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実力と評価

 ライブドア問題は発生数日にして語り尽くされてしまったような気がします。テレビや新聞の報道を見ている限りは、情報が小出しにされているだけでイライラするかもしれませんが、ネットを丁寧にあさるとほぼ結論に近いものが探し出せると思います。

 もちろん、ネットでは虚実取り混ぜた情報が並立的に提示されており、それが膨大な量のマスコミ情報のコピーと極私的感想の中に埋もれているのがインターネットの特質ですので、そこからどうやって確からしいストーリーを取り出していくのかというリテラシーがないと、かえって混沌の中に投げ出されることになってしまいます。今回の「事件」はいわば我々に課せられた練習問題と言えるかもしれません。

 そんな中で珍しくテレビのライブ・スタメンの中で爆笑問題の太田光が青臭いとも言える正論を強調していたのが、なんとも新鮮でした。彼が言っていたのは、投資というのは自分が評価して、これならいけるという判断をした会社の株を買うということで、それは株の値段が上がった下がったということとは関係ないだろう、ということです。

 私もこれは理念的に正しい定義だと思いますが、株の売買を金儲けのための行うという立場からいうと全然違うのだと思います。株の売買によってできるだけ確実に利益を上げようとする場合には、会社の実力や評価などよりも現実に日々の株価がどういうふうに動いているかが問題で、会社の実力の評価などは二の次、さらに極端にいうとそんなものは関係ないとさえ言えます。

 そういう立場で行われる株式取り引きがいわゆるマネー・ゲームで、ホリエモンがやっていたのはまさにこのマネー・ゲームだったのにもかかわらず、マスコミや自民党はついこの間まで、これこそ新しい時代の起業であり企業のあり方だと持ち上げていたということでしょう。今回の事件があっても、その状況が変わるとは思えません。

 実は科学の世界でも同じことが起こっています。

 今は昔の話になりましたが、科学者はその研究を理解できるほんの一握りの人によってのみ評価されており、暗黙ではありましたが誰がすごくて誰がダメかということは仲間うちでは評価が定まっていた時代がありました。その頃、実力と評価は直結していたと思います。

 その頃ももちろん研究者は研究をして、その結果を学会や論文に発表し、その内容を評価できる人によってランキングされていました。論文は、それぞれの研究分野ごとの小さなグループの内部でのみ流通している小さな学術誌や、大学の学部ごとにだしている紀要と呼ばれるものに発表されることも多かったのですが、どんなところで発表されようと世界中にいる同じ分野の研究者には配布されましたので、何も不都合はありませんでした。場合によっては、学会や論文発表をしなくても「あの人はすごい」というような評価を受けている例もありました。

 仲間うちで評価が高いからと言ってその人にだけ集中的に研究費が投入されるということもあまりなかったのかもしれません。もともと、研究というものに投入される費用が小さかったので、評価の高い研究者に研究費が傾斜配分されたとしてもたかがしれていたという状況もあったと思います。それが、最近は科学研究が産業に直結するケースも増えてきたこともあり、政府から投入される研究費が増加してきました。

 政府としては膨大になってきた研究費を重点的に配分して、効率よく成果を回収したいという考えているようです。そのために評価の高い研究者に研究費を配分することが必要になってきました。しかし、その評価が難しいのです。分野毎に専門家によってきちんと評価ができれば良いのですが、学問分野は気が遠くなるほど多く、さらに日々広がっています。

 そういう中で、非専門家である政府などがに研究者の「実力」を客観的に判断する基準として、国際的学術専門誌に掲載された論文を利用するという流れが出てきました。この基準を導入することで、それまで生物学系の論文の発表の場として広く利用されていた各大学独自で出版していた紀要や、多くの国内学会誌は「評価を受けるための」研究発表の場としては適さないという状況になってしまいました。あるものは休刊や廃刊に追い込まれ、そうでなかったとしても「重要な論文」を発表することが避けられるようになっているのが現状です。

 これは、研究がその内容(実力)ではなく、それが発表された場の評価(株式相場で言うと株価に当たる)されるということです。このシステムによると、評価の高い雑誌に論文が掲載されることが研究費獲得と結びついてきますから、研究費の欲しい研究者はともかく有名な学術雑誌(NatureやScience)に論文が載ることが至上命題になります。

 その結果として起きた不正行為が、韓国のES細胞スキャンダルや日本の論文ねつ造スキャンダルです。バブル長者が株価を操作するために会社の業績を操作するのと同じように、彼らは有名雑誌に掲載されるためにデータを操作したのです。つまり、科学の世界の論文ねつ造は株価の不正操作とよく似た構造をしていると思います。

 金に踊らされるという意味においては人間である限り、みな同じなのかもしれません。必要なのは正しくオープンな業績評価システムと、会社であれ研究であれデータ偽造やねつ造などを監視するシステム、それと「人間は金だけではないはずだ」という倫理観を持った人間を育てる教育システムではないかと思いますが、いずれも簡単なことではないですね。
by stochinai | 2006-01-22 23:28 | 科学一般 | Comments(11)
 ウソと疑惑が飛び交っているこの国では、まともな対応だったとしても胡散臭く感じられるようになってしまったのかもしれません。

 輸入を再開したばかりの米国産牛肉に、日米合意の上除去が義務づけられていた背骨(BSEの原因とされるプリオンが骨の中の脊髄に蓄積)が混入しているのが発見されたことで、政府は発見から数時間後に米国産牛肉の輸入を全面的に禁止することを決めました。昨日の午後、数時間で起こったことです。

 私も基本的にはこの判断を支持したいと思うのですが、あれほどまでに無理をして輸入を再開した経緯があったにもかかわらず、あまりにもあっけないほどの素早い禁止措置になんとなく釈然としないものを感じました。

 例えば、日米政府はアメリカの牛肉処理過程を知っていて、アメリカで売られているものと同じものが日本に送られてくるということも知っていながら、日本に送る肉は特別に注意されているものだということにして輸入を再開をしたということはないのでしょうか。さらに、日本政府お得意の日米密約もあったんじゃないでしょうか。

 背割りという脊髄をノコで縦に切り裂くというアメリカの牛肉処理過程から考えて危険部位の混入は絶対に避けられないことを認識していながら、BSEのプリオンが混入するのはどうでもいいから(避けることはできないから)、ともかく日本向けの牛肉からは証拠になる背骨だけは取り除いて送れ、というふうにアメリカの国内業者を指導していた可能性が高いのではないかというのが、私の推測です。

 アメリカの業者にしてみれば、背割りをしてもいいのだったら脊髄の内容物はたっぷりとどの肉にもかかっているわけですので、そこから背骨を除こうがついていようが同じだと思うはずです。というか、私もそう思います。その上で、理由はどうでも良いから背骨だけ抜いて製品にしてくれ、と言ったところで業者にしてみれば不要な手間が増えるだけのことをやるのに気が進まないことは理解できます。

 アメリカのほうでも、業者が手続きをおろそかにしたとか言って、特定の業者の責任にしてその業者をはずしたら輸出再開したいというようなことを言っているのですが、日本国民の不信感をぬぐうことはできないかもしれません。

 除去する約束の背骨を入れてくるような相手が、20ヶ月以内の若いウシの肉だと言って35ヶ月のウシの肉を送ってこないと、誰が思うでしょう。

 折りしも、耐震偽装事件や、株式偽装取り引き事件、と日本中が嘘つきだらけであるかのような事件で揺れ動いていますので、またまた嘘つきの牛肉偽装かと思うのが普通の反応というものだと思います。

 そう考えると、耐震偽装マンションに対して国が早々に支援を打ち出したということも、何か隠そうとしていることがあることの証拠ではないかとも思えてきます。

 腰が重いと責められる、さりとて早すぎても疑われるし、政府って大変ですよね。でも、そんなに大変なのに、選挙違反をしてまで国の運営をしたがる人が多いのは、やっぱりそこにも隠された甘い汁があるということなんでしょうね。

 正直者はいないんでしょうか。
by stochinai | 2006-01-21 17:41 | つぶやき | Comments(5)
【追記】
 時事を考えるブログで、ブルーバックス4科目分まとめて書評が出ております。是非ともご参照ください。

【本文】
 1月20日の予定でしたが、昨日19日に更新された講談社BOOKS倶楽部のブルーバックス・ページにはすでに新刊として載っています。一部には21日発売という情報もありましたが、私のところへも昨日19日に実物が届きました。そろそろ店頭に並び始めていると思います。

 講談社ブルーバックス「新しい高校生物の教科書」が「新しい高校化学の教科書」と同時発売になりました。

 出版に参加させてもらって良くわかりました。やはり、講談社ブルーバックスは並みの本ではありませんでした。私は今までにも、一般の方を対象にした生物学関係の日本語の文章は何度か書いていますが、複数の著者で書く本の編者になったのは初めてでそれはそれで大変でしたけれども、それに加えてこれほどまでに読者を意識させられて何度も何度も書き直した(直させられた)ことも初めてでした。

 私が単行本や定期刊行物に書いたことのある生物学関連の日本語の文章が、特に金銭的契約を伴わないボランティア的なものである場合には、これこれこういう対象に対して、こんなような内容に関連したものをお書きくださいと依頼されることが多く、その場合にはこちらが書いたものはなんのチェックも受けずにそのまま印刷に回されることが多かったと思います。ゲラのチェックすらないこともあり、いわば書き捨てのような状態と言えます。

 専門の研究について書く場合もほぼこのパターンです。こちらは必ずゲラが伴いますが、ゲラのチェックは著者に任されます。複数の著者で書く場合には編者がいることもありますが、多くの場合は著者を選定することくらいしかせず、原稿のチェックがあることの方が例外的です。

 原稿依頼という形で原稿料が発生するものでも、専門の研究に関連した内容のものを頼まれる場合には、ほとんど原稿のチェックは受けません。原稿を依頼される時に、高校生が読んでもわかる程度の言葉と言葉遣いをお願いします、というような程度の「規制」をかけられることはありますが、それとて厳密に守ることが要求されるわけではなく、かなり自由が保証されます。

 実は、私が今まで書いてきた日本語の文章はほとんどすべてがこうしたものであり、原稿を細かくチェックされるというような経験をしたことは事実上ありませんでしたが、2年ほど前に複数の著者で書いた「ヒトの遺伝の100不思議」の時には、著者同士でかなり厳しく査読と批評をし合った記憶があります。思い返せば、出版社の編集の方からも日本語としておかしいところや、想定する読者のレベルでは理解されないあるいは誤解を招くような表現を指摘されいろいろと勉強になった記憶はありますが、それとて今回ほど厳しく指導された記憶は残っていません。

 「新しい科学の教科書」の中学校版の大成功を受けて、左巻さんが高校の教科書と小学校の教科書も検定外で作ることを提案して、高校はブルーバックスで物理・化学・生物・地学の4冊を出そうということになったのが、もう3年も前のことになります。当時、高校の学習指導要領も変わり、その3年後には新しい学習指導要領で教育を受けた高校理科の基礎ができていない学生が大学に入ってくる「2006年問題」への対応ということもあり、学習指導要領に基づいた検定を受けない「教科書」の存在意義は大きいと思っていました。名前は「高校教科書」ですが、私としては大学にはいってから、あるいは社会に出てからでも学び直しをするために使えるものを作りたかったのです。

 左巻さんのプロジェクトですから、例によって著者は公募ということになりました。私は、中学校教科書の時には検討委員として生物系分野の原稿査読に強力させていただいていたのですが、高校の教科書ならば書けそうだと思い応募しました。著者に応募する条件として、教科書全体の構想を求められていた記憶があり、私は今でも念仏のように唱えている「進化を縦糸に、多様性を横糸に」体系化した生物の教科書を作りたいと提案したところ、左巻さんからお前は編者もやれと言われて今日に至ったというわけです。それから3年経ってようやくの出版です。

 話をもとに戻しますが、ブルーバックス高校生物の編集を担当してくださったのが、講談社のTさんと今は社外嘱託で元講談社社員のNさんのコンビでした。お二人とも分野によっては我々著者よりも生物学に造詣が深く、もちろん中学生程度のリテラシーで読み解ける文章を書くという点においては文字通り我々を指導する立場になる方です。このお二人に担当していただいたことは、生物班にとって幸運だったと思います。

 お二人は、あくまでも著者である我々の立場を(必要以上に?)尊重しながらも、毅然としてしかしとても根気強くダメ出しを続けてくれました。これが、この本が今日店頭に並ぶようなしっかりとした形にでき上がった原動力だったと今でも確信しています。本を作るに当たって「これが本当の編集だ」というものを見せていただき、感動するとともにとても勉強になりました。

 不思議なご縁があったのか、私の文章作法の先生でもあったNさんは今CoSTEPの特任教員として私の同僚になり、私をしごいてくれたライティングを中心に受講生を指導、活躍しておられます。考えてみると、確かにブルーバックスは昔からサイエンス・コミュニケーションを実践しているメディアですから、ブルーバックスの編集をやっておられた方がCoSTEPに加わるということはきわめて自然なことでもありました。そうした縁もあって、CoSTEP第一期終了を記念して行われるシンポジウムにはブルーバックス編集部の部長さんにも来ていただける予定になっています。

 あとはこの本を一人でもたくさんの方に読んでいただけると、とてもハッピーです(^^;)。もちろん、ご批判・ご意見を歓迎いたします。

#実は、このようなことを「まえがき」か「あとがき」に書いておきたいと思っていたのですが、4教科の統一性を持たせるということで、その機会を逸してしまいましたので、ここに記して関係者へのお礼としたいと思います。著者の皆さまをはじめ、たくさんの方にお世話になりました。本当にありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
by stochinai | 2006-01-20 22:26 | 教育 | Comments(6)
 昨日のエントリー「豪雪地帯」に、ハニーmさんという方からコメントを頂きました。豪雪地帯への直接のコメントというより、インターネット・コミュニケーション全体への問題提起だと思いましたのと、コメント欄に留めておくにはあまりにももったいないご意見だと思いましたので、ここに再掲させていただきます。(改行位置を変えさせていただきました。また、一カ所句点を追加しました。)

 初めて投稿させて頂きます。緊迫したテーマの続く折、遡るようで恐縮です。

 sarasara304さんのブログに「民意の階層化」への危惧を少しコメント致して以来、補足したいと思いながらまとめられず、「源」を辿ってまいりました。
 
*自然の河川と人工のパイプライン
 昨年、ある業務を通じて、市民と行政が同じテーブルにつき「合意の形成」を図る過程を見続け、「砂金採り」のイメージ、「生成流転」の言葉が浮かびました。ゆく川の流れ、無数の砂粒のような民の声、すくい取る忍耐と繰り返し……
 
 インターネットに拠らないコミュニケーション、情報伝達を自然界の河川に喩えてみます。何者かが汚染物を撒いたとして自浄作用があると思います。土木工事等で思いどうりにしようとしても予測できない事態が発生し、自然を完全・完璧に征服することは不可能でしょう。(独裁体制は「自然」とは言えず…)民は、何かに「参加」しなくとも、ただ「存在」しています。
 
 ブログは人工のパイプラインを流れる水。経済的な関門を通り、管理・制御された中での「自由」の気がしてきました。攻撃・破壊に対してガードや修復の措置は取れますが、「自然界」のような身を守る場はあるでしょうか。非力な民は、ごく普通の雑木林、野原に紛れている方が安全かもしれません。
 
 決してブログやインターネットを否定するつもりではないのです。私にとって有用な楽しみのひとつです。知識不足で杞憂が生じているようです。拙い表現の意をご理解頂けましたら幸いに存じます。

 sarasara304さんのブログにコメントされたというのは、「市民って?」というエントリーに寄せられたamfkさんからのコメントのことです。

 sarasaraさんは、amfkさん(=ハニーmさん)のコメントにインスパイアされる形で、私がCoSTEPの演習で出した課題「ブログではできないこと」に対して「いまさらですが、ブログ演習の課題に焦ってみる」というエントリーで、かなり充実したブログ・コミュニケーションに対する論考をなさっています。

 ハニーmさんが昨日書かれたコメントは、その議論の流れの中から出てきたものだと思います。表現が比喩的で私がうまく意図するところを読みとれているかどうか不安はありますが、この人工的に作り出されたインターネット空間で行われているコミュニケーションに、我々が普段あまり気がつかない危険や落とし穴があるかもしれないことに警鐘をならされているように思えました。

 確かに、人工的に作り出されたまだまだ未熟なコミュニケーションの手段であり、おっしゃるように参加している人間としていない人間の間にはっきりとしたディバイドを生んでいますし、ネット空間の中における無頼な論者の存在もまた事実だと思います。

 しかし私は、そうしたこともすべて認めた上で、今はこの手段が我々に与えてくれるであろう可能性をとことん突きつめてみたいと思っています。正義を行うために使われて有効な武器は、同じように悪を行う場合にも恐るべき凶器にもなり得ます。

 この武器を使って、正義が行われるのか悪が行われるのか、ほんの短い人類の歴史ではありますが、我々は今また試されているのではないでしょうか。

 つたない議論で申し訳ありませんが、今回はハニーmさんの投稿を保存するという意味もあってエントリーを立てておきます。
by stochinai | 2006-01-19 21:25 | つぶやき | Comments(2)

今朝も大雪

 昨日の朝も除雪してから出勤したのですが、一日経って今朝までにまたかなり積もりました。

 これは昨日と同じ写真ですが、2週間前の風景です。
今朝も大雪_c0025115_21244165.jpg

 この写真とほぼ同じアングルで撮った今朝7時頃の風景です。西の空がちょっと朝焼けっぽいです。
今朝も大雪_c0025115_16255989.jpg

 4日前の日曜日に屋根の雪はすべて落としましたので、下の写真でガレージと物置の屋根に積もっている雪が、月曜日から今朝までの積雪量です。今日もまた降ったので、現時点ではもっと厚くなっているはずです。

 見るとわかると思いますが、屋根にあった雪の3分の2くらいは、こちら側の花壇の領域に落としました。それでガレージのこちら側にある融雪機用の200リットル入り灯油タンクとその左側に見える「虚無僧」のように傾いているアジサイがほぼ見えなくなっています。

 今週はまだ降りそうということなので、また2週間前と同じような状況になるかもしれません。文字通り、すべてが雪に埋もれてしまいます。

 例年ならば、これからが大雪の本番の季節ですから、まだまだ油断できません。
by stochinai | 2006-01-19 17:25 | 札幌・北海道 | Comments(2)

豪雪地帯

 今シーズンの雪による死者が100名を越えているというニュースが、かき消されてしまうほどたくさんの大ニュースで騒がしい日本です。新潟や富山や秋田、山形などなど日本海側で大雪に襲われている地方の方々のことを考えると、こっちが不平や不満をいうのは申し訳ないという気持ちが先に立つのですが、こちらも毎日極低温の真冬日が続くとともに雪も降り続いています。

 この写真は2週間前の我が家のガレージ、物置、カーポート(家に隠れていてほとんど見えません)の様子です。そろそろ、屋根の雪の重みで構造物が危険になりそうな予感がしてきたので、このあと2週間かけて(つまり15日の日曜日にようやく)すべての雪を下ろし終わりました。
豪雪地帯_c0025115_21244165.jpg

 なのですが、月曜日から雪が降り続いており、また1-2週間すると元に戻ってしまうのではないかと不安です。

 幸いなことに気温が低いので、雪がそれほどかたまらず本州の雪ほど重く恐ろしい凶器にはならないのが、こちらの雪の特徴です。

 しかし、その低温が災いして道路の雪が固まらずあちこちで車が雪に埋まって動けなくなってしまうのが最近の特徴です。重たい車ほど、自重によって道路の雪を崩し、どんどんと埋まってしまうので恐ろしいです。

 主要道路は除雪がしっかりされているので問題は少ないのですが、昨年までは10センチの積雪があったら除雪車が出動していたものが、自治体の経済状態が苦しいことから、今年からは15センチの積雪がないと出動しないというルールになりました。といわけで、去年に比べると非主要道路の除雪状態は圧倒的に悪いです。

 その結果、裏道は車が通れないという状況になっておりなかなかつらいものがあります。今週の気温ははおそらくまったくプラスにならないという予報が出ておりますので、この道路のグズグズ状態はしらばく続きそうです。

 せっかく昨年、交通事故死日本一を返上したばかりなのですが、今年になってからすごいペースで事故が起きているようです。

 車も歩行者も気をつけましょう(もちろん、自転車も^^;)。

 極寒・豪雪の札幌からお送りしました。
by stochinai | 2006-01-18 21:36 | 札幌・北海道 | Comments(10)
 泉あいさんのGripBlogは暖かいです。暖かくて熱いです。

 誰しもがこれでもかというニュース責めでうんざりしている昨日から今日の日本で、いったい何が我々が知りたく重要なニュースなのでしょうか。今日のエントリーはそういう現状にうんざりしながらも、希望の呼びかけ「トップニュースを自分たちの手ででした。

ライブドアの強制捜査に、耐震強度偽造問題でヒューザーの小嶋社長の証人喚問、連続少女殺人の宮崎勤被告の最高裁判決、阪神大震災11年目と、どのニュースも人々の関心は高いと思います。

 それはそうですね。でも、集団ヒステリーのように国中が同じニュースに振り回されている姿はやっぱり何か変です。ニュースは、NHKや朝日新聞が作るものではなく、政府や企業が作るものではなく、ましてや検察の特捜部が作るものではありません。

 それぞれの人に大切なニュースはみんな違うはずです。

 「今日のトップニュースはこれです」と、テレビや新聞が言うがままに受け取らざるを得ずフラストレーションがたまり、おまけにそうして与えられたニュースがニュースの名に値しないとんだ作り話ばかりだったとしたら、そんな報道が滅びるのは歓迎以外のなにものでもありません。

 泉あいさんの提案に強く共感します。

今、取り組んでいる報道サイトでは、ユーザー自身が、トップニュースを選ぶシステムにしようと思います。

 うれしいです。

 しかも、けちくさく数日でニュース記事がなくなってしまう大手マスコミの今のニュースサイトと違い「リンク切れはせずに、アーカイブに蓄積されるようにするので、古いニュースであっても、ユーザーが関心を持てばトップニュースになる」と、ニュースサイトでありながら、スローでロングテールで双方向的な報道が保証されるサイトの構想ができあがっているようです。

 さらに、我々が日々つぶやいているこのブログ・コミュニティにも反応してくれるプロのジャーナリストが参加し、我々からの要望が正当なものであった場合には取材までしてくれるという、まさに夢の報道組織が構想されています。

 「あとは、お金だけというところまで」来ていると、考えようによってはもっとも厳しいところが残っているようにも取れる結びになっていますが、泉さんが感じておられるようにあとはお金だけです。たかがお金だけなんです。泉さんに共感する人達にはとてもクレバーな方がたくさんいますから、この仕組みの中にお金を流し込むしくみもきっと構築されると確信しています。

 私はお金もあまり持っていないし、ジャーナリストでもありませんので、泉さんのプロジェクトを強力に支えることなどできませんが、このプロジェクトが立ち上がることを強く望んでいますので、参加型の読者として是非とも加わらせていただきたいと思います。

 八方ふさがりの日本の今のマスコミ状況に、こんなさわやかな風を吹き込ませることのできる泉さんがいるだけでも日本はいい国だと思えます。

 みんながほんの少しずつ力を出し合えば、我々の希望でもある泉さんの夢はきっと実現すると思います。

 なんだか力がわいてきませんか。
by stochinai | 2006-01-17 23:28 | つぶやき | Comments(7)

ライブドアの強制捜査

 おかしなことがおかしなタイミングで起こった場合は、やはりその裏を考えるのが妥当なのではないでしょうか。

 明日はヒューザーの小嶋社長に対する証人喚問が予定されています。この事件のせいで、そちらに対する報道の量も質も低下することは間違いないでしょう。

 そもそも、証券取引などというものが実体を伴わないバーチャルな存在に値段を付けて取り引きするというものである限り、その取り引きが「錬金術」と言われるようなきわどい情報戦を伴うことは周知の事実なのだと思います。

 そうした戦争にルールを持ち込むということ自体が、私から見ると滑稽なことに思えます。

 「インサイダー取り引き」とか「風説の流布」とかが実は証券取引戦争の実体であるにもかかわらず、そうしたことを「禁ずる」という法律を作っているということは、逆にいうならば法律を運用する側(権力、検察、警察)が取り締まったり、見逃したりすることをかなり恣意的にすることを許すという構造になっているのではないでしょうか。

 このままで行くと、明日の証人喚問はほとんど注目されることなく終わってしまう恐れがあります。

 こうして見ると、ホリエモン・ライブドアという存在は、味方に付けることもでき、悪役に仕立て上げることもできるという、現政権にとって願ってもなく重宝な世論操作の道具になっていることがわかります。

 殺人事件や事故の捜査ではないのです。何年も前に起こった「事件」の捜査を、「証拠が隠滅される」という名目で今日行う必然性はほとんどないと思います。

 今日やったということに対する政権側の裏の目論見を冷静に見つめ続けなければならないと思います。

 道新を恐喝した道警や、「国家の罠」を書いた外務省の佐藤優さんを逮捕したり、今回のヒューザーの証人喚問を妨害するような東京地検の行動を見ていると、この国はどんどん真性の警察国家になりつつあることを感じます。

 最後のチャンスになりそうな今、そうしたものをチェックをする仕組みを作っていかないと、我々はみんなこのトラップにはめられてしまうような気がします。
by stochinai | 2006-01-16 22:39 | つぶやき | Comments(6)
 ようやく借りられるようになったDVDで「モンスター」を見ました。最近の映画界では引っ張りだこのの人気女優になったシャーリーズ・セロンが一皮むけたということで評判をとったアメリカの実話映画です。

 もちろん、基本的にはスリム美人のシャーリーズ・セロンが、明らかに太めと言えるまで太り、顔も元が良いですからよく見ると美人であることは隠しきれないとはいうものの、ちょっと見には明らかに場末の飲み屋のおばさんというところまで不美人なれています。美人ではない人間を演じている美人女優というレベルを越えて、パッと見ると醜いところまで「演じ」られているところが、彼女が並の女優とひと味違うことの証明なのだと感心しながら見ていました。

 アダムズ・ファミリーで名子役だったクリスティーナ・リッチもどんどん変わっていますね。この映画の前に彼女を見たのは「胸に残るは君の歌声」だったような記憶がありますが、そのころから見ても大きく成長したと思います。大人になった未熟児という雰囲気は漂わせていますが、彼女も着々と本物の女優になっていることが感じられました。

 しかし、この映画を見ながら感じていたのは彼女らのすごさだけではなく、弱者が武器を持った時に起こるであろうことの問題です。

 娼婦が「客」の理不尽な要求や身勝手な行動などに、「殺したい」と思うことがあってもまったく不思議はありません。DV被害者が加害者を殺したいと思うことがあっても当然だと思います。

 そういう状況では、暴力的な力が強い方が弱い方に向かって一方的に理不尽な抑圧をかけることが多いのではないでしょうか。つまり、もしもそういう状況において暴力的な力が均等あるいは逆であるならば、そうした被害を受けずにすむということになります。

 その場で、弱い人間がその暴力的力を破ることのできる武器を手にしたらどうなるでしょうか。ナイフや銃を持っていることを知ったら相手が暴力を振るうことの抑止力になるかもしれませんが、暴力が振るわれた女性がその事後に銃を手にすることができたとしたら、その引き金を引くことを否定できる積極的根拠があるとは思えません。

 この映画は実話を元にしているということのようで死刑執行を受けた人間が主役なので、中には明らかにシャーリーズ・セロンが演じる役の人間に正当な理由がない殺人もあったように描かれていましたが、真実はわからないと思いました。

 一般的に言って、二人の人間が対峙するときには、社会的位置関係をはじめとして常に力の差がある状況のほうが普通だと思います。その時にお互いが「平等な」一人の人間として向かい合うということはとても難しいことだと思います。

 もちろん、すべての人は同じではないのですから、絶対に「同等な」人間などはいるはずがなく、わかりやすい男と女という性別をはじめとして、背の高さ、筋肉や脂肪の付き方、容貌の美醜、着ているもの、持っているお金、年齢、学歴、さらには持っている武器等々を考えると、すべての人間は異なる個性を持っています。

 しかし、その個性が個人の優劣を決めているものではないというのが民主主義というものであり、すべての人は人間として平等だと教えられて育ってきた人間が、いきなりお金や暴力的強さに屈服させられる状況に置かれた時に、例えようもない不条理を感じ相手を殺したくなるという気持ちに大きな違和感は感じられません。

 そういう意味で、虐げられたものに武器を持たせるということは、ある種の民主主義的バランスを保障するものという議論も成り立ちうるのだと思います。その結果、不幸なことが起こるのは権力を持ったものがその権力を「正しく」運用しなかった結果の自業自得という側面があるということになります。

 この議論はいくらでも拡張することができるのは、この世の中というものがいかに理不尽に「力」が不均等に分布しているかということの裏返しです。

 虐げられた人がたくさんいる社会に武器が広まるとどんなに恐ろしいかということは、武器をとる側に「正義感」があるということに理由があると思います。そして、残念ながら今の日本という国では、市民の間に武器が広まるととんでもない状況になるだろうと思われるほど理不尽が蔓延していることが不気味でなりません。
by stochinai | 2006-01-15 23:58 | つぶやき | Comments(3)
 今朝の朝日新聞を読んでちょっとドキッとしてしまいました。
北海道新聞がおわび 「道警の泳がせ捜査失敗」記事

 実は数日前から、さらに遡れば去年の暮れからいろいろな噂が流れていたからです。おそらく最初の暴露記事が12月7日のこれだと思います。
道警が、裏金問題報道を逆恨みし、北海道新聞社長逮捕を臭わせ恫喝!?

 道新が道警に脅されて、道警裏金追求問題で記事のねつ造があったことにされるかもしれないという危惧を持っていたようです。しかし、その後に続編が出た以下の続編によると、道新幹部に腐敗はあるものの、道警追求の記者達を陥れるようなことはできなさそうだという雰囲気のことが書かれています。
道警による北海道新聞社長逮捕説のその後

 これによると、「裏金報道に関わった記者の受賞返還、さらには左遷といった事態、一方、道警側では、本気で社長等を特別背任容疑で捜査(そうしろといっている幹部は実際に存在する模様)に動いているという最悪の事態には、少なくとも、いまのところなっていないようである」と状況を楽観視しているようです。

 ところが、一昨日情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士さんから檄文が飛んできました。
北海道新聞が危ない…ついに道警に謝罪か?怒れ560万道民

 これを受けて、泉あいさんも歯がゆい思いを書いておられます。
北海道新聞と北海道警察

 そして、もちろん道民の一人としてkamiyam_yさんも反応されています。
道警のさらなる腐敗 北海道新聞と北海道警察

 こういう伏線があった上での今朝の記事ですから、とんでもないことになったのではないかと、驚いたというわけです。朝日の記事を読む限りでは、道警の裏金問題と直接関係したことではないようですが当の道新記事もありますので、まずはそちらを読んでみてください。
「泳がせ捜査」記事でおわび 裏付け取材が不足 「組織的捜査」確証得られず

 問題になった記事は、昨年の3月13日に出たもので、実名を出して複数の警察関係者の証言に基づき、取材をした上で「疑惑」を提出したものであり、警察は否定しているとも書いてあるので、なぜこれをこんなに大々的なおわび記事にしなければならなかったのかと考えると、今までに出ていた「噂」の信憑性が浮かび上がってきます。

 一連のブログ記事を読む限りにおいては、道警からの圧力があるということと、道新の経営側に道警に妥協しようとする動きがあるということは、間違いないのではないかと感じました。

 しかし、同時に今回のおわびに関連して今のところ記者やデスクの処分というようなことにはなっていないようであることと、そのおわびそのものが道警を満足させるような「貢ぎ物」にまではなっていないところに、道新首脳部に一片の良識が残っていることがかぎ取れました。

 今後、道新として取るべき道はただひとつです。もしも、経営陣に腐敗があるのならば道警に脅される前に自浄作用を働かせることと、ジャーナリズムとして最大の宝である記者を守り抜くことです。今はまだ、かなりの数の道民は道新を支持していますから、ここで信頼を失墜させるようなことにさえならなければ、道新は次の世代まで生き延びる可能性はまだまだあると思います。道民に守られれば、道新は生き抜けるでしょう。

 しかし、もしも経営陣を守るために、記者を権力側に売り渡すようなことにでもなったとしたら、私は不買運動も含め道新の崩壊を促進する側に立つことにします。そして、道警の腐敗追及に拍手を送った多数の道民も道新を見放すことになるでしょう。道民の支持を失った道新にはジャーナリズムとしては死があるだけです。

 道民を取るのか道警を取るのかと迫られた時、ジャーナリズムならば迷いはないはずです。

 今日の記事が、道新の終わりの始まりの序曲とならないことを心から祈っています。
by stochinai | 2006-01-14 15:13 | 札幌・北海道 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai