのことコマーシャルも出せるようにしてはどうでしょう。お金を払った人 はコマーシャルを見なくてもすむようにするとか、デジタル時代になったらいろんなことができるようになります。
そうやって健全な経営を進めて行けば、政治からの独立も勝ち取れるし、大学何かよりもずっと民営化しやすいのではないでしょうか。
少なくとも、NHKは今の日本でもっとも良心的な放送局であることは間違いないのですから、その姿勢を保ち続けながら経済的にも独立できたら、困ったことはすべて解決しそうに思えます。
がんばってください。
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by stochinai
| 2005-06-08 20:19
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2005年 06月 08日
大学からのgooブログにアクセス禁止
昨日もそういう時間帯があったのですが、今日もまた大学からのgooブログにアクセスすると禁止(403 Forbidden)が出てしまいます。
Forbidden
You don't have permission to access /riverparade on this server.
Apache Server at blog.goo.ne.jp Port 80
見たいんですけど。
Forbidden
You don't have permission to access /riverparade on this server.
Apache Server at blog.goo.ne.jp Port 80
見たいんですけど。
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by stochinai
| 2005-06-08 13:42
| コンピューター・ネット
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2005年 06月 07日
並木道散策コース
札幌市が毎月出している「広報さっぽろ」という広報誌があります(それにしても、そのまんまの名前ですね^^;)。最近、紙質が落ちたのですが、市は節約しているんだなと思わせられて、私は好意的に受け取っておりました。
広報誌には地域ごとに異なる区民のページというのがあり、東区に住む私のところへは当然東区版が綴じ込まれて届きます。今月号の広報さっぽろの東区のページはひがしく再発見!~歩いて探そう東区の魅力~ということで、東区の町並みを紹介しています。
その中に「1日かけて歩く並木道散策コース」というのが出ているのですが、なんとそれは私が毎日自転車で走っているコースとほとんど一致していたので、ちょっとびっくりしてしまいました。私の場合は、約6.7キロを夏ならだいたい25分で走っています。歩いても2時間弱というところだと思います。
私の場合は、できるだけ短距離で、できるだけ時間がかからなく、そしてちょっぴり景色が良く気持ちの良い道、ということで何年もかけて確定したお気に入りの道だったのですが、そこがなんと東区ご推薦の散策ルートだったとは、、、、!
上にリンクしたpdfファイルをご覧になればわかるのですが、一言ずつ私もコメントを追加してみます。
北大にもっとも近いところから、ABCDと付いているのですが、私の家の近くからご紹介しますので順序は逆になります。
D.パープルロード(伏古拓北通)
私の家から札幌新道を横切り南方へ走り、北24条通りのステーキ・ビクトリアを越えたところに一の村公園という公園があり、そこから始まるフジの並木のある自転車道路をパープルロードと呼びます。ちょうど今フジの花が咲き始めたところで、これからが一年で一番美しい時期の並木です。昨年の台風でポプラなどの大きな木がかなり倒れてしまいましたが、逆に明るくなってフジには良かったようです。
C.伏古公園(伏古1条2丁目)
そのパープルロードの終着点(始発点?)で環状通りにぶつかる手前にある、草野球場、遊園地、テニスコート、大噴水などが揃ったイヌの散歩のメッカが伏古公園です。私はめったに中にはいることはありませんが、決して人であふれることのない静かで落ち着いた雰囲気の公園です。東隣が札幌小学校。
B.環状通のクロマツ並木(国道5号~環状北大橋)
伏古公園から、ホンダのサービスステーション、ホームセンター・ホーマックのあるあたりを右に折れると環状通りです。少し行くと、北海道開拓の父・大友亀太郎をまつった妙見寺があります。隣が良く行く95円ビデオショップ・ゲオ。環状通りの中央分離帯にはツツジやマツがあるのは知っていたのですが、それがクロマツだということは、この記事で初めて知りました。
A.天使病院付近のプラタナス(北12条東3丁目)
スーパー・ビッグハウスを越えたあたり(間違い:ビッグハウスと駐車場の間でした)に南北に走るプラタナスの並木があります。私はこの道はあまり通らないのですが、たとえ通ったとしても今の時期は、天使病院のところまで行ったら右に曲がりましょう。病院を取り巻くように植えられているライラックが真っ盛りなのです。特に北側でちょっと暗めのところのライラックが美しいと思います。
病院を越えて少し走ると創成川、そこで東区は終わり北区へ入ります。北大までは、残すところほんの500メートルです。
こうして改めて見てみると、毎日贅沢なサイクリングをしているような気がしてきました。
追記: 今(8日)確認してきたのですが、プラタナスの並木は基本的に天使病院と天使大学のまわりだけでした。ただし、天使病院の南側の道を北大に向かって進み地下鉄北12条駅にぶつかる道があるのですが、それが北大にぶつかるまでずっとプラタナス並木になっています。なかなかのものです。
広報誌には地域ごとに異なる区民のページというのがあり、東区に住む私のところへは当然東区版が綴じ込まれて届きます。今月号の広報さっぽろの東区のページはひがしく再発見!~歩いて探そう東区の魅力~ということで、東区の町並みを紹介しています。
その中に「1日かけて歩く並木道散策コース」というのが出ているのですが、なんとそれは私が毎日自転車で走っているコースとほとんど一致していたので、ちょっとびっくりしてしまいました。私の場合は、約6.7キロを夏ならだいたい25分で走っています。歩いても2時間弱というところだと思います。
私の場合は、できるだけ短距離で、できるだけ時間がかからなく、そしてちょっぴり景色が良く気持ちの良い道、ということで何年もかけて確定したお気に入りの道だったのですが、そこがなんと東区ご推薦の散策ルートだったとは、、、、!
上にリンクしたpdfファイルをご覧になればわかるのですが、一言ずつ私もコメントを追加してみます。
北大にもっとも近いところから、ABCDと付いているのですが、私の家の近くからご紹介しますので順序は逆になります。
D.パープルロード(伏古拓北通)
私の家から札幌新道を横切り南方へ走り、北24条通りのステーキ・ビクトリアを越えたところに一の村公園という公園があり、そこから始まるフジの並木のある自転車道路をパープルロードと呼びます。ちょうど今フジの花が咲き始めたところで、これからが一年で一番美しい時期の並木です。昨年の台風でポプラなどの大きな木がかなり倒れてしまいましたが、逆に明るくなってフジには良かったようです。
C.伏古公園(伏古1条2丁目)
そのパープルロードの終着点(始発点?)で環状通りにぶつかる手前にある、草野球場、遊園地、テニスコート、大噴水などが揃ったイヌの散歩のメッカが伏古公園です。私はめったに中にはいることはありませんが、決して人であふれることのない静かで落ち着いた雰囲気の公園です。東隣が札幌小学校。
B.環状通のクロマツ並木(国道5号~環状北大橋)
伏古公園から、ホンダのサービスステーション、ホームセンター・ホーマックのあるあたりを右に折れると環状通りです。少し行くと、北海道開拓の父・大友亀太郎をまつった妙見寺があります。隣が良く行く95円ビデオショップ・ゲオ。環状通りの中央分離帯にはツツジやマツがあるのは知っていたのですが、それがクロマツだということは、この記事で初めて知りました。
A.天使病院付近のプラタナス(北12条東3丁目)
スーパー・ビッグハウスを越えたあたり(間違い:ビッグハウスと駐車場の間でした)に南北に走るプラタナスの並木があります。私はこの道はあまり通らないのですが、たとえ通ったとしても今の時期は、天使病院のところまで行ったら右に曲がりましょう。病院を取り巻くように植えられているライラックが真っ盛りなのです。特に北側でちょっと暗めのところのライラックが美しいと思います。
病院を越えて少し走ると創成川、そこで東区は終わり北区へ入ります。北大までは、残すところほんの500メートルです。
こうして改めて見てみると、毎日贅沢なサイクリングをしているような気がしてきました。
追記: 今(8日)確認してきたのですが、プラタナスの並木は基本的に天使病院と天使大学のまわりだけでした。ただし、天使病院の南側の道を北大に向かって進み地下鉄北12条駅にぶつかる道があるのですが、それが北大にぶつかるまでずっとプラタナス並木になっています。なかなかのものです。
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by stochinai
| 2005-06-07 21:17
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2005年 06月 07日
BSE立て続けに19頭目と20頭目
いろんなつまらないニュースの陰でかろうじて報道されてはいるのですが、昨日北海道でBSE20頭目が確定診断されました。
実は先週2日にも、国内19頭目のBSE感染牛が北海道別海町で確認されていたのですが、こちらもほとんど話題に上りませんでした。
アメリカからの牛肉輸入再開に向けて、出したくないニュースなのかもしれません。
これと関係あるかどうかはわかりませんが、今日集中審議を予定されていたBSE対策の参院農林水産委員会は、内閣府食品安全委員会が参考人出席を拒否した事から流会となったとのことです(証券新報)。出席を拒否した2名は、日程の調査ができなかったことが理由と言っているようですが、どうも怪しい気がします。
大丈夫なんでしょうか。
実は先週2日にも、国内19頭目のBSE感染牛が北海道別海町で確認されていたのですが、こちらもほとんど話題に上りませんでした。
アメリカからの牛肉輸入再開に向けて、出したくないニュースなのかもしれません。
これと関係あるかどうかはわかりませんが、今日集中審議を予定されていたBSE対策の参院農林水産委員会は、内閣府食品安全委員会が参考人出席を拒否した事から流会となったとのことです(証券新報)。出席を拒否した2名は、日程の調査ができなかったことが理由と言っているようですが、どうも怪しい気がします。
大丈夫なんでしょうか。
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by stochinai
| 2005-06-07 18:21
| 科学一般
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2005年 06月 06日
ガードレールの金属片は直立レッサーパンダだ
数日前から、ガードレールの金属片についてのニュースが異常な熱気を帯びているようです。今も最新ニュースで2万1千カ所で金属片 「事故だけで説明つかず」 (共同)というニュースがトップになっています。
私はこれについては、昨日や今日に始まったことではなく、昔からどこにでもたくさんあった事例を、新たな発見のごとくに騒ぎ立てるマスコミ公害だと確信しています。
もともと直立することなど珍しくもないレッサーバンダが立っただけなのに、「風太くんが立ちました」とニュースにしたマスコミにつられて、あっちでもこっちでもレッサーパンダが立ち始め、あげくの果てにはキリンやネコまでもが立った立ったと大騒ぎになりました。
まあ、どちらの話題も1週間もすれば冷めてしまうようなものだとは思いますが、日本中で大騒ぎするようなことでしょうか。いずれも昔なら、ローカル・ニュースの埋め草か、地方新聞社が長期取材で調べ上げたルポ程度のものではないでしょうか。(補足:「地方新聞社」に深い意味はありません。コツコツと地道に調べ上げた、というようなポジティブな意味に取っていただけると幸いです。)
ちょっとしたことに、国を挙げて大騒ぎしているのはみっともないだけではなく、我々の社会から冷静な理性が失われているようにも思えて不安になります。
ともかく、小ネタにしかすぎないニュースをを全国のメディアが競って取り上げるのは止めないと、ほんとうにおかしな国になってしまいそうです。
追記:もちろん自転車に乗っていて怪我をした中学生など実害を受けた人達にとっては大きな事件だとは思いますが、いずれも数ヶ月から数年前の事故を掘り返して報道しているようです。やっぱり、今持ち上がったニュースというよりは「あおり」を感じてしまいます。
私はこれについては、昨日や今日に始まったことではなく、昔からどこにでもたくさんあった事例を、新たな発見のごとくに騒ぎ立てるマスコミ公害だと確信しています。
もともと直立することなど珍しくもないレッサーバンダが立っただけなのに、「風太くんが立ちました」とニュースにしたマスコミにつられて、あっちでもこっちでもレッサーパンダが立ち始め、あげくの果てにはキリンやネコまでもが立った立ったと大騒ぎになりました。
まあ、どちらの話題も1週間もすれば冷めてしまうようなものだとは思いますが、日本中で大騒ぎするようなことでしょうか。いずれも昔なら、ローカル・ニュースの埋め草か、地方新聞社が長期取材で調べ上げたルポ程度のものではないでしょうか。(補足:「地方新聞社」に深い意味はありません。コツコツと地道に調べ上げた、というようなポジティブな意味に取っていただけると幸いです。)
ちょっとしたことに、国を挙げて大騒ぎしているのはみっともないだけではなく、我々の社会から冷静な理性が失われているようにも思えて不安になります。
ともかく、小ネタにしかすぎないニュースをを全国のメディアが競って取り上げるのは止めないと、ほんとうにおかしな国になってしまいそうです。
追記:もちろん自転車に乗っていて怪我をした中学生など実害を受けた人達にとっては大きな事件だとは思いますが、いずれも数ヶ月から数年前の事故を掘り返して報道しているようです。やっぱり、今持ち上がったニュースというよりは「あおり」を感じてしまいます。
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by stochinai
| 2005-06-06 18:56
| つぶやき
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2005年 06月 05日
大学院講義 (大学院を出てどうなるか)
明日、大学院生リサーチセミナーという講義をやります。生物科学専攻の大学院担当教員が1回ずつ担当して、大学院フレッシュマン(修士課程1年生)に「私の研究」を語るという企画なのですが、すでに研究を開始してしまった学生達に「こんなにおもしろい研究があります」という話をしても、時すでに遅しという気もしますし、実際にやってみるとわかりますが、学生はそんな話にはあまり乗ってこないものです。
それで私は毎年、「大学院での研究をどのように進めるか」というタイトルで話をすることにしています。
最初に大学院生の置かれた状況と、その予測される将来の話をします。最近は大学院進学をするにあたって少しは将来のことを真剣に考えてから入ってくる人も多くなってきていて、当たり前のことがきちんと行われるようになってきたという意味で、良いことだと思っていますが、大学院も修士課程くらいだと高校・大学へと進学した時と同じように、「そこに試験があるので受かるところを受ける」という感覚で進学する人がまだまだたくさんいるようです。東大や京大の大学院でも、驚くほど簡単に受かるので調子に乗って受かって痛い目を見ている人もいると聞きます。
とりあえず、そういう山登り感覚で大学院へ入ってきた人に、講義の最初には10年後の未来を考えてもらうことにします。シミュレーションのために、自分たちの先輩のことを見てもらいます。
これは2003年に調べたデータなので、ちょっと古いのですが私が大学院の修士課程に入った1973年に北大の大学院理学研究科の動物学専攻に入学した11名は卒業後、2003年時点で国立大学教授3名、その他の国立大学教員3名、公立大学教員2名、私立大学教員2名、高校教員1名となっており、全員が教育研究職に就いています。
10年後の1983年の動物学専攻修士入学8名についても、国公立研究所研究員4名、国立大学教員3名、高校教員1名となって、全員が定職に就いています。
ところがさらに10年後の1993年生物科学専攻(動物と植物が合併されてできました)修士入学19名は、そのほとんどがポスドク・研究生となっており大学教員は技官が1名いるだけでした。32歳でほとんど誰もが定職に就けていなかったということです。
それでは、さらに10年後の2003年に大学院に入った人達の将来はどうなるというところから話を始めたのですが、2005年の今年大学院に入った人たちの将来の展望も、その時より良くなっているということなないでしょう。
このデータを見るだけでも、大学院を出ることで確実に大学教員や独立研究者になれる時代は10年くらい前までには終わっていたということが実感できると思います。その原因は極めて簡単なことで、大学院生および大学院を卒業してから教育研究職へ就くまでの前段階として位置づけられているポスドクの人数が、その後でそれらの人たちを受け入れる職の数に比べて多くなりすぎているからです。
つまり、大学院に入りさえすればなんとなるという時代は終わっているということを自覚することが私の話の出発点です。
ならばどうするかというと、大学院を出てからどうするかというビジョンが必要なのだと思います。それがはっきりしてくれば、自分は大学院で何をすべきかということが決まってくると思います。
残念なことに、現在の理系大学院で学べることは「研究すること」だけと言っても良いのです。そもそも研究者以外を育てる教育システムがありません。将来、研究者になることがはっきりしているならば研究することだけを一所懸命やっていてもなんとかなるのかもしれません。しかし、今は大学院を出た後で選ぶべきキャリアは研究者だけではないのです。逆に、大学院を出たほとんどの人は研究者になれないのです。
そういう現実を踏まえたならば、大学院でただ指導されるままに研究だけやっていても自分の将来にそれほど役に立たないかもしれないということはよくわかると思います。
大学院に入学したばかりの人に冷や水を浴びせるのは不本意なのですが、今から考え始めればまだ間に合うということで、明日の講義をお楽しみ(?)に。
それで私は毎年、「大学院での研究をどのように進めるか」というタイトルで話をすることにしています。
最初に大学院生の置かれた状況と、その予測される将来の話をします。最近は大学院進学をするにあたって少しは将来のことを真剣に考えてから入ってくる人も多くなってきていて、当たり前のことがきちんと行われるようになってきたという意味で、良いことだと思っていますが、大学院も修士課程くらいだと高校・大学へと進学した時と同じように、「そこに試験があるので受かるところを受ける」という感覚で進学する人がまだまだたくさんいるようです。東大や京大の大学院でも、驚くほど簡単に受かるので調子に乗って受かって痛い目を見ている人もいると聞きます。
とりあえず、そういう山登り感覚で大学院へ入ってきた人に、講義の最初には10年後の未来を考えてもらうことにします。シミュレーションのために、自分たちの先輩のことを見てもらいます。
これは2003年に調べたデータなので、ちょっと古いのですが私が大学院の修士課程に入った1973年に北大の大学院理学研究科の動物学専攻に入学した11名は卒業後、2003年時点で国立大学教授3名、その他の国立大学教員3名、公立大学教員2名、私立大学教員2名、高校教員1名となっており、全員が教育研究職に就いています。
10年後の1983年の動物学専攻修士入学8名についても、国公立研究所研究員4名、国立大学教員3名、高校教員1名となって、全員が定職に就いています。
ところがさらに10年後の1993年生物科学専攻(動物と植物が合併されてできました)修士入学19名は、そのほとんどがポスドク・研究生となっており大学教員は技官が1名いるだけでした。32歳でほとんど誰もが定職に就けていなかったということです。
それでは、さらに10年後の2003年に大学院に入った人達の将来はどうなるというところから話を始めたのですが、2005年の今年大学院に入った人たちの将来の展望も、その時より良くなっているということなないでしょう。
このデータを見るだけでも、大学院を出ることで確実に大学教員や独立研究者になれる時代は10年くらい前までには終わっていたということが実感できると思います。その原因は極めて簡単なことで、大学院生および大学院を卒業してから教育研究職へ就くまでの前段階として位置づけられているポスドクの人数が、その後でそれらの人たちを受け入れる職の数に比べて多くなりすぎているからです。
つまり、大学院に入りさえすればなんとなるという時代は終わっているということを自覚することが私の話の出発点です。
ならばどうするかというと、大学院を出てからどうするかというビジョンが必要なのだと思います。それがはっきりしてくれば、自分は大学院で何をすべきかということが決まってくると思います。
残念なことに、現在の理系大学院で学べることは「研究すること」だけと言っても良いのです。そもそも研究者以外を育てる教育システムがありません。将来、研究者になることがはっきりしているならば研究することだけを一所懸命やっていてもなんとかなるのかもしれません。しかし、今は大学院を出た後で選ぶべきキャリアは研究者だけではないのです。逆に、大学院を出たほとんどの人は研究者になれないのです。
そういう現実を踏まえたならば、大学院でただ指導されるままに研究だけやっていても自分の将来にそれほど役に立たないかもしれないということはよくわかると思います。
大学院に入学したばかりの人に冷や水を浴びせるのは不本意なのですが、今から考え始めればまだ間に合うということで、明日の講義をお楽しみ(?)に。
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by stochinai
| 2005-06-05 23:59
| 大学・高等教育
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2005年 06月 04日
帰札 (札幌も雨)

仙台空港を夜8時に出る札幌便は、この空港としても最終便なのでしょうか。すっかり寂しい感じでした。
#そう言えば、飛行機は満員で中には明らかにコンサドーレつながりを感じさせる乗客が、かなり乗っていたように感じました。みんな静かだったけど、、、、。
千歳に付いた時には気温が10℃くらい。久々の冷気はとても気持ちの良いものでした。そのまま、9時半千歳発のJRエアポートエクスプレスで札幌へ。10時半頃には、もう大学です。
大学へ戻ってみると、なんだかざわついています。そうでした、大学祭の最中なのでした。例の、アルコール抜きの大学祭です。10時までに店じまいするようにという指導も入っていたはずですが、若者らしく(?)逆らっている人もいるみたいです。
小雨の中で、すでに店じまいしたテントも多い中、理学部横ではブルーグラスのライブで盛り上がっていました。英語もうまく、楽器演奏も歌も意外と上手なので思わず顔を確認してしまいましたが、正真正銘日本の学生風でした。
まあ、アルコールなんてあってもなくても(売ってないだけで、ないとは言えませんが)、楽しむことはできるはずなので、それはそれで問題はありません。
明日は最終日。この闇の中で、何人かの学生は夜を徹して人生を語っていて欲しいと思うのはつぶやきおやじのノスタルジーってやつですね。
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by stochinai
| 2005-06-04 23:18
| つぶやき
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2005年 06月 04日
仙台便り 5 (ユネスコ)
仙台も今日までです。今日も雨。これが梅雨ってものなのですね。(実は、昼過ぎには日差しもあったりしてました。そして夕方には、小規模な夕立のようなパラパラ雨。この不安定さが梅雨ってものなのでしょうか。)
さて、昨日のそぞろ歩きで晩翠草堂の奥に発見した世界的エポックを記録した標識です。書いてあることは、ほんとうのことなのでしょうが、内容のすごさと表示され方の貧弱さとのギャップに、しばし考え込んでしまいました。

気を取り直して、雨に咲く花、その2です。

さて、昨日のそぞろ歩きで晩翠草堂の奥に発見した世界的エポックを記録した標識です。書いてあることは、ほんとうのことなのでしょうが、内容のすごさと表示され方の貧弱さとのギャップに、しばし考え込んでしまいました。

気を取り直して、雨に咲く花、その2です。

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by stochinai
| 2005-06-04 08:20
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