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科学と非科学について

 二つ前のエントリー「文部科学省また失策」には、批判・賛成・お叱り・疑問などなどさまざまのご意見をいただきました。ありがとうございます。もともと、ブログを書くことには、読んでいただいている皆さんと議論をしたいという思いがあってやっていることですので、このように議論が巻き起こるということは本当に嬉しいことです。私自身の意見の変化を含めて、少しでも良い方向へ議論が進んでいくことができると確信しています。

 さて、そのコメントの中でMYさんから、次のようなご質問をいただきました。
教えてください。stochinaiさんは、「似非科学」という言い方を使われているのですが、これとよく似た言い方で「疑似科学」という言い方があると思います。漢字の意味するところから、少し違う意味を持っているような印象もあるのですが、stochinaiさんは意図的に使い分けているのでしょうか。どちらが、好ましいというご意見があるでしょうか。ちなみに、Googleで調べると、疑似科学1,500,000 件、似非科学346,000件がヒットして、疑似科学という言い方が圧倒的に多いようです。

 実を言いますと、科学の周辺にある「非科学」についてはそれほどしっかりと意識して定義された言葉を使い分けているわけではありません。科学のような装いをほどこしているけれども、明らかに科学としての方法論を逸脱していたり、「科学的」議論が行われていにもかかわらず、謙虚なところがなく、断定的に結論を出すことによってしっかりとした科学リテラシーを持たない人々をミスリードするようなものに出会うと、私個人がそれに対して否定的な評価をしているという価値判断を含めて似非科学(エセ科学)と呼ぶことが多いと思います。

 しかし、この使い方が一般的を持った正しいものなのかどうかについてはそれほど自信があるわけではありませんので、今年の10月14日にはこのブログで知り合ったその道の専門家でもある大阪大学サイバーメディアセンターの菊池誠さんをお招きして、CoSTEPで「「ニセ科学に立ち向かう」とうい講義をやっていただくことを口実に、私も勉強させてもらおうと思っております。

#余談になりますが、菊池さんが非常勤で講義にいらしてもらうことになったいきさつは、本ブログのエントリー「インテリジェント・デザイン」のコメント欄にそのすべてがあります。ブログのコメント欄で見ず知らずの方に講義を依頼して、それが成立するなどということは考えてみるとすごいことではないでしょうか。

 さて、その菊池さんのホームページに「『ニセ科学』入門」という、科学と似非科学、ニセ科学、疑似科学、トンデモなどについての非常にわかりやすい論説があります。私も読ませていただいておおむね同感しておりますので、敢えてここでそれを繰り返すことも避けたいと思います。

 ただ、菊池さんもおっしゃっているように、科学と非科学の境界は絶対的なものではありませんし、時代とともにひっくり返ることもあります。今までにも何度もありましたし、これからもないとは言えないと思いますので、常に「現時点で手に入る限りの情報と科学的リテラシーを持って判断する限り」という前提付きの議論の上で、「それは科学的ではない」というものを非科学と判断するのだと思います。

 ただし、同じように非科学的なことでも、人に害を与えるものばかりではなく、逆に有益なものもありますし、多くのものはどちらでもないというようなものだと思います。

 というわけで、私が否定的に似非科学と呼んでいるものは、私から見て被害者がいる、あるいは被害者が出るであろうものをそう呼んでいるとお考えください。菊池さんのおっしゃているニセ科学もほとんど同じような趣旨だと考えられます。

 疑似科学という言葉はほとんど使ったことはありませんが、科学的判断基準からいうと問題があるものの、実害を伴わない場合は疑似科学と呼んで寛容に受け入れ、場合によっては積極的に本当の科学へと発展していけるように我々が協力すべきものであるのかもしれないと思います。

 こういうことを考えているうちに、サイエンスのまわりにパラサイエンスとでも呼ぶべき周辺領域があることを思い出しました。メディカルのまわりにパラメディカルがあるように、サイエンスの活動をサポートしてくれるアマチュア科学というでもいうべき、パラサイエンスの領域を育てて行くことも似非科学などの跳梁を許さないためには必要なことだと思います。

 実はすでに、分類学の方面ではパラサイエンティストとして、パラタクソノミスト(準分類学者)という存在を育てる作業が、我々のCOEで始まっています。

 MYさんの質問に対してはあまり良いお答えにはなりませんでしたが、徒然に書いてみました。
by stochinai | 2006-03-26 19:42 | 科学一般 | Comments(11)
 最近は土日や休日もゆっくりできない日々が続いていたのですが、今日は普通に帰宅することができましたので、久々に週末DVD劇場を開催できました。

 今日のプログラムはモーターサイクル・ダイアリーズです。

 チェ・ゲバラを知らない人が見たら、ただの青春の1ページを記録した多感な若者の数ヶ月の旅の記録にすぎない映画だと思います。

 しかし、少なくとも我々の年代に人間にとってはカストロと一緒にキューバ革命を成功させ、ケネディ暗殺の4年後に、CIAによって訓練されたボリビア政府軍によって殺された伝説の革命家の学生時代を描いた自伝映画ということになると、その意味はまったく違ったものになります。

 革命家というものは体制側が描くと狂信的で残虐な人間に描かれることが多く、革命勢力側から描かれる場合には、極めて人道的で優しい人間ということが多いものです。

 この映画は本人が書いた自伝をもとにしていますので、そのどちらでもないただのぜんそく持ちのちょっとひ弱な医学生として素直に表現されています。

 1950年代の南米を描いた映画などはあまり見ることもなく、スペインによる侵略のことを一般の人がどのように考えているかということや、マヤの末裔たちの生活が出てくるだけでも新鮮なのですが、南米においてもハンセン氏病の患者さんが社会から隔離されていたことなど、金持ちのうちでそだったおぼっちゃんだったゲバラの考え方を変えさせたエピソードが次々と登場してきます。

 クレジットを見て、ロバート・レッドフォードが制作・指揮をしていることを知り、たしかにこの映画はいろんなところで彼が主演して出世作となった「明日に向かって撃て」と重なるところがあると、納得できたのでした。

 いずれにせよ、チェ・ゲバラやロバート・レッドフォード、さらにはサンダンス映画祭のことなどを知らない人が見ても感動は薄いと思いますが、そこそこいろいろな情報を得た後に見たならばまったく違ったものになる映画だと思います。見る人のバックグラウンドによって、これほど大きく差の出る作品も珍しいかもしれません。

 ただし、主人公は、“ラテンのブラピ”と言われるほどのいい男と言われている(私には良くわかりませんが)ガエル・ガルシア・ベルナルという人なので。そっちの方から映画を見ようという方にはまた違った興味があるのかもしれません。

 ともかく、私の評価は保留ということにしておきます。

【追記】
 そういえば「風の便り」さんのところで、この映画のことを書かれていたような記憶があります。December 05, 2005『モーターサイクル・ダイアリーズ』でした。トラックバックを送らせていただきます。

 見落としていましたが、December 14, 2005「エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル・ダイアリーズ』」で、原作の紹介もされております。合わせてお読みください。
by stochinai | 2006-03-26 01:30 | 趣味 | Comments(6)

文部科学省また失策

 先日、文部科学大臣が金メダルを取った報告に訪れた荒川靜香さんと対面した時、はしゃぎすぎて、オリンピックでスルツカヤさんが転んだことについて「人の不幸を喜んじゃいけないけど、こけた時は喜びましたね」と発言して、のちに反省のお詫びコメントを出したことがまだ憶に新しいのですが、また文科省が恥ずかしいだけではなく、とんでもないお金の無駄遣いをしてしまいました。

 「デートに使える科学ネタ」文科省が無料誌作成」というニュースが数日前から流れています。

 上の記事では、その本のタイトルと表紙写真が出ています。脱力します。
「デートに使える科学ネタ」を集めた無料情報誌「サイエンスウォーカー」を、文部科学省が作成した。角川書店が「東京ウォーカー」など28日に全国で発行する雑誌にとじ込む。

 表紙にデカデカと書かれているフレーズが「デートの強い味方 カップルで楽しむサイエンス」です。内容を見ていないので、この表紙やフレーズが中味を正確に表しているかどうかははっきりしないのですが、そもそも「デートに使える科学ネタを提供すること」と、若者の科学離れがどのようにつながるというのでしょうか。

 文科省にいる時代を感じることのできない親父と、それをうまく乗せることに成功した出版社(角川書店)の共同作品だと思うのですが、出す前に最低限必要とされるであろう高校生や大学生にリサーチはしているのでしょうか。そんなこともせずに、7000万円をドブに捨てるような行為をしても誰も罰せられないのが文科省の予算の使い方なのでしょうか。
内閣府の調査では、30歳未満で科学技術に関心を持つ人は4割。文科省は約7000万円で計110万部を作り、「若者を科学へ振り向かせたい」と意気込む。

 いつも思うのですが、科学技術に関心のない若者が多いという調査結果のどこが問題なのでしょう。いつの時代にも科学に関心を持つ若者など一握りだったはずですし、そういう意味では今の時代でも一握りの科学少年が厳然と存在します。その一握りの若者たちに元気を与える企画を出してくるのなら評価もできますが、どうせ何をやっても科学に興味を持つことなどもっとも期待できない層(デートに科学を使おうなどという軽薄もの)に対して科学振興予算を7000万円も使うのは、無駄遣いを越えた犯罪的行為だとすら思います。
内容はサッカー、音楽、食事、ドライブなど、身近な話題が満載。デート前に予習して、やさしく科学的に解説できれば、彼女(彼)もほれ直す?

 ちょいちょいと仕込んだ科学ネタを異性をくどくことに使おうなどと思っている人間は、世の中に蔓延する似非科学の方を愛すると思います。血液型性格診断とか、星占いとか、昔から異性を口説くために使われてきたのはどちらかというとホンモノのサイエンスよりは似非科学ですから、もしもこの本がホンモノの科学を扱っているとしたならば、ターゲットとした層に受け入れられる可能性は少ないでしょう。

 文科省の皆さま、どうか奇策にばかり走らずに、たとえ愚直と言われても構いませんから、本当の教育をじっくりとできる環境を整えることに力を注いでいただきたいと思います。

 このままでは、文科省そのものがお取りつぶしになってしまいそうで心配です。
by stochinai | 2006-03-25 17:58 | つぶやき | Comments(29)

役に立つスパム

 北大のサーバーでメールのヘッダーを解析することによってスパムメールを判断し、配送を制御するようになっているはずなのですが、私のところへ届くスパムメールはそれほど減ってきているような気がしません。しかし、情報基盤センターの発表によると1週間で417,535通を遮断したということですので、まったく役にたっていないということではないようです。

 ブログのほうにも、しばしばたくさんのトラックバックスパム、そして稀にコメントスパムがつけられることがあります。

 最近は、なかなか工夫している良心的な(?)スパムもあり、このようなものをひとつひとつ手作りしている苦労を思いやると、削除するのがかわいそうになることもあるのですが、クールに削除しております。

 さて、スパムのほとんどはどこかの営業サイトへと人を誘導するもののようですが、その誘導先がこちらにとってなんの興味もないか、興味があったとしてもそのような形で誘導されることが嫌な場合には確かに腹の立つものです。

 しかし、もしもこちらが欲しいと思っているもの、場合にはよってはずっと探していたもの、さらには言われてみればそういうものは欲しいかもしれない、というようなものを紹介されたとしたらどうでしょう。ひょっとすると、思わずクリックしてしまうかもしれません。

 メールや自分のブログに頼みもしない情報が送られて来るのが迷惑なのがスパムということになるのでしょうが、たとえばグーグルで「おいしいパン」というキーワードでウェブサイトの検索をしてみると、左側にはたくさんのウェブサイトが紹介されるのですが、右側にも「スポンサー」という欄が出てきます。 「おいしいパン」で検索した場合には、スポンサーは「美味しい天然酵母パン」「石窯で焼く天然酵母パン」「職人が作るパンを宅配」「美味しいパン&スープ通販」「おいしいパン」などと、確かにコマーシャルサイトではありますが、検索したテーマときわめて関係の深いサイトが紹介されています。多くの人はこれをスパムとは呼ばないと思いますが、コマーシャルサイトへの誘導という意味では同じものではないでしょうか。

 というわけで、スパム業者の方々に提案があります。

 メールによるスパムはもちろん止めていただきたいのですが、ブログに対してトラックバックスパムをつけるのであれば、もう少しきちんと記事の内容を把握して、それに関係の深いサイトを紹介するというように商売の方針を変えていただけないでしょうか。

 ドラッグとセックスと金儲けならば、どんな人でも興味があるはずだというみなさんの信念は理解できなくもないですが、世の中の多くの人は四六時中そんなことばかり考えているわけではありませんので、99.9%は迷惑になります。

 ほとんどのスパム屋さんには技術もノウハウもないのかもしれませんが、少しはグーグルを見習ってはどうでしょう。グーグルの検索能力を使うと、少しはマシなスパムを作ることができるのではないでしょうか。ひょっとするとGoogleがやっているBloggerというブログ・サービスではすでにそういう「スパム」がデフォルトでついているかもしれません。

 使ったことがないので推測なのですが、同じくGoogleがやっているGmailというサービスでは、メールの内容に応じたコマーシャルが添付されてくるということです。これなどは、メールの内容がチェックされていることが気にならない人にとっては、意外と便利なサービスに思えるのかもしれません(笑)。

 こんなことを考えていると、近い将来Googleが本気でスパム業界を立ち上げそうな気がしてきました。その時、彼らは言い張るでしょう。これはスパムなどではなく、お客様への無料のサービスです。
by stochinai | 2006-03-24 21:50 | コンピューター・ネット | Comments(1)

大人の飲み会

 今日は、昨日からこちらに「共同研究」に来ているW医大に勤務する後輩と、北大の****センターに勤務する研究室関係者と3人で大人の夕食会でした。

 昨日もCoSTEP代表を慰労するサプライズ・パーティで、ワインをしこたま飲んで、今日は朝から少々宿酔だったところへ、夕方からは高等教育機能開発総合センターのO先生の退職記念の講演会とその後のレセプションにも参加し、そこでビールを飲んでもそれほど回復せずではありましたが、わざわざ紀州から訪ねてくれた後輩とも旧交を温めねばならずということで、ヨドバシカメラのこっちにある小じゃれた居酒屋で、またまた黒ビール、ハーフアンドハーフ、そしてまたまたワインを2本開けてしまいました。

 大学に勤めるものの飲み会ですから、話は当然教育問題や学生問題、さらには教員のコミュニケーション能力、学生のコミュニケーション能力、大学や大学院の全員入学問題、学生の質、教員の質の変化、社会の変化、いろいろと情報交換するうちに、日本全体の変化がなんとなく見えてきた気がします。

 やはり、他の職場の人と話をするということはとてもためになります。私が目の前で見ている現象が、北海道大学特異的なものなのか、それとも日本全体を覆っているものなのかが推測できるからです。

 そして、今夜得られた情報は、私が日頃感じていた教員のこと、学生のことなどが、決して局地的なことなどではなく、日本全国で同時に起こっていることなのだということを確信させるものでした。

 少子化の果てに大学全入、さらには大学院全入が現実の問題として起こってきています。その後にあるのは、学歴社会の崩壊です。崩壊し始めている学歴社会を前に、我々大学にいるものはどうすべきなのか、学生とその親たちはどうすべきなのか、かなり真剣に考えて行動しなければ一人一人に危機が訪れ始めていることに人は気が付いているのでしょうか。

 少なくとも学校や文科省、政府を非難していても自分たちが救われることはあり得ないということだけははっきりしてきていると思います。

 もはや手遅れだということが言えなくもないのですが、問題が明らかになった以上、こちらのとるべき対応もはっきりしてきたと言えます。

 もやもやが少し晴れて、明日からの元気が出てくる夕食会でした。
by stochinai | 2006-03-23 22:58 | 大学・高等教育 | Comments(0)

可能性と真犯人と

 前から気になっていた事件なのですが、やはり控訴棄却で有罪になりました。

 仙台で起こった筋弛緩剤点滴事件控訴審の判決です。

 事件の初期段階で被告が「自白」をしたため、それほど難しい問題とはならずに結論が出るのではないかと考えられていた事件ですが、その後被告が「自白」を翻したために結論が注目されている事件です。

 こうした事件の場合、科学的検証が非常に重要になると思われるため、私も注目していたのですが、残念ながら判決は「科学的」に説得力のあるものとはなっていないと思いました。

 判決における最大の非科学性は、追試ができないことに対する裁判所の判断です。科学においては再現性が正当性を保証する最大のポイントになるのですが、今回の事件においては被告の有罪を照明するための試料が鑑定の過程で全量消費されたために追試ができないという事情があります。

 これは、「薬毒物をすべて出すため徹底的に分析し、全量を消費した」という検察側の主張があったとしても、現代の科学技術のレベルから考えると到底納得できる説明にはなりえません。1しかない試料だったとしても、その科学的内容を照明したいのであれば2分の1だけでも同等の分析は可能であるはずであり、100歩ゆずって全部使わなければ正確な分析ができなかったということであっても、こうした刑事事件の場合にはたとえ精度が落ちたとしても再検査のために試料を残すということをしなければ公判を維持できないというくらいの状況でなければとても公平な裁判とは言えないと思います。

 残念ながら判決を読む限り、裁判長は医師でも科学者でもないことは明らかでありで、彼の下したである弁護人の主張する「被害者」の死亡原因となる原因を「筋弛緩剤と認めた1審判決は十分是認できる」という説明は、科学的な説得力を持つものとは思えないと、科学者の私には感じられました。

 「約10カ月の間に北陵クリニックという同一の病院内で5件も偶然に生じることはますます考えられない」という判決には私も同意でき、この事件が何者かの手によって故意に引き起こされたものであろうというところまでは私も納得できるのですが、それが被告人によるものであるということの証明があまりにも弱すぎます。

 判決で、被告を犯人とする理由に消去法が多いところがとても気になります。他に犯人が想像できないので、被告が犯人だろうという推論です。

 「筋弛緩剤に関し一定の知識とそれを容易に入手し、怪しまれずに点滴溶液に混入できる者しか犯行の可能性がなく、北陵クリニック関係者に限られる」というのは良いとしても、それが被告であるという証拠はありません。

 「被告は2000年、20アンプルの筋弛緩剤を発注したうえ、患者の急変とのかかわりを疑われて北陵クリニックを退職する際、こっそり使用済み筋弛緩剤の空アンプル多数を持ち出そうとした。正規の用途以外の筋弛緩剤使用にかかわっていることが推認されるが、不合理、虚偽の弁解に終始している」というのも、直接の証拠にはなっていません。

 「被告が女児に溶液を注入したことは、居合わせた女児の両親と看護師3人が供述しており、信用性は十分認められる。注入で女児が急変し、溶液を調合したのも被告であることなどから、犯人が被告人であることに疑いを入れる余地はない」というのも、直接的な証拠ではありません。

 「被告は犯行の十分な機会がある一方、他の者が点滴に関与した形跡は認められない」というのも間接証拠ですし、後に否定した自白を「告には任意性および一定の信用性が認められる自白があり、犯人は被告と断定できる。自白している間も弁護士と接見し、法的助言を受けていたのに自白」したとして証拠として採用するなど、いったん白状してしまったら訂正を許さないという姿勢は現代の裁判とも思えません。

 さらに「犯行への関与をうかがわせる不審な言動がある」とか、「被告は点滴準備の場所に現れ不審な言動をした」とか、の証拠とはなりえないような状況証拠を感情的に裁量しているところなどの納得できないことが多く、これらを積み重ねて犯人と断定されてしまうようではとても科学的裁判とは言えないと感じました。

 もちろん被告が犯人の可能性がゼロだとは思いませんが、被告の人生を完全に無くしてしまうような判決が、この程度の「証拠」でなされてしまうのが現代の裁判なのだとすると、まだまだそれに対して全幅の信頼を置くことはできないというのが正直な感想と言わざるを得ません。

 上告では、推論ではなくしっかりとした科学的判断に基づく裁判を行って欲しいと思います。
by stochinai | 2006-03-22 23:59 | つぶやき | Comments(9)

わが家にもついに光が

 告白すると、先週まで私の自宅でのインターネット環境は、普通の電話にモデムでつなぐという2世代前の状態でした。

 ヤフーBBなどが無料でモデムを配布してADSLの宣伝をしていたころに導入しようとしたことがあるのですが、わが家は2昔前のハイテクなホームテレホンが張り巡らされた家だったので、残念ながらADSLを導入するにはかなりの工事が必要ということで見送っていました。

 まあ、いずれ光がやってくるだろうから、ちょっとの間は普通の電話接続で我慢しようということです。電話といっても、私が大昔パソコン通信を始めた頃の300ボー等という時代から比べると夢のような速さ(190倍)の最高57Kボーのモデムです。昔を知っていれば我慢できないというものではありません。

 思い返せば、300、1200、2400と速度が上がるたびにモデムを買い換えていたような気がします。9600が出た頃には、もうこれくらいで十分なのではないかとさえ思えましたが、その後もどんどん速度があがり19K、57Kとなってモデムとしては終わりになったのでしょうか、その後はADSLの時代になりました。(その前に、ISDNというのもあったのですが、キャプテン・システムと並ぶ短命システムの代表になってしまいました。)

 というわけでローテク接続を続けながら、光が来てリーズナブルな価格になったら一気に光に変えようと狙っていました。一昨年くらいまではUSENが安く伸びも大きく、日に日にサービス提供エリアが拡大していましたから、USENが来たら契約しようと思っていました。

 昨年の後半頃にはじわじわと、我が東区にもエリアが広がって来ていましたので、もうすぐだと心待ちにしていたのです。

 ところが、ところがです。ある日、USENからお知らせがあって、お宅の地域に関してはサービスを拡大することはやめました。ついてはNTT東日本がそちらのサービスをしているはずなので、そちらのサービスを利用してくださいなどというメッセージが送られてきたのです。

 何という消費者無視の談合だろうと腹がたちましたが、もはやこの地域に光回線の競争が起こることはなさそうだということで、次の作戦を立てられずにとまどっておりました。

 それが数週間前、NTT東日本のBフレッツをプロバイダーと込みで契約するといろいろなサービスがあるというキャンペーンが始まりました。値段だけで見比べてみると、プロバイダー料金込みで月額4200円というBBexciteがもっとも安いように思われましたので、そこに頼むことにしました。

 正規料金が6000円弱ですから20000円くらいの割引になります。もちろん、工事費や初期費用はすべて無料です。

 というわけで、日曜日からわが家にもついに光環境が届いたというわけです。ついでに、家の中を全部無線LANにしてしまいました。バッファローの高出力なルーターを使うことで、軽量鉄骨入りという電波の飛びにくい家の2階へもほとんどスピードが落ちることなくつながっています。

 導入にあたってひとつだけトラブったのが、ちょっと古いノートでOSがまだウィンドウズMEのものでした。XPならば問題なく動く無線LANカードのソフトが動かないのです。残念ながら、このノートは有線でつないで使うしかないかなとあきらめて寝て、翌朝目覚めた時にふと思いついたことがあります。

 古いMEでソフトが動かないということは、同じハードを動かす古いソフトを探せば動くのではなかろうかということです。早速、ネットで古いバージョンのソフトを探し、インストールしてみるとあっさりと動きました。昨夜の苦悩はなんだったんだというくらいの拍子抜けでした。

 とまあ、ちょっとしたトラブルはありましたけれども、今やわが家は光回線と無線LANのハイテク・ホームになってしまいました。

 これなら、大学にいかなくてもできる仕事も多そうだなと思い始めている今日この頃です。
by stochinai | 2006-03-21 23:59 | コンピューター・ネット | Comments(8)

一転、真冬に逆戻り

 昨日の午後から急速に気温が下がり風が強くなってきたと思ったら、夜には雪が降り出しました。

 朝、起きてみると雪がなかったはずの道路が10センチ以上の積雪で被われていました。もちろん、除雪車など来る時期ではありませんのでそのまま放置です。一日中、風雪が強く、例年よりも早く春が来るのではないかという浮かれた気分が一気に冷やされてしまいました。

 夜になっても天候は回復せず、帰宅した自宅近辺の風景は完全に真冬です。私の家は小樽と千歳を結ぶ高速道路の中間にあります。高速の伏古インターチェンジ付近の光景です。

 ストロボを発光させると写るのは雪ばかりですが、
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 ストロボを切ると、寒々とした風景が広がります。
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 そこから振り向いて、家路へ向かう道路です。
一転、真冬に逆戻り_c0025115_2356896.jpg

 うー、さぶっ。
by stochinai | 2006-03-20 23:57 | 札幌・北海道 | Comments(1)

祭りの後

 今日は科学技術コミュニケーター養成元年シンポジウムの2日目です。昨日の怒濤の卒業作品発表会と比べると、落ち着いた一日になりました。

 午前中はスウェーデンデンマークのGert Ballingさんの講演会。英語であるということを除くときわめて教科書的な科学コミュニケーションのおさらいといったものだったのですが、さすがに自分で運営しているサイエンスカフェの話になると熱がはいってくるとともに、現場で実践している人ならではのノウハウ満載の話はそれりにおもしろいものでした。

 ところで昨日の懇親会の時から、頭の左右から髪を中央に集めて東京タワーのように盛り上げている、昔のロックンローラーのような彼の髪型が気になっていたのですが、講演を聞きながらアクセスした彼のホームページを見て納得しました。

 髪型を除くと服装など見たところは極めてまじめで誠実そうな人に見えますし、科学コミュニケーションの話も特に奇をてらったところなどまったく感じられなかったのですが、ホームページでターミネーターになっている彼の写真を見ると、あの髪型の謎は氷解します。

 実はかなりのおもしろ人間だったようで、今回のレクチャーでそれを見られなかったのは返す返すも残念でした。

 そういえば、彼は昨日のCoSTEPの卒業制作発表会を見てかなり感動していたようなので、それとかぶるような「遊び」は敢えてはずしたというのが本当のところなのかもしれません。

 いずれにせよ、もう一度日本に呼んで、一緒にクレージー・サイエンス・カフェでもやりたいと思いました。

 午後は、「科学技術コミュニケーション教育の現状と課題」と題してのシンポジウム。たった2時間で5名の方に講演をしてもらい、さらにディスカッションというのはどう考えても無理な企画でした。このような、講演ととって付けたようなディスカッションという「シンポジウム」のやり方はそろそろ改めるべき時期に来ているのではないかとつくづく感じました。

 講演も物足りなければ、ディスカッションはもっともの足りません。これでは、個々人で議論を継続させる力のある人以外は、宙に放り投げられて着地点には誰もいないという状況に置かれてしまうことになってしまいます。ウナギ屋の店先で匂いだけかがされ、それに惹かれて店に入ろうとしたらすでに閉店でシャットアウトされたようなものです。

 科学技術コミュニケーションの研究者達同士がやっているコミュニケーションの手法が旧態依然のこういうことではうやっぱりいけないのではないかと自戒を込めて感じております。

 例えば参加者には前日までに資料を渡しておいて読んできてもらい、会場での講演は、ひとり5分くらいにしてもらい、徹底的にディスカッションをするというような形も良いのではないでしょうか。

 サイエンスカフェなどの市民を相手にしたコミュニケーションに関しては、細かいところまで気にして会の進行をデザインする人々が、自分たちのコミュニケーションにはこんなに無頓着ということでは、どこまで信じて良いのかわからなくなります。

 もちろん私も責任者の一人として批判されるべき側の一人だとは思うのですが、まずは自分たちの会議から変えていかなければ何を言っても聞いてもらえないのではないかというようなことを感じた一日でした。
by stochinai | 2006-03-19 23:38 | CoSTEP | Comments(2)
 すごい1日でした。

 半年前に同じ場所で、CoSTEPの入学式をやったのですが、正直言ってその時には半年後にどれくらいの「成果」がでるのだろうかと半信半疑でした、というよりは、正直言うと弁解することになる可能性の方が大きいような不安を持っていたことを告白します。

 ところが、ところがです。今は、なんだかとても誇らしい気分です。

 今日と明日、北大で
CoSTEP初年度受講生の卒業発表を兼ねた、作品発表会およびシンポジウムが開催されています。

 今日の前半は、CoSTEP受講生による卒業作品発表会がありました。感動でした。

 この半年間で、それぞれの受講生はラジオ番組を作り、サイエンス・カフェ、サイエンス・ギャラリーを運営し、出前授業をこなし、プロに勝つライティングを実現し、全国紙に負けない発行部数を誇る地元の新聞社から定期コラムの連載を依頼されるほどのウェブサイトを作り上げることができたのです。さらには言われたわけでもないのに、自主的にサイエンス紙芝居や研究所ツアーまでをも主宰し、新聞に取り上げられるほどの成果をあげてしまったのです。

 もちろん、ほとんどすべての作品の背後には教育者としての宿命とでもいうべき「匿名」で行われた特任教員の方々の献身的な指導があったことは間違いないのですが、たとえそうだとしても受講生の名前を前面に押し出しても良いと判断されるだけの「作品」ができあがったことは間違いありません。

 懇親会での受講生の明るさもとても気持ちのよいものでした。おそらく、彼らにとっても本来ならば一年かけてやるべき課題を半年でこなすことができたという深い達成感があったのだと思います。今後の人生において大きな自信になることは間違いないでしょう。

 テレビでしか見たことのないNHKアナウンサーである山口さんが、彼らの発表の進行の司会をしてくれただけではなく、時には辛口のコメントをいただけたことも受講生には大きな励みになったと思います。他に、サイコムの榎木さん、読売新聞の北村さん、大阪大学の小林さん、未来館の美馬さんの時には暖かい、時には厳しいコメントのひとつひとつが彼らにとって一生の財産になったはずです。

 話を聞いていて、自分が大学院生の頃に出た学会のことを思い出しました。

 指導してくれた先生なしにはとてもできないはずの研究発表をさせてもらい、それまでは本や論文や講義やテレビでしか知らなかった先生に、直接褒めてもらったり注意してもらったり、叱られたり。ポジティブでもネガティブでも反応をもらえたということすべてが嬉しかった記憶があります。褒められてもけなされても、そのひとつひとつが発表の内容を「私」の研究として扱ってもらえているという大人扱いされたうれしさにつながっていたと思います。

 今日発表された受講生のみなさんも、同じような気持ちでデビューの瞬間を味わったのではないでしょうか。

 しかし、今日を境に「大人扱い」から「大人」になる厳しい境界線を越えるという厳粛な事実もまた皆さんを待っています。

 明日(明後日)からは、卒業生の皆さんは一人で世間の荒波と闘っていくことを迫られるのです。もちろん、すべての成果は皆さん一人一人のものになりますが、誰も手伝ってはくれませんし、すべての責任もみなさん一人一人が負わなくてはなりません。

 今日の懇親会では、たくさんの方々から一人でできることがたかが知れているということと、たくさんの人が集まった時のすごい力のことについてのお話を聞きました。ひょっとすると、CoSTEPで学んだことの一番大きなことは自分一人では何もできないけれども、人を集めることができればすごいことができるということなのかもしれません。そして、人を集める時にこそ発揮されるのがコミュニケーションの力なのでしょう。

 科学技術コミュニケーション養成ユニットで学ぶべきことというのは、ひょっとするとこの協働作業そのものなのかもしれません。

【追記】
 シンポジウムの後半で話された、日本を代表すると言っても良いコミュニケーターのお二人が女性であったということは私にはたまたまだとは思えないものがありました。お二人とも素晴らしく魅力的で、人を惹きつける能力において並はずれたものがあると思われました。

 困難な現場でがんばり続けているお二人の話を聞いていて感じたことは、こういう人がある数いてくれたら、多くの問題はそれほど難しくないものになる、ということでした。

 かなりハイレベルな存在であることは事実なのですが、一人でも多くお二人のような存在を育てていくことは、ある意味でわかりやすい目標になりそうな気がしました。

 そう言う目でCoTEPの卒業生を見渡してみると、意外といけるかも、というところです。

 がんばってください。
by stochinai | 2006-03-18 22:33 | CoSTEP | Comments(1)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai