5号館を出て

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 最近はあちこちのサイトでpodcastingのサービスが行われているので、特に目新しいことはないのかもしれませんが、最近はNatureが配布するNature Podcastを良く聞いています。最初のうちは、キャスターのイギリスなまりがどうも気になっていたのですが、何回か聞くうちにだんだんと気にならなくなってきました。

 このpodcastingが始まったのが去年の10月5日なので、週1の更新で今日までにまだ13エントリーですのでで、すべてをダウンロードしても大した量にはなりません。英語と科学の勉強が同時にできるなかなかの教材だと思います。

(サイトが混んでいるのか、ここ数日はpodcastの特徴である、自動更新ができないようですので、ひとつずつダウンロードするしかないのが残念です。)

 来週、研究室のセミナーがあり論文を紹介しなければならないので、何かネタはないかと今朝通勤途中に聞いていた去年の11月17日号に、ちょっと気になる内容がありました。

 日本ではコモドオオトカゲと言うのですが、英語ではkomodo dragonという体長が3メートルにもなる巨大なトカゲがインドネシアのコモド諸島にいます。実は知らなかったのですが、このトカゲに噛まれるとそれほどの噛み傷ではないにもかかわらず、しばしば死に至る症状になるということが知られているのだそうです。

 ネットにも「コモドオオトカゲに噛まれたヤギはコモドオオトカゲの口の中にいる細菌によって敗血症になってやがて死ぬということを、どこかで読んだことがあります」などという記述が見つかりますし、Wikipediaのトカゲの項にも「ほとんどのトカゲは毒をもたず、人間に害を及ぼすことはないが、オオトカゲ類などに咬まれると口内にいる雑菌が傷口から入りこみ感染症を起こすことがある」と書いてあります。

 ところがNature Podcastによると、細菌による感染という説は間違いで実はコモドオオトカゲには毒があったということをオーストラリアかどこかの研究者が明らかにしたという話でした。それはおもしろいということで、その原著論文を探してみたのですが、Natureはおろかどこにも論文を見つけることはできませんでした。

 というわけで、残念ながらセミナーではコモドドラゴンの話をすることはできませんので、代わりに今日からオンライン公開されている今週号のNatureに載っている、視神経の軸索が中脳視蓋にある神経細胞とつながる際に、正しい相手(位置)を見つけるために、今まで発見されていなかった分子(タンパク質)もかかわっていたことが証明されたという論文(Wnt–Ryk signalling mediates medial–lateral retinotectal topographic mapping)を紹介することにします。これはこれで、なかなか美しい論文です。

 さて、話を戻してコモドドラゴンに戻し、私の貧弱な英語リスニング能力で聞き取れたことをもう少し書いておきます。コモドドラゴンの毒は蛇毒に似たものだったそうです。そもそも、コモドドラゴン(トカゲ一般?)の先祖が進化によって蛇と分岐したのが、およそ2億年前のことらしいのですが、コモドドラゴンと今いる毒蛇が同じような毒を持っているということは、共通祖先が毒を持っていたということを推測させます。またそのことから、実は蛇というものはもともとはすべてが毒蛇で、今いるたくさんの毒のない蛇も先祖は毒蛇だったとも言っておりました。

 というわけで、この話は蛇とトカゲと蛇毒の進化を巡るおもしろいお話のようなので、いずれ論文が発表になったらじっくりと勉強してみたいと思っております。

 ひさびさに生物ネタを書けました(微笑)。

追記:
 お恥ずかしいことながら、ある方から指摘を受けまして、Nature onlineに論文がしっかりと載っていることが判明しました。

Nature advance online publication; published online 16 November 2005 | doi:10.1038/nature04328
 Early evolution of the venom system in lizards and snakes

 しかしながら、この論文は今のところ印刷版のNature には出ていないようで、onlineでしか見られないようです。
by stochinai | 2006-01-05 22:24 | 科学一般 | Comments(6)
 大学宛jにも何通か年賀状を頂きました。大変にありがとうございました。ただ、お一人様の賀状がどちらから頂いたものかがわかりません。お心あたりの方がいらっしゃいましたら、密かにお知らせ願えると幸いです。

 年賀状表(私の名前だけは消してあります)
年賀状をありがとうございました_c0025115_1545866.jpg

 年賀状裏
年賀状をありがとうございました_c0025115_15421976.jpg

 お心遣いは確かに受け取らせていただきましたが、どなたからかがわからないというのもなんとも不安なものです。

 どうぞよろしくお願いします。

追記:小学校か中学校の時に、同じような年賀状をもらったことを思い出しました。その時は「あぶり出し」(今の子どもは知ってるかな?)ではないかと火にあぶって、一部が燃えるくらい徹底的に熱してみたのですが、何も出ませんでした(涙)。
by stochinai | 2006-01-05 15:47 | つぶやき | Comments(0)
 正月1日と2日は新聞も来ず、テレビもほとんどニュースを流さず、さらに新年会や何やでネットニュースのチェックもおろそかになっておりました。我が家は朝日新聞しか購読しておりませんので、どうやら読売だけが書いたと思われる幼稚園を義務教育化するというニュース(?)にはまったく気がついておりませんでした。

 が、これは教育関係に止まらず、少子化問題や公教育をどうするのかという点からみると、やはり結構大きなニュースだと思います。私は八国山だよりさんと地球の片隅の研究室からさんのブログで教えてもらいました。元ネタは読売の記事「幼稚園から義務教育、延長幅1~2年…政府・与党方針」にあります。

 保育園も幼稚園も行かなかった私としては、なんで幼稚園を義務教育化しなければならないのかと、反射的に反発の気持ちが生じてしまうのではありますが、そういう個人的な事情(^^;)を差し置いても、幼稚園を義務教育化することの意味がほとんど理解できないのであります。

 記事によると、まず「幼稚園―小学校の区分による環境の変化が学力のばらつきを招いているため、幼稚園を義務教育に含め、一貫した学習体系を構築するのが狙いだ」とあります。

 私は小学校へ入る前は、ひらがなすら完全には読み書きできる自信もない状態でした(それの、どこが悪いっちゅうんじゃ)。入学式の前に小学校へ行った時に未来の先生(?)に自分の名前を書いてごらんなさいと言われて、苗字まではなんとか書けたものの、緊張していたせいかどうかはさだかではありませんが、名前の「し」の最後を逆に払ってしまって「J」のような字を書いて恥をかいた記憶があり、思い出すたびに今でも冷や汗がでます。

 記憶にはないのですが、おそらく幼稚園に行っていた同級生達はちょっとした漢字までも読み書きできるレベルにまで達していたのだろうと思われます。しかし、ほんの1年か2年早期にそんなことや、足し算などができるようになっているかどうかが、子どもの「学力」なんでしょうか。その差(ばらつき)が一生尾を引くとでもいうのでしょうか。確かに私はいまだに字は下手ですが、読み書きのリテラシーは人並みに追いついたと思っています。

 また例によって、科学的根拠もなく思いつきで出された政策だと確信してしまうのが、次の文です。
 義務教育をめぐっては、近年、小学校低学年で、集団生活になじめない児童が騒いで授業が混乱する「小1問題」が起きている。幼稚園―小学校―中学校と進学するにつれ、指導の内容、難易度などが大きく変わり、成績格差が拡大する問題も指摘されている。

 この指摘の元になる調査データはどこにあるのでしょうか。是非とも示してもらいたいと思います。私の記憶では、小学校1年の頃に騒いでいたのは金持ちで幼稚園に行っていた奴らだという印象があるのですが、これは貧乏人のひがみというものでしょうか(ですね^^;)。いずれにせよ、幼稚園に行ったか行かないかが中学校まで尾を引くという根拠を示さないとこの議論は成立しないと思います。

 相変わらずの迷走的教育政策ですが、記事にある「幼児教育を無償にすることで、少子化対策を強化する面もある」というあたりが、少子化対策に有効な手を打てないで困っている政府・与党(自民・公明)の本音だろうという気がします。

 しかし、少子化対策にしても八国山だよりさんがバッサリ切っておられる通りなのです。
幼児教育を無償にすることが「少子化対策」になるという論理がわからない。
少子化は安心して子供を育てられない社会のシステムの欠陥のゆえではないか。

 まったく、その通りだと思います。さらに、義務教育化することによって、今はある程度柔軟に子どもを預かってくれる保育園が変な法律でしばられて、動きが取れなくなる可能性すら出てきます。ふたたび八国山さん。
すると保育園はいったいどうなるのであろうか。ゼロ歳児から預かってくれ、夜は午後7時まで面倒を見てくれる(息子の通っていた保育園の場合)。小学校では放課後は学童クラブに行っていたがそこは午後5時半が最終だった。幼稚園が義務化されたとして5時半以降の面倒を見てくれるのだろうか。また全員が加入できるのだろうか(学童クラブは必ずしも希望者全員が希望のクラブに入所できるわけではなかった)。

 こうなってくると少子化対策どころか、少子化推進策になってしまう恐れがあることは、現在進行形で子育てをなさっている方にちょっと聞いてみればすぐにわかることだと思います。自民党文教制度調査会や中央教育審議会にはそういう現場の声を吸い上げる仕組みがないんでしょうね。

 地球の片隅の研究室からpopokunkuさんがおっしゃるように「真意が何にあるのかもう少し考えてみる必要がありそう」です。


追記:
 コメント欄にあるように、 osumi1128さんから文科省がこの件に関する否定を公表しています。osumiさん、ありがとうございます。
平成18年1月1日付け読売新聞朝刊の報道(幼稚園から義務教育)について
 もっとも、ここには「政府としてこうした方針を固めた事実はありません」と書いてあるので、元記事の「政府・与党は」とあるところと比較すると「与党」では方針を固めたということは事実なのかもしれません。

 こうなってくると、読売の記事のニュースソース(リーク?)がどういうものなのか気になりますね。
by stochinai | 2006-01-04 22:04 | 教育 | Comments(19)

グーグルが壊れた?

 ある編集者さんからの、情報横流しです。

 本家Googleでも、Google Japanでも良いのですが、行ってみるとロゴが壊れています!、と驚きます。

 点字なのだそうです。
by stochinai | 2006-01-04 17:47 | つぶやき | Comments(0)

他山の石

 これは、自然科学者に向けられた言葉ではないのですが、自分の胸に手を当ててみると同じようなことが自然科学の世界にもあると思い当たりますので、クリップさせていただきます。

 世に倦む日日より
自己の学問研究において最初から一般読者の理解を目的としておらず、特殊な言語体系の世界を構築してその世界での評価や達成のみを追求している傾向が強い。言わば一般大衆の使う言語と切離された異質で非互換な言語空間を作り、それを国語(国民言語)たる日本語の脱構築の成果だなどと言い上げて燥いでいる状況がある。基本的に言葉遊びだ。

 科学者が、職業として学問研究を行い、なんらかの成果を得た場合にはその成果をクライアントである国民あるいは人類に還元する義務を負っていると思います。

 その報告のことを広報と言おうがアウトリーチと言おうが、受け手にわかる言葉でコミュニケートするというところまでが科学者の義務だということでしょう。

 それが出来ないならば、コミュニケーターの力を借りてでも義務を果たさなければならないということだと思います。
by stochinai | 2006-01-04 13:23 | つぶやき | Comments(6)

年頭にあたって

 年末にはその一年を振り返り、年頭にはこの一年の豊富を語るのが、新聞やテレビ・ラジオなどのマスコミの年末年始の恒例になっているのですが、毎日のようにエントリーを立てるブログの世界においてもなんとはなしにそういうことを書きたくなるのが、年末年始というもののようです。

 私も人並みに年の終わりには一年を振り返り、年が明けたら何か気の利いた未来像でも描いてみようかなと思ったりします。しかし、年末には落ち着いて一年を振り返ることもできませんでしたし、明日から通常の仕事が始まる今になってみると、ゆったりと未来予想図を描く余裕があるわけでもありません。さりとて、ブログ空間で遊ぶことを許されて1年間、日本のブログ界においてもその創世記である2005年を終えて、間違いなく質的な飛躍が予想される2006年を迎えて、なにも書かないというのも落ち着きません。

 というわけで2006年というたった1年短い未来のことではなく、私の周辺がこの先どうなるのか、またどうなって欲しいのかということなどを徒然に書きつづってみたいと思います。

 小泉独裁政権下の今の日本では、一握りの大成功組を除くと、大多数の人にとっては取りあえず明るい未来は望めないと思います。たとえこの秋に、小泉さんの自民党総裁の任期が切れたとしても(それすら怪しいかもしれませんが)、その先に大きく変わることはないと思われます。自民党だけではなく民主党も含めて、小泉方式の愚民政治のすごさを知ってしまった政治家達は、もはや旧来の愚直な政策へと戻ることは当面はないでしょう。国民の方でも、政治が自分たちの生活に直結したものであるという実感を持たないまま、エンターテインメントとしての選挙ゴッコの時だけ一時的に遊びに参加する「サイレントマジョリティ」によってもてあそばれるだけの存在になってしまいそうです。国民全員が平等に一票を持つというシステムが悪い方に動くとこうなるという見本のようなこの状況は、しばらく変わらないと思います。

 法人化して3年目に入る国立大学をはじめとする大学の未来も同様に暗いものだと思います。毎年のように運営交付金が減らされ、大学を受験する学生の数がどんどん減っていって、大学さえ選ばなければ希望者全員が入学できるようになっていきいますから、大学はかなり抜本的に変わらなければ共倒れするしかない段階に入ってきています。それにもかかわらず、国立大学が積極的にやろうとしていることは未だに肥大化しながら大学院やその上に位置する研究院の改革なのです。私の考えでは、今大学がやらなければならないもっとも大事なことは、学部と大学院修士課程の教育改革なのにもかかわらず、その点に関しては相変わらず省力化・効率化(つまり手抜き)をしようとしているように見えてなりません。

 大学の改革をしようとするならば、まず必要なのは大学教員・研究者の再生産ではなく、大学から社会へ巣立つ大学卒業生および大学院修士卒業生の品質管理の徹底だと思います。同時に大学院博士課程以降へと進学する学生定員の削減が必要です。今、行われている大学院・およびその上に作ろうとしている研究院改革でも、相変わらず博士課程定員の増員を大学側に要求する文科省の指導方針を見ていると、この「改革」では今ある大学院の傷口を広げることにしかならないように思えてなりません。もちろん大学側もそれに反対しているわけではありませんから共犯です。

 大学が適切に学生や大学院生を教育し、その未来に責任を持てないという現状には、私も含めた大学人にもその責任あることは間違いありませんが、それはさておき今このような大学や大学院にいる学生は、(このような日本にいるすべての市民と同じように)もはや制度や公的支援に期待することはできないことを肝に銘じるべきでしょう。

 国が「自分のことは自分で責任を持て」という方針を政策を打ち出している以上、我々も「自助」を前提に人生を組み立てることが要求されていると覚悟すべきです。年金や保険が信頼できないならば、老齢化や病気に備えて、健康に気を遣ったり、貯蓄をしたり、共同生活する仲間を見つけたり、NPOを作ったりしていくことも必要かもしれません。

 大学にしても、文科省にお願いするという従来の方針から自助へ、場合によっては民営化の道を模索し始めることが必要な段階に来ているという認識を持たない限り、じりじりと崩壊していくことを止めることはできないような気がします。

 個人も組織も、税金をあてにして税金配分省庁の動向にだけ気を遣う姿勢から抜け出さなければもうダメなのです。
by stochinai | 2006-01-03 23:17 | つぶやき | Comments(7)
 動物を飼っていると、お正月でもなんとなく心配になって大学へ来てしまいます。さすがに正月2日の大学は道路の守衛さんもおらず、静か(とりうより寂しい)なものです。この時期のイチョウ並木を撮った写真というもの珍しいかもしれませんので、非芸術的(墨絵的にはいいかも)なものですが、掲げておきます。
1月2日のイチョウ並木と謎の幻日_c0025115_1352176.jpg

 何枚か撮った写真に、まだ午前中だというのに並木の西の空低くに、太陽のような幻が写っているものがありました。これこそ珍しい写真になりましたので、これも記念に掲載しておきます。
1月2日のイチョウ並木と謎の幻日_c0025115_138159.jpg

 寂しそうではありましたが、動物や植物たちもみな元気だったので、私はこれから今年2件目の新年会へと出かけることにします。
by stochinai | 2006-01-02 13:08 | 大学・高等教育 | Comments(1)

戌年元旦

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

 昨年お世話になった方々と、今年お世話になる方々のそれぞれに年賀状をお送りしたいところではありますが、この場を借りて簡略に済ませることでご容赦願います。
戌年元旦_c0025115_11293899.jpg

 戌年であるにもかかわらず、わが家の猫の写真ではミスマッチというご意見もあろうかと思いますので、サラ金の犬とお供えという組み合わせもついでにご覧ください。
戌年元旦_c0025115_11295597.jpg

by stochinai | 2006-01-01 23:30 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai